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title: "中阿含經 · 86 說處經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （八六）中阿含長壽王品說處經第十五第二小土城誦

> 中阿含経 長寿王品 説処経 第十五

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，尊者阿難則於晡時從宴坐起，將諸年少比丘往詣佛所，稽首佛足，却住一面，諸年少比丘亦稽首佛足，却坐一面。尊者阿難白曰：「世尊！此諸年少比丘我當云何教呵？云何訓誨？云何為彼而說法耶？」

> そのとき、尊者アーナンダは、夕方の坐禅から立ち上がり、若い修行者たちを連れて仏のもとへ向かい、仏の足に礼拝してから一方に立ちました。若い修行者たちも仏の足に礼拝してから、一方に座りました。 尊者アーナンダは仏に申し上げました。「世尊よ、この若い修行者たちを、私はどのように教え導き、どのように訓戒し、どのように説法すべきでしょうか。」

世尊告曰：「阿難！汝當為諸年少比丘說處及教處。若為諸年少比丘說處及教處者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。」

> 世尊はお告げになりました。「アーナンダよ、あなたは若い比丘たちに『処』と『教えの処』を説きなさい。もし若い比丘たちに『処』と『教えの処』を説くならば、彼らは安らぎを得、力を得、喜びを得、心身に煩わしさや熱悩（苦しみ）がなくなり、生涯にわたって清らかな修行を全うすることができるでしょう。」

尊者阿難叉手向佛，白曰：「世尊！今正是時。善逝！今正是時。若世尊為諸年少比丘說處及教處者，我與諸年少比丘從世尊聞已，當善受持。」

> 尊者アーナンダが合掌して仏に向かい、申し上げました。「世尊よ、今まさにその時でございます。善逝よ、今まさにその時でございます。もし世尊が若い修行者たちに、教えの拠り所と指導の要点をお示しくださるなら、私は若い修行者たちと共に世尊からそれを伺い、しっかりと受け持つ所存です。」

世尊告曰：「阿難！汝等諦聽，善思念之。我當為汝及諸年少比丘廣分別說。」尊者阿難等受教而聽。

> 世尊はお告げになりました。「阿難よ、あなたたちはよく聞き、よく思いをめぐらせなさい。私は今、あなたたちと若い比丘たちのために、詳しく説き明かしましょう。」尊者の阿難たちは教えを受け、耳を傾けました。

世尊告曰：「阿難！我本為汝說五盛陰，色盛陰，覺、想、行、識盛陰。阿難！此五盛陰，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此五盛陰者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 世尊がおっしゃいました。「阿難よ、私はかつてあなたに五取蘊について説いた。すなわち、色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊である。阿難よ、この五取蘊を、あなたは若い比丘たちに説き、教えなさい。もし若い比丘たちにこの五取蘊を説き教えるならば、彼らは平安を得、力を得、楽を得、身も心も煩わされることなく、生涯にわたって清らかな行いを実践することができるであろう。」

「阿難！我本為汝說六內處，眼處，耳、鼻、舌、身、意處。阿難！此六內處，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此六內處者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> アーナンダよ、私はあなたに六内処について説いた。すなわち、眼処、耳処、鼻処、舌処、身処、意処である。アーナンダよ、この六内処について、あなたは若い比丘たちに説き、教えなさい。もし若い比丘たちにこの六内処を説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、楽を得て、身も心も煩わされることなく、生涯にわたり清らかな行いを全うすることができるであろう。

「阿難！我本為汝說六外處，色處，聲、香、味、觸、法處。阿難！此六外處，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此六外處者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「アーナンダよ。私はかつてあなたに、六つの外的な感覚の領域について説いた。すなわち、色の領域、音・香り・味・触・概念の領域である。アーナンダよ。この六つの外的な感覚の領域について、あなたは若い修行者たちに説き、教えなさい。もしも若い修行者たちにこの六つの外的な感覚の領域を説き教えれば、彼らは安らぎを得、力を得、楽を得て、心身に煩わしさや熱さを感じることなく、生涯にわたって清らかな生き方を実践できるだろう。」

「阿難！我本為汝說六識身，眼識，耳、鼻、舌、身、意識。阿難！此六識身，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此六識身者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「阿難よ、私はかつてあなたに六識について説いた。すなわち、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識である。阿難よ、この六識について、あなたは若い比丘たちに説き、教えなさい。もし若い比丘たちにこの六識を説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力と喜びを得て、心身に苦しみ悩むことなく、一生を清らかな修行に過ごすことができるであろう。」

「阿難！我本為汝說六更樂身，眼更樂，耳、鼻、舌、身、意更樂。阿難！此六更樂身，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此六更樂身者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「アーナンダよ、私はかつてあなたたちに、六つの感覚による楽しみについて説いた。すなわち、目による楽しみ、耳、鼻、舌、身体、そして心による楽しみである。アーナンダよ、この六つの感覚による楽しみについて、あなたは若い修行者たちに説き、教えなさい。そうすれば、彼らは安らぎを得、力を得、喜びを得、心身に煩わしさや熱き悩みがなくなり、生涯にわたって清らかな行いを実践することができるであろう。」

「阿難！我本為汝說六覺身，眼覺，耳、鼻、舌、身、意覺。阿難！此六覺身，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此六覺身者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 阿難よ、私はかつてあなたに六つの感覚の集まりについて説いた。すなわち、眼の感覚、耳・鼻・舌・身・意の感覚である。阿難よ、この六つの感覚の集まりを、あなたは若い修行者たちに説き、教え導くべきである。もしあなたが若い修行者たちにこの六つの感覚の集まりを説き教えるならば、彼らは平安を得、力を得、楽を得、心身に煩わしさや熱悩みがなくなり、生涯にわたって清らかな修行を全うすることができるであろう。

「阿難！我本為汝說六想身，眼想，耳、鼻、舌、身、意想。阿難！此六想身，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此六想身者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 阿難よ、私はかつてお前に「六つの想（感受）」について説いた。それは、眼による想、耳・鼻・舌・身・意による想である。阿難よ、この六つの想を、お前は若い修行僧たちに説き、教え導くがよい。もしお前が彼らにこの六つの想を説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、楽を得て、心身にわずらわされることなく、生涯にわたって清らかな修行（梵行）を全うすることができるであろう。

「阿難！我本為汝說六思身，眼思，耳、鼻、舌、身、意思。阿難！此六思身，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此六思身者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「アーナンダよ。私はかつてあなたに六つの認識媒体について説いた。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、そして意識である。アーナンダよ。この六つの認識媒体を、あなたは若い修行僧たちに説き聞かせなさい。もしあなたが彼らにこの六つの認識媒体を教え説くならば、彼らは安らぎを得、力を得、喜びを得るでしょう。心と体に煩わされることなく、生涯にわたって清らかな修行を全うするでしょう。」

「阿難！我本為汝說六愛身，眼愛，耳、鼻、舌、身、意愛。阿難！此六愛身，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此六愛身者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「アーナンダよ、私はあなたのために六つの執着の種類について説いた。それは、目による執着、耳・鼻・舌・身・意による執着である。アーナンダよ、この六つの執着の種類を、あなたは若い修行僧たちに説き、教えなさい。もし彼らにこの六つの執着の種類を説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、喜びを得、身も心も苦しみ熱されることなく、生涯にわたって清らかな修行を全うすることができるだろう。」

「阿難！我本為汝說六界，地界，水、火、風、空、識界。阿難！此六界，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此六界者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 阿難よ、わたしはかつてあなたに六つの要素について説いた。すなわち、地の要素、水・火・風・空・識の要素である。阿難よ、この六つの要素を、あなたは若い修行者たちに説いて教えなさい。もし彼らにこの六つの要素を説いて教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、喜びを得、心身にわずらわしさがなく、生涯にわたって清らかな行いを実践することができるだろう。

「阿難！我本為汝說因緣起及因緣起所生法。若有此則有彼，若無此則無彼，若生此則生彼，若滅此則滅彼。緣無明行，緣行識，緣識名色，緣名色六處，緣六處更樂，緣更樂覺，緣覺愛，緣愛受，緣受有，緣有生，緣生老死。若無明滅則行滅，行滅則識滅，識滅則名色滅，名色滅則六處滅，六處滅則更樂滅，更樂滅則覺滅，覺滅則愛滅，愛滅則受滅，受滅則有滅，有滅則生滅，生滅則老死滅。阿難！此因緣起及因緣起所生法，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此因緣起及因緣起所生法者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「阿難よ、私はあなたに因縁の生起と、因縁によって生じる諸法について説いた。 これがあるから、あれがある。これがないから、あれもない。 これが生じるから、あれが生じる。これが滅するから、あれも滅する。 無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生じ、識を縁として名色が生じ、 名色を縁として六処が生じ、六処を縁として触が生じ、触を縁として受が生じ、 受を縁として愛が生じ、愛を縁として取が生じ、取を縁として有が生じ、 有を縁として生が生じ、生を縁として老いと死が生じる。 無明が滅すれば行が滅し、行が滅すれば識が滅し、識が滅すれば名色が滅し、 名色が滅すれば六処が滅し、六処が滅すれば触が滅し、触が滅すれば受が滅し、 受が滅すれば愛が滅し、愛が滅すれば取が滅し、取が滅すれば有が滅し、 有が滅すれば生が滅し、生が滅すれば老いと死が滅する。 阿難よ、この因縁の生起と、因縁によって生じる諸法を、 あなたは若い比丘たちに説き、教え導きなさい。 もし若い比丘たちにこの法を説いて教えれば、 彼らは安らかさを得、力を得、安楽を得、 身も心も煩わされることなく、生涯にわたって清らかな行を実践できるだろう。」

「阿難！我本為汝說四念處，觀身如身，觀覺、心、法如法。阿難！此四念處，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此四念處者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> アーナンダよ。わたしはかつて、おまえたちに四念処を説いた。すなわち、身体を身体として観察し、感覚・心・現象をそれぞれのままに観察することである。アーナンダよ。おまえはこの四念処を、若い修行者たちに説いて教えなさい。もし彼らにこの四念処を説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、楽を得て、心身にわずらわしさがなく、生涯を通じて清らかな修行を全うすることができるだろう。

「阿難！我本為汝說四正斷，比丘者，已生惡不善法為斷故，起欲求方便行，精勤舉心斷。未生惡不善法為不生故，起欲求方便行，精勤舉心斷。未生善法為生故，起欲求方便行，精勤舉心斷。已生善法為住故、不忘故、不退故、轉增多故、廣布故、滿具足故，起欲求方便行，精勤舉心斷。阿難！此四正斷，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此四正斷者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

「阿難！我本為汝說四如意足，比丘者，成就欲定燒諸行，修習如意足，依於無欲、依離、依滅，願至非品，如是精進定、心定，成就觀定燒諸行。修習如意足，依於無欲、依離、依滅，願至非品。阿難！此四如意足，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此四如意足者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「アーナンダよ。私はかつてあなたに、四つの如意足（思いのままに自在に働く力の基礎）について説いた。比丘が欲定（願望に基づく集中）を成就させ、諸々の煩わしい行いを焼き尽くし、如意足を修習する。それは無欲に依り、離れ離れること（執着を手放すこと）に依り、消滅に依り、煩わしさのない境地に至ろうとする願いによるものである。同様に、精進定（努力に基づく集中）・心定（心の集中）・観定（観察による集中）を成就させ、諸々の煩わしい行いを焼き尽くし、如意足を修習する。それも無欲に依り、離れることに依り、消滅に依り、煩わしさのない境地に至ろうとする願いによるものである。 アーナンダよ、あなたはこの四つの如意足を、若い比丘たちに説き、教え導くべきである。もしあなたが若い比丘たちにこの四つの如意足を説き教えるならば、彼らは安穏を得、力を得、楽を得、心身に熱苦（悩みや苦しみ）

「阿難！我本為汝說四禪，比丘者，離欲、離惡不善之法，至得第四禪成就遊。阿難！此四禪，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此四禪者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 阿難よ、かつて私はあなたに四つの禅定について説いた。比丘は、欲を離れ、悪しき不善の法を離れ、第四の禅定に達して修行を成就するのである。阿難よ、この四つの禅定を、あなたは若い比丘たちに説いて教えなさい。もし若い比丘たちにこの四つの禅定を説き教えるならば、彼らは安穏を得、力を得、楽を得、心身に煩熱なく、生涯にわたって清らかな行いを実践するであろう。

「阿難！我本為汝說四聖諦，苦聖諦、苦習、苦滅、苦滅道聖諦。阿難！此四聖諦，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此四聖諦者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「アーナンダよ、私はあなたに四つの聖なる真理——苦しみの聖なる真理、苦しみの原因、苦しみの消滅、苦しみの消滅に至る道の聖なる真理——を説いてきました。 アーナンダよ、この四つの聖なる真理を、あなたは若い修行者たちに教え、示しなさい。もしあなたが彼らにこの四つの聖なる真理を教え示すならば、彼らは安らぎを得、力を得、喜びを得、心も体も煩わされることなく、生涯にわたって清らかな修行を全うすることができるでしょう。」

「阿難！我本為汝說四想，比丘者，有小想、有大想、有無量想、有無所有想。阿難！此四想，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此四想者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 阿難よ、かつて私はあなたに四つの想いについて説いた。比丘には、小さな想い、大きな想い、無量の想い、無所有の想いがある。阿難よ、この四つの想いを、あなたは若い比丘たちに説き、教えなさい。もし若い比丘たちにこの四つの想いを説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、楽を得、心身に煩わしさがなく、生涯にわたって清らかな行いを実践するであろう。

「阿難！我本為汝說四無量，比丘者，心與慈俱，遍滿一方成就遊。如是二三四方、四維上下，普周一切，心與慈俱，無結、無怨、無恚、無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊；如是悲、喜心與捨俱，無結、無怨、無恚、無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。阿難！此四無量，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此四無量者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「阿難よ、私はかつてあなたに四無量心について説いた。比丘は慈しみの心と共に、一方の方向全体に満ち渡って安住する。同様に、第二、第三、第四の方向、さらには上下、四隅にも、すべてに及んで安住する。この慈しみの心と共に、とどこおりなく、恨みなく、怒りなく、争いなく、極めて広大で限りなく、よく修められ、すべての世間に満ち渡って安住する。 同じように、悲しみの心、喜びの心、そして捨てる心もまた、とどこおりなく、恨みなく、怒りなく、争いなく、極めて広大で限りなく、よく修められ、すべての世間に満ち渡って安住する。 阿難よ、この四無量心を、あなたは若い修行者たちに説き、教え導くべきである。もし若い修行者たちにこの四無量心を説き教えれば、彼らは安稳を得、力と安楽を得、心身に熱悩がなく、生涯にわたって清らかな行いを実践できるであろう。」

「阿難！我本為汝說四無色，比丘者，斷一切色想，乃至得非有想非無想處成就遊。阿難！此四無色，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此四無色者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「阿難よ。私はあなたに四つの無色界について説いた。すなわち、比丘がすべての色の想いを断ち、次第に非有想非無想処に至り、そこに安住することである。 阿難よ。この四つの無色界について、あなたは若い比丘たちに説き、教えなさい。もし若い比丘たちにこの四つの無色界を説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、喜びを得、心身に熱苦がなく、生涯にわたって清らかな行いを実践することができるだろう。」

「阿難！我本為汝說四聖種，比丘、比丘尼者，得麁素衣而知止足，非為衣故求滿其意。若未得衣，不憂悒，不啼泣，不搥胸，不癡惑；若得衣者，不染不著，不欲不貪，不觸不計。見災患知出要而用衣，如此事利不懈怠而正知者，是謂比丘、比丘尼正住舊聖種。如是食、住處，欲斷樂斷、欲修樂修，彼因欲斷樂斷、欲修樂修故，不自貴、不賤他，如此事利不懈怠而正知者，是謂比丘、比丘尼正住舊聖種。阿難！此四聖種，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此四聖種者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 阿難よ、私はかつてあなたに四聖種（四つの聖なる種族）について説いた。 比丘や比丘尼は、粗末な衣服を得てもそれで満足し、衣服のために心を悩ませることはない。 まだ衣服を得ていなければ、憂いたり、泣き叫んだり、胸を叩いたり、愚かに迷ったりしない。 衣服を得たとしても、それに執着せず、欲しがらず、貪らず、触れず、数えない。 災いや過ちを見抜き、必要なときにだけ衣服を用いる。 このような行動を、怠けず、正しく知りながら行う者こそ、比丘・比丘尼として正しく古の聖種に安住していると言える。 食物や住まいについても同様である。 また、欲を断つことを楽しみ、修行を楽しんで行う。そのために、自らを誇らず、他者を見下さない。 このような行動を、怠けず、正しく知りながら行う者こそ、比丘・比丘尼として正しく古の聖種に安住していると言える。 阿難よ、あなたはこの四聖種を、若い比丘たちに説き教えなさい。 もし若い比丘たちにこの四聖種を説き教えれば、彼らは安らかさを得、力を得、喜びを得、心身に熱悩なく、生涯にわたって清らかな行いを実践できるだろう。

「阿難！我本為汝說四沙門果，須陀洹、斯陀含、阿那含、最上阿羅漢果。阿難！此四沙門果，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此四沙門果者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「阿難よ、私はかつてあなたに四つの沙門の果て、すなわち須陀洹、斯陀含、阿那含、そして最高の阿羅漢果について説きました。阿難よ、この四つの沙門の果てを、あなたは若い修行僧たちに説き、教え示しなさい。もし若い修行僧たちにこの四つの沙門の果てを説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、喜びを得、心身に悩み熱苦がなくなり、生涯にわたって清らかな行いを実践することができるでしょう。」

「阿難！我本為汝說五熟解脫想，無常想、無常苦想、苦無我想、不淨惡露想、一切世間不可樂想。阿難！此五熟解脫想，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此五熟解脫想者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 阿難よ、私はかつてあなたに、熟した解脱を得るための五つの観想について説いた。すなわち、無常の観想、無常であるがゆえに苦しみであるという観想、苦しみであるがゆえに無我であるという観想、不浄で腐敗したものという観想、そして一切の世の中は楽しいものではないという観想である。阿難よ、この五つの熟した解脱を得るための観想を、あなたは若い修行者たちに説き、教えなさい。もしあなたが若い修行者たちにこの五つの観想を教え説くならば、彼らは安らぎを得、力を得、喜びを得、心身に苦しみや煩わしさを感じることなく、生涯にわたって清らかな修行を続けることができるだろう。

「阿難！我本為汝說五解脫處，若比丘、比丘尼因此故，未解脫心得解脫，未盡諸漏得盡無餘，未得無上涅槃得無上涅槃。云何為五？阿難！世尊為比丘、比丘尼說法，諸智梵行者亦為比丘、比丘尼說法。阿難！若世尊為比丘、比丘尼說法，諸智梵行者亦為比丘、比丘尼說法，彼聞法已，便知法解義；彼因知法解義故，便得歡悅；因歡悅故，便得歡喜；因歡喜故，便得止身；因止身故，便得覺樂；因覺樂故，便得心定。阿難！比丘、比丘尼因心定故，便得見如實、知如真；因見如實、知如真故，便得厭；因厭故，便得無欲；因無欲故，便得解脫；因解脫故，便得知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。阿難！是謂第一解脫處，因此故，比丘、比丘尼未解脫心得解脫，未盡諸漏得盡無餘，未得無上涅槃得無上涅槃。

> 「阿難よ、私はかつてあなたに五つの解脱の拠り所について説いた。比丘や比丘尼がこれによって、まだ解脱していない心を解脱させ、まだ盡きていない煩悩を殘りなく盡くし、まだ得ていない無上の涅槃を得ることができる。それでは五つとは何か。阿難よ、世尊が比丘・比丘尼のために法を説き、また智慧ある梵行を修行する者たちも比丘・比丘尼のために法を説く。阿難よ、もし世尊が比丘・比丘尼のために法を説き、智慧ある梵行を修行する者たちも比丘・比丘尼のために法を説くならば、彼らはその法を聞いて、法を理解し、その意味を知る。その法を理解し意味を知るゆえに、歓喜を得る。歓喜を得るゆえに、喜びを得る。喜びを得るゆえに、身体が安らかになる。身体が安らかになるゆえに、安楽を感じる。安楽を感じるゆえに、心が定まる。阿難よ、比丘・比丘尼は心が定まるゆえに、如実に見、如実に知ることができる。如実に見、如実に知るゆえに、厭離の心を得る。厭離の心を得るゆえに、欲を離れる。欲を離れるゆえに、解脱を得る。解脱を得るゆえに、「解脱した」と知る。すなわち「生は盡きた。梵行はすでに確立された。なすべきことはなされ終えた。もはや次の生存を受けることはない」と如実に知る。阿難よ、これが第一の解脱の拠り所である。このゆえに、比丘・比丘尼はまだ解脱していない心を解脱させ、まだ盡きていない煩悩を殘りなく盡くし、まだ得ていない無上の涅槃を得るのである。」

「復次，阿難！世尊不為比丘、比丘尼說法，諸智梵行者亦不為比丘、比丘尼說法，但如本所聞、所誦習法而廣讀之。若不廣讀本所聞、所誦習法者，但隨本所聞、所誦習法為他廣說。若不為他廣說本所聞、所誦習法者，但隨本所聞、所誦習法心思惟分別。若心不思惟分別本所聞、所誦習法者，但善受持諸三昧相。阿難！若比丘、比丘尼善受持諸三昧相者，便知法解義，彼因知法解義故，便得歡悅；因歡悅故，便得歡喜；因歡喜故，便得止身；因止身故，便得覺樂；因覺樂故，便得心定。阿難！比丘、比丘尼因心定故，便得見如實、知如真；因見如實、知如真故，便得厭；因厭故，便得無欲；因無欲故，便得解脫；因解脫故，便得知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。阿難！是謂第五解脫處，因此故，比丘、比丘尼未解脫心得解脫，未盡諸漏得盡無餘，未得無上涅槃得無上涅槃。阿難！此五解脫處，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此五解脫處者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> また、阿難よ。世尊が比丘や比丘尼のために説法されない時も、智慧ある修行者たちも説法しない時がある。そのような時、比丘や比丘尼は、かつて聞き学んだ教えをそのまま広く読誦するのである。もし広く読誦しなければ、かつて聞き学んだ教えをそのまま他の者に広く説くのである。もし他の者に広く説かなければ、かつて聞き学んだ教えをそのまま心に思い巡らせ、分別するのである。もし心に思い巡らせ分別しなければ、ただ様々な三昧の相をよく受持するのである。 阿難よ。比丘や比丘尼が様々な三昧の相をよく受持すれば、法を理解し、その意味を知る。その法と意味を知るがゆえに、喜びを得る。喜びゆえに歓喜を得る。歓喜ゆえに身体が静まる。身体が静まるゆえに安らぎを覚える。安らぎゆえに心が定まる。 阿難よ。比丘や比丘尼は心が定まるゆえに、あるがままに見て、あるがままに知る。あるがままに知るゆえに、厭離の心が生じる。厭離ゆえに、欲を離れる。欲を離れるゆえに、解脱を得る。解脱ゆえに、解脱したと知る。すなわち「生は尽きた。梵行は完成した。為すべきことは為し終えた。もはや再び迷いの生存を受けることはない」と、あるがままに知るのである。 阿難よ。これを第五の解脱の拠り所という。これによって、比丘や比丘尼は、解脱していなかった心が解脱し、尽きていない煩悩が残らず尽き、得ていなかった無上の涅槃を得るのである。 阿難よ。この五つの解脱の拠り所を、あなたは若い比丘たちに説き、教えなさい。これらの五つの解脱の拠り所を教えられた若い比丘たちは、安らぎを得、力を得、楽を得、心身に熱悩なく、生涯にわたり梵行を修めるであろう。

「阿難！我本為汝說五根，信根，精進、念、定、慧根。阿難！此五根，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此五根者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「アーナンダよ。私はかつてあなたに五根について説いた。それは信根、精進根、念根、定根、慧根である。アーナンダよ。この五根を、あなたは若い比丘たちに説き聞かせなさい。彼らにこの五根を教えれば、彼らは安らぎを得、力を得、楽を得、心身に煩わしさを感じることなく、生涯にわたり清らかな行いを実践することができるだろう。」

「阿難！我本為汝說五力，信力，精進、念、定、慧力。阿難！此五力，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此五力者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「阿難よ、私はかつてあなたに五つの力について説いた。それは、信の力、精進の力、念の力、定の力、慧の力である。阿難よ、この五つの力を、あなたは若い修行者たちに説き、教えなさい。もしあなたが若い修行者たちにこの五つの力を説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、楽を得て、心身に煩わしい熱さを感じることなく、生涯にわたって清らかな修行を全うするであろう。」

「阿難！我本為汝說五出要界。云何為五？阿難！多聞聖弟子極重善觀欲，彼因極重善觀欲故，心便不向欲，不樂欲，不近欲，不信解欲；若欲心生，即時融消燋縮，轉還不得舒張，捨離不住欲，穢惡厭患欲。阿難！猶如雞毛及筋，持著火中，即時融消燋縮，轉還不得舒張。阿難！多聞聖弟子亦復如是極重善觀欲，彼因極重善觀欲故，心便不向欲，不樂欲，不近欲，不信解欲；若欲心生，即時融消燋縮，轉還不得舒張，捨離不住欲，穢惡厭患欲。觀無欲，心向無欲，樂無欲，近無欲，信解無欲，心無礙，心無濁，心得樂，能致樂，遠離一切欲及因欲生諸漏煩熱憂慼。解彼脫彼，復解脫彼，彼不復受此覺，謂覺因欲生，如是欲出要。阿難！是謂第一出要界。

> 「アーナンダよ、私はかつてあなたに五つの出要界（解脱に至る五つの領域）について説いた。それらとは何か。アーナンダよ、多くの教えを聴いた聖なる弟子は、欲望を非常によく観察する。そのため、心は欲望に向かわず、欲望を喜ばず、欲望に近づかず、欲望を正しく理解しない。もし欲望の心が生じても、たちまち溶けて縮み、元に戻って広がらず、欲望を離れ、欲望に留まらず、欲望を汚らわしく嫌悪する。アーナンダよ、ちょうど鳥の羽や獣の筋を火の中に入れると、たちまち溶けて縮み、元に戻って広がらないのと同じである。アーナンダよ、多くの教えを聴いた聖なる弟子もまた、このように欲望を非常によく観察する。そのため、心は欲望に向かわず、欲望を喜ばず、欲望に近づかず、欲望を正しく理解しない。もし欲望の心が生じても、たちまち溶けて縮み、元に戻って広がらず、欲望を離れ、欲望に留まらず、欲望を汚らわしく嫌悪する。無欲を観察し、心は無欲に向かい、無欲を喜び、無欲に近づき、無欲を正しく理解し、心に妨げがなく、心に濁りがなく、心は楽を得て、楽をもたらし、あらゆる欲望と、欲望から生じるもろもろの漏れ、熱悩、憂い、苦しみを遠く離れる。それらを解き放ち、それらから脱し、さらにそれらから解脱し、この感覚をふたたび受けない。すなわち、欲望から生じる感覚である。これが欲望からの出要である。アーナンダよ、これが第一の出要界である。

「復次，阿難！多聞聖弟子極重善觀恚，彼因極重善觀恚故，心便不向恚，不樂恚，不近恚，不信解恚；若恚心生，即時融消燋縮，轉還不得舒張，捨離不住恚，穢惡厭患恚。阿難！猶如雞毛及筋，持著火中，即時融消燋縮，轉還不得舒張。阿難！多聞聖弟子亦復如是極重善觀恚，彼因極重善觀恚故，心便不向恚，不樂恚，不近恚，不信解恚；若恚心生，即時融消燋縮，轉還不得舒張，捨離不住恚，穢惡厭患恚。觀無恚，心向無恚，樂無恚，近無恚，信解無恚，心無礙，心無濁，心得樂，能致樂，遠離一切恚，及因恚生諸漏煩熱憂慼。解彼脫彼，復解脫彼，彼不復受此覺，謂覺因恚生，如是恚出要。阿難！是謂第二出要界。

> また、阿難よ。よく学んだ聖なる弟子は、怒りを深く正しく観察します。その怒りを深く正しく観察するゆえに、心は怒りに向かわず、怒りを喜ばず、怒りに近づかず、怒りを信じ理解しません。もし怒りの心が生じても、たちまち溶け去り、焦げ縮み、元に戻って広がることがなく、怒りを手放してとどまらず、怒りを汚れたものとして厭い嫌います。 阿難よ。それはちょうど、鶏の羽や動物の筋を火の中に入れるようなものです。たちまち溶け去り、焦げ縮み、元に戻って広がることがありません。 阿難よ。よく学んだ聖なる弟子もまた同じように、怒りを深く正しく観察します。その怒りを深く正しく観察するゆえに、心は怒りに向かわず、怒りを喜ばず、怒りに近づかず、怒りを信じ理解しません。もし怒りの心が生じても、たちまち溶け去り、焦げ縮み、元に戻って広がることがなく、怒りを手放してとどまらず、怒りを汚れたものとして厭い嫌います。 怒りのない状態を観察し、心は怒りのない状態に向かい、怒りのない状態を喜び、怒りのない状態に近づき、怒りのない状態を信じ理解します。心に妨げがなく、心に濁りがなく、心は安らぎを得て、安らぎをもたらすことができます。あらゆる怒り、そして怒りから生じるさまざまな煩悩や熱苦、憂い悲しみから遠く離れます。 それらを理解して脱し、さらに脱し、またも脱します。その人は、怒りから生じるこの感覚を再び受けることはありません。これが怒りからの解放の教えです。 阿難よ。これが第二の解放の領域です。

「復次，阿難！多聞聖弟子極重善觀害，彼因極重善觀害故，心便不向害，不樂害，不近害，不信解害；若害心生，即時融消燋縮，轉還不得舒張，捨離不住害，穢惡厭患害。阿難！猶如鷄毛及筋，持著火中，即時融消燋縮，轉還不得舒張。阿難！多聞聖弟子亦復如是極重善觀害，彼因極重善觀害故，心便不向害，不樂害，不近害，不信解害；若害心生，即時融消燋縮，轉還不得舒張，捨離不住害，穢惡厭患害。觀無害，心向無害，樂無害，近無害，信解無害，心無礙，心無濁，心得樂，能致樂，遠離一切害及因害生諸漏煩熱憂慼。解彼脫彼，復解脫彼，彼不復受此覺，謂覺因害生，如是害出要。阿難！是謂第三出要界。

> 「さらに、アーナンダよ。よく学んだ聖なる弟子は、害意を非常に深く善く観察します。その因を非常に深く善く観察するゆえに、心は害意に向かわず、害意を喜ばず、害意に近づかず、害意を信解しません。もし害意の心が生じても、即座に溶け、焦げ、縮み、退いて、広がることができず、害意を捨て離れてとどまらず、害意を汚らわしいものと厭い嫌います。 アーナンダよ。ちょうど、鶏の羽や筋を火の中に置くと、即座に溶け、焦げ、縮み、退いて、広がることができないのと同じです。アーナンダよ。よく学んだ聖なる弟子もまた、まさにこのように、害意を非常に深く善く観察します。その因を非常に深く善く観察するゆえに、心は害意に向かわず、害意を喜ばず、害意に近づかず、害意を信解しません。もし害意の心が生じても、即座に溶け、焦げ、縮み、退いて、広がることができず、害意を捨て離れてとどまらず、害意を汚らわしいものと厭い嫌います。 無害を観察し、心は無害（害意のないこと）に向かい、無害を喜び、無害に近づき、無害を信解します。心に障りがなく、心に濁りがなく、心は楽を得、楽をもたらすことができます。すべての害意、および害意から生じるもろもろの漏れ（煩悩）、熱悩、憂い、慼（かなしみ）から遠く離れます。それらを理解して脱し、脱してはさらに脱し、もはや害意によって生じるこの感覚（受）を受けません。これが害意からの出離（解放）の要です。アーナンダよ。これが第三の出離の界です。」

「復次，阿難！多聞聖弟子極重善觀色，彼因極重善觀色故，心便不向色，不樂色，不近色，不信解色；若色心生，即時融消燋縮，轉還不得舒張，捨離不住色，穢惡厭患色。阿難！猶如雞毛及筋，持著火中，即時融消燋縮，轉還不得舒張。阿難！多聞聖弟子亦復如是極重善觀色，彼因極重善觀色故，心便不向色，不樂色，不近色，不信解色；若色心生，即時融消燋縮，轉還不得舒張，捨離不住色，穢惡厭患色。觀無色，心向無色，樂無色，近無色，信解無色，心無礙，心無濁，心得樂，能致樂，遠離一切色及因色生諸漏煩熱憂慼。解彼脫彼，復解脫彼，彼不復受此覺，謂覺因色生，如是色出要。阿難！是謂第四出要界。

> 「さらに、アーナンダよ。よく学んだ聖なる弟子は、色（物質的なもの）を非常に深く観察する。その深い観察によって、心は色に向かわず、色を喜ばず、色に近づかず、色を信じ理解しない。もし色に関する心が生じても、それはたちまち溶け、焦げ、縮み、元に戻らず、広がることがない。色から離れ、色に留まらず、色を汚れ嫌悪し、厭い患うのだ。 アーナンダよ。ちょうど、鶏の羽や筋を火の中に入れると、たちまち溶け、焦げ、縮み、元に戻らず、広がることがないのと同じである。アーナンダよ。よく学んだ聖なる弟子もまた、そのように色を非常に深く観察する。その深い観察によって、心は色に向かわず、色を喜ばず、色に近づかず、色を信じ理解しない。もし色に関する心が生じても、それはたちまち溶け、焦げ、縮み、元に戻らず、広がることがない。色から離れ、色に留まらず、色を汚れ嫌悪し、厭い患うのだ。 そして、無色（形のないもの）を観察し、心は無色に向かい、無色を喜び、無色に近づき、無色を信じ理解する。心に妨げがなく、心に濁りがなく、心は楽を得、楽を生み出すことができる。すべての色、および色によって生じるもろもろの煩悩、熱悩、憂い、苦しみから遠く離れる。それらを理解し、それらから脱し、さらにそれらから解脱する。そして、その人はもはや「色によって生じた」という感覚を受けない。これが色からの出離の要諦である。 アーナヨよ。これが第四の出離の領域である。」

「復次，阿難！多聞聖弟子極重善觀己身，彼因極重善觀己身故，心便不向己身，不樂己身，不近己身，不信解己身；若己身心生，即時融消燋縮，轉還不得舒張，捨離不住己身，穢惡厭患己身。阿難！猶如鷄毛及筋，持著火中，即時融消燋縮，轉還不得舒張。阿難！多聞聖弟子亦復如是極重善觀己身，彼因極重善觀己身故，心便不向己身，不樂己身，不近己身，不信解己身；若己身心生，即時融消燋縮，轉還不得舒張，捨離不住己身，穢惡厭患己身。觀無己身，心向無己身，樂無己身，近無己身，信解無己身，心無礙，心無濁，心得樂，能致樂，遠離一切己身及因己身生諸漏煩熱憂慼。解彼脫彼，復解脫彼，彼不復受此覺，謂覺因己身生，如是己身出要。阿難！是謂第五出要界。

> 「また、阿難よ。よく学んだ聖なる弟子は、この自分の身体を非常に深く観察します。その身体を深く観察するがゆえに、心は身体へと向かわず、身体を楽しみとせず、身体に近づかず、身体を理解し信じることもありません。もし身体から心が生じても、たちまち溶け去り、焼け縮み、後退して広がらず、身体を捨て離れてそこに留まらず、身体を汚れ嫌悪し、厭い患うのです。阿難よ。ちょうど、鳥の羽や筋を火の中に入れると、たちまち溶け去り、焼け縮み、後退して広がらないのと同じです。阿難よ。よく学んだ聖なる弟子もまた全くその通りで、この自分の身体を非常に深く観察します。その身体を深く観察するがゆえに、心は身体へと向かわず、身体を楽しみとせず、身体に近づかず、身体を理解し信じることもありません。もし身体から心が生じても、たちまち溶け去り、焼け縮み、後退して広がらず、身体を捨て離れてそこに留まらず、身体を汚れ嫌悪し、厭い患うのです。そして「身体なきもの」へと心を向け、「身体なきもの」を楽しみ、「身体なきもの」に近づき、「身体なきもの」を理解し信じます。心に妨げはなく、心に濁りはなく、心は安らぎを得て、安らぎをもたらすことができます。そして、一切の身体および身体から生じるあらゆる煩悩、熱苦、憂い悩みから遠く離れます。それらを理解し、それらから解き放たれ、さらにそれらから解脱します。もはやその感覚、すなわち身体から生じる感覚を受けることはありません。これが身体からの出離の道です。阿難よ。これが第五の出離の領域と呼ばれるものです。」

「阿難！此五出要界，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此五出要界者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 阿難よ、この五つの解脱の領域について、あなたは若い比丘たちに説いて教えなさい。もしこの五つの解脱の領域を若い比丘たちに説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、楽を得、心身に煩わしさがなくなり、生涯にわたって清らかな修行を全うすることができるでしょう。

「阿難！我本為汝說七財，信財，戒、慚、愧、聞、施、慧財。阿難！此七財，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此七財者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「アーナンダよ、私はあなたに七つの富について説いた。それは、信という富、戒、慚、愧、聞（多聞）、施、慧という富である。アーナンダよ、この七つの富を、あなたは若い修行者たちに説き、教えなさい。もし彼らにこの七つの富を説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力を得、楽を得、心身に熱苦しみがなく、生涯にわたって清らかな修行を全うするであろう。」

「阿難！我本為汝說七力，信力，精進、慚、愧、念、定、慧力。阿難！此七力，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此七力者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「アーナンダよ。私はかつてお前に七つの力について説いた。すなわち、信の力、精進の力、慚の力、愧の力、念の力、定の力、慧の力である。アーナンダよ。この七つの力を、若い修行僧たちに説き、教え示しなさい。彼らにこの七つの力を教え示せば、彼らは安らぎを得、力を得、安楽を得、心身に煩わしさがなくなり、生涯にわたって清らかな修行を全うするであろう。」

「阿難！我本為汝說七覺支，念覺支，擇法、精進、喜、息、定、捨覺支。阿難！此七覺支，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此七覺支者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 「阿難よ、私はかつてあなたに七つの覚りの支えについて説いた。すなわち、念の覚りの支え、法を選択する覚りの支え、精進の覚りの支え、喜びの覚りの支え、休息の覚りの支え、心を定める覚りの支え、そして捨てる覚りの支えである。阿難よ、この七つの覚りの支えを、あなたは若い修行僧たちに説き、教え導きなさい。もし彼らにこれらを説き教えるならば、彼らは安稳を得、力と喜びを得、心身に熱苦がなくなり、生涯にわたって清らかな修行を全うすることができるだろう。」

「阿難！我本為汝說八支聖道，正見、正志、正語、正業、正命、正方便、正念、正定，是謂為八。阿難！此八支聖道，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此八支聖道者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。」

> 「アーナンダよ、私はかつてお前に八つの正しい道（八正道）について説いた。それは、正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい気づき、正しい心の統一である。これらを八正道という。アーナンダよ、この八正道を、若い修行僧たちに説いて教えなさい。もし彼らにこの八正道を説き教えるならば、彼らは安らぎを得、力と喜びを得て、心も体も苦しみに悩まされることなく、生涯を通じて清らかな修行を全うすることができるだろう。」

於是，尊者阿難叉手向佛，白曰：「世尊！甚奇！甚特！世尊為諸年少比丘說處及教處。」

> そこで、尊者のアーナンダは合掌して仏に向かい、申し上げました。「世尊よ、実に不思議であります。実に特別であります。世尊が若い比丘たちのために、『処』と『教えの処』をお説きになりました。」

世尊告曰：「阿難！如是，如是。甚奇！甚特！我為諸年少比丘說處及教處。阿難！若汝從如來復問頂法及頂法退者，汝便於如來極信歡喜。」

> 釈尊はおっしゃいました。「阿難よ、その通り、その通りである。実に珍しく、実に特別なことだ。私は若い比丘たちのために、教えるべき場所と教え方を説いた。阿難よ、もし君が如来にさらに頂法と頂法からの退失について問うならば、君は如来に対して深い信頼と喜びを抱くことであろう。」

於是，尊者阿難叉手向佛，白曰：「世尊！今正是時。善逝！今正是時。若世尊為諸年少比丘說頂法及頂法退說及教者，我及諸年少比丘從世尊聞已，當善受持。」

> そこで、尊いアーナンダが合掌して仏に向かい、申し上げました。「世尊よ、今まさにその時でございます。善逝よ、今まさにその時でございます。もし世尊が若い修行者たちに頂法（ちょうほう）と頂法の退き方について説き、教え導いてくださいましたなら、私と若い修行者たちは、世尊からその教えを聞いた後、しっかりと受け止めて実践しましょう。」

世尊告曰：「阿難！汝等諦聽，善思念之，我當為汝及諸年少比丘說頂法及頂法退。」尊者阿難等受教而聽。

> 世尊はお告げになりました。「阿難よ、あなたがたはよく聞き、よく心に留めなさい。今からあなたがたと若い比丘たちのために、頂法と頂法の退失について説こう。」 尊者の阿難たちは教えを受け、敬聴した。

世尊告曰：「阿難！多聞聖弟子真實因心，思念稱量，善觀分別無常、苦、空、非我，彼如是思念，如是稱量，如是善觀分別，便生忍、生樂、生欲、欲聞、欲念、欲觀，阿難！是謂頂法。阿難！若得此頂法復失衰退，不修守護，不習精勤，阿難！是謂頂法退。如是內外識、更樂、覺、想、思、愛、界、因緣起，阿難！多聞聖弟子此因緣起及因緣起法，思念稱量，善觀分別無常、苦、空、非我，彼如是思念，如是稱量，如是善觀分別，便生忍、生樂、生欲，欲聞、欲念、欲觀。阿難！是謂頂法。阿難！若得此頂法復失衰退，不修守護，不習精勤，阿難！是謂頂法退。阿難！此頂法及頂法退，汝當為諸年少比丘說以教彼，若為諸年少比丘說教此頂法及頂法退者，彼便得安隱，得力得樂，身心不煩熱，終身行梵行。

> 世尊はおっしゃった。「阿難よ。よく学んだ聖なる弟子は、真実の心をもって因を思念し、はかり、善く観察し、無常・苦・空・非我と分別する。そのように思念し、はかり、善く観察し分別すれば、忍びが生じ、喜びが生じ、欲が生じ、聞きたいという思い、念じたいという思い、観察したいという思いが生じる。阿難よ、これを頂法という。 阿難よ、もしこの頂法を得ても、再び失い退転し、修せず守らず、習わず精進しなければ、阿難よ、これを頂法の退転という。 このように内と外の識、接触、感受、想念、思惟、愛、界、因縁の生起についても同様である。阿難よ、よく学んだ聖なる弟子は、この因縁の生起と因縁の生起の法を思念し、はかり、善く観察し、無常・苦・空・非我と分別する。そのように思念し、はかり、善く観察し分別すれば、忍びが生じ、喜びが生じ、欲が生じ、聞きたいという思い、念じたいという思い、観察したいという思いが生じる。阿難よ、これを頂法という。 阿難よ、もしこの頂法を得ても、再び失い退転し、修せず守らず、習わず精進しなければ、阿難よ、これを頂法の退転という。 阿難よ、この頂法と頂法の退転について、あなたは若い修行者たちに説き、教え示しなさい。もし若い修行者たちにこの頂法と頂法の退転を説き教えれば、彼らは安らぎを得、力を得、喜びを得、身心に熱悩なく、生涯にわたり清らかな行いを実践するであろう。」

「阿難！我為汝等說處及教處，頂法及頂法退，如尊師所為弟子起大慈哀，憐念愍傷，求義及饒益，求安隱快樂者，我今已作。汝等當復自作，至無事處、山林樹下、空安靜處宴坐思惟，勿得放逸，勤加精進，莫令後悔。此是我之教勅，是我訓誨。」

> 「アーナンダよ、私はあなたたちに、修行の拠り所と教えの拠り所、そして頂点の境地とその退き方について説きました。尊い師が弟子たちに大きな慈しみを抱き、哀れみ、思いやり、真実の意味と利益、安らぎと喜びを求めるように、私もまたすでにこれを成し遂げました。さあ、あなたたち自身も、静かな場所、山林の木の下、あるいは空き地の静かな所に行き、坐ってよく考えなさい。怠ることなく、精進に努めなさい。そうすれば後悔することはないでしょう。これが私の教えであり、訓戒なのです。」

佛說如是。尊者阿難及諸年少比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏様はこのようにお説きになりました。尊者アーナンダや若い修行僧たちは、仏の教えを聞いて、喜び、実践に努めました。

陰、內、外、識、更 覺、想、思、愛、界因緣、念、正斷 如意、禪、諦、想無量、無色、種 沙門果、解脫處、根、力、出要 財、力、覺、道、頂

> 陰、内、外、識、触 感受、想、思考、渇愛、界 縁起、念、正断 如意、禅定、真理、想 無量、無色、種 沙門の果、解脱 処、根、力、出離 財、力、覚、道、頂

說處經第十五竟五千一百九十七字

> 説処経第十五終わり<note>五千一百九十七字</note>

## 中阿含經卷第二十一七千三百二十四字長壽王品第二竟四萬四千九百四十七字

> 中阿含経　第二十一巻<note>七千三百二十四字</note>長寿王品　第二　終わり<note