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title: "中阿含經 · 87 穢品經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （八七）中阿含穢品經第一

> （八七）中阿含穢品經第一

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊婆奇瘦，在鼉山怖林鹿野園中。

> ある時、仏陀はバーキーの地を巡り、蛇山の怖林の鹿野園に滞在しておられました。

爾時，尊者舍梨子告諸比丘：「諸賢！世有四種人。云何為四？或有一人內實有穢不自知，內有穢不知如真；或有一人內實有穢自知，內有穢知如真；或有一人內實無穢不自知，內無穢不知如真；或有一人內實無穢自知，內無穢知如真。

> ある時、尊者の舎梨子が比丘たちに告げました。「皆さん、世の中には四種類の人がいます。どのような四種類かというと、次の通りです。 ・心の中に実際に汚れがあるのに、自分で気づかず、その汚れをありのままに理解しない人 ・心の中に実際に汚れがあるのを自分で知り、その汚れをありのままに理解する人 ・心の中に実際に汚れがないのに、自分で気づかず、その清らかさをありのままに理解しない人 ・心の中に実際に汚れがないのを自分で知り、その清らかさをありのままに理解する人 この四種類が、世の中に存在するのです。」

「諸賢！若有一人內實有穢不自知，內有穢不知如真者，此人於諸人中為最下賤。若有一人內實有穢自知，內有穢知如真者，此人於諸人中為最勝也。若有一人內實無穢不自知，內無穢不知如真者，此人於諸人中為最下賤。若有一人內實無穢自知，內無穢知如真者，此人於諸人中為最勝也。」

> 「皆さん、よく聞いてください。もしも、自分の内側に本当は汚れがあるのに、それに気づかず、あるがままに認識できない人がいれば、その人は人々の中で最も低い者です。もしも、自分の内側に汚れがあるのを知り、それをあるがままに認識できる人がいれば、その人は人々の中で最も優れた者です。また、自分の内側に汚れが実際にはないのに、それに気づかず、あるがままに認識できない人がいれば、その人も人々の中で最も低い者です。そして、自分の内側に汚れがないのを知り、それをあるがままに認識できる人がいれば、その人が人々の中で最も優れた者なのです。」

於是，有一比丘即從坐起，偏袒著衣，叉手向尊者舍梨子，白曰：「尊者舍梨子！何因、何緣說前二人俱有穢，穢污心，一者下賤，一者最勝？復何因緣說後二人俱無穢，不穢污心，一者下賤，一者最勝？」

> そこで、一人の比丘が立ち上がり、上衣を片肩にかけ、合掌して尊者舎梨子に向かい、次のように述べた。 「尊者舎梨子よ。どのような理由・因縁によって、先の二人は共に穢れがあり、心が汚れていると言い、その一人を下賤、もう一人を最勝と説かれたのですか。また、どのような因縁によって、後の二人は共に穢れがなく、心が汚れていないと言い、その一人を下賤、もう一人を最勝と説かれたのですか。」

於是，尊者舍梨子答彼比丘曰：「賢者！若有一人內實有穢不自知，內有穢不知如真者，當知彼人不欲斷穢，不求方便，不精勤學，彼便有穢，穢污心命終；彼因有穢，穢污心命終故，便不賢死，生不善處。所以者何？彼因有穢，穢污心命終故。賢者！猶如有人或從市肆，或從銅作家，買銅槃來，塵垢所污，彼持來已，不數洗塵，不數揩拭，亦不日炙，又著饒塵處，如是銅槃增受塵垢。賢者！如是若有一人內實有穢不自知，內有穢不知如真者，當知彼人不欲斷穢，不求方便，不精勤學，彼便有穢，穢污心命終；彼因有穢，穢污心命終故，便不賢死，生不善處。所以者何？彼因有穢，穢污心命終故。

> そこで、尊者舎梨子はその比丘に答えました。「尊者よ、もしある人が、内に実際に汚れを持っていながら、自分では汚れがあると気づかず、その汚れをあるがままに悟らないなら、その人は汚れを断とうとせず、そのための手段を求めず、熱心に修行しないことが分かります。その人は汚れを抱えたまま、汚れた心で命を終えます。そのように汚れた心で命を終えるゆえに、良い死に方をせず、悪い場所に生まれ変わります。なぜなら、その人が汚れを抱えたまま、汚れた心で命を終えるからです。尊者よ、たとえば、ある人が市場や銅細工師から銅の鉢を買ってきたとします。それが塵や汚れでよごれていたとしても、その人は持ち帰った後、何度も洗わず、何度も拭かず、日に干さず、さらにほこりの多い場所に置いておくなら、その銅の鉢はますます塵や汚れがつくでしょう。尊者よ、それと同じように、もしある人が内に実際に汚れを持っていながら、自分では汚れがあると気づかず、その汚れをあるがままに悟らないなら、その人は汚れを断とうとせず、そのための手段を求めず、熱心に修行しないことが分かります。その人は汚れを抱えたまま、汚れた心で命を終えます。そのように汚れた心で命を終えるゆえに、良い死に方をせず、悪い場所に生れ変わります。なぜなら、その人が汚れを抱えたまま、汚れた心で命を終えるからです。」

「賢者！若有一人我內有穢，我內實有此穢知如真者，當知彼人欲斷此穢，求方便，精勤學，彼便無穢，不穢污心命終；彼因無穢，不穢污心命終故，便賢死，生善處。所以者何？彼因無穢，不穢污心命終故。賢者！猶如有人或從市肆，或從銅作家，買銅槃來，塵垢所污，彼持來已，數數洗塵，數數揩拭，數數日炙，不著饒塵處，如是銅槃便極淨潔。賢者！如是若有一人我內有穢，我內實有此穢知如真者，當知彼人欲斷此穢，求方便，精勤學，彼便無穢，不穢污心命終；彼因無穢，不穢污心命終故，便賢死，生善處。所以者何？彼因無穢，不穢污心命終故。

> 賢者よ、もしある人が「私の内に汚れがある」と自覚し、その汚れをありのままに知るならば、その人はその汚れを断ち切ろうと努め、手段を求め、精進して学ぶでしょう。そうすれば、彼の心は汚れなく清らかになり、穢れなき心で命を終えます。そのため、賢明な死を遂げ、善き場所に生まれ変わることができるのです。なぜなら、穢れなき心で命を終えたからです。 賢者よ、たとえば、ある人が市場や銅器職人から買ってきた銅の鉢が、塵や汚れで覆われていたとします。その人はその鉢を持ち帰り、何度も洗い、何度も拭き、何度も日に干し、塵の多い場所に置かないようにします。そうすれば、その銅の鉢は極めて清らかになるでしょう。 賢者よ、それと同じように、もしある人が「私の内に汚れがある」と自覚し、その汚れをありのままに知るならば、その人はその汚れを断ち切ろうと努め、手段を求め、精進して学ぶでしょう。そうすれば、彼の心は汚れなく清らかになり、穢れなき心で命を終えます。そのため、賢明な死を遂げ、善き場所に生まれ変わることができるのです。なぜなら、穢れなき心で命を終えたからです。

「賢者！若有一人我內無穢，我內實無此穢不知如真者，當知彼人不護由眼耳所知法，彼因不護由眼耳所知法故，則為欲心纏，彼便有欲有穢，穢污心命終；彼因有欲有穢，穢污心命終故，便不賢死，生不善處。所以者何？彼因有欲有穢，穢污心命終故。賢者！猶如有人或從市肆，或從銅作家，買銅槃來，無垢淨潔，彼持來已，不數洗塵，不數揩拭，不數日炙，著饒塵處，如是銅槃必受塵垢。賢者！如是若有一人我內無穢，我內實無此穢不知如真者，當知彼人不護由眼耳所知法，彼因不護由眼耳所知法故，則為欲心纏，彼便有欲有穢，穢污心命終；彼因有欲有穢，穢污心命終故，便不賢死，生不善處。所以者何？彼因有欲有穢，穢污心命終故。

> 「賢者よ。もしある人が『私の内には汚れがない』と言いながら、実際にはその汚れがあることをありのままに知らないならば、その人は眼や耳から知られる諸々の事柄に対して心を守らないことが分かります。そのように守らないがゆえに、欲望の思いに絡め取られ、欲望と汚れを抱えたまま、心が汚れた状態で命を終えます。欲望と汚れを持ち、心が汚れたまま命を終えるがゆえに、尊い死に方をせず、悪い場所に生まれ変わります。なぜなら、欲望と汚れを持ち、心が汚れたまま命を終えたからです。 賢者よ。例えば、ある人が市場や銅細工師から、まったくの新品で清らかな銅の器を買ってきたとしましょう。しかし、その器をたびたび洗うことも、たびたび拭くことも、たびたび日光に干すこともせず、ただ埃の多い場所に置いておくならば、その銅の器は必ず埃や汚れで覆われてしまいます。 賢者よ。それと同じように、もしある人が『私の内には汚れがない』と言いながら、実際にはその汚れがあることをありのままに知らないならば、その人は眼や耳から知られる諸々の事柄に対して心を守らないことが分かります。そのように守らないがゆえに、欲望の思いに絡め取られ、欲望と汚れを抱えたまま、心が汚れた状態で命を終えます。欲望と汚れを持ち、心が汚れたまま命を終えるがゆえに、尊い死に方をせず、悪い場所に生まれ変わります。なぜなら、欲望と汚れを持ち、心が汚れたまま命を終えたからです。」

「賢者！若有一人我內無穢，我內實無此穢知如真者，當知彼人護由眼耳所知法，彼因護由眼耳所知法故，則不為欲心纏，彼便無欲無穢，不穢污心命終；彼因無欲無穢，不穢污心命終故，便賢死，生善處。所以者何？彼因無欲無穢，不穢污心命終故。賢者！猶如有人或從市肆，或從銅作家，買銅槃來，無垢淨潔，彼持來已，數數洗磨，數數揩拭，數數日炙，不著饒塵處，如是銅槃便極淨潔。賢者！如是若有一人我內無穢，我內實無此穢知如真者，當知彼人護由眼耳所知法，彼因護由眼耳所知法故，則不為欲心纏，彼便無欲無穢，不穢污心命終；彼因無欲無穢，不穢污心命終故，便賢死，生善處。所以者何？彼因無欲無穢，不穢污心命終故。

> 賢者よ、もしある人が「私の内に汚れはない」と知り、実際にその通りであると真実のままに知るならば、その人は眼や耳から知られるものに対してよく守る心を持つ。そして、そのように守るからこそ、欲望の心に絡め取られることがない。その人は欲望なく、汚れなく、心が汚されることなく命を終える。そのため、見事な死を遂げ、善い場所に生まれる。なぜなら、欲望なく、汚れなく、心が汚されることなく命を終えたからである。 賢者よ、たとえば、ある人が市場や銅細工師から銅の器を買って来たとする。それは汚れがなく清らかである。その人はそれを持ち帰り、何度も洗い磨き、何度も拭き、何度も日に当て、埃の多い場所に置かない。そうすれば、その銅の器は極めて清らかになる。賢者よ、それと同じように、ある人が「私の内に汚れはない」と知り、実際にその通りであると真実のままに知るならば、その人は眼や耳から知られるものに対してよく守る心を持つ。そして、そのように守るからこそ、欲望の心に絡め取られることがない。その人は欲望なく、汚れなく、心が汚されることなく命を終える。そのため、見事な死を遂げ、善い場所に生まれる。なぜなら、欲望なく、汚れなく、心が汚されることなく命を終えたからである。

「賢者！因是緣是，說前二人俱有穢，穢污心，一者下賤，一者最勝。因是緣是，說後二人俱無穢穢污心，一者下賤，一者最勝。」

> 賢者よ、このような理由と縁によって、前に挙げた二人については、どちらも汚れ（けがれ）を持ち、汚れた心を持っていると説かれます。その一人は低く劣った者であり、もう一人は最も優れた者です。また、このような理由と縁によって、後に挙げた二人については、どちらも汚れた心を持たず、一人は低く劣った者であり、もう一人は最も優れた者であると説かれます。

於是，復有比丘即從坐起，偏袒著衣，叉手向尊者舍梨子，白曰：「尊者舍梨子！所說穢者，何等為穢？」

> そこで、また一人の比丘が立ち上がり、衣を片方に掛け、合掌して尊者舎利子に向かい、こう問うた。「尊者舎利子よ。あなたがおっしゃった『汚れ』とは、何が汚れなのでしょうか。」

尊者舍梨子答比丘曰：「賢者！無量惡不善法從欲生，謂之穢。所以者何？或有一人心生如是欲：『我所犯戒，莫令他人知我犯戒。』賢者！或有他人知彼犯戒，彼因他人知犯戒故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。賢者！或有一人心生如是欲：『我所犯戒，當令他人於屏處訶，莫令在眾訶我犯戒。』賢者！或有他人於眾中訶，不在屏處，彼因他人在眾中訶，不在屏處故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。賢者！或有一人心生如是欲：『我所犯戒，令勝人訶，莫令不如人訶我犯戒。』賢者！或有不如人訶彼犯戒，非是勝人，彼因不如人訶，非勝人故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。

> 尊者のシャーリプトラ（舎梨子）は比丘に答えて言った。「賢者よ、無数の悪しき善ならざる法は、欲望から生じる。これを『穢れ』という。なぜか。ある人は心にこういう欲望を抱く——『私の犯した戒めを、他人に知られてはならない』と。賢者よ、しかし、他人がその犯戒を知ることもある。その場合、彼は他人に知られたことで心に悪を生じる。もし彼が心に悪を生じ、また欲望を生じるなら、いずれも善ではない。 賢者よ、ある人は心にこういう欲望を抱く——『私の犯した戒めは、人目のないところで咎められたい。大衆の前で咎められたくない』と。賢者よ、しかし、他人が大衆の前で咎め、人目のないところでは咎めないこともある。その場合、彼は大衆の前で咎められたことで心に悪を生じる。もし彼が心に悪を生じ、また欲望を生じるなら、いずれも善ではない。 賢者よ、ある人は心にこういう欲望を抱く——『私の犯した戒めは、優れた者に咎められたい。私より劣った者には咎められたくない』と。賢者よ、しかし、優れた者ではなく、劣った者が彼の犯戒を咎めることもある。その場合、彼は優れた者でなく劣った者に咎められたことで心に悪を生じる。もし彼が心に悪を生じ、また欲望を生じるなら、いずれも善ではない。」

「賢者！或有一人心生如是欲：『令我在佛前坐，問世尊法，為諸比丘說，莫令餘比丘在佛前坐，問世尊法，為諸比丘說。』賢者！或有餘比丘在佛前坐，問世尊法，為諸比丘說，彼因餘比丘在佛前坐，問世尊法，為諸比丘說故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。賢者！或有一人心生如是欲：『諸比丘入內時，令我最在其前，諸比丘侍從我將入內，莫令餘比丘諸比丘入內時，最在其前，諸比丘侍從彼將入內。』賢者！或有餘比丘諸比丘入內時，最在其前，諸比丘侍從彼將入內，彼因餘比丘諸比丘入內時，最在其前，諸比丘侍從彼將入內故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。

> ある賢者よ。ある人がこう願うことがあります。「私が仏のお座前に控え、世尊に法を問い、比丘たちに説法をさせていただきたい。他の比丘が仏のお座前に控え、世尊に法を問い、比丘たちに説法をすることを許さないでほしい」と。しかし賢者よ。もし別の比丘が仏のお座前に控え、世尊に法を問い、比丘たちに説法をすることがあれば、その人はそのことを理由に心に悪意を生じます。このように悪意を生じ、また先の願望を抱くこと、これらはどちらも善くないことです。 また賢者よ。ある人がこう願うことがあります。「比丘たちが寺内に入る時、私が常に先頭に立ち、比丘たちが私に従って入っていくように。他の比丘が比丘たちの先頭に立ち、比丘たちが彼に従って入ることを許さないでほしい」と。しかし賢者よ。もし別の比丘が比丘たちの先頭に立ち、比丘たちが彼に従って入ることがあれば、その人はそのことを理由に心に悪意を生じます。このように悪意を生じ、また先の願望を抱くこと、これらはどちらも善くないことです。

「賢者！或有一人心生如是欲：『諸比丘已入內時，令我最在上坐，得第一座，第一澡水，得第一食，莫令餘比丘諸比丘已入內時，最在上坐，得第一座，第一澡水，得第一食。』賢者！或有餘比丘諸比丘已入內時，最在上坐，得第一座，第一澡水，得第一食；彼因餘比丘諸比丘已入內時，最在上坐，得第一座，第一澡水，得第一食故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。

> 「賢者よ、ある人がこう願うことがあります。『比丘たちが中に入った時、私が最も上座に座り、第一の席、第一の洗面水、第一の食事を得るように。他の比丘が、比丘たちが中に入った時、最も上座に座り、第一の席、第一の洗面水、第一の食事を得ることがありませんように』と。 賢者よ、ところが他の比丘が、比丘たちが中に入った時、最も上座に座り、第一の席、第一の洗面水、第一の食事を得ることがあります。すると彼は、その他の比丘が比丘たちの入室時に最も上座に座り、第一の席、第一の洗面水、第一の食事を得たことから、心に怒りを生じます。その心に怒りが生じ、また心に欲望が生じるならば、両方とも善くないものです。」

「賢者！或有一人心生如是欲：『諸比丘食竟，收攝食器，行澡水已，令我為諸居士說法，勸發渴仰，成就歡喜；莫令餘比丘諸比丘食竟，收攝食器，行澡水已，為諸居士說法，勸發渴仰，成就歡喜。』賢者！或有餘比丘諸比丘食竟，收攝食器，行澡水已，為諸居士說法，勸發渴仰，成就歡喜；彼因餘比丘諸比丘食竟，收攝食器，行澡水已，為諸居士說法，勸發渴仰，成就歡喜故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。

> 賢者よ、ある比丘がこのような願いを抱くことがあります。「比丘たちが食事を終え、食器を片付け、手を洗った後、私が在家の方々に法を説き、彼らに深い敬信の念を起こさせ、歓喜を得させたい。他の比丘がその機会を得てはいけない」と。 賢者よ、ところが実際には他の比丘が、比丘たちが食事を終え、食器を片付け、手を洗った後に、在家の方々に法を説き、彼らに深い敬信の念を起こさせ、歓喜を得させることがあります。そのため、その比丘の心には怒りが生じます。怒りの心が生じ、また以前のような願いの心も生じている。これらは両方とも善くない心です。

「賢者！或有一人心生如是欲：『諸居士往詣眾園時，令我與共會共集，共坐共論，莫令餘比丘諸居士往詣眾園時，與共會共集，共坐共論。』賢者！或有餘比丘諸居士往詣眾園時，與共會共集，共坐共論，彼因餘比丘諸居士往詣眾園時，與共會共集，共坐共論故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。

> 賢者の方々、ある修行者はこのような願いを抱くことがあります。 「在家の方々が集会所に来られた時には、どうか私が共に集い、共に座り、共に語り合えますように。他の修行者たちが在家の方々と共に集い、座り、語り合うようなことがありませんように。」 しかし、実際には他の修行者が在家の方々と集会所で会い、共に集い、座り、語り合うことがあります。すると、その修行者は心に怒りを生じさせます。心に怒りを生じさせ、またそのような願望を抱くこと――この両方は、善とは言えません。

「賢者！或有一人心生如是欲：『令我為王者所識，及王大臣、梵志、居士、國中人民所知重，莫令餘比丘為王者所識，及王大臣、梵志、居士、國中人民所知重。』賢者！或有餘比丘為王者所識，及王大臣、梵志、居士、國中人民所知重，彼因餘比丘為王者所識，及王大臣、梵志、居士、國中人民所知重故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。

> 賢者よ、ある一人の人がこのような願いを抱くことがあります。「私が王様や大臣、バラモン、在家の人々、国中の人々に認められ、尊重されますように。他の修行者たちが王様や大臣、バラモン、在家の人々、国中の人々に認められ、尊重されることがありませんように。」と。 賢者よ、もし他の修行者が王様や大臣、バラモン、在家の人々、国中の人々に認められ、尊重されるなら、その人はそのことで心に悪意を生じます。もしその心に悪意が生じ、また願いを抱くならば、それらはどちらも善いことではありません。

「賢者！或有一人心生如是欲：『令我為四眾比丘、比丘尼、優婆塞、優婆私所敬重，莫令餘比丘為四眾比丘、比丘尼、優婆塞、優婆私所敬重。』賢者！或有餘比丘為四眾比丘、比丘尼、優婆塞、優婆私所敬重，彼因餘比丘為四眾比丘、比丘尼、優婆塞、優婆私所敬重故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。

> 賢者よ、ある人がこう願うことがあります。「私が比丘・比丘尼・在家の男性信徒・在家の女性信徒という四つの集まりから尊敬され、他の比丘が四つの集まりから尊敬されることがありませんように」と。 賢者よ、しかし他の比丘が四つの集まりから尊敬されることがあります。そのことに腹を立てる心が生じるのです。腹を立てる心と、願い求める心の両方は、善くないものです。

「賢者！或有一人心生如是欲：『令我得衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具，莫令餘比丘得衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具。』賢者！或有餘比丘得衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具，彼因餘比丘得衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具故，心便生惡，若彼心生惡及心生欲者，俱是不善。

> 賢者よ、ある人はこう願う心を起こす——「どうか私が衣、食、寝具、薬、生活に必要なものを得て、他の修行僧がそれらを得ることがないように」と。賢者よ、他の修行僧が衣、食、寝具、薬、生活に必要なものを得たとする。その時、その人は他の修行僧がそれらを得たことで心に悪意を生じる。もしその人が悪意を生じ、また欲の心を生じたならば、そのどちらも善くない。

「賢者！如是彼人若有諸智梵行者，不知彼生如是無量惡不善心欲者，如是彼非沙門沙門想，非智沙門智沙門想，非正智正智想，非正念正念想，非清淨清淨想。賢者！如是彼人若有諸智梵行者，知彼生如是無量惡不善心欲者，如是彼非沙門非沙門想，非智沙門非智沙門想，非正智非正智想，非正念非正念想，非清淨非清淨想。

> 「賢者よ、その人の心に、もし智慧ある修行者たちが見抜くような、無数の悪しき・善からぬ欲望が生じているなら、その人は、『自分は修行者である』と思っていながら、実は修行者ではないのです。『自分は智慧ある修行者である』と思っていながら、智慧ある修行者ではありません。『自分は正しい智慧を持っている』と思っていながら、正しい智慧を持っていません。『自分は正しい気づきを持っている』と思っていながら、正しい気づきを持っていません。『自分は清らかである』と思っていながら、清らかではないのです。 賢者よ、その人の心に、もし智慧ある修行者たちが見抜くような、無数の悪しき・善からぬ欲望が生じていると知ったなら、その人は、『自分は修行者ではない』と知り、『自分は智慧ある修行者ではない』と知り、『自分は正しい智慧を持っていない』と知り、『自分は正しい気づきを持っていない』と知り、『自分は清らかではない』と知るのです。」

「賢者！猶如有人或從市肆，或從銅作家，買銅合槃來，盛滿中糞，蓋覆其上便持而去，經過店肆，近眾人行，彼眾見已，皆欲得食，意甚愛樂，而不憎惡，則生淨想；彼持去已，住在一處便開示之，眾人見已，皆不欲食，無愛樂意，甚憎惡之，生不淨想。若欲食者則不復用，況其本自不欲食耶？

> 「賢者よ、例えばある人が市場や銅細工師のところから銅の鉢を買って来て、その中に糞を満たし、蓋をして持ち去るとする。店先を通り、人々の近くを通ると、それを見た人々は皆それを食べたがり、とても気に入って、嫌悪せず、清らかなものだと思う。ところがその人がその鉢をある場所に置いて蓋を開けて見せると、人々は皆それを食べたくなくなり、愛着もなく、ひどく嫌悪し、不浄なものだと思う。もし食べたいと思ってももう口にしないだろう。ましてや元々食べたくない者がなおさらである。」

「賢者！如是彼人若有諸智梵行者，不知彼生如是無量惡不善心欲者，如是彼非沙門沙門想，非智沙門智沙門想，非正智正智想，非正念正念想，非清淨清淨想。賢者！如是彼人若有諸智梵行者，知彼生如是無量惡不善心欲者，如是彼非沙門非沙門想，非智沙門非智沙門想，非正智非正智想，非正念非正念想，非清淨非清淨想。賢者！當知如是人莫得親近，莫恭敬禮事。若比丘不應親近便親近，不應恭敬禮事便恭敬禮事者，如是彼便長夜得無利無義，則不饒益，不安隱快樂，生苦憂慼。

> 尊き方よ。そのように、もしその人に知恵ある修行者たちがいながら、その人の中に無量の悪しき不善な心の欲望が生じているのを知らないなら、その人は「沙門である」と思いながらも沙門ではなく、「智ある沙門である」と思いながらも智ある沙門ではなく、「正智である」と思いながらも正智ではなく、「正念である」と思いながらも正念ではなく、「清浄である」と思いながらも清浄ではありません。 尊き方よ。そのように、もしその人に知恵ある修行者たちがいて、その人の中に無量の悪しき不善な心の欲望が生じているのを知るなら、その人は「沙門ではない」と思いながらも沙門ではなく、「智ある沙門ではない」と思いながらも智ある沙門ではなく、「正智ではない」と思いながらも正智ではなく、「正念ではない」と思いながらも正念ではなく、「清浄ではない」と思いながらも清浄ではありません。 尊き方よ。そのような人は、近づいてはならず、敬い礼拝してはならないと知るべきです。もし比丘が、近づくべきでないのに近づき、敬い礼拝すべきでないのに敬い礼拝するなら、そのようにして彼は長きにわたり、利益なく、意義なく、益をもたらさず、安らかな楽を得ることなく、苦しみと憂いを生じることになるのです。

「賢者！或有一人心不生如是欲：『我所犯戒，莫令他人知我犯戒。』賢者！或有他人知彼犯戒，彼因他人知犯戒故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。賢者！或有一人心不生如是欲：『我所犯戒，當令他人於屏處訶，莫令在眾訶我犯戒。』賢者！或有他人於眾中訶，不在屏處，彼因在眾中訶，不在屏處故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。賢者！或有一人心不生如是欲：『我所犯戒，令勝人訶，莫令不如人訶我犯戒。』賢者！或有不如人訶彼犯戒，非是勝人，彼因不如人訶，非勝人故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。

> 尊者、賢者の方々。ある人が、こう願わないことがあります。「私が戒律を破ったことを、他人に知られないように」と。尊者よ、もし他の人がその人の戒律違反を知っても、その人はそのことで心に怒りを生じません。心に怒りがなく、そう願う心も生じないなら、この両方は善いことです。 尊者、賢者の方々。ある人が、こう願わないことがあります。「私が戒律を破ったなら、それを人前ではなく、陰で叱ってほしい」と。尊者よ、もし他の人が人前で叱り、陰で叱らなくても、その人はそのことで心に怒りを生じません。心に怒りがなく、そう願う心も生じないなら、この両方は善いことです。 尊者、賢者の方々。ある人が、こう願わないことがあります。「私が戒律を破ったなら、自分より劣った人ではなく、優れた人に叱ってほしい」と。尊者よ、もし自分より劣った人がその戒律違反を叱り、優れた人でなくても、その人はそのことで心に怒りを生じません。心に怒りがなく、そう願う心も生じないなら、この両方は善いことです。

「賢者！或有一人心不生如是欲：『令我在佛前坐，問世尊法，為諸比丘說，莫令餘比丘在佛前坐，問世尊法，為諸比丘說。』賢者！或有餘比丘在佛前坐，問世尊法，為諸比丘說，彼因餘比丘在佛前坐，問世尊法，為諸比丘說故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。

> 「賢者よ。ある修行者は、心にこうした願いを起こしません——『私が仏の前で座り、世尊に法を問い、比丘たちのために説法をしたい。他の修行者が仏の前で座って、世尊に法を問い、比丘たちのために説法することのないように』と。 賢者よ。また、他の修行者が仏の前で座り、世尊に法を問い、比丘たちのために説法することがあります。その時、先の修行者は、他の修行者が仏の前で座り、世尊に法を問い、比丘たちのために説法していることに対して、心に怒りを起こしません。もし心に怒りがなく、心に願いも起こさないのであれば、この二つはともに善いのです。」

「賢者！或有一人心不生如是欲：『諸比丘入內時，令我最在其前，諸比丘侍從我將入內，莫令餘比丘諸比丘入內時，最在其前，諸比丘侍從彼將入內。』賢者！或有餘比丘諸比丘入內時，最在其前，諸比丘侍從彼將入內，彼因餘比丘諸比丘入內時，最在其前，諸比丘侍從彼將入內故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。

> 「賢者よ。ある人は、『比丘たちが村に入るとき、私を先頭に立て、比丘たちは私に従って村に入ろう。他の比丘が先頭に立って、比丘たちがその者に従って村に入ることのないように』という願いを心に抱かないことがあります。 賢者よ。また、他の比丘が、比丘たちが村に入るときに先頭に立ち、比丘たちがその者に従って村に入ることがあります。その者は、他の比丘が先頭に立ち、比丘たちが従って村に入るという理由で、心に悪意を生みません。もしその心に悪意がなく、願いを心に抱かないのであれば、この二つはともに善いことです。」

「賢者！或有一人心不生如是欲：『諸比丘已入內時，令我最在上坐，得第一座，第一澡水，得第一食，莫令餘比丘諸比丘已入內時，最在上坐，得第一座，第一澡水，得第一食。』賢者！或有餘比丘諸比丘已入內時，最在上坐，得第一座，第一澡水，得第一食，彼因餘比丘諸比丘已入內時，最在上坐，得第一座，第一澡水，得第一食故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。

> 「賢者よ。ある人は、心の中に『比丘たちが内に入った時、私だけが最上座に座り、第一の座、第一の洗浄水、第一の食物を得よう。他の比丘には与えまい』という願いを起こさないことがあります。 賢者よ。しかし別の比丘が、比丘たちが内に入った時、最上座に座り、第一の座、第一の洗浄水、第一の食物を得たとします。その時、その比丘がそれによって心に悪を生じず、また願いを起こさなければ、この二つは共に善いことなのです。」

「賢者！或有一人心不生如是欲：『諸比丘食竟，收攝食器，行澡水已，我為諸居士說法，勸發渴仰，成就歡喜，莫令餘比丘諸比丘食竟，收攝食器，行澡水已，為諸居士說法，勸發渴仰，成就歡喜。』賢者！或有餘比丘諸比丘食竟，收攝食器，行澡水已，為諸居士說法，勸發渴仰，成就歡喜，彼因餘比丘諸比丘食竟，收攝食器，行澡水已，為諸居士說法，勸發渴仰，成就歡喜故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。

> 賢者よ。ある人はこういう思いを心に抱かない。「比丘たちが食事を終え、食器を片付け、手洗いの水を用意した後、私が在家の方々に説法し、彼らに深い帰依の気持ちを起こさせ、喜びを満たそう。他の比丘たちが食事を終え、食器を片付け、手洗いの水を用意した後、在家の方々に説法し、彼らに深い帰依の気持ちを起こさせ、喜びを満たすことがないように」と。 賢者よ。別の比丘が、比丘たちが食事を終え、食器を片付け、手洗いの水を用意した後、在家の方々に説法し、彼らに深い帰依の気持ちを起こさせ、喜びを満たすことがある。その人は、他の比丘がそうするのを見ても、心に悪意を起こさない。もし心に悪意がなく、そうありたいという欲も生じなければ、この両方は共に良いことである。

「賢者！或有一人心不生如是欲：『諸居士往詣眾園時，令我與共會共集，共坐共論，莫令餘比丘諸居士往詣眾園時，與共會共集，共坐共論。』賢者！或有餘比丘諸居士往詣眾園時，與共會共集，共坐共論，彼因餘比丘諸居士往詣眾園時，與共會共集，共坐共論故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。

> 「賢者よ、ある一人の心に、『在家の方々が寺院に来られる時、私だけが彼らと共に会い、集まり、座り、語り合い、他の比丘がその機会を得ることのないように』という願いが生じない人がいます。 賢者よ、別の比丘が在家の方々と共に会い、集まり、座り、語り合うことがあっても、その人は心に悪意を起こしません。心に悪意がなく、また先のような願いも生じなければ、この二つはともに善いことなのです。」

「賢者！或有一人心不生如是欲：『令我為王者所識，及王大臣、梵志、居士、國中人民所知重，莫令餘比丘為王者所識，及王大臣、梵志、居士、國中人民所知重。』賢者！或有餘比丘為王者所識，及王大臣、梵志、居士、國中人民所知重，彼因餘比丘為王者所識，及王大臣、梵志、居士、國中人民所知重故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。

> 賢者よ、ある一人の比丘が、こうした思いを抱かないことがある。 「私が王様や大臣、バラモンや在家の信者、また国の人々に知られ、尊重されるようにあれ。 他の比丘が王様や大臣、バラモンや在家の信者、また国の人々に知られ、尊重されることがあってはならない」と。 賢者よ、また別の比丘が、王様や大臣、バラモンや在家の信者、また国の人々に知られ、尊重されることがある。 その比丘は、他の比丘が王様や大臣、バラモンや在家の信者、また国の人々に知られ、尊重されていることを理由に、心に悪意を起こさない。 もしその心に悪意がなく、そうした思い（欲望）を起こさないならば、この両者はともに善いのである。

「賢者！或有一人心不生如是欲：『令我為四眾比丘、比丘尼、優婆塞、優婆私所敬重，莫令餘比丘為四眾比丘、比丘尼、優婆塞、優婆私所敬重。』賢者！或有餘比丘為四眾比丘、比丘尼、優婆塞、優婆私所敬重，彼因餘比丘為四眾比丘、比丘尼、優婆塞、優婆私所敬重故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。

> 賢者よ。ある人は心に「私が、比丘・比丘尼・在家の男性・在家の女性という四つの集まりから尊敬される者となろう。他の比丘が四つの集まりから尊敬される者となってはならない」という望みを起こさないことがあります。 賢者よ。また、別の比丘が四つの集まりから尊敬されているとします。その時、その比丘は、そのことによって心に悪い思いを起こしません。もし心に悪い思いがなく、さらに「（他の人が尊敬されることを）望まない」という心も起こさなければ、この二つはどちらも善いことなのです。

「賢者！或有一人心不生如是欲：『令我得衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具，莫令餘比丘得衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具。』賢者！或餘比丘得衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具，彼因餘比丘得衣被、飲食、床褥、湯藥、諸生活具故，心不生惡；若彼心無惡，心不生欲者，是二俱善。

> 「賢者よ。ある者は、このような欲を心に起こさない——『私に衣、食べ物、寝具、薬、その他生活に必要な品々が与えられ、他の修行者には与えられないように』と。賢者よ。他の修行者に衣、食べ物、寝具、薬、その他生活に必要な品々が与えられても、そのことで心に悪意を生じない。もし心に悪意がなく、欲も生じないならば、この二つは共に善い。」

「賢者！如是彼人若有諸智梵行者，不知彼生如是無量善心欲者，如是彼沙門非沙門想，智沙門非智沙門想，正智非正智想，正念非正念想，清淨非清淨想。賢者！如是彼人若有諸智梵行者，知彼生如是無量善心欲者，如是彼沙門沙門想，智沙門智沙門想，正智正智想，正念正念想，清淨清淨想。

> 「賢者よ、そのように、もしその人に智慧ある修行者たちがいて、彼にこのような無量の善心への欲求が生じているのを知らないならば、その人は『修行者である』という想いを持たず、『智慧ある修行者である』という想いを持たず、『正しい智慧がある』という想いを持たず、『正しい念がある』という想いを持たず、『清浄である』という想いを持ちません。 賢者よ、そのように、もしその人に智慧ある修行者たちがいて、彼にこのような無量の善心への欲求が生じているのを知るならば、その人は『修行者である』という想いを持ち、『智慧ある修行者である』という想いを持ち、『正しい智慧がある』という想いを持ち、『正しい念がある』という想いを持ち、『清浄である』という想いを持つのです。」

「賢者！猶如有人或從市肆，或從銅作家，買銅合槃來，盛滿種種淨美飲食，蓋覆其上便持而去，經過店肆，近眾人行，彼眾見已，皆不欲食，無愛樂意，甚憎惡之，生不淨想，便作是說：『即彼糞去，即彼糞去。』彼持去已，住在一處便開示之，眾人見已，則皆欲食，意甚愛樂而不憎惡，則生淨想。彼若本不用食者，見已欲食，況復其本欲得食耶？

> 賢者よ、例えばある人が市場や銅細工師から銅の鉢を買って来て、その中にさまざまな清らかで美しい飲食物を盛り、蓋をして持ち運ぶとする。店の前を通り、人々のそばを通るとき、その人々はそれを見て、皆が食べたくないと思い、愛着も喜びも持たず、むしろ嫌悪し、汚れたものだと考えて、こう言うだろう。「その糞をよこせ、その糞をよこせ」と。その人がそこから立ち去り、ある場所に留まって蓋を開けて見せると、人々はそれを見て、皆が食べたいと思い、心から愛着し喜び、嫌悪することなく、清らかなものだと考える。たとえ最初は食べる気がなかった者でも、それを見れば食べたくなる。ましてや、もともと食べたいと思っていた者はなおさらである。

「賢者！如是彼人若有諸智梵行者，不知彼生如是無量善心欲者，如是彼沙門非沙門想，智沙門非智沙門想，正智非正智想，正念非正念想，清淨非清淨想。賢者！如是彼人若有諸智梵行者，知彼生如是無量善心欲者，如是彼沙門沙門想，智沙門智沙門想，正智正智想，正念正念想，清淨清淨想。賢者！當知如是人應親近之，恭敬禮事；若比丘應親近者便親近，應恭敬禮事者便恭敬禮事。如是彼便長夜得利得義，則得饒益安隱快樂，亦得無苦，無憂愁慼。」

> 「尊者よ、このようにして、もしその人に様々な智慧ある修行者たちがいても、その人が生み出す無量の善心の欲求を知らなければ、その人は修行者にあらずと見なし、智慧ある修行者にあらずと見なし、正しい智慧にあらずと見なし、正しい念いにもあらずと見なし、清らかでもないと見なします。尊者よ、このようにして、もしその人に様々な智慧ある修行者たちがいて、その人が生み出す無量の善心の欲求を知っているならば、その人は修行者であると見なし、智慧ある修行者であると見なし、正しい智慧であると見なし、正しい念いであると見なし、清らかであると見なします。尊者よ、このような人をこそ親しくし、敬い、仕えるべきだと知りなさい。比丘が親しくすべき人には親しくし、敬い仕えるべき人には敬い仕えなさい。そうすれば、その人は長い夜の間、利益と義を得て、安らぎと幸せを得るでしょう。また、苦しみもなく、憂いや悲しみもないでしょう。」

爾時，尊者大目揵連在彼眾中。於是，尊者大目揵連白曰：「尊者舍梨子！我今欲為此事說喻，聽我說耶？」

> その時、尊者マハーモッガラーナはその集会の中にいました。そこで、尊者マハーモッガラーナが尊者サーリプッタに申し上げました。「尊者サーリプッタよ、私は今、このことについてたとえ話をしたいと思います。お聞きいただけますでしょうか？」

尊者舍梨子告曰：「賢者大目揵連！欲說喻者便可說之。」

> 尊者の舎梨子（シャーリプトラ）が告げた。「賢者・大目揵連（マハーモッガラーナ）よ。もし譬えを用いて説きたいと思うなら、そのまま説くがよい。」

尊者大目揵連則便白曰：「尊者舍梨子！我憶一時遊王舍城，在巖山中，我於爾時過夜平旦，著衣持鉢，入王舍城而行乞食，詣舊車師無衣滿子家。時，彼比舍更有車師斫治車軸，是時，舊車師無衣滿子往至彼家。於是，舊車師無衣滿子見彼治軸，心生是念：『若彼車師執斧治軸，斫彼彼惡處者，如是彼軸便當極好。』時，彼車師即如舊車師無衣滿子心中所念，便持斧斫彼彼惡處。於是，舊車師無衣滿子極大歡喜，而作是說：『車師子！汝心如是，則知我心。所以者何？以汝持斧斫治車軸彼彼惡處，如我意故。』如是，尊者舍梨子！若有諛諂、欺誑、嫉妬、無信、懈怠，無正念正智，無定無慧，其心狂惑，不護諸根，不修沙門，無所分別。尊者舍梨子！心為知彼心故，而說此法。尊者舍梨子！若有人不諛諂，不欺誑，無嫉妬，有信，精進而無懈怠，有正念正智，修定修慧，心不狂惑，守護諸根，廣修沙門而善分別。彼聞尊者舍梨子所說法者，猶飢欲得食，渴欲得飲，口及意也。

> 尊者シャーリプトラよ、私はお思い出します。ある時、私は王舎城の岩山に滞在しておりました。その夜明け、私は衣を着け鉢を持ち、王舎城に入って托鉢をし、かつての車大工である無衣満子の家を訪ねました。その時、隣の家で別の車大工が車軸を削っていました。すると、かつての車大工・無衣満子がその家に行き、その車軸を削る様子を見て、こう思いました。「もしあの車大工が斧を持って車軸を削り、あちこちの悪い箇所を削るならば、その車軸は非常によくなるだろう。」すると、その車大工は、まさに無衣満子の心の中で思った通りに、斧で悪い箇所を削り始めました。それを無衣満子は大いに喜び、こう言いました。「車大工よ、あなたの心はまさに私の心を知っているかのようだ。なぜなら、あなたが斧で車軸のあちこちの悪い箇所を削るのは、私の意にかなっているからだ。」 尊者シャーリプトラよ、このように、もし偽り、欺き、嫉妬、不信仰、懈怠（けたい）のある者、正念なく正智なく、定（じょう）なく慧（え）なく、心が狂い惑い、諸々の感覚を守らず、修行道を修めず、弁別のない者に対しては、尊者シャーリプトラは、まさにその者の心を知るために、この法を説くのです。 尊者シャーリプトラよ、もし偽りなく、欺きなく、嫉妬なく、信仰あり、精進して懈怠（けたい）なく、正念正智あり、定を修め慧を修め、心は狂わず惑わず、諸々の感覚を守り、修行道を広く修め、よく弁別する者がいれば、その者は尊者シャーリプトラの説法を聞いて、まるで飢えた人が食べ物を求め、渇いた人が飲み物を求めるかのように、心と口で求めるのです。

「尊者舍梨子！猶剎利女，梵志、居士、工師女，端正姝好，極淨沐浴，以香塗身，著明淨衣，種種瓔珞嚴飾其容；或復有人為念彼女，求利及饒益，求安隱快樂，以青蓮華鬘，或薝蔔華鬘；或修摩那華鬘，或婆師華鬘；或阿提牟哆華鬘，持與彼女。彼女歡喜，兩手受之，以嚴其頭。尊者舍梨子！如是，若有人不諛諂，不欺誑，無嫉妬，有信，精進而無懈怠，有正念正智，修定修慧，心不狂惑，守護諸根，廣修沙門而善分別，彼聞尊者舍梨子所說法者，猶飢欲食，渴欲得飲，口及意也。尊者舍梨子甚奇！甚特！尊者舍梨子常拔濟諸梵行者，令離不善，安立善處。」

> 「尊者シャーリプトラよ、たとえば、クシャトリアの娘、バラモンの娘、居士の娘、工人の娘がいて、麗しく美しく、清らかに沐浴し、香を塗り、清らかな衣をまとい、様々な瓔珞で身を飾っているとします。そこに、その娘を思い、利益と安楽を求めようとする人がいて、青い蓮の花の鬘、あるいはジャスミンの花の鬘、あるいはショウブの花の鬘、あるいはアティムッタカの花の鬘をその娘に差し出します。その娘は喜んで、両手でそれを受け取り、頭に飾ります。 尊者シャーリプトラよ、まさにそのように、もしある人が、お世辞を言わず、欺かず、ねたまず、信仰があり、怠ることなく精進し、正しい念と正しい知恵を持ち、心を乱さず、感官を守り、修行に励み、善悪をよく分別するなら、その人は尊者シャーリプトラの説法を聞いて、まるで飢えた人が食べ物を、渇いた人が飲み物を望むように、心と意で求めるのです。 尊者シャーリプトラは、なんと素晴らしく、なんと特別な方でしょう。尊者シャーリプトラは、常に修行者たちを救い、不善から遠ざけ、善い場所に安立させてくださいます。」

如是二尊更相稱說，從座起去。

> このように、二人の尊者は互いに称賛し合い、席を立って立ち去られた。

尊者舍梨子所說如是。尊者大目揵連及諸比丘，聞尊者舍梨子所說，歡喜奉行。

> このように、尊者シャーリプトラは説き終えました。尊者マハーマウドガリヤーヤナや比丘たちは、尊者シャーリプトラの説法を聞いて、歓喜し、その教えを実践しました。

穢經第一竟五千一百九十六字

> 穢経 第一 終わり<note>五千百九十六字</note>