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title: "中阿含經 · 88 求法經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （八八）中阿含穢品求法經第二第二小土城誦

> （八八）中阿含 穢品 求法経 第二<note>第二小土城誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊拘娑羅國，與大比丘眾俱，往詣五娑羅村北尸攝惒林中，及諸名德、上尊長老、大弟子等，謂尊者舍梨子、尊者大目揵連、尊者大迦葉、尊者大迦旃延、尊者阿那律陀、尊者麗越、尊者阿難，如是比餘名德、上尊長老、大弟子等，亦在五娑羅村並皆近佛葉屋邊住。

> ある時、仏陀はコーサラ国を巡り、大いなる比丘の僧侶たちと共に、五娑羅村の北にある尸摂惒林へと向かわれました。そこには、尊者舎利子、尊者大目揵連、尊者大迦葉、尊者大迦旃延、尊者阿那律陀、尊者嚢越、尊者阿難といった名高い優れた長老や大弟子たちが集まり、五娑羅村の仏陀の葉屋の近くに皆それぞれ滞在していました。

爾時，世尊告諸比丘：「汝等當行求法，莫行求飲食。所以者何？我慈愍弟子故，欲令行求法，不行求飲食。若汝等行求飲食，不行求法者，汝等既自惡，我亦無名稱。若汝等行求法，不行求飲食者，汝等既自好，我亦有名稱。

> その時、世尊は比丘たちにお告げになりました。 「あなたがたは、食べ物や飲み物を求めて行動するのではなく、教え（法）を求めて行動しなさい。なぜなら、私は弟子たちを慈しみ、哀れむがゆえに、食べ物や飲み物ではなく、教えを求めて行動してほしいと望むからです。 もしあなたがたが教えを求めず、食べ物や飲み物だけを求めて行動するなら、あなたがた自身が悪しき状態となり、私の名声も損なわれるでしょう。 しかし、もしあなたがたが食べ物や飲み物を求めず、教えを求めて行動するなら、あなたがた自身が善き状態となり、私の名声も高まるのです。」

「云何諸弟子為求飲食故而依佛行，非為求法？我飽食訖，食事已辦，猶有殘食，於後有二比丘來，飢渴力羸，我語彼曰：『我飽食訖，食事已辦，猶有殘食，汝等欲食者便取食之。若汝不取者，我便取以瀉著淨地，或復瀉著無蟲水中。』彼二比丘，第一比丘便作是念：『世尊食訖，食事已辦，猶有殘食，若我不取者，世尊必取瀉著淨地，或復瀉著無蟲水中，我今寧可取而食之。』即便取食。

> 「どうして弟子たちが、法を求めるためではなく、食べ物を得るために仏に従って修行しているのか？私は食事を終え、食べるべきことは済ませ、まだ余りの食べ物がある。その後、二人の比丘が来た。彼らは飢えと渇きに苦しみ、力が弱っていた。私は彼らに言った。『私は食事を終え、食べるべきことは済ませ、まだ余りの食べ物がある。あなた方が食べたいのなら、それを取って食べなさい。もし取らなければ、私はそれを清らかな地面に捨てるか、あるいは虫のいない水の中に捨てるだろう。』その二人の比丘のうち、最初の比丘はこう考えた。『世尊は食事を終え、食べるべきことは済ませ、まだ余りの食べ物がある。もし私が取らなければ、世尊は必ずそれを清らかな地面に捨てるか、あるいは虫のいない水の中に捨てるだろう。今、私はそれを取って食べるほうがよい。』そうして彼はそれを取って食べた。」

「彼比丘取此食已，雖一日一夜樂而得安隱，但彼比丘因取此食故，不可佛意。所以者何？彼比丘因取此食故，不得少欲，不知厭足，不得易養，不得易滿，不得知時，不知節限，不得精進，不得宴坐，不得淨行，不得遠離，不得一心，不得精勤，亦不得涅槃。是以彼比丘因取此食故，不可佛意。是謂諸弟子為行求飲食故而依佛行，非為求法。

> その修行僧は、この食べ物を受けて、一日一夜楽しみ、安穏に過ごすことはできても、その食べ物を受けたことによって、仏の意に叶わない者となってしまいました。 なぜなら、その修行僧はその食べ物を受けたことによって、少欲を知らず、満足することを知らず、養われやすくならず、満たされやすくならず、時を知らず、節度を知らず、精進せず、坐禅に専念せず、清らかな行いをせず、遠離せず、一心にならず、精励せず、涅槃にも至らなかったからです。 それゆえ、その修行僧はその食べ物を受けたことによって、仏の意に叶わない者となったのです。 このように、弟子たちは、修行のために食べ物を求めるのではなく、食べ物を求めるために仏の教えに従っているのです。

「云何諸弟子行求法，不行求飲食？彼二比丘，第二比丘便作是念：『世尊食訖，食事已辦，猶有殘食，若我不取者，世尊必取瀉著淨地，或復瀉著無蟲水中；又世尊說食中之下極者，謂殘餘食也，我今寧可不取此食。』作是念已，即便不取。

> 「どうして多くの弟子たちは、法を求めて修行し、飲食を求めないのだろうか。あの二人の比丘のうち、第二の比丘はこう考えた。『世尊は食事を終えられ、食事の用事は済まされた。まだ食べ残しがあるが、もし私が取らなければ、世尊は必ずそれを清らかな地に捨てるか、虫のいない水に流されるだろう。また、世尊は「食べ物の中で最も下等なものは、食べ残しの食事である」と説かれた。私は今、この食べ物を取らないほうがよい』と。こう考えて、彼はついに取らなかった。」

「彼比丘不取此食已，雖一日一夜苦而不安隱，但彼比丘因不取此食故，得可佛意。所以者何？彼比丘因不取此食故，得少欲，得知足，得易養，得易滿，得知時，得節限，得精進，得宴坐，得淨行，得遠離，得一心，得精勤，亦得涅槃。是以彼比丘因不取此食故，得可佛意。是謂諸弟子為行求法故而依佛行，非為求飲食。」

> 「その比丘はこの食事を取らなかったことで、一日一晩、苦しくて安らかでなくとも、この食事を取らなかったことによって、仏の意にかなうこととなる。なぜなら、その比丘はこの食事を取らなかったことにより、少欲を知り、足ることを知り、養いやすく、満たされやすく、時を知り、節度を知り、精進し、静かに坐し、清らかな行いをなし、遠離し、一心となり、精励し、さらには涅槃に至るからである。ゆえに、その比丘はこの食事を取らなかったことによって、仏の意にかなうのである。このように、諸々の弟子たちは、法を求めて行じるために仏に従って修行するのであり、飲食のためではない。」

於是，世尊告諸弟子：「若有法、律尊師樂住遠離，上弟子不樂住遠離者，彼法、律不饒益多人，多人不得樂，非為愍傷世間，亦非為天為人求義及饒益，求安隱快樂。若有法、律尊師樂住遠離，中、下弟子不樂住遠離者，彼法、律不饒益多人，多人不得樂，非為愍傷世間，亦非為天為人求義及饒益，求安隱快樂。若有法、律尊師樂住遠離，上弟子亦樂住遠離者，彼法、律饒益多人，多人得樂，為愍傷世間，亦為天為人求義及饒益，求安隱快樂。若有法、律尊師樂住遠離，中、下弟子亦樂住遠離者，彼法、律饒益多人，多人得樂，為愍傷世間，亦為天為人求義及饒益，求安隱快樂。」

> そこで、世尊は弟子たちに告げられた。 「もし、ある教えや戒律において、師が遠離（おんり）に喜んで住み、上首の弟子たちが遠離に喜んで住まないならば、その教えや戒律は多くの人の益とはならず、多くの人は安楽を得られない。世の中を哀れむことなく、天や人のために真の利益や安楽を求めることもない。 また、もし師が遠離に喜んで住み、中位や下位の弟子たちが遠離に喜んで住まないならば、その教えや戒律もまた多くの人の益とはならず、多くの人は安楽を得られない。世の中を哀れむことなく、天や人のために真の利益や安楽を求めることもない。 しかし、もし師が遠離に喜んで住み、上首の弟子たちも遠離に喜んで住むならば、その教えや戒律は多くの人の益となり、多くの人は安楽を得る。世の中を哀れみ、天や人のために真の利益や安楽を求めるのである。 また、もし師が遠離に喜んで住み、中位や下位の弟子たちも遠離に喜んで住むならば、その教えや戒律は多くの人の益となり、多くの人は安楽を得る。世の中を哀れみ、天や人のために真の利益や安楽を求めるのである。」

是時，尊者舍梨子亦在眾中。彼時，世尊告曰：「舍梨子！汝為諸比丘說法如法，我患背痛，今欲小息。」

> その時、尊者シャーリプトラも会衆の中にいた。 そこで、世尊は仰せになった。「シャーリプトラよ、あなたが僧たちに法のとおりに説法しなさい。私は背中が痛むので、少し休ませてもらおう。」

尊者舍梨子即受佛教：「唯然。世尊！」於是，世尊四疊優多羅僧以敷床上，卷僧伽梨作枕，右脇而臥，足足相累，作光明想，正念正智，常念欲起。

> 尊者のシャーリプトラは仏の教えを受けて、「はい、世尊よ」と応じました。そこで、世尊は上衣（ウッタラーサンガ）を四つに折って寝床に敷き、大衣（サンガーティー）を丸めて枕とし、右脇を下にして臥せられました。両足は重ね、光明の想（おもい）を起こし、正念・正智をもって、常に起き上がることを念じられました。

是時，尊者舍梨子告諸比丘：「諸賢！當知世尊向略說法。若有法、律尊師樂住遠離，上弟子不樂住遠離者，彼法、律不饒益多人，多人不得樂，不為愍傷世間，亦非為天為人求義及饒益，求安隱快樂。若有法、律尊師樂住遠離，中、下弟子不樂住遠離者，彼法、律不饒益多人，多人不得樂，不為愍傷世間，亦非為天為人求義及饒益，求安隱快樂。若有法、律尊師樂住遠離，上弟子亦樂住遠離者，彼法、律饒益多人，多人得樂，為愍傷世間，亦為天為人求義及饒益，求安隱快樂。若有法、律尊師樂住遠離，中、下弟子亦樂住遠離者，彼法、律饒益多人，多人得樂，為愍傷世間，亦為天為人求義及饒益，求安隱快樂。然世尊說此法極略，汝等云何解義？云何廣分別？」

> 尊者の舎梨子（シャーリプトラ）が比丘たちに告げた。 「皆さん、よくお聞きなさい。世尊（ブッダ）は先ほど、教えを簡潔に説かれました。 もし、ある教えや戒律において、師が静かに離れて暮らすことを喜んでも、優れた弟子が静かに離れて暮らすことを喜ばないなら、その教えや戒律は多くの人々の益にはならず、多くの人々は安楽を得られません。世の中を憐れむことにもならず、天や人のために意義あることや利益を求め、安らかな幸せを求めることにもなりません。 また、師が静かに離れて暮らすことを喜んでも、中程度や下位の弟子がそれを喜ばないなら、その教えや戒律もまた、多くの人々の益にはならず、多くの人々は安楽を得られません。世の中を憐れむことにもならず、天や人のために意義あることや利益を求め、安らかな幸せを求めることにもなりません。 しかし、師が静かに離れて暮らすことを喜び、優れた弟子もまたそれを喜ぶなら、その教えや戒律は多くの人々の益となり、多くの人々は安楽を得られます。世の中を憐れむことにもなり、天や人のために意義あることや利益を求め、安らかな幸せを求めることにもなります。 さらに、師が静かに離れて暮らすことを喜び、中程度や下位の弟子もまたそれを喜ぶなら、その教えや戒律は多くの人々の益となり、多くの人々は安楽を得られます。世の中を憐れむことにもなり、天や人のために意義あることや利益を求め、安らかな幸せを求めることにもなります。 さて、世尊はこの教えを非常に簡潔に説かれました。皆さんは、どのようにその意味を理解し、どのように詳しく解説されるのでしょうか？」

彼時，眾中或有比丘作如是說：「尊者舍梨子！若諸長老上尊自說：『我得究竟智，我生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。』諸梵行者聞彼比丘自說我得究竟智，便得歡喜。」

> その時、会衆の中のある比丘がこう言いました。「尊者シャーリプトラよ、尊い長老の方々が自ら『私は究竟智を得た。生は尽き、梵行はすでに立ち、なすべきことは成し遂げられ、もはや再生を受けることはない。それをあるがままに知る』と説かれます。修行者たちは、その比丘が自ら究竟智を得たと説くのを聞いて、大いに喜びを得るのです。」

復有比丘作如是說：「尊者舍梨子！若中、下弟子求願無上涅槃，諸梵行者見彼行已，便得歡喜。如是彼比丘而說此義，不可尊者舍梨子意。」

> また、ある比丘がこう言いました。「尊者シャーリプトラよ。もし中程度や下位の弟子が無上の涅槃を願い求めるならば、修行者たちはその行いを見て喜びを得るでしょう。」このようにその比丘は語りましたが、これは尊者シャーリプトラの意とは異なるものでした。

尊者舍梨子告彼比丘：「諸賢等！聽我為汝說。諸賢！若有法、律尊師樂住遠離，上弟子不樂住遠離者，上弟子有三事可毀。云何為三？尊師樂住遠離，上弟子不學捨離，上弟子以此可毀。尊師若說可斷法，上弟子不斷彼法，上弟子以此可毀。所可受證，上弟子而捨方便，上弟子以此可毀。若有法、律尊師樂住遠離，上弟子不樂住遠離者，上弟子有此三事可毀。諸賢！若有法、律尊師樂住遠離，中、下弟子不樂住遠離者，中、下弟子有三事可毀。云何為三？尊師樂住遠離，中、下弟子不學捨離，中、下弟子以此可毀。尊師若說可斷法，中、下弟子不斷彼法，中、下弟子以此可毀。所可受證，中、下弟子而捨方便，中、下弟子以此可毀。若有法、律尊師樂住遠離，中、下弟子不樂住遠離者，中、下弟子有此三事可毀。

> 尊者在舎利弗は比丘たちに告げた。「皆さん、私の話を聞いてください。皆さん、ある教えや戒律において、師匠が遠離（世を離れた静かな修行）を喜んで修行し、それに対して上級の弟子が遠離を喜ばない場合、その上級の弟子には三つの非難されるべき点があります。どの三つかというと、師匠が遠離を喜んで修行しているのに、上級の弟子が捨離（執着を離れること）を学ばないこと。これが第一の非難点です。師匠が断つべき法（修行の妨げとなるもの）を説いているのに、上級の弟子がその法を断たないこと。これが第二の非難点です。また、受証すべき（実践して悟るべき）教えに対して、上級の弟子が努力の手段を捨ててしまうこと。これが第三の非難点です。このように、師匠が遠離を喜び、上級の弟子が遠離を喜ばない場合、上級の弟子にはこれら三つの非難されるべき点があります。 皆さん、ある教えや戒律において、師匠が遠離を喜んで修行し、中級・下級の弟子が遠離を喜ばない場合、その中級・下級の弟子にも三つの非難されるべき点があります。どの三つかというと、師匠が遠離を喜んで修行しているのに、中級・下級の弟子が捨離を学ばないこと。これが第一の非難点です。師匠が断つべき法を説いているのに、中級・下級の弟子がその法を断たないこと。これが第二の非難点です。また、受証すべき教えに対して、中級・下級の弟子が努力の手段を捨ててしまうこと。これが第三の非難点です。このように、師匠が遠離を喜び、中級・下級の弟子が遠離を喜ばない場合、中級・下級の弟子にもこれら三つの非難されるべき点があります。」

「諸賢！若有法、律尊師樂住遠離，上弟子亦樂住遠離者，上弟子有三事可稱。云何為三？尊師樂住遠離，上弟子亦學捨離，上弟子以此可稱。尊師若說可斷法，上弟子便斷彼法，上弟子以此可稱。所可受證，上弟子精進勤學，不捨方便，上弟子以此可稱。諸賢！若有法、律尊師樂住遠離，上弟子亦樂住遠離者，上弟子有此三事可稱。諸賢！若有法、律尊師樂住遠離，中、下弟子亦樂住遠離者，中、下弟子有三事可稱。云何為三？尊師樂住遠離，中、下弟子亦學捨離，中、下弟子以此可稱。尊師若說可斷法，中、下弟子便斷彼法，中、下弟子以此可稱。所可受證，中、下弟子精進勤學，不捨方便，中、下弟子以此可稱。諸賢！若有法、律尊師樂住遠離，中、下弟子亦樂住遠離者，中、下弟子有此三事可稱。」

> 皆さん、教えや戒律において、師が遠離することを楽しみ、優れた弟子もまた遠離することを楽しむならば、その優れた弟子には三つの称賛すべき点があります。どのような三つかというと、師が遠離することを楽しみ、優れた弟子もまた捨離を学ぶならば、優れた弟子はこの点で称賛されます。師が断つべき法を説くならば、優れた弟子はその法を断ちます。優れた弟子はこの点で称賛されます。受け取った証を、優れた弟子が精進して勤め学び、方便を捨てないならば、優れた弟子はこの点で称賛されます。皆さん、教えや戒律において、師が遠離することを楽しみ、優れた弟子もまた遠離することを楽しむならば、優れた弟子にはこの三つの称賛すべき点があります。 皆さん、教えや戒律において、師が遠離することを楽しみ、中位や下位の弟子もまた遠離することを楽しむならば、その中位や下位の弟子には三つの称賛すべき点があります。どのような三つかというと、師が遠離することを楽しみ、中位や下位の弟子もまた捨離を学ぶならば、中位や下位の弟子はこの点で称賛されます。師が断つべき法を説くならば、中位や下位の弟子はその法を断ちます。中位や下位の弟子はこの点で称賛されます。受け取った証を、中位や下位の弟子が精進して勤め学び、方便を捨てないならば、中位や下位の弟子はこの点で称賛されます。皆さん、教えや戒律において、師が遠離することを楽しみ、中位や下位の弟子もまた遠離することを楽しむならば、中位や下位の弟子にはこの三つの称賛すべき点があります。

尊者舍梨子復告諸比丘：「諸賢！有中道能得心住，得定得樂，順法次法，得通得覺，亦得涅槃。諸賢！云何有中道能得心住，得定得樂，順法次法，得通得覺，亦得涅槃？諸賢！念欲惡，惡念欲亦惡，彼斷念欲，亦斷惡念欲；如是恚、怨結、慳嫉、欺誑、諛諂、無慙、無愧、慢、最上慢、貢高、放逸、豪貴、憎諍。諸賢！貪亦惡，著亦惡，彼斷貪，亦斷著。諸賢！是謂中道能得心住，得定得樂，順法次法，得通得覺，亦得涅槃。

> 尊者のシャーリプトラが比丘たちに告げた。「皆さん、心が落ち着き、定を得て、安らぎを得、法に従い、悟りを得て、涅槃に至ることのできる中道があります。では、その中道とは何でしょうか。皆さん、欲望や悪い考えは避けるべきであり、悪い考えを持つことも避けるべきです。それらを断ち切るのです。同様に、怒り、恨み、執着、嫉妬、欺き、お世辞、無恥、無愧、慢心、増上慢、高慢、放逸、権力への執着、争いもすべて断ち切るのです。皆さん、貪りも悪であり、執着も悪です。貪りを断ち、執着をも断つのです。皆さん、これこそが心を落ち着け、定を得て、安らぎを得、法に従い、悟りを得て、涅槃に至る中道なのです。」

「諸賢！復有中道能得心住，得定得樂，順法次法，得通得覺，亦得涅槃。諸賢！云何復有中道能得心住，得定得樂，順法次法，得通得覺，亦得涅槃？謂八支聖道，正見乃至正定，是為八。諸賢！是謂復有中道能得心住，得定得樂，順法次法，得通得覺，亦得涅槃。」

> 皆さま、さらに心を落ち着け、安定と安らぎを得、教えに沿って歩み、悟りと涅槃に至る中道があります。その中道とは何でしょうか。それは八つの正しい道、すなわち正しい見解から正しい集中までの八支聖道であります。皆さま、これこそが心を落ち着け、安定と安らぎを得て、教えに沿って歩み、悟りと涅槃に至る中道なのです。

於是，世尊所患即除而得安隱，從臥寤起，結跏趺坐，嘆尊者舍梨子：「善哉！善哉！舍梨子為諸比丘說法如法。舍梨子！汝當復為諸比丘說法如法。舍梨子！汝當數數為諸比丘說法如法。」

> そこで、世尊の病は癒えて安穩になられました。お休みから起き上がり、結跏趺坐（くさふざ）を組んで、尊者シャーリプトラ（舎梨子）を称えられました。「善きかな、善きかな。シャーリプトラよ、あなたは僧たちのために、法のままに説法した。シャーリプトラよ、あなたは再び僧たちのために、法のままに説法しなさい。シャーリプトラよ、あなたはたびたび僧たちのために、法のままに説法しなさい。」

爾時，世尊告諸比丘：「汝等當共受法如法，誦習執持。所以者何？此法如法，有法有義，為梵行本，得通得覺，亦得涅槃。諸族姓子剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道者，此法如法，當善受持。」

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。「あなたがたは共に、正しい教えをそのまま受け取り、唱え、学び、心に保ちなさい。なぜなら、この教えは正しく、真理（法）と意味（義）を備え、清らかな行い（梵行）の基であり、悟りを得、覚りを開き、さらに涅槃に至るからである。諸々の良き家の若者が、髪やひげを剃り、袈裟をまとい、深い信仰をもって家を出て、無一物の修行者となるならば、この正しい教えをよく受け保ちなさい。」

佛說如是。尊者舍梨子及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。尊者舎利子と諸比丘たちは、仏が説かれたことを聞き、歓喜して教えを奉じ行いました。

求法經第二竟二千二百八十六字

> 第二 求法経 終わり<note>二千二百八十六字</note>

## 中阿含經卷第二十二七千四百八十二字第二小土城誦

> 中阿含経 巻第二十二