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title: "中阿含經 · 89 比丘請經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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## 中阿含經卷第二十三

> 中阿含経 第二十三巻

東晉罽賓三藏瞿曇僧伽提婆譯

> 東晋・罽賓三蔵・瞿曇僧伽提婆 訳

### （八九）穢品比丘請經第三第二小土城誦

> （八九）穢れの章 比丘が請うた経 第三<note>第二小土城誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊王舍城，在竹林迦蘭哆園，與大比丘眾俱，受夏坐。

> ある時、仏陀は王舎城（ラージャガハ）の竹林精舎（カルンダ園）に滞在され、大勢の修行者たちと共に夏安居（雨期の修行）に入られました。

爾時，尊者大目揵連告諸比丘：「諸賢！若有比丘請諸比丘，諸尊，語我、教我、訶我，莫難於我。所以者何？諸賢！或有一人戾語，成就戾語法，成就戾語法故，令諸梵行者不語彼，不教、不訶而難彼人。諸賢！何者戾語法？若有成就戾語法者，諸梵行者不語彼，不教、不訶而難彼人。諸賢！或有一人惡欲、念欲。諸賢！若有人惡欲、念欲者，是謂戾語法。如是染行染、不語結住，欺誑諛諂，慳貪嫉妬，無慙無愧，瞋弊惡意，瞋恚語言，訶比丘訶，訶比丘輕慢，訶比丘發露，更互相避而說外事，不語、瞋恚、憎嫉熾盛，惡朋友、惡伴侶，無恩、不知恩。諸賢！若有人無恩、不知恩者，是謂戾語法。諸賢！是謂諸戾語法。若有成就戾語法者，諸梵行者不語彼，不教、不訶而難彼人，諸賢！比丘者，當自思量。

> その時、尊者大目犍連が比丘たちに告げた。 「皆さん、もし比丘が他の比丘に『尊者よ、私に語ってください、教えてください、叱ってください。私に難癖をつけないでください』と言ったとしましょう。なぜなら、皆さん、ある人は反抗的な言葉を使い、反抗的な言葉の習慣を身につけているからです。その習慣のゆえに、共に修行する人々はその人に話しかけず、教えもせず、叱りもせず、かえってその人に難癖をつけるのです。 皆さん、反抗的な言葉の習慣とは何でしょうか。それを身につけた人は、共に修行する人々から無視され、教えも叱りも受けず、難癖をつけられるのです。 皆さん、ある人は悪い欲望を持ち、それを思い描きます。皆さん、もし悪い欲望を持ち、それを思い描く人がいれば、それが反抗的な言葉の習慣です。このように、汚れに染まり、執着し、口を閉ざして引きこもり、欺き、お世辞を言い、物惜しみし、嫉妬し、恥じる心も恐れる心もなく、怒り、邪悪な意図を持ち、怒りの言葉を発し、比丘を叱り、比丘を軽んじ、比丘の過ちを暴露し、互いに避け合って外の事を話し、無言で怒り、憎しみと嫉妬が激しく、悪い友、悪い仲間を持ち、恩を知らず、恩を忘れる。皆さん、もし恩を知らず、恩を忘れる人がいれば、それが反抗的な言葉の習慣です。 皆さん、これらが反抗的な言葉の習慣です。もしこれらの習慣を身につけた人がいれば、共に修行する人々はその人に話しかけず、教えもせず、叱りもせず、かえって難癖をつけるのです。 皆さん、比丘は自らよく考え、反省すべきです。」

「諸賢！若有人惡欲、念欲者，我不愛彼；若我惡欲、念欲者，彼亦不愛我。比丘如是觀，不行惡欲、不念欲者，當學如是。如是染行染、不語結住，欺誑諛諂，慳貪嫉妬，無慙無愧，瞋弊惡意，瞋瞋語言，訶比丘，訶比丘輕慢，訶比丘發露，更互相避而說外事，不語、瞋恚、憎嫉熾盛，惡朋友、惡伴侶，無恩、不知恩。諸賢！若有人無恩、不知恩者，我不愛彼；若我無恩、不知恩者，彼亦不愛我。比丘如是觀，不行無恩、不知恩者，當學如是。

> 「皆さん、もし誰かが悪い欲望や考えに執着する人がいたとしても、私はその人を愛しません。また、もし私自身が悪い欲望や考えに執着すれば、その人も私を愛さないでしょう。僧よ、このように観察して、悪い欲望や考えを行わず、執着しないように学ぶべきです。同様に、汚れに染まり、言葉を交わさずに恨みを抱き、偽りやお世辞、けちや嫉妬、恥知らずや無反省、怒りや悪意、怒りの言葉、僧を非難し、軽んじ、さらけ出し、互いに避けて表面的な話をし、沈黙し、怒り、憎しみが燃え盛り、悪い友人や仲間を持ち、恩を知らず、恩を忘れること。皆さん、もし恩を知らず恩を忘れる人がいたとしても、私はその人を愛しません。また、もし私が恩を知らず恩を忘れるなら、その人も私を愛さないでしょう。僧よ、このように観察して、恩知らずや恩を忘れることを行わないように学ぶべきです。」

「諸賢！若比丘不請諸比丘，諸尊！語我、教我、訶我，莫難於我。所以者何？諸賢！或有一人善語，成就善語法，成就善語法故，諸梵行者善語彼，善教、善訶，不難彼人。諸賢！何者善語法？若有成就善語法者，諸梵行者善語彼，善教、善訶，不難彼人。諸賢！或有一人不惡欲、不念欲。諸賢！若有人不惡欲、不念欲者，是謂善語法。如是不染行染、不語結住，不欺誑諛諂，不慳貪嫉妬，不無慙無愧，不瞋弊惡意，不瞋瞋語言，不訶比丘訶，不訶比丘輕慢，不訶比丘發露，不更互相避而說外事，不不語、瞋恚、憎嫉熾盛，不惡朋友、惡伴侶，不無恩、不知恩。諸賢！若有人不無恩、不知恩者，是謂善語法。諸賢！是謂諸善語法。若有成就善語法者，諸梵行者善語彼，善教、善訶，不難彼人。諸賢！比丘者當自思量。

> 「諸賢よ。もし比丘が他の比丘たちに『尊よ。私に語り、教え、叱ってください。私を責めないでください』と請わなくても、諸賢よ、なぜならば、一つの善い語り方を持つ人がいるからです。諸賢よ、善い語り方を成就した者は、他の修行者たちから善く語られ、善く教えられ、善く叱られ、責められることがありません。諸賢よ、善い語り方とは何でしょうか。もし善い語り方を成就した人がいれば、他の修行者たちはその人を善く語り、善く教え、善く叱り、責めることがありません。 諸賢よ、ある人は悪い欲を持たず、欲を思いません。諸賢よ、もし悪い欲を持たず、欲を思わない人がいれば、これを善い語り方といいます。このように、汚れを帯びた行いをしない、言葉の結びつきに執着しない、偽りやへつらいをしない、吝嗇や嫉妬をしない、恥じず恐れないことをしない、怒りや悪意を持たない、怒りながら言葉を発しない、比丘を叱ることを叱らない、比丘を軽んじて叱らない、比丘の発露を叱らない、互いに避けて外事を語らない、無言・怒り・憎しみ・妬みが盛んでない、悪い朋友や悪い仲間を持たない、恩を知らず恩を感じないことをしない。諸賢よ、もし恩を知らず恩を感じないことをしない人がいれば、これを善い語り方といいます。諸賢よ、これらを諸々の善い語り方といいます。もし善い語り方を成就した人がいれば、他の修行者たちはその人を善く語り、善く教え、善く叱り、責めることがありません。諸賢よ、比丘は自らよく考えるべきです。」

「諸賢！若有人不惡欲、不念欲者，我愛彼人；若我不惡欲、不念欲者，彼亦愛我。比丘如是觀，不行惡欲、不念欲者，當學如是。如是不染行染、不不語結住，不欺誑諛諂，不慳貪嫉妬，不無慙無愧，不瞋弊惡意，不瞋瞋語言，不訶比丘訶，不訶比丘輕慢，不訶比丘發露，不更互相避而說外事，不不語、瞋恚、憎嫉熾盛，不惡朋友、惡伴侶，不無恩、不知恩。諸賢！若有人不無恩、不知恩者，我愛彼人；若我不無恩、不知恩者，彼亦愛我。比丘如是觀，不無恩、不知恩者，當學如是。

> 「皆さん、もし欲を嫌わず、欲を思わない人がいれば、私はその人を大切にします。また、私が欲を嫌わず、欲を思わなければ、その人も私を大切にしてくれるでしょう。比丘はこのように観じて、悪い欲を行わず、欲を思わないように学ぶべきです。このようにして、汚れを伴う行いに染まらず、無言のままこだわりに留まらず、偽りやお世辞を言わず、吝嗇や嫉妬をせず、恥知らずや反省のなさを持たず、怒りや悪意を抱かず、怒って言葉を荒げず、比丘を非難せず、比丘を非難して軽んじず、比丘を非難して暴露せず、互いに避け合って外の事を語らず、無言・怒り・憎しみ・嫉妬を燃え上がらせず、悪い友人や悪い仲間を持たず、恩を忘れず、知らないことがないようにすることです。皆さん、もし恩を忘れず、知らないことがない人がいれば、私はその人を大切にします。また、私が恩を忘れず、知らないことがなければ、その人も私を大切にしてくれるでしょう。比丘はこのように観じて、恩を忘れず、知らないことがないように学ぶべきです。」

「諸賢！若比丘如是觀者，必多所饒益，我為惡欲、念欲，為不惡欲、念欲耶？諸賢！若比丘觀時，則知我是惡欲、念欲者，則不歡悅，便求欲斷。諸賢！若比丘觀時，則知我無惡欲、不念欲者，即便歡悅，我自清淨，求學尊法，是故歡悅。諸賢！猶有目人以鏡自照，則見其面淨及不淨。諸賢！若有目人見面有垢者，則不歡悅，便求欲洗。諸賢！若有目人見面無垢者，即便歡悅我面清淨，是故歡悅。

> 「皆さん、僧侶がこのように観察するならば、必ず多くの利益があります。『私は悪い欲望や執着の思いを持っているのか、持っていないのか』と。皆さん、僧侶が観察して、自分に悪い欲望や執着の思いがあると知れば、喜ばず、それを断ち切ろうと努めます。皆さん、僧侶が観察して、自分に悪い欲望や執着の思いがないと知れば、すぐに喜びます。『私は清らかであり、尊い教えを学んでいる』と。ゆえに喜びます。 皆さん、ちょうど目のある人が鏡で自分の顔を映すとき、その顔が清らかか汚れているかを見るように。皆さん、目のある人が顔に汚れがあるのを見れば、喜ばず、それを洗おうと努めます。皆さん、目のある人が顔に汚れがないのを見れば、すぐに喜びます。『私の顔は清らかだ』と。ゆえに喜びます。」

「諸賢！若比丘觀時，則知我行惡欲、念欲者，則不歡悅，便求欲斷。諸賢！若比丘觀時，則知我不行惡欲、不念欲者，即便歡悅，我自清淨，求學尊法，是故歡悅。如是我為染行染，為不染行染；為不語結住，為不不語結住；為欺誑諛諂，為不欺誑諛諂；為慳貪嫉妬，為不慳貪嫉妬；為無慙無愧，為不無慙無愧；為瞋弊惡意，為不瞋弊惡意；為瞋瞋語言，為不瞋瞋語言；為訶比丘訶，為不訶比丘訶；為訶比丘輕慢，為不訶比丘輕慢；為訶比丘發露，為不訶比丘發露；為更互相避，為不更互相避；為說外事，為不說外事；為不語、瞋恚、憎嫉熾盛，為不不語、瞋恚、憎嫉熾盛；為惡朋友、惡伴侶，為不惡朋友、惡伴侶；為無恩、不知恩，為不無恩，不知恩耶？諸賢！若比丘觀時，則知我無恩、不知恩者，則不歡悅，便求欲斷。諸賢！若比丘觀時，則知我不無恩、不知恩者，即便歡悅，我自清淨，求學尊法，是故歡悅。諸賢！猶有目人以鏡自照，則見其面淨及不淨。諸賢！若有目人見面有垢者，則不歡悅，便求欲洗。諸賢！若有目人見面無垢者，即便歡悅我面清淨，是故歡悅。

> 「皆さん、比丘（修行者）が自らを観察する時、もし自分に悪い欲や汚れた思いがあると知れば、喜ばず、それを断とうと努めます。皆さん、比丘が観察して、自分に悪い欲や汚れた思いがないと知れば、すぐに喜び、「私は清らかだ。尊い教えを学び求めよう」と心から喜ぶのです。 このように、私は汚れた行いをしているか、していないか。私は汚れに染まっているか、染まっていないか。私は沈黙して恨みを抱えているか、そうでないか。私は偽りやお世辞を言っているか、言っていないか。私は物惜しみや嫉妬をしているか、していないか。私は恥じることなく愧じることもないか、恥じ愧じる心があるか。私は怒りや害意を持っているか、持っていないか。私は怒った言葉を発しているか、発していないか。私は他の比丘を非難しているか、非難していないか。私は他の比丘を軽蔑しているか、軽蔑していないか。私は他の比丘の過失を暴いているか、暴いていないか。私は互いに避け合っているか、避け合っていないか。私は無駄話をしているか、していないか。私は沈黙、怒り、憎しみ、妬みに燃えているか、そうでないか。私は悪い友や仲間を持っているか、持っていないか。私は恩を知らず、恩を忘れているか、そうでないか。 皆さん、比丘が自ら観察する時、もし自分に恩を知らず恩を忘れる心があると知れば、喜ばず、それを断とうと努めます。皆さん、比丘が観察して、自分に恩を知らず恩を忘れる心がないと知れば、すぐに喜び、「私は清らかだ。尊い教えを学び求めよう」と心から喜ぶのです。 皆さん、ちょうど目のある人が鏡で自分の顔を映し、その顔が清らかか汚れているかを見るようなものです。皆さん、もし目のある人が自分の顔に汚れを見つければ、喜ばず、すぐに洗い落とそうとします。皆さん、もし目のある人が自分の顔に汚れがないと見れば、すぐに喜び、「私の顔は清らかだ」と喜ぶのです。」

「諸賢！如是若比丘觀時，則知我無恩、不知恩者，則不歡悅，便求欲斷。諸賢！若比丘觀時，則知我不無恩、不知恩者，即便歡悅，我自清淨，求學尊法，是故歡悅。因歡悅故，便得歡喜。因歡喜故，便得止身。因止身故，便得覺樂。因覺樂故，便得定心。諸賢！多聞聖弟子因定心故，便見如實、知如真。因見如實、知如真故，便得厭。因厭故，便得無欲。因無欲故，便得解脫。因解脫故，便得知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。」

> 「皆さん、このように比丘が観察する時、自分に恩を知らない恩知らずの者がいれば喜ばず、それを断ち切ろうと求めるのです。皆さん、比丘が観察する時、自分に恩を知らない恩知らずの者がいなければ喜び、『私は自ら清らかで、尊い法を学び求めている、それゆえ喜んでいる』と知ります。喜びがあるから歓喜が生まれ、歓喜があるから身体が静まり、身体が静まるから安楽を感じ、安楽を感じるから心が定まります。皆さん、よく学んだ聖なる弟子は、心が定まることによって、物事をありのままに見て、真実を如実に知ります。物事をありのままに見て真実を知るからこそ、厭離（あんり）の心が生まれ、厭離の心があるから無欲が生まれ、無欲があるから解脱が得られます。解脱があるから、解脱したという智慧が得られ、『生は尽き、清らかな修行は完成し、なすべきことは成し遂げ、迷いの生存を再び受けることはない』と、真実の通りに知るのです。」

尊者大目揵連所說如是。彼諸比丘聞尊者大目揵連所說，歡喜奉行。比丘請經第三竟千五百六十三字

> 尊者の大目揵連がこのように説きました。その比丘たちは、尊者の大目揵連の説法を聞いて、喜び、それを実践しました。比丘請経第三終わり<note>千五百六十三字</note>