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title: "中阿含經 · 91 周那問見經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （九一）中阿含穢品周那問見經第五第二小土城誦

> 周那が見解を問う経 第五

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊拘舍彌，在瞿師羅園。

> ある時、仏陀はコーサンビーに滞在し、瞿師羅園にいました。

於是，尊者大周那則於晡時從宴坐起，往詣佛所，稽首佛足，却坐一面，白曰：「世尊！世中諸見生而生，謂計有神，計有眾生，有人、有壽、有命、有世。世尊！云何知，云何見，令此見得滅、得捨離，而令餘見不續，不受耶？」

> そこで、尊者マハーチュンダは夕方に坐禅から立ち上がり、釈尊のもとへ向かい、足に礼拝してから一方に座り、こう申し上げた。 「世尊よ。世の中では、さまざまな見解が生じては消えていきます。それらは『霊的なものがある』『生きとし生けるものがある』『人間がある』『寿命がある』『命がある』『世界がある』と主張します。世尊よ、どのように知り、どのように見れば、これらの見解が消え去り、捨て去られ、他の見解が続かず、受け入れられなくなるのでしょうか？」

彼時，世尊告曰：「周那！世中諸見生而生，謂計有神，計有眾生，有人、有壽、有命、有世。周那！若使諸法滅盡無餘者，如是知、如是見，令此見得滅、得捨離，而令餘見不續、不受，當學漸損。

> その時、世尊はお告げになりました。「チュンダよ、世の中には様々な見解が生じては現れる。すなわち、霊的な存在があると見なし、生きとし生けるものがあると見なし、人、寿命、生命、世界があると見なすことである。チュンダよ、もし諸々の法（現象）が残らず滅び尽くすならば、このように知り、このように見ることによって、これらの見解を滅ぼし、捨て去らせ、他の見解が続かず、受け入れられないようにせよ。徐々に減らしていくことを学ぶべきである。」

「周那！於聖法、律中，何者漸損？比丘者，離欲、離惡不善之法，至得第四禪成就遊，彼作是念：『我行漸損。』周那！於聖法、律中，不但是漸損，有四增上心現法樂居，行者從是起而復還入，彼作是念：『我行漸損。』周那！於聖法、律中，不但是漸損，比丘者度一切色想，至得非有想非無想處成就遊，彼作是念：『我行漸損。』周那！於聖法、律中不但是漸損，有四息解脫，離色得無色，行者從是起當為他說，彼作是念：『我行漸損。』

> 周那、聖なる教えと戒律において、何が徐々に減らすこと（漸損）なのか？比丘は、欲望を離れ、悪しき不善の法を離れ、第四禅の境地に達して安住する。彼は思う『私は徐々に減らしている』と。周那、聖なる教えと戒律において、これは単なる漸損ではない。四つの増上心（より高められた心）による現世の安楽の住まいがあり、修行者はそこから立ち上がり、また戻って入る。彼は思う『私は徐々に減らしている』と。周那、聖なる教えと戒律において、これは単なる漸損ではない。比丘は、あらゆる色の想いを超え、非想非非想処の境地に達して安住する。彼は思う『私は徐々に減らしている』と。周那、聖なる教えと戒律において、これは単なる漸損ではない。四つの息解脱（休息による解脱）があり、色を離れ無色を得る。修行者はそこから立ち上がり、他の者のために説くべきである。彼は思う『私は徐々に減らしている』と。

「周那！於聖法、律中不但是漸損。周那！他有惡欲、念欲，我無惡欲、念欲，當學漸損。周那！他有害意瞋，我無害意瞋，當學漸損。周那！他有殺生、不與取、非梵行，我無非梵行，當學漸損。周那！他有增伺、諍意、睡眠所纏、調貢高而有疑惑，我無疑惑，當學漸損。周那！他有瞋結、諛諂、欺誑、無慙、無愧，我有慙愧，當學漸損。周那！他有慢，我無慢，當學漸損。周那！他有增慢，我無增慢，當學漸損。周那！他不多聞，我有多聞，當學漸損。周那！他不觀諸善法，我觀諸善法，當學漸損。周那！他行非法惡行，我行是法妙行，當學漸損。周那！他有妄言、兩舌、麤言、綺語、惡戒，我無惡戒，當學漸損。周那！他有不信、懈怠、無念、無定而有惡慧，我無惡慧，當學漸損。

> 周那、聖なる法と戒律においては、このような漸進的な減らし方だけがあるのではない。周那、もし他人に悪しき欲求や妄念があっても、私は悪しき欲求や妄念を持たない。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人に害意や怒りがあっても、私は害意や怒りを持たない。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人が殺生・盗み・不浄行をしていても、私は不浄行をしない。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人に執着心・争い心・眠気に絡まれること・高慢・疑惑があっても、私は疑惑がない。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人に怒りの束縛・お世辞・欺瞞・恥知らず・後ろめたさがなくても、私は恥と後ろめたさがある。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人に慢心があっても、私は慢心がない。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人に増上慢（過度の慢心）があっても、私は増上慢がない。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人が多聞（多くの教えを聴くこと）でなくても、私は多聞である。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人が善い教えを観察しなくても、私は善い教えを観察する。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人が非法（真理に反する行い）や悪行を行っても、私は法にかなった善い行いを行う。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人に虚偽の言葉・二枚舌・荒い言葉・無意味な言葉・悪い戒律があっても、私は悪い戒律がない。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。周那、もし他人に不信仰・怠惰・無念（気づきの欠如）・無定（心の散乱）・悪しき智慧があっても、私は悪しき智慧がない。そう学ぶことで漸進的に減らしていくべきである。

「周那！若但發心念欲求學諸善法者，則多所饒益，況復身、口行善法耶？周那！他有惡欲、念欲，我無惡欲、念欲，當發心。周那！他有害意瞋，我無害意瞋，當發心。周那！他有殺生、不與取、非梵行，我無非梵行，當發心。周那！他有增伺、諍意、睡眠所纏、調貢高而有疑惑，我無疑惑，當發心。周那！他有瞋結、諛諂、欺誑、無慙、無愧，我有慙愧，當發心。周那！他有慢，我無慢，當發心。周那！他有增慢，我無增慢，當發心。周那！他不多聞，我有多聞，當發心。周那！他不觀諸善法，我觀諸善法，當發心。周那！他行非法惡行，我行是法妙行，當發心。周那！他有妄言、兩舌、麤言、綺語、惡戒，我無惡戒，當發心。周那！他有不信、懈怠、無念、無定而有惡慧，我無惡慧，當發心。

> 周那よ、ただ善い教えを学びたいと心に願いを起こすだけでも、多くの利益がある。ましてや、身や口で善い行いを実践すればなおさらである。 周那よ、もし他の人に悪い欲望や邪な思いがあっても、私はそれらを持たないように心を起こそう。 周那よ、もし他の人に害意や怒りがあっても、私はそれらを持たないように心を起こそう。 周那よ、もし他の人が殺生や盗み、不浄な行いをしても、私はそれらを行わないように心を起こそう。 周那よ、もし他の人が執着や争い心、眠気に悩まされ、高慢で疑いに満ちていても、私は疑いを持たないように心を起こそう。 周那よ、もし他の人が怒りの束縛、お世辞、欺き、恥知らず、反省のなさを持っていても、私は恥と反省の心を持つように心を起こそう。 周那よ、もし他の人に慢心があっても、私は慢心を持たないように心を起こそう。 周那よ、もし他の人に過剰な慢心があっても、私は過剰な慢心を持たないように心を起こそう。 周那よ、もし他の人の学問が浅くても、私は多くの学問を持つように心を起こそう。 周那よ、もし他の人が善い教えを観察しなくても、私は善い教えを観察するように心を起こそう。 周那よ、もし他の人が間違った悪い行いをしても、私は正しい良い行いを実践するように心を起こそう。 周那よ、もし他の人が嘘、中傷、荒々しい言葉、無意味な言葉、悪い戒律を持っていても、私は悪い戒律を持たないように心を起こそう。 周那よ、もし他の人に信の心がなく、怠け、気づきがなく、心が定まらず、悪い智慧があっても、私は悪い智慧を持たないように心を起こそう。

「周那！猶如惡道與正道對，猶如惡度與正度對。如是，周那！惡欲者與非惡欲為對。害意瞋者與不害意瞋為對。殺生、不與取、非梵行者與梵行為對。增伺、諍意、睡眠、調貢高、疑惑者與不疑惑為對。瞋結、諛諂、欺誑、無慙、無愧者與慙愧為對。慢者與不慢為對。增慢者與不增慢為對。不多聞者與多聞為對。不觀諸善法者與觀諸善法為對。行非法惡行者與行是法妙行為對。妄言、兩舌、麤言、綺語、惡戒者與善戒為對。不信、懈怠、無念、無定、惡慧者與善慧為對。

> 「ジュンナよ。例えば、悪い道と正しい道があり、悪い渡し場と正しい渡し場があるように、ジュンナよ、そのようにして、悪い欲を持つ者と、悪い欲を持たない者は対をなす。怒りと憎しみの心を持つ者と、怒りと憎しみの心を持たない者は対をなす。命あるものを殺す者、与えられないものを取る者、梵行（清らかな行い）をしない者は、梵行を行う者と対をなす。欲望を増やす者、争いの心を持つ者、眠気におそわれる者、おごり高ぶる者、疑い深い者は、疑わない者と対をなす。怒りの束縛、へつらい、欺き、恥じることなく、慚じることのない者は、恥じること、慚じることのある者と対をなす。傲慢な者は、傲慢でない者と対をなす。増上慢の者は、増上慢でない者と対をなす。多く聞かない者は、多く聞く者と対をなす。善い法をよく観察しない者は、善い法をよく観察する者と対をなす。法にかなわない悪い行いをする者は、法にかなった善い行いをする者と対をなす。偽りの言葉、離間の言葉、荒々しい言葉、飾りの言葉、悪い戒律を持つ者は、善い戒律を持つ者と対をなす。信じることなく、怠け、気づくことなく、定めがなく、悪い智慧を持つ者は、善い智慧を持つ者と対をなす。」

「周那！或有法黑，有黑報，趣至惡處。或有法白，有白報，而得昇上。如是，周那！惡欲者，以非惡欲為昇上。害意瞋者，以不害意瞋為昇上。殺生、不與取、非梵行者，以梵行為昇上。增伺、諍意、睡眠、調貢高、疑惑者，以不疑惑為昇上。瞋結、諛諂、欺誑、無慙、無愧者，以慙愧為昇上。慢者，以不慢為昇上。增慢者，以不增慢為昇上。不多聞者，以多聞為昇上。不觀諸善法者，以觀諸善法為昇上。行非法惡行者，以行是法妙行為昇上。妄言、兩舌、麤言、綺語、惡戒者，以善戒為昇上。不信、懈怠、無念、無定、惡慧者，以善慧為昇上。

> 「チュンダよ、世には黒い法があり、黒い報いをもたらして、悪いところへ行くものがある。また、白い法があり、白い報いをもたらして、すぐれた境地に昇るものがある。 同じように、チュンダよ、欲望の悪い者は、欲望のないことをもってよりすぐれたものとする。 害そうとする心や怒りのある者は、害さない心や怒りのないことをもってよりすぐれたものとする。 命を奪うこと、与えられないものを取ること、清らかでない行いをする者は、清らかな行いをもってよりすぐれたものとする。 ねたみ、争いを好む心、眠り、高ぶり、慢心、疑いのある者は、疑いのないことをもってよりすぐれたものとする。 怒りのわながあり、お世辞、ごまかし、恥じることなく、はじることのない者は、恥じることとはじることをもってよりすぐれたものとする。 慢心のある者は、慢心のないことをもってよりすぐれたものとする。 増上慢のある者は、増上慢のないことをもってよりすぐれたものとする。 聞くことの少ない者は、多く聞くことをもってよりすぐれたものとする。 善い教えを観ない者は、善い教えを観ることをもってよりすぐれたものとする。 正しくない法や悪い行いをする者は、正しい法にかなった善い行いをすることをもってよりすぐれたものとする。 偽りの言葉、仲違いさせる言葉、荒い言葉、無駄な言葉、悪い戒めのある者は、良い戒めをもってよりすぐれたものとする。 信じることなく、怠け、心を落ち着けず、定まらず、悪い智慧のある者は、善い智慧をもってよりすぐれたものとする。」

「周那！若有不自調御，他不調御欲調御者，終無是處。自沒溺，他沒溺欲拔出者，終無是處。自不般涅槃，他不般涅槃令般涅槃者，終無是處。周那！若有自調御，他不調御欲調御者，必有是處。自不沒溺，他沒溺欲拔出者，必有是處。自般涅槃，他不般涅槃令般涅槃者，必有是處。如是。周那！惡欲者，以非惡欲為般涅槃。害意瞋者，以不害意瞋為般涅槃。殺生、不與取、非梵行者，以梵行為般涅槃。增伺、諍意、睡眠、調貢高、疑惑者，以不疑惑為般涅槃。瞋結、諛諂、欺誑、無慙、無愧者，以慙愧為般涅槃。慢者，以不慢為般涅槃。增慢者，以不增慢為般涅槃。不多聞者，以多聞為般涅槃。不觀諸善法者，以觀諸善法為般涅槃。行非法惡行者，以行是法妙行為般涅槃。妄言、兩舌、麤言、綺語、惡戒者，以善戒為般涅槃。不信、懈怠、無念、無定、惡慧者，以善慧為般涅槃。

> 周那（ジュナよ）、もし自分自身を制御できていない者が、他人を制御しようとしても、それは決してありえないことである。自分自身が溺れている者が、他人を溺れから救い出そうとしても、それは決してありえないことである。自分自身が涅槃に達していない者が、他人を涅槃に導こうとしても、それは決してありえないことである。 周那よ、しかし、自分自身を制御できている者が、他人を制御しようとすれば、それは必ず可能となる。自分自身が溺れていない者が、他人を溺れから救い出そうとすれば、それは必ず可能となる。自分自身が涅槃に達している者が、他人を涅槃に導こうとすれば、それは必ず可能となる。 このように、周那よ、悪い欲望を持つ者は、悪い欲望を持たないことによって涅槃に至る。害意や怒りを持つ者は、害意や怒りを持たないことによって涅槃に至る。殺生、盗み、不浄行を行う者は、清らかな行いによって涅槃に至る。嫉み、争い、眠気、高ぶり、慢心、疑惑を持つ者は、疑惑を持たないことによって涅槃に至る。怒りや執着、へつらい、欺き、恥じることなく、愧じることのない者は、恥じる心と愧じる心によって涅槃に至る。 慢心のある者は、慢心のないことによって涅槃に至る。増上慢のある者は、増上慢のないことによって涅槃に至る。あまり多くを聞かない者は、多くを聞くことによって涅槃に至る。善い法を観察しない者は、善い法を観察することによって涅槃に至る。非法で悪しき行いをする者は、正しい法にかなった善い行いによって涅槃に至る。 嘘、二枚舌、荒い言葉、無駄話、悪い戒律を持つ者は、善い戒律によって涅槃に至る。信じることなく、怠け、心が散乱し、定まらず、悪しき智慧を持つ者は、善い智慧によって涅槃に至るのである。

「是為，周那！我已為汝說漸損法，已說發心法，已說對法，已說昇上法，已說般涅槃法。如尊師所為弟子起大慈哀憐念愍傷，求義及饒益，求安隱快樂者，我今已作。汝等亦當復自作，至無事處山林樹下空安靜處，坐禪思惟，勿得放逸，勤加精進，莫令後悔。此是我之教勅，是我訓誨。」

> 「周那よ。このようにして、私はあなたたちに漸損法（少しずつ執着を減らす教え）を示し、発心法（悟りを求める心を起こす教え）を示し、対法（煩悩に対応する教え）を示し、昇上法（より高い境地に進む教え）を示し、般涅槃法（完全な悟りに至る教え）を示しました。 師として弟子たちのために、深い慈しみに満ち、哀れみ、思いやり、意味と利益を求め、安らぎと幸福を願い行うべきことを、私はすでにすべて果たしました。 これからは、あなたたち自身が、自らの力で実践しなさい。静かな場所、山の中や林の下、空き地の静けさの中で、坐禅し思いを巡らせ、怠ることなく励み精進しなさい。そうすれば、後悔することはありません。 これが私の教えであり、私の訓えです。」

佛說如是。尊者大周那及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏はこのようにお説きになった。尊者マハー・チュンダ（大周那）や比丘たちは、仏の教えを聞いて、喜び、深く心に刻んで実践した。

周那問見經第五竟千五百七十五字

> 周那が見について問う経、第五のおわり。 <note>千五百七十五字</note>