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title: "中阿含經 · 93 水淨梵志經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （九三）中阿含穢品水淨梵志經第七第二小土城誦

> （九三）中阿含 穢品 水淨梵志経 第七<note>第二小土城誦</note

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊欝鞞羅尼連然河岸，在阿耶惒羅尼拘類樹下，初得道時。

> ある時、仏陀は鬱鞞羅（ウルヴェーラー）の尼連禅河（ネーランジャラー川）の岸辺に滞在されました。アヤパーラの榕樹の根元で、初めて悟りを開かれたばかりの頃のことです。

於是，有一水淨梵志，中後仿佯往詣佛所。世尊遙見水淨梵志來，因水淨梵志故，告諸比丘：「若有二十一穢污於心者，必至惡處，生地獄中。云何二十一穢？邪見心穢、非法欲心穢、惡貪心穢、邪法心穢、貪心穢、恚心穢、睡眠心穢、調悔心穢、疑惑心穢、瞋纏心穢、不語結心穢、慳心穢、嫉心穢、欺誑心穢、諛諂心穢、無慙心穢、無愧心穢、慢心穢、大慢心穢、慢慠心穢、放逸心穢。若有此二十一穢污於心者，必至惡處，生地獄中。猶垢膩衣持與染家，彼染家得，或以淳灰、或以澡豆、或以土漬極浣，令淨此垢膩衣。染家雖治，或以淳灰、或以澡豆、或以土漬極浣令淨，然此污衣故有穢色。如是，若有二十一穢污於心者，必至惡處，生地獄中。云何二十一穢？邪見心穢、非法欲心穢、惡貪心穢、邪法心穢、貪心穢、恚心穢、睡眠心穢、調悔心穢、疑惑心穢、瞋纏心穢、不語結心穢、慳心穢、嫉心穢、欺誑心穢、諛諂心穢、無慙心穢、無愧心穢、慢心穢、大慢心穢、慢慠心穢、放逸心穢。若有此二十一穢污於心者，必至惡處，生地獄中。

> ある時、一人の水浄梵志が、午後にぶらぶらと歩きながら仏のもとへやって来ました。世尊は遠くからその水浄梵志が来るのをご覧になり、彼に因んで比丘たちにこう告げられました。 「もし心に二十一の汚れがあるならば、必ず悪い場所、すなわち地獄に生まれることになる。では、その二十一の汚れとは何か。それは、誤った見解という心の汚れ、理にかなわない欲望という心の汚れ、悪しき貪りという心の汚れ、邪な行いという心の汚れ、執着という心の汚れ、怒りという心の汚れ、眠気という心の汚れ、落ち着きのなさと後悔という心の汚れ、疑いという心の汚れ、憎しみに絡め取られる心の汚れ、心を閉ざして語らないという心の汚れ、けちという心の汚れ、ねたみという心の汚れ、ごまかしという心の汚れ、お世辞という心の汚れ、恥じらいのない心の汚れ、はじのない心の汚れ、慢心という心の汚れ、大きな慢心という心の汚れ、思い上がりという心の汚れ、放逸という心の汚れである。もし心にこれら二十一の汚れがあるならば、必ず悪い場所、地獄に生まれることになる。 たとえば、油で汚れた衣を染め屋に持っていくとする。染め屋はそれを、灰汁や洗剤や泥水で何度も洗って、きれいにしようと試みる。しかし、染め屋がいくら洗っても、その衣にはまだ汚れが残っている。同じように、もし心に二十一の汚れがあるならば、必ず悪い場所、地獄に生まれることになる。」

「若有二十一穢不污心者，必至善處，生於天上。云何二十一穢？邪見心穢、非法欲心穢、惡貪心穢、邪法心穢、貪心穢、恚心穢、睡眠心穢、調悔心穢、疑惑心穢、瞋纏心穢、不語心心穢、慳心穢、嫉心穢、欺誑心穢、諛諂心穢、無慙心穢、無愧心穢、慢心穢、大慢心穢、憍慠心穢、放逸心穢。若有此二十一穢不污心者，必至善處，生於天上。猶如白淨波羅奈衣持與染家，彼染家得，或以淳灰、或以澡豆、或以土漬極浣令淨；此白淨波羅奈衣，染家雖治，或以淳灰、或以澡豆、或以土漬極浣令淨，然此白淨波羅奈衣本已淨而復淨。如是若有二十一穢不污心者，必至善處，生於天上。云何二十一穢？邪見心穢、非法欲心穢、惡貪心穢、邪法心穢、貪心穢、恚心穢、睡眠心穢、調悔心穢、疑惑心穢、瞋纏心穢、不語結心穢、慳心穢、嫉心穢、欺誑心穢、諛諂心穢、無慙心穢、無愧心穢、慢心穢、大慢心穢、憍慠心穢、放逸心穢。若有此二十一穢不污心者，必至善處，生於天上。

> もし、この21の心の汚れに心を染められることのない人がいれば、必ず良い場所に至り、天に生まれます。その21の汚れとは何でしょうか。それは、誤った見解という心の汚れ、正しくない欲望という心の汚れ、悪い貪りという心の汚れ、間違った教えという心の汚れ、貪欲という心の汚れ、怒りという心の汚れ、眠気という心の汚れ、後悔と落ち着きのなさという心の汚れ、疑いという心の汚れ、憎しみに絡め取られるという心の汚れ、心を閉ざして語らないという心の汚れ、物惜しみという心の汚れ、嫉妬という心の汚れ、欺き騙すという心の汚れ、お世辞とへつらいという心の汚れ、恥じることのなさという心の汚れ、愧じることのなさという心の汚れ、慢心という心の汚れ、大きな慢心という心の汚れ、おごり高ぶりという心の汚れ、そして放逸という心の汚れです。 もし、この21の心の汚れに心を染められることのない人がいれば、必ず良い場所に至り、天に生まれます。ちょうどそれは、真っ白なバラナシの布を染め屋に渡した時のようなものです。染め屋はそれを受け取り、純粋な灰や洗浄用の粉や土で徹底的に洗って清めます。こうしてその真っ白なバラナシの布は、染め屋が様々な方法で洗ったとしても、元々は清らかだったものが、さらに清められるのです。 同じように、もしこの21の心の汚れに心を染められることのない人がいれば、必ず良い場所に至り、天に生まれます。その21の汚れとは、先ほどと同じく、誤った見解という心の汚れから、放逸という心の汚れまでのことです。 もし、この21の心の汚れに心を染められることのない人がいれば、必ず良い場所に至り、天に生まれます。

「若知邪見是心穢者，知已便斷。如是非法欲心穢、惡貪心穢、邪法心穢、貪心穢、恚心穢、睡眠心穢、調悔心穢、疑惑心穢、瞋纏心穢、不語結心穢、慳心穢、嫉心穢、欺誑心穢、諛諂心穢、無慙心穢、無愧心穢、慢心穢、大慢心穢、憍慠心穢，若知放逸是心穢者，知已便斷，彼心與慈俱，遍滿十方成就遊。如是二三四方、四維上下，普周一切，心與慈俱，無結、無怨、無恚、無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。如是，悲、喜心與捨俱，無結、無怨、無恚、無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。梵志！是謂洗浴內心，非浴外身。」

> 「もしも誤った見解が心の汚れであると知ったならば、それを知ってすぐに断ち切るのです。同様に、欲望にかなわない法、悪い貪り、邪な法、貪りの心、怒りの心、眠気の心、落ち着きのない後悔の心、疑いの心、怒りに縛られる心、言わないことで生じる結びつき、物惜しみの心、妬みの心、欺きの心、お世辞の心、恥じない心、恐れない心、慢心、大いなる慢心、高ぶった油断の心――これらが心の汚れであると知ったならば、知ってすぐに断ち切るのです。 そうしてその心は慈しみと共にあり、十方に遍く満ちわたり、成就して進んでいきます。同様に、東西南北の四方向、さらに四隅と上下、あまねくすべてに行き渡り、心は慈しみと共にあり、とどこおりなく、怨みなく、怒りなく、争いなく、極めて広く大きく、無量に善く修められ、すべての世界に遍く満ちわたり、成就して進んでいきます。 このようにして、悲しみの心、喜びの心、そして捨てる心もまた共にあり、とどこおりなく、怨みなく、怒りなく、争いなく、極めて広く大きく、無量に善く修められ、すべての世界に遍く満ちわたり、成就して進んでいきます。 修行者よ、これを『心の内側を洗い清めること』といい、外側の身体を洗うことではないのです。」

爾時，梵志語世尊曰：「瞿曇！可詣多水河浴。」

> その時、バラモンが世尊に言いました。「ゴータマよ、どうか大水の川に行って沐浴しなさい。」

世尊問曰：「梵志！若詣多水河浴者，彼得何等？」

> 世尊がお尋ねになりました。「バラモンよ、もしあなたがたくさんの水のある川に行って沐浴するなら、どのような功徳があると思いますか？」

梵志答曰：「瞿曇！彼多水河者，此是世間齋潔之相、度相、福相。瞿曇！若詣多水河浴者，彼則淨除於一切惡。」

> バラモンが答えました。「ゴータマよ、その大きな川というのは、この世で清めの象徴、救いの象徴、福徳の象徴です。ゴータマよ、もしもその大きな川で沐浴するならば、その者はあらゆる悪を清め除くことができるのです。」

爾時，世尊為彼梵志而說頌曰：

> その時、世尊はその修行者に向けて、次のように偈を説かれました。

「妙好首梵志， 若入多水河，是愚常遊戲， 不能淨黑業。好首何往泉， 何義多水河，人作不善業， 清水何所益？淨者無垢穢， 淨者常說戒，淨者清白業， 常得清淨行。若汝不殺生， 常不與不取，真諦不妄語， 常正念正知。梵志如是學， 一切眾生安，梵志何還家， 家泉無所淨。梵志汝當學， 淨洗以善法，何須弊惡水， 但去身體垢。」梵志白佛曰： 「我亦作是念，淨洗以善法， 何須弊惡水。」梵志聞佛教， 心中大歡喜，即時禮佛足， 歸命佛法眾。

> 「かしこきバラモンよ、人が大水の川に入っても、 愚か者がいつも遊び戯れていても、黒き業（悪行）を清めることはできません。 かしこき者よ、あなたは泉へ何を求めに行くのか。大水の川には何の意味があるのか。 人が不善の業を行ったならば、清い水が何の役に立つというのでしょう。 心清らかな人には汚れや穢れはありません。清らかな人は常に戒めを説きます。 清らかな人は白き業（清らかな行い）をなし、常に清らかな生き方を得るのです。 もしあなたが殺生をせず、常に与えられていないものを取らず、 真実の言葉を語り偽りなく、常に正しい心と正しい智慧を持ちなさい。 バラモンよ、このように学ぶならば、すべての生きとし生けるものが安らかになります。 バラモンよ、あなたは家へ帰って何をするのですか。家庭の泉が何を清めるわけでもありません。 バラモンよ、あなたは善い教えによって清らかに洗われるべきであり、 どうして悪しき濁った水など必要としましょう。ただ身体の汚れを洗い流すためのものでしかありません。」 バラモンは仏に申し上げました。「私もそのように考えます。 善い教えによって清らかに洗われるべきであり、どうして悪しき濁った水など必要としましょう。」 バラモンは仏の教えを聞き、心の内に大きな喜びが生まれました。 すぐに仏の御足に礼拝し、仏と法と僧に帰依いたしました。

梵志白曰：「世尊！我已知。善逝！我已解。我今自歸佛、法及比丘眾，唯願世尊受我為優婆塞，從今日始，終身自歸，乃至命盡。」

> 在家者が言いました。「世尊よ、私はもう分かりました。善逝よ、私はもう理解しました。私は今から仏、法、そして僧団に帰依いたします。どうか世尊よ、私を在家信者としてお受け入れください。今日から生涯、命の終わるまで帰依いたします。」

佛說如是。好首水淨梵志及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏はこのように説かれた。清らかな水を好むヴァラモン（好首水浄梵志）や比丘たちは、仏の教えを聞いて、喜び、その通りに実践した。

水淨梵志經第七竟一千二百一十字

> 『水浄梵志経』 第七 終わり<note>千二百十文字</note>