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title: "中阿含經 · 94 黑比丘經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （九四）中阿含穢品黑比丘經第八第二小土城誦

> （九四）中阿含経 穢品 黒比丘経 第八

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在東園鹿母堂。

> ある時、仏陀はシャーラヴァスティー国に滞在されました。東園の鹿母堂（ろくぼどう）にいらっしゃいました。

是時，黑比丘鹿母子常憙鬪諍，往詣佛所。世尊遙見黑比丘來，因黑比丘故，告諸比丘：「或有一人常喜鬪諍，不稱止諍。若有一人常喜鬪諍，不稱止諍者，此法不可樂，不可愛喜，不能令愛念，不能令敬重，不能令修習，不能令攝持，不能令得沙門，不能令得一意，不能令得涅槃。

> そのとき、黒比丘（鹿母子）は常に争いを好み、仏のもとへとやって来ました。世尊は黒比丘が来るのを遠くから見て、黒比丘のことをきっかけにして、比丘たちにこう告げられました。「ある人が常に争いを好み、争いをやめようとしないならば、その法は喜ばしいものではなく、愛し愛されるものではなく、敬われるものではなく、修行されるものではなく、心に留められるものではなく、沙門の境地を得ることもなく、心を一つにすることもなく、涅槃に至ることもありません。」

「或有一人惡欲，不稱止惡欲。若有一人惡欲，不稱止惡欲者，此法不可樂，不可愛憙，不能令愛念，不能令敬重，不能令修習，不能令攝持，不能令得沙門，不能令得一意，不能令得涅槃。

> ある人に、悪しき欲望があり、その悪しき欲望を止めることがないとします。このような人は、この教えを楽しむことができず、愛することも喜ぶこともできません。また、愛着を生じさせず、敬い尊重することもなく、修行することもなく、心に留めることもなく、沙門の境地を得ることもなく、心を一つにすることもなく、涅槃に達することもないのです。

「或有一人犯戒、越戒、缺戒、穿戒、污戒，不稱持戒。若有一人犯戒、越戒、缺戒、穿戒、污戒、不稱持戒者，此法不可樂，不可愛憙，不能令愛念、不能令敬重，不能令修習，不能令攝持，不能令得沙門，不能令得一意，不能令得涅槃。

> ある人が戒律を破り、戒律を越え、戒律を欠き、戒律に穴を開け、戒律を汚し、戒律を守っているとは言えない状態にあるとします。もしそのような人がいるならば、その人の行いは楽しいものではなく、愛すべきものではなく、人に愛されず、敬われることもなく、修行の助けにもならず、心を一つにすることもできず、涅槃に至ることもできません。

「或有一人有瞋纏、有不語結、有慳嫉、有諛諂欺誑、有無慙無愧，不稱慙愧。若有一人有瞋纏、有不語結、有慳嫉、有諛諂欺誑、有無慙無愧、不稱慙愧者，此法不可樂，不可愛憙，不能令愛念，不能令敬重，不能令修習，不能令攝持，不能令得沙門，不能令得一意，不能令得涅槃。

> ある人が、怒りの心に絡め取られ、言葉を交わさないという結びつきを持ち、物惜しみと嫉妬があり、お世辞や嘘、欺きがあり、恥じる心も慎む心もなく、恥や慎みを大切にしないとします。そのような人が持つこれらの性質は、楽しいものではありません。愛され喜ばれるものではなく、愛情を引き起こすことも、敬い重んじられることもなく、実践や修行を促すことも、心をしっかりと保つことも、修行者としての境地を得ることも、心を一つに統一することも、涅槃に至ることもありません。

「或有一人不經勞諸梵行，不稱經勞諸梵行。若有一人不經勞諸梵行，不稱經勞諸梵行者，此法不可樂，不可愛憙，不能令愛念，不能令敬重，不能令修習，不能令攝持，不能令得沙門，不能令得一意，不能令得涅槃。

> ある人が修行の道を歩むことなく、修行の道における努力を称えられないとする。そのような人にとって、この教えは楽しくなく、愛しくなく、敬われず、重んじられず、修習されることもなく、心に保たれることもなく、沙門の境地に至ることもなく、一意を得ることもなく、涅槃に至ることもない。

「或有一人不觀諸法，不稱觀諸法。若有一人不觀諸法，不稱觀諸法者，此法不可樂，不可愛憙，不能令愛念，不能令敬重，不能令修習，不能令攝持，不能令得沙門，不能令得一意，不能令得涅槃。

> ある人が諸法（すべてのものごと）を観察せず、またそれをよく思わないならば、その法（教え）は喜ばしいものではなく、愛しいものではなく、心を引きつけることも、敬い大切に思われることもなく、実践されることも、しっかりと心に保たれることもなく、修行の道を完成させることも、心をひとつに集中させることも、涅槃に至ることもありません。

「或有一人不宴坐，不稱宴坐。若有一人不宴坐，不稱宴坐者，此法不可樂，不可愛憙，不能令愛念，不能令敬重，不能令修習，不能令攝持，不能令得沙門，不能令得一意，不能令得涅槃。此人雖作是念：『令諸梵行者供養、恭敬、禮事於我。』然諸梵行者不供養、恭敬、禮事於彼。所以者何？彼人有此無量惡法，因彼有此無量惡法故，令諸梵行者不供養、恭敬、禮事於彼。猶如惡馬繫在櫪養，雖作是念：『令人繫我著安隱處，與我好飲食、好看視我。』然人不繫著安隱處，不與好飲食、不好看視。所以者何？彼馬有惡法，謂極麁弊、不溫良故，令人不繫著安隱處，不與好飲食、不好看視。如是，此人雖作是念：『令諸梵行者供養、恭敬、禮事於我。』然諸梵行者不供養、恭敬、禮事於彼。所以者何？彼人有此無量惡法，因彼有此無量惡法故，令諸梵行者不供養、恭敬、禮事於彼。

> ある人は、静かに坐って修行することをせず、また静かに坐って修行する人を称賛しません。そのように静かに坐らない人、また静かに坐る人を称賛しない人には、この法（教え）は楽しいものではなく、喜ばしいものではなく、愛着を生むものではなく、敬われるものではなく、修行されるものではなく、心に保たれるものではなく、沙門（修行者）の境地を得させず、心を一つに集中させず、涅槃（悟り）を得させることもありません。その人は「修行仲間たちが私を供養し、敬い、尊び、もてなしてくれるように」と願うかもしれません。しかし、修行仲間たちはその人を供養せず、敬いもせず、尊ばず、もてなさないのです。なぜなら、その人にはこのような計り知れない悪い性質があるからです。その悪い性質のために、修行仲間たちはその人を供養せず、敬いもせず、尊ばず、もてなさないのです。まるで、荒々しい馬が厩につながれていて、「人々が私を安全な場所につなぎ、良い食べ物を与え、よく世話してくれますように」と思っても、人々はその馬を安全な場所につながず、良い食べ物を与えず、丁寧に世話もしないのと同じです。なぜなら、その馬には粗暴で従順でないという悪い性質があるからです。その悪い性質のために、人々は安全な場所につながず、良い食べ物を与えず、丁寧に世話をしないのです。これと同じように、その人は「修行仲間たちが私を供養し、敬い、尊び、もてなしてくれるように」と願っても、修行仲間たちはその人を供養せず、敬いもせず、尊ばず、もてなさないのです。なぜなら、その人にはこのような計り知れない悪い性質があり、その悪い性質のために、修行仲間たちはその人を供養せず、敬いもせず、尊ばず、もてなさないからです。

「或有一人不憙鬪諍，稱譽止諍。若有一人不憙鬪諍，稱譽止諍者，此法可樂、可愛、可憙，能令愛念，能令敬重，能令修習，能令攝持，能令得沙門，能令得一意，能令得涅槃。

> ある人が闘争を好まず、争いを鎮めることを称賛するならば、その人の教えや行いは楽しく、愛しく、喜ばしいものとなります。それは愛情を生み、尊敬を集め、修行を促し、心を捉え、沙門の境地に至らせ、一意専心をもたらし、涅槃へと導くのです。

「或有一人不惡欲，稱譽止惡欲。若有一人不惡欲，稱譽止惡欲者，此法可樂、可愛、可憙，能令愛念，能令敬重，能令修習，能令攝持，能令得沙門，能令得一意，能令得涅槃。

> ある人は欲望を嫌悪せず、むしろ欲望を止めることを称賛します。 もし欲望を嫌悪せず、欲望を止めることを称賛する人がいるならば、 この教えは楽しむべきもの、愛すべきもの、喜ぶべきものです。 それは人の心を引きつけ、敬わせ、修行させ、保たせ、 沙門の境地を得させ、心を一つにさせ、涅槃に至らせることができます。

「或有一人不犯戒、不越戒、不缺戒、不穿戒、不污戒，稱譽持戒。若有一人不犯戒、不越戒、不缺戒、不穿戒、不污戒，稱譽持戒者，此法可樂、可愛、可喜，能令愛念，能令敬重，能令修習，能令攝持，能令得沙門、能令得一意，能令得涅槃。

> ある人が戒律を犯さず、戒律を越えず、戒律を欠かさず、戒律を破らず、戒律を汚さず、戒律を守ることを称賛するとする。もし別の人が戒律を犯さず、戒律を越えず、戒律を欠かさず、戒律を破らず、戒律を汚さず、戒律を守ることを称賛するならば、この教えは楽しく、愛しく、喜ばしく、愛情を抱かせ、敬意を抱かせ、修行を促し、心を保たせ、沙門の境地を得させ、一心不乱にさせ、涅槃へと導くのである。

「或有一人無瞋纏、無不語結、無慳嫉、無諛諂欺誑、無無慙無愧，稱譽慙愧。若有一人無瞋纏、無不語結、無慳嫉、無諛諂欺誑、無無慙無愧，稱譽慙愧者，此法可樂、可愛、可喜，能令愛念，能令敬重，能令修習，能令攝持，能令得沙門，能令得一意，能令得涅槃。

> ある人が、怒りの感情に縛られず、言葉の行き違いに固執せず、物惜しみやねたみがなく、お世辞やへつらい、欺きや偽りがなく、恥知らずや悪びれなさがなく、恥と慎みを尊ぶならば、そのような人の在り方は、実に喜ばしく、愛すべきものであり、心を引きつけます。それは人に敬われ、学び修行するに値し、心を捉えて放さず、修行の境地（沙門の果）を得させ、心を一つに統一させ、ついには悟りの安らぎ（涅槃）へと導くのです。

「或有一人經勞諸梵行，稱譽經勞諸梵行。若有一人經勞諸梵行，稱譽經勞諸梵行者，此法可樂、可愛、可喜，能令愛念，能令敬重，能令修習，能令攝持，能令得沙門，能令得一意，能令得涅槃。

> ある修行者が精進の修行に励み、その精進の修行を称賛している。このような修行者は、喜ばしく、愛しく、楽しいものであり、人々の心を惹きつけ、尊敬を集め、自らの修行を促し、それを保ち、沙門の境地に至らせ、心を一つにし、涅槃に至らせることができる。

「或有一人觀諸法，稱譽觀諸法。若有一人觀諸法，稱譽觀諸法者，此法可樂、可愛、可憙，能令愛念，能令敬重，能令修習，能令攝持，能令得沙門，能令得一意，能令得涅槃。

> ある人が様々な真理を観察し、その観察を称賛する。 そのようにして真理を観察し、その観察を称賛する人にとって、この真理の観察は喜ばしく、愛しく、心地よいものとなる。 それは執着を生み、敬われるものとなり、修行を促し、心を一つに保ち、ついには修行者の境地を得させ、涅槃へと導くのである。

「或有一人宴坐，稱譽宴坐。若有一人宴坐，稱譽宴坐者，此法可樂、可愛、可憙，能令愛念，能令敬重，能令修習，能令攝持，能令得沙門，能令得一意，能令得涅槃。此人雖不作是念：『令諸梵行者供養、恭敬、禮事於我。』然諸梵行者供養、恭敬、禮事於彼。所以者何？彼人有此無量善法，因彼有此無量善法故，令諸梵行者供養、恭敬、禮事於彼。猶如良馬繫在櫪養，雖不作是念：『令人繫我著安隱處，與我好飲食、好看視我。』然人繫彼著安隱處，與好飲食、好看視之。所以者何？彼馬有善法，謂軟調好、極溫良故，令人繫著於安隱處，與好飲食、好看視之。如是，此人雖不作是念：『令諸梵行者供養、恭敬、禮事於我。』然諸梵行者供養、恭敬、禮事於彼。」

> ある人が静かに座り、その静かに座ることを称賛する。もし、ある人が静かに座り、その静かに座ることを称賛するならば、この行いは楽しく、愛すべきものであり、喜ばしく、人に愛着を起こさせ、敬わせ、修行させ、心を捉え、沙門（修行者）の境地を得させ、心を一つにさせ、涅槃に至らせることができる。 この人は、「どうか修行仲間たちが私を供養し、敬い、礼拝し、世話をしてくれますように」とは思わない。しかし、修行仲間たちは自然にその人を供養し、敬い、礼拝し、世話をする。なぜなら、その人にはこの限りない善い法（教え）があり、その限りない善い法があるがゆえに、修行仲間たちはその人を供養し、敬い、礼拝し、世話をするからである。 例えば、良い馬が厩につながれて飼われているとき、その馬は、「どうか人々が私を安全な場所につなぎ、良い食べ物を与え、よく世話をしてくれますように」とは思わない。しかし、人々は自然にその馬を安全な場所につなぎ、良い食べ物を与え、よく世話をする。なぜなら、その馬には良い性質、すなわち、穏やかで調教され、非常に温順であるという性質があるからである。それゆえ、人々はその馬を安全な場所につなぎ、良い食べ物を与え、よく世話をするのだ。 同様に、この人も、「どうか修行仲間たちが私を供養し、敬い、礼拝し、世話をしてくれますように」とは思わない。しかし、修行仲間たちは自然にその人を供養し、敬い、礼拝し、世話をするのである。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

黑比丘經第八竟一千五百二十七字

> 黒比丘経 第八 終わり<note>千五百二十七字</note>