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title: "中阿含經 · 99 苦陰經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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## 中阿含經卷第二十五

> 中阿含経 第二十五巻

東晉罽賓三藏瞿曇僧伽提婆譯

> 東晋・罽賓三蔵・瞿曇僧伽提婆 訳

### （九九）因品苦陰經第三第二小土城誦

> （九九）因品 苦陰経 第三 <note>第二 小土城 誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，諸比丘於中食後，少有所為，集坐講堂。於是眾多異學，中後仿佯往詣諸比丘所，共相問訊，却坐一面，語諸比丘：「諸賢！沙門瞿曇施設知斷欲，施設知斷色，施設知斷覺。諸賢！我等亦施設知斷欲，施設知斷色，施設知斷覺。沙門瞿曇及我等此二知二斷，為有何勝？有何差別？」

> ある時、比丘たちは午後の食事の後、用事があって講堂に集まって座っていた。そこへ多くの異学（他宗の修行者）たちが、午後の散歩の途中で比丘たちのところに訪れ、互いに挨拶を交わした後、一方に座って、比丘たちにこう語った。 「皆さま、沙門ゴータマ（釈尊）は、欲望を理解して断つことを説き、色（物質的なもの）を理解して断つことを説き、感覚（感受）を理解して断つことを説いておられます。皆さま、私たちもまた、欲望を理解して断つことを説き、色を理解して断つことを説き、感覚を理解して断つことを説いています。沙門ゴータマと私たちの、この二つの理解と断ち切りには、どのような優れた点があり、どのような違いがあるのでしょうか？」

於是，諸比丘聞彼眾多異學所說，不是亦不非，默然起去，並作是念：「如此所說，我等當從世尊得知。」便詣佛所，稽首作禮，却坐一面，謂與眾多異學所可共論，盡向佛說。

> そこで、多くの比丘たちは、あの異学たちの説法を聞いて、是ともせず非ともせず、黙って立ち去り、こう思った。「このように説かれたことについて、私たちは世尊から伺おう。」そして、仏のもとへ赴き、頭を地につけて礼をし、片側に座って、異学たちと共に論じたことの全てを仏に語った。

彼時，世尊告諸比丘：「汝等即時應如是問眾多異學：『諸賢！云何欲味？云何欲患？云何欲出要？云何色味？云何色患？云何色出要？云何覺味？云何覺患？云何覺出要？』諸比丘！若汝等作如是問者，彼等聞已，便更互相難說外餘事，瞋諍轉增，必從座起，默然而退。所以者何？我不見此世，天及魔、梵、沙門、梵志、一切餘眾，能知此義而發遣者，唯有如來、如來弟子或從此聞。」

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。「あなたがたは今、多くの異なる教えを説く者たちに、こう問いかけるべきである。『諸賢よ、欲望の味わいとは何か。欲望の患いとは何か。欲望からの出離の要とは何か。物質的なもの（色）の味わいとは何か。物質的なものの患いとは何か。物質的なものからの出離の要とは何か。感覚（覚）の味わいとは何か。感覚の患いとは何か。感覚からの出離の要とは何か。』と。 比丘たちよ、もしあなたがたがこのように問いかければ、彼らはそれを聞いて、互いに難詰し合い、的外れな話に及ぶだろう。怒りと争いはますます増し、必ずや座を立ち、沈黙のまま退いて行くであろう。 なぜなら、私はこの世において、天、魔、梵天、修行者、婆羅門、その他あらゆる者たちの中で、この意味を正しく理解し、それに答えることのできる者を見ないからである。ただ、如来か、あるいは如来の弟子であり、如来からこの教えを聞いた者だけが、それを解き明かすことができるのだ。」

佛言：「云何欲味？謂因五欲功德，生樂生喜，極是欲味，無復過是，所患甚多。

> 仏が言われた。「では、欲の味わいとは何か。五つの欲望がもたらす功德によって、喜びや楽しみが生まれること、これがまさに欲の味わいであり、これ以上のものはない。しかし、それによって生じる悩みもまた非常に多い。」

「云何欲患？族姓子者，隨其伎術以自存活，或作田業、或行治生、或以學書、或明算術、或知工數、或巧刻印、或作文章、或造手筆、或曉經書、或作勇將、或奉事王。彼寒時則寒，熱時則熱，飢渴、疲勞、蚊虻所蜇，作如是業，求圖錢財。彼族姓子如是方便，作如是行，作如是求，若不得錢財者，便生憂苦、愁慼、懊惱，心則生癡，作如是說：『唐作唐苦，所求無果。』彼族姓子如是方便作如是行，作如是求，若得錢財者，彼便愛惜，守護密藏。所以者何？『我此財物，莫令王奪、賊劫、火燒、腐壞、亡失，出財無利，或作諸業，而不成就。』彼作如是守護密藏，若有王奪、賊劫、火燒、腐壞、亡失，便生憂苦、愁慼、懊惱，心則生癡，作如是說：『若有長夜所可愛念者，彼則亡失。』是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> 「では、欲望のわずらいとは何でしょうか。 ある良家の子が、自分の持つ技術によって生計を立てています。田畑の仕事をしたり、商売をしたり、文字を学んだり、算術に通じたり、手工業の技術を知っていたり、印刻に巧みだったり、文章を書いたり、筆の仕事をしたり、経典の書物に通じたり、勇ましい武将になったり、王様に仕えたりします。 そうした人は、寒ければ寒さに耐え、暑ければ暑さに耐え、飢えや渇き、疲労、蚊やあぶの刺しゅうにも耐えながら、そのような仕事をしてお金を求めます。 その良家の子は、そうした手段で、そうした行いをし、そうして求めても、もしお金を得られなければ、憂い苦しみ、思いわずらい、心に迷いを生じ、『無駄に働き、無駄に苦しんだ。求めたものは実らなかった』と言います。 一方、その良家の子が、そうした手段で、そうした行いをし、そうして求めて、もしお金を得たならば、それを愛し惜しみ、大切にしまい込み、密かに守ります。なぜなら、『この財産を、王に奪われたり、賊に奪われたり、火事で焼かれたり、腐ったり壊れたり、失われたりしてはならない。また、財産を使って利益を得ようとしてもうまくいかず、様々な事業を起こしても成功しないことがあってはならない』と思うからです。 このようにして密かに守っていた財産が、もし王に奪われたり、賊に奪われたり、火事で焼かれたり、腐ったり壊れたり、失われたりしたならば、その人は憂い苦しみ、思いわずらい、心に迷いを生じ、『長い間、愛しく大切に思っていたものが、失われてしまった』と言います。 これを、現世における苦しみの集まり（現法苦陰）といいます。それは欲望を原因とし、欲望を縁とし、欲望を根本とするものです。」

「復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，母共子諍，子共母諍，父子、兄弟、姉妹、親族展轉共諍。彼既如是共鬪諍已，母說子惡，子說母惡，父子、兄弟、姉妹、親族更相說惡，況復他人？是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> また、生きとし生けるものは、欲望に執着し、欲望に縛られ、欲望を根本としているため、母と子が争い、子と母が争い、父と子、兄弟、姉妹、親族までもが互いに争い合います。このように争い合った末に、母は子の悪口を言い、子は母の悪口を言い、父と子、兄弟、姉妹、親族も互いに悪口を言い合います。ましてや他人との間ではなおさらです。これを、現世における苦しみの集まりと呼びます。それは欲望に執着し、欲望に縛られ、欲望を根本としているからです。

「復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，王王共諍，梵志梵志共諍，居士居士共諍，民民共諍，國國共諍，彼因鬪諍共相憎故，以種種器仗，轉相加害，或以拳扠石擲，或以杖打刀斫，彼當鬪時，或死、或怖，受極重苦，是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> さらに、衆生は欲望のゆえに、欲望を縁として、欲望を根本としているからこそ、王は王と争い、修行者は修行者と争い、在家の信者は在家の信者と争い、民は民と争い、国は国と争います。それにより、互いに憎み合い、様々な武器を用いて互いに傷つけ合います。拳で打ったり、石を投げたり、杖で殴ったり、刀で斬ったりします。そうして争う時、死んだり、恐怖したりして、非常に激しい苦しみを受けます。これが現世における苦しみの集まりであり、欲望を原因とし、欲望を縁とし、欲望を根本とするものです。

「復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，著鎧被袍，持矟弓箭，或執刀楯入在軍陣，或以象鬪，或馬、或車，或以步軍，或以男女鬪。彼當鬪時，或死、或怖，受極重苦，是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> さらに、衆生は欲望に因り、欲望により、欲望を根本とするがゆえに、鎧をまとい、袍を着て、矛や弓矢を手にしたり、あるいは刀や盾を持って戦場に臨みます。あるいは象で戦い、あるいは馬で、あるいは戦車で、あるいは歩兵で、あるいは男女で戦います。その戦いの時、あるいは死に、あるいは恐れ、極めて重い苦しみを受けます。これを現世の苦しみの集まり（苦陰）といい、欲望に因り、欲望により、欲望を根本とするものです。

「復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，著鎧被袍，持矟弓箭，或執刀楯往奪他國，攻城破塢，共相格戰，打鼓吹角，高聲喚呼，或以槌打，或以鉾戟，或以利輪，或以箭射，或亂下石，或以大弩，或以融銅珠子灑之。彼當鬪時，或死、或怖，受極重苦，是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> さらに、生きとし生けるものは、 欲によって、欲をきっかけとして、欲を根本とするがゆえに、 鎧をまとい、よろいを着け、 矛や弓矢を持ち、あるいは刀や盾を手にして他国に攻め入り、 城を攻め、砦を破り、互いに戦い合う。 太鼓を打ち、法螺貝を吹き、高声に叫び、 あるいは槌で打ち、あるいは矛や戟で突き、 あるいは鋭い輪を投げ、あるいは矢を射かけ、 あるいは石を乱射し、あるいは大きな弩を用い、 あるいは溶けた銅の玉を浴びせる。 彼らが戦うとき、 ある者は死に、ある者はおののき、 極めて重い苦しみを受ける。 これを「現世における苦の集まり」という。 それは欲によって、欲をきっかけとして、欲を根本とするからである。

「復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，著鎧被袍，持矟弓箭，或執刀楯入村、入邑、入國、入城，穿牆發藏，劫奪財物，斷截王路，或至他巷，壞村、害邑、滅國、破城。於中或為王人所捉，種種考治，截手、截足或截手足，截耳、截鼻或截耳鼻，或臠臠割，拔鬚、拔髮或拔鬚髮，或著檻中衣裹火燒，或以沙壅草纏火𤋲，或內鐵驢腹中，或著鐵猪口中，或置鐵虎口中燒，或安銅釜中，或著鐵釜中煮，或段段截，或利叉刺，或鐵鉤鉤，或臥鐵床以沸油澆，或坐鐵臼以鐵杵擣，或龍蛇蜇，或以鞭鞭，或以杖撾，或以棒打，或生貫高標上，或梟其首。彼在其中，或死或怖，受極重苦，是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> また、衆生は欲望によって、欲望を縁として、欲望を根本とするので、鎧をまとい、陣羽織を着て、矛や弓矢を持ち、あるいは刀や盾を手に、村に入り、町に入り、国に入り、城に入り、壁を破って蔵を開き、財物を奪い、王の道を断ち切り、あるいは他の巷に至り、村を壊し、町を害し、国を滅ぼし、城を破る。その中で、あるいは王の人々に捕らえられ、さまざまな拷問を受け、手を切られ、足を切られ、あるいは手足を切られ、耳を切られ、鼻を切られ、あるいは耳や鼻を切られ、または細かく切り刻まれ、鬚や髪を抜かれ、あるいは鬚や髪を抜かれ、あるいは檻に入れられ、衣に包まれて火で焼かれ、あるいは砂をかぶせられ、草で縛られて火で焼かれ、あるいは鉄のろばの腹の中に入れられ、あるいは鉄の猪の口の中に入れられ、あるいは鉄の虎の口の中に入れられて焼かれ、あるいは銅の釜の中に入れられ、あるいは鉄の釜の中で煮られ、あるいは断片に切られ、あるいは鋭い叉で刺され、あるいは鉄の鉤で引っかけられ、あるいは鉄の床に寝かされて沸騰した油を注がれ、あるいは鉄の臼に座らされて鉄の杵で搗かれ、あるいは竜や蛇に咬まれ、あるいは鞭で打たれ、あるいは杖で叩かれ、あるいは棒で打たれ、あるいは生きたまま高く掲げられた竿に貫かれ、あるいは首をはねられる。彼らはその中で、あるいは死に、あるいは恐れ、極めて重い苦しみを受ける。これを現世における苦の集まりという。欲望によって、欲望を縁として、欲望を根本とするのである。

「復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，行身惡行，行口、意惡行，彼於後時，疾病著床，或坐、臥地，以苦逼身，受極重，苦不可愛樂。彼若有身惡行，口、意惡行，彼臨終時在前覆障，猶日將沒大山崗側，影障覆地。如是，彼若有身惡行，口、意惡行，在前覆障，彼作是念：『我本惡行，在前覆我，我本不作福業，多作惡業。若使有人作惡凶暴唯為罪，不作福、不行善，無所畏、無所依、無所歸，隨生處者，我必生彼。』從是有悔，悔者不善死，無福命終，是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> さらに、あらゆる生きとし生けるものは、欲望によって、欲望を縁として、欲望を根本としているために、身体で悪い行いをし、言葉で悪い行いをし、心で悪い行いをする。そうした者は、やがて病に倒れ床に伏し、あるいは座ったまま、あるいは地に伏して、苦しみに身体を苛まれ、非常につらく、愛すべくもない苦しみを受ける。その者に身体と言葉と心の悪い行いがあるならば、臨終の際に、それらが眼前に立ちはだかる。あたかも、太陽が沈もうとして大きな山の麓にさしかかる時、その影が地を覆い隠すように。このように、その者に身体と言葉と心の悪い行いがあるならば、それらが眼前に立ちはだかる。そして彼はこう思う。「私はかつて悪い行いをし、それが今、眼前に私を覆っている。私は善い行い（福業）を積まず、悪い行いを多く重ねてきた。もし、凶暴で悪事のみを働き、善行を積まず、良い行いをせず、恐れもなく、頼るものもなく、帰依するものもないような者が、生まれるべき場所があるならば、私は必ずそこに生まれるだろう」と。こうして彼には後悔が生じる。後悔する者は善く死ぬことができず、幸いなくして命終える。これが、まさに現世における苦しみの塊であり、欲望によって、欲望を縁として、欲望を根本としているのである。

「復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，行身惡行，行口、意惡行，彼因身、口、意惡行故，因此、緣此，身壞命終，必至惡處，生地獄中，是謂後世苦陰，因欲緣欲，以欲為本，是謂欲患。

> さらに、生きとし生けるものは欲を原因とし、欲を縁とし、欲を根本として、身体で悪い行いをし、言葉と心でも悪い行いをします。その身体・言葉・心の悪行によって、この因と縁により、この身体が壊れて命が終わるとき、必ず悪い場所に至り、地獄に生まれます。これを「後の世の苦しみの集まり」といい、欲を原因とし、欲を縁とし、欲を根本とするものです。これが「欲のわざわい」です。

「云何欲出要？若斷除欲，捨離於欲，滅欲欲盡，度欲出要，是謂欲出要。若有沙門、梵志，欲味、欲患、欲出要不知如真者，彼終不能自斷其欲，況復能斷於他欲耶？若有沙門、梵志，欲味、欲患、欲出要知如真者，彼既自能除，亦能斷他欲。

> 「では、欲望からの脱却とは何か。欲望を断ち切り、手放し、完全に消し去り、欲望を乗り越えて解放されること、これを欲望からの脱却という。 もし修行者や宗教家が、欲望の味わい、欲望の危険、欲望からの脱却をあるがままに知らなければ、自分自身の欲望さえ断ち切ることはできず、まして他人の欲望を断つことなどできはしない。 もし修行者や宗教家が、欲望の味わい、欲望の危険、欲望からの脱却をあるがままに知るならば、彼は自ら欲望を除き、また他人の欲望も断つことができる。」

「云何色味？若剎利女、梵志、居士、工師女，年十四五，彼於爾時，美色最妙。若因彼美色、緣彼美色故，生樂生喜，極是色味無復過是，所患甚多。

> 色の味わいとは何か。それは、クシャトリヤの娘、バラモンの娘、家長の娘、職人の娘が、十四五歳の頃、その時が最も美しく、その美しさによって喜びや楽しみが生まれることである。これこそが色の味わいの極みであり、これを超えるものはない。しかし、それに伴う苦しみもまた非常に多いのである。

「云何色患？若見彼姝而於後時極大衰老，頭白齒落，背僂脚戾，拄杖而行，盛壯日衰，壽命垂盡，身體震動，諸根毀熟，於汝等意云何？若本有美色，彼滅生患耶？」

> 「では、色にまつわる苦しみとは何か？もしあなたが、かつて美しかった人が、やがて極度に老い、髪は白く、歯は抜け落ち、腰は曲がり、足は不自由になり、杖をついて歩き、盛りを過ぎて衰え、命も尽きようとし、体は震え、感覚も衰えていく様子を見たとしよう。あなたはどう思うか？かつてあった美しい姿は消え去り、そこには苦しみが生じているのではないか？」

答曰：「如是。」

> 「その通りです。」

「復次，若見彼姝疾病著床，或坐、臥地，以苦逼身，受極重苦，於汝等意云何？若本有美色，彼滅生患耶？」答曰：「如是。」

> さらに、もしその女性が病気で床に伏せていたり、座ったり横たわったりして、苦しみが身を悩ませ、極めて重い苦しみを受けているのを見たら、あなたがたはどう思うか。かつての美しさは、その時に消え去り、悩みの原因となるのではないか。」答えて言う。「その通りです。」

「復次，若見彼姝死，或一二日至六七日，烏鵄所啄，犲狼所食，火燒埋地，悉爛腐壞，於汝等意云何？若本有美色，彼滅生患耶？」

> 「さらに、もしその美しい女性が死んだのを見たとしよう。死後、一日や二日、あるいは六日、七日と経てば、カラスに啄まれ、山犬に食べられ、あるいは火葬されたり土に埋められたりして、すべてが腐り、朽ち果ててしまう。あなたがたはどう思うか？本来そこに美しさがあったとしても、それが滅びれば、悩みの原因は生じるだろうか？」

答曰：「如是。」

> 「その通りです。」

「復次，若見彼姝息道，骸骨青色爛腐，食半骨璅在地，於汝等意云何？若本有美色，彼滅生患耶？」

> 「また、もしもその美しい女性が呼吸を終え、骨となり、青黒く変色し、腐敗し、半分だけ肉のついた骨の連なりが地面に横たわっているのを見たならば、あなたがたはどう思うか。かつては美しい姿があったとしても、それが滅びてしまうのは苦しみをもたらすのではないか。」

答曰：「如是。」

> 「その通りです。」

「復次，若見彼姝息道，離皮肉血，唯筋相連，於汝等意云何？若本有美色，彼滅生患耶？」

> さらに、もし修行者が、その美しい人の呼吸の道を見て、皮や肉や血を離れ、ただ筋だけが連なっているのを見たなら、あなた方はどう思いますか？もともと美しい色形があったとしても、その美しさは滅び、苦しみが生じるのではないでしょうか？

答曰：「如是。」

> 「その通りです。」

「復次，若見彼姝息道，骨節解散，散在諸方，足骨、󰈷骨、髀骨、髖骨、脊骨、肩骨、頸骨、髑髏骨各在異處，於汝等意云何？若本有美色，彼滅生患耶？」

> 「では、もしその美しい女性が死んで、その骨が散り散りになっているのを見るとしよう。足の骨、すねの骨、ももの骨、腰の骨、背骨、肩の骨、首の骨、頭蓋骨が、それぞれ別の場所に散らばっている。あなた方はどう思うか。もともと美しかったその姿は、今や消え去り、苦しみの原因となっているのではないだろうか？」

答曰：「如是。」

> 「その通りです。」

「復次，若見彼姝息道，骨白如螺，青猶鴿色，赤若血塗，腐壞碎末，於汝等意云何？若本有美色，彼滅生患耶？」

> さらに、もしその美しい姿が呼吸を止めた道すがら、骨は白く螺鈿のように、青は鳩の色のごとく、赤は血を塗ったように、腐り壊れて粉々に砕けたのを見るとき、あなたがたはどう思うか。もともと美しい姿があったとしても、それは消え去り、悩みの種となるのではないだろうか。

答曰：「如是。」

> 「その通りです。」

「是謂色患。」

> これを「色（しき）の苦しみ」と言います。

「云何色出要？若斷除色，捨離於色，滅色色盡，度色出要，是謂色出要。若有沙門、梵志，色味、色患、色出要不知如真者，彼終不能自斷其色，況復能斷於他色耶？若有沙門、梵志，色味、色患、色出要知如真者，彼既自能除，亦能斷他色。

> 「色（物質的なもの）からの解放とは何か。色への執着を断ち切り、色を手放し、色を滅ぼし尽くし、色を超え出る、これが色からの解放である。 もし修行者や婆羅門（バラモン）たちが、色の快楽、色の過患、色からの解放をありのままに知らなければ、その人は自分の色への執着さえ断つことはできない。ましてや他人の執着を断つことなどできようか。 もし修行者や婆羅門たちが、色の快楽、色の過患、色からの解放をありのままに知るならば、その人は自らの執着を除き、他人の執着をも断つことができる。」

「云何覺味？比丘者，離欲、離惡不善之法，至得第四禪成就遊，彼於爾時不念自害，亦不念害他，若不念害者，是謂覺樂味。所以者何？不念害者，成就是樂，是謂覺味。

> 「では、この“気づかいの味わい”とは何か。修行者は、欲望を離れ、悪しき善からざる法（ものごと）を離れ、第四禅の境地に至り、そこに安らかにとどまる。そのとき、自らを害そうとも思わず、他者を害そうとも思わない。このように害する心がないこと、これを“気づかいの楽の味わい”という。なぜか。害する心がないからこそ、この楽が成就するのである。これが“気づかいの味わい”である。」

「云何覺患？覺者是無常法、苦法、滅法，是謂覺患。

> 「何が患い（わざわい）を自覚することか。自覚するということは、無常であり、苦しみであり、消え去る性質のものだと知ることです。これが患いを自覚するということです。」

「云何覺出要？若斷除覺，捨離於覺，滅覺覺盡，度覺出要，是謂覺出要。若有沙門、梵志，覺味、覺患、覺出要不知如真者，彼終不能自斷其覺，況復能斷於他覺耶？若有沙門、梵志，覺味、覺患、覺出要知如真者，彼既自能除，亦能斷他覺。」

> 「どのようにして、想いから解放されるべきか。もし想いを断ち切り、想いを手放し、想いを滅ぼし尽くし、想いを超越して解放へと至るならば、これが想いからの解放である。もし修行者や婆羅門が、想いの味わい、想いの過患、想いからの解放を、あるがままに知らないならば、彼はついに自分の想いを断つことができず、ましてや他人の想いを断つことなどできようか。しかし、修行者や婆羅門が、想いの味わい、想いの過患、想いからの解放を、あるがままに知るならば、彼は既に自らを除き、また他人の想いをも断つことができる。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

苦陰經第三竟二千一百六十五字

> 苦陰経第三 終わり<note>二千百六十五字</note>