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title: "中阿含經 · 100 苦陰經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一〇〇）中阿含因品苦陰經第四第二小土城誦

> （一〇〇）中阿含 因品 苦陰経 第四 <note>第二小土城誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊釋羈瘦，在加維羅衛尼拘類園。

> その時、仏様は釈迦族の地を巡られ、カピラ城の近くにあるニグローダ（尼拘類）の林に滞在していました。

爾時，釋摩訶男中後仿佯往詣佛所，稽首佛足，却坐一面，白曰：「世尊！我如是知世尊法，令我心中得滅三穢：染心穢、恚心穢、癡心穢。世尊！我如是知此法，然我心中復生染法、恚法、癡法。世尊！我作是念：『我有何法不滅？令我心中復生染法、恚法、癡法耶？』」

> その時、摩訶男という在家の信者が、午後の散歩の途中にお釈迦様のもとを訪れました。足に丁寧に礼をしてから、片わきに座ってこう尋ねました。「世尊よ、私はあなたの教えをこう理解しています。それによって心から三つの汚れ――貪りの心の汚れ、怒りの心の汚れ、無知の心の汚れ――を消し去ることができると知りました。しかし、同じ教えを知っているのに、私の心の中には再び貪り、怒り、無知の思いが生じてしまいます。そこで私は考えました。『私には、どのような良い性質がまだ完全に消えていないのだろうか。そのせいで、再び貪りや怒りや無知が心に現れるのだろうか』と」

世尊告曰：「摩訶男！汝有一法不滅，謂汝住在家，不至信、捨家、無家、學道。摩訶男！若汝滅此一法者，汝必不住在家，必至信、捨家、無家，學道。汝因一法不滅故，住在家，不至信、捨家、無家、學道。」

> 世尊は仰せになりました。「マハーナーマよ、あなたには一つ、断ち切れていないことがある。それは、あなたが在家のままにとどまり、信心をもって家を出て、出家して修行の道に入ることない、ということだ。マハーナーマよ、もしあなたがこの一つのことを断ち切ったならば、あなたは決して在家にはとどまらず、必ず信心をもって家を出て、出家して修行の道に入ることであろう。あなたはその一つのことが断ち切れていないために、在家のままとどまり、信心をもって家を出て、出家して修行の道に入ることがないのである。」

於是，釋摩訶男即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白世尊曰：「唯願世尊為我說法，令我心淨，除疑得道。」

> そこで、マハーナーマ尊者は座を立ち、衣の右肩を露わにして合掌し、仏に向かい、世尊に申し上げた。「どうか世尊よ、私のために法を説いてください。どうか私の心を清め、疑惑を除き、悟りを得させてください。」

世尊告曰：「摩訶男！有五欲功德可愛、可念、歡喜、欲相應而使人樂。云何為五？謂眼知色、耳知聲、鼻知香、舌知味、身知觸，由此令王及王眷屬得安樂歡喜。摩訶男！極是欲味無復過是，所患甚多。

> 世尊はお告げになりました。「マハーナーマよ、五つの欲望の対象（五妙欲）というものがある。それらは愛しく、心を引きつけ、喜ばしく、欲望に相応し、人を楽しませるものである。その五つとは何か？すなわち、目が知る色、耳が知る音、鼻が知る香り、舌が知る味、身が知る触り心地である。これらによって、王や王の一族は安楽と喜びを得る。 マハーナーマよ、しかしながら、これらの欲望の楽しみの味わいは、これ以上ないほどであるが、そこには多くの患い（悩みや苦しみ）があるのだ。」

「摩訶男！云何欲患？摩訶男！族姓子者，隨其技術，以自存活，或作田業、或行治生、或以學書、或明算術、或知工數、或巧刻印、或作文章、或造手筆、或曉經書、或作勇將、或奉事王。彼寒時則寒，熱時則熱，飢渴、疲勞、蚊虻所蜇，作如是業，求圖錢財。摩訶男！此族姓子如是方便作如是行，作如是求，若不得錢財者，便生憂苦、愁慼、懊惱，心則生癡，作如是說：『唐作唐苦，所求無果。』摩訶男！彼族姓子如是方便作如是行，作如是求，若得錢財者，彼便愛惜守護密藏。所以者何？『我此財物莫令王奪、賊劫、火燒、腐壞、亡失，出財無利，或作諸業，而不成就。』彼作如是守護密藏，若使王奪、賊劫、火燒、腐壞、亡失，彼便生憂苦、愁慼、懊惱，心則生癡，作如是說：『若有長夜所可愛念者，彼則亡失。』摩訶男！如是現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> 摩訶男よ、何が欲望の患いか。 摩訶男よ、良家の子は、その技術に従って自らの生計を立てる。ある者は農業を営み、ある者は商売を行い、ある者は学問をし、ある者は算術に精通し、ある者は工作技術を知り、ある者は巧みに印を彫り、ある者は文章を作り、ある者は筆を制作し、ある者は経書に通じ、ある者は勇将となり、ある者は王に仕える。彼らは寒い時には寒さに耐え、暑い時には暑さに耐え、飢えや渇き、疲労、蚊や虻に刺されながら、そのような業を行い、金銭を得ようと求める。 摩訶男よ、この良家の子は、そのような方便でそのような行いをし、そのように求めて、もし金銭を得られなければ、憂いや苦しみ、愁いや嘆き、懊悩を生じ、心に愚かさが生じ、こう言う。「無駄に働き、無駄に苦しみ、求めたものに成果がなかった」と。 摩訶男よ、その良家の子は、そのような方便でそのような行いをし、そのように求めて、もし金銭を得たならば、彼はそれを愛着し、守り、密かにしまい込む。なぜならば、「この私の財物を、王に奪われず、賊に盗まれず、火に焼かれず、腐敗させず、失わないようにせよ。財を費やしても利益がなく、あるいは様々な業を行っても成就しない。」と考えるからである。彼はそのように守り、密かにしまい込んで、もし王に奪われ、賊に盗まれ、火に焼かれ、腐敗し、失われることがあれば、憂いや苦しみ、愁いや嘆き、懊悩を生じ、心に愚かさが生じ、こう言う。「長い間愛しみ心にかけていたものが、失われてしまった」と。 摩訶男よ、これが現世における苦しみの集まりであり、欲望に因り、欲望に縁り、欲望を根本として生じるのである。

「摩訶男！復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，母共子諍，子共母諍，父子、兄弟、姉妹、親族展轉共諍。彼既如是共鬪諍已，母說子惡，子說母惡，父子、兄弟、姉妹、親族更相說惡，況復他人？摩訶男！是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> 摩訶男よ。さらにまた、人々は欲望によって、欲望を縁として、欲望を根本とするがゆえに、母と子が争い、子と母が争い、父と子、兄弟、姉妹、親族どうしで互いに争います。そのようにして争い合った後には、母は子の悪口を言い、子は母の悪口を言い、父と子、兄弟、姉妹、親族も互いに悪口を言い合います。ましてや他人のことはなおさらです。摩訶男よ。これが現世における苦しみの塊であり、欲望によって起こり、欲望を縁とし、欲望を根本とするものなのです。

「摩訶男！復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，王王共諍，梵志梵志共諍，居士居士共諍，民民共諍，國國共諍，彼因鬪諍共相憎故，以種種器仗，轉相加害，或以拳扠石擲，或以杖打刀斫，彼當鬪時，或死、或怖，受極重苦。摩訶男！是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> 摩訶男よ、さらにまた、人々は欲望を原因とし、欲望を縁とし、欲望を根本とするがゆえに、王と王が争い、バラモンとバラモンが争い、在家信者と在家信者が争い、民と民が争い、国と国が争います。彼らは争い合い、互いに憎み合うがゆえに、さまざまな武器を用いて互いに傷つけ合います。拳で打ち、石を投げ、杖で打ち、刀で切るのです。彼らが争う時には、死ぬ者もいれば、恐怖する者もおり、極めて重い苦しみを受けます。 摩訶男よ、これが現世における苦しみの要素であり、欲望を原因とし、欲望を縁とし、欲望を根本とするものなのです。

「摩訶男！復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，著鎧被袍，持矟弓箭，或執刀楯入在軍陣，或以象鬪，或馬、或車，或以步軍，或以男女鬪，彼當鬪時，或死、或怖，受極重苦。摩訶男！是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> 摩訶男よ。また、衆生は欲によって、欲に縁って、欲を根本とするがゆえに、鎧をまとい、甲冑を身につけ、槍や弓矢を手に取り、あるいは刀や盾をかざして戦場に臨みます。ある者は象を使って戦い、ある者は馬で、ある者は戦車で、ある者は歩兵で、あるいは男女の戦いで闘います。その戦いの最中、ある者は死に、ある者はおののき、はかりしれない苦しみを受けます。摩訶男よ。これを、現世における苦しみの集積というのです。すべて欲によって、欲に縁って、欲を根本としているのです。

「摩訶男！復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，著鎧被袍，持矟弓箭，或執刀楯往奪他國，攻城破塢，共相格戰，打鼓吹角，高聲喚呼，或以槌打，或以鉾戟，或以利輪，或以箭射，或亂下石，或以大弩，或以融銅珠子灑之，彼當鬪時，或死、或怖，受極重苦。摩訶男！是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> 摩訶男よ、さらにまた、衆生は欲望のために、欲望によって、欲望を根本として、鎧をまとい、衣をまとって、矛や弓矢を持ち、あるいは刀や盾を取って他国に攻め入り、城を陥れ、砦を破り、互いに戦い合い、太鼓を打ち、角笛を吹き鳴らし、大声で叫び、あるいは槌で打ち、あるいは鉾や戟で突き、あるいは鋭い輪を使い、あるいは矢を射かけ、あるいは石を乱打し、あるいは大弩を使い、あるいは溶けた銅の玉を浴びせかける。彼らはその戦いの時に、死ぬか、あるいは恐れおののき、極めて重大な苦しみを受ける。摩訶男よ、これを現世における苦の集まり（苦陰）という。欲望によって生じ、欲望によって縁り、欲望を根本とするのだ。

「摩訶男！復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，著鎧被袍，持矟弓箭，或執刀楯入村、入邑、入國、入城，穿牆發藏，劫奪財物，斷截王路，或至他巷，壞村、害邑、滅國、破城。於中或為王人所捉，種種拷治，截手、截足或截手足，截耳、截鼻或截耳鼻，或臠臠割，拔鬚、拔髮或拔鬚髮，或著檻中衣裹火燒，或以沙壅草纏火𤋲，或內鐵驢腹中，或著鐵猪口中，或置鐵虎口中燒，或安銅釜中，或著鐵釜中煮，或段段截，或利叉刺，或鐵鉤鉤，或臥鐵床以沸油澆，或坐鐵臼以鐵杵擣，或龍蛇蜇，或以鞭鞭，或以杖撾，或以棒打，或生貫高標上，或梟其首。彼在其中，或死、或怖，受極重苦。摩訶男！是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> 摩訶男よ、さらにまた、衆生は欲望のゆえに、欲望に執着し、欲望を根本とするがゆえに、よろいをまとい、陣羽織を着て、やりや弓矢を手にし、あるいは刀や盾を持って村に入り、町に入り、国に入り、城に入る。壁を破っては隠し財産を探り出し、財物を奪い、王の道を断ち切り、あるいは他の巷に至って村を壊し、町を害し、国を滅ぼし、城を破る。そのような中で、あるいは王の役人に捕らえられ、様々な拷問を受け、手を切られ、足を切られ、あるいは手足を切られ、耳を切られ、鼻を切られ、あるいは耳鼻を切られ、あるいは細かく刻まれ、ひげや髪を抜かれ、あるいはひげ髪を抜かれ、あるいは檻の中に入れられ、衣をまとい火で焼かれ、あるいは砂をかけられ草で巻かれて火で焼かれ、あるいは鉄のろばの腹の中に入れられ、あるいは鉄の豚の口の中に入れられ、あるいは鉄の虎の口の中に入れられて焼かれ、あるいは銅の釜の中に入れられ、あるいは鉄の釜の中に入れられて煮られ、あるいは寸断され、あるいは鋭い叉で刺され、あるいは鉄の鉤で引っ掛けられ、あるいは鉄の床に寝かされ熱い油をかけられ、あるいは鉄の臼に座らされ鉄の杵で搗かれ、あるいは龍や蛇に噛まれ、あるいは鞭で打たれ、あるいは杖で叩かれ、あるいは棒で殴られ、あるいは生きながら高い竿の先に貫かれ、あるいは首をはねられる。彼らはその中で、死に、あるいは恐れおののき、極めて重い苦しみを受ける。 摩訶男よ、これが現世における苦しみ（苦陰）である。欲望のゆえに、欲望に執着し、欲望を根本とするからである。

「摩訶男！復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，行身惡行，行口、意惡行，彼於後時疾病著床，或坐、臥地，以苦逼身，受極重苦，不可愛樂。彼若有身惡行，口、意惡行，彼臨終時在前覆障，猶日將沒大山崗側，影障覆地。如是，彼若有身惡行，口、意惡行，在前覆障，彼作是念：『我本惡行在前覆我，我本不作福業，多作惡業，若使有人作惡兇暴唯為罪，不作福、不行善，無所畏、無所依、無所歸，隨生處者，我必生彼。』從是有悔，悔者不善死，無福命終。摩訶男！是謂現法苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> 摩訶男（マハーナーマ）よ、さらにまた、人々は欲望に基づき、欲望を縁として、欲望を根本とするがゆえに、身体で悪い行いをし、言葉と心でも悪い行いをします。そうした人は、後に病気で床に伏したり、座ったり、地面に横たわったりして、苦しみに身体を苛まれ、非常に重い苦しみを受け、喜び楽しむことのできない状態となります。その人に身体と言葉と心による悪い行いがあったなら、その臨終の際に、それらが面前に立ちはだかり覆いかぶさります。ちょうど太陽が沈む時、大きな山の陰が地面を覆い隠すように。まさにそのように、その人に身体と言葉と心による悪い行いがあれば、それらが面前に立ちはだかり覆いかぶさるのです。そこで彼はこう思います。「かつて私が行った悪行が、今、私の前に立ちはだかっている。私は善い行いをせず、多くの悪い行いをしてきた。もし、悪を行い凶暴で、ただ罪を積み、福徳を行わず、善を行わず、何も恐れず、頼る所なく、帰依する所なく、生まれる所に従って行くという人がいるとすれば、私は必ずそのような場所に生まれるだろう」と。このことから後悔が生じます。後悔する者は、善く死ぬことができず、福徳なく命を終えます。摩訶男よ、これが現世における苦しみの集まりであり、欲望に基づき、欲望を縁として、欲望を根本とするものです。

「摩訶男！復次，眾生因欲緣欲，以欲為本故，行身惡行，行口、意惡行。彼因身、口、意惡行故，因此、緣此，身壞命終，必至惡處，生地獄中。摩訶男！是謂後世苦陰，因欲緣欲，以欲為本。

> 摩訶男よ、さらにまた、人は欲によって欲のために、欲を根本として、身体で悪い行いをし、言葉と心で悪い行いをします。その人は身体と言葉と心の悪行によって、その原因と縁によって、命終わって身体が壊れると、必ず悪い場所に至り、地獄に生まれます。摩訶男よ、これが「後世の苦しみの集まり」であり、欲によって、欲のために、欲を根本とするものなのです。

「摩訶男！是故當知欲一向無樂，無量苦患。多聞聖弟子不見如真者，彼為欲所覆，不得捨樂及無上息。摩訶男！如是彼多聞聖弟子因欲退轉。摩訶男！我知欲無樂，無量苦患。我知如真已，摩訶男！不為欲所覆，亦不為惡所纏，便得捨樂及無上息。摩訶男！是故我不因欲退轉。

> 摩訶男よ、それゆえに知るべきである。欲望には一向に楽しいところがなく、無量の苦しみと患いがあるのだ。多く聞いた聖なる弟子が、これを如実に観ないならば、その人は欲望に覆われ、楽を捨てることや無上の安息を得ることができない。摩訶男よ、このように、その多く聞いた聖なる弟子は、欲望のために退転してしまうのだ。 摩訶男よ、私は欲望に楽しくないところがあり、無量の苦しみと患いがあることを知っている。私はそれを如実に知ったので、摩訶男よ、欲望に覆われることもなく、悪に縛られることもなく、楽を捨て、無上の安息を得るのである。摩訶男よ、それゆえに、私は欲望のために退転することはないのだ。

「摩訶男！一時，我遊王舍城，住鞞哆邏山仙人七葉屋。摩訶男！我於晡時，從宴坐起，往至廣山，則於彼中見眾多尼揵，行不坐行，常立不坐，受極重苦。我往問曰：『諸尼揵！汝等何故行此不坐行，常立不坐，受如是苦？』彼如是說：『瞿曇！我有尊師尼揵，名曰親子，彼則教我，作如是說：「諸尼揵等！汝若宿命有不善業，因此苦行故，必當得盡；若今身妙行護，口、意妙行護，因緣此故，不復作惡不善之業。」』

> 「マハーナーマよ、かつて私は王舎城に滞在し、ヴェーダラ山の仙人が住む七葉の洞窟にいました。マハーナーマよ、私は午後、静かな瞑想から立ち上がり、広い山へと向かいました。そこで私は多くのニガンタ（ジャイナ教の修行者）たちを見かけました。彼らは座ることをせず、常に立ち続け、非常に厳しい苦行を実践していました。私は彼らのもとへ行き、尋ねました。『ニガンタの皆さん、なぜあなたがたは座らずに立ち続け、このような苦しみを受けているのですか？』 彼らはこう答えました。『ゴータマよ、私たちには尊師であるニガンタがおられます。その名は親子（ニガンタ・ナータプッタ）といいます。彼は私たちにこう教えています。「ニガンタたちよ、もしあなたがたの過去世に不善の業があるなら、この苦行によって必ずそれを滅ぼし尽くすことができる。もし現在の身・口・意の行いを清らかに守るなら、その因縁によって、再び悪しき不善の業を作ることはない」と。』」

「摩訶男！我復問曰：『諸尼揵！汝等信尊師無有疑耶？』彼復答我：『如是。瞿曇！我等信尊師無有疑惑。』摩訶男！我復問曰：『尼揵！若爾者，汝等尊師尼揵本重作惡不善之業，彼本作尼揵死，今生人間出家作尼揵，行不坐行，常立不坐，受如是苦，如汝等輩及弟子也。』彼復語我曰：『瞿曇！樂不因樂要因苦得，如頻鞞娑羅王樂，沙門瞿曇不如也。』

> 摩訶男、私はさらに問いました。「尼乾子たちよ、あなた方は自分の尊師に少しも疑いを持たずに信じているのか？」彼らはまた答えて言いました。「そうです、ゴータマよ。私たちは尊師に一点の疑いもなく信じています。」 摩訶男、私はさらに問いました。「尼乾子よ、もしそうならば、あなた方の尊師である尼乾子は、過去に重い悪い行いをしたのです。その尼乾子は死んで、今の世に生まれ変わり、在家を捨てて尼乾子となり、座ることなく常に立ったままでいるという苦しい修行をしているのです。それはあなた方や弟子たちも同じです。」 すると彼らは私に言いました。「ゴータマよ、楽しみは楽しみによって得られるのではなく、苦しみによってこそ得られるのです。それはちょうどビンビサーラ王の楽しみのようなものです。沙門ゴータマはそれに及ばないのです。」

「我復語曰：『汝等癡狂，所說無義。所以者何？汝等不善，無所曉了，而不知時，謂汝作是說，如頻鞞娑羅王樂，沙門瞿曇不如也。尼揵！汝等本應如是問：誰樂勝？為頻鞞娑羅王？為沙門瞿曇耶？尼揵！若我如是說我樂勝，頻鞞娑羅王不如者。尼揵！汝等可得作是語，如頻鞞娑羅王樂，沙門瞿曇不如也？』彼諸尼揵即如是說：『瞿曇！我等今問沙門瞿曇：誰樂勝？為頻鞞娑羅王？為沙門瞿曇耶？』我復語曰：『尼揵！我今問汝，隨所解答。諸尼揵等，於意云何？頻鞞娑羅王可得如意靜默無言，因是七日七夜得歡喜快樂耶？』尼揵答曰：『不也。瞿曇！』『六五四三二，一日一夜得歡喜快樂耶？』尼揵答曰：『不也。瞿曇！』復問曰：『尼揵！我可得如意靜默無言，因是一日一夜得歡喜快樂耶？』尼揵答曰：『如是。瞿曇！』『二三四五六，七日七夜得歡喜快樂耶？』尼揵答曰：『如是。瞿曇！』我復問曰：『諸尼揵等！於意云何？誰樂勝？為頻鞞娑羅王？為是我耶？』尼揵答曰：『瞿曇！如我等受解沙門瞿曇所說，瞿曇樂勝，頻鞞娑羅王不如也。』

> そこで私は言いました。「あなたがたは愚かで心が乱れており、語ることに道理がない。なぜか。あなたがたは善くなく、何も理解しておらず、時機もわきまえていない。あなたがたが『ビンビサーラ王の楽しみのほうが、沙門ゴータマの楽しみより勝っている』と言うのは誤りだ。ニガンタたちよ、あなたがたは本来、こう問うべきだったのだ。『どちらの楽しみが勝っているのか。ビンビサーラ王か、沙門ゴータマか』と。ニガンタたちよ、もし私が『私の楽しみのほうが勝っており、ビンビサーラ王は及ばない』と言ったなら、あなたがたは『ビンビサーラ王の楽しみのほうが、沙門ゴータマの楽しみより勝っている』と言うこともできよう。」 すると、そのニガンタたちはこう言いました。「ゴータマよ、では今、沙門ゴータマに問います。どちらの楽しみが勝っているのか。ビンビサーラ王か、沙門ゴータマか。」 そこで私は言いました。「ニガンタたちよ、ではあなたがたに問う。思うままに答えよ。ニガンタたちよ、どう思うか。ビンビサーラ王は、心のままに静かに沈黙し、言葉を発さずに、それによって七日七晩、歓喜の楽しみを得ることができるだろうか。」 ニガンタたちは答えました。「いいえ、ゴータマよ。」 「では、六日五日夜、四日三日夜、二日一夜の間、歓喜の楽しみを得ることができるだろうか。」 ニガンタたちは答えました。「いいえ、ゴータマよ。」 さらに問いました。「ニガンタたちよ、私は心のままに静かに沈黙し、言葉を発さずに、それによって一日一夜、歓喜の楽しみを得ることができるだろうか。」 ニガンタたちは答えました。「その通りです、ゴータマよ。」 「では、二日三日夜、四日五日夜、六日七夜の間、歓喜の楽しみを得ることができるだろうか。」 ニガンタたちは答えました。「その通りです、ゴータマよ。」 そこで私は問いました。「ニガンタたちよ、どう思うか。どちらの楽しみが勝っているのか。ビンビサーラ王か、それとも私か。」 ニガンタたちは答えました。「ゴータマよ、私たちは沙門ゴータマの説かれたことをそのまま受け止めます。ゴータマの楽しみのほうが勝っており、ビンビサーラ王は及びません。」

「摩訶男！因此故知，欲無樂，有無量苦患。若多聞聖弟子不見如真者，彼為欲所覆，惡、不善所纏，不得捨樂及無上息。摩訶男！如是彼多聞聖弟子為欲退轉。摩訶男！我知欲無樂，有無量苦患。我知如真已，不為欲所覆，亦不為惡不善法所纏，便得捨樂及無上息。摩訶男！是故我不為欲退轉。」

> 「マハーナーマよ、それゆえに知るべきである。欲望には楽はなく、無量の苦しみと厄いがあるのだ。 もし、よく学んだ聖なる弟子が、このことを真実のままに見ないならば、その人は欲望に覆われ、悪しきこと、善からざることによって束縛され、楽を捨てることも、無上の安らぎを得ることもできない。 マハーナーマよ、そのように、そのよく学んだ聖なる弟子は、欲望から退転してしまうのである。 マハーナーマよ、私は欲望には楽はなく、無量の苦しみと厄災があるのだと知っている。私はそれを真実のままに知ったので、欲望に覆われることもなく、悪しき善からざる法に束縛されることもなく、楽を捨て、無上の安らぎを得ることができたのだ。 マハーナーマよ、それゆえに私は欲望から退転することはないのである。」

佛說如是。釋摩訶男及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 釈尊はこのようにお説きになりました。摩訶男と比丘たちは、仏の説法を聞いて、心から喜び、その教えの通りに実践しました。

苦陰經第四竟二千二百五十四字

> 第四「苦陰経」終わり