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title: "中阿含經 · 101 增上心經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一〇一）中阿含因品增上心經第五第二小土城誦

> 増上心経 第五<note>第二小土城誦</note>

我聞如是：

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

爾時，世尊告諸比丘：「若比丘欲得增上心者，當以數數念於五相。數念五相已，生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。 「もし比丘がより高みを目指す心を得ようと望むなら、五つの特徴を繰り返し心に留めなさい。この五つを繰り返し心に留めれば、もし不善の思いが生じても、すぐに消え去るでしょう。悪い思いが消え去れば、心は自然と落ち着き、内側に留まり、一つの思いに定まるのです。」

「云何為五？比丘者，念相善相應，若生不善念者，彼因此相復更念異相善相應，令不生惡不善之念。彼因此相更念異相善相應，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內、止息、一意、得定。猶木工師、木工弟子，彼持墨繩，用拼於木，則以利斧，斫治令直。如是，比丘！因此相復更念異相善相應，令不生惡不善之念。彼因此相更念異相善相應，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。若比丘欲得增上心者，當以數數念此第一相，念此相已，生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。

> 「五つとは何か。僧よ、もし善いイメージと結びついた心の働きを保ち、それでもなお悪しき思いが生じたなら、その人はそのイメージに基づいて、別の善いイメージと結びついた心の働きを再び思い起こすことで、悪しき思いを生じさせないようにする。このように別の善いイメージと結びついた心の働きを思い起こせば、すでに生じた悪しき思いはたちまち消え去り、悪しき思いが消えたなら、心は安らかにとどまり、内に落ち着き、ひとつに定まる。 例えるなら、大工やその弟子が墨縄で木に印をつけ、鋭い斧で削ってまっすぐにするようなものである。そして、僧よ、このようにイメージに基づき別の善いイメージと結びついた心の働きを再び思い起こせば、悪しき思いは生じず、すでに生じた悪しき思いは消え去り、心は安らかにとどまり、内に落ち着き、ひとつに定まるのである。 もし僧がより高い心（増上心）を得ようと願うなら、この第一のイメージを繰り返し思い起こすべきである。このイメージを思い起こせば、もし悪しき思いが生じても、たちまち消え去り、悪しき思いが消えたなら、心は安らかにとどまり、内に落ち着き、ひとつに定まるのである。」

「復次，比丘！念相善相應，若生不善念者，彼觀此念惡有災患，此念不善，此念是惡，此念智者所惡，此念若滿具者，則不得通、不得覺道、不得涅槃，令生惡不善念故。彼如是觀惡，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。猶人年少，端政可愛，沐浴澡洗，著明淨衣，以香塗身，修治鬚髮，極令淨潔，或以死蛇、死狗、死人食半青色，膖脹臭爛，不淨流出，繫著彼頸，彼便惡穢，不喜不樂。如是，比丘！彼觀此念，惡有災患，此念不善，此念是惡，此念智者所惡，此念若滿具者，則不得通、不得覺道、不得涅槃，令生惡不善念故。彼如是觀惡，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。若比丘欲得增上心者，當以數數念此第二相，念此相，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。

> さらに、比丘たちよ、善い想念に心を向けているときに、もしも悪い想念が生じたならば、その者は次のように観察しなさい。「この想念には災いがある。この想念は善くない。この想念は悪い。この想念は賢者が嫌うものである。この想念が満ちあふれるならば、智慧を得ることも、悟りの道に至ることも、涅槃に達することもできない。悪しき善くない想念を生じさせるからである。」このように観察すると、すでに生じた悪い想念はたちまち消え去ります。悪い想念が滅びれば、心は安らかにとどまり、内に静まり、一心に定まります。 これは、例えば、若くて美しく愛らしい人が、沐浴して清らかな衣をまとい、香を塗り、髪やひげを整えてきれいにしているところに、死んだ蛇や死んだ犬や死んだ人間の、青黒く腫れあがり、腐り爛れて、不浄なものが流れ出るようなものを首に掛けられたならば、その人は嫌悪し、喜ばず、楽しみを感じないのと同じです。 このように、比丘たちよ、その者はこの想念について、「この想念には災いがある。この想念は善くない。この想念は悪い。この想念は賢者が嫌うものである。この想念が満ちあふれるならば、智慧を得ることも、悟りの道に至ることも、涅槃に達することもできない。悪しき善くない想念を生じさせるからである。」と観察します。このように観察すると、すでに生じた悪い想念はたちまち消え去ります。悪い想念が滅びれば、心は安らかにとどまり、内に静まり、一心に定まります。 比丘がより高い心（定）を得ようとするならば、この第二の相を繰り返し念じるべきです。この相を念じることにより、すでに生じた悪い想念はたちまち消え去り、悪い想念が滅びれば、心は安らかにとどまり、内に静まり、一心に定まるのです。

「復次，比丘！念相善相應時，生不善念，觀念惡患時，復生不善念者，彼比丘不應念此念，令生惡不善念故。彼不念此念，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。猶有目人，色在光明，而不用見，彼或閉目，或身避去。於汝等意云何？色在光明，彼人可得受色相耶？」

> 「また、比丘たちよ。善い心の相と向き合っているときに、不善の念が生じ、その悪い過ちを観察してもなお不善の念が生じるならば、その比丘はその念を思い浮かべてはならない。なぜなら、それは悪い不善の念を生じさせるからである。その念を思い浮かべなければ、すでに生じた不善の念はたちまち消え去る。悪い念が消え去れば、心は安らかにとどまり、内に静まり、一つの心に集中して安定する。ちょうど、目のある人が光明の中にある色を見ようとせず、目を閉じたり、体をそらしたりするようなものだ。あなたがたはどう思うか。光明の中にある色を、その人がその色の相（印象）を得ることはできるだろうか？」

答曰：「不也。」

> いいえ、違います。

「如是，比丘不應念此念，令生惡不善念故，彼不念此念，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。若比丘欲得增上心者，當以數數念此第三相，念此相已，生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。

> このように、比丘（修行者）は悪しき不善の念を生じさせないため、そのような考えを思い浮かべてはなりません。もし悪しき不善の念がすでに生じたなら、それをすぐに消し去ることができるのです。悪しき念が消え去れば、心は安らかにとどまり、内に静まり、一つの思いに定まります。 比丘がさらなる向上心を得ようと望むなら、この第三の相を繰り返し念じるべきです。この相を念じれば、生じた不善の念はすぐに消え、悪しき念が消えた後、心は安らかにとどまり、内に静まり、一つの思いに定まります。

「復次，比丘！念相善相應時生不善念，觀念惡患時亦生不善念，不念念時復生不善念者，彼比丘為此念，當以思行漸減其念，令不生惡不善之念。彼為此念，當以思行漸減念，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。猶人行道，進路急速，彼作是念：『我何為速？我今寧可徐徐行耶。』彼即徐行。復作是念：『我何為徐行？寧可住耶。』彼即便住。復作是念：『我何為住？寧可坐耶。』彼即便坐。復作是念：『我何為坐？寧可臥耶。』彼即便臥。如是，彼人漸漸息身麤行。當知比丘亦復如是，彼為此念，當以思行漸減其念，令不生惡不善之念。彼為此念，當以思行漸減念，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。若比丘欲得增上心者，當以數數念此第四相，念此相，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。

> また、比丘たちよ。善い相を思い浮かべているときにも不善の念が生じ、悪い危険を観察しているときにも不善の念が生じ、何も念じないようにしているときにも不善の念が生じるならば、その比丘はその念に対して、意志の力によって徐々にその念を減らし、悪しき不善の念を生じさせないようにしなければならない。彼がその念に対して、意志の力によって徐々に念を減らせば、すでに生じた不善の念はたちまち消え去る。悪しき念が消えれば、心は安定し、内に静まり、一つの対象に定まるのである。 例えば、道を歩く人が速く進んでいたとする。彼がこう思う。「なぜ私は速く歩いているのだろう。もう少しゆっくり歩こう」と。そして彼はゆっくり歩く。さらに彼はこう思う。「なぜ私はゆっくり歩いているのだろう。立ち止まろう」と。彼は立ち止まる。さらに彼はこう思う。「なぜ私は立っているのだろう。座ろう」と。彼は座る。さらに彼はこう思う。「なぜ私は座っているのだろう。横になろう」と。彼は横になる。このように、その人は徐々に身体の粗い動きを静めていく。 比丘たちもまた、これと同じである。彼はその念に対して、意志の力によって徐々に念を減らし、悪しき不善の念を生じさせないようにする。彼がその念に対して、意志の力によって徐々に念を減らせば、すでに生じた不善の念はたちまち消え去る。悪しき念が消えれば、心は安定し、内に静まり、一つの対象に定まるのである。 もし比丘がより高い心を得ようと願うならば、繰り返しこの第四の相を念じるべきである。この相を念じるとき、すでに生じた不善の念はたちまち消え去り、悪しき念が消えれば、心は安定し、内に静まり、一つの対象に定まるのである。

「復次，比丘！念相善相應時生不善念，觀念惡患時亦生不善念，不念念時亦生不善念，當以思行漸減念時復生不善念者，彼比丘應如是觀。比丘者，因此念故，生不善念，彼比丘便齒齒相著，舌逼上齶，以心修心，受持降伏，令不生惡不善之念。彼以心修心，受持降伏，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。猶二力士捉一羸人，受持降伏。如是，比丘！齒齒相著，舌逼上齶，以心修心，受持降伏，令不生惡不善之念。彼以心修心，受持降伏，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。若比丘欲得增上心者，當以數數念此第五相，念此相，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。

> さらに、比丘よ。 善いイメージに意識を向けているときに不善の念が生じたり、悪い結果について考えているときにも不善の念が生じたり、何もイメージしないようにしていても不善の念が生じたりする。 また、考えを徐々に減らそうと努めているときに、再び不善の念が生じるならば、その比丘は次のように観察すべきである。 「この比丘は、このような考えによって不善の念を生じている」と。 そこでその比丘は、歯を強く噛みしめ、舌を上あごに押しつけ、心をもって心を整え、捉え、鎮め、悪しき不善の念が生じないようにする。 そのように心をもって心を整え、捉え、鎮めるならば、すでに生じた不善の念もたちまち消え去る。 悪しき念が消え去れば、心は安らかにとどまり、内に静まり、ひとつの境地に定まる。 まるで、ふたりの力の強い者がひとりの弱い人を捕まえ、しっかりと捉え、鎮めるように。 それと同じく、比丘よ。歯を強く噛みしめ、舌を上あごに押しつけ、心をもって心を整え、捉え、鎮め、悪しき不善の念が生じないようにするのである。 そのように心をもって心を整え、捉え、鎮めるならば、すでに生じた不善の念もたちまち消え去る。 悪しき念が消え去れば、心は安らかにとどまり、内に静まり、ひとつの境地に定まる。 比丘よ。もしより高い心（増上心）を得ようと望むなら、この第五の方法を繰り返し思惟しなさい。 この方法を思惟することで、すでに生じた不善の念はたちまち消え去る。 悪しき念が消え去れば、心は安らかにとどまり、内に静まり、ひとつの境地に定まるのである。

「若比丘欲得增上心者，當以數數念此五相。數念五相，已生不善念，即便得滅，惡念滅已，心便常住，在內止息，一意得定。若比丘念相善相應時不生惡念，觀念惡患時亦不生惡念，不念念時亦不生惡念，若以思行漸減念時亦不生惡念，以心修心、受持降伏時亦不生惡念者，便得自在，欲念則念，不念則不念。若比丘欲念則念，不欲念則不念者，是謂比丘隨意諸念，自在諸念跡。」

> 比丘がより高い心（増上心）を得ようと望むなら、絶えずこの五つの対処法を心に留めるべきです。この五つの方法を繰り返し実践すれば、すでに生じた不善の念はたちまち消え去ります。悪い考えが消えたなら、心は安定し、内にとどまり静まり、心が一つに定まります。 比丘が善い対象を思い浮かべる際に悪い考えが生じず、悪い結果を観察する際にも悪い考えが生じず、そのことを全く考えないようにするときにも悪い考えが生じず、思考を段階的に減らす修習によっても悪い考えが生じず、心を修め、心を受け止め、抑制するときにも悪い考えが生じなければ、比丘は自在を得ます。思い浮かべたいときには思い浮かべ、思い浮かべたくないときには思い浮かべません。 もし比丘が思い浮かべたいときに思い浮かべ、思い浮かべたくないときに思い浮かべないのであれば、これこそを「比丘は思いのままに諸々の念を自在にし、諸々の念の跡を自在にする」と言うのです。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

增上心經第五竟千四百五十六字

> 増上心経　第五　終わり<note>千四百五十六字</note>