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title: "中阿含經 · 102 念經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一〇二）中阿含因品念經第六第二小土城誦

> （一〇二）中部阿含経 因品 念経 第六<note>第二小土城誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「我本未覺無上正盡覺時，作如是念：『我寧可別諸念作二分，欲念、恚念、害念作一分，無欲念、無恚念、無害念復作一分。』我於後時，便別諸念作二分，欲念、恚念、害念作一分，無欲念、無恚念、無害念復作一分。我如是行，在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。生欲念，我即覺生欲念，自害、害他、二俱害，滅慧、多煩勞、不得涅槃。覺自害、害他、二俱害，滅慧、多煩勞、不得涅槃，便速滅。復生恚念、害念，我即覺生恚念、害念，自害、害他、二俱害，滅慧、多煩勞、不得涅槃。覺自害、害他、二俱害，滅慧、多煩勞、不得涅槃，便速滅。

> ある時、世尊は修行者たちにこう語られました。「私がまだ悟りを開いていなかった頃、こう考えました。『様々な思いを二つに分けてみよう。欲望の思い、怒りの思い、害意の思いを一方に置き、無欲の思い、無怒の思い、無害意の思いをもう一方に置こう。』そこで実際に、思いを二つに分けました。一方には欲望・怒り・害意の思いを、もう一方には無欲・無怒・無害意の思いを置いたのです。そうして遠く離れた場所に独り居を定め、心を怠らず、熱心に修行に励みました。すると欲望の思いが浮かびました。私はその生起にすぐ気づき、それが自分を傷つけ、他人を傷つけ、両方を傷つけるものであり、智慧を滅ぼし、多くの苦労をもたらし、涅槃に至らないと観じました。そのように観じると、その思いはすぐに消え去りました。次に怒りの思い、害意の思いが生じました。それらも同様に、その生起に気づき、自他を傷つけ、智慧を滅ぼし、多くの苦労をもたらし、涅槃に至らないと観じ、すぐに消え去らせました。」

「我生欲念，不受、斷、除、吐，生恚念、害念，不受、斷、除、吐。所以者何？我見因此故，必生無量惡不善之法。猶如春後月，以種田故，放牧地，則不廣，牧牛兒放牛野澤，牛入他田，牧牛兒即執杖往遮。所以者何？牧牛兒知因此故，必當有罵、有打、有縛、有過失也。是故牧牛兒執杖往遮。我亦如是，生欲念，不受、斷、除、吐，生恚念、害念，不受、斷、除、吐。所以者何？我見因此故，必生無量惡不善之法。

> 私に欲の思いが生じたら、それを受け入れず、断ち切り、除き、吐き出します。怒りの思いや害の思いが生じても、同じように受け入れず、断ち切り、除き、吐き出します。なぜなら、そのままにしておけば、必ず無数の悪い不善の法が生じると知っているからです。 ちょうど、春の終わりの月、田植えの時期のために放牧地が狭くなると、牛飼いの子が野原や沼沢に牛を放します。もし牛が他人の田んぼに入ったら、牛飼いの子はすぐに棒を手に取って行き、それを防ぎます。なぜなら、牛飼いの子は、このままにしておけば、必ず叱られ、打たれ、縛られ、過ちを犯すことになると知っているからです。だから牛飼いの子は棒を持って行き、防ぐのです。 私もまた同じように、欲の思いが生じたら、それを受け入れず、断ち切り、除き、吐き出します。怒りの思いや害の思いが生じても、同じように受け入れず、断ち切り、除き、吐き出します。なぜなら、そのままにしておけば、必ず無数の悪い不善の法が生じると知っているからです。

「比丘者，隨所思、隨所念，心便樂中。若比丘多念欲念者，則捨無欲念，以多念欲念故，心便樂中。若比丘多念恚念、害念者，則捨無恚念、無害念，以多念恚念、害念故，心便樂中。如是，比丘不離欲念，不離恚念，不離害念者，則不能脫生、老、病、死、愁憂、啼哭，亦復不能離一切苦。我如是行，在遠離獨住，心無放逸，修行精勤。生無欲念，我即覺生無欲念，不自害、不害他，亦不俱害，修慧、不煩勞而得涅槃。覺不自害、不害他、亦不俱害，修慧、不煩勞而得涅槃，便速修習廣布。復生無恚念、無害念，我即覺生無恚念、無害念，不自害、不害他、亦不俱害，修慧、不煩勞而得涅槃。覺不自害、不害他、亦不俱害，修慧、不煩勞而得涅槃，便速修習廣布。」

> 比丘とは、思い浮かべること、心に留めることに従い、心はそれに喜びを見出すものです。 もし比丘が、欲望の思いを多く思い浮かべるならば、欲望のない思いを捨てることになります。欲望の思いを多く思い浮かべるゆえに、心はそれに喜びを見出すのです。 もし比丘が、怒りの思いや害心を多く思い浮かべるならば、怒りのない思いや害心のない思いを捨てることになります。怒りの思いや害心を多く思い浮かべるゆえに、心はそれに喜びを見出すのです。 このように、比丘が欲望の思いから離れず、怒りの思いから離れず、害心から離れていないならば、生・老・病・死、憂い、悲しみ、泣き叫ぶことから解脱できず、あらゆる苦しみからも離れることはできません。 私はこのように実践しています。遠く離れた場所に独り住み、心を放逸にすることなく、修行に励み努めています。 私に欲望のない思いが生じたならば、その欲望のない思いが生じたことを自覚します。それは自分を害さず、他者を害さず、両方を害することもなく、智慧を培い、煩わしさなく涅槃に至るものだと知ります。自分を害さず、他者を害さず、両方を害することもなく、智慧を培い、煩わしさなく涅槃に至るものだと覚ったならば、すぐにそれを修行し、広く行き渡らせます。 さらに、怒りのない思いや害心のない思いが生じたならば、その怒りのない思いや害心のない思いが生じたことを自覚します。それは自分を害さず、他者を害さず、両方を害することもなく、智慧を培い、煩わしさなく涅槃に至るものだと知ります。自分を害さず、他者を害さず、両方を害することもなく、智慧を培い、煩わしさなく涅槃に至るものだと覚ったならば、すぐにそれを修行し、広く行き渡らせます。

「我生無欲念、多思念，生無恚念、無害念、多思念。我復作是念：『多思念者，身定憙忘，則便損心，我寧可治內心，常住在內止息，一意得定，令不損心。』我於後時便治內心，常住在內止息，一意得定，而不損心。我生無欲念已，復生念向法次法；生無恚念、無害念已，復生念向法次法。所以者何？我不見因此生無量惡不善之法。猶如秋後月收一切穀訖，牧牛兒放牛野田時作是念：『我牛在群中。』所以者何？牧牛兒不見因此故當得罵詈，得打、得縛，有過失也，是故彼作是念：『我牛在群中。』我亦如是，生無欲念已，復生念向法次法；生無恚念、無害念已，復生念向法次法。所以者何？我不見因此生無量惡不善之法。

> 私は無欲の思いを起こし、それを繰り返し心がけた。また、無瞋の思い、無害の思いを起こし、繰り返し心がけた。そして私はこう考えた——『繰り返し心がけることで、身体は安定しやすくなるが、かえって心が損なわれることがある。ならば、心を内に治め、内に留まらせて息をつけ、一つの想いに定めて、心を損なわないようにしよう。』 その後、私は心を内に治め、内に留まらせて息をつけ、一つの想いに定めて、心を損なわないようにした。無欲の思いを起こした後には、さらに法（真理）に沿い、法を次ぐ思いを生じた。無瞋の思い、無害の思いを起こした後も、同じく法に沿い、法を次ぐ思いを生じた。なぜなら、これらによって無量の悪しき善ならざる法が生じるのを、私は見なかったからである。 ちょうど秋の収穫が終わり、すべての穀物を集めた後、牛飼いが牛を野原に放つとき、こう思うのと同じである——『私の牛は群れの中にいる』と。なぜなら、牛飼いはそれによって罵られたり、打たれたり、縛られたり、過ちを責められることがないからである。だから彼は『私の牛は群れの中にいる』と思うのである。 私もまた、無欲の思いを起こした後には、法に沿い、法を次ぐ思いを生じる。無瞋の思い、無害の思いを起こした後にも、同じく法に沿い、法を次ぐ思いを生じる。なぜなら、これらによって無量の悪しき善ならざる法が生じるのを、私は見なかったからである。

「比丘者，隨所思、隨所念，心便樂中。若比丘多念無欲念者，則捨欲念，以多念無欲念故，心便樂中。若比丘多念無恚念、無害念者，則捨恚念、害念，以多念無恚念、無害念故，心便樂中。彼覺、觀已息，內靜一心，無覺、無觀，定生喜、樂，得第二禪成就遊。彼離喜欲，捨無求遊，正念、正智而身覺樂，謂聖所說聖所捨、念、樂住室，得第三禪成就遊。彼樂滅、苦滅，喜、憂本已滅，不苦、不樂，捨、念清淨，得第四禪成就遊。

> 比丘は、想い、念じるところに従って、心はそこに安らうのです。 もし比丘が、欲のない想いを多く念じるならば、欲の想いを捨てることになります。欲のない想いを多く念じるからこそ、心はそこに安らうのです。 もし比丘が、怒りのない想い、害のない想いを多く念じるならば、怒りの想いや害の想いを捨てることになります。怒りのない想い、害のない想いを多く念じるからこそ、心はそこに安らうのです。 そうして、彼は粗い思考と微細な思考が静まり、内心は静かで一心となり、粗い思考も微細な思考もなく、禅定から生じる喜びと安楽を得て、第二禅を成就してとどまります。 次に、彼は喜びへの欲を離れ、執着せずに求めることなくとどまり、正しい気づきと正しい智慧をもって、身体で安楽を感じます。聖者たちが「捨て、気づきをもち、安楽に住む」と説く境地に達し、第三禅を成就してとどまります。 そして、彼は安楽も苦しみも滅し、喜びも憂いもすでに滅したので、苦しくもなく快くもなく、捨と気づきが清らかとなり、第四禅を成就してとどまります。

「彼如是定心清淨，無穢、無煩，柔軟善住，得不動心，趣向漏盡通智作證，便知此苦如真，知此苦習、知此苦滅、知此苦滅道如真；亦知此漏如真，知此漏習、知此漏滅、知此漏滅道如真。彼如是知，如是見已，則欲漏心解脫，有漏、無明漏心解脫，解脫已便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。此比丘離欲念、離恚念、離害念，則得解脫生、老、病、死、愁憂、啼哭，離一切苦。猶如一無事處有大泉水，彼有群鹿遊住其中。有一人來，不為彼群鹿求義及饒益、求安隱快樂，塞平正路，開一惡道，作大坑壍，使人守視。如是群鹿一切死盡。復有一人來，為彼群鹿求義及饒益，求安隱快樂，開平正路，閉塞惡道，却守視人，如是群鹿普得安濟。

> 彼のように心が静まり清らかで、汚れがなく、煩わしさもなく、柔らかく善く安住し、動かない心を得て、煩悩の消滅に関する智慧の証得へと向かうならば、彼はこの苦しみをありのままに知り、苦しみの原因、苦しみの消滅、苦しみの消滅に至る道をありのままに知る。また、この煩悩をありのままに知り、煩悩の原因、煩悩の消滅、煩悩の消滅に至る道をありのままに知る。 彼がこのように知り、このように見るとき、欲望の煩悩から心が解脱し、存在の煩悩や無明の煩悩からも心が解脱する。解脱したならば、「解脱した」と知る。生は尽き、清らかな修行は完成し、なすべきことはなされ、再び迷いの生存を受けることはないと、ありのままに知る。 この比丘は、欲望の思い、怒りの思い、害心の思いを離れることにより、生・老・病・死、憂い、嘆き、泣き叫び、すべての苦しみから解脱する。 ちょうど、ある広々とした場所に大きな泉水があり、そこに多くの鹿の群れが住み遊んでいたとする。そこに一人の者が現れ、その鹿たちの利益や安楽を求めず、平らな正しい道を塞ぎ、悪い道を開き、大きな落とし穴を掘り、番人を置いて見張らせた。こうして鹿の群れはすべて死に絶えてしまった。 さらに別の者が現れ、鹿たちの利益と安楽を求め、平らな正しい道を開き、悪い道を塞ぎ、番人を追い払った。こうして鹿の群れは皆、平安に救われたのである。

「比丘！當知我說此喻，欲令知義，慧者聞喻，則解其趣。此說有義，大泉水者，謂是五欲愛念歡樂。云何為五？眼知色、耳知聲、鼻知香、舌知味、身知觸，大泉水者，當知是五欲也。大群鹿者，當知是沙門、梵志也。有一人來，不為彼求義及饒益、求安隱快樂者，當知是魔波旬也。塞平正路，開一惡道者，是三惡不善念：欲念、恚念、害念也。惡道者，當知是三惡不善念。復更有惡道，謂八邪道，邪見乃至邪定是為八。作大坑壍者，當知是無明也。使人守者，當知是魔波旬眷屬也。復有一人來，為彼求義及饒益、求安隱快樂者，當知是如來、無所著、等正覺也。閉塞惡道，開平正路者，是三善念：無欲念、無恚念、無害念也。道者，當知是三善念。復更有道，謂八正道，正見乃至正定是為八。

> 「比丘たちよ、知っておきなさい。私はこの譬えを、その意味を理解させるために説くのです。賢者は譬えを聞けば、その趣旨を悟ります。ここに示された意味とは、大きな泉水とは五つの欲望への愛着と楽しみを指します。五つとは何か？眼で形を知り、耳で声を知り、鼻で香りを知り、舌で味を知り、身で触れを知ること。大きな泉水とは、この五つの欲望のことだと知るべきです。大きな鹿の群れとは、修行者や聖者たちのことです。そこへ一人の者が来て、彼らのために真理や利益、安穏と楽を求めない者、それが悪魔マーラのことです。平らな正しい道を塞ぎ、一つの悪い道を開くとは、三つの悪しき不善の念――欲の念、怒りの念、害の念――のことです。悪い道とは、この三つの悪しき不善の念のことだと知るべきです。さらに別の悪い道があります。それは八つの邪道――邪見から邪定までの八つです。大きな深い穴を掘るとは、無明のことです。番人を置くとは、悪魔マーラの眷属のことです。そこへもう一人の者が来て、彼らのために真理や利益、安穏と楽を求める者、それが如来、阿羅漢、正等覚者です。悪い道を閉ざし、平らな正しい道を開くとは、三つの善き念――欲なき念、怒りなき念、害なき念――のことです。道とは、この三つの善き念のことだと知るべきです。さらに別の道があります。それは八つの正道――正見から正定までの八つです。

「比丘！我為汝等開平正路，閉塞惡道，填平坑壍，除却守人。如尊師所為弟子起大慈，哀憐念愍傷，求義及饒益，求安隱快樂者，我今已作。汝等亦當復自作，至無事處山林樹下空安靜處，宴坐思惟，勿得放逸，勤加精進，無令後悔。此是我之教勅，是我訓誨。」

> 「比丘たちよ、私はあなたたちのために、平らで正しい道を開き、悪しき道を塞ぎ、溝穴を埋め、門番を取り除きました。ちょうど尊い師が弟子に対して大いなる慈しみを起こし、哀れみ、顧み、嘆き、利益を求め、安らぎと楽しみを求めるように、私はすでにこれを成し遂げました。あなたたちもまた、自ら努めて、静かな場所、山林、樹下、空いている静かなところに行き、静かに座って思いを巡らせ、怠ることなく、熱心に精進しなさい。そうすれば後悔することはありません。これが私の教えであり、訓えです。」

佛說如是，彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏はこのように説かれました。それを聞いた比丘たちは皆、喜んでその教えの通りに実践しました。

念經第六竟千五百九十三字

> 経を唱えること、第六章 終わり<note>千五百九十三字</note>

## 中阿含經卷第二十五七千四百六十八字

> 中阿含経 第二十五巻