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title: "中阿含經 · 104 優曇婆邏經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一〇四）中阿含因品優曇婆邏經第八第二小土城誦

> （一〇四）中阿含経 因品 優曇婆邏経 第八<note>第二小土城誦

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊王舍城，在竹林伽蘭哆園。

> ある時、仏陀は王舎城の竹林精舎に滞在されました。

爾時，有一居士名曰實意，彼於平旦從王舍城出，欲往詣佛供養禮事。於是，實意居士作如是念：「且置詣佛，世尊或能宴坐及諸尊比丘，我寧可往優曇婆邏林詣異學園。」於是，實意居士即往優曇婆邏林詣異學園。

> その時、一人の在家信者がおりました。名を「実意（じつい）」といいます。彼は早朝に王舎城を出て、仏のもとへ参り、供養し礼拝しようと考えました。 そこで実意居士はこう思いました。「今すぐ仏のもとへ行くのはやめておこう。世尊はもしかすると坐禅しておられるかもしれないし、尊い比丘たちもおられるかもしれない。それならば、私はウドゥンバラの林にある異学の園へ行ってみよう。」 こうして実意居士は、ウドゥンバラの林にある異学の園へと向かいました。

彼時，優曇婆邏林異學園中，有一異學名曰無恚，在彼中尊為異學師，眾人所敬，多所降伏，為五百異學之所推宗，在眾調亂，音聲高大，說種種鳥論、語論、王論、賊論、鬪諍論、飲食論、衣被論、婦女論、童女論、婬女論、世俗論、非道論、海論、國論，如是比說種種鳥論，皆集在彼坐。於是，異學無恚遙見實意居士來，即勅己眾，皆令嘿然：「諸賢！汝等莫語嘿然，樂嘿然，各自斂攝。所以者何？實意居士來，是沙門瞿曇弟子。若有沙門瞿曇弟子名德高遠，所可宗重，在家住止，居王舍城者，彼為第一，彼不語，樂嘿然，自收斂。若彼知此眾嘿然住者，彼或能來。」於是，異學無恚令眾嘿然，自亦嘿然。

> その時、ウドゥンバラ林の異学園に、無恚という名の異学の師がいた。彼はその教団の尊者であり、多くの人々から敬われ、多くの者を降伏させ、五百人の異学の学徒たちから崇拝されていた。集会では騒々しく響き渡る大声で、様々な鳥に関する論、言語論、王論、賊論、闘争論、飲食論、衣服論、女性論、少女論、淫女論、世俗論、非道論、海論、国家論など、数多くの鳥に関する論を説き、それらはすべて彼の席に集まっていた。 さて、異学の師・無恚は、遙か彼方から実意居士がやって来るのを認めると、すぐに自分の弟子たちに命じて、皆を沈黙させた。「諸君！言葉を慎み、静かにしていなさい。静寂を楽しみ、各自が心を整えなさい。なぜなら、実意居士が来られるからだ。彼は沙門ゴータマの弟子である。沙門ゴータマの弟子の中で、名声高く徳が優れ、尊敬され、在家のまま王舎城に住む者としては、彼が第一である。彼は言葉少なく、静寂を好み、自らを律している。もし彼がこの集まりが静かにしているのを知れば、あるいは来てくださるかもしれない。」そこで、異学の師・無恚は集まりを静かにさせ、自らも静かにした。

於是，實意居士往詣異學無恚所，共相問訊，却坐一面，實意居士語曰：「無恚！我佛世尊若在無事處山林樹下，或住高巖，寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順宴坐。是佛世尊如斯之比，在無事處山林樹下，或住高巖，寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順宴坐。彼在遠離處常樂宴坐，安隱快樂，彼佛世尊初不一日一夜共聚集會，如汝今日及眷屬也。」

> そこで、實意居士は異学の無恚のところに行き、互いに挨拶を交わした後、片隅に座って言った。「無恚よ、私の仏世尊は、時に人里離れた山林の木陰や高い岩場に留まり、静寂で音がなく、俗世から遠く離れ、悪がなく、人々のいないところで、静かに坐っておられる。そのような仏世尊は、このようにして、人里離れた山林の木陰や高い岩場に留まり、静寂で音がなく、俗世から遠く離れ、悪がなく、人々のいないところで、静かに坐っておられる。その遠離の地にあって常に静坐を楽しみ、安らかで幸せである。その仏世尊は、あなたが今日、眷属と共に集まっているように、一日一夜も集まって過ごすことはないのだ。」

於是，異學無恚語曰：「居士！止！止！汝何由得知，沙門瞿曇空慧解脫？此不足說，或相應或不相應，或順或不順，彼沙門瞿曇行邊至邊，樂邊至邊，住邊至邊。猶如瞎牛在邊地食，行邊至邊，樂邊至邊，住邊至邊，彼沙門瞿曇亦復如是。居士！若彼沙門瞿曇來此眾者，我以一論滅彼，如弄空瓶，亦當為彼說瞎牛喻。」

> そこで、異学の無恚が言った。 「居士よ、おやめなさい、おやめなさい。いったい何をもって、あなたが沙門ゴータマの空慧による解脱を知ることができるというのですか。 そのようなことは語るに足りません。あれは、根拠のあることもあれば、ないこともあり、道理にかなうこともあれば、かなわないこともあるのです。 あの沙門ゴータマは、辺境を行き、辺境を楽しみ、辺境に住んでいるのです。 ちょうど、片目が不自由な牛が、辺境の地で草を食べ、辺境を行き、辺境を楽しみ、辺境に住んでいるように、あの沙門ゴータマもまた同じです。 居士よ、もしあの沙門ゴータマがこの集まりに来たなら、私は一つの論法で彼をやっつけ、まるで空っぽの瓶を弄ぶようにしてやり、彼にその『片目牛のたとえ』を聞かせてやりましょう。」

於是，異學無恚告己眾曰：「諸賢！沙門瞿曇儻至此眾，若必來者，汝等莫敬，從坐而起，叉手向彼，莫請令坐，豫留一座，彼到此已，作如是語：『瞿曇！有座，欲坐隨意。』」

> そこで、異学の無恚が自分の仲間に告げて言いました。「諸賢よ！沙門ゴータマがもしこの集会に来ることがあれば、決して彼を敬ってはならない。席から立ち上がり、合掌して彼を迎えることも、席を勧めることもしてはならない。あらかじめ一つの席を空けておき、彼が来た時にこう言うのだ。『ゴータマよ、席はある。お好きなように座るがよい。』」

爾時，世尊在於宴坐，以淨天耳出過於人，聞實意居士與異學無恚共論如是，則於晡時從宴坐起，往詣優曇婆邏林異學園中。異學無恚遙見世尊來，即從坐起偏袒著衣，叉手向佛，讚曰：「善來，沙門瞿曇！久不來此，願坐此座。」

> その時、世尊は静かに座しておられ、人間の能力を超えた清らかな天耳によって、実意居士と異学の無恚がこのように議論しているのをお聞きになった。そして夕方、静坐から起き上がり、優曇婆邏林にある異学の園へと向かわれた。異学の無恚は、遠くから世尊が来られるのを見ると、すぐに座から立ち上がり、衣を片方の肩にかけ、手を合わせて仏に向かい、「ようこそお越しくださいました、沙門ゴータマよ。久しくこちらにお越しになりませんでした。どうぞこの座にお掛けください」と賛嘆した。

彼時，世尊作如是念：「此愚癡人，自違其要。」世尊知已，即坐其床，異學無恚便與世尊共相問訊，却坐一面。世尊問曰：「無恚！向與實意居士共論何事？以何等故集在此坐？」

> その時、世尊はこう思われた。「この愚かな人は、自ら重要な道理に背いている。」 世尊はそれを知って、その床に坐られた。異学の無恚（むけ）は世尊と互いに挨拶を交わし、一方に退いて坐った。 世尊が尋ねられた。「無恚よ、さきに実意居士と何を論じていたのか。どのような理由でここに集まっていたのか。」

異學無恚答曰：「瞿曇！我等作是念：『沙門瞿曇有何等法，謂教訓弟子？弟子受教訓已，令得安隱，盡其形壽，淨修梵行，及為他說。』瞿曇！向與實意居士共論如是，以是之故，集在此坐。」

> 他の教えを学ぶ者、無恚が答えて言いました。「ゴータマよ、私たちはこう考えていました。『沙門ゴータマには、どのような教えがあるというのか。それが弟子たちを教え導き、弟子たちがその教えを受けて、生涯にわたって平安を得、清らかな修行を完成させ、さらにそれを他の人々にも説くことができるというのか。』と。ゴータマよ、先ほど私たちは実意居士とこのように論じていたのです。そのため、ここに集まっておりました。」

實意居士聞彼語已，便作是念：「此異學無恚異哉妄語。所以者何？在佛面前欺誑世尊。」

> 実意居士はその言葉を聞いて、こう思いました。「この異学の無恥という者は、実に奇妙な嘘をつくものだ。なぜなら、仏の面前で世尊を欺こうとしているからだ。」

世尊知已，語曰：「無恚！我法甚深！甚奇！甚特！難覺難知，難見難得，謂我教訓弟子。弟子受教訓已，盡其形壽，淨修梵行，亦為他說。無恚！若汝師宗所可不了憎惡行者，汝以問我，我必能答，令可汝意。」

> 世尊はそれを聞いておっしゃった。「無恚よ、怒ってはいけない。私の教えは非常に深く、非常に優れ、非常に特別である。理解しがたく、知りがたく、見ることが難しく、得ることが難しい。それは私が弟子たちを教え導くことである。弟子たちは教えを受けて、その一生をかけて清らかな修行を完成させ、また他の人々にもそれを説く。無恚よ、もしあなたの師や宗派において理解できず嫌っている行いがあるなら、あなたは私に尋ねなさい。私は必ず答えて、あなたの心にかなうようにしよう。」

於是，調亂異學眾等同音共唱，高大聲曰：「沙門瞿曇甚奇！甚特！有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神。所以者何？乃能自捨己宗，而以他宗隨人所問。」於是異學無恚自勅己眾，令嘿然已，問曰：「瞿曇！不了可憎行。云何得具足？云何不得具足？」

> そこで、様々な異なる学問を説く人々が声を揃えて、大声で叫びました。「沙門ゴータマは実に素晴らしい！特別だ！大きな自在の力を持ち、大きな威徳があり、大きな福徳があり、大きな威神力がある。なぜかと言えば、自らの教えを捨てて、他人の教えに従って質問に答えることができるからだ。」 そこで、異なる学問を説く無恚という人物は自らの仲間を制して静かにさせ、こう尋ねました。「ゴータマよ、理解しがたい忌まわしい行いについてお尋ねします。それはどのようにして完全なものとなるのでしょうか？どのようにして完全なものとならないのでしょうか？」

於是，世尊答曰：「無恚！或有沙門、梵志倮形無衣，或以手為衣，或以葉為衣，或以珠為衣，或不以瓶取水，或不以櫆取水，不食刀杖劫抄之食，不食欺妄食，不自往、不遣信，不求來尊，不善尊，不住尊。若有二人食，不在中食，不懷姙家食，不畜狗家食，設使家有糞蠅飛來而不食，不噉魚，不食肉，不飲酒，不飲惡水，或都無所飲，學無飲行，或噉一口，以一口為足，或二、三、四，乃至七口，以七口為足，或食一得，以一得為足，或二、三、四乃至七得，以七得為足，或日一食，以一食為足，或二、三、四、五、六、七日、半月、一月一食，以一食為足。

> そこで世尊はお答えになりました。「怒りなさいませんように。ある修行者や婆羅門の中には、裸で衣をまとわない者もいます。手を衣とする者、葉を衣とする者、木の実を衣とする者もいます。水瓶を使わず、ひしゃくも使わず、刀や杖で脅して得た食べ物は食べません。偽りの言葉で得た食べ物も食べません。自ら行かず、使いも出さず、来ることを尊ばず、とどまることを尊ばず、住むことを尊びません。二人で食事をするところでは食べず、妊婦の家では食べず、犬を飼う家では食べません。もし家に蝿が飛んで来ても食べず、魚を食べず、肉を食べず、酒を飲まず、悪い水も飲みません。あるいは全く飲まず、無飲の行を学びます。あるいは一口だけ食べ、一口で満足します。あるいは二口、三口、四口から七口まで、七口で満足します。あるいは一掴み食べ、一掴みで満足します。あるいは二、三、四から七掴みまで、七掴みで満足します。あるいは一日に一度食べ、一度で満足します。あるいは二日、三日、四日、五日、六日、七日、半月、一月に一度食べ、一度で満足するのです。」

「或食菜茹，或食稗子，或食𣘤米，或食雜󰉕，或食頭頭邏食，或食麤食，或至無事處，依於無事，或食根，或食果，或食自落果，或持連合衣，或持毛衣，或持頭舍衣，或持毛頭舍衣，或持全皮，或持穿皮，或持全穿皮，或持散髮，或持編髮，或持散編髮，或有剃髮，或有剃鬚，或剃鬚髮，或有拔髮，或有拔鬚，或拔鬚髮，或住立斷坐，或修蹲行，或有臥刺，以刺為床，或有臥果，以果為床，或有事水，晝夜手抒，或有事火，竟昔然之，或事日月尊祐大德，叉手向彼。如此之比，受無量苦，學煩熱行。無恚！於意云何？不了可憎行如是，為具足？為不具足？」

> ある者は野菜だけを食べ、ある者は雑穀を食べ、ある者は精米しない米を食べ、ある者は様々な混ぜ物を食べ、ある者は「頭頭邏食（とるちらしょく）」という特別な食をとり、ある者は粗末な食べ物を食べます。ある者は人里離れた静かな場所に行き、そこに住み、ある者は根を食べ、ある者は果実を食べ、ある者は自然に落ちた果実を食べます。また、ある者は継ぎ合わせた衣をまとい、ある者は毛織りの衣を、ある者は頭巾のような衣を、ある者は毛と頭巾を合わせた衣を着けます。ある者は完全な一枚の皮を、あるいは穴を開けた皮を、あるいは穴を開けずに完全な皮を身にまといます。ある者は髪を乱したままにし、ある者は髪を編み、ある者は編んだり解いたりします。ある者は頭を剃り、ある者は髭を剃り、あるいはその両方を剃ります。ある者は髪や髭を抜き取ります。ある者は立ち続けたり座ることを拒んだり、あるいはしゃがんだまま歩く修行をします。ある者はとげの上に横たわり、とげを寝床とし、ある者は果実の上に横たわり、果実を寝床とします。ある者は水を神として崇め、昼夜にわたり手で水をかき混ぜ、ある者は火を崇め、一晩中燃やし続けます。ある者は太陽や月、或いは尊い神々や大いなる徳のある者を敬い、彼らに向かって合掌します。このような様々な苦行を自らに課し、身を焦がすような修行をしているのです。怒りなき者よ、あなたはどう思いますか？このような嫌悪すべき行いは、修行として十分なのでしょうか、それとも不十分なのでしょうか？」

異學無恚答曰：「瞿曇！如是不了可憎行為具足，非不具足。」

> 他学派の者が怒りなく答えた：「ゴータマよ、その通りです。そのような理解しがたく、嫌悪すべき行いが完全に備わっており、欠けてはいません。」

世尊復語曰：「無恚！我為汝說此不了可憎具足行為無量穢所污。」

> 釈尊はさらにこう言われました。「怒ってはいけません。私があなたに、この不完全で嫌悪すべき、数多くの汚れにまみれた行いの全体について説いてあげましょう。」

異學無恚問曰：「瞿曇云何為我說此不了可憎具足行為無量穢所污耶？」

> ある異教の者が忿らずに尋ねました。 「ゴータマよ。どうしてあなたは私に、この不明瞭で嫌悪すべき、満ち足りた行いが無数の汚れに穢されている、と説くのですか？」

世尊答曰：「無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，惡欲、念欲。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，惡欲、念欲者，是謂，無恚！行苦行者穢。復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，仰視日光，吸服日氣。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，仰視日光，吸服日氣者，是謂，無恚！行苦行者穢。復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行而自貢高，得清苦行苦行已，心便繫著。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行而自貢高，得清苦行苦行已，心便繫著者，是謂，無恚！行苦行者穢。

> 世尊は答えた。「無恚よ、ある人は清らかな苦行を行う。しかし、その清らかな苦行のゆえに、悪い欲望や執着の念を起こす。無恚よ、もし清らかな苦行を行いながら、そのゆえに悪い欲望や執着の念を起こすならば、これを行苦行者（苦行を実践する者）の汚れという。 また、無恚よ、ある人は清らかな苦行を行う。そしてその清らかな苦行のゆえに、日光を見上げ、日光を吸い込む。無恚よ、もし清らかな苦行を行いながら、そのゆえに日光を見上げ、日光を吸い込むならば、これを行苦行者の汚れという。 さらに、無恚よ、ある人は清らかな苦行を行う。そしてその清らかな苦行のゆえに、自らを高く見せ、苦行を得た後に心をそれに執着させる。無恚よ、もし清らかな苦行を行いながら、そのゆえに自らを高く見せ、苦行を得た後に心をそれに執着させるならば、これを行苦行者の汚れという。」

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，自貴賤他。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，自貴賤他者，是謂，無恚！行苦行者穢。復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，往至家家而自稱說：『我行清苦，我行甚難。』無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，往至家家而自稱說：『我行清苦，我行甚難。』者，是謂，無恚！行苦行者穢。

> さらに、無恚よ。ある修行者は清らかな苦行を行い、その苦行ゆえに自分を高く見て他人を卑しめる。無恚よ、もし清らかな苦行を行い、それによって自分を高く見て他人を卑しめるなら、これは苦行を行う者の汚れであると言える。 さらに、無恚よ。ある修行者は清らかな苦行を行い、その苦行ゆえに家々を訪れては自ら誇る。「私は清らかな苦行を行っている。私は非常に困難な修行をしている」と。無恚よ、もし清らかな苦行を行い、それによって家々を訪れては自ら誇るなら、これは苦行を行う者の汚れであると言える。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，若見沙門、梵志為他所敬重、供養、禮事者，便起嫉妬言：『何為敬重、供養、禮事彼沙門、梵志？應敬重、供養、禮事於我。所以者何？我行苦行。』無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，若見沙門、梵志為他所敬重、供養、禮事者，便起嫉妬言：『何為敬重、供養、禮事彼沙門、梵志？應敬重、供養、禮事於我。所以者何？我行苦行。』者，是謂，無恚！行苦行者穢。

> さらに、無恚よ。ある修行者が苦しい修行に励んでおり、その苦行ゆえに、もし沙門や梵志が他人から敬われ、供養され、礼拝されるのを見ると、嫉妬の心を起こしてこう言う。 「なぜあの沙門や梵志を敬い、供養し、礼拝するのか。私こそ敬われ、供養され、礼拝されるべきである。なぜなら、私は苦行を行っているからだ」と。 無恚よ。このように、ある者が苦しい修行に励み、その苦行ゆえに、もし沙門や梵志が他人から敬われ、供養され、礼拝されるのを見て、嫉妬の心を起こして「なぜあの沙門や梵志を敬い、供養し、礼拝するのか。私こそ敬われ、供養され、礼拝されるべきである。なぜなら、私は苦行を行っているからだ」と言うならば、これを、無恚よ、苦行を行う者の汚れというのである。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，若見沙門、梵志為他所敬重、供養、禮事者，便面訶此沙門、梵志言：『何為敬重、供養、禮事？汝多欲、多求、常食，食根種子、樹種子、果種子、節種子、子種子為五。猶如暴雨，多所傷害五穀種子，嬈亂畜生及於人民。』如是，彼沙門、梵志數入他家亦復如是。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，若見沙門、梵志為他所敬重、供養、禮事者，便面訶此沙門、梵志言：『何為敬重、供養、禮事？汝多欲、多求、常食，食根種子、樹種子、果種子、節種子、子種子為五。猶如暴雨，多所傷害五穀種子，嬈亂畜生及於人民。』如是，彼沙門、梵志數入他家亦復如是者，是謂，無恚！行苦行者穢。

> また、無恥よ。ある修行者は苦しい行を実践している。その苦行ゆえに、もし他の修行者やバラモンが人々から敬われ、供養され、礼拝されているのを見ると、その修行者やバラモンを面と向かって責めて言う。「どうして彼らを敬い、供養し、礼拝するのか。あなたがたは欲望が多く、求めが多く、常に食べ物をあさっている。根の種、木の種、果実の種、節の種、子の種の五種を食べている。それはちょうど大雨が降ると、五穀の種に多くの害を与え、家畜や人々を混乱させるのと同じだ」と。このように、その修行者やバラモンが頻繁に在家の家に入り込むこともまた同じである。無恥よ。ある修行者が苦しい行を実践し、その苦行ゆえに、もし他の修行者やバラモンが人々から敬われ、供養され、礼拝されているのを見ると、その修行者やバラモンを面と向かって責めて言う。「どうして彼らを敬い、供養し、礼拝するのか。あなたがたは欲望が多く、求めが多く、常に食べ物をあさっている。根の種、木の種、果実の種、節の種、子の種の五種を食べている。それはちょうど大雨が降ると、五穀の種に多くの害を与え、家畜や人々を混乱させるのと同じだ」と。このように、その修行者やバラモンが頻繁に在家の家に入り込むこともまた同じであるならば、無恥よ、これを行苦行者の汚れというのである。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，有愁癡恐怖、恐懼密行、疑恐失名、增伺放逸。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，有愁癡恐怖、恐懼密行、疑恐失名、增伺放逸者，是謂，無恚！行苦行者穢。

> 「さらに、無瞋よ。ある人が苦しい修行を実践していても、その苦行によって、心に憂いや愚かさ、恐れや不安、秘密めいた行い、名声を失う心配、やっかみや放埒が生じることがある。無瞋よ、もし苦行を実践しながら、その苦行によって、かえって心に憂いや愚かさ、恐れや不安、秘密めいた行い、名声を失う心配、やっかみや放埒が生じるならば、これは、無瞋よ、苦行を実践する者の汚れと呼ばれるのだ。」

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，生身見、邊見、邪見、見取、難為，意無節限，為諸沙門、梵志可通法而不通。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，生身見、邊見、邪見、見取、難為，意無節限，為沙門、梵志可通法而不通者，是謂，無恚！行苦行者穢。

> さらに、無恚（むい）よ。ある修行者は厳しい苦行に励む。その苦行によって、身見（自分への執着）、辺見（偏った見解）、邪見（誤った見解）、見取（自己の見解への執着）、そして執われやすさが生じ、心に節度がなくなる。また、修行者や沙門にふさわしい適切な教えを受け入れようとしない。 無恚よ。もしある修行者が厳しい苦行に励み、その苦行によって身見、辺見、邪見、見取、執われやすさが生じ、心に節度がなくなり、修行者や沙門にふさわしい教えを受け入れようとしないならば、それが、無恚よ、苦行における汚れなのである。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，瞋、纏、不語結、慳、嫉、諛諂、欺誑、無慙、無愧。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，瞋纏、不語結、慳、嫉、諛諂、欺誑、無慙、無愧者，是謂，無恚！行苦行者穢。

> また、無恚よ。ある修行者が苦行に励み、その苦行によって、怒り、執着、無口、物惜しみ、嫉妬、お世辞、欺瞞、恥知らず、反省しない心を抱くことがある。無恚よ。もしある修行者が苦行に励み、その苦行によって、怒り、執着、無口、物惜しみ、嫉妬、お世辞、欺瞞、恥知らず、反省しない心を抱くならば、それは、無恚よ。苦行に励む者の汚れであると私は説く。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，妄言、兩舌、麤言、綺語，具惡戒。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，妄言、兩舌、麤言、綺語，具惡戒者，是謂，無恚！行苦行者穢。

> さらに、無恚（むい）よ、ある人は苦しい修行を積みます。しかしその苦行によって、嘘をつき、仲違いをさせる言葉、乱暴な言葉、無意味な言葉を話し、悪い戒めを持ちます。無恚よ、もし苦しい修行をしても、その修行によって嘘や仲違いの言葉、乱暴な言葉、無意味な言葉を話し、悪い戒めを持つならば、それが、無恚よ、苦行を行う者の汚れなのです。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不信、懈怠，無正念正智，有惡慧。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不信、懈怠，無正念正智，有惡慧者，是謂，無恚！行苦行者穢。無恚，我不為汝說此不了可憎具足行，無量穢所污耶？」

> 「さらに、無恚よ。ある人は苦行を実践するが、その苦行によって、信仰心がなく、怠け者で、正しい念と正しい智慧がなく、悪しき智慧を持つことがある。無恚よ。もし苦行を実践することで、信仰心がなく、怠け者で、正しい念と正しい智慧がなく、悪しき智慧を持つとしたら、これは、無恚よ。『苦行を実践する人には汚れがある』と言うのである。無恚よ。私はあなたに、このような『成熟していない、嫌悪すべき行』であり、無数の汚れに染まったものを説いたのではないだろうか？」

異學無恚答曰：「如是，瞿曇為我說此不了可憎具足行，無量穢所污。」

> 他宗の人々が怒りなく答えて言った。「その通りです。ゴータマよ、あなたは私にこの明らかでなく、嫌悪すべき、完全な行いを語り、無量の汚れに染まったものと示しました。」

「無恚！我復為汝說此不了可憎具足行，不為無量穢所污。」

> 「怒りを手放しなさい。次に、あなたのために、この理解しがたく、嫌悪され、完全に成就された実践について説きましょう。それは無量の汚れに染まることはありません。」

異學無恚復問曰：「云何瞿曇為我說此不了可憎具足行，不為無量穢所污耶？」

> 異学の無恚が再び問うた。「ゴータマよ、あなたがおっしゃる、この理解しがたく、嫌悪すべきものでありながらも完全な修行とは、無量の汚れに染まらないものであるとおっしゃるのですか？」

世尊答曰：「無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不惡欲、不念欲。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不惡欲、不念欲者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> 世尊がお答えになりました。「無恚よ。ある修行者は、厳しい修行を行い、その厳しい修行によって、欲望を嫌悪せず、欲望を思うこともありません。無恚よ。もしある修行者が、厳しい修行を行い、その厳しい修行によって、欲望を嫌悪せず、欲望を思うこともないならば、無恚よ、これこそが厳しい修行を行う者に汚れがない状態なのです。」

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不視日光，不服日氣。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不視日光，不服日氣者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> さらに、無恚（むい）よ。ある修行者は厳しい苦行を行い、その苦行によって日光を直視せず、日中の暑気を避ける。無恚よ。もし修行者が厳しい苦行を行い、その苦行によって日光を直視せず、日中の暑気を避けるならば、無恚よ。これを「苦行を行う者には汚れがない」と言うのだ。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行而不貢高，得清苦行苦行已，心不繫著。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行而不貢高，得清苦行苦行已，心不繫著者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> さらに、無恚よ。ある修行者が厳しい苦行を実践するとしよう。しかし、その苦行のために高ぶることなく、苦行を成し遂げた後も、心をそれに執着させない。無恚よ。もしある人が厳しい苦行を実践し、その苦行のために高ぶることなく、苦行を成し遂げた後も、心をそれに執着させないならば、これこそが、無恚よ、苦行を行う者に汚れがない状態というものである。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不自貴、不賤他。無恚！若一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不自貴、不賤他者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> また、無瞋（むしん）よ。ある修行者は、厳しい苦行を清らかに行います。しかし、その苦行のために、自分を高く見たり、他人を低く見たりしません。無瞋よ。もし苦行を行う者が、その苦行によって自分を誇らず、他人を見下さないならば、それが、無瞋よ、苦行を行う者に汚れのない状態というものです。

「復次，無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不至家家而自稱說：『我行清苦行，我行甚難。』無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不至家家而自稱說：『我行清苦行，我行甚難。』者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> また、無恚よ。もしある人が清らかな苦行を修行し、その清らかな苦行ゆえに、家々を訪ね歩いて「私は清らかな苦行を行っている。私は非常に困難な修行をしている」と自ら誇ることがないとするならば、無恚よ。これこそ、苦行を修行する者に汚れのない状態であると私は説く。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，若見沙門、梵志為他所敬重、供養、禮事者，不起嫉妬言：『何為敬重、供養、禮事彼沙門、梵志？應敬重、供養、禮事於我。所以者何？我行苦行。』無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，若見沙門、梵志為他所敬重、供養、禮事者，不起嫉妬言：『何為敬重、供養、禮事彼沙門、梵志？應敬重、供養、禮事於我。所以者何？我行苦行。』者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> また、無恵よ。ある者が清らかな苦行を修行しているとしよう。その苦行のゆえに、もし沙門や梵志が他の人々から敬重され、供養され、礼拝されるのを見ても、嫉妬の心を起こさず、こう言わない。「なぜあの沙門や梵志を敬重し、供養し、礼拝するのか。私こそ敬重され、供養され、礼拝されるべきだ。なぜなら、私は苦行を修行しているからだ」と。無恵よ。ある者が清らかな苦行を修行し、その苦行のゆえに、もし沙門や梵志が他の人々から敬重され、供養され、礼拝されるのを見ても、嫉妬の心を起こさず、「なぜあの沙門や梵志を敬重し、供養し、礼拝するのか。私こそ敬重され、供養され、礼拝されるべきだ。なぜなら、私は苦行を修行しているからだ」と言わないこと。これを、無恵よ、苦行を修行する者に汚れがない、というのである。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，若見沙門、梵志為他所敬重、供養、禮事者，不面訶此沙門、梵志言：『何為敬重、供養、禮事？汝多欲、多求、常食，食根種子、樹種子、果種子、節種子、種子為五。猶如暴雨，多所傷害五穀種子，嬈亂畜生及於人民。』如是，彼沙門、梵志數入他家亦復如是。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，若見沙門、梵志為他所敬重、供養、禮事者，不面訶此沙門、梵志言：『何為敬重、供養、禮事？汝多欲、多求、常食，食根種子、樹種子、果種子、節種子、種子為五。猶如暴雨，多所傷害五穀種子，嬈亂畜生及於人民。』如是，彼沙門、梵志數入他家亦復如是者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> さらに、無恚よ。ある修行者が厳しい苦行を実践しているとしよう。その苦行ゆえに、修行者やバラモンが他人から尊敬され、供養され、敬われるのを見たとき、面と向かってこう非難しないことがある。「なぜ彼らを尊敬し、供養し、敬うのか。あなたがたは欲望が多く、求めが多く、常に食べている。根の種、木の種、果実の種、節の種、種という五つのものを食している。それはちょうど豪雨が五穀の種を傷つけ、家畜や人々を乱すようなものだ」と。このように、その修行者やバラモンが他人の家に頻繁に入るのも同じである。無恚よ。もしある修行者が厳しい苦行を実践し、その苦行ゆえに、修行者やバラモンが他人から尊敬され、供養され、敬われるのを見ても、面と向かって「なぜ彼らを尊敬し、供養し、敬うのか。あなたがたは欲望が多く、求めが多く、常に食べている。根の種、木の種、果実の種、節の種、種という五つのものを食している。それはちょうど豪雨が五穀の種を傷つけ、家畜や人々を乱すようなものだ」と非難しないこと。これこそ、無恚よ、苦行を実践する者に穢れがないというのである。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不愁癡恐怖、不恐懼密行、不疑恐失名、不增伺放逸。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不愁癡恐怖、不恐懼密行、不疑恐失名、不增伺放逸者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> さらに、無瞋よ。ある修行者が清らかな苦行を実践し、その苦行によって、愚かさから来る憂いや恐怖を持たず、秘密の行いを恐れず、名声を失うことを疑い恐れず、放逸な心を増やさないとする。無瞋よ。もしある修行者が清らかな苦行を実践し、その苦行によって、愚かさから来る憂いや恐怖を持たず、秘密の行いを恐れず、名声を失うことを疑い恐れず、放逸な心を増やさないなら、これこそが、無瞋よ。苦行を実践する者に汚れがない、と説かれる。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不生身見、邊見、邪見、見取、不難為，意無節限，為諸沙門、梵志可通法而通。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不生身見、邊見、邪見、見取、不難為，意無節限，為諸沙門、梵志可通法而通者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> さらに、無恚よ。ある修行者が清らかな苦行を行うとする。その清らかな苦行によって、身体に対する執着（身見）、極端な見解（辺見）、誤った見解（邪見）、それらの見解への執着（見取）が生じず、それらに悩まされることもない。心に限界を設けず、すべての沙門や梵志が通じ合える法（真理）に通じている。無恚よ。もし清らかな苦行によって、これらの見解が生じず、悩まされることもなく、心に限界がなく、すべての沙門や梵志が通じ合える法に通じているならば、これを「苦行を行う者に汚れがない」というのである。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，無瞋纏、不語結、慳、嫉、諛諂、欺誑、無慙、無愧。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，無瞋、纏、不語結、慳、嫉、諛諂、欺誑、無慙、無愧者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> さらに、無瞋よ。ある者は清らかな苦行を行う。その清らかな苦行によって、怒りや執着、無駄話、吝嗇、嫉妬、お世辞、欺瞞、恥知らず、後ろめたさがない。無瞋よ。もし清らかな苦行を行い、その清らかな苦行によって、怒り、執着、無駄話、吝嗇、嫉妬、お世辞、欺瞞、恥知らず、後ろめたさがないなら、これを、無瞋よ、苦行を行う者に汚れがない、と言うのである。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不妄言、兩舌、麤言、綺語，不具惡戒。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，不妄言、兩舌、麤言、綺語，不具惡戒者，是謂，無恚！行苦行者無穢。

> また、無恚（むけ）よ。ある修行者は苦行に励みます。その苦行によって、嘘をつかず、仲違いさせる言葉も、荒々しい言葉も、無駄な言葉も語らず、悪い戒めを持つこともありません。無恚よ。もしある修行者が苦行に励み、その苦行によって嘘をつかず、仲違いさせる言葉も、荒々しい言葉も、無駄な言葉も語らず、悪い戒めを持つこともないならば、無恚よ。それが、苦行を実践する者には汚れがない、ということなのです。

「復次，無恚！或有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，無不信、懈怠，有正念正智，無有惡慧。無恚！若有一清苦行苦行，因此清苦行苦行，無不信、懈怠，有正念正智，無惡慧者，是謂，無恚！行苦行者無穢。無恚！我不為汝說此不了可憎具足行，不為無量穢所污耶？」

> 「さらに、無瞋よ。ある修行者は厳しい苦行を実践している。その苦行ゆえに、彼には信仰心がなく、怠けることなく、正しい気づきと正しい智慧をそなえ、誤った智慧はない。無瞋よ。もしある修行者が厳しい苦行を実践し、その苦行ゆえに、信仰心がなく、怠けることなく、正しい気づきと正しい智慧をそなえ、誤った智慧がないならば、これは、無瞋よ。苦行を行う者に汚れがない、と私は説くのだ。無瞋よ。わたしはあなたに、この不十分で嫌悪すべき完全な行いが、無量の汚れに染まっていないと言ったのではないか？」

異學無恚答曰：「如是。瞿曇為我說此不了可憎具足行，不為無量穢所污。」

> 他の学問を説く者が、怒りなく答えた。「その通りです。ゴータマよ、あなたは私に、この不明瞭で嫌悪すべき完全な行いを説いてくださいました。それは無量の汚れに染まることはありません。」

異學無恚問曰：「瞿曇！此不了可憎行，是得第一、得真實耶？」

> 異学の無恚が問うた。「ゴータマよ、この（修行者の）理解不能で嫌悪すべき行いは、第一の境地や真実を得るものなのでしょうか？」

世尊答曰：「無恚！此不了可憎行，不得第一、不得真實；然有二種，得皮、得節。」

> 世尊がお答えになりました。「怒りはありません。この理解しがたく嫌悪すべき行いは、第一のものにはならず、真実を得ることもありません。しかし、二つの種類があります。皮を得るものと、節（核）を得るものです。」

異學無恚復問曰：「瞿曇！云何此不了可憎行得表皮耶？」

> 他学派の者で無恚（むい）という人物が、再び尋ねました。「ゴータマよ、どうしてこの理解しがたく嫌悪すべき行いが、表面だけのものになりうるのですか？」

世尊答曰：「無恚！此或有一沙門梵志行四行，不殺生、不教殺、不同殺，不偷、不教偷、不同偷，不取他女、不教取他女、不同取他女，不妄言、不教妄言、不同妄言。彼行此四行，樂而不進，心與慈俱，遍滿一方成就遊。如是二三四方、四維上下，普周一切，心與慈俱，無結、無怨、無恚、無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。如是悲喜心與捨俱，無結、無怨、無恚、無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。無恚！於意云何？如是此不了可憎行得表皮耶？」

> 世尊は答えられた。「無瞋よ、こう考えなさい。ある沙門や梵志が、四つの行いを実践するとしよう。すなわち、殺さず、殺すよう教えず、殺しに同意せず、盗まず、盗むよう教えず、盗みに同意せず、他人の妻を取らず、取るよう教えず、取ることに同意せず、偽りを言わず、偽りを教えず、偽りに同意しない。この人は、この四つの行いを実践しても、さらに向上しようと努めず、慈しみの心と共に、一方の世界に満ち満ちて安らかに遊ぶ。同様に、二方、三方、四方、四つの隅、上下、すべての場所に広がり、慈しみの心と共に、とらわれず、恨みず、怒らず、争わず、極めて広大で計り知れない、無量の善き修行をもって、すべての世間に満ち満ちて安らかに遊ぶ。同様に、悲しみの心、喜びの心、そして捨てる心においても、とらわれず、恨みず、怒らず、争わず、極めて広大で計り知れない、無量の善き修行をもって、すべての世間に満ち満ちて安らかに遊ぶ。無瞋よ、あなたはどう思うか。このようにして、この『厭うべき行い』は皮を剥ぐように、その本質を得たと言えるだろうか？」

無恚答曰：「瞿曇！如是此不了可憎行得表皮也。瞿曇！云何此不了可憎行得節耶？」

> 無恚が答えた。 「ゴータマよ、そのように、この理解しがたく嫌悪すべき行いは皮の表面にすぎないのです。ゴータマよ、では、どのようにしてこの理解しがたく嫌悪すべき行いは節を得るのでしょうか？」

世尊答曰：「無恚！或有一沙門梵志行四行，不殺生、不教殺、不同殺，不偷、不教偷、不同偷，不取他女、不教取他女、不同取他女，不妄言、不教妄言、不同妄言。彼行此四行，樂而不進，彼有行有相貌，憶本無量昔所經歷，或一生、二生、百生、千生、成劫、敗劫、無量成敗劫。彼眾生名某，彼昔更歷，我曾生彼，如是姓、如是字、如是生、如是飲食、如是受苦樂、如是長壽、如是久住、如是壽命訖，此死生彼，彼死生此，我生在此如是姓、如是字、如是生、如是飲食、如是受苦樂、如是長壽、如是久住、如是壽命訖。無恚！於意云何？如是此不了可憎行得節耶？」

> 世尊がお答えになりました。「無恚よ。ある修行者やバラモンが四つの行いを実践している。すなわち、殺さず、殺すように教えず、殺すことに同意せず、盗まず、盗むように教えず、盗むことに同意せず、他人の妻を奪わず、奪うように教えず、奪うことに同意せず、嘘をつかず、嘘をつくように教えず、嘘をつくことに同意しない。彼はこの四つの行いを実践しているが、喜びながらもさらに進もうとはしない。彼には行いがあり、相（形跡）がある。無量の過去の体験を憶い起こし、あるいは一生、二生、百生、千生、あるいは世界の成立する劫、壊れる劫、無量の成立と壊滅の劫を。『あの衆生はこういう名だった。私は以前あそこに生まれていた。こういう姓で、こういう名で、こういう生まれで、こういう飲食をし、こういう苦楽を経験し、こういう長寿で、こういう久しく住み、こういう寿命で終わった。ここで死んであそこに生まれ、あそこで死んでここに生まれた。私は今ここに生まれ、こういう姓で、こういう名で、こういう生まれで、こういう飲食をし、こういう苦楽を経験し、こういう長寿で、こういう久しく住み、こういう寿命で終わるのだ』と。無恚よ、あなたはどう思うか。このように、この不可解で嫌悪すべき行いが、節度を得たことになるのか？」

無恚答曰：「瞿曇！如是此不了可憎行得節也。瞿曇！云何此不了可憎行得第一、得真實耶？」

> 無恚が答えた。「ゴータマよ、そのとおりです。この理解しがたく、嫌悪すべき行いは、節度あるものなのでしょうか。ゴータマよ、どうしてこの理解しがたく、嫌悪すべき行いが、最上のものとなり、真実となりうるのでしょうか。」

世尊答曰：「無恚！或有一沙門梵志行四行，不殺生、不教殺、不同殺，不偷、不教偷、不同偷，不取他女，不教取他女、不同取他女，不妄言、不教妄言、不同妄言。彼行此四行，樂而不進。彼以清淨天眼出過於人，見此眾生死時生時，好色惡色，妙與不妙，往來善處及不善處，隨此眾生之所作業，見其如真。若此眾生成就身惡行，口、意惡行，誹謗聖人，邪見成就邪見業，彼因緣此，身壞命終，必至惡處，生地獄中。若此眾生成就身妙行，口、意妙行，不誹謗聖人，正見成就正見業，彼因緣此，身壞命終，必昇善處，乃生天上。無恚！於意云何？如是此不了可憎行得第一、得真實耶？」

> 世尊が答えられました。「無恚よ、ある修行者やバラモンが四つの行いを実践している。それは、殺さないこと、殺させないこと、殺しに同意しないこと、盗まないこと、盗ませないこと、盗みに同意しないこと、他人の妻を奪わないこと、奪わせないこと、奪うことに同意しないこと、偽りの言葉を語らないこと、語らせないこと、語ることに同意しないことである。彼はこれら四つの行いを実践しているが、それに満足してさらに向上しようとしない。彼は清らかな天眼によって人間を超えた見識を得て、この世の眾生が死ぬ時、生まれる時、美しい姿や醜い姿、善い境遇や不善な境遇に往くのを見届け、眾生の業のままに、その姿をあるがままに見る。もしある眾生が身体で悪行をなし、言葉や心で悪行をなし、聖人を誹謗し、邪見を持ち邪見の業を成就したなら、その因縁によって、身体が壊れ命が終わるとき、必ず悪い場所、地獄に生まれる。もしある眾生が身体で善い行いをなし、言葉や心で善い行いをなし、聖人を誹謗せず、正見を持ち正見の業を成就したなら、その因縁によって、身体が壊れ命が終わるとき、必ず善い場所、天界に生まれる。無恥よ、あなたはどう思うか。このように、この理解しがたく、憎むべき行いが最上のものであり、真実であると言えるだろうか？」

無恚答曰：「瞿曇！如是此不了可憎行得第一、得真實也。瞿曇！云何此不了可憎行作證故，沙門瞿曇弟子依沙門行梵行耶？」

> なにぶ答えていわく、「ゴータマよ、このように、この理解しがたく嫌な行いが第一のものとなり、真実を得るのです。ゴータマよ、どのようにこの理解しがたく嫌な行いを証するために、ゴータマの弟子たちは沙門として梵行を修行するのでしょうか？」

世尊答曰：「無恚！非因此不了可憎行作證故，我弟子依我行梵行也。無恚！更有異，最上、最妙、最勝，為彼證故，我弟子依我行梵行。」

> 世尊がお答えになりました。「無恚よ、そうではない。私の弟子たちが私のもとで梵行を修行するのは、単に嫌悪すべき行為を証明するためではない。無恚よ、他にもっと優れた、より殊勝で、より素晴らしいものがある。そのために私の弟子たちは私のもとで梵行を修行するのだ。」

於是，調亂異學眾等發高大聲：「如是，如是，為彼證故，沙門瞿曇弟子依沙門瞿曇行梵行。」

> そこで、異なる学びの者たちの集まりが大声をあげた。 「その通り、その通りだ。それを証するために、沙門ゴータマの弟子たちは沙門ゴータマに従って梵行（清らかな修行）を行っている。」

於是，異學無恚自勅己眾，令默然已，白曰：「瞿曇！何者更有異，最上、最妙、最勝，為彼證故，沙門瞿曇弟子依沙門瞿曇行梵行耶？」

> そこで、無恚という異学が自分の従者たちを静めさせ、黙った後、こう言った。「ゴータマよ、さらに他に、最も優れ、最も素晴らしく、最も勝れたものがありますか？それを証するために、沙門ゴータマの弟子たちは、沙門ゴータマに依って梵行を修行しているのですか？」

於是，世尊答曰：「無恚！若如來、無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、眾祐，出於世間，彼捨五蓋——心穢、慧羸，離欲，離惡不善之法，至得第四禪成就遊。彼已如是定心清淨，無穢無煩，柔軟善住，得不動心，趣向漏盡智通作證。彼知此苦如真，知此苦習、知此苦滅、知此苦滅道如真，亦知此漏、知此漏習、知此漏滅、知此漏滅道如真。彼如是知、如是見，欲漏心解脫，有漏、無明漏心解脫，解脫已，便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。無恚！是謂更有異，最上、最妙、最勝，為彼證故，我弟子依我行梵行。」

> そこで世尊は答えた。「無恚よ、如来・阿羅漢・正等覚者・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊がこの世に現れる。その方は、五つの蓋（心の汚れ、智慧を弱らせるもの）を捨て、欲望や不善の法から離れて、第四禅の境地に達し、そこに安住する。このように心を安定させ清浄にし、汚れなく安らぎ、柔らかく善く安住し、動かない心を得て、煩悩の滅尽に関する智慧の実証へと向かう。彼はこの苦しみをあるがままに知り、苦しみの原因、苦しみの滅尽、苦しみの滅尽に至る道をあるがままに知る。また、この煩悩、煩悩の原因、煩悩の滅尽、煩悩の滅尽に至る道をあるがままに知る。彼はこのように知り、このように見ることで、欲望の煩悩から心が解脱し、存在の煩悩、無明の煩悩から心が解脱する。解脱したならば、『解脱した』と知る。『生は尽きた。梵行は完成した。なすべきことはなされた。もはや再び生存することはない』と、あるがままに知る。無恚よ、これこそが『さらなる別もの』であり、最上・最妙・最勝のものである。それを証するために、私の弟子たちは私のもとで梵行を修行するのである。」

於是，實意居士語曰：「無恚！世尊在此，汝今可以一論滅，如挊空瓶，說如瞎牛在邊地食。」

> そこで、実意居士が言いました。「怒ってはいけません。世尊がここにいらっしゃいます。今こそあなたは、一つ論を用いて静めることができるのです。まるで空の瓶を振るうように語り、あたかも辺境の地で草を食べる盲目の牛のようです。」

世尊聞已，語異學無恚曰：「汝實如是說耶？」

> 世尊はこれを聞いて、異学の無恚にこうお尋ねになりました。「あなたは本当にそのように言ったのですか？」

異學無恚答曰：「實如是，瞿曇！」

> 他宗の者が怒りなく答えました。「本当にその通りです、ゴータマよ。」

世尊復問曰：「無恚！汝頗曾從長老舊學所聞如是，過去如來、無所著、等正覺，若有無事處山林樹下，或有高巖，寂無音聲，遠離、無惡，無有人民，隨順宴坐。諸佛世尊在無事處山林樹下，或住高巖，寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順宴坐。彼在遠離處常樂宴坐，安隱快樂，彼初不一日一夜共聚集會，如汝今日及眷屬耶？」

> 世尊はさらに問われた。「無恚よ、あなたはこれまでに長老や古くからの学びによって、次のようなことを聞いたことがあるか。過去の如来、阿羅漢、正等覚者たちは、閑静な場所や山の中、林の下、高い岩場など、静寂で音もなく、人里離れて悪もなく、人のいないところで、安らかに坐っていた。諸仏世尊は閑静な場所、山の中、林の下、あるいは高い岩場に住み、静寂で音もなく、人里離れ、悪もなく、人のいないところで、安らかに坐していた。彼らはその遠離の地で常に静かに坐することを楽しみ、安らかで平安であった。彼らは決して一日一夜でも集まり会することはなかった。今のあなたとその仲間たちのように？」

異學無恚答曰：「瞿曇！我曾從長老舊學所聞如是，過去如來、無所著、等正覺，若有無事處山林樹下，或有高巖，寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順宴坐。諸佛世尊在無事處山林樹下，或住高巖，寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順宴坐。彼在遠離處常樂宴坐，安隱快樂，初不一日一夜共聚集會，如我今日及眷屬也。」

> 異学の無恚が答えました。「ゴータマよ、私は長老から次のように聞いています。過去の如来・阿羅漢・正等覚者は、人里離れた山林や樹下、あるいは高い岩場で、静けさに包まれ、遠離し、悪しきものなく、人のいない場所で瞑想に耽られました。諸仏世尊もまた、そのような場所に留まり、つねに静かな瞑想を楽しまれ、安らかで幸せに過ごされました。決して一日たりとも集まって過ごすことはなく、今日の私とその眷属のようではなかったのです。」

「無恚！汝不作是念，如彼世尊在無事處山林樹下，或住高巖，寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順宴坐。彼在遠離處常樂宴坐，安隱快樂，彼沙門瞿曇學正覺道耶？」

> 「怒りなき者よ、あなたはこう考えないのですか。かの世尊（ブッダ）は、人のいない場所、山林や木の下、あるいは高い岩の上で、静けさに包まれ、遠く離れ、悪もなく、人々もいないところで、ゆったりと座っておられます。そのような遠く離れた場所で、常に座って静かに過ごし、安稳で幸せであるなら、かの沙門ゴータマは、正しい悟りの道を学んでいるのでしょうか？」

異學無恚答曰：「瞿曇！我若知者，何由當復作如是說，一論便滅，如弄空瓶，說瞎牛在邊地食耶？」

> 異学者が答えて言った、「ゴータマよ、私が知っていたなら、どうしてそのようなことを言うでしょうか。一度論じれば消え去る、空の瓶を弄ぶようなもの、盲目の牛が辺地で草を食んでいるという話をするなど。」

世尊語曰：「無恚！我今有法善善相應，彼彼解脫句能以作證，如來以此自稱無畏。諸比丘我弟子來，無諛諂，不欺誑，質直無虛，我訓隨教已，必得究竟智。無恚！若汝作是念：『沙門瞿曇貪師故說法。』汝莫作是念，以師還汝，我其為汝說法。無恚！若汝作是念：『沙門瞿曇貪弟子故說法。』汝莫作是念，弟子還汝，我其為汝說法。無恚！若汝作是念：『沙門瞿曇貪供養故說法。』汝莫作是念，供養還汝，我其為汝說法。無恚！若汝作是念：『沙門瞿曇貪稱譽故說法。』汝莫作是念，稱譽還汝，我其為汝說法。無恚！若汝作是念：『我若有法善善相應，彼彼解脫句能以作證，彼沙門瞿曇，奪我滅我者。』汝莫作是念，以法還汝，我其為汝說法。」

> 世尊は言われた。「心を乱さないでほしい。私は今、善と善が相応し合い、一つ一つの解脱の教えを自ら証得できる教えを持っている。如来はこの教えによって、自らを恐れのない者と称している。比丘たちよ、私の弟子として来る者たちは、諂うことなく、欺かず、正直で虚偽がない。彼らが私の教えに従って修行すれば、必ず究極の智慧を得る。 無恚よ、もしあなたが『沙門ゴータマは師への執着から教えを説いている』と思うなら、そう思ってはならない。師はあなたのものだ。私はあなたのために教えを説こう。無恚よ、もしあなたが『沙門ゴータマは弟子への執着から教えを説いている』と思うなら、そう思ってはならない。弟子はあなたのものだ。私はあなたのために教えを説こう。無恚よ、もしあなたが『沙門ゴータマは供養への執着から教えを説いている』と思うなら、そう思ってはならない。供養はあなたのものだ。私はあなたのために教えを説こう。無恚よ、もしあなたが『沙門ゴータマは称賛への執着から教えを説いている』と思うなら、そう思ってはならない。称賛はあなたのものだ。私はあなたのために教えを説こう。無恚よ、もしあなたが『私に善と善が相応し、一つ一つの解脱の教えを自ら証得できる教えがあるのに、あの沙門ゴータマがそれを奪い、私を滅ぼそうとしている』と思うなら、そう思ってはならない。法はあなたのものだ。私はあなたのために教えを説こう。」

於是，大眾默然而住。所以者何？彼為魔王所制持故。彼時，世尊告實意居士曰：「汝看此大眾默然而住。所以者何？彼為魔王所制持故。彼令異學眾無有一異學作是念：『我試於沙門瞿曇所修行梵行。』」

> その時、大勢の人が集まっていましたが、皆が黙って座っていました。 なぜでしょうか？彼らは魔王の力に支配されていたからです。 そこで、世尊は実意居士にこう告げました。 「この集まった人々が皆、黙っているのを見なさい。なぜか？彼らは魔王の力に支配されているからだ。魔王は、さまざまな修行者たちに『沙門ゴータマの教えのもとで梵行を修行してみよう』という思いを起こさせまいとしているのだ。」

世尊知已，為實意居士說法，勸發渴仰，成就歡喜，無量方便為彼說法，勸發渴仰，成就歡喜已，即從坐起，便接實意居士臂，以神足飛，乘虛而去。

> 世尊はこれを知って、真実の心を持つ在家信者のために教えを説かれました。 その教えによって、信仰心を呼び起こし、深い喜びを満たしてくださいました。 限りない巧みな方法で教えを説き、信仰を呼び起こし、喜びを成就させた後、 その場から立ち上がり、在家信者の腕を取って、神通力によって虚空を飛び去られました。

佛說如是。實意居士聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏様がこのようにお説きになられました。実意居士は仏様のお言葉を聞いて、喜び、その教えを実践しました。

優曇婆邏經第八竟五千八百九十八字

> ユドゥンバラ経 第八 終わり<note>五千八百九十八字</note>