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title: "中阿含經 · 106 想經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一〇六）中阿含因品想經第十第二小土城誦

> （一〇六）中阿含因品想経第十<note>第二小土城誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「若有沙門、梵志於地有地想，地即是神，地是神所，神是地所，彼計地即是神已，便不知地。如是水、火、風、神、天、生主、梵天、無煩、無熱。彼於淨有淨想，淨即是神，淨是神所，神是淨所，彼計淨即是神已，便不知淨，無量空處、無量識處、無所有處、非有想非無想處、一、別、若干、見、聞、識、知，得觀意所念、意所思。從此世至彼世，從彼世至此世，彼於一切有一切想，一切即是神，一切是神所，神是一切所，彼計一切即是神已，便不知一切。」

> ある時、世尊は比丘たちにこうお告げになりました。 「もし、修行者や婆羅門が、地について『地である』という想いを抱き、『地は我であり、地は我のものであり、我は地のものである』と捉え、『地は我である』と固く執着するならば、彼は地の真実を知ることができません。 同様に、水、火、風、神々、生主、梵天、無煩天、無熱天についても同じです。 また、彼らは清らかさについて『清らかである』という想いを抱き、『清らかさは我であり、清らかさは我のものであり、我は清らかさのものである』と捉え、『清らかさは我である』と固く執着するならば、彼は清らかさの真実を知ることができません。 さらに、無量空処、無量識処、無所有処、非有想非無想処についても同じです。あるいは、一、別、若干、見ること、聞くこと、識ること、知ること、心に思うことや心に考えるように得られるもの、この世からあの世へ、あの世からこの世へと至るものについても同様です。 彼らはあらゆるものについて『すべてである』という想いを抱き、『すべては我であり、すべては我のものであり、我はすべてのものである』と捉え、『すべては我である』と固く執着するならば、彼はすべての真実を知ることができません。」

「若有沙門、梵志於地則知地，地非是神，地非神所，神非地所，彼不計地即是神已，彼便知地。如是水、火、風、神、天、生主、梵天、無煩、無熱。彼於淨則知淨，淨非是神，淨非神所，神非淨所。彼不計淨即是神已，彼便知淨，無量空處、無量識處、無所有處、非有想非無想處、一、別、若干、見、聞、識、知，得觀意所念、意所思。從此世至彼世，從彼世至此世，彼於一切則知一切，一切非是神，一切非神所，神非一切所，彼不計一切即是神已，彼便知一切。

> ある修行者や僧侶が、地について理解するならば、地は神ではないと知り、地は神の所有するものではなく、神も地の所有するものではないと知る。彼らは地を神そのものと見なさないので、地を正しく理解する。同じように、水、火、風、神、天、生主、梵天、無煩天、無熱天についても同様である。 彼らは清らかなものについて理解するならば、清らかさは神ではないと知り、清らかさは神の所有するものではなく、神も清らかさの所有するものではないと知る。彼らは清らかさを神そのものと見なさないので、清らかさを正しく理解する。 また、無量空処、無量識処、無所有処、非有想非無想処について、あるいは一、別々、多くのもの、見ること、聞くこと、感じること、知ることについて、心が念じ考えることを観察して得る。この世からあの世へ、あの世からこの世へと至る。彼らはすべてについて理解するならば、すべては神ではないと知り、すべては神の所有するものではなく、神もすべての所有するものではないと知る。彼らはすべてを神そのものと見なさないので、すべてを正しく理解する。

「我於地則知地，地非是神，地非神所，神非地所，我不計地即是神已，我便知地。如是水、火、風、神、天、生主、梵天、無煩、無熱。我於淨則知淨，淨非是神，淨非神所，神非淨所。我不計淨即是神已，我便知淨，無量空處、無量識處、無所有處、非有想非無想處、一、別、若干、見、聞、識、知，得觀意所念、意所思。從此世至彼世，從彼世至此世，我於一切則知一切，一切非是神，一切非神所，神非一切所，我不計一切即是神已，我便知一切。」

> 私は地について、それが地であると知る。地は神ではない。地は神の所有するものではない。神は地の所有するものではない。私は「地がすなわち神である」と捉えない。そうして、私は地を知るのである。同様に、水・火・風・神・天・生主・梵天・無煩・無熱についても、私は浄について、それが浄であると知る。浄は神ではない。浄は神の所有するものではない。神は浄の所有するものではない。私は「浄がすなわち神である」と捉えない。そうして、私は浄を知るのである。無量空処・無量識処・無所有処・非有想非無想処、一・別・若干、見・聞・識・知、観察し、心に念じ、思いを巡らすことについても、同様である。この世からあの世へ、あの世からこの世へ、私は一切について、それが一切であると知る。一切は神ではない。一切は神の所有するものではない。神は一切の所有するものではない。私は「一切がすなわち神である」と捉えない。そうして、私は一切を知るのである。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

想經第十竟五百二十六字

> 想経第十終わり<note>五百二十六字</note>

## 中阿含經卷第二十六八千九百七十九字中阿含因品第四竟二萬五千五十六字

> 中阿含経 巻第二十六