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title: "中阿含經 · 110 自觀心經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一一〇）中阿含林品自觀心經第四第二小土城誦

> （一一〇）中阿含林品自観心経第四<note>第二小土城誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

爾時，世尊告諸比丘：「若有比丘不能善觀於他心者，當自善觀察於己心，應學如是。云何比丘善自觀心？比丘者，若有此觀，必多所饒益：我為多行增伺，為多行無增伺？我為多行瞋恚心，為多行無瞋恚心？我為多行睡眠纏，為多行無睡眠纏？我為多行調貢高，為多行無調貢高？我為多行疑惑，為多行無疑惑？我為多行身諍，為多行無身諍？我為多行穢污心，為多行無穢汙心？我為多行信，為多行不信？我為多行精進，為多行懈怠？我為多行念，為多行無念？我為多行定，為多行無定？我為多行惡慧，為多行無惡慧？

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。 「もし比丘が、他者の心をよく観察できないならば、自らの心をよく観察するように努めなさい。次のように学びなさい。 では、比丘はどのようにして自らの心をよく観察するのか。 比丘よ、このような観察を行えば、必ず多くの利益がある。 私は、貪りの心を多く起こしているだろうか、それとも貪りの心なく過ごしているだろうか。 私は、怒りの心を多く起こしているだろうか、それとも怒りの心なく過ごしているだろうか。 私は、眠気に多く覆われているだろうか、それとも眠気に覆われずにいられるだろうか。 私は、高ぶりや慢心を多く起こしているだろうか、それとも高ぶりや慢心なく過ごしているだろうか。 私は、疑いの心を多く起こしているだろうか、それとも疑いの心なく過ごしているだろうか。 私は、身体的な争いを多く起こしているだろうか、それとも身体的な争いなく過ごしているだろうか。 私は、心を汚す思いを多く抱いているだろうか、それとも心を汚す思いなく過ごしているだろうか。 私は、信仰の心を多く持っているだろうか、それとも信仰の心が薄いだろうか。 私は、努力する心を多く持っているだろうか、それとも怠けているだろうか。 私は、気づきの心を多く保っているだろうか、それとも気づきを失っているだろうか。 私は、心を落ち着けることを多く行っているだろうか、それとも心が乱れているだろうか。 私は、誤った見解を多く持っているだろうか、それとも誤った見解を持たずにいるだろうか。」

「若比丘觀時，則知我多行增伺、瞋恚心、睡眠纏、調貢高、疑惑、身諍、穢汙心、不信、懈怠、無念、無定、多行惡慧者，彼比丘欲滅此惡不善法故，便以速求方便，學極精勤，正念正智，忍不令退。猶人為火燒頭、燒衣、急求方便救頭、救衣。如是，比丘欲滅此惡不善法故，便以速求方便，學極精勤，正念正智，忍不令退。若比丘觀時，則知我多行無增伺、無瞋恚心、無睡眠纏、無調貢高、無疑惑、無身諍、無穢污心、有信、有進、有念、有定、多行無惡慧者。彼比丘住此善法已，當求漏盡智通作證。所以者何？我說不得畜一切衣，亦說得畜一切衣。云何衣我說不得畜？若畜衣便增長惡不善法、衰退善法者，如是衣我說不得畜。云何衣我說得畜？若畜衣便增長善法、衰退惡不善法者，如是衣我說得畜。如衣，飲食、床榻村邑亦復如是，我說不得狎習一切人，亦說得狎習一切人。云何人我說不得狎習？若狎習人便增長惡不善法、衰退善法者，如是人我說不得狎習。云何人我說得與狎習？若狎習人便增長善法、衰退惡不善法者，如是人我說得與狎習。

> 比丘が自己を観察する時、もし自分に「増長の心、怒りの心、眠気、高ぶり、疑い、争い、心の濁り、不信、怠惰、気づきの欠如、集中力の欠如、悪しき智慧」が多くあると気づいたなら、その比丘はこれらの悪しき不善法を断つために、速やかに方法を求め、熱心に精進し、正しい気づきと正しい智慧を保ち、退くことなく耐え忍ばなければなりません。 まるで、人が頭や衣服に火がついた時に、急いでそれらを消そうとするように。同様に、比丘はこれらの悪しき不善法を断つために、速やかに方法を求め、熱心に精進し、正しい気づきと正しい智慧を保ち、退くことなく耐え忍ばなければなりません。 また、比丘が自己を観察する時、もし自分に「増長の心がない、怒りの心がない、眠気がない、高ぶりがない、疑いがない、争いがない、心の濁りがない、信仰がある、精進がある、気づきがある、集中がある、善き智慧がある」と気づいたなら、その比丘はこれらの善法に安住した後、煩悩の滅尽という智慧を得るために努力すべきです。 なぜなら、私は「すべての衣服を所有してはならない」とも説き、「衣服を所有してもよい」とも説くからです。どのような衣服を所有してはならないのか。もしそれを所有することで悪しき不善法が増え、善法が衰退するなら、そのような衣服は所有してはなりません。どのような衣服を所有してもよいのか。もしそれを所有することで善法が増え、悪しき不善法が衰退するなら、そのような衣服は所有してよいのです。 衣服と同様に、食べ物、寝具、村や町への関わりについても同じです。 私は「すべての人と親しく付き合ってはならない」とも説き、「親しく付き合ってもよい」とも説きます。どのような人と親しく付き合ってはならないのか。もしその人と付き合うことで悪しき不善法が増え、善法が衰退するなら、そのような人とは親しく付き合ってはなりません。どのような人と親しく付き合ってもよいのか。もしその人と付き合うことで善法が増え、悪しき不善法が衰退するなら、そのような人とは親しく付き合ってもよいのです。

「彼可習法知如真，不可習法亦知如真。彼可習法、不可習法知如真已，不可習法便不習，可習法便習，彼不可習法不習，可習法習已，便增長善法，衰退惡不善法。是謂比丘善自觀心，善自知心，善取善捨。」

> 「修行すべき法をありのままに知り、修行すべきでない法もありのままに知る。そのように知ったなら、修行すべきでない法は修行せず、修行すべき法を修行する。そうして修行すべきでない法を離れ、修行すべき法を実践することで、善い行いが増え、悪しき行いは減っていく。これこそが、僧よ、みずからの心をよく観察し、よく知り、よく取り入れ、よく捨てることである。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

自觀心經第四竟六百六十字

> 自ら心を観る経　第四［終］<note>六百六十字</note>