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title: "中阿含經 · 111 達梵行經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一一一）中阿含林品達梵行經第五第二小土城誦

> 達梵行経 第五〈第二小土城誦〉

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊拘樓瘦，在劍磨瑟曇拘樓都邑。

> ある時、仏さまはコーラヴィヤ（拘樓瘦）の国を遊行され、剣磨瑟曇（ケーマセーダン）というコーラの都に滞在されました。

爾時，世尊告諸比丘：「我當為汝說法，初妙、中妙、竟亦妙，有文有義，具足清淨，顯現梵行，謂名達梵行，能盡諸漏。汝等諦聽，善思念之。」時，諸比丘受教而聽。

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。「あなたがたに法を説きましょう。その教えは初めも素晴らしく、中も素晴らしく、終わりもまた素晴らしい。言葉も意味も整い、清らかで完全なもの、すなわち『達梵行』（清らかな行いを極める道）と呼ばれ、すべての煩悩を滅ぼすことができます。よく聴いて、心に刻みなさい。」そこで比丘たちは教えを受け、聴聞しました。

世尊告曰：「汝等當知漏，知漏所因生，知漏有報，知漏勝如，知漏滅盡，知漏滅道。汝等當知覺，知覺所因生，知覺有報，知覺勝如，知覺滅盡，知覺滅道。汝等當知想，知想所因生，知想有報，知想勝如，知想滅盡，知想滅道。汝等當知欲，知欲所因生，知欲有報，知欲勝如，知欲滅盡，知欲滅道。汝等當知業，知業所因生，知業有報，知業勝如，知業滅盡，知業滅道。汝等當知苦，知苦所因生，知苦有報，知苦勝如，知苦滅盡，知苦滅道。

> 世尊はこうおっしゃいました。「あなたがたは、煩悩（漏）を知るべきです。煩悩がどのような原因から生じるかを知り、煩悩がもたらす結果を知り、煩悩の優劣を知り、煩悩が滅び尽くすこと、そして煩悩を滅する道を知るべきです。 あなたがたは、感覚（覚）を知るべきです。感覚がどのような原因から生じるかを知り、感覚がもたらす結果を知り、感覚の優劣を知り、感覚が滅び尽くすこと、そして感覚を滅する道を知るべきです。 あなたがたは、想念（想）を知るべきです。想念がどのような原因から生じるかを知り、想念がもたらす結果を知り、想念の優劣を知り、想念が滅び尽くすこと、そして想念を滅する道を知るべきです。 あなたがたは、欲望（欲）を知るべきです。欲望がどのような原因から生じるかを知り、欲望がもたらす結果を知り、欲望の優劣を知り、欲望が滅び尽くすこと、そして欲望を滅する道を知るべきです。 あなたがたは、業（行為）を知るべきです。業がどのような原因から生じるかを知り、業がもたらす結果を知り、業の優劣を知り、業が滅び尽くすこと、そして業を滅する道を知るべきです。 あなたがたは、苦しみ（苦）を知るべきです。苦しみがどのような原因から生じるかを知り、苦しみがもたらす結果を知り、苦しみの優劣を知り、苦し

「云何知漏？謂有三漏：欲漏、有漏、無明漏，是謂知漏。云何知漏所因生？謂無明也。因無明則便有漏，是謂知漏所因生。云何知漏有報？謂無明纏者，為諸漏所漬，彼因此受報，或得善處，或得惡處，是謂知漏有報。云何知漏勝如？謂或有漏生地獄中，或有漏生畜生中，或有漏生餓鬼中，或有漏生天上，或有漏生人間，是謂知漏勝如。云何知漏滅盡？謂無明滅，漏便滅，是謂知漏滅盡。云何知漏滅道？謂八支聖道，正見乃至正定為八，是謂知漏滅道。若比丘如是知漏，知漏所因生，知漏受報，知漏勝如，知漏滅盡，知漏滅道者，是謂達梵行，能盡一切漏。

> 「どのようにして煩悩を知るのか？三つの煩悩がある。すなわち、欲望の煩悩、存在の煩悩、無明の煩悩である。これを煩悩を知るという。どのようにして煩悩の原因を知るのか？無明である。無明があるからこそ煩悩が生じる。これを煩悩の原因を知るという。どのようにして煩悩に結果があることを知るのか？無明に縛られた者は、諸々の煩悩に浸される。その者はその原因によって結果を受け、善い生まれか、悪い生まれかの報いを得る。これを煩悩に結果があることを知るという。どのようにして煩悩の優劣を知るのか？ある煩悩は地獄に生まれさせ、ある煩悩は畜生に生まれさせ、ある煩悩は餓鬼に生まれさせ、ある煩悩は天界に生まれさせ、ある煩悩は人間に生まれさせる。これを煩悩の優劣を知るという。どのようにして煩悩の滅尽を知るのか？無明が滅すれば、煩悩は滅する。これを煩悩の滅尽を知るという。どのようにして煩悩を滅する道を知るのか？八つの支分からなる聖なる道、すなわち正見から正定に至る八つの道である。これを煩悩を滅する道を知るという。もし比丘が、このように煩悩を知り、煩悩の原因を知り、煩悩の結果を知り、煩悩の優劣を知り、煩悩の滅尽を知り、煩悩を滅する道を知るならば、これを清らかな行いを成就した者といい、あらゆる煩悩を滅ぼすことができる。」

「云何知覺？謂有三覺：樂覺、苦覺、不苦不樂覺，是謂知覺。云何知覺所因生？謂更樂也。因更樂則便有覺，是謂知覺所因生。云何知覺有報？謂愛也。愛為覺報，是謂知覺有報。云何知覺勝如？謂比丘者，覺樂覺時便知覺樂覺，覺苦覺時便知覺苦覺，覺不苦不樂覺時便知覺不苦不樂覺，樂身、苦身、不苦不樂身，樂心、苦心、不苦不樂心，樂食、苦食、不苦不樂食，樂無食、苦無食、不苦不樂無食，樂欲、苦欲、不苦不樂欲，樂無欲、苦無欲覺、不苦不樂無欲覺時，便知覺不苦不樂無欲覺，是謂知覺勝如。云何知覺滅盡？謂更樂滅，覺便滅，是謂知覺滅盡。云何知覺滅道？謂八支聖道，正見乃至正定為八，是謂知覺滅道。若比丘如是知覺，知覺所因生，知覺有報，知覺勝如，知覺滅盡，知覺滅道者，是謂達梵行，能盡一切覺。

> 「知覚とは何か？三つの感覚がある。快い感覚、苦しい感覚、苦しくも快くもない感覚。これが知覚である。 知覚は何に基づいて生じるのか？接触（接触）である。接触に基づいて感覚が生じる。これが知覚の生起する基盤である。 知覚にはどのような報いがあるのか？執着（欲求）である。執着が感覚の報いである。これが知覚の報いである。 知覚の優劣とは何か？比丘（修行者）が、快い感覚を感じるときは快い感覚と知り、苦しい感覚を感じるときは苦しい感覚と知り、苦しくも快くもない感覚を感じるときは苦しくも快くもない感覚と知ること。 身体における快・苦・中性の感覚、心における快・苦・中性の感覚、食に関わる快・苦・中性の感覚、食に関わらない快・苦・中性の感覚、欲望に基づく快・苦・中性の感覚、欲望を離れた快・苦・中性の感覚。これらをありのままに知ること。これが知覚の優劣である。 知覚の消滅とは何か？接触が滅すれば、感覚もまた滅する。これが知覚の消滅である。 知覚を滅する道とは何か？八つの支分からなる聖なる道、すなわち正見から正定に至る八つの道である。これが知覚を滅する道である。 比丘がこのように、知覚、知覚の生起する基盤、知覚の報い、知覚の優劣、知覚の消滅、知覚を滅する道を正しく知るならば、これを『清らかな行いを成就し、あらゆる感覚を滅ぼし尽くした者』という。」

「云何知想？謂有四想。比丘者，小想亦知，大想亦知，無量想亦知，無所有處想亦知，是謂知想。云何知想所因生？謂更樂也。因更樂則便有想，是謂知想所因生。云何知想有報？謂說也。隨其想便說，是謂知想有報。云何知想勝如？謂或有想想色，或有想想聲，或有想想香，或有想想味，或有想想觸，是謂知想勝如。云何知想滅盡？謂更樂滅想便滅，是謂知想滅盡。云何知想滅道？謂八支聖道，正見乃至正定為八，是謂知想滅道。若比丘如是知想，知想所因生，知想有報，知想勝如，知想滅盡，知想滅道者，是謂達梵行，能盡一切想。

> 「想（そう）とは何かと知るには、四つの想があります。比丘（修行者）は、小さな想も知り、大きな想も知り、無限の想も知り、何もないところの想も知ります。これが想を知るということです。 想は何を因として生じるかと知るには、それは接触（触）です。接触によって想が生じます。これが想の因を知るということです。 想にはどのような報い（結果）があるかと知るには、それは言葉（説）です。その想に従って語るのです。これが想の報いを知るということです。 想の優劣（勝如）をどう知るかといえば、ある想は色（形あるもの）を想い、ある想は声を想い、ある想は香りを想い、ある想は味を想い、ある想は触れられるものを想います。これが想の優劣を知るということです。 想の滅尽はどう知るかといえば、接触が滅びれば想も滅びます。これが想の滅尽を知るということです。 想の滅びに至る道はどう知るかといえば、それは八つの支分からなる聖なる道（八正道）、すなわち正しい見解から正しい定までの八つです。これが想の滅びに至る道を知るということです。 もし比丘がこのように想を知り、想の生じる因を知り、想の報いを知り、想の優劣を知り、想の滅尽を知り、想の滅びに至る道を知るならば、これを梵行（清らかな修行）を達成した者といい、すべての想を尽くすことができるのです。」

「云何知欲？謂有五欲功德，可愛、可喜、美色、欲想應、甚可樂。云何為五？眼知色，耳知聲，鼻知香，舌知味，身知觸，是謂知欲。云何知欲所因生？謂更樂也。因更樂則便有欲，是謂知欲所因生。云何知欲有報？謂隨欲種愛樂著而住彼，因此受報有福處、無福處、不動處，是謂知欲有報。云何知欲勝如？謂或有欲欲色，或有欲欲聲，或有欲欲香，或有欲欲味，或有欲欲觸，是謂知欲勝如。云何知欲滅盡？謂更樂滅欲便滅，是謂知欲滅盡。云何知欲滅道？謂八支聖道，正見乃至正定為八，是謂知欲滅道。若比丘如是知欲，知欲所因生，知欲受報，知欲勝如，知欲滅盡，知欲滅道者，是謂達梵行，能盡一切欲。

> 「欲とは何かと知るべきこと。それは五つの欲望の対象があることである。愛しく、喜ばしく、美しい色、欲望に結びつき、非常に楽しいものである。五つとは何か。眼で知る色、耳で知る音、鼻で知る香り、舌で知る味、身で知る触れ合い、これが欲を知るということである。 「欲は何によって生じるかと知るべきこと。それは感受（接触）である。感受によって欲が生じる。これが欲の生じる因を知るということである。 「欲にはどのような報いがあるかと知るべきこと。欲に従い、愛着し執着してそこに住むなら、その報いとして、福ある処、福なき処、不動の処がある。これが欲の報いを知るということである。 「欲の優劣はどうかと知るべきこと。ある者は色に対する欲を欲し、ある者は音に対する欲を欲し、ある者は香りに対する欲を欲し、ある者は味に対する欲を欲し、ある者は触れ合いに対する欲を欲する。これが欲の優劣を知るということである。 「欲の滅尽はどうかと知るべきこと。感受が滅びれば欲も滅びる。これが欲の滅尽を知るということである。 「欲の滅に至る道はどうかと知るべきこと。八つの支分からなる聖なる道、すなわち正見から正定までの八つである。これが欲の滅に至る道を知るということである。 比丘がこのように欲を知り、欲の生じる因を知り、欲の報いを知り、欲の優劣を知り、欲の滅尽を知り、欲の滅に至る道を知るならば、これを梵行を成就したといい、すべての欲を尽くすことができる。」

「云何知業？謂有二業：思、已思業，是謂知業。云何知業所因生？謂更樂也。因更樂則便有業，是謂知業所因生。云何知業有報？謂或有業黑、有黑報，或有業白、有白報，或有業黑白、黑白報，或有業不黑不白、無報，業業盡，是謂知業有報。云何知業勝如？謂或有業生地獄中，或有業生畜生中，或有業生餓鬼中，或有業生天上，或有業生人間，是謂知業勝如。云何知業滅盡？謂更樂滅業便滅，是謂知業滅盡。云何知業滅道？謂八支聖道，正見乃至正定為八，是謂知業滅道。若比丘如是知業，知業所因生，知業有報，知業勝如，知業滅盡，知業滅道者，是謂達梵行，能盡一切業。

> 業とは何か知るべきか。二つの業がある：思（意志）と已思（実行された意志）である。これが業を知るということである。 業は何によって生じるか知るべきか。それは触（接触）である。触によって業が生じる。これが業の生じる因を知るということである。 業には報いがあることを知るべきか。黒い業には黒い報いがあり、白い業には白い報いがあり、黒白の業には黒白の報いがあり、黒くも白くもない業には報いがなく、業は尽きる。これが業に報いがあることを知るということである。 業の優劣を知るべきか。地獄に生まれる業もあれば、畜生に生まれる業もあり、餓鬼に生まれる業もあり、天に生まれる業もあり、人間に生まれる業もある。これが業の優劣を知るということである。 業の滅尽を知るべきか。触が滅すれば業も滅する。これが業の滅尽を知るということである。 業を滅する道を知るべきか。それは八支聖道であり、正見から正定までの八つである。これが業を滅する道を知るということである。 比丘がこのように業を知り、業の生じる因を知り、業に報いがあることを知り、業の優劣を知り、業の滅尽を知り、業を滅する道を知るならば、これを梵行を極めた者といい、すべての業を尽くすことができる。

「云何知苦？謂生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎會苦、愛別離苦、所求不得苦、略五盛陰苦，是謂知苦。云何知苦所因生？謂愛也。因愛生苦，是謂知苦所因生。云何知苦有報？謂或有苦微遲滅，或有苦微疾滅，或有苦盛遲滅，或有苦盛疾滅，苦苦盡，是謂知苦有報。云何知苦勝如？謂不多聞愚癡凡夫，不遇善知識，不御聖法法，身生覺極苦甚重苦，命將欲絕，出此從外，更求於彼。或有沙門、梵志，持一句呪，或二、三、四、多句呪，或持百句呪，彼治我苦，如是因求生苦，因習生苦，苦滅，是謂知苦勝如。云何知苦滅盡？謂愛滅苦便滅，是謂知苦滅盡。云何知苦滅道？謂八支聖道，正見乃至正定為八，是謂知苦滅道。若比丘如是知苦，知苦所因生，知苦有報，知苦勝如，知苦滅盡。知苦滅道者，是謂達梵行，能盡一切苦。」

> 「苦しみを知るとはどういうことか？すなわち、生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ、嫌な人と出会う苦しみ、愛する人と別れる苦しみ、求めても得られない苦しみ、要するに五つの執着の集まりによる苦しみである。これが苦しみを知るということである。 では、苦しみは何から生じるのか？それは執着（愛）である。執着から苦しみが生まれる。これが苦しみの原因を知るということである。 では、苦しみにはどのような結果（報い）があるのか？苦しみには、弱くゆっくり消えるもの、弱くても早く消えるもの、強くゆっくり消えるもの、強く早く消えるものがある。苦しみが尽きること、これが苦しみの結果を知るということである。 では、苦しみの優劣（状態の違い）を知るとはどういうことか？教えをあまり聞かず、愚かな凡夫は、善き友人に出会えず、聖なる教えを実践しない。そのため、身体に極めて重い苦しみが生じ、命が絶えようとする時、外に助けを求め、他のものに頼る。あるいは、修行者や聖職者が、一つの呪文、あるいは二つ、三つ、四つ、多くの呪文、百の呪文を用いて、『あの苦しみを治めてくれ』と願う。このようにして、苦しみは求めによって生まれ、習慣によって育ち、そして消え去る。これが苦しみの優劣を知るということである。 では、苦しみが完全に滅び尽きるとはどういうことか？執着が滅びれば、苦しみは滅びる。これが苦しみの滅尽を知るということである。 では、苦しみを滅ぼす道とは何か？それは八つの正しい道筋、すなわち正しい見解から正しい集中までの八つである。これが苦しみを滅ぼす道を知るということである。 もし比丘が、このように苦しみを知り、苦しみの原因を知り、苦しみの結果を知り、苦しみの優劣を知り、苦しみの滅尽を知り、苦しみを滅ぼす道を知るならば、その人は清らかな修行を完成し、すべての苦しみを滅ぼし尽くすことができるのである。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

達梵行經第五竟一千六百四十二字

> 第五経「梵行に達すること」ここに終わる<note>千六百四十二字</note>