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title: "中阿含經 · 112 阿奴波經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一一二）中阿含林品阿奴波經第六第二小土城誦

> 中阿含林品 阿奴波経 第六

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊跋耆瘦，在阿奴波󰍑耆都邑。

> ある時、仏陀はヴァッジ国を巡歴し、アヌピヤという町に滞在しておられた。

爾時，世尊則於晡時從宴坐起，堂上來下，告曰：「阿難！共汝往至阿夷羅惒帝河浴。」

> その時、世尊は夕方の休息から立ち上がり、講堂から下りて阿難に語りかけられた。「阿難よ、共にアイルラヴァティ川へ行き、沐浴しよう。」

尊者阿難白曰：「唯然。」

> 尊者の阿難が申し上げた。「はい、そのとおりです。」

於是，世尊將尊者阿難往至阿夷羅惒帝河，脫衣岸上，便入水浴，浴已還出，拭體著衣。爾時，尊者阿難執扇扇佛。於是，世尊迴顧告曰：「阿難！提惒達哆以放逸故，墮極苦難，必至惡處，生地獄中，住至一劫不可救濟。阿難！汝不曾從諸比丘聞，謂我一向記提惒達哆必至惡處，生地獄中，住至一劫不可救濟耶？」

> そこで、世尊は尊者アーナンダを連れてアヒラヴァティー川へと向かわれました。岸辺で衣を脱ぎ、川に入って身を洗い、洗い終えると川から上がり、体を拭いて衣を着けられました。その時、尊者アーナンダは扇子を持って仏をお扇ぎしました。そこで、世尊は振り返ってアーナンダに告げられました。「アーナンダよ、デーヴァダッタは放逸のゆえに、極めて苦しい困難に堕ち、必ず悪い場所、地獄に生まれ、一劫の間とどまり、救いようがない。アーナンダよ、あなたはかつて諸々の比丘から、私が一貫してデーヴァダッタは必ず悪い場所に至り、地獄に生まれ、一劫の間とどまり、救いようがないと断言したのを聞かなかったのか？」

尊者阿難白曰：「唯然。」

> 尊者の阿難が申し上げた。「はい、そのとおりです。」

爾時，有一比丘語尊者阿難：「世尊以他心智知提惒達哆心故，一向記提惒達哆必至惡處，生地獄中，住至一劫不可救濟耶？」

> その時、一人の比丘が尊者アーナンダに尋ねました。「世尊は、他者の心を知る智慧によって提婆達多の心を完全に知り尽くしたがゆえに、『提婆達多は必ず悪い場所に至り、地獄に生まれ、一劫の間とどまり、救いようがない』と明確に予言されたのでしょうか？」

世尊告曰：「阿難！彼比丘或有小，或有中，或有大，或年少不自知。所以者何？如來已一向記彼故有疑惑。阿難！我不見此世，天及魔、梵、沙門、梵志，從人至天，謂我一向記如提惒達哆。所以者何？阿難！我一向記提惒達哆必至惡處，生地獄中，住至一劫不可救濟。阿難！若我見提惒達哆有白淨法如一毛許，我便不一向記提惒達哆必至惡處，生地獄中，住至一劫不可救濟。阿難！我以不見提惒達哆有白淨法如一毛許，是故我一向記提惒達哆必至惡處，生地獄中，住至一劫不可救濟。

> 世尊はおっしゃった。「阿難よ。あの比丘たちには、小さい者もいれば、中くらいの者もいる。大きい者もいれば、若くて自分を知らない者もいる。なぜか。如来はすでに確定的に記別したからだ。それゆえに疑いがあったのだ。阿難よ。私はこの世において、天・魔・梵天・沙門・婆羅門、人から天に至るまで、私が提婆達多を確定的に記別したように記別する者を見ない。なぜか。阿難よ。私は提婆達多を確定的に記別した。『必ず悪所に至り、地獄に生まれ、一劫のあいだ住み、救うこともできない』と。阿難よ。もし私が提婆達多に毛先ほどの白い清らかな法があるのを見たならば、私は提婆達多を『必ず悪所に至り、地獄に生まれ、一劫のあいだ住み、救うこともできない』とは確定的に記別しなかったであろう。阿難よ。私は提婆達多に毛先ほどの白い清らかな法があるのを見なかった。それゆえ、私は提婆達多を確定的に記別したのである。『必ず悪所に至り、地獄に生まれ、一劫のあいだ住み、救うこともできない』と。」

「阿難！猶去村不遠有大深廁，或人墮中，沒在其底。若人來，為起大慈哀，憐念愍傷，求義及饒益，求安隱快樂，彼人來已，旋轉視之而作是說：『此人可得一處如毛髮許，糞所不污，令我得捉挽出之耶？』彼遍觀視，不見此人有一淨處如毛髮許，糞所不污，可得手捉挽出之也。如是，阿難！若我見提惒達哆有白淨法如一毛者，我不一向記提惒達哆必至惡處，生地獄中，住至一劫不可救濟。阿難！以我不見提惒達哆有白淨法如一毛許，是故我一向記提惒達哆必至惡處，生地獄中，住至一劫不可救濟。」

> 「阿難よ、村からさほど遠くないところに大きな深い汚物溜めがあり、ある人がその中に落ちて、底に沈んでいるとしよう。そこに誰かが来て、大いなる慈しみと哀れみを起こし、その人の利益と安らぎを求めて、彼を助け出そうとする。その人は来て、周りを見回しながらこう言うだろう。『この人に、糞に汚されていない、毛の先ほどの場所でもあれば、私はそれをつかんで彼を引き上げることができるのに』と。しかし、どこを見渡しても、糞に汚されていない毛の先ほどの清らかな場所は見つからず、手でつかんで引き上げることはできない。 同じように、阿難よ、もし私が提婆達多に毛の先ほどの清らかな善い行いがあるのを見たなら、私は彼が必ず悪い場所に落ち、地獄に生まれ、一劫の間とどまって救い出せないと断言することはなかっただろう。阿難よ、私が提婆達多に毛の先ほどの清らかな善い行いさえ見ないからこそ、私は彼が必ず悪い場所に落ち、地獄に生まれ、一劫の間とどまって救い出せないと断言するのである。」

於是，尊者阿難啼泣，以手抆淚，白曰：「世尊！甚奇！甚特！謂世尊一向記提惒達哆必至惡處，生地獄中，住至一劫不可救濟。」

> それを聞いて、尊者アーナンダは涙を流しながら手でぬぐい、こう申し上げました。「世尊よ、なんと驚くべきことでしょうか。世尊は、提婆達多が必ず悪趣に落ち、地獄に生まれ、一劫の間とどまって救い難いと、はっきりとお示しになられました。」

世尊告曰：「如是。阿難！如是。阿難！我一向記提惒達哆必至惡處，生地獄中，住至一劫不可救濟。阿難！若汝從如來聞大人根智分別者，必得上信如來而懷歡喜。」

> 世尊がおっしゃいました。「その通りだ、阿難。その通りだ、阿難。私は確かに提婆達多（だいばだった）が必ず悪い場所に至り、地獄に生まれ、一劫（こう）の間とどまって、救いようがないことを予言したのだ。阿難、もしあなたが如来から大人（たいじん）の根機（こんき）の智による分別を聞いたならば、必ず如来への確かな信を得て、心に喜びを抱くことであろう。」

於是，尊者阿難叉手向佛，白曰：「世尊！今正是時。善逝！今正是時。若世尊為諸比丘說大人根智分別者，諸比丘從世尊聞，當善受持。」

> そこで、尊きアーナンダ尊者は両手を合わせて仏に向かい、こう申し上げました。「世尊よ、今まさにその時でございます。善逝よ、今まさにその時でございます。もし世尊が比丘たちのために『大人の根智の分別』をお説きになれば、比丘たちは世尊の教えを聞き、よく理解して身に帯びるでありましょう。」

世尊告曰：「阿難！諦聽，善思念之，我今為汝說大人根智分別。」尊者阿難受教而聽。

> 世尊はおっしゃいました。「アーナンダよ、よく聞きなさい。心して思惟しなさい。今、あなたのために大人の根の智慧の分別について説きましょう。」 尊者アーナンダは、教えを受け入れ、よく聞きました。

世尊告曰：「阿難！如來以他心智觀他人心，知此人成就善法，亦成就不善法。如來後時以他心智復觀此人心，知此人滅善法，生不善法。此人善法已滅，不善法已生，餘有善根而不斷絕，從此善根當復更生善，如是此人得清淨法。阿難！猶如平旦日初出時，闇滅明生。阿難！於意云何？日轉昇上，至于食時，闇已滅，明已生耶？」

> 世尊がお告げになりました。「阿難よ、如来は他者の心を知る智慧によって他人の心を観察し、この人が善い行いを成就していると同時に、善くない行いをも成就していることを知る。その後、再び他者の心を知る智慧によってこの人の心を観察すると、この人から善い行いが消え去り、善くない行いが生じていることを知る。善い行いはすでに滅したが、善くない行いが生じている。しかしながら、残っている善い根が絶えることなく、その善い根から再び善が生まれ、このようにしてこの人は清らかな行いを得るのである。 阿難よ、ちょうど夜明けに太陽が昇り始める時、暗闇が滅び光明が生じるようなものだ。阿難よ、どのように思うか？太陽がさらに昇っていき、食事の頃になると、暗闇はすでに滅し、光明はすでに生じているのではないか？」

尊者阿難白曰：「爾也。世尊！」

> 尊者阿難が答えました。「はい、その通りです。世尊よ。」

「如是。阿難！如來以他心智觀他人心，知此人成就善法，亦成就不善法。如來後時以他心智復觀此人心，知此人滅善法，生不善法。此人善法已滅，不善法已生，餘有善根而不斷絕，從是善根當復更生善，如是此人得清淨法。阿難！猶如穀種，不壞不破，不腐不剖，不為風熱所傷，秋時密藏，若彼居士善治良田，以種灑中，隨時雨溉。阿難！於意云何？此種寧得轉增長不？」

> 「そうです、阿難よ。如来は他者の心を知る智慧によって、他人の心を観察し、この人が善い法を成就し、同時に善くない法をも成就していることを知ります。その後、如来は再び他者の心を知る智慧でこの人の心を観察し、この人において善い法が消え、善くない法が生じたことを知ります。この人は善い法はすでに消え、善くない法は生じましたが、なお断ち切られていない善根が残っており、その善根から再び善が生じるでしょう。このようにして、この人は清らかな法を得るのです。 阿難よ、例えば穀物の種が、傷つかず、破れず、腐らず、割れず、風や熱による害を受けず、秋の時期にしっかりと貯蔵されていたとします。もしその在家の人がよく整えられた良い田んぼにその種をまき、適時に雨が与えられたなら、阿難よ、あなたはどう思いますか？この種は、成長し増えていくでしょうか？」

尊者阿難白曰：「爾也。世尊！」

> 阿難尊者はこう答えました。「はい、そのとおりです、世尊よ。」

「如是。阿難！如來以他心智觀他人心，知此人成就善法，亦成就不善法。如來後時以他心智復觀此人心，知此人滅善法，生不善法。此人善法已滅，不善法已生，餘有善根而不斷絕，從是善根當復更生善，如是此人得清淨法。阿難！是謂如來大人根智，如是如來正知諸法本。

> 「その通り、阿難よ。如来は他者の心を知る智慧によって、ある人が善い心と不善な心の両方を持っていると見抜く。その後再びその人の心を観察すると、善い心が消え、不善な心が生じているのを知る。その人の善い心は消え去り、不善な心が生じているが、なおも断ち切られていない善根がある。その善根によって、再び善が生じるだろう。そうして、この人は清らかな状態を得るのだ。阿難よ、これが如来の大人の智慧である。このように如来は、すべての現象の根本を正しく知っているのである。」

「復次，阿難！如來以他心智觀他人心，知此人成就善法，亦成就不善法。如來後時以他心智復觀此人心，知此人滅善法，生不善法。此人善法已滅，不善法已生，餘有善根而未斷絕，必當斷絕，如是此人得衰退法。阿難！猶如下晡日垂沒時，明滅闇生。阿難！於意云何？彼日已沒，明已滅，闇已生耶？」

> 「さらに、阿難よ。如来は他者の心を知る智慧によって、ある人の心を観察し、その人が善い行いを備え、また不善な行いも備えていると知る。その後、如来は再び他者の心を知る智慧によってその人の心を観察し、その人が善い行いを滅し、不善な行いを生じたと知る。この人は善い行いがすでに滅び、不善な行いがすでに生じたが、なお残る善い根が断ち切られておらず、必ず断ち切られるであろう。こうしてこの人は衰退の状態に至るのである。 阿難よ。ちょうど、夕方、日が沈もうとするとき、光が消え闇が生じるようなものだ。阿難よ、あなたはどう思うか。あの日が沈み、光が消え、闇が生じたと言えるか。」

尊者阿難白曰：「爾也。世尊！」

> 尊者阿難が答えました。「はい、その通りです。世尊よ。」

「如是。阿難！如來以他心智觀他人心，知此人成就善法，亦成就不善法。如來後時以他心智復觀此人心，知此人滅善法，生不善法。此人善法已滅，不善法已生，餘有善根而未斷絕，必當斷絕，如是此人得衰退法。阿難！猶如穀種，不壞不破，不腐不剖，不為風熱所傷，秋時密藏。若彼居士善治良田，以種灑中，雨不隨時。阿難！於意云何？此種寧得轉增長耶？」

> 「そうです、阿難よ。如来は他者の心を知る智慧によって、他の人の心を観察し、この人が善い法を成就し、同時に善くない法も成就していると知ります。その後、如来は再び他者の心を知る智慧でこの人の心を観察し、この人から善い法が滅び、善くない法が生じたと知ります。この人の善い法はすでに滅び、善くない法は生じましたが、まだ絶えていない善い根が残っており、それは必ず絶たれるでしょう。このように、この人は衰退の状態にあるのです。 阿難よ、譬えば穀物の種があり、それが壊れず、傷つかず、腐らず、割れておらず、風や暑さに損なわれず、秋にしっかりと保管されていたとしましょう。もしその在家の人がよく整えられた良い田んぼにその種をまいたとしても、雨が時期はずれに降れば、どう思いますか？この種は、はたして生長し増えていくでしょうか。」

尊者阿難白曰：「不也。世尊！」

> アーナンダ尊者はこう答えた。「いいえ、世尊よ。」

「如是。阿難！如來以他心智觀他人心，知此人成就善法，亦成就不善法。如來後時以他心智復觀此人心，知此人滅善法，生不善法。此人善法已滅，不善法已生，餘有善根而未斷絕，必當斷絕，如是此人得衰退法。阿難！是謂如來大人根智，如是如來正知諸法本。

> 「そのとおりです、阿難よ。如来は他者の心を知る智慧によって、ある人が善い行いを身につけていることも、また善くない行いを身につけていることも見抜きます。その後、さらに同じ智慧でその人の心を観察すると、善い行いが消え、善くない行いが生じているのを知ります。その人は善い行いがすでに消え、善くない行いが生じていますが、まだ断ち切られていない善い根（善根）が残っています。しかし、それは必ずや断ち切られるでしょう。こうして、この人は衰退の道をたどると知られるのです。阿難よ、これが如来のすぐれた知恵（大人根智）であり、如来はこのようにしてすべての現象の本質を正しく知るのです。」

「復次，阿難！如來以他心智觀他人心，我不見此人有白淨法如一毛許，此人惡不善法一向充滿穢污，為當來有本煩熱苦報、生老病死因，如是此人身壞命終，必至惡處，生地獄中。阿難！猶如種子，腐壞破剖，為風熱所傷，秋時不密藏，若彼居士，非是良田，又不善治，便下種子，雨不隨時。阿難！於意云何？此種寧得轉增長耶？」

> 「さらに、アーナンダよ。如来は他者の心を知る智によって他人の心を観察する。私は、この人に白く清らかな法が毛先ほどの大きさでもあるのを見ない。この人には悪しき不善の法が満ち溢れ、汚れに染まっている。未来に向けて苦しみの報い、生・老・病・死の因となる煩わしい熱苦が根本にある。そのようなわけで、この人は身体が壊れ命が終わるとき、必ず悪しき場所、地獄に生まれるであろう。アーナンダよ。例えば、種子が腐敗し、破れ裂け、風や熱によって傷つけられ、秋にしっかりと蓄えられなかったとしよう。もし在家の者が、良い田んぼではなく、十分に耕されていない土地に、時節に合わない雨の中で種を蒔いたならば、アーナンダよ。あなたはどう思うか。この種子は果たして成長し増えていくであろうか。」

尊者阿難白曰：「不也。世尊！」

> アーナンダ尊者はこう答えた。「いいえ、世尊よ。」

「如是。阿難！如來以他心智觀他人心，我不見此人有白淨法如一毛許，此人惡不善法一向充滿穢污，為當來有本煩熱苦報、生老病死因，如是此人身壞命終，必至惡處，生地獄中。阿難！是謂如來大人根智，如是如來正知諸法本。」

> 「そうなのです、阿難よ。如来は他者の心を他心智（他心通）によって観察し、『この人には白く清らかな法が毛先ほどの量も見られない。この人には悪しき不善の法が満ち溢れ、汚れにまみれている。これは未来における煩悩の熱悩や苦しみの報い、生・老・病・死の因となる。』と知ります。このようにして、この人は命終わり、身体が壊れる時、必ず悪い場所、地獄に生まれ落ちます。阿難よ、これが如来の大人（すぐれた人）の根（根本的な智慧）であり、このように如来は諸法の根本を正しく知るのです。」

於是，尊者阿難叉手向佛，白曰：「世尊已說如此三種之人，寧可更說異三種人耶？」

> そこで、尊き阿難尊者が合掌して仏に向かい、申し上げました。「世尊はすでにこのような三種類の人々をお示しになりましたが、さらにもう一つの異なる三種類の人々についてお説きいただけないでしょうか。」

世尊告曰：「可說也。阿難！如來以他心智觀他人心，知此人成就不善法，亦成就善法。如來後時以他心智復觀此人心，知此人滅不善法而生善法。此人不善法已滅，善法已生，餘有不善根而不斷絕，從是不善根當復更生不善，如是此人得衰退法。阿難！猶如燃火，始然之時，盡然一㷿，彼或有人益以燥草，足以槁木。阿難！於意云何？彼火寧轉增熾盛耶？」

> 世尊は告げられました。「お答えしよう、阿難よ。如来は他者の心を知る智慧をもって人の心を観察し、この人が善くない法を成就し、同時に善い法も成就していることを知る。その後、如来は再び他者の心を知る智慧でこの人の心を観察し、この人が善くない法を滅し、善い法を生じたことを知る。この人は善くない法はすでに滅し、善い法はすでに生じたが、なお滅し尽くしていない善くない根があり、その根から再び善くないものが生じるであろう。このように、この人は衰退の法を得るのである。 阿難よ、たとえば火を燃やすとき、燃え始めたばかりで、一つの火の塊が全体を燃やしているとしよう。そこに誰かが乾いた草や枯れ木を足したとする。阿難よ、どう思うか。その火はますます勢いよく燃え広がるであろうか。」

尊者阿難白曰：「爾也。世尊！」

> 尊者阿難が答えました。「はい、その通りです。世尊よ。」

「如是。阿難！如來以他心智觀他人心，知此人成就不善法，亦成就善法。如來後時以他心智復觀此人心，知此人滅不善法而生善法，此人不善法已滅，善法已生，餘有不善根而不斷絕，從是不善根當復更生不善，如是此人得衰退法。阿難！是謂如來大人根智，如是如來正知諸法本。

> 「そうだ、阿難よ。如来は他者の心を知る智慧をもって、ある人が善からぬ性質と善い性質の両方を備えているのを見抜く。その後、再びその人の心を観察し、善からぬ性質が消え去り、善い性質が生じたことを知る。しかし、その人の中には断ち切られていない善からぬ根が残っており、そこから再び善からぬ性質が生じるだろう。このようにして、その人は衰退の道をたどるのだ。阿難よ、これが如来の大人としての根本的な智慧であり、如来はこのようにして諸々の法の根本を正しく知るのである。」

「復次，阿難！如來以他心智觀他人心，成就不善法，亦成就善法。如來後時以他心智復觀此人心，知此人滅不善法而生善法，此人不善法已滅，善法已生，餘有不善根而未斷絕，必當斷絕，如是此人得清淨法。阿難！猶如然火熾然之時，盡然一㷿，彼或有人從此盛火，置平淨地，或著石上。阿難！於意云何？彼火寧轉增熾盛耶？」

> 「また、阿難よ。如来は他者の心を知る智慧によって、他人の心を観察し、善ならざる法を成就している者もいれば、善法を成就している者もいることを知る。如来は後に、再び他者の心を知る智慧によってこの人の心を観察し、その人が善ならざる法を滅して善法を生じたことを知る。この人は善ならざる法をすでに滅し、善法をすでに生じたが、なお断ち切られていない善ならざる根が残っており、それは必ず断ち切られるであろう。このようにして、この人は清らかな法を得るのである。 阿難よ。ちょうど火が盛んに燃えている時、その一つの燃えさしをすべて燃やし尽くすようなものだ。ある人がこの盛んな火から、平らで清らかな地面に移すか、あるいは石の上に置くとする。阿難よ、どう思うか。その火はさらに燃え広がり、盛んになるだろうか？」

尊者阿難白曰：「不也。世尊！」

> アーナンダ尊者はこう答えた。「いいえ、世尊よ。」

「如是。阿難！如來以他心智觀他人心，知此人成就不善法，亦成就善法。如來後時以他心智復觀此人心，知此人滅不善法而生善法，此人不善法已滅，善法已生，餘有不善根而未斷絕，必當斷絕，如是此人得清淨法。阿難！是謂如來大人根智，如是如來正知諸法本。

> そうだ、阿難よ。如来は他者の心を知る智慧によって、ある人が善ならざる法と善法の両方を具えていることを知る。その後、如来は再び他者の心を知る智慧でその人の心を観察し、その人から善ならざる法が消え去り、善法が生じたことを知る。その人は善ならざる法を滅し、善法を生じたが、まだ断ち切られていない善ならざる根が残っており、それは必ず断ち切られるであろう。かくしてこの人は清らかな法を得るのである。 阿難よ、これが如来の大人の根の智慧であり、このように如来は諸々の法の根本を正しく知るのである。

「復次，阿難！如來以他心智觀他人心，我不見此人有黑業如一毛許，此人善法一向充滿與樂樂報，必生樂處而得長壽，如是此人即於現世必得般涅槃。阿難！猶如火炭，久滅已冷，彼或有人雖益以燥草，足以槁木。阿難！於意云何？彼死火炭寧可復得熾然之耶？」

> 「さらに、阿難よ。如来は他者の心を観察する知恵によって、次のような人を見極める。私は、この人に黒い業が毛先ほどもないと見る。この人の善法は常に満ち溢れており、楽しい報いをもたらす。必ず楽しい場所に生まれ、長寿を得る。そして、この人は現世において必ず涅槃に達する。阿難よ。それはちょうど、長い間消えて冷めた火の炭のようなものだ。もし誰かがその炭に乾いた草や枯れた木を加えたとしても、阿難よ、あなたはどう思うか？その冷えきった火の炭が再び燃え上がることがあるだろうか？」

尊者阿難白曰：「不也。世尊！」

> アーナンダ尊者はこう答えた。「いいえ、世尊よ。」

「如是。阿難！如來以他心智觀他人心，我不見此人有黑業如一毛許，此人善法一向充滿與樂樂報，必生樂處而得長壽，如是此人即於現世必得般涅槃。阿難！是謂如來大人根智，如是如來正知諸法本。

> そうなのだ、アーナンダよ。如来は他者の心を他心智で観察するとき、この人に〈黒い業〉が毛先ほどの大きさでも存在するのを見ない。この人の善法は常に満ちており、楽しい報いをもたらす。必ず楽しいところに生まれ、長寿を得て、現世において必ず般涅槃に達する。アーナンダよ、これが如来の大人としての根本的な智慧であり、このように如来は諸法の根本を正しく知るのである。

「阿難！前說三人者，第一人得清淨法，第二人得衰退法，第三人身壞命終，必至惡處，生地獄中。後說三人者，第一人得衰退法，第二人得清淨法，第三人即於現世得般涅槃。阿難！我已為汝說大人根智，如尊師所為弟子起大慈哀，憐念愍傷，求義及饒益，求安隱快樂，我今已作。汝等當復自作，至無事處、山林樹下、空安靜處，宴坐思惟，勿得放逸，勤加精進，莫令後悔。此是我之教勅，是我訓誨。」

> 「阿難、先に述べた三人のうち、第一の者は清らかな法を得、第二の者は退転する法を得、第三の者は身が壊れ命が終わった後に、必ず悪い場所、地獄に生まれます。後に述べた三人のうち、第一の者は退転する法を得、第二の者は清らかな法を得、第三の者は現世において涅槃に入ります。阿難、私はすでにあなた方に大いなる人の根の智を説きました。師として弟子のために大いなる慈しみと哀れみを起こし、思いやりと悲しみをもって、義と利益を求め、安らぎと楽しいことを求めて、私は今、成し遂げました。あなた方は自ら努力し、閑静な場所、山林の木陰、空しく静かな場所に行き、坐って瞑想し、放逸になってはなりません。精進に励み、後で後悔しないようにしなさい。これが私の教えであり、私の訓戒です。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

阿奴波經第六竟二千六百四十六字

> 阿奴波経 第六 終わり

## 中阿含經卷第二十七七千五百八十二字

> 中阿含経 巻第二十七<note>七千五百八十二字</note>