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title: "中阿含經 · 114 優陀羅經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一一四）中阿含林品優陀羅經第八第二小土城誦

> （114）中阿含林品 ウッダーカ経 第八<note>第二小土城誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「優陀羅羅摩子，彼在眾中，數如是說：『於此生中，觀此覺此，不知癰本，然後具知癰本。』優陀羅羅摩子無一切知，自稱一切知；實無所覺，自稱有覺。優陀羅羅摩子如是見、如是說，有者，是病、是癰、是刺；設無想者，是愚癡也；若有所覺，是止息、是最妙，謂乃至非有想非無想處。彼自樂身，自受於身，自著身已，修習乃至非有想非無想處，身壞命終，生非有想非無想天中，彼壽盡已，復來此間，生於狸中。此比丘正說者，於此生中，觀此覺此，不知癰本，然後具知癰本。

> ある時、世尊は比丘たちに告げました。 「ウッダカ・ラーマプッタは、かつて仲間の中で繰り返しこう説いていた——『この世にあって、これを観察し、これを覚知するが、腫物の根本を知らず、後に至って腫物の根本をすべて知る。』 しかし、ウッダカ・ラーマプッタは一切を知りながら、『一切を知る』と自称していた。実際には何も覚っていないのに、『覚っている』と自称していたのだ。 ウッダカ・ラーマプッタの見解と説き方とはこうである。『何かがある』というのは、病であり、腫物であり、刺である。『想いがない』というのは、愚かさである。そして、『何かを覚っている』というのは、止息であり、最も優れたものである。すなわち、『非想非非想処』に至るまでである。』 彼は自ら身体を楽しみ、自ら身体を受け、自ら身体に執着し、非想非非想処に至るまでを修習した。そして、身体が壊れ命が尽きると、非想非非想天に生まれた。しかし、その寿命が尽きた後、再びこの世に来て、狸として生まれたのだ。 この比丘が正しく説くならば、『この世にあって、これを観察し、これを覚知するが、腫物の根本を知らず、後に至って腫物の根本をすべて知る。』となる。」

「云何比丘正觀耶？比丘者，知六更觸，知習、知滅、知味、知患、知出要，以慧知如真，是謂比丘正觀也。云何比丘覺，比丘者，知三覺，知習、知滅、知味、知患、知出要，以慧知如真，是謂比丘覺。云何比丘不知癰本，然後具知癰本？比丘者，知有愛滅，拔其根本，至竟不復生，是謂比丘不知癰本，然後具知癰本。癰者，謂此身也。色麤四大，從父母生，飲食長養，衣被按摩，澡浴強忍，是無常法、壞法、散法，是謂癰也。癰本者，謂三愛也。欲愛、色愛、無色愛，是謂癰本。癰一切漏者，謂六更觸處也。眼漏視色，耳漏聞聲，鼻漏嗅香，舌漏嘗味，身漏覺觸，意漏知諸法，是謂癰一切漏。

> \*\*問う：比丘はいかにして正しく観察するのか。\*\* 比丘とは、六つの感官との接触を知り、その発生原因を知り、その消滅を知り、その魅力を知り、その危険を知り、そこからの離脱を知り、智慧をもってあるがままに知ることです。これを比丘の正しい観察といいます。 \*\*問う：比丘はいかにして気づくのか。\*\* 比丘とは、三つの感受（苦・楽・不苦不楽）を知り、その発生原因を知り、その消滅を知り、その魅力を知り、その危険を知り、そこからの離脱を知り、智慧をもってあるがままに知ることです。これを比丘の気づきといいます。 \*\*問う：比丘はいかにして、腫れ物の根本を最初は知らず、後に完全に知るようになるのか。\*\* 比丘とは、「存在への執着」が滅び、その根本を断ち切り、決して再び生じることがないことを知ることです。これを、最初は腫れ物の根本を知らず、後に完全に知るようになった比丘といいます。 腫れ物とは、この身体のことです。物質的な四元素から成り、父母から生まれ、飲食で養われ、衣服やマッサージ、入浴などによって保たれ、壊れやすい性質を持つものです。それは無常なもの、壊れるもの、散り失せるものであり、これを腫れ物といいます。 腫れ物の根本とは、三つの渇愛のことです。欲望への渇愛、存在への渇愛、非存在への渇愛、これが腫れ物の根本です。 あらゆる煩悩が漏れ出る腫れ物とは、六つの接触の場のことです。眼は色を見て漏れ出し、耳は声を聞いて漏れ出し、鼻は香りを嗅いで漏れ出し、舌は味を嘗めて漏れ出し、身体は触れ合いを感じて漏れ出し、心はあらゆる現象を知って漏れ出します。これがあらゆる煩悩が漏れ出る腫れ物です。

「比丘！我已為汝說癰、說癰本，如尊師所為弟子起大慈哀，憐念愍傷，求義及饒益，求安隱快樂者，我今已作。汝等亦當復自作，至無事處、山林樹下、空安靜處，燕坐思惟，勿得放逸，勤加精進，莫令後悔。此是我之教勅，是我訓誨。」

> 「比丘たちよ、私はすでにあなた方のために『腫物』と『腫物の根源』について説きました。尊師が弟子に対して大いなる慈しみと哀れみ、憐れみと思いやりの心をもって、真理と利益、安らぎと幸せを求めるために尽くすように、私もすでに行いました。あなた方もまた、自ら努めなさい。静かな場所、林の中、木の下、閑寂な静けさのあるところに行き、坐ってよく考え、怠けてはなりません。精進に励み、後に後悔することがないようにしなさい。これが私の教えであり、私の訓戒です。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

優陀羅經第八竟五百一十四字

> ウッダーラカ経 第八（終わり）<note>五百十四字</note>