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title: "中阿含經 · 134 釋問經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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## 中阿含經卷第三十三

> 中阿含経 第三十三巻

東晉罽賓三藏瞿曇僧伽提婆譯

> 東晋・罽賓三蔵・瞿曇僧伽提婆 訳

### （一三四）大品釋問經第十八第三念誦

> （一三四）大品釋問經第十八<note>第三念誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊摩竭陀國，在王舍城東，㮈林村北，鞞陀提山因陀羅石室。

> ある時、仏陀はマガダ国を巡り、王舎城の東、ネーラ林の村の北、ヴェーダーティ山の因陀羅石室に滞在しておられた。

爾時，天王釋聞佛遊摩竭陀國，在王舍城東，㮈林村北，鞞陀提山因陀羅石室。時，天王釋告五結樂子：「我聞世尊遊摩竭陀國，在王舍城東，㮈林村北，鞞陀提山因陀羅石室。五結！汝來共往見佛。」

> その時、天帝釈（たいていしゃく）＝神々の王・帝釈天は、仏陀がマガダ国を遊行され、王舎城の東、ニグローダ村の北、ヴェーダティヤ山のインドラ石窟におられるのをお聞きになった。そこで天帝釈は、五人結びの楽人に告げられた。「私は、尊き世尊がマガダ国を遊行され、王舎城の東、ニグローダ村の北、ヴェーダティヤ山のインドラ石窟におられると聞いた。五結よ、あなたも一緒に来て、仏陀にお目にかかろう。」

五結樂子白曰：「唯然。」於是，五結樂子挾琉璃琴從天王釋行，三十三天聞天王釋其意至重，欲往見佛，三十三天亦復侍從天王釋行。於是，天王釋及三十三天、五結樂子猶如力士屈伸臂頃，於三十三天忽沒不現已，住摩竭陀國王舍城東，㮈林村北，鞞陀提山，去石室不遠。

> 五結楽子は「はい、かしこまりました」と申し上げた。それから五結楽子は瑠璃の琴を手に取り、帝釈天に従って進んだ。三十三天（三十三天の神々）は、帝釈天が深い思いを抱いて仏に拝謁しようとしているのを聞き、やはり帝釈天に供奉して進んだ。すると帝釈天と三十三天、五結楽子は、力士が腕を伸ばしたり曲げたりするほどの瞬きの間に、三十三天の世界から忽然と姿を消し、摩竭陀国の王舎城の東、㮈林村の北、鞞陀提山の石室からほど近い場所に現れた。

爾時，鞞陀提山光耀極照，明如火㷿，彼山左右居民見之，便作是念：「鞞陀提山火燒普然。」

> その時、ヴェーダの山がかがやくばかりに照り輝き、まるで火が燃え上がるかのようでした。その山の周りに住む人々はそれを見て、こう思いました。「ヴェーダの山が一面に火に包まれている。」

時，天王釋住一處已，告曰：「五結！世尊如是住無事處山林樹下，樂居高巖，寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順燕坐。有大威德，諸天共俱，樂彼遠離，燕坐安隱，快樂遊行。我等未通，不應便前。五結！汝往先通，我等然後當進。」

> そのとき、帝釈天はある場所に立ち止まって、こう言いました。「五結よ、世尊はこのように、何もない場所、山や林の中、高い岩の上など、静かで騒がしくなく、遠く離れて、悪いものがなく、誰もいない場所で、静かに座っておられる。大いなる威徳をもって、多くの天の者たちと共に、その遠離の境地を楽しみ、静かに座って心安らかに、安楽に過ごしておられる。我々はまだ許しを得ていないのだから、軽々しく前に進むべきではない。五結よ、お前が先に行って、まず我々の来訪を伝えなさい。そして、それから我々が進もう。」

五結樂子白曰：「唯然。」於是，五結樂子受天王釋教已，挾琉璃琴即先往至因陀羅石室，便作是念：「知此處離佛不近不遠，令佛知我，聞我音聲。」住彼處已，調琉璃琴，作欲相應偈、龍相應偈、沙門相應偈、阿羅訶相應偈，而歌頌曰：

> 五結の楽師（パンチャシカ）が申し上げた。「かしこまりました」と。 そこで、五結の楽師は、天王帝釈（インドラ）の教えを受けて、琉璃琴（ガラスの琴）を抱え、まず先に因陀羅石室へ向かった。そして、こう心に念じた。「この場所は、仏様から遠すぎず近すぎず、仏様が私を感じ、私の声を聞いてくださるであろうほど良い距離である」と。 その場所に着いて、琉璃琴を調律し、欲望に応じた偈、竜に応じた偈、修行者に応じた偈、阿羅漢（アラハン）に応じた偈を作り、それらを歌い詠んだ。

「賢禮汝父母， 月及耽浮樓，謂生汝殊妙， 令我發歡心。煩熱求涼風， 渴欲飲冷水，如是我愛汝， 猶羅訶愛法。如收水甚難， 著欲亦復然，無量生共會， 如施與無著。池水清且涼， 底有金粟沙，如龍象熱逼， 入此池水浴。猶如鈎牽象， 我意為汝伏，所行汝不覺， 窈窕未得汝。我意極著汝， 煩冤燒我心，是故我不樂， 如人入虎口。如釋子思禪， 常樂在於一，如牟尼得覺， 得汝妙淨然。如牟尼所樂， 無上正盡覺，如是我所樂， 常求欲得汝。如病欲得藥， 如飢欲得食，賢汝止我心， 猶如水滅火。若我所作福， 供養諸無著，彼是悉淨妙， 我共汝受報。願我共汝終， 不離汝獨活，我寧共汝死， 不用相離生。釋為與我願， 三十三天尊，汝人無上尊， 是我願最堅。是故禮大雄， 󰨤首人最上，斷絕諸愛刺， 我禮日之親。」

> 「賢しいあなた、父母よ、 月よ、そして耽浮樓よ、 あなたは私に生まれ、特別に美しい。 そのことが私の心を喜ばせる。 暑さに悩んで涼風を求め、 渇いて冷水を飲みたいように、 私があなたを愛するのは、 まさに羅訶が法を愛するようだ。 水をせき止めるのが難しいように、 欲望に執着するのもまた同じである。 無数の生を共に集め、 執着なく施すがごとく。 池の水は清らかで冷たく、 底には金の粟粒のような砂がある。 龍や象が暑さに苦しめられ、 この池に入って水浴するように。 まるで鉤で象を引くように、 私の心はあなたに従う。 あなたは私の行動に気づかない。 美しいあなた、まだ得られていない。 私の心はあなたに強く執着し、 苦悩が私の心を焼く。 それゆえ私は楽しまない。 まるで人が虎の口に入るように。 まるで釈子が禅を思うように、 常に一つの境地に安らうのを楽しむ。 また、牟尼（ブッダ）が悟りを得たように、 あなたの清らかで美しい姿を得たい。 牟尼（ブッダ）が楽しむもの、 それは無上の正しい完全な悟り。 このように私が楽しむものは、 常にあなたを求め、得たいと思う。 病人が薬を欲するように、 飢えた人が食べ物を欲するように。 賢しいあなた、私の心を静めてください。 まるで水が火を消すように。 もし私が積んだ善い行い、 執着のない方々への供養、 それらがすべて清らかで美しいなら、 私はあなたと共にその報いを受けたい。 どうか私はあなたと共に生き、 あなたを離れて独りでは生きない。 あなたと共に死ぬことを選んでも、 離れて生きるのは望まない。 神々の王である帝釈天が、 私に願いを叶えてくれるなら、 あなたは人々の無上の尊い方、 これが私の最も強い願いです。 それゆえ、大いなる勇者に礼拝し、 人々の中で最も優れた方に頭を下げる。 あらゆる愛着の棘を断ち切った方、 太陽の親（ブッダ）に礼拝します。」

於是，世尊從三昧起，讚歎五結樂子曰：「善哉！善哉！五結！汝歌音與琴聲相應，琴聲與歌音相應，歌音不出琴聲外，琴聲不出歌音外。五結！汝頗憶昔時歌頌此欲相應偈、龍相應偈、沙門相應偈、阿羅訶相應偈耶？」

> そこで、世尊は三昧から出て、五結楽子に讃嘆しておっしゃいました。「よきかな、よきかな、五結よ。汝の歌声と琴の音は調和し、琴の音と歌声は調和し、歌声は琴の音を超えず、琴の音は歌声を超えない。五結よ、汝はかつて、この欲に関する偈、竜に関する偈、沙門に関する偈、阿羅漢に関する偈を歌ったことを覚えているか？」

五結樂子白曰：「世尊！唯大仙人自當知之。大仙人！昔時世尊初得覺道，遊欝鞞羅尼連禪河岸，阿闍惒羅尼拘類樹下。爾時，躭浮樓樂王女，名賢月色。有天名結，摩兜麗御車子，求欲彼女。大仙人！彼當求欲於彼女時，我亦復求欲得彼女。然，大仙人！求彼女時竟不能得，我於爾時住彼女後，便歌頌此欲相應偈、龍相應偈、沙門相應偈、阿羅訶相應偈。大仙人！我歌頌此偈時，彼女迴顧，怡然含笑而語我曰：『五結！我未曾見彼佛世尊，然我已從三十三天聞彼世尊、如來、無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、眾祐。五結！若汝能數稱歎世尊者，可與汝共事大仙人。』我唯一共會，自後不復見。」

> 五結楽神が申し上げました。「世尊よ、ただ大仙自らがお分かりになることです。大仙よ、かつて世尊が初めて悟りを得られ、ウルヴェーラーのネーランジャナー川の岸辺、アジャパーラ・ニグローダ樹の下を遊行されていた時のことです。その時、ドゥンバルという楽神の王女で、賢月の色という名の者がおりました。結という名の天の御者が車を操って、かの女を求めていました。大仙よ、彼がかの女を求めていた時、私もまたかの女を得ようと望んでいました。しかし、大仙よ、かの女を求めたもののついに得られませんでした。私はその時、かの女の後ろに立って、この欲望に相応する偈、竜に相応する偈、沙門に相応する偈、阿羅漢に相応する偈を歌いました。大仙よ、私がこの偈を歌った時、かの女は振り返り、心豊かに微笑んで私に言いました。『五結よ、私はまだかの仏世尊にお目にかかったことはありません。しかし、私はすでに三十三天から、かの世尊、如来、無所著、等正覚、明行足、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師、仏、衆祐と号されるお方を聞いています。五結よ、もしあなたが世尊をたびたび称賛するならば、あなたと共に事を行うことができましょう、大仙よ。』私はただ一度だけ彼女と共に会いましたが、その後は二度とお会いしていません。」

於是，天王釋而作是念：「五結樂子已令世尊從定覺起已，通我於善逝。」彼時，天王釋告曰：「五結！汝即往彼，為我稽首佛足，問訊世尊聖體康強，安快無病，起居輕便，氣力如常耶？作如是語：『大仙人！天王釋稽首佛足，問訊世尊聖體康強，安快無病，起居輕便，氣力如常耶？大仙人！天王釋及三十三天欲見世尊！』」

> そこで、帝釈天はこう考えました。「五結楽師が世尊を禅定から目覚めさせ、私を善逝にお通しした。」 その時、帝釈天は五結に告げました。「五結よ、あなたは私の代わりに彼のところへ行き、私の言葉として仏の御足に頭を下げて挨拶し、世尊の御身体が健やかで、安らかで快く、病気がなく、日常の動作が軽やかで、気力が常に変わらぬものかとお尋ねしなさい。こう言うのです。『大仙人よ、帝釈天が仏の御足に頭を下げて挨拶し、世尊の御身体が健やかで、安らかで快く、病気がなく、日常の動作が軽やかで、気力が常に変わらぬものかとお尋ねします。大仙人よ、帝釈天および三十三天が世尊にお会いしたいと願っております。』」

五結樂子白曰：「唯然。」

> 「はい、承知しました」と五結楽子は申し上げました。

於是，五結樂子捨琉璃琴，叉手向佛，白曰：「世尊！唯大仙人！天王釋稽首佛足，問訊世尊聖體康強，安快無病，起居輕便，氣力如常耶？大仙人！天王釋及三十三天欲見世尊！」

> そこで、五結楽子は瑠璃の琴を置き、合掌して仏に向かい、こう申し上げました。「世尊よ、大仙人よ。天王帝釈天が仏の足に礼拝し、世尊の聖体が健やかで、安楽で病なく、起居が軽快で気力が常の如くあるかとお尋ねしております。大仙人よ、天王帝釈天および三十三天の天々が世尊にお目にかかりたいと願っております。」

爾時，世尊告曰：「五結！今天王釋安隱快樂，及諸天、人、阿修羅、揵沓惒、羅剎及餘種種身安隱快樂。五結！天王釋欲見我者，隨其所欲。」

> その時、世尊は仰せになった。「パンチャシカよ、今、帝釈天(たいしゃくてん)は安らかで幸せであり、天々や人々、アスラ、ガンダルヴァ、羅刹(らせつ)、その他もろもろの者たちも、身も心も安らかで幸せである。パンチャシカよ、帝釈天が私に会いたいと思うなら、その望みのままにしておいでなさい。」

於是，五結樂子聞佛所說，善受善持，稽首佛足，遶三匝而去，往詣天王釋所，白曰：「天王！我已為白世尊，世尊今待天王，唯願天王自當知時。」

> そこで、音楽を司る五人の神々の子は、仏の説法を聞き、よく理解し、よく心に留めました。そして仏の足に頭を下げて礼拝し、右に三度回ってから去って、天王・帝釈天の元へ参上しました。そして申し上げました。「天王よ、私はすでに世尊にお伝えしました。世尊は今、天王をお待ちです。どうか天王ご自身が、時機をお計りください。」

於是，天王釋及三十三天、五結樂子往詣佛所。時，天王釋稽首佛足，再三自稱名姓言：「唯大仙人！我是天王釋，我是天王釋。」

> そこで、天の王である釋提桓因と三十三天（三十三の天々）、五結の楽師たちが、仏のもとへと向かった。その時、天の王である釋提桓因は仏の足に頭を伏せる礼をし、三度にわたり自らの名姓を述べて言った。「尊き大仙人よ、私は天の王、釋提桓因でございます。私は天の王、釋提桓因でございます。」

世尊告曰：「如是。如是。拘翼！汝是天王釋。」

> 世尊がおっしゃいました。「その通り、その通りです。拘翼よ、あなたは天の王、帝釋天なのです。」

時，天王釋再三自稱名姓，稽首佛足，却住一面；三十三天及五結樂子亦稽首佛足，却住一面。時天王釋白曰：「唯大仙人！我去世尊近遠坐耶？」

> その時、帝釈天は三度自らの名を名乗り、仏の足元に額を付けて礼をし、その後、一方に退いて立った。三十三天と五結楽子もまた仏の足元に礼をし、一方に退いて立った。そこであの帝釈天が申し上げた。「偉大なる仙人よ、私は世尊からどのくらい近く、あるいは遠くに座ればよいのでしょうか」

世尊告曰：「汝近我坐。所以者何？汝有大天眷屬。」於是，天王釋稽首佛足，却坐一面，三十三天及五結樂子亦稽首佛足，却坐一面。爾時，因陀羅石室忽然廣大。所以者何？佛之威神及諸天威德。

> 世尊がおっしゃった。 「私のそばに近づきなさい。なぜなら、あなたには偉大な天の眷属がいるからである。」 そこで、天王帝釈天は仏の足に頭を伏して礼をし、後に下がって一方に座った。 三十三天と五結楽子もまた仏の足に礼をし、後に下がって一方に座った。 その時、因陀羅石室はたちまち広大になった。 なぜなら、仏の威神力と諸天の威徳のためである。

時，天王釋坐已，白曰：「唯大仙人！我於長夜欲見世尊，欲請問法。大仙人！往昔一時世尊遊舍衛國，住石巖中，大仙人！我爾時自為及為三十三天，乘千象車，往至鞞沙門大王家。爾時，鞞沙門大王家有妾，名槃闍那，爾時，世尊入定寂然，彼妾叉手禮世尊足。大仙人！我語彼曰：『妹！我今非往見世尊時，世尊入定，若世尊從定寤者，妹便為我稽首佛足，問訊世尊聖體康強，安快無病，起居輕便，氣力如常耶？作如是說：「唯大仙人！天王釋稽首佛足，問訊世尊聖體康強，安快無病，起居輕便，氣力如常耶？」』大仙人！彼妹為我稽首佛足，問訊世尊，世尊為憶不耶？」

> 時に、天帝釋は座ってから申し上げた。「大いなる仙人よ、私は長い間、世尊にお目にかかり、法についてお尋ねしたいと願っておりました。大仙人よ、かつて世尊が舎衛国におられ、石の岩屋に住まわれたことがありました。その時、私は自らのため、また三十三天のために、千の象が引く車に乗って、毘沙門大王の家に向かったのです。その時、毘沙門大王の家には槃闍那という名の妾がおりました。世尊は禅定に入って静かにおられましたので、その女性は合掌して世尊の足を礼拝しました。大仙人よ、私は彼女に言いました。『妹よ、今は世尊にお目にかかる時ではない。世尊は禅定に入っておられる。もし世尊が禅定からお覚めになったなら、あなたは私に代わって仏足を礼拝し、世尊の聖体が健やかで、安らかで、病気もなく、起居が軽やかで、気力が常の通りであるかどうかをお尋ねしなさい。そしてこう言うのだ。「大いなる仙人よ、天帝釋は仏足を礼拝し、世尊の聖体が健やかで、安らかで、病気もなく、起居が軽やかで、気力が常の通りであるかどうかをお尋ね申し上げます」』と。大仙人よ、彼女が私に代わって仏足を礼拝し、世尊にお尋ねしたことを、世尊はお覚えでいらっしゃいますか？」

世尊告曰：「拘翼！彼妹為汝稽首我足，具宣汝意，問訊於我，我亦憶，拘翼！當汝去時，聞此音聲，便從定寤。」

> 世尊がおっしゃった。「拘翼よ、その天女は私にあなたの変わりに頭を下げ、あなたの言葉を詳しく伝え、私に挨拶をしました。私も覚えていますよ。拘翼よ、あなたが去った時に、この音声を聞いて、私はすぐに定から目覚めたのです。」

「大仙人！昔時我聞，若如來、無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、眾祐出於世時，增諸天眾，減阿修羅。大仙人！我自眼見世尊弟子比丘從世尊修習梵行，捨欲離欲，身壞命終，得至善處，生於天中。大仙人！瞿毘釋女是世尊弟子，亦從世尊修習梵行，憎惡是女身，愛樂男形，轉女人身，受男子形，捨欲離欲，身壞命終，得生妙處三十三天，為我作子。彼既生已，諸天悉知，瞿婆天子有大如意足，有大威德，有大福祐，有大威神。

> 「大いなる仙人よ。かつて私はこう聞きました。如来、阿羅漢、正等覚者、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏世尊がこの世に現れると、天の衆は増え、阿修羅は減ると。大いなる仙人よ。私はこの目で見ました。世尊の弟子である比丘たちが、世尊のもとで清らかな行いを学び、欲を捨て、欲から離れ、この世を終えた後、素晴らしい場所に生まれ変わり、天界に至るのを。大いなる仙人よ。クビという名の釈迦族の女性は、世尊の弟子であり、世尊のもとで清らかな行いを学び、女の身を嫌い、男の姿を愛し求めました。彼女は女性の身を捨て、男性の姿を得て、欲を捨て、欲から離れ、この世を終えた後、三十三天という素晴らしい場所に生まれ、私の子となりました。彼が生まれると、天の者たちは皆知りました。クバ天子には大きな神通力があり、大きな威徳があり、大きな福徳があり、大きな威力があると。」

「大仙人！我復見有世尊弟子三比丘等，亦從世尊修習梵行，不捨離欲，身壞命終，生餘下賤伎樂宮中。彼既生已，日日來至三十三天供事諸天，奉侍瞿婆天子。天子見彼已，而說頌曰：

> 「大いなる仙人よ、私はまた、世尊の弟子である三人の比丘が、世尊のもとで梵行を修めながらも、欲を離れず、身が壊れ命が終わった後に、下賤な伎楽の宮殿に生まれるのを見ました。彼らは生まれた後、毎日のように三十三天に来て諸天に仕え、瞿婆天子に奉仕しています。天子は彼らを見て、次のように偈を説きました。

「『與眼優婆私， 我字名瞿毘，奉敬佛及法， 淨意供養眾。我已蒙佛恩， 釋子大祐德，妙生三十三， 彼知祐天子。見彼本比丘， 受生伎樂神，叉手面前立， 瞿婆為說偈。是本瞿曇子， 我本為人時，來至到我家， 飲食好供養。此本與聖等， 行無上梵行，今為他所使， 日來奉事天。我本承事汝， 聞聖善說法，得信成就戒， 妙生三十三。汝本受奉事， 行無上梵行，今為他所使， 日來奉事天。汝以何為面， 受持佛法已，反背不向法， 是眼覺善說。我昔見汝等， 今生下伎樂，自行非法行， 自生於非法。我本在居家， 觀我今勝德，轉女成天子， 自在五欲樂。』

> 「あるが見な、ギャンピという在家の信者、 仏と法を敬い、清らかな心で僧団を支えた。 私はすでに仏の恩恵を受けている。 釈迦の御子、大いなる福徳により、 三十三天に立派に生まれ変わった。すると知る、あの福徳ある天子を。 かつての比丘を見かけ、今や楽神に生まれ変わっているのを。 彼が合掌して目の前に立ったので、ギャンピは偈を唱えた。 「この方は昔、ゴータマの弟子でした。 私がまだ人間だった頃、 私の家に来て、飲食の良い供養を受けました。 この方は聖者に等しく、無上の清らかな行いをしていたのに、 今や他に仕えられ、日々天に奉仕している。 私はかつてあなたに仕え、聖者の説く善い教えを聞き、 信仰を得て戒を成就し、三十三天に見事に生まれました。 あなたも教えを奉じ、無上の清らかな行いをしていたのに、 今や他に仕えられ、日々天に奉仕している。 どうしてそんな顔をしていられるのですか。仏法を受けたのに、 背を向けて、その教えに従わないとは。見よ、目覚めた者の善い教えを。 私は昔、あなた方を見ましたが、今や低い楽神に生まれている。 自ら非なる行いをし、非なる境遇に生まれたのです。 私は在家にいた頃と比べれば、今や勝れた果報がある。 女性から転じて天子となり、五つの欲望の楽しみを自在に得ている。」」

「彼訶瞿曇等， 厭已歎瞿曇：「『我今當進行， 天子真諦說。』

> 「あのゴータマたちは、 「わしは今こそ修行を進めるべきだ」と 天子が真実を説いたのを聞いて、 これを称賛した。

「二於彼懃行， 憶瞿曇法律，知欲有災患， 即彼捨離欲。彼為欲結縛， 即得捨遠離，如象斷羈靽， 度三十三天。因陀羅天梵， 一切皆來集，即彼坐上去， 雄猛捨塵欲。

> 「修行に励み、ゴータマの教えを心に留め、 欲望には災いがあると知り、まさにその欲望を捨て去る。 その者は欲望の束縛から解き放たれ、遠く離れることができ、 あたかも象が繋がれていた綱を断ち切るかのように、三十三天（と）を超える。 インドラ神も梵天も、すべての者が集まってきた。 まさにその者はその場から立ち上がり、勇猛に塵のごとき欲望を捨て去ったのだ。」

「帝釋見已厭， 勝天天中天：「『彼本生下賤， 度三十三天。』厭已妙息言。 瞿婆後說曰：

> 帝釈天はそれを見て厭い、勝者の中の勝者である天に向かって言った。 「彼は元々下賤な生まれでありながら、三十三天を超えたのだ。」 そう厭い、見事に静まり言葉を発した。その後、瞿婆が言った。

「『人中有佛勝， 釋牟尼知欲。彼子中失念， 我訶更復得，於三中之一， 則生伎樂中。二成等正道， 在天定根樂，汝說如是法， 弟子無有惑。度漏斷邪疑， 禮佛勝伏根，若彼覺諸法， 二得昇進處。彼得昇進已， 生於梵天中，我等知彼法， 大仙來至此。』」

> 「人の世において、最も優れた方は仏陀である。 釈迦牟尼は人々の欲望をよく知っておられる。 かの弟子たちが一時、心のよりどころを失った時、 私が戒めを与えたので、再びそれを取り戻すことができた。 三つのうちの一つを得れば、それは音楽や楽しみの中に生まれる縁となる。 二つ成就すれば、正しい道へと向かい、天において確かな心の安らぎと楽しみを得る。 あなたがこのような教えを説けば、弟子たちに迷いはない。 煩悩を超え、邪な疑いを断ち、仏陀の勝れた根性を礼拝する。 もし彼らが全ての真理を悟れば、二つの者はさらに高い境地へと進むことができる。 その境地に達したならば、梵天の世界に生まれる。 私たちはその教えを知っているのです。大いなる仙人がここにおいでになりました。」

爾時，世尊便作是念：「此鬼長夜無有諛諂，亦無欺誑，無幻質直。若有問者，盡欲知故，不欲觸嬈彼之所問亦復如是，我寧可說甚深阿毘曇。」世尊知已，為天王釋說此頌曰：

> その時、世尊（ブッダ）はこう思われました。「この鬼神（帝釈天）は、長い間、お世辞や偽りがなく、欺かず、ごまかさず、質素で正直である。もし質問があれば、すべてを知りたいと思って尋ねるのであり、相手を困らせようとして尋ねるのではない。彼の質問もまた同じである。ならば、私は深遠なアビダルマ（最高の教え）を説くのがよいだろう。」 世尊はそう知って、帝釈天のために次の偈を説かれました。

「於現法樂故， 亦為後世樂，拘翼自恣問， 隨意之所樂，彼彼之所問， 盡當為決斷。世尊已見聽， 日天求見義，在摩竭陀國， 賢婆娑婆問。」

> 現在の幸せのため、そして未来の幸せのためにも、 帝釈天よ、あなたは自由に問いなさい。心のままに尋ねなさい。 あなたが尋ねるどんな問いにも、すべてはっきりと答えましょう。 世尊はすでに、聞き入れてくださいました。太陽のように輝くあなたが、真理を求め、 マガダ国において、賢者バサバが問いを発したのです。

於是，天王釋白曰：「世尊！天、人、阿修羅、揵沓惒、羅剎及餘種種身，各各有幾結耶？」

> そこで、帝釈天がお尋ねしました。「世尊よ、天人、人間、阿修羅、乾闥婆、羅刹、その他さまざまな生き物には、それぞれいくつの煩悩（けがれた心の束縛）があるのでしょうか？」

世尊聞已，答曰：「拘翼！天、人、阿修羅、揵沓惒、羅剎及餘種種身，各各有二結，慳及嫉也。彼各各作是念：『令我無杖、無結、無怨、無恚、無諍、無鬪、無苦，安樂遊行。』彼雖作是念，然故有杖、有結、有怨、有恚、有諍、有鬪、有苦，無安樂遊行。」

> 世尊はこう聞いてお答えになりました。「拘翼よ、天、人、阿修羅、音楽神、羅刹など、さまざまな生きとし生けるものには、それぞれ二つの結び目がある。すなわち、けちと妬みである。彼らはそれぞれこう願う。『どうか、私が武器を持たず、煩わしさがなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、闘いもなく、苦しみもなく、安らかに楽しく過ごせますように』と。しかし、そのように願っていながらも、実際には武器を持ち、煩わしさを抱え、恨み、怒り、争い、闘い、苦しみがあり、安らかで楽しい暮らしはないのである。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然，世尊！唯然，善逝！唯然。大仙人！天、人、阿修羅、揵沓惒、羅剎及餘種種身，各各有二結。彼作是念：『令我無杖、無結、無怨、無恚、無諍、無鬪、無苦，安樂遊行。』彼雖作是念，然故有杖有結、有怨、有恚、有諍、有鬪、有苦，無安樂遊行。唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> 時に、天帝釋はこれを聞いて申し上げた。「そのとおりです、世尊よ。そのとおりです、善逝よ。そのとおりです、大仙人よ。天・人・阿修羅・乾闥婆・羅刹、その他さまざまな生きとし生けるものには、それぞれに二つの束縛があります。彼らは『どうか、私は杖もなく、束縛もなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、闘いもなく、苦しみもなく、安らかに楽しく行き渡ることができますように』と願います。しかし、そう願っても、なお杖があり、束縛があり、恨みがあり、怒りがあり、争いがあり、闘いがあり、苦しみがあり、安らかに楽しく行き渡ることはできません。そのとおりです、世尊よ。そのとおりです、善逝よ。そのとおりです、大仙人よ。あなたがお説きになった法のとおり、私はすべてを悟り、疑いを断ち、迷いを越え、ためらいはありません。仏の説法を聞いたからです。」

時，天王釋聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、天帝の釈尊は、仏が説かれたことを聞いて、喜びながら実践された。

復問曰：「大仙人！慳、嫉者，何因何緣，為從何生，由何而有？復何因由無慳、嫉耶？」

> 再び尋ねて言う、「大仙人よ。慳吝（けち）と嫉妬（しっと）は、どのような原因と条件から生じるのでしょうか。何を根源として存在するのでしょうか。また、どのような理由で慳吝と嫉妬がなくなるのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！慳、嫉者，因愛、不愛，緣愛、不愛，從愛、不愛生，由愛、不愛有。若無愛、不愛者，則無慳、嫉也。」

> 世尊はこれを聞いてお答えになりました。「拘翼（くよく）よ、けちん坊や嫉妬（しっと）は、好き・嫌いという執着（しゅうじゃく）から生まれます。好き・嫌いによって起こり、好き・嫌いによって存在するのです。もし好き・嫌いという執着がなければ、けちん坊や嫉妬もないのです。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！慳、嫉者，因愛、不愛，緣愛、不愛，從愛、不愛生，由愛、不愛有。若無愛、不愛者，則無慳、嫉也。唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> さて、天帝釋はこれを聞いてこう申し上げました。「その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。その通りです、大仙人よ。'むさぼり'と'ねたみ'は、'愛'と'憎しみ'に基づき、'愛'と'憎しみ'を縁として起こり、'愛'と'憎しみ'から生まれ、'愛'と'憎しみ'によって存在します。もし'愛'と'憎しみ'がなければ、'むさぼり'や'ねたみ'もありません。その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。その通りです、大仙人よ。仏様がお説きになった法を、私はすべて理解しました。私は疑いを断ち、迷いを越え、ためらいはもうありません。仏様のお説きになったことを聞いたからです。」

時，天王釋聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、天帝の釈尊は、仏が説かれたことを聞いて、喜びながら実践された。

復問曰：「大仙人！愛、不愛者，何因何緣，為從何生，由何而有？復何因由無愛、不愛耶？」

> さらに問う：「大仙人よ、愛と憎しみは、どのような原因と縁によって生じ、何から起こり、何によって存在するのでしょうか。また、どのような原因と条件によって、愛と憎しみがなくなるのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！愛、不愛者，因欲緣欲，從欲而生，由欲故有。若無欲者，則無愛、不愛。」

> 世尊はそれを聞いてお答えになりました。「拘翼よ、愛するものと愛さないものとは、欲望を因とし、欲望を縁として、欲望から生じ、欲望があるから存在するのです。もし欲望がなければ、愛するものも愛さないものもありません。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！愛、不愛者，因欲緣欲，從欲而生，由欲故有，若無欲者，則無愛、不愛。唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> その時、天帝釈（たいていしゃく）がこれを聞いて、こう言いました。「その通りです、世尊（せそん）よ。その通りです、善逝（ぜんぜい）よ。その通りです、大仙人（だいせんにん）よ。愛（あい）と憎しみ（にくしみ）は、欲（よく）に由来し、欲に縁（よ）って起こり、欲から生じ、欲があるから存在するのです。もし欲がなければ、愛も憎しみもありません。その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。その通りです、大仙人よ。あなたが教えられた法（ほう）を、私はことごとく悟りました。疑いを断ち、迷いを超え、もはやためらいはありません。仏（ほとけ）の説法を聞いたからです。」

時，天王釋聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、天帝の釈尊は、仏が説かれたことを聞いて、喜びながら実践された。

復問曰：「大仙人！欲者，何因何緣，為從何生，由何而有？復何因由無有欲耶？」

> 再び問う：「大仙人よ。欲望とは、何が原因で、何が縁となって生じるのでしょうか。どこから生まれ、何によって存在するのでしょうか。また、どのような理由で欲望がなくなるのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！欲者，因念緣念，從念而生，由念故有。若無念者，則無有欲。」

> 世尊（お釈迦様）はこれを聞いて、こう答えられました。「拘翼（くよく）よ、欲望というものは、考えがあるから生じ、考えに縁って起こるのです。思いがもととなって存在し、思うことがあるからこそあるのです。もし考えがなければ、欲望も存在しないのです。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！欲者，因念緣念，從念而生，由念故有，若無念者，則無有欲。唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> その時、天帝釈（たいていしゃく）がこれを聞いて申し上げました。「その通りです、世尊よ。その通りです、善逝（ぜんぜい）よ。その通りです、大仙人よ。欲望とは、思い（念）に基づき、思いに縁って生じ、思いから生まれ、思いがあるから存在します。もし思いがなければ、欲望も存在しません。その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。その通りです、大仙人よ。仏様がお説きになった教えを、私は全て理解しました。私は疑いを断ち、迷いを超え、ためらいはありません。それは仏様の教えを聞いたからです。」

時，天王釋聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、天帝の釈尊は、仏が説かれたことを聞いて、喜びながら実践された。

復問曰：「大仙人！念者，何因何緣，為從何生，由何而有？復何因由無有念耶？」

> 再び問う。「大仙人よ。『念』とは、何を因とし、何を縁とするのでしょうか。どこから生じ、何によって存在するのでしょうか。また、どのような因縁によって念は存在しなくなるのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！念者，因思緣思，從思而生，由思故有，若無思者，則無有念，由念故有欲，由欲故有愛、不愛，由愛、不愛故有慳、嫉，由慳、嫉故有刀杖、鬪諍、憎嫉、諛諂、欺誑、妄言、兩舌，心中生無量惡不善之法，如是此純大苦陰生。若無思者，則無有念，若無念者，則無有欲，若無欲者，則無愛、不愛，若無愛、不愛者，則無慳、嫉，若無慳、嫉者，則無刀杖、鬪諍、憎嫉、諛諂、欺誑、妄言、兩舌，心中不生無量惡不善之法，如是此純大苦陰滅。」

> 世尊はお答えになりました。「拘翼（コウヨク）よ、『思い』とは、よく考え、心を向けることによって生じ、その考えがあるからこそ存在するのです。もし考えることがなければ、思いも生まれません。思いがあるから欲が生じ、欲があるから愛と憎しみが生まれます。愛と憎しみがあるから、むさぼりと嫉妬が生まれます。むさぼりと嫉妬があるから、刀や杖、争い、憎しみ、へつらい、偽り、嘘、二枚舌などが生じ、心の中に無数の悪い不善の法が生まれます。こうして、この純粋な大きな苦しみの集まりが生じるのです。 もし考えることがなければ、思いは生まれません。思いがなければ、欲も生まれません。欲がなければ、愛も憎しみもありません。愛と憎しみがなければ、むさぼりも嫉妬もありません。むさぼりと嫉妬がなければ、刀や杖、争い、憎しみ、へつらい、偽り、嘘、二枚舌などは生じず、心の中に無数の悪い不善の法は生まれません。こうして、この純粋な大きな苦しみの集まりは滅するのです。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然。世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！念者，因思緣思，從思而生，由思故有，若無思者，則無有念，由念故有欲，由欲故有愛、不愛，由愛、不愛故有慳、嫉，由慳、嫉故有刀杖、鬪諍、憎嫉、諛諂、欺誑、妄言、兩舌，心中生無量惡不善之法，如是此純大苦陰生。若無思者，則無有念，若無念者，則無有欲，若無欲者，則無愛、不愛，若無愛、不愛者，則無慳、嫉，若無慳、嫉者，則無刀杖、鬪諍、憎嫉、諛諂、欺誑、妄言、兩舌，心中不生無量惡不善之法，如是此純大苦陰滅。唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> すると、帝釈天は聞いてこう言った。「その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。その通りです、大仙人よ。 ＜思うこと（念）は、原因となる思考（思）に依り、思考によって縁（よ）り、思考から生じ、思考があるからこそ存在します。もし思考がなければ、思いはありません。思いがあるから欲望があり、欲望があるから愛・不爱があり、愛・不爱があるから慳（おし）みと嫉みがあり、慳みと嫉みがあるから刀杖（とうじょう）・闘諍（とうじょう）・憎嫉・諛諂（ゆてん）・欺誑（ぎおう）・妄言・両舌が生じ、心の中に無量の悪しき不善の法が生まれます。このようにして、この純大苦蘊（じゅんだいくうん）が生じるのです。＞ もし思考がなければ、思いはありません。思いがなければ、欲望はありません。欲望がなければ、愛・不爱はありません。愛・不爱がなければ、慳みと嫉みはありません。慳みと嫉みがなければ、刀杖・闘諍・憎嫉・諛諂・欺誑・妄言・両舌はなく、心の中に無量の悪しき不善の法は生まれません。このようにして、この純大苦蘊は滅するのです。 その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。その通りです、大仙人よ。仏が説かれた法を、私はすべて知りました。私は疑いを断ち、迷いを超え、もはやためらいはありません。仏の説法を聞いたからです。」

時，天王釋聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、天帝の釈尊は、仏が説かれたことを聞いて、喜びながら実践された。

復問曰：「大仙人！何者滅戲道跡？比丘何行趣向滅戲道跡耶？」

> さらに尋ねて言いました。「大仙人よ、では煩悩の戯れを滅する道とはどのようなものでしょうか。比丘はどのように修行して、その滅戯の道に向かうのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！滅戲道跡者，謂八支聖道，正見乃至正定為八，拘翼，是謂滅戲道跡。比丘者，行此趣向滅戲道跡。」

> 世尊は聞いて答えました。「拘翼よ、戯れの道を滅する道とは、八支聖道のことである。その八とは、正しい見解から正しい定に至るまでである。拘翼よ、これが戯れの道を滅する道である。比丘はこれを修行し、この戯れの道を滅する道へと趣くのである。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！滅戲道跡者，謂八支聖道，正見乃至正定為八。大仙人！是為滅戲道跡。比丘者，行此趣向滅戲道跡。唯然。世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> その時、天帝釈はこれを聞いて、こう答えた。 「その通りでございます、世尊よ。その通りでございます、善逝よ。その通りでございます、大仙人よ。戯れを滅する道の軌跡とは、八支からなる聖なる道、すなわち正見から正定に至る八つでございます。大仙人よ、これこそが戯れを滅する道の軌跡でございます。修行者は、この戯れを滅する道の軌跡に向かって実践してまいります。その通りでございます、世尊よ。その通りでございます、善逝よ。その通りでございます、大仙人よ。仏がお説きになった法を、私はことごとく理解いたしました。私は疑いを断ち、惑いを越え、もはやためらいはございません。仏のお言葉を聞いたからでございます。」

時，天王釋聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、天帝の釈尊は、仏が説かれたことを聞いて、喜びながら実践された。

復問曰：「大仙人！比丘者，趣向滅戲道跡，斷幾法，行幾法耶？」

> またお尋ねになりました。「大仙よ。比丘が戯れを滅ぼす道に向かうには、いくつの法を断ち、いくつの法を修めるのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！比丘者，趣向滅戲道跡，斷三法，修行三法。云何為三？一曰念，二曰言，三曰求。拘翼！念者，我說有二種，可行、不可行。若念不可行者，我即斷彼，若念可行者，我為彼知時，有念有智，為成就彼念故；言亦如是。拘翼！求者，我說亦有二種，可行、不可行。若求不可行者，我即斷彼，若求可行者，我為彼知時，有念有智，成就彼求故。」

> 世尊はお聞きになって、こうお答えになりました。「拘翼（クヴァ）よ。修行者は、戯れの心を滅ぼす道へと向かうのです。そのために三つのものを断ち、三つのものを修めなさい。三つとは何か。第一に思い、第二に言葉、第三に求めです。拘翼よ。『思い』について、私は二つの種類があると言っています。実践すべきものと、実践すべきでないものとです。もし実践すべきでない思いであるならば、私はそれを断ちます。もし実践すべき思いであるならば、私はその時に応じて、よく注意を払い、智慧をもってその思いを成就させます。『言葉』についても同じです。拘翼よ。『求めること』についても、私は二つの種類があると言っています。実践すべきものと、実践すべきでないものとです。もし実践すべきでない求めならば、私はそれを断ちます。もし実践すべき求めならば、私はその時に応じて、よく注意を払い、智慧をもってその求めを成就させます。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！比丘者，趣向滅戲道跡，斷三法，修行三法。云何為三？一曰念，二曰言，三曰求。大仙人說念有二種，可行，不可行。若念增長惡不善法，減損善法者，大仙人便斷彼，若念減損惡不善法，增長善法者。大仙人為彼知時，有念有智，成就彼念故；言亦如是。大仙人說求亦有二種，可行、不可行。若求增長惡不善法，減損善法者，大仙人便斷彼。若求減損惡不善法，增長善法者，大仙人為彼知時，有念有智，成就彼求故。唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> そこで、天帝釈は聞いて申し上げました。「はい、世尊よ。はい、善逝よ。はい、大仙人よ。比丘とは、戯論を滅する道の跡に向かう者であり、三つの法を断ち、三つの法を修行する者です。その三つとは何か。一つ目は『念』、二つ目は『言葉』、三つ目は『求め』でございます。大仙人は、『念』には行うべきものと行うべきでないものの二種類があると説かれました。もし、その念が悪しき善からざる法を増やし、善法を減らすものであれば、大仙人はそれを断ち切られます。もし、その念が悪しき善からざる法を減らし、善法を増やすものであれば、大仙人はその者のために時に応じて、念と智慧をもって、その念を成就させられます。『言葉』についてもまた同じでございます。大仙人は、『求め』にも行うべきものと行うべきでないものの二種類があると説かれました。もし、その求めが悪しき善からざる法を増やし、善法を減らすものであれば、大仙人はそれを断ち切られます。もし、その求めが悪しき善からざる法を減らし、善法を増やすものであれば、大仙人はその者のために時に応じて、念と智慧をもって、その求めを成就させられます。はい、世尊よ。はい、善逝よ。はい、大仙人よ。如来がお説きになった法を、私はすべて理解し、疑いを断ち、迷いを去り、ためらいは一切ございません。仏の説法を聞いたからでございます。」

時，天王釋聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、天帝の釈尊は、仏が説かれたことを聞いて、喜びながら実践された。

復問曰：「大仙人！比丘者，趣向滅戲道跡有幾法，護從解脫行幾法耶？」

> さらに尋ねて言った。「大仙人よ。比丘が滅びと戯れのない道に向かう道筋には、いくつの教えがあり、どのような教えを護り従って解脱へと進むのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！比丘者，趣向滅戲道跡有六法，護從解脫行六法也。云何為六？眼視色，耳聞聲，鼻嗅香，舌甞味，身覺觸，意知法。拘翼！眼視色者，我說有二種，可行、不可行。若眼視色不可行者，我即斷彼，若眼視色可行者，我為彼知時，有念有智，成就彼故。如是耳聞聲、鼻嗅香、舌甞味、身覺觸、意知法者，我說亦有二種，可行、不可行。若意知法不可行者，我即斷彼，若意知法可行者，我為彼知時，有念有智，成就彼故。」

> 世尊はお聞きになって、こう答えられました。「拘翼（くよく）よ。修行者には、迷いの遊びを滅ぼす道に向かうための六つの方法がある。それは解放へと導く六つの実践である。その六つとは何か。眼で色を見ること、耳で音を聞くこと、鼻で香りをかぐこと、舌で味を感じること、身で触れ合いを感じること、心で法（ことわり）を知ることである。 拘翼よ。眼で色を見ることについて、私は二つの場合があると説く。行うべき場合と、行うべきでない場合である。もし眼で色を見ることが行うべきでないなら、私はそれを断つ。もし眼で色を見ることが行うべきことであるなら、私はその時に、気づきと智慧をもって、それを成就させる。 同じように、耳で音を聞くこと、鼻で香りをかぐこと、舌で味を感じること、身で触れ合いを感じること、心で法を知ることについても、私は二つの場合があると説く。行うべき場合と、行うべきでない場合である。もし心で法を知ることが行うべきでないなら、私はそれを断つ。もし心で法を知ることが行うべきことであるなら、私はその時に、気づきと智慧をもって、それを成就させるのである。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！比丘者，趣向滅戲道跡者有六法，護從解脫行六法。云何為六？眼視色，耳聞聲，鼻嗅香，舌甞味，身覺觸，意知法。大仙人說眼視色者，有二種，可行、不可行。若眼視色增長惡不善法，減損善法者，大仙人即斷彼。若眼視色減損惡不善法，增長善法者，大仙人為彼知時，有念有智，成就彼故。如是耳聞聲、鼻嗅香、舌甞味、身覺觸，大仙人說意知法者，亦有二種，可行、不可行。若意知法增長惡不善法，減損善法者，大仙人即斷彼，若意知法減損惡不善法，增長善法者。大仙人為彼知時，有念有智，成就彼故。唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> 時に、天帝釈はこれを聞いて申し上げた。「その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。その通りです、大仙人よ。比丘が煩悩を滅する道の道筋に趣くには六つの法があり、護り従って解脱するために六つの法を実践します。どのような六つでしょうか。眼で色を見る、耳で声を聞く、鼻で香りを嗅ぐ、舌で味を味わう、身体で感触を感じる、心で法を知る、です。大仙人はおっしゃいました。眼で色を見ることには二種あり、行うべきことと行うべきでないことがある、と。もし眼で色を見て悪しき善からざる法を増やし、善き法を減らすならば、大仙人はそれを断ち切ります。もし眼で色を見て悪しき善からざる法を減らし、善き法を増やすならば、大仙人はそのために時を知り、念と智慧をもって、それを成就させます。このように耳で声を聞き、鼻で香りを嗅ぎ、舌で味を味わい、身体で感触を感じる場合も同様です。大仙人はおっしゃいました。心で法を知ることにもまた二種あり、行うべきことと行うべきでないことがある、と。もし心で法を知って悪しき善からざる法を増やし、善き法を減らすならば、大仙人はそれを断ち切ります。もし心で法を知って悪しき善からざる法を減らし、善き法を増やすならば、大仙人はそのために時を知り、念と智慧をもって、それを成就させます。その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。その通りです、大仙人よ。如来が説かれた法を、私はすべて知りました。私は疑問を断ち、惑いを超え、もはや迷いはありません。仏の説法を聞いたからです。」

時，天王釋聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、天帝の釈尊は、仏が説かれたことを聞いて、喜びながら実践された。

復問曰：「大仙人！比丘者，趣向滅戲道跡，命存一時頃，復斷幾法，行幾法耶？」

> また、お尋ねしました。「大仙人よ。比丘が戯論を滅する道（涅槃への道）を目指し、命が存するわずかな間にも、いくつの法を断ち、いくつの法を実践すべきなのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！比丘者，趣向滅戲道跡，命存一時頃，復斷三法，行三法。云何為三？一曰喜，二曰憂，三曰捨。拘翼！喜者，我說有二種，可行、不可行。若喜不可行者，我即斷彼，若喜可行者，我為彼知時，有念有智，成就彼故；憂亦如是。拘翼！捨者，我說亦有二種，可行、不可行。若捨不可行者，我即斷彼，若捨可行者，我為彼知時，有念有智，成就彼故。」

> 世尊がお聞きになり、こうお答えになりました。「拘翼（くよく）よ、修行者は、迷いを滅ぼす真理の道へと向かい、命がある限り少しの間も、さらに三つのものを断ち、三つのものを修行する。その三つとは何か。第一は喜び、第二は憂い、第三は捨てる心（平等心）である。 拘翼よ、喜びについて、私は二種類があると説く。行うべきものと、行うべきでないものとである。もし行うべきでない喜びであれば、私はそれを断つ。もし行うべき喜びであれば、私はそのために時を知り、気づきと智慧をもって、それを成就させる。憂いについてもまた同様である。 拘翼よ、捨てる心についても、私は二種類があると説く。行うべきものと、行うべきでないものとである。もし行うべきでない捨てる心であれば、私はそれを断つ。もし行うべき捨てる心であれば、私はそのために時を知り、気づきと智慧をもって、それを成就させるのである。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！比丘者，趣向滅戲道跡，命存一時頃，斷三法，行三法。云何為三？一曰喜，二曰憂，三曰捨。大仙人說喜者，有二種，可行、不可行。若喜增長惡不善法，減損善法者，大仙人即斷彼，若喜減損惡不善法，增長善法者，大仙人為彼知時，有念有智，成就彼故；憂亦如是。大仙人說捨者，亦有二種，可行、不可行。若捨增長惡不善法，減損善法者，大仙人即斷彼。若捨減損惡不善法，增長善法者，大仙人為彼知時，有念有智，成就彼故。唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> 時に、帝釈天はそれを聞いてこう言いました。「はい、世尊よ。はい、善逝よ。はい、大仙人よ。比丘とは、煩悩を滅ぼす修行の道に向かう者です。命が存するわずかな間にも、三つのものを断ち、三つのものを修行します。その三つとは何か。第一は喜び、第二は憂い、第三は捨て（平静）であります。 大仙人は、喜びには二種類あり、行うべきものと行うべきでないものがあると説かれます。もし喜びが悪しき善からざる法を増やし、善き法を減らすなら、大仙人はそれを断ち切られます。もし喜びが悪しき善からざる法を減らし、善き法を増やすなら、大仙人はその者にふさわしい時に、気づきと智慧を持って、それを成就させられます。憂いについても同様であります。 大仙人は、捨て（平静）にも二種類あり、行うべきものと行うべきでないものがあると説かれます。もし捨てが悪しき善からざる法を増やし、善き法を減らすなら、大仙人はそれを断ち切られます。もし捨てが悪しき善からざる法を減らし、善き法を増やすなら、大仙人はその者にふさわしい時に、気づきと智慧を持って、それを成就させられます。 はい、世尊よ。はい、善逝よ。はい、大仙人よ。仏がお説きになった法を、私はすべて理解しました。私は疑いを断ち、困惑を超え、迷いを持つことはありません。仏の説法を聞いたからであります。」

時，天王釋聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、天帝の釈尊は、仏が説かれたことを聞いて、喜びながら実践された。

復問曰：「大仙人！一切沙門、梵志同一說、一欲、一愛、一樂、一意耶？」

> またお尋ねになりました。「大仙人よ、すべての沙門や梵志（修行者たち）は、同じ教え、同じ願い、同じ愛着、同じ楽しみ、同じ心を持つのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！一切沙門、梵志不同一說、一欲、一愛、一樂、一意也。」

> 世尊はこれを聞いて答えた。「拘翼（くよく）よ、すべての沙門（しゃもん）や梵志（ぼんじ）が、同じように説き、同じように望み、同じように愛し、同じように楽しみ、同じように思うわけではないのだ。」

時，天王釋復問曰：「大仙人！一切沙門、梵志以何等故，不同一說、一欲、一愛、一樂、一意耶？」

> そこで、天帝・釈はさらに尋ねました。「大仙人よ、すべての修行者や聖者が、どうして同じ一つの教え・同じ一つの願い・同じ一つの愛着・同じ一つの楽しみ・同じ一つの思いを持たないのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！此世有若干種界，有無量界，彼隨所知界，即彼界隨其力，隨其方便，一向說此為真諦，餘者虛妄。拘翼！是故一切沙門、梵志不同一說、一欲、一愛、一樂、一意耳。」

> 世尊はこれを聞いて答えた。「拘翼（ク・ヨク）よ、この世には様々な種類の世界があり、数えきれないほどの世界がある。人はそれぞれ自分の知る世界に従い、その力に応じて、その手段に応じて、ひたすら『これこそが真実であり、他は偽りである』と語るのだ。拘翼よ、それゆえに、すべての修行者や聖者は、同じ見解、同じ願い、同じ愛着、同じ楽しみ、同じ心を持つことはないのである。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！此世有若干種界，有無量界，彼隨所知界，即彼界隨其力，隨其方便，一向說此為真諦，餘者虛妄。大仙人！以是故，一切沙門、梵志不同一說、一欲、一愛、一樂、一意耳。唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> その時、天帝釈はこれを聞いて申し上げました。「ただいま、世尊よ。ただいま、善逝よ。ただいま、大仙人よ。この世には様々な界（領域）があり、無量の界があります。その方々が知っている界について、その力の及ぶ限り、その方法に従って、一貫して『これこそが真実であり、他は虚妄である』と説きます。大仙人よ。それゆえに、すべての修行者やバラモンたちが、同じことを説き、同じ欲を持ち、同じ愛を持ち、同じ楽を持ち、同じ意を持つわけではないのです。ただいま、世尊よ。ただいま、善逝よ。ただいま、大仙人よ。仏が説かれた法を、私はすべて了解しました。私は疑惑を断ち、迷いを超え、もはやためらうことはありません。仏の説法を聞いたからです。」

時，天王釋聞佛所說，歡喜奉行。

> その時、天帝の釈尊は、仏が説かれたことを聞いて、喜びながら実践された。

復問曰：「大仙人！一切沙門、梵志得至究竟，究竟白淨、究竟梵行、究竟梵行訖耶？」

> またお尋ねしました。「大仙人よ。すべての沙門や梵志は、究竟（くきょう）に達することができるのでしょうか。究竟の清らかさ、究竟の梵行（ぼんぎょう）、究竟の梵行を成し遂げることができるのでしょうか。」

世尊聞已，答曰：「拘翼！不必一切沙門、梵志得至究竟，究竟白淨、究竟梵行、究竟梵行訖。」

> 世尊はこれを聞いてお答えになりました。「拘翼（くよく）よ、すべての修行者や聖者が、最終的な境地、究極の清らかさ、究極の修行完成、その完成の達成に至るとは限らないのです。」

時，天王釋復問曰：「大仙人！以何等故？不必一切沙門、梵志得至究竟，究竟白淨、究竟梵行、究竟梵行訖耶？」

> そこで、天帝釈は再び尋ねました。「大仙人よ！なぜ、すべての修行者や聖者たちが、必ずしも最終的な境地に至り、究極の清らかさ、究極の聖なる行い、究極の聖なる行いの完成に達することができないのでしょうか？」

世尊聞已，答曰：「拘翼！若有沙門、梵志於無上愛盡，不正善心解脫者，彼不至究竟，不究竟白淨，不究竟梵行，不究竟梵行訖。拘翼！若有沙門、梵志於無上愛盡，正善心解脫者，彼至究竟、究竟白淨、究竟梵行、究竟梵行訖。」

> 世尊はその言葉を聞いて、こう答えました。「拘翼（くよく）よ。もし修行者や梵行者が、最高の愛欲の滅尽において、正しく善く心を解脱していないならば、その人は究竟（くきょう）に至らず、究竟の清浄に至らず、究竟の梵行に至らず、究竟の梵行を完了することはない。拘翼よ。しかし、もし修行者や梵行者が、最高の愛欲の滅尽において、正しく善く心を解脱しているならば、その人は究竟に至り、究竟の清浄に至り、究竟の梵行に至り、究竟の梵行を完了するのである。」

時，天王釋聞已，白曰：「唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！若有沙門、梵志於無上愛盡，不正善心解脫者，彼不至究竟，不究竟白淨，不究竟梵行，不究竟梵行訖。大仙人！若有沙門、梵志，於無上愛盡，正善心解脫者，彼至究竟，究竟白淨、究竟梵行、究竟梵行訖。唯然，世尊！唯然，善逝！唯然，大仙人！如佛所說法，我悉知之，我斷疑度惑，無有猶豫，聞佛所說故。」

> その時、天帝釋は聞いて申し上げた。「その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。その通りです、大仙人よ。もしも沙門や梵志が、この上ない愛執の滅尽において、正しく善い心の解脱を得ていないならば、彼は究竟（くきょう）に至らず、究竟の白浄に至らず、究竟の梵行に至らず、究竟の梵行を完成しません。大仙人よ。もしも沙門や梵志が、この上ない愛執の滅尽において、正しく善い心の解脱を得ているならば、彼は究竟に至り、究竟の白浄に至り、究竟の梵行に至り、究竟の梵行を完成します。その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。その通りです、大仙人よ。如来の説かれた法を、私はことごとく了解しました。私は疑惑を断ち、迷いを超え、もはやためらいはありません。それは如来の教えを聞いたからです。」

時，天王釋聞佛所說，善受善持，白曰：「大仙人！我於長夜有疑惑刺，世尊今日而拔出之。所以者何？謂如來、無所著、等正覺故。」

> その時、天帝釈は仏の説法を聞き、深く理解し、しっかりと心に留めて、こう言った。「大いなる仙人よ。私は長い間、疑惑という棘（とげ）を抱えてきましたが、世尊は今日、それを抜き去ってくださいました。なぜなら、如来は執着なく、正しく悟りを開かれた方だからです。」

世尊問曰：「拘翼！汝頗憶昔時曾問餘沙門、梵志如此事耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「拘翼（クシャカ）よ、あなたは昔、他の修行者やバラモンたちに、このような質問をしたことを覚えていますか？」

時，天王釋答曰：「世尊！唯大仙人自當知之。大仙人！三十三天集在法堂，各懷愁慼，數數歎說，我等若值如來、無所著、等正覺者，必當往見。大仙人！然我等不得值如來、無所著、等正覺已，便行具足五欲功德。大仙人！我等放逸，行放逸已，大威德天子於極妙處，即便命終，大仙人！我見大威德天子於極妙處，即命終時，便生極厭，身毛皆竪，莫令我於此處速命終。

> 時に、天帝釈が答えて言った。「世尊よ、ただ大仙（仏陀）ご自身がお分かりになるでしょう。大仙よ、三十三天の者たちが法堂に集まり、それぞれ憂い悲しみ、繰り返しこう言って嘆いておりました。『もし私たちが如来・無所著・等正覚（完全に目覚めた方）に出会うことができたならば、必ずやお目にかかりに行くはずだ』と。しかし大仙よ、私たちは如来・無所著・等正覚に出会うことができないまま、五つの欲の功徳（感覚的な楽しみ）を十分に享受してきました。大仙よ、私たちは放逸に過ごし、その放逸にふけった結果、大威徳の天子が極めて素晴らしい場所において、まさに命を終えようとしています。大仙よ、私は大威徳の天子がその極めて素晴らしい場所で命を終えるのを見て、深い厭離の心を起こし、身の毛がよだちました。どうか私もこの場所で早く命を終えることのないようにと。」

「大仙人！我因此厭、因此憂慼故，若見餘沙門、梵志在無事處山林樹下，樂居高巖，寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順燕坐，彼樂遠離，燕坐安隱，快樂遊行。我見彼已，便謂是如來、無所著、等正覺，即往奉見。彼不識我，而問我言：『汝為是誰？』我時答彼：『大仙人！我是天王釋。大仙人！我是天王釋。』彼復問我：『我曾見釋，亦見釋種姓，以何等故名為釋？以何等故為釋種姓？』我便答彼：『大仙人！若有來問我事者，我便隨所能、隨其力而答彼。是故我名為釋。』彼作是說：『我等若隨其事以問釋者，釋亦隨其事答我，彼問我事，我不問彼，彼歸命我，我不歸命彼。』大仙人！從彼沙門、梵志竟不得威儀法教，況復得如是問耶？」

> 「大仙人よ、私はこのことゆえに厭い、憂い悲しんでおります。ですから、もし他の修行者や僧侶が、人里離れた山林の木の下や、音の静まり返った高い岩の上にいて、人もなく悪もなく、静かに坐禅に専念し、遠離の楽を得て安らかに過ごしているのを見ると、すぐに『あの方は如来・阿羅漢・正等覚者に違いない』と思い、拝見に伺います。すると彼は私を知らず、『あなたは誰か？』と尋ねます。その時私はこう答えます。『大仙人よ、私は天の王・帝釈天です。大仙人よ、私は天の王・帝釈天なのです。』すると彼がさらに尋ねます。『私はこれまで「釈」という呼び名や「釈」の種族を聞いたことがあるが、何ゆえに「釈」と呼ばれるのか。なぜ「釈」の種族というのか。』そこで私はこう答えます。『大仙人よ、もし私のことを尋ねる方があれば、私はその能力に応じて、力の限りをお答えします。ゆえに私は「釈」と呼ばれるのです。』しかし彼はこう言うのです。『我々が事柄に従って「釈」に尋ねれば、「釈」もまた事柄に従って我々に答える。彼は我々の質問には応じるが、我々は彼に質問しない。彼は我々に帰依するが、我々は彼に帰依しない。』大仙人よ、そのような修行者や僧侶からは、結局のところ、威儀や教えを学ぶことができませんでした。ましてや、このような問いをいただくことなど、ありえなかったのです。」

時，天王釋而說頌曰：

> その時、天帝〔シャクラ〕は次の詩を唱えました。

「釋往釋往已， 釋今作是說，遠離意所念， 除疑諸猶豫。久遠行於世， 推求索如來，見沙門梵志， 在遠離燕坐。謂是正盡覺， 往奉敬禮事，云何得昇進？ 如是我問彼。問已不能知， 聖道及道跡。世尊今為我， 若意有所疑，所念及所思， 其意之所行，知心隱及現， 明者為我說。尊佛尊為師， 尊無著牟尼，尊斷諸結使， 自度度眾生。覺者第一覺， 御者最上御，息者尊妙息， 大仙自度度。故我禮天尊， 稽首人最上，斷絕諸愛刺， 我禮日之親。」

> 過去について述べ、説き終えた今、 心で思うことを遠く離れ、迷いや疑いを取り除く。 長く世を歩み、如来を求め探し求めて、 沙門や梵志が、遠く離れて坐しているのを見た。 「これこそが正しく覚った方である」と、赴き敬い礼拝したが、 「どうすれば向上できるのか？」と、私は彼に尋ねた。 尋ねても彼らは知ることができなかった、聖なる道とその跡を。 世尊よ、今、私のために、もし心に疑いがあるなら、 念じること、思い考えること、その心の働きを、 心の隠れたるものも現れたるものも知り、明らかな者が私に説いてください。 尊き仏、尊き師、尊き無著の牟尼、 尊き方はすべての結使を断ち、自ら度り、衆生を度す。 覚者は最上の覚者、御者は最上の御者、 息者は尊く妙なる息者、大仙は自ら度り度す。 ゆえに私は天の尊き方を礼拝し、人中最上の方に頭を下げる、 すべての愛の棘を断ち切った方、日の親を私は礼拝する。」

於是，世尊問曰：「拘翼！汝頗憶昔時，得如是離，得如是歡喜，謂於我得法喜耶？」

> そこで、世尊がお尋ねになりました。「拘翼（くよく）よ、あなたはかつて、このような離れ（執着からの解放）と、このような歓喜を得たことを覚えているか。それは、私から法の喜びを得たということか。」

時，天王釋答曰：「世尊！唯大仙人自當知之。大仙人！昔一時天及阿修羅而共鬪戰。大仙人！天及阿修羅共鬪戰時，我作是念：『令天得勝，破阿修羅，諸天食及阿修羅食，盡令三十三天食。』大仙人！天及阿修羅共鬪戰時，天便得勝，破阿修羅，諸天食及阿修羅食，盡令三十三天食。大仙人！爾時有離有喜，雜刀杖、結怨、鬪諍、憎嫉，不得神通，不得覺道，不得涅槃。大仙人！今日得離得喜，不雜刀杖、結怨、鬪諍、憎嫉，得通得覺，亦得涅槃。」

> その時、天帝釋（たいていしゃく）は答えて言った。「世尊よ、どうか大仙人ご自身がお分かりください。大仙人よ、昔ある時、天と阿修羅（あしゅら）が戦いを繰り広げました。大仙人よ、天と阿修羅が戦っている時、私はこう思いました。『どうか天が勝ち、阿修羅を打ち破れ。そして、天の食べ物も阿修羅の食べ物も、すべて三十三天（とりとりてん）のものとせよ』と。大仙人よ、天と阿修羅が戦った時、天は勝ち、阿修羅を打ち破りました。天の食べ物も阿修羅の食べ物も、すべて三十三天のものとなりました。大仙人よ、その時には、執着を離れた喜び（離喜）がありながらも、刀杖（とうじょう）や恨み、争い、憎しみ、ねたみが混ざっていました。そのため、神通力（じんずうりき）も得られず、悟りも開けず、涅槃（ねはん）も得られませんでした。大仙人よ、今や私は、執着を離れた喜びを得て、刀杖や恨み、争い、憎しみ、ねたみが混ざることなく、神通力を得て、悟りを開き、涅槃をも得ているのです。」

世尊問曰：「拘翼！汝何因得離得喜？謂於我得法喜耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「拘翼（くよく）よ、あなたは何を理由に悟りを得て、喜びを得たのですか？それは私から教えを受けた法の喜びによるものですか？」

時，天王釋答曰：「大仙人！我作是念：『我於此命終，生於人間，彼若有族，極大富樂，資財無量，畜牧、產業不可稱計，封戶、食邑種種具足，謂剎利長者族、梵志長者族、居士長者族及餘族，極大富樂，資財無量，畜牧、產業不可稱計，封戶、食邑種種具足。生如是族已，成就諸根，如來所說法、律有得信者。得信已，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道，學智。學智已，若得智者，便得究竟智，得究竟邊。學智，學智已，若得智、不得究竟智者。若有諸天，有大福祐，色像巍巍，光耀煒燁極有威力，安隱快樂，長住宮殿，生於最上，我生彼中。』」

> 時に、帝釈天が答えて言いました。「大仙人よ、私はこう思いました。『私はこの世で命を終えた後、人間として生まれ変わろう。その生まれ先には、もし極めて裕福で、財宝が限りなく、家畜や財産は数えきれず、領地や領民も豊かに備わった家系があるならば、例えばクシャトリヤ（支配者階級）の長者の家系、バラモン（司祭階級）の長者の家系、あるいは在家の長者の家系、その他、富み栄えた長者の家系に生まれたい。そうした家系に生まれた後、五感をしっかりと備え、如来が説かれた法と戒律を信じることができるようになる。その信仰を得て、髪やひげを剃り、袈裟をまとい、真心から家を出て、家庭のない修行生活に入り、智慧を学ぶ。智慧を学び終えたなら、もし智慧を得た者は、究極の智慧に達し、その極みに至る。智慧を学び、智慧を学び終えたなら、もし智慧を得ても究極の智慧に至らない者もいるだろう。あるいは、大きな福徳を持ち、姿は荘厳で輝かしく、光り輝くほどの威力に満ち、安らかで楽しく、長く宮殿に住み、最も優れた場所に生まれるような天人がいるならば、私はそのような境遇に生まれたい。』と。」

於是，天王釋而說頌曰：

> そこで、天帝釈（たいしんしゃく）が次の偈（げ）を詠みました。

「捨離於天身， 來下生人間，不愚癡入胎， 隨我意所樂。得身具足已， 逮質直正道，行具足梵行， 常樂於乞食。

> 天の身体を捨てて、人の世に生まれ落ちし者よ。 愚かさに惑わされずに胎に入り、我が心のままに楽しむ。 十分な身体を得たならば、真っ直ぐな正しい道を掴み取り、 清らかな行いを完全に修め、常に托食（たくじき）を喜びとせよ。

「學智，學智已，若得智者，便得究竟智，得究竟邊，學智，學智已，若得智、不得究竟智者，當作最上妙天，諸天聞名，色究竟天，往生彼中。大仙人！願當得阿那含。大仙人！我今定得須陀洹。」

> 「智慧を学び、智慧を修めたならば、智慧を得た者は、究極の智慧に達することができる。究極の境地に至ることができる。智慧を学び、智慧を修めたならば、智慧を得ても、究極の智慧を得られない者もいる。そのような者は、最も勝れた天、すなわち、名高い『色究竟天』に生まれるであろう。大仙人よ、どうか私は『阿那含』（不還）の果を得られますように。大仙人よ、私は今、必ず『須陀洹』（預流）の果を得るでしょう。」

世尊問曰：「拘翼！汝何因得此極好、極高、極廣差降，而自稱說得須陀洹耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「拘翼（くよく）よ、あなたはどのような理由で、この極めて優れ、高く、広大な差別（境地）を得て、自ら須陀洹（すだおん）を得たと語るのですか。」

時，天王釋以偈答曰：

> その時、天の王である帝釈天が、次のような詩で答えました。

「不更有餘尊， 唯世尊境界，得最上差降， 未曾有此處。大仙我此坐， 即於此天身，我更得增壽， 如是自眼見。」

> 「このほかに、さらにすぐれた尊い方はおられない。 ただ世尊のみが、この境地に達しておられる。 最も優れた境涯を得て、 かつてないこの境地に至ったのだ。 大いなる聖者よ、私はこの座にいて、 この天の身のままで、 さらに寿命を延ばすことを得た。 このことを、私はこの目で見たのである。」

說此法時，天王釋遠塵離垢，諸法法眼生，及八萬諸天亦遠塵離垢，諸法法眼生。於是，天王釋見法得法，覺白淨法，斷疑度惑，更無餘尊，不復從他，無有猶豫，已住果證，於世尊法得無所畏。即從坐起，稽首佛足，白曰：「世尊！我今自歸佛、法及比丘眾，唯願世尊受我為優婆塞，從今日始，終身自歸，乃至命盡。」

> この法が説かれた時、帝釈天は煩悩の塵を離れ、汚れを清め、諸法に対する法の眼が開かれた。そして八万の天々もまた、煩悩の塵を離れ、汚れを清め、諸法に対する法の眼が開かれた。そこで帝釈天は法を見、法を得、清らかな法を覚り、疑いを断ち、惑いを超え、もはや他の師を仰がず、他に頼ることなく、ためらいを捨てて果報の証を得て、世尊の教えにおいて何の恐れもなくなった。そこで座を立ち、仏の足に礼拝して申し上げた。「世尊よ、私は今、仏・法・僧伽に帰依いたします。どうか世尊よ、私を在家の信者としてお受け入れください。今日より生涯、終わるまで帰依し、命が尽きるまで変わりませぬ。」

於是，天王釋稱歎五結樂子曰：「善哉！善哉！汝五結大益於我。所以者何？由汝故，佛從定寤，以汝先使世尊從定寤故，令我等後得見佛。五結！我從此歸，以躭浮樓伎樂王女賢月色嫁與汝作婦，及其父樂王本國拜與汝作伎樂王。」

> そこで、帝釈天は五結楽師に称賛の言葉を伝えました。「善きかな、善きかな。五結よ、汝は我に大きな利益をもたらした。なぜなら、汝のおかげで仏が瞑想から覚醒されたからである。汝が先に世尊を瞑想からお起こししたゆえに、我らは後に仏にお目にかかることができたのだ。五結よ、我はここをもって、耽浮楼楽王の娘・賢月色を汝の妻として与えよう。また、その父・楽王の本国の地位を汝に授け、汝を楽王としよう。」

於是，天王釋告三十三天曰：「汝等共來！若我等本為梵天王，住梵天上，再三恭敬禮事者，彼今盡為世尊恭敬禮事。所以者何？世尊梵天，梵天當造化最尊生眾生，眾生有及當有彼所，可知盡知，可見盡見。」

> そこで、天帝釈は三十三天に告げて言いました。「皆、集まりなさい。私たちがかつて梵天王となり、梵天の上にあって幾度となく敬い尊び、礼拝し仕えてきたその方は、今や世尊としてすべての者の敬いと礼拝を受けておられる。それはなぜか。世尊こそが梵天であり、梵天は最も尊いものとして衆生を造化する。今ある衆生も、これからあるであろう衆生も、そのすべてを知り尽くし、すべてを見尽くしておられるからである。」

於是，天王釋及三十三天、五結樂子，若本為梵天，住梵天上，再三恭敬禮事者，彼盡為世尊恭敬禮事，稽首如來、無所著、等正覺。於是，天王釋及三十三天、五結樂子再為世尊恭敬禮事，稽首佛足，遶三匝已，即於彼處忽沒不現。

> そこで、帝釈天と三十三の天の神々、そしてパンチャシカ王子は、もともと梵天の元で、梵天に対して何度も敬い、礼拝していた者たちであれば、皆が世尊を敬い、如来・阿羅漢・正等覚者に頭を下げて礼拝する。そして、帝釈天と三十三の天の神々、パンチャシカ王子は再び世尊を敬い、仏の足もとに頭を下げ、三度右繞を行い、その場で忽然として姿を消した。

爾時，梵天色像巍巍，光耀煒燁，夜將向旦，往詣佛所，稽首佛足，却住一面，即時以偈白世尊曰：

> その時、梵天の姿は荘厳で、光り輝いていました。夜が明けようとする頃、彼は仏のもとへ向かい、仏の足に頭を下げて礼をし、そばに立ち止まりました。そして、すぐに偈（うた）で仏に申し上げました。

「為多饒益義， 見利義曰天，賢住摩竭國， 婆娑婆問事。

> 「多くの人々の利益となるために、 その利益を見極める力を『天』というのです。 賢者はマガダ国に留まり、 バサバ（悪魔）が問いかけた事柄です。」

「大仙人說此法時，天王釋遠塵離垢，諸法法眼生，及八萬諸天亦遠塵離垢，諸法法眼生。」於是，世尊告梵天曰：「如是，如是。梵天所說：

> この大いなる仙人がこの教えを説かれた時、天帝釈は煩悩の塵垢から遠く離れ、諸法に対する清らかな法眼が生じた。また、八万の天人たちも同様に煩悩の塵垢から遠く離れ、諸法に対する清らかな法眼が生じた。 そこで、世尊は梵天に向かって仰せられた。「そのとおり、そのとおりです。梵天がおっしゃった通りです。」

「『為多饒益義， 見利義曰天，賢住摩竭國， 婆娑婆問事。』

> 「多くの人々の利益となるために 利益のある義（ことわり）を見て、天と名づけられた。 賢者はマガダ国に住み、 バサバ（梵天）がその事を問うた。」

「梵天！我說法時，天王釋遠塵離垢，諸法法眼生，及八萬諸天亦遠塵離垢，諸法法眼生。」

> 「梵天よ、私が説法をするとき、帝釈天は煩悩の塵を離れ、汚れを去って、真理を見る眼が開かれました。また、八万の天の者たちも、同じく煩悩の塵を離れ、汚れを去って、真理を見る眼が開かれました。」

佛說如是。時，天王釋及三十三天、五結樂子并大梵天，聞佛所說，歡喜奉行。

> こうして仏はお説きになった。その時、天帝釈（たいていしゃく）と三十三天（さんじゅうてん）の諸天、五結楽子（ごけつらくし）、そして大梵天（だいぼんてん）も、仏の説法を聞いて、心から喜び、その教えの通りに実践した。

釋問經第十八竟七千三百六十八字

> 第十八章「釋問経」 終わり<note>七千三百六十八字</note>