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title: "中阿含經 · 141 喻經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一四一）中阿含大品喻經第二十五第三念誦

> （一四一）中阿含大品喩経第二十五<note>第三念誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「若有無量善法可得，彼一切以不放逸為本，不放逸為習，因不放逸生，不放逸為首；不放逸者，於諸善法為最第一。猶作田業，彼一切因地、依地、立地，得作田業。如是若有無量善法可得，彼一切以不放逸為本，不放逸為習，因不放逸生，不放逸為首；不放逸者，於諸善法為最第一。猶種子村及與鬼村，百穀藥木得生長養，彼一切因地、依地、立地，得生長養。

> ある時、世尊は比丘たちにこう告げられた。 「もし無数の善い行いがあるならば、そのすべては、油断せず心を引き締めること（不放逸）を根本とし、不放逸を習慣とし、不放逸によって生じ、不放逸を第一とする。不放逸こそが、すべての善い行いの中で最も優れている。 たとえば、田畑の作業は、すべて大地に基づき、大地に依り、大地に立って行われるように、もし無数の善い行いがあるならば、そのすべては、不放逸を根本とし、不放逸を習慣とし、不放逸によって生じ、不放逸を第一とする。不放逸こそが、すべての善い行いの中で最も優れている。 また、種や草木があるように、すべての穀物や薬草や樹木が生え育つのは、すべて大地に基づき、大地に依り、大地に立って生え育つのである。」

「如是，若有無量善法可得，彼一切以不放逸為本，不放逸為習，因不放逸生，不放逸為首；不放逸者，於諸善法為最第一。猶諸根香，沈香為第一。猶諸樹香，赤栴檀為第一。猶諸水華，青蓮華為第一。猶諸陸華，須摩那華為第一。猶諸獸跡，彼一切悉入象跡中，象跡盡攝，彼象跡者為最第一，謂廣大故。如是，若有無量善法可得，彼一切以不放逸為本，不放逸為習，因不放逸生，不放逸為首；不放逸者，於諸善法為最第一。猶諸獸中，彼師子王為最第一。猶如列陣共鬪戰時，唯要誓為第一。猶樓觀椽，彼一切皆依承椽梁立，承椽梁、承椽梁皆攝持之，承椽梁者為最第一，謂盡攝故。

> このように、無量の善法があるとしても、それらはすべて、不放逸を根本とし、不放逸を習慣とし、不放逸によって生じ、不放逸を第一とする。不放逸こそが、あらゆる善法の中で最も優れている。 例えば、様々な根の香りのうち、沈香が第一である。様々な木の香りのうち、赤栴檀が第一である。様々な水の華のうち、青蓮華が第一である。様々な陸の華のうち、須摩那華が第一である。様々な獣の足跡は、すべて象の足跡の中に含まれ、象の足跡がそれらを全て収める。そして、象の足跡が最も優れている。なぜなら、それが最も大きいからである。 このように、無量の善法があるとしても、それらはすべて、不放逸を根本とし、不放逸を習慣とし、不放逸によって生じ、不放逸を第一とする。不放逸こそが、あらゆる善法の中で最も優れている。 また、様々な獣の中で、獅子王が最も優れている。陣を組んで戦う時には、誓いを固く守ることが最も大切である。楼閣の垂木は、すべて棟木によって支えられている。棟木がそれらを全て保持し、棟木こそが最も優れている。なぜなら、すべてを支えているからである。

「如是，若有無量善法可得，彼一切以不放逸為本，不放逸為習，因不放逸生，不放逸為首；不放逸者，於諸善法為最第一。猶如諸山，須彌山王為第一。猶如諸泉，大泉攝水，大海為第一。猶諸大身，阿須羅王為第一。猶諸瞻侍，魔王為第一。猶諸行欲，頂生王為第一。猶如諸小王，轉輪王為第一。猶如虛空諸星宿，月殿為第一。猶諸綵衣，白練為第一。猶諸光明，慧光明為第一。猶如諸眾，如來弟子眾第一。猶如諸法，有為及無為，愛盡、無欲、滅盡、涅槃為第一。猶諸眾生，無足、二足、四足、多足，色、無色、有想、無想，乃至非有想非無想，如來於彼為極第一，為大為上，為最為勝，為尊為妙。猶如因牛有乳，因乳有酪，因酪有生酥，因生酥有熟酥，因熟酥有酥精，酥精為第一，為大為上，為最為勝，為尊為妙。如是若有諸眾生，無足、二足、四足、多足，色、無色、有想、無想，乃至非有想非無想，如來於彼為極第一，為大為上，為最為勝，為尊為妙。」

> このように、たとえ無量の善い法が存在するとしても、それらはすべて不放逸（油断せずに励むこと）を根本とし、不放逸を習慣とし、不放逸から生じ、不放逸を第一とするのです。不放逸こそが、すべての善い法の中で最も優れています。 あたかも、多くの山々の中で、須弥山王が第一であるように。また、多くの泉の中で、すべての水を集める大海が第一であるように。また、多くの大きな身体を持つ者の中で、阿須羅王が第一であるように。また、多くの侍従の中で、魔王が第一であるように。また、多くの欲望を追う者の中で、頂生王が第一であるように。また、多くの小国の王たちの中で、転輪聖王が第一であるように。また、虚空にある星々の中で、月が第一であるように。また、様々な染め物の中で、白い絹布が第一であるように。また、多くの光明の中で、智慧の光明が第一であるように。また、多くの集まりの中で、如来の弟子たちの集まりが第一であるように。また、多くの法（現象）の中で、有為の法と無為の法を超えて、愛着の消滅、欲望なきこと、滅尽、涅槃が第一であるように。 また、多くの衆生の中で、足のない者、二足の者、四足の者、多足の者、色のある者、色のない者、想いのある者、想いのない者、さらには想いもあるわけでもなく想いもないわけでもない者に至るまで、如来こそが、最も第一であり、最も大いであり、最も上であり、最も優れ、最も尊く、最も殊妙なのです。 ちょうど、牛から乳があり、乳から酪（ヨーグルト）があり、酪から生酥（バター）があり、生酥から熟酥（精製バター）があり、熟酥から酥精（ギー）があり、酥精が第一であり、大いであり、上であり、最も優れ、最も尊く、最も殊妙であるのと同じです。 そのように、足のない者、二足の者、四足の者、多足の者、色のある者、色のない者、想いのある者、想いのない者、さらには想いもあるわけでもなく想いもないわけでもない者に至るまで、あらゆる衆生の中で、如来こそが、最も第一であり、最も大いであり、最も上であり、最も優れ、最も尊く、最も殊妙なのです。

於是，世尊說此頌曰：

> そこで、世尊は次の偈を説かれました。

「若有求財物， 極好轉增多，稱譽不放逸， 事無事慧說。有不放逸者， 必取二俱義，即此世能獲， 後世亦復得，雄猛觀諸義， 慧者必解脫。」

> もし財を求める者がいて、 それがとても大きく増えていくなら、 それを「ほめる」こと、それこそが「怠らないこと」（不放逸）であり、 賢者は「すること」と「しないこと」についての智慧を説くのです。 怠らない（不放逸）者は、 必ず二つの利益を同時に得ます。 すなわち、この世でも果報を得られ、 来世でもまた得られるのです。 勇ましく、真理を深く観察する、 智慧ある者は、必ず解脱を得るのです。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

喻經第二十五竟七百七十一字

> 譬えの経　第二十五　終わり<note>七百七十一字</note>

## 中阿含經卷第三十四七千三百八十八字中阿含經大品第一竟五萬三百六十九字

> 中阿含経 第三十四巻<note>七千三百八十八字</note>