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title: "中阿含經 · 146 象跡喻經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一四六）中阿含梵志品象跡喻經第五第三念誦

> （146）中阿含経 梵志品 象跡喩経 第五<note>第三誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，卑盧異學平旦則從舍衛國出，往詣佛所，稽首作禮，却坐一面。佛為彼說法，勸發渴仰，成就歡喜，無量方便為彼說法，勸發渴仰，成就歡喜已，默然而住。卑盧異學，佛為說法，勸發渴仰，成就歡喜已，即從坐起，稽首佛足，繞三匝而去。

> ある時、ヴェールという学匠が早朝に舎衛国を出て、仏のもとへと向かい、礼拝してから片隅に座りました。仏は彼のために教えを説き、深い敬慕の心を起こさせ、喜びを成就させました。無数の方法を用いて教えを説き、敬慕と喜びを促した後、静かに座っていました。ヴェールという学匠は、仏が教えを説き、敬慕と喜びを促し終えた後、立ち上がり、仏の足に礼拝し、三回右に回ってから去っていきました。

爾時，生聞梵志乘極好白乘，與五百弟子俱，以平旦時從舍衛出，至無事處，欲教弟子諷讀經書。生聞梵志遙見卑盧異學來，便問：「婆蹉！晨起從何處來？」

> ある時、生聞(しょうもん)のバラモンは、非常に立派な白い乗り物に乗り、五百人の弟子たちと一緒に、早朝に舎衛(しゃえ)の都を出て、静かな場所へと向かいました。弟子たちに経典の読誦(どくじゅ)を教えようとしたのです。すると、生聞のバラモンは、遠くから卑盧(ひろ)という異学の者がやって来るのを見て、「バッチャよ、今朝、あなたはどこから来たのですか？」と尋ねました。

卑盧異學答曰：「梵志！我見世尊禮事、供養來。」

> 卑盧という異学が答えました。「バラモンよ、私は世尊を礼拝し、供養してきたのです。」

生聞梵志問曰：「婆蹉！頗知沙門瞿曇空安靜處學智慧耶？」

> 生聞梵志が尋ねました。「婆蹉よ、沙門ゴータマは静かな場所で智慧を学び、空についてよく知っておられるのでしょうか？」

卑盧異學答曰：「梵志！何等人可知世尊空安靜處學智慧耶？梵志！若知世尊空安靜處學智慧者，亦當如彼。但，梵志！我所讀書有四句義，因四句義，我必信世尊、如來、無所著、等正覺，世尊所說法善，如來弟子聖眾善趣。梵志！譬善象師遊無事處，於樹林間見大象跡，見已，必信彼象極大而有此跡。梵志！我亦如是，我所讀書有四句義，因四句義，我必信世尊、如來、無所著、等正覺，世尊所說法善，如來弟子聖眾善趣。

> 卑盧異学が答えた。「バラモンよ、どのような人であれば、世尊が静かな場所で智慧を学んでおられることを知ることができるのか。バラモンよ、もし世尊が静かな場所で智慧を学んでおられることを知る者がいるなら、その者もまたそのようにあるべきだ。しかし、バラモンよ、私が学んだ書物には四つの句の意味がある。その四つの句の意味によって、私は必ず世尊、如来、無所著、等正覚を信じる。世尊の説かれた法は善く、如来の弟子である聖なる僧団は善い趣に向かっている。例えば、バラモンよ、優れた象使いが人里離れた場所を歩き、林の中で大きな象の足跡を見つけたとする。それを見て、その者は必ず『あの象は非常に大きく、このような足跡があるのだ』と信じる。バラモンよ、私も同じである。私が学んだ書物には四つの句の意味がある。その四つの句の意味によって、私は必ず世尊、如来、無所著、等正覚を信じる。世尊の説かれた法は善く、如来の弟子である聖なる僧団は善い趣に向かっているのだ。」

「云何四句義？梵志！智慧剎利論士多聞決定，能伏世人，無所不知，則以諸見造作文章，行於世間。彼作是念：『我往沙門瞿曇所，問如是如是事，若能答者，當復重問，若不能答，便伏捨去。』彼聞世尊遊某村邑，便往彼所，見世尊已，尚不敢問，況復能伏？梵志！我所讀書，用得如此第一句義，我因此義，必信世尊、如來、無所著、等正覺，世尊所說法善，如來弟子聖眾善趣。

> 「四つの句の意味とは何か。バラモンよ。智慧ある王族の論師は、多くを聞き、確かな見解を持ち、世の人々を打ち負かし、知らぬことはない。そこで様々な見解をもとに文章を書き、世の中に広める。彼はこう考える——『私は沙門ゴータマのもとを訪れ、これこれの事を尋ねよう。もし答えることができるなら、さらに問い続ける。もし答えられなければ、打ち負かして立ち去ろう。』 しかし、彼は世尊がどこかの村や里におられるという話を聞き、そこへ赴く。そして世尊を拝見したその場で、問うことさえも恐れてしまい、ましてや打ち負かすことなどできないのだ。バラモンよ。私が学んだ書物において、これこそがまさに第一の句の意味である。私はこの意味によって、必ずや世尊、如来、応供、正等覚者を信じる。世尊の説かれた教えは善く、如来の弟子である聖なる僧団は善き趣に向かっている。」

「如是智慧梵志、智慧居士、智慧沙門論士多聞決定，能伏世人，無所不知，則以諸見造作文章，行於世間。彼作是念：『我往沙門瞿曇所，問如是如是事，若能答者，當復重問，若不能答，便伏捨去。』彼聞世尊遊某村邑，便往彼所，見世尊已，尚不敢問，況復能伏？梵志！我所讀書，用得如此第四句義，我因此義，必信世尊、如來、無所著、等正覺，世尊所說法善，如來弟子聖眾善趣。梵志！我所讀書有此四句義，我因此四句義故，必信世尊、如來、無所著、等正覺，世尊所說法善，如來弟子聖眾善趣。」

> 「そのような智慧あるバラモン、智慧ある在家信者、智慧ある修行者、そして議論に秀でた博識の者たちは、世人を凌駕し、知らぬことなく、様々な見解をもとに書物を作り、世の中に広めています。彼らはこう考えます。『私は修行者ゴータマのもとへ行き、これこれのことを尋ねよう。もし答えられるならさらに問い、答えられなければ論破して去ろう』と。 彼らは世尊が某村に滞在されていると聞き、そこへ赴きます。しかし世尊を目の当たりにすると、問うことすらできず、ましてや論破することなどできません。バラモンよ、私が学ぶ書物にはこの第四句の意味があり、その意味ゆえに、私は世尊、如来、阿羅漢、正等覚者を必ず信じます。世尊の説かれた法は善く、如来の弟子である聖なる僧団は善き境地にあります。バラモンよ、私が学ぶ書物にはこの四句の意味があり、その四句の意味ゆえに、私は世尊、如来、阿羅漢、正等覚者を必ず信じます。世尊の説かれた法は善く、如来の弟子である聖なる僧団は善き境地にあります。」

生聞梵志語曰：「婆蹉！汝大供養沙門瞿曇，所因所緣，歡喜奉行。」

> 生聞のバラモンが言いました。「ヴァッチャよ、あなたは沙門ゴータマを大いに供養し、その教えを喜び、実践しているようだ。」

卑盧異學答曰：「梵志！如是，如是。我極供養於彼世尊，亦極稱譽，一切世間亦應供養。」

> プールの異学者が答えた。「バラモンよ、その通りです、その通りです。私はあの世尊を深く敬い供養し、また大いに称賛しております。世の中のすべての人々もまた、供養すべきであります。」

彼時，生聞梵志聞此義已，即從乘下，右膝著地，叉手向於勝林給孤獨園，再三作禮：「南無如來、無所著、等正覺。」如是至三已，還乘極好白乘，往詣勝林給孤獨園。到彼乘地，即便下乘，步進詣佛，共相問訊，却坐一面。

> その時、生聞梵志はこの教えを聞いて、車から降り、右膝を地面につけ、合掌して勝林給独園の方を向き、三度礼拝して言いました。 「南無（お帰りなさいませ）如来、無所著、等正覚（完全に悟られた方）よ。」 こうして三度繰り返した後、再び白い美しい車に乗り、勝林給独園へと向かいました。その地に着くと、車から降り、歩いて仏のもとへ進み、互いに挨拶を交わしてから、片隅に座りました。

生聞梵志向與卑盧異學所共論事盡向佛說，世尊聞已，告曰：「梵志！卑盧異學說象跡喻，猶不善作，亦不具足，如象跡喻善作具足者，今為汝說，當善聽之。梵志！譬善象師遊無事處，於樹林間見大象跡，見已，必信彼象極大而有此跡。梵志！彼善象師或不信者，於此林中復有母象，名加梨㝹，身極高大，彼有此跡。即尋此跡，復見大象跡，見已，必信彼象極大而有此跡。

> ある時、生聞梵志が、卑盧という異学の者と共に論じた事柄を、すべて仏に語りました。世尊はそれを聞いて、お告げになりました。「梵志よ、卑盧異学が説いた『象の足跡のたとえ』は、まだよく作られておらず、完全でもありません。今、あなたのためによく作られ完成された『象の足跡のたとえ』を説きますから、よく聞きなさい。 梵志よ、例えば、すぐれた象使いが人里離れた場所を遊行し、林の中で大きな象の足跡を見たとします。それを見て、『この跡からして、確かに非常に大きな象がいたのだ』と信じるでしょう。梵志よ、その象使いがもしも信じなかったなら、さらにその林の中で、ガリーヌという名の、非常に大きな体を持った雌象がおり、その足跡があるかもしれません。彼はその跡をたどって、さらに大きな象の足跡を見ます。それを見て、『この跡からして、確かに非常に大きな象がいたのだ』と信じるでしょう。

「梵志！彼善象師或復不信，於此林中更有母象，名加羅梨，身極高大，彼有此跡。即尋此跡，復見大象跡，見已，必信彼象極大而有此跡。梵志！彼善象師或復不信，於此林中更有母象，名婆惒㝹，身極高大，彼有此跡。即尋此跡，復見大象跡，見已，必信彼象極大而有此跡。彼尋此跡已，見大象跡，大象跡方極長極廣，周匝遍著，正深入地，及見彼象，或去或來，或住或走，或立或臥，見彼象已，便作是念：『若有此跡，必是大象。』

> 「梵志よ。その優れた象使いは、もしかするとまだ信じないかもしれない。しかし、この林の中にはさらに大きな母象がいる。名をカーラリという。体は非常に大きく、このような足跡がある。その足跡をたどっていくと、さらに大きな象の足跡に出会う。それを見て、彼は確かに『この足跡は、非常に大きな象のものだ』と信じるようになる。 梵志よ。その優れた象使いは、もしかするとまだ信じないかもしれない。しかし、この林の中にはさらに大きな母象がいる。名をパヴァニーという。体は非常に大きく、このような足跡がある。その足跡をたどっていくと、さらに大きな象の足跡に出会う。それを見て、彼は確かに『この足跡は、非常に大きな象のものだ』と信じるようになる。 彼がその足跡をたどっていくと、大きな象の足跡がある。その足跡は非常に長く、非常に広く、くまなくはっきりと地面に深く刻まれている。そして、その象を実際に見る。あるいは去り、あるいは来たり、あるいは立ち、あるいは歩き、あるいは伏している。その象を見てから、彼はこう思う。『このような足跡があるならば、それは必ず大きな象である』と。」

「梵志！如是。若世中出如來、無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、眾祐，彼於此世，天及魔、梵、沙門、梵志，乃至天、人，自知自覺，自作證成就遊，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。彼說法初妙、中妙、竟亦妙，有義有文，具足清淨，顯現梵行。彼所說法，或居士、居士子，聞已得信，於如來正法、律彼得信已，便作是念：『在家至狹，塵勞之處，出家學道，發露曠大。我今在家，為鏁所鏁，不得盡形壽淨修梵行，我寧可捨於少財物及多財物，捨少親族及多親族，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。』

> 「梵天よ、その通りです。世に如来、阿羅漢、正等覚者、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏陀、世尊が現れたとしましょう。その方は、この世における天、魔、梵天、沙門、婆羅門、さらには天や人間に至るまで、自ら悟り、自ら覚り、自ら実証して完全な境地に達しておられます。すなわち、『生は尽きた。清らかな修行は完成した。なすべきことは成し遂げた。もはや迷いの生存を受けることはない』と、あるがままに知っておられます。 その方は、教えを説かれます。その教えは初めも素晴らしく、中ごろも素晴らしく、終わりもまた素晴らしいものです。意味もあり、表現も整い、完全に清らかで、清らかな修行の道を明らかに示しています。 そのような教えを、ある居士や居士の子が聞いて、信仰を得ます。如来の正しい教えと戒律にその信仰を得ると、彼はこう考えます。『在家の生活は狭く、塵にまみれた場所だ。出家して学びの道に入ることは、広く開かれた生活である。私は今、在家にいて、束縛によって縛られている。生涯をかけて清らかな修行を完全に行うことはできない。それならば、私はわずかな財産も多くの財産も捨て、わずかな親族も多くの親族も捨て、髪やひげを剃り、袈裟を着て、確かな信仰のもとに家を出て、無一物の修行者となる道を選ぼう。』」

「彼於後時，捨少財物及多財物，捨少親族及多親族，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信捨家、無家、學道。彼出家已，捨親族相，受比丘要，修習禁戒，守護從解脫。又復善攝威儀禮節，見纖芥罪，常懷畏怖，受持學戒。

> その後、彼はわずかな財産も多くの財産も、わずかな親族も多くの親族もすべて手放し、髪やひげを剃り、袈裟を身にまとい、深い信仰によって家を捨て家なき者となり、修行の道に入ります。出家した後は、親族という相を捨てて比丘の戒律を受け、戒めを修め習い、解脱へと至る教えを守りつつ大切にします。さらに、立ち居振る舞いや礼儀作法をしっかりと整え、わずかな罪も見れば常に恐れ慎む心を持ち、学ぶべき戒めを自らのものとして実践するのです。

「彼離殺、斷殺，棄捨刀杖，有慚有愧，有慈悲心，饒益一切，乃至蜫蟲，彼於殺生淨除其心。彼離不與取、斷不與取，與而後取，樂於與取，常好布施，歡喜無恡，不望其報，彼於不與取淨除其心。彼離非梵行、斷非梵行，懃修梵行，精懃妙行，清淨無穢，離欲斷婬，彼於非梵行淨除其心。

> 彼は殺生を離れ、殺すことを断ち、刃物や棍棒を捨て去り、恥じる心と慎む心を持ち、慈悲の心をもって、すべての生きとし生けるもの（小さな虫に至るまで）を利益し、殺生に対して心を清めます。 彼は不与取（与えられていないものを取ること）を離れ、不与取を断ち、与えられてから受け取り、与えることを喜び、常に布施を好み、惜しむことなく喜んで施し、その報いを望みません。彼は不与取に対して心を清めます。 彼は非梵行（清らかでない行い）を離れ、非梵行を断ち、努めて梵行（清らかな行い）を修め、精進して優れた行いを行い、清らかで汚れがなく、欲望を離れ、婬欲を断ちます。彼は非梵行に対して心を清めます。

「彼離妄言、斷妄言，真諦言，樂真諦，住真諦，不移動，一切可信，不欺世間，彼於妄言淨除其心。彼離兩舌、斷於兩舌，行不兩舌，不破壞他，不聞此語彼，欲破壞此，不聞彼語此，欲破壞彼，離者欲合，合者歡喜，不作群黨，不樂群黨，不稱說群黨事，彼於兩舌淨除其心。彼離麤言、斷於麤言。若有所言，辭氣麤󰉕，惡聲逆耳，眾所不憙，眾所不愛，使他苦惱，令不得定，斷如是言。若有所言，清和柔潤，順耳入心，可憙可愛，使他安隱，言聲具了，不使人畏，令他得定，說如是言，彼於麤言淨除其心。彼離綺語、斷於綺語，時說、真說、法說、義說、止息說、樂止息說，事隨時得宜，善教善訶，彼於綺語淨除其心。

> 彼は偽りの言葉を離れ、偽りの言葉を断つ。真実の言葉を語り、真実を喜び、真実に安住し、決して揺らがない。すべての人の信頼を得て、世間を欺かない。彼は偽りの言葉に対してその心を清める。 彼は両舌（人の間を裂く言葉）を離れ、両舌を断つ。両舌を行わず、他人を仲違いさせない。こちらで聞いたことをあちらに伝えて仲違いさせようとせず、あちらで聞いたことをこちらに伝えて仲違いさせようとしない。離れた者を結びつけ、結ばれた者を喜ばせ、仲間を作らず、仲間を作ることを好まず、仲間作りの話をしない。彼は両舌に対してその心を清める。 彼は粗悪な言葉を離れ、粗悪な言葉を断つ。もし言葉を発するならば、言葉づかいが荒々しく、悪声で耳に逆らい、多くの人が喜ばず、多くの人が好まず、他人を苦しめ、心の安定を得させないような言葉は断つ。もし言葉を発するならば、清らかで柔らかく、耳に心地よく心に届き、喜ばれ愛され、他人を安らかにし、言葉が明瞭で、人を怖がらせず、心の安定をもたらす言葉を語る。彼は粗悪な言葉に対してその心を清める。 彼は綺語（無駄な言葉）を離れ、綺語を断つ。時宜にかなった言葉、真実の言葉、法にかなった言葉、意味のある言葉、静寂をもたらす言葉、静寂を喜ぶ言葉を語る。状況に応じて適切に、よく教え、よく戒める。彼は綺語に対してその心を清める。

「彼離治生、斷於治生、棄捨稱量及斗斛，亦不受貨，不縛束人，不望折斗量，不以小利侵欺於人，彼於治生淨除其心。彼離受寡婦、童女，斷受寡婦、童女。彼於受寡婦、童女淨除其心。彼離受奴婢、斷受奴婢，彼於受奴婢淨除其心。彼離受象、馬、牛、羊，斷受象、馬、牛、羊，彼於受象、馬、牛、羊淨除其心。彼離受雞、猪，斷受雞、猪，彼於受雞、猪淨除其心。彼離受田業、店肆，斷受田業、店肆，彼於受田業、店肆淨除其心。彼離受生稻、麥、豆，斷受生稻、麥、豆，彼於受生稻、麥、豆淨除其心。

> 彼は生計の道を捨て、それを断ち切ります。はかりや枡を手放し、商品を受け取らず、人を縛らず、枡でごまかすことを望まず、小さな利で他人を欺きません。生計の道に対して、心を清らかにします。 彼は寡婦や若い娘を娶らず、それを断ち切ります。寡婦や若い娘を娶ることに対して、心を清らかにします。 彼は奴婢を使わず、それを断ち切ります。奴婢を使うことに対して、心を清らかにします。 彼は象、馬、牛、羊を飼わず、それを断ち切ります。象、馬、牛、羊を飼うことに対して、心を清らかにします。 彼は鶏や豚を飼わず、それを断ち切ります。鶏や豚を飼うことに対して、心を清らかにします。 彼は田畑や店舗を所有せず、それを断ち切ります。田畑や店舗を所有することに対して、心を清らかにします。 彼は生の稲、麦、豆を蓄えず、それを断ち切ります。生の稲、麦、豆を蓄えることに対して、心を清らかにします。

「彼離酒、斷酒，彼於飲酒淨除其心。彼離高廣大床、斷高廣大床，彼於高廣大床淨除其心。彼離華鬘、瓔珞、塗香、脂粉，斷花鬘、瓔珞、塗香、脂粉，彼於華鬘、瓔珞、塗香、脂粉淨除其心。彼離歌舞、倡妓及往觀聽，斷歌舞、倡妓及往觀聽，彼於歌舞、倡妓及往觀聽淨除其心。彼離受生色像寶，斷受生色像寶，彼於受生色像寶淨除其心。彼離過中食，斷過中食，一食、不夜食、學時食，彼於過中食淨除其心。

> 彼は酒を離れ、酒を断ち、飲酒に対して心を清める。 彼は高く広い床を離れ、高く広い床を断ち、高く広い床に対して心を清める。 彼は花飾り、宝飾、塗香、おしろいを離れ、それらを断ち、その心を清める。 彼は歌舞や遊興、それを見聞きすることを離れ、断ち、その心を清める。 彼は生き物の形をした寶を受け取ることを離れ、断ち、その心を清める。 彼は昼を過ぎての食事を離れ、断ち、一日一食、夜は食べず、修行に適した時にだけ食べる。彼は過ぎた時間の食事に対して心を清める。

「彼已成就此聖戒聚，復行極知足，衣取覆形，食取充軀，隨所遊至，與衣鉢俱，行無顧戀，猶如鷹鳥，與兩翅俱，飛翔空中。彼已成就此聖戒聚，及極知足，復守護諸根，常念閉塞，念欲明達，守護念心而得成就，恒起正知。若眼見色，然不受想，亦不味色，謂忿諍故，守護眼根。心中不生貪伺、憂慼、惡不善法，趣向彼故，守護眼根。如是耳、鼻、舌、身，若意知法，然不受想，亦不味法，謂忿諍故，守護意根。心中不生貪伺、憂慼、惡不善法，趣向彼故，守護意根。

> 彼はこの聖なる戒の集まりを成就し、さらに極めて少ないもので満足する修行をします。衣は身を覆うために、食は体を支えるためにのみ受け取り、赴く先々で、衣と鉢だけを携え、執着することなく行動します。それはちょうど、鷹が両翼を携えて空を飛ぶようなものです。 彼はこの聖なる戒の集まりと、極めて少ないもので満足する心とを成就した後、さらに諸々の感覚器官を守り、常に心を閉ざして保ち、明晰さを目標として保ち、心を守りながら成就し、常に正しい知覚を起こします。 もし眼で色を見ても、それに対する執着の想いを起こさず、その色に味わいを見出すこともありません。これは争いの原因となるからであり、眼の根を守るためです。心の中に貪欲や憂い、悪しき不善の法が生じることなく、それらから遠ざかるために、眼の根を守ります。 同様に、耳、鼻、舌、身においても、また意が法を知る時にも、それに対する執着の想いを起こさず、その法に味わいを見出すこともありません。これは争いの原因となるからであり、意の根を守るためです。心の中に貪欲や憂い、悪しき不善の法が生じることなく、それらから遠ざかるために、意の根を守ります。

「彼已成就此聖戒聚，及極知足，守護諸根，復正知出入，善觀分別，屈伸低仰，儀容庠序，善著僧伽梨及諸衣鉢，行住坐臥，眠寤語默，皆正知之。彼已成就此聖戒聚，及極知足，守護諸根，正知出入，復獨住遠離，在無事處，或至樹下空安靖處、山巖石室、露地穰積，或至林中，或在塚間。彼已在無事處，或至樹下空安靜處，敷尼師檀，結加趺坐，正身正願，返念不向，斷除貪伺，心無有諍，見他財物諸生活具，不起貪伺，欲令我得，彼於貪伺淨除其心。

> 彼はすでにこの聖なる戒の集まりを成就し、また極めて知足し、諸々の感官を守護し、さらに正しく出入りを知り、よく観察し分別して、屈伸・低仰・儀容・庠序を善くし、僧伽梨や諸々の衣鉢を善く着用し、行住坐臥・眠寤語默のすべてを正しく知っている。彼はすでにこの聖なる戒の集まりを成就し、また極めて知足し、諸々の感官を守護し、正しく出入りを知り、さらに独り離れて住み、何事もない場所に赴く。あるいは木の下、空き地の静かな場所、山の岩窟、露地の積み藁、あるいは林の中、墓場の間に行く。彼はすでに何事もない場所、あるいは木の下の空き静かな場所で、尼師檀を敷き、結跏趺坐し、身を正しくし願いを正しくし、念を反らせて向かわせず、貪りの伺いを断ち除き、心に争いがない。他の人の財物や諸々の生活道具を見ても、貪りの伺いを起こさず、「私がそれを得たい」と思わず、彼は貪りの伺いに対してその心を清らかにする。

「如是瞋恚、睡眠、調悔、斷疑、度惑，於諸善法，無有猶豫，彼於疑惑淨除其心。彼斷此五蓋——心穢、慧羸，離欲、離惡不善之法，有覺、有觀，離生喜、樂，逮初禪成就遊。梵志！是謂如來所屈，如來所行，如來所服。然彼不以此為訖，世尊、如來、無所著、等正覺，世尊所說法善，如來弟子聖眾善趣。彼覺觀已息，內靖、一心，無覺、無觀，定生喜、樂，逮第二禪成就遊。梵志！是謂如來所屈，如來所行，如來所服。然彼不以此為訖，世尊、如來、無所著、等正覺，世尊所說法善，如來弟子聖眾善趣。」

> 「さらにまた、怒り、眠気、後悔と浮ついた心、疑いを断ち、惑いを超え、善い法に対してはためらいがなくなり、心から疑惑を清めます。そうして、心を汚し智慧を弱らせる五つの蓋（五蓋）を断ち、欲望や悪しき・善ならざる法から離れ、思考と分析を伴い、離欲から生じる喜びと楽を体得し、初禅を成就して安住します。バラモンよ、これこそ如来が赴き、如来が歩み、如来が受用するところです。しかし、彼はそれをもって終わりとはしません。世尊・如来・無所著・等正覚であり、世尊の説かれた法は善く、如来の弟子である聖なる僧伽は善き趣へと向かいます。彼は思考と分析が静まり、内心が静まり、心が統一され、思考も分析もなく、禅定から生じる喜びと楽を体得し、第二禅を成就して安住します。バラモンよ、これこそ如来が赴き、如来が歩み、如来が受用するところです。しかし、彼はそれをもって終わりとはしません。世尊・如来・無所著・等正覚であり、世尊の説かれた法は善く、如来の弟子である聖なる僧伽は善き趣へと向かいます。」

「彼離喜欲，捨無求遊，正念正智而身覺樂，謂聖所說聖所捨、念、樂住室，逮第三禪成就遊。梵志！是謂如來所屈，如來所行，如來所服。然彼不以此為訖，世尊、如來、無所著、等正覺，世尊所說法善，如來弟子聖眾善趣。彼樂滅、苦滅，喜、憂本已滅，不苦不樂、捨念、清淨，逮第四禪成就遊。梵志！是謂如來所屈，如來所行，如來所服。然彼不以此為訖，世尊、如來、無所著、等正覺，世尊所說法善，如來弟子聖眾善趣。」

> 彼は喜びから離れ、執着を捨てて求めず、正しい念と正しい智慧をもって身体に楽を感じる。これを聖者が説くところの「聖者の捨てるべきもの、念じるべきもの、楽に住する境地」といい、第三の禅定に達して安住する。バラモンよ、これが如来の拠り所とし、行じ、実践するところである。しかし、如来はこれをもって究極とはしない。世尊、如来、阿羅漢、正等覚者は、よく法を説き、如来の弟子である聖なる僧伽はよく実践する。彼は楽も苦も滅し、喜びも憂いもすでに滅し、苦でも楽でもない捨の念によって清らかとなり、第四の禅定に達して安住する。バラモンよ、これが如来の拠り所とし、行じ、実践するところである。しかし、如来はこれをもって究極とはしない。世尊、如来、阿羅漢、正等覚者は、よく法を説き、如来の弟子である聖なる僧伽はよく実践する。

「彼已得如是定心，清淨無穢，無煩柔軟，善住得不動心，趣向漏盡智通作證。彼知此苦如真，知此苦習，知此苦滅，知此苦滅道如真。知此漏如真，知此漏習，知此漏滅，知此漏滅道如真。彼如是知、如是見，欲漏心解脫，有漏、無明漏心解脫，解脫已，便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。梵志！是謂如來所屈，如來所行，如來所服。彼以此為訖，世尊。如來。無所著。等正覺，世尊所說法善，如來弟子聖眾善趣。梵志！於意云何？如是象跡喻善作具足耶？」

生聞梵志答曰：「唯然。瞿曇！如是象跡喻善作具足。」

> 生聞梵志は答えた。「その通りです、ゴータマよ。そのように、象の足跡の譬えは立派で完全に整えられています。」

生聞梵志白曰：「世尊！我已知。善逝！我已解。世尊！我今自歸於佛、法及比丘眾，唯願世尊受我為優婆塞，從今日始，終身自歸，乃至命盡。」

> 生聞（しょうもん）というバラモンが申し上げました。「世尊よ、私はわかりました。善逝（ぜんぜい）よ、私は悟りました。世尊よ、私は今、仏さま、教え、そして僧団に帰依いたします。どうか世尊よ、私を在家の信者（優婆塞）としてお受け入れください。本日より、命の終わるその日まで、生涯にわたって帰依いたします。」

佛說如是。生聞梵志及卑盧異學，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏様はこのようにお説きになりました。生聞梵志と卑盧異学は、仏様の教えを聞いて、喜び、その教えの通りに実践しました。

象跡喻經第五竟二千九百八十八字

> 象跡喩経　第五　終わり<note>二千九百八十八字</note>