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title: "中阿含經 · 153 鬚閑提經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一五三）中阿含梵志品鬚閑提經第二閑音呼姧反第四分別誦

> （一五三）中阿含梵志品 須閑提経 第二

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊拘樓瘦，在婆羅婆第一靜室，坐於草座。

> ある時、仏陀はコーラヴィヤという国を遊行され、バラバーという第一の静かな部屋で、草の座に坐しておられた。

爾時，世尊過夜平旦，著衣持鉢，入釰摩瑟曇次第乞食。食訖，中後還舉衣鉢，澡洗手足，以尼師檀著於肩上，往詣一林，至晝行處。爾時，世尊入於彼林，至一樹下，敷尼師檀，結加趺坐。

> その時、世尊（お釈迦様）は夜が明けて朝になると、衣を身にまとい、鉢を持ってキマセタン（釰摩瑟曇）の町へ托鉢に出かけられました。食事を終え、日中過ぎに帰られると、衣と鉢をしまい、手と足を洗われました。そして、坐具（にしだん）を肩にかけて、ある林の昼間の休息場所へ向かわれました。林に着かれると、一本の木の下に坐具を敷き、足を組んでお坐りになりました。

於是，鬚閑提異學中後彷徉，往詣婆羅婆第一靜室，鬚閑提異學遙見婆羅婆第一靜室有布草座一脇臥處，似師子臥，似沙門臥，似梵行臥，鬚閑提異學見已，問曰：「婆羅婆第一靜室，誰有此草座一脇臥處，似師子臥，似沙門臥，似梵行臥？」

> そこで、シュクヤンディという異学者は、午後遅くに散歩がてら、バラヴァの第一静室へと向かった。すると遠くから、その静室の片隅に、一畳ほどの草の座布団があり、それが獅子の寝所のように、沙門の寝所のように、清らかな修行者の寝所のように見えたのを目にした。シュクヤンディはそれを見て尋ねた。「バラヴァよ、この第一静室の中で、獅子の寝所のように、沙門の寝所のように、清らかな修行者の寝所のように見える、この一畳の草の座布団は、誰のものですか？」

婆羅婆梵志答曰：「鬚閑提！有沙門瞿曇釋種子，捨釋宗族，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信，捨家、無家、學道，覺無上正盡覺。彼第一靜室有此草座一脇臥處，似師子臥，似沙門臥，似梵行臥。」

> 婆羅婆梵志が答えました。「須閑提よ、沙門ゴータマ（釈尊）という方がおられます。彼は釈迦族の出身で、その一族を捨て、髪やひげを剃り、袈裟をまとい、深い信仰によって家を離れ、家なき修行者の道に入り、最高の完全な悟りをお開きになりました。その方の第一の静かな部屋には、この草の座が一つ脇息に用いられており、それは獅子の臥所のように、沙門の臥所のように、清らかな行を修める者の臥所のように見えます。」

鬚閑提異學語曰：「婆羅婆！我今不可見見，不可聞聞，謂我見沙門瞿曇臥處。所以者何？彼沙門瞿曇壞敗地，壞敗地者，無可用也。」

> スジャンティ異学が言いました。「バラドヴァージャよ、私は今、見るべきものを見ておらず、聞くべきものを聞いていない。すなわち、私は修行者ゴータマの臥所を見たと言うのだ。なぜなら、あの修行者ゴータマは『壊れ果てた境地』であり、『壊れ果てた境地』など何の役にも立たないからだ。」

婆羅婆語曰：「鬚閑提！汝不應以此事罵彼沙門瞿曇。所以者何？彼沙門瞿曇多有慧，剎利慧、梵志慧、居士慧、沙門慧，若說慧者皆得聖智。鬚閑提！我欲以此義向彼沙門瞿曇說，為可爾不？」

> 婆羅婆が言いました。「須閑提よ、あなたはそのことで沙門ゴータマを罵ってはいけません。なぜなら、あの沙門ゴータマは優れた智慧を持っておられるからです。王族の智慧、バラモンの智慧、在家者の智慧、出家者の智慧——智慧について語るならば、すべてにおいて聖なる智慧を悟っておられます。須閑提よ、私はこのことを沙門ゴータマに申し上げたいと思いますが、よろしいでしょうか？」

鬚閑提語曰：「婆羅婆！若欲說者，則隨汝意，我無所違。婆羅婆！若見沙門瞿曇者，我亦說此義。所以者何？彼沙門瞿曇敗壞地，敗壞地者，無可用也。」

> スサンディタが言いました。「バラヴァよ、もし話したいのなら、あなたの思いのままにしなさい。私はそれに逆らわない。バラヴァよ、修行者ゴータマに会ったなら、私も同じ意味のことを言うだろう。なぜなら、あの修行者ゴータマは『打ち砕かれた地』であり、『打ち砕かれた地』は何の役にも立たないからだ。」

爾時，世尊在晝行處，以淨天耳出過於人，聞婆羅婆梵志與鬚閑提異學共論此事。世尊聞已，則於晡時從燕坐起，往詣婆羅婆梵志第一靜室，於草座上敷尼師檀，結加趺坐。婆羅婆梵志遙見世尊在樹林間，端政姝好，猶星中月，光耀煒曄，晃若金山，相好具足，威神巍巍，諸根寂定，無有蔽礙，成就調御，息心靜默。見已，進前往詣佛所，共相問訊，却坐一面。

> ある時、世尊は昼の行脚の途中で、人間を超えた清らかな天耳によって、婆羅婆の婆羅門（バラモン）と須閑提の異学（他宗教の修行者）がこのことについて議論しているのをお聞きになった。世尊はそれを聞かれると、夕方になって静坐から起ち上がり、婆羅婆の婆羅門の第一の静室へと向かわれた。そして草の上に敷物（尼師檀）を敷き、結跏趺坐（あぐらを組んで座る坐法）をされた。 婆羅婆の婆羅門は、遠くから世尊が林の中におられるのを見た。そのご様子は端正で美しく、まるで星々の中の月のようであり、輝きは燦然とし、金山のように眩く、相好は具わり、威神は巍巍とし、諸根は静まり、何の障りもなく、調御を成就し、心を静めて黙しておられた。 これを見た婆羅門は、進み出て仏のもとへ赴き、互いに挨拶を交わしてから、片隅に座った。

世尊問曰：「婆羅婆！與鬚閑提異學共論此草坐處耶？」

> 世尊がお尋ねになった。「婆羅婆よ、あなたは須閑提という異学の者と、この草の座について議論したのですか。」

婆羅婆梵志答世尊曰：「如是。瞿曇！我亦欲以此事向沙門瞿曇說，然沙門瞿曇未說已自知。所以者何？以如來、無所著、等正覺故。」

> バラモンの婆羅婆梵志（バラモン）は世尊に答えました。「その通りです。ゴータマよ。私もまたこのことについて沙門ゴータマに申し上げたいと思っていました。しかし、沙門ゴータマは私が話す前に、すでに自らお分かりでした。なぜなら、如来（目覚めた方）、執着のない方、正しく完全に悟られた方だからです。」

世尊與婆羅婆梵志共論此事。鬚閑提異學於後彷徉，往詣婆羅婆第一靜室。世尊遙見鬚閑提異學來已，而作是說：「鬚閑提！不調御眼根，不密守護而不修者，必受苦報。彼於沙門瞿曇善自調御，善密守護而善修者，必得樂報。鬚閑提！汝因此故，說沙門瞿曇敗壞地，敗壞地者，無可用耶？」

> 世尊が婆羅婆の行者とこれらのことについて議論されていました。その時、須閑提という異学がその場を彷徨いながら、婆羅婆の第一の静かな部屋にやって来ました。世尊は遠くから須閑提の異学が来るのを見て、こう仰いました。 「須閑提よ。眼根（げんこん）を調御（ちょうぎょ）せず、密かに守らず、修行しない者は、必ず苦しみの報いを受ける。しかし、沙門ゴータマのもとで、よく自らを調御し、密かに守り、よく修行する者は、必ず安楽の報いを得る。須閑提よ。あなたはこのゆえに、沙門ゴータマを『敗れた地』と言い、『敗れた地は役に立たない』と言うのか？」

鬚閑提異學答世尊曰：「如是。瞿曇！」

> 尊者バガヴァットに申し上げました。「その通りです。ゴータマ様。」

「鬚閑提！如是耳、鼻、舌、身根，不調御意根，不密守護而不修者，必受苦報。彼於沙門瞿曇善自調御，善密守護而善修者，必得樂報。鬚閑提！汝因此故，說沙門瞿曇敗壞地，敗壞地者，無可用耶？」

> 「須閑提よ。このように、耳・鼻・舌・身体という感覚器官を制御せず、心をしっかりと守らず、修養しない者は、必ず苦しみの報いを受けることになります。そのような者にとって、沙門ゴータマは見事に自らを制御し、しっかりと守り、よく修養されている方です。そのため、必ず安らぎの報いを得られるのです。須閑提よ、まさにあなたはこの理由から、沙門ゴータマを『敗れた地』『敗れた地』と言い、『用に立たない』と言っているのではないのですか？」

鬚閑提異學答世尊曰：「如是。瞿曇！」

> 尊者バガヴァットに申し上げました。「その通りです。ゴータマ様。」

世尊問曰：「鬚閑提！於意云何？若人本未出家學道，彼眼知色，愛念意樂，可欲相應。彼於後時捨眼知色，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。彼眼知色，習、滅、味、患、出要見如真，內息心遊行。彼若見人未離色欲，為色愛所食，為色熱所熱。彼眼知色，愛念意樂，可欲相應，行時見已，不稱彼、不樂彼。鬚閑提！於意云何？若有此樂，因愛因色，樂此樂時，薄賤故不稱彼，薄賤故不樂彼。鬚閑提！寧可於彼有所說耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「スケーンダカよ、どう思うか。もしある人が、まだ出家して道を学んでいなかった時、眼で認識される色（形や色）に対して、愛着し、心から楽しみ、欲望に相応する思いを抱いていたとする。その人が後に、眼で認識される色を捨て、髪やひげを剃り、袈裟を着て、清らかな信仰心を持ち、家を離れて出家し、道を学ぶようになる。するとその人は、眼で認識される色について、その生じ、滅し、味わい、過患、そしてそこからの出離をあるがままに見極め、心の内に静まりながら修行するのである。そんな人が、まだ色欲を離れておらず、色への愛に食い尽くされ、色への熱に焼かれている他の人を見かけたとする。その人は、その人が眼で認識される色を愛着し、楽しみ、欲望に相応する思いでいるのを見ても、その人を称賛せず、その人に喜びを感じない。スケーンダカよ、どう思うか。もし、ある楽しみが、愛着と色に依存して生じるものであり、その楽しみを味わっている時、その楽しみが浅く劣ったものだと知っているがゆえに、その人を称賛せず、その楽しみが浅いと知っているがゆえに、その人に喜びを感じないのだとしたら、はたしてその人に対して、何か言うべきことがあるだろうか。」

答世尊曰：「不也。瞿曇！」

> 世尊にお答えして申し上げました。「いいえ、ゴータマさま。」

「鬚閑提！於意云何？若人本未出家學道，如是耳知聲，鼻知香，舌知味，身知觸，愛念意樂，可欲相應。彼於後時，捨身知觸，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。彼身知觸，習、滅、味、患、出要，見如真，內息心遊行。彼若見人未離觸欲，為觸愛所食，為觸熱所熱。彼身知觸，愛念意樂，可欲相應，行時見已，不稱彼、不樂彼。鬚閑提！於意云何？若有見此樂，因愛因觸，樂此樂時，薄賤故不稱彼，薄賤故不樂彼。鬚閑提！寧可於彼有所說耶？」

> 「スキヤンディよ、あなたはどう思うか。もし人が、まだ出家して道を学んでいなかった時には、耳は音を知り、鼻は香を知り、舌は味を知り、身は触を知り、愛しいと感じ、心に楽しく、欲しいものと相応していた。その後、その人は身の触を捨て、髪やひげを剃り、袈裟の衣を着て、誠の信仰によって家を捨て、家なき者となって道を学ぶ。その人は身の触について、その生起、消滅、味わい、過患、出離をあるがままに見て、内心を静めて修行する。もしも、その人が、まだ触の欲を離れていない人を見て、その人が触の愛に食われ、触の熱に焼かれているのを見て、その身の触が、愛しいと感じ、心に楽しく、欲しいものと相応しているのを見ても、その人を称えず、その人に喜びを感じない。 スキヤンディよ、あなたはどう思うか。もしこの楽を見て、それが愛と触に因って生じ、この楽を楽しんでいる時に、その楽が浅く劣るものであると見るから、その人を称えず、その楽が浅く劣るものであると見るから、その人に喜びを感じないのである。スキヤンディよ、そのような場合に、その人に向かって何かを言うべきであろうか。」

答世尊曰：「不也。瞿曇！」

> 世尊にお答えして申し上げました。「いいえ、ゴータマさま。」

世尊問曰：「鬚閑提！於意云何？若人本未出家學道，五欲功德愛念意樂，可欲相應。彼於後時，捨五欲功德，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。彼五欲功德，習、滅、味、患、出要，見如真，內息心遊行。彼若見人未離欲，為欲愛所食，為欲熱所熱，五欲功德愛念意樂，可欲相應，行時見已，不稱彼、不樂彼。鬚閑提！於意云何？若有此樂，因欲因欲愛，樂此樂時，薄賤故不稱彼，薄賤故不樂彼。鬚閑提！寧可於彼有所說耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「スジャータよ、あなたはどう思うか。ある人が、もともと出家して道を学んでいなかった時には、五つの欲望の対象に愛着し、心から楽しみ、望みにかなったものだと感じていた。しかし、その後、その五つの欲望の対象を捨て、髪やひげを剃り、袈裟をまとい、深い信仰を持って家を出て、家のない修行者となったとする。その人は、五つの欲望の対象について、その生じ方、滅し方、味わい、危険、そこからのがれる道をあるがままに見極め、心を内に静めて修行する。その人が、まだ欲望を離れていない人々が、欲望の愛に食い尽くされ、欲望の熱にとらわれ、五つの欲望の対象に愛着し、心から楽しみ、望みにかなったものと感じているのを見たとする。それを見ても、その人をほめず、その対象を楽しもうとはしない。スジャータよ、あなたはどう思うか。もし、このような楽しみがあるとして、それは欲望や欲望への愛に基づく楽しみだ。その楽しみを楽しむ時、軽んじているからこそ、その人をほめず、軽んじているからこそ、その対象を楽しもうとしないのだ。スジャータよ、それならば、その者について何かを言うことがあろうか。」

答世尊曰：「不也。瞿曇！」

> 世尊にお答えして申し上げました。「いいえ、ゴータマさま。」

「鬚閑提！我本未出家學道時，得五欲功德，易不難得，愛念意樂，可欲相應。我於後時，捨五欲功德，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。彼五欲功德，習、滅、味、患、出要，見如真，內息心遊行。我見人未離欲，為欲愛所食，為欲熱所熱，五欲功德，愛念意樂，可欲相應，行時見已，我不稱彼，我不樂彼。鬚閑提！於意云何？若有此樂，因欲因欲愛，樂此樂時，薄賤故我不稱彼，薄賤故我不樂彼。鬚閑提！寧可於我有所說耶？」

> 「スンジャンティよ、私がまだ出家して修道者になる前は、五つの欲望の対象を得ることは難しくなく、心地よく愛しく楽しまれ、欲望に相応するものであった。 しかし、後に私は五つの欲望の対象を捨て、髪や髭を剃り落とし、袈裟をまとい、真実の教えを信じて家を捨て、家なき者となって修行の道に入った。 そして、その五つの欲望の対象について、その習慣、滅び、味わい、患い、そしてそこからの出離を、あるがままに悟り、心を内に静めて修行を続けた。 私は、まだ欲望から離れていない人々が、欲望の愛に食い尽くされ、欲望の熱に炙られながら、五つの欲望の対象を心地よく愛しく楽しみ、欲望に相応しているのを見ると、彼らを称賛せず、楽しむこともなかった。 スンジャンティよ、あなたはどう思うか。もし、欲望と欲望への愛に基づく楽しみがあり、その楽しみを味わうとき、それは卑しいものであるから、私はそれを称賛せず、楽しまないのだ。 スンジャンティよ、あなたは私に対して何か言いたいことがあるだろうか？」

答世尊曰：「不也。瞿曇！」

> 世尊にお答えして申し上げました。「いいえ、ゴータマさま。」

世尊告曰：「鬚閑提！猶如居士、居士子，極大富樂，資財無量，多諸畜牧、封戶、食邑，諸生活具種種豐饒，彼得五欲，易不難得。彼成就身妙行，口、意妙行，臨死之時，不樂捨五欲功德，身壞命終，後昇善處，得生天上，具足行五欲功德。鬚閑提！此天及天子寧當捨天五欲功德，樂人間欲，歡喜念耶？」

> 世尊がお告げになりました。「シュカイダよ。例えば、ある在家の長者やその子息が、非常に裕福で財宝も尽きることなく、多くの家畜、領地、封戸を持ち、生活に必要なものすべてが豊かに備わっていたとしよう。彼は五つの感覚の楽しみを、難なく手に入れることができた。そのような人が、身体と言葉と心において善い行いを積み、死の間際に、五つの感覚の楽しみを手放すことを惜しまず、命を終えた後、善い場所に生まれ変わり、天上に昇って、完全な五つの感覚の楽しみを得たとする。シュカイダよ。この天人が、あるいは天子が、天上の五つの感覚の楽しみを捨てて、人間の欲望を喜び、懐かしむことがあるだろうか？」

答世尊曰：「不也。瞿曇！所以者何？人間欲者，臭處不淨，意甚穢惡而不可向，憎諍極苦。瞿曇！於人間欲，天欲最上、最妙、最勝。若彼天及天子捨於天上五欲功德，樂人間欲，歡喜念者，終無是處。」

> お答えします。「いいえ、ゴータマさま。なぜなら、人の世の欲は、不潔で不快であり、心はたいへんに汚れていて近づきがたく、争いと苦しみに満ちています。ゴータマさま、人の世の欲と比べると、天の欲は最も優れ、最も素晴らしく、最も勝れたものです。もし天や天子たちが天上の五つの欲の功徳を捨てて、人の世の欲を楽しみ喜びたいと思うなら、そのようなことは決してありえません。」

「如是。鬚閑提！我斷人間欲，度於天欲，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。彼五欲功德，習、滅、味、患、出要，見如真，內息心遊行。我見人未離欲，為欲愛所食，為欲熱所熱，五欲功德愛念意樂，可欲相應，行時見已，我不稱彼，我不樂彼。鬚閑提！於意云何？若有此樂，因欲因欲愛，樂此樂時，薄賤故我不稱彼，薄賤故我不樂彼。鬚閑提！寧可於我有所說耶？」

> 「そうなのです、シャンティカよ。私は人間の欲を断ち、天の欲をも超え、髪やひげを剃り落とし、袈裟をまとい、深い信をもって家を捨て、家なき修道者となりました。その五つの欲望の対象―その生じ、滅し、味わい、過患、そしてそこからの脱出について、あるがままに知り、心を静めて過ごしています。私は、まだ欲望から離れていない人が、欲望の愛に食われ、欲望の熱に焼かれ、五つの欲望の対象に執着し、愛着し、喜びを感じて行動しているのを見ても、その人を称賛することもなく、喜ぶこともありません。 シャンティカよ、あなたはどう思いますか？もし、ある楽しみが欲望や欲望への執着によって生じるものであっても、私がその楽しみを味わう時、それは軽蔑すべきものだから称賛しないのであり、軽蔑すべきものだから喜ばないのです。シャンティカよ、あなたは私に対して、何か言いたいことがあるのですか？」

答世尊曰：「不也。瞿曇！」

> 世尊にお答えして申し上げました。「いいえ、ゴータマさま。」

世尊告曰：「鬚閑提！猶人病癩，身體爛熟，為蟲所食，爪擿瘡開，臨火坑炙。鬚閑提！於意云何？若病癩人身體爛熟，為蟲所食，爪擿瘡開，臨火坑炙。如是寧得除病有力，不壞諸根，為脫癩病，身體完健，平復如故，還本所耶？」

> 世尊は言われた。「スカーレンタ（須閑提）よ。例えば、ある人が重い皮膚病を患い、全身がただれ、虫に食われ、爪でかきむしって傷口を開き、火のそばに近づいて炙られているとしよう。スカーレンタよ、あなたはどう思うか。もしその皮膚病の人が、身体が爛れ、虫に食われ、爪で傷口を開き、火のそばで炙られているとして、そのようにして病気を治し、感覚器官を損なわずに皮膚病から解放され、健康な身体を取り戻し、元通りになることができるだろうか。」

答世尊曰：「不也。瞿曇！所以者何？若病癩人身體爛熟，為蟲所食，爪擿瘡開，臨火坑炙。如是更生瘡轉增多，本瘡轉大，然彼反以癩瘡為樂。」

> 世尊に答えて言いました。「いいえ、ゴータマよ。なぜなら、もし重い皮膚病を患っている人の体が爛れて、虫に食われ、爪でかきむしって傷口が開き、火のそばで炙られているようなものだからです。そうするとさらに新しい傷が増え、もとの傷も大きくなっていくのに、その人はそれでもなおその痛みを楽しんでいるかのようです。」

「鬚閑提！如病癩人身體爛熟，為蟲所食爪擿瘡開，臨火坑炙。如是更生瘡轉增多，本瘡轉大，然彼反以癩瘡為樂。鬚閑提！如是眾生未離欲，為欲愛所食，為欲熱所熱而行於欲。鬚閑提！如是眾生未離欲，為欲愛所食，為欲熱所熱而行於欲，如是欲轉增多，欲愛轉廣，然彼反以欲愛為樂。彼若不斷欲，不離欲愛，內息心，已行、當行、今行者，終無是處。所以者何？此非道理，斷欲、離欲愛，謂行於欲。」

> 「須閑提よ。ちょうど、ハンセン病に罹った人のように、身体が爛れ、虫に食われ、爪で傷口を掻きむしりながら、火の穴のそばに立って炙られているようなものだ。そのようにして、新たな傷が増え続け、元の傷もさらに大きくなる。それでもなお、その人はその病の傷を楽しみとしている。 須閑提よ。同じように、衆生は欲望から離れておらず、欲望の愛執に食われ、欲望の熱に焼かれながら、欲望にふけっている。須閑提よ。このように、欲望から離れていない衆生は、欲望の愛執に食われ、欲望の熱に焼かれながら欲望を追い求める。そうすると、欲望はますます増え、欲望への愛執はさらに広がっていく。それでもなお、その人は欲望の愛執を楽しみとする。 しかし、もしその人が欲望を断ち切らず、欲望への愛執から離れず、心を内に静めることなく、すでに行い、これから行い、現在行っているならば、それは決してありえないことだ。なぜなら、これは道理に反するからだ。欲望を断ち、欲望への愛執から離れることこそが、欲望にふける者が行うことではないのだ。」

世尊告曰：「鬚閑提！猶王及大臣，得五所欲，易不難得。彼若不斷欲，不離欲愛，內息心，已行、當行、今行者，終無是處。所以者何？此非道理，斷欲、離欲愛，謂行於欲。如是，鬚閑提！眾生未離欲，為欲愛所食，為欲熱所熱而行於欲。鬚閑提！若眾生未離欲，為欲愛所食，為欲熱所熱而行欲者，如是欲轉增多，欲愛轉廣，然彼反以欲愛為樂。彼若不斷欲，不離欲愛，內息心，已行、當行、今行者，終無是處。所以者何？此非道理，斷欲、離欲愛，謂行於欲。

> 世尊はこうおっしゃいました。「シュカンテーよ、例えば王様や大臣が五つの欲望の対象を手に入れて、それを簡単に得られるとしましょう。しかし、もし彼らが欲を断ち切らず、欲への執着を離れず、心の中を静めずに、すでに行い、これから行い、今行っているとしても、それは決してありえません。なぜなら、欲を断ち、欲への執着を離れることを、欲の中で生きることだと言うのは道理に合わないからです。 同じように、シュカンテーよ、まだ欲を離れていない衆生は、欲への執着に食べられ、欲の熱に焼かれながら、欲の中で生きています。 シュカンテーよ、もし欲を離れていない衆生が、欲への執着に食べられ、欲の熱に焼かれながら欲の中で生きるなら、その欲はますます増え、欲への執着はますます広がります。しかし、彼らはかえってその欲への執着を楽しみとしています。 もし彼らが欲を断ち切らず、欲への執着を離れず、心の中を静めずに、すでに行い、これから行い、今行っているとしても、それは決してありえません。なぜなら、欲を断ち、欲への執着を離れることを、欲の中で生きることだと言うのは道理に合わないからです。」

「鬚閑提！猶病癩人身體爛熟，為蟲所食，爪擿瘡開，臨火坑炙。有人為彼憐念愍傷，求利及饒益，求安隱快樂，與如其像好藥，與如其像好藥已，除病得力，不壞諸根，已脫癩病，身體完健，平復如故，更還本所。彼若見人有癩病者，身體爛熟，為蟲所食，以爪擿瘡開，臨火坑炙。鬚閑提！彼人見已，寧復意樂稱譽喜耶？」

> 「須閑提よ。例えば、かゆ病にかかり、体が爛れて虫に食われ、爪で患部をかきむしり火のそばで焼くような人がいる。ある人が彼を憐れみ、慈しみ、利益と安らぎ、幸福と平安を求めて、その状態にふさわしい良い薬を与えたとする。その良い薬によって病は癒え、体力は回復し、諸々の感覚器官に損傷はなく、かゆ病から脱して体はすっかり元通り健やかになり、以前の状態に戻ったとする。その後、その人が他のかゆ病にかかり、体が爛れて虫に食われ、爪で患部をかきむしり火のそばで焼くような人を見たとする。時に、その者はそれを見て、喜び楽しみ称賛するだろうか？」

答世尊曰：「不也。瞿曇！所以者何？有病須藥，無病不須。」

> 「いいえ、世尊。それは違います。なぜなら、病気があれば薬が必要ですが、病気がなければ必要ないからです。」(瞿曇よ)

「鬚閑提！於意云何？若彼癩人除病得力，不壞諸根，已脫癩病，身體完健，平復如故，更還本所，有二力士，強捉彼人臨火坑炙。彼於其中慞惶迴避，身生重熱。鬚閑提！於意云何？此火坑者，於今更熱，大苦可患，甚於本耶？」

> 「須閑提よ、どう思うか。もしその癩病の人が病から回復し、諸根が損なわれず、癩病から脱して身体が健やかになり、以前のように完全に治ったとする。その人が元の場所に戻ったとき、二人の力持ちが無理やりその人を捕まえて、火の坑のそばに連れて行き焼こうとした。その人はそこであわてふためき逃れようとし、体に激しい熱を感じるだろう。須閑提よ、どう思うか。この火の坑は、以前よりもさらに熱く、大きな苦しみであり、悩ましいものではないか？」

答世尊曰：「不也。瞿曇！其本病癩，身體爛熟，為蟲所食，爪擿瘡開，臨火坑炙。彼於苦大樂更樂想，其心迷亂，有顛倒想。瞿曇！彼人於今除病得力，不壞諸根，已脫癩病，身體完健，平復如故，更還本所，彼於苦大苦更樂想，其心泰然，無顛倒想。」

> お答えします（世尊に申し上げる）：「いいえ、ゴータマよ。かつてその人は重いハンセン病を患い、体は腐れ爛れ、蛆が食い荒らし、手で掻きむしって傷口が開き、火の穴のそばで焼かれていたのです。その人は苦しみながらも大きな楽の想いやとらわれを抱き、心は迷い乱れて、倒錯した見解にとらわれていました。しかし、今その人は病から救われて力を取り戻し、諸々の感覚器官も損なわれることなく、ハンセン病から脱して体はすっかり健康になり、元のように平らかに戻り、かつての場所に帰ってきました。その人は今、苦しみを苦しみとして正しく認識し、心は安らかで、もはや倒錯した見解はありません。」

「鬚閑提！如病癩人身體爛熟，為蟲所食，爪擿瘡開，臨火坑炙。彼於苦大樂更樂想，其心迷亂，有顛倒想。如是，鬚閑提！眾生不離欲，為欲愛所食，為欲熱所熱而行於欲。彼於苦欲有樂欲想，其心迷亂，有顛倒想。鬚閑提！猶如彼人除病得力，不壞諸根，已脫癩病，身體完健，平復如故，更還本所。彼於苦大苦更樂想，其心泰然，無顛倒想。如是，鬚閑提！我於苦欲有苦欲想，得如真實，無顛倒想。所以者何？鬚閑提！過去時欲不淨臭處，意甚穢惡而不可向，憎諍苦更觸，未來、現在欲亦不淨臭處，意甚穢惡而不可向，憎諍苦更觸。鬚閑提！如來、無所著、等正覺說無病第一利，涅槃第一樂。」

> 「シュシャンタよ。例えば、重い皮膚病を患い、身体が爛れ虫に食われ、爪で掻きむしって傷を開き、火の側で焼かれる者がいる。彼は苦しみの中にあっても、それを大きな楽しみと思い込み、心は迷い、倒錯した考えを持つ。同様に、シュシャンタよ。人々は欲望から離れられず、欲望の愛執に食われ、欲望の熱に焼かれながら欲望に従って生きる。彼らは苦しみである欲望を楽しみと思い込み、心は迷い、倒錯した考えを持つ。シュシャンタよ。もしその人物が病気から回復し、諸々の感覚器官が健全で、皮膚病が治り、身体も健やかで元の状態に戻り、再び同じ場所に行ったとする。彼は苦しみを苦しみと感じ、心は穏やかで、倒錯した考えを持たない。同様に、シュシャンタよ。私は苦しみである欲望を苦しみと知り、あるがままに理解し、倒錯した考えを持たない。なぜなら、シュシャンタよ。過去の欲望は不浄で悪臭を放ち、心は非常に汚れていて近づくに値せず、憎しみや争い、苦しみをもたらすものだからだ。未来、現在の欲望もまた不浄で悪臭を放ち、心は非常に汚れていて近づくに値せず、憎しみや争い、苦しみをもたらすものだからだ。シュシャンタよ。如来、無所著、等正覚は、『病気がないことが最上の利益であり、涅槃が最上の安楽である』と説かれたのだ。」

鬚閑提異學白世尊曰：「瞿曇！我亦曾從耆舊尊德長老久學梵行所，聞無病第一利，涅槃第一樂。」

> ある異学のスバッダが世尊に申し上げた。「ゴータマよ、私もかつて尊い長老たちのもとで長く修行して、『無病が第一の利益であり、涅槃が最高の安らぎである』と聞いておりました。」

世尊問曰：「鬚閑提！若汝曾從耆舊尊德長老久學梵行所，聞無病第一利，涅槃第一樂。鬚閑提！何者無病？何者涅槃耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「スジャータよ、かつてあなたが、古くからの師匠や年長者たちのもとで長く清らかな修行をしてきた者から、『無病が第一の利であり、涅槃が第一の楽である』と聞いたことがあるでしょう。スジャータよ、では、何が無病であり、何が涅槃なのですか？」

於是，鬚閑提異學身即是病、是癰、是箭、是蛇、是無常、是苦、是空、是非神，以兩手抆摸而作是說：「瞿曇！此是無病，此是涅槃。」

> そこで、須閑提という異学の者が、この身体は病であり、癰であり、矢であり、蛇であり、無常であり、苦であり、空であり、神ではないと説きながら、両手で体をさすりながらこう言いました。「ゴータマよ、これこそが無病であり、これこそが涅槃である。」

世尊語曰：「鬚閑提！猶如生盲，從有目人聞其所說：『白淨無垢，白淨無垢。』彼聞此已，便求白淨。有諂誑人而不為彼求利及饒益，求安隱快樂，則以垢膩不淨之衣，持往語曰：『汝當知之，此是白淨無垢之衣，汝以兩手敬受被身。』彼盲子喜，即以兩手敬受被身而作是說：『白淨無垢，白淨無垢。』鬚閑提！彼人為自知說，為不知說？為自見說，為不見說？」

> 世尊はこう言われました。「須閑提よ。例えば、目の見えない人がいる。その人は目が見える人から、『白く清らかで汚れのないもの、白く清らかで汚れのないもの』と聞かされる。それを聞いて、その盲目の人はその白く清らかなものを求める。ところが、ある欺瞞的で不誠実な人が、その人の利益や安らぎ、幸福を願わずに、汚れた不浄の衣を持って来て、こう言う。『あなたに告げよう、これが白く清らかで汚れのない衣だ。両手で謹んで受け取り、身に着けなさい』。その盲目の人は喜び、両手で謹んでそれを受け取り身に着けて、こう言う。『白く清らかで汚れのないものだ、白く清らかで汚れのないものだ』と。 須閑提よ、その人は、自分で知って言っているのか、それとも知らずに言っているのか？自分で見て言っているのか、それとも見ずに言っているのか？」

鬚閑提異學答曰：「瞿曇！如是說者，實不知見。」

> 須閒提異学が答えた。「ゴータマ。もしそのように説くならば、それは本当に知らず見ていないということだ。」

世尊語曰：「如是。鬚閑提！如盲無目，身即是病、是癰、是箭、是蛇、是無常、是苦、是空、是非神，以兩手抆摸而作是說：『瞿曇！此是無病，此是涅槃。』鬚閑提！汝尚不識於無病，何況知見於涅槃耶？言知見者，終無是處。鬚閑提！如來、無所著、等正覺說：

> 世尊がおっしゃった。「その通りだ、スカヤンティよ。それはまるで目の見えない人が、自分の体こそが病であり、腫れ物であり、矢であり、蛇であり、無常であり、苦しみであり、空であり、自己ではないと知らずに、両手で探りながら『ゴータマよ、これこそが無病であり、これが涅槃である』と言うようなものだ。スカヤンティよ、あなたはまだ無病を理解していない。ましてや涅槃を知り、見るなどということがどうしてありえようか？知り見ると言っても、それはまったく正しいことではない。スカヤンティよ、如来・阿羅漢・正等覚者はこう説かれる。」

「無病第一利， 涅槃第一樂，諸道八正道， 住安隱甘露。

> 無病であることが第一の利益であり、 涅槃こそが最高の安らぎである。 さまざまな道のなかでも八正道こそが最上の道であり、 安らぎと不死の境地に至る道である。

「彼眾多人並共聞之，眾多異學聞此偈已，展轉相傳，不能知義。彼既聞已，而欲求教，彼並愚癡，還相欺誑。彼自現身四大之種，從父母生，飲食所長，常覆按摩澡浴，強忍、破壞、磨滅，離散之法。然見神受神，緣受則有，緣有則生，緣生則老死，緣老死則愁慼啼哭、憂苦懊惱，如是此生純大苦陰。」

> 多くの人々がこれを聞き、また様々な異なる学派の人々もこの偈を聞きました。彼らは互いに伝え合いましたが、その真の意味を理解することはできませんでした。そこで教えを求めようとした彼らは、皆が愚かであり、互いに欺き合っていました。彼らは自らのこの身体を見ます。これは四大から成り、父母から生まれ、飲食によって養われ、常に按摩や沐浴によって保たれているものの、実は強要され、壊され、磨耗し、滅び去る性質のものなのです。しかしながら、彼らは「神」（アートマン）を見て、それに執着します。執着があるから生存があり、生存があるから生があり、生があるから老いと死があり、老いと死があるから、嘆き悲しみ、泣き叫び、苦しみ悩むのです。このようにして、この人生は純粋に大きな苦しみの塊となります。

於是，鬚閑提異學即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「瞿曇！我今極信沙門瞿曇！唯願瞿曇善為說法，令我得知此是無病，此是涅槃。」

> そこで、須閑提異学は座を立ち、衣を偏袒し、合掌して仏に向かい、こう申し上げた。「ゴータマよ、私は今、沙門ゴータマを深く信じます。どうかゴータマが善く法を説き、私にこれが無病であり、これが涅槃であると知らせてください。」

世尊告曰：「鬚閑提！若汝聖慧眼未淨者，我為汝說無病、涅槃，終不能知，唐煩勞我。鬚閑提！猶生盲人，因他往語：『汝當知之，此是青色，黃、赤、白色。』鬚閑提！彼生盲人頗因他說，知是青色、黃、赤、白色耶？」

> 世尊はおっしゃいました。「スカンディヤよ、もしあなたの聖なる智慧の目が清らかでないなら、私が病気のないことや涅槃について話しても、あなたはそれを理解することはできず、私の労力は無駄になるでしょう。 スカンディヤよ、例えば生まれつきの盲人がいて、誰かが彼に『知っておきなさい、これは青、これは黄、これは赤、これは白です』と伝えたとしましょう。スカンディヤよ、その生まれつきの盲人は、その人の言葉によって、本当に青、黄、赤、白を理解することができるでしょうか？」

答世尊曰：「不也。瞿曇！」

> 世尊にお答えして申し上げました。「いいえ、ゴータマさま。」

「如是。鬚閑提！若汝聖慧眼未淨者，我為汝說無病、涅槃，終不能知，唐煩勞我。鬚閑提！我為汝說如其像妙藥，令未淨聖慧眼而得清淨。鬚閑提！若汝聖慧眼得清淨者，汝便自知此是無病，此是涅槃。鬚閑提！猶生盲人，有諸親親為彼慈愍，求利及饒益，求安隱快樂故，為求眼醫，彼眼醫者與種種治，或吐或下，或灌於鼻，或復灌下，或刺其脉，或令淚出。鬚閑提！儻有此處，得淨兩眼。鬚閑提！若彼兩眼得清淨者，則便自見此是青色，黃、赤、白色，見彼垢膩不淨之衣，便作是念：『彼即怨家，長夜則以垢膩之衣欺誑於我。』便有憎心。鬚閑提！此人儻能殺害於彼。如是，鬚閑提！我為汝說如其像妙藥，令未淨聖慧眼而得清淨。鬚閑提！若汝聖慧眼得淨者，汝便自知此是無病，此是涅槃。

> そうだ、須閑提よ。もしあなたの聖なる智慧の眼がまだ清らかでなければ、私があなたに「無病」と「涅槃」について語っても、あなたは決してそれを知ることができず、結局私が無駄に労することになるだろう。須閑提よ、私はあなたに、そのような状態にふさわしい妙薬を説こう。それは、まだ清らかでない聖なる智慧の眼を清らかにするためのものだ。須閑提よ、もしあなたの聖なる智慧の眼が清らかになったなら、あなたは自ら「これが無病であり、これが涅槃である」と知るだろう。 須閑提よ、たとえば生まれつき目が見えない人がいるとしよう。彼の親族たちは慈しみ深く、彼の利益と安らぎを求め、彼に安穏な幸せをもたらそうとして、眼科医を探す。その眼科医は様々な治療を施す。あるいは嘔吐させ、あるいは下剤を用い、あるいは鼻に薬を注ぎ、あるいはまた体内に注ぎ込み、あるいは血管を刺し、あるいは涙を流させる。須閑提よ、そうすれば、もしかすると彼は両眼の視力を取り戻すかもしれない。須閑提よ、もし彼の両眼が清らかになったなら、彼は自ら「これは青、これは黄、赤、白」と見分け、また汚れや脂のついた汚い衣服を見て、こう思うだろう。「あれこそが私の怨みの相手だ。彼は永きにわたって、この汚れた衣服で私を欺いてきたのだ。」そうして彼は怒りの心を抱く。須閑提よ、この人はもしかするとその相手を殺めてしまうかもしれない。 そのように、須閑提よ、私はあなたに、そのような状態にふさわしい妙薬を説こう。それは、まだ清らかでない聖なる智慧の眼を清らかにするためのものだ。須閑提よ、もしあなたの聖なる智慧の眼が清らかになったなら、あなたは自ら「これが無病であり、これが涅槃である」と知るだろう。

「鬚閑提！有四種法，未淨聖慧眼而得清淨。云何為四？親近善知識，恭敬、承事，聞善法，善思惟，趣向法次法。鬚閑提！汝當如是學，親近善知識，恭敬、承事，聞善法，善思惟，趣向法次法。鬚閑提！當學如是。鬚閑提！汝親近善知識，恭敬、承事已，便聞善法，聞善法已，便善思惟，善思惟已便趣向法次法，趣向法次法已，便知此苦如真，知此苦習、知此苦滅、知此苦滅道如真。

> スンダリカよ、清らかな智慧の眼がまだ開かれていない人を、それを清らかにする四つの教えがあります。その四つとは何か。 優れた友人に近づき、敬い、仕え、善い教えを聞き、それをよく考え、教えに沿って実践することです。 スンダリカよ、あなたもこう学びなさい。優れた友人に近づき、敬い、仕え、善い教えを聞き、それをよく考え、教えに沿って実践する、と。 スンダリカよ、このように学びなさい。スンダリカよ、あなたが優れた友人に近づき、敬い、仕えるならば、善い教えを聞くことになります。善い教えを聞いたならば、それをよく考えます。よく考えたならば、教えに沿って実践します。教えに沿って実践したならば、この苦しみをあるがままに知り、苦しみの原因をあるがままに知り、苦しみの消滅をあるがままに知り、苦しみの消滅に至る道をあるがままに知るのです。

「云何知苦如真？謂生苦、老苦、病苦、死苦、怨憎會苦、愛別離苦、所求不得苦、略五盛陰苦，如是知苦如真。云何知苦習如真？謂此愛當受未來有，與喜欲俱，願彼彼有，如是知苦習如真。云何知苦滅如真？謂此愛當受未來有，與喜欲俱，願彼彼有滅、無餘、斷、捨、吐、盡、無欲、沒、息止，如是知苦滅如真。云何知苦滅道如真？謂八支聖道，正見乃至正定，是謂為八，如是知苦滅道如真。」

> 「苦しみをあるがままに知るとは、どういうことか。それは、生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ、嫌な人と出会う苦しみ、愛する人と別れる苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、要約すれば、執着する五つの要素（五蘊）からなる苦しみである。このように苦しみをあるがままに知るのである。 苦しみの原因をあるがままに知るとは、どういうことか。それは、この渇望が未来の生存をもたらし、喜びや欲望と結びつき、あれやこれやと執着することである。このように苦しみの原因をあるがままに知るのである。 苦しみの消滅をあるがままに知るとは、どういうことか。それは、この渇望が未来の生存をもたらし、喜びや欲望と結びつき、あれやこれやと執着することが、残りなく滅び、断ち切られ、捨てられ、吐き出され、尽き、欲がなくなり、没し、静まり止むことである。このように苦しみの消滅をあるがままに知るのである。 苦しみの消滅に至る道をあるがままに知るとは、どういうことか。それは、八つの支分からなる聖なる道、すなわち正しい見解から正しい禅定に至るまでの八つである。このように苦し

說此法已，鬚閑提異學遠塵離垢，諸法法眼生。於是，鬚閑提異學見法得法，覺白淨法，斷疑度惑，更無餘尊，不復從他，無有猶豫，已住果證，於世尊法得無所畏。即從座起，稽首佛足，白曰：「世尊！願令我得出家學道，受具足，得比丘。」

> この教えを聞いた須閑提異学は、塵や汚れから遠く離れ、諸法に対する法眼が生じた。そこで、須閑提異学は法を見、法を得て、清らかな法を覚り、疑いを断ち、迷いを超え、もはや他の尊い師を求めず、他人に頼ることなく、迷いがなくなり、果の証を得て、世尊の教えにおいて何も恐れることがなくなった。すぐに座を立ち、仏の足に礼拝して言った。「世尊よ、私が出家して道を学び、具足戒を受け、比丘となることをお許しください。」

世尊告曰：「善來比丘！修行梵行。」

> 世尊（仏陀）がおっしゃいました。「よく来た比丘よ。清らかな修行をしなさい。」

鬚閑提異學即是出家學道，受具足，得比丘。鬚閑提出家學道，受具足，知法已，至得阿羅訶。

> スジャータという異学は、そのまま出家して修行の道に入り、具足戒を受け比丘となった。スジャータは出家して修行の道に入り、具足戒を受け、法を悟った後、阿羅漢の境地に達したのである。

佛說如是。尊者鬚閑提聞佛所說，歡喜奉行。鬚閑提經第二竟四千一百二十一字

> 仏はこのように説かれた。尊者シュカインダ（須閑提）は仏の説法を聞いて、喜び敬いその教えの通りに実践した。〈シュカインダ経〉第二 終わり<note>四千百二十一字</note>

## 中阿含經卷第三十八八千六百六十二字

> 中阿含經 第三十八卷