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title: "中阿含經 · 154 婆羅婆堂經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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## 中阿含經卷第三十九

> 中阿含経 第三十九巻

東晉罽賓三藏瞿曇僧伽提婆譯

> 東晋・罽賓三蔵・瞿曇僧伽提婆 訳

### （一五四）梵志品婆羅婆堂經第三第四分別誦

> （一五四）バラモン経　第三<note>第四分別誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在東園鹿子母堂。

> ある時、仏陀はサーヴァッティー（舎衛国）に滞在されました。東園にある、鹿子母（ミガーラの母）の講堂にて。

爾時，有二人婆私吒及婆羅婆梵志族，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。諸梵志見已，極訶責數，甚急至苦，而語之曰：「梵志種勝，餘者不如；梵志種白，餘者皆黑；梵志得清淨，非梵志不得清淨；梵志梵天子，從彼口生，梵梵所化。汝等捨勝從不如，捨白從黑，彼禿沙門為黑所縛，斷種無子。是故汝等所作大惡，極犯大過。」

> その時、バラモンの家系であるヴァーシェティカとバーラドヴァージャの二人が、髪とひげを剃り、袈裟を着て、深い信心から家庭を捨て、家なき修行者として道を学びました。これを見たバラモンたちは、ひどく非難し、激しく厳しい言葉でこう言いました。「バラモンの種族は勝れており、他の者たちは勝れていない。バラモンの種族は白く、他の者たちは皆黒い。バラモンは清らかさを得るが、バラモン以外は清らかさを得られない。バラモンは梵天の子であり、その口から生まれ、梵天によって作られた存在である。あなたたちは勝れたものを捨てて勝れないものを選び、白を捨てて黒を選んだ。あの禿げた修行者たちは黒に縛られ、種を断ち子孫もない。ゆえにあなたたちの行いは大いなる悪であり、大いなる過ちを犯しているのだ。」

爾時，世尊則於晡時從燕坐起，堂上來下，於堂影中露地經行，為諸比丘說甚深微妙法。尊者婆私吒遙見世尊則於晡時從燕坐起，堂上來下，於堂影中露地經行，為諸比丘說甚深微妙法。尊者婆私吒見已，語曰：「賢者婆羅婆！當知世尊則於晡時從燕坐起，堂上來下，於堂影中露地經行，為諸比丘說甚深微妙法。賢者婆羅婆！可共詣佛，或能因此從佛聞法。」

> その頃、世尊は夕方の休息から立ち上がり、講堂から降りて、講堂の影のある露地を経行しながら、比丘たちに非常に深く微細な教えを説いておられた。 尊者バーシダ（婆私吒）は、その世尊の様子を遠くから見た。すなわち、世尊が夕方の休息から立ち上がり、講堂から降り、講堂の影のある露地を経行しながら、比丘たちに非常に深く微細な教えを説いておられるのを見たのである。それを見た尊者バーシダは言った。「賢者バーラヴァ（婆羅婆）よ、知っておきなさい。世尊はただいま夕方の休息から立ち上がり、講堂から降り、講堂の影のある露地を経行しながら、比丘たちに非常に深く微細な教えを説いておられます。賢者バーラヴァよ、私たちも一緒にお釈迦様のもとへ参りましょう。そうすれば、この機会にお釈迦様から教えを聞くことができるかもしれません。」

於是，婆私吒及婆羅婆即詣佛所，稽首作禮，從後經行。

> そこで、婆私吒（バーセーシカ）と婆羅婆（バーラドヴァージャ）は、すぐに仏のもとへ参り、頭を地につけて礼拝し、その後ろについて歩きました。

世尊迴顧，告彼二人：「婆私吒！汝等二梵志捨梵志族，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道，諸梵志見已，不大責數耶？」

彼即答曰：「唯然。世尊！諸梵志見已，極訶責數，甚急至苦。」

> 彼は答えた。「はい、世尊よ。あのバラモンたちはそれを見て、ひどく叱り責め、大変辛い思いをさせました。」

世尊問曰：「婆私吒！諸梵志見已，云何極訶責數，甚急至苦耶？」

> 世尊が尋ねました。「バーセータよ、修行者たちがそれを見て、なぜあのように激しく罵り、叱責し、苦しめたのですか？」

答曰：「世尊！諸梵志見我等已，而作是說：『梵志種勝，餘者不如；梵志種白，餘者皆黑；梵志得清淨，非梵志不得清淨；梵志梵天子，從彼口生，梵梵所化。汝等捨勝從不如，捨白從黑，彼禿沙門為黑所縛，斷種無子。是故汝等所作大惡，極犯大過。』世尊！諸梵志見我等已，如是極訶責數，甚急至苦。」

> 「世尊よ。バラモンたちは私たちを見て、こう言いました。『バラモンの種族は勝れており、他の者はそれに劣る。バラモンの種族は白く、他の者は皆黒い。バラモンだけが清らかになり、バラモンでなければ清らかになれない。バラモンは梵天の子であり、その口から生まれ、梵天が創造したものだ。あなたたちは勝れたものを捨てて劣ったものに従い、白を捨てて黒に従い、あの禿げた修行者（沙門）は黒に縛られ、種を断ち後継ぎがない。だからあなたたちは大きな悪を為し、極めて大きな過ちを犯したのだ』と。世尊よ。バラモンたちは私たちを見て、このように激しく責め立て、非常に厳しく苦しめております。」

世尊告曰：「婆私吒！彼諸梵志所說至惡，極自無賴。所以者何？謂彼愚癡，不善曉解，不識良田，不能自知，作如是說：『我等梵志是梵天子，從彼口生，梵梵所化。』所以者何？婆私吒！我此無上明、行、作證，不說生勝，不說種姓，不說憍慢：『彼可我意，不可我意，因坐因水，所學經書。』婆私吒！若有婚姻者，彼應說生，應說種姓，應說憍慢：『彼可我意，不可我意，因坐因水，所學經書。』婆私吒！若有計生、計姓、計慢者，彼極遠離於我無上明、行、作證。婆私吒！說生、說姓、說慢：『彼可我意，不可我意，因坐因水，所學經書』者，於我無上明、行、作證別。復次，婆私吒！謂有三種，令非一切人人共諍，雜善不善法，彼則為聖所稱不稱。云何為三？剎利種、梵志種、居士種。婆私吒！於意云何？剎利殺生，不與取、行邪婬、妄言乃至邪見，居士亦然；非梵志耶？」

> 世尊がおっしゃいました。「バーセッタよ、あのバラモンたちの言い分はひどく誤っており、まったくもって無分別である。なぜか。彼らは愚かで、正しく理解できず、善き田を知らず、自らを顧みず、こう言うのだ。『我々バラモンは梵天の子である。梵天の口から生まれ、梵天によって創造された』と。なぜか。バーセッタよ、私のこの無上の明・行・作証（智慧と実践と悟りの完成）においては、生まれの勝れ（生まれの優劣）を説かず、種姓を説かず、高慢を説かない。『あれは我が意にかなう、これは我が意にかなわぬ』とか、座ることや水、学んだ経典によるものではない。」 「バーセッタよ、もし婚姻（結婚の取り決め）があるならば、その場合こそ生まれを説き、種姓を説き、高慢を説くべきである。『あれは我が意にかなう、これは我が意にかなわぬ』と、座や水、学んだ経典によるものとして。バーセッタよ、生まれを計り、姓を計り、慢（おごり）を計る者たちは、私の無上の明・行・作証から極めて遠く離れている。バーセッタよ、生まれを説き、姓を説き、慢を説いて、『あれは我が意にかなう、これは我が意にかなわぬ』と、座や水、学んだ経典によるものとするならば、それは私の無上の明・行・作証とは別のものである。」 「さらに、バーセッタよ、三つの種類があって、すべての人々に争いをもたらし、善と不善の法が混ざり合っている。それらは聖者によって称賛されたり、称賛されなかったりする。その三つとは何か。クシャトリアの種、バラモンの種、ヴァイシャの種である。バーセッタよ、あなたはどう思うか。クシャトリアは殺生し、与えられずに取り、邪淫し、虚偽を語り、さらには邪見を抱く。ヴァイシャも同じである。バラモンはそうではないのだろうか。」

答曰：「世尊！剎利亦可殺生、不與取、行邪婬、妄言，乃至邪見，梵志、居士亦復如是。」

> お答えします。「世尊よ。クシャトリヤ（王族・武士階級）も、生き物を殺したり、与えられていないものを取ったり、不道徳な性行為をしたり、嘘をついたり、さらには誤った見解を持ったりすることがあります。バラモン（司祭階級）や一般の在家信者も、まったく同じです。」

世尊問曰：「婆私吒！於意云何？梵志離殺、斷殺、不與取、行邪婬、妄言，乃至離邪見，得正見；剎利、居士為不然耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「ヴァーセッタよ、どう思うか。バラモンが殺生を離れ、殺生を断ち、盗みを離れ、邪淫をせず、嘘をつかず、さらに邪見を離れて正見を得る。クシャトリアや一般の在家者には、そうではないと思うか？」

答曰：「世尊！梵志亦可離殺、斷殺、不與取、行邪婬、妄言，乃至離邪見得正見；剎利、居士亦復如是。」

> 答えよう。「世尊（せそん）よ。バラモンもまた、殺生を離れ、殺生を断ち、盗みを離れ、邪な淫らな行いを遠ざけ、偽りの言葉を避けること。更には、誤った見解を離れて正しい見解を得ることができます。クシャトリヤや在家の信者たちも、同じくそのようにできるのです。」 （現代語訳）答えてお答えします。「お大師様。バラモン階級の人々も、殺生をやめ、盗みをやめ、正しくない性的関係を持たず、嘘をつかず、誤った考えを捨てて正しい見解を持てるのです。また、武士階級や一般の人々も皆そうなのです。」

世尊問曰：「婆私吒！於意云何？若有無量惡不善法，是剎利、居士所行；非梵志耶？若有無量善法，是梵志所行；非剎利、居士耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「ヴァシスタよ、あなたはどう思いますか。もし無数の悪しき不善の法があり、それが武士や在家の人々の修行であり、バラモンの修行でないということがあり得るでしょうか。また、もし無数の善き法があり、それがバラモンの修行であり、武士や在家の人々の修行でないということがあり得るでしょうか。」

答曰：「世尊！若有無量惡不善法，彼剎利、居士亦可行，梵志亦復如是。若有無量善法，彼梵志亦可行，剎利、居士亦復如是。」

> 答え：世尊よ、たとえ無量の悪しき不善の法があっても、それを修行するのは王族や在家の者も同じであり、修行者もまた同じです。また、たとえ無量の善い法があっても、それを修行するのは修行者だけでなく、王族や在家の者もまた同じなのです。

「婆私吒！若有無量惡不善法，一向剎利、居士行，非梵志者。若有無量善法，一向梵志行，非剎利、居士者。彼諸梵志可作是說：『我等梵志是梵天子，從彼口生，梵梵所化。』所以者何？婆私吒！見梵志女始婚姻時，婚姻已後，見懷妊身時，懷妊身已後，見產生時，或童男，或童女。婆私吒！如是諸梵志亦如世法，隨產道生，然彼妄言𧩄謗梵天而作是說：『我等梵志是梵天子，從彼口生，梵梵所化。』

> 「ヴァーセッタよ、もし無数の悪しき不善の法があり、常に武士や在家の者たちが行い、修行者ではないならば。また、無数の善き法があり、常に修行者たちが行い、武士や在家の者たちではないならば。その場合、それらの修行者たちはこう言うことができるでしょう。『我々修行者は梵天の子であり、その口から生まれ、梵天によって創造されたのだ』と。しかし、それはなぜか？ ヴァーセッタよ、修行者の女性が結婚する時、結婚した後、妊娠している時、妊娠した後、出産する時を見なさい。男の子であったり、女の子であったりする。ヴァーセッタよ、このように修行者たちも世間の道理に従い、産道を通って生まれるのである。それにもかかわらず、彼らは妄語をもって梵天を謗り、こう言うのだ。『我々修行者は梵天の子であり、その口から生まれ、梵天によって創造されたのだ』と。」

「婆私吒！若族姓子、若干種姓、若干種名，捨若干族，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家，從我學道，應作是說：『我等梵志是梵天子，從彼口生，梵梵所化。』所以者何？婆私吒！彼族姓子入我正法、律中，受我正法、律，得至彼岸，斷疑度惑，無有猶豫，於世尊法得無所畏。是故彼應作是說：『我等梵志是梵天子，從彼口生，梵梵所化。』婆私吒！彼梵天者，是說如來、無所著、等正覺，梵是如來，冷是如來，無煩無熱，不離如者，是如來也。婆私吒！於意云何？諸釋下意愛敬至重，供養奉事於波斯匿拘娑羅王耶？」

> 「ヴァーセッタよ。様々な家系や名前を持つ良家の若者が、剃髪して袈裟をまとい、確かな信仰をもって家を捨てて家なき者となり、私のもとで教えを学ぶなら、こう言うべきである。『私たち梵志は梵天の子であり、その口から生まれ、梵天から生じ、梵天によって創造されたのだ』と。なぜか。ヴァーセッタよ。その良家の若者は、私の正しい教えと戒律に入り、それを受けて、彼岸に至り、疑いを断ち、迷いを超え、ためらうことなく、世尊の教えにおいて無畏を得るからである。それゆえ、彼はこう言うべきなのである。『私たち梵志は梵天の子であり、その口から生まれ、梵天から生じ、梵天によって創造されたのだ』と。ヴァーセッタよ。その梵天とは、如来、阿羅漢、正等覚者を指す。梵とは如来であり、清涼とは如来であり、煩悩も熱悩もなく、如実から離れない者こそが如来なのである。ヴァーセッタよ。あなたはどう思うか。釈迦族の人々は、下意して愛敬を極め、波斯匿・拘娑羅王に仕え奉仕しているではないか。」

彼則答曰：「如是。世尊！」

> 仏は「その通りだ」とお答えになった。

世尊問曰：「婆私吒！於意云何？若諸釋下意愛敬至重，供養奉事於波斯匿拘娑羅王，如是波斯匿拘娑羅王則於我身下意愛敬至重，供養奉事我耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「婆私吒よ、どう思うか。もし釈迦族の人々が心を低くして深く敬い、波斯匿王や拘娑羅王に供養し仕えるならば、そのように波斯匿王や拘娑羅王もまた、私に対して心を低くして深く敬い、供養し仕えるであろうか。」

答世尊曰：「諸釋下意愛敬至重，供養奉事於波斯匿拘娑羅王者，此無奇特。若波斯匿拘娑羅王下意愛敬至重，供養奉事於世尊者，此甚奇特。」

> お答えして申し上げます。「釈迦族が心から敬意を払い、深く敬愛し、供養しお仕えするのは、ポーラシカ王やコーサラ王に対してでありますが、これは特別なことではありません。もしポーラシカ王やコーサラ王が心から敬意を払い、深く敬愛し、供養しお仕えするのが世尊に対してでありましたならば、これはまことに特別なことでございます。」

世尊告曰：「婆私吒！波斯匿拘娑羅王不如是意，而於我身下意愛敬至重，供養奉事於我：『沙門瞿曇種族極高，我種族下。沙門瞿曇財寶甚多，我財寶少。沙門瞿曇形色至妙，我色不妙。沙門瞿曇有大威神，我威神小。沙門瞿曇有善智慧，我有惡智。』婆私吒！但波斯匿拘娑羅王愛敬於法，至重供養，為奉事故，而於我身下意愛敬至重，供養奉事於我。」

> 世尊はお告げになりました。「ヴァーセッタよ、コーサラ国のパセーナディ王は、『沙門ゴータマは極めて高貴な生まれであり、私は低い生まれである。沙門ゴータマは非常に多くの財宝を持ち、私は財宝が少ない。沙門ゴータマは見事な容姿を持ち、私は容姿に恵まれていない。沙門ゴータマは大いなる威力を有し、私は威力が小さい。沙門ゴータマは優れた智慧を持つが、私は智慧が乏しい』という理由で、私に対して敬意と親しみを深く示し、供養し、仕えているのではありません。ヴァーセッタよ、パセーナディ王が法（ダルマ）を敬愛し、それを最も大切に供養し、奉仕するがゆえに、私に対して深く敬意と親しみを示し、供養し、仕えているのです。」

爾時，世尊告比丘曰：「婆私吒！有時此世皆悉敗壞。此世壞時，若有眾生生晃昱天，彼於其中妙色意生，一切支節諸根具足，以喜為食，自身光明，昇於虛空，淨色久住。婆私吒！有時此大地滿其中水，彼大水上以風吹攪，結搆為精，合聚和合，猶如熟酪，以抨抨乳，結搆為精，合聚和合。如是，婆私吒！有時此大地滿其中水，彼大水上以風吹攪，結搆為精，合聚和合，從是生地味，有色香味。云何為色？猶如生酥及熟酥色。云何為味？如蜜丸味。

> ある時、世尊は比丘たちに告げられた。「バーラドヴァージャよ、時にこの世界はすべて壊れ去る。この世界が壊れる時、ある衆生は光輝く天に生まれる。彼らはそこで、美しい姿と意志によって生まれ、すべての器官と感覚を備え、喜びを食物とし、自ら光を放ち、虚空に昇り、清らかな姿で長く留まる。 バーラドヴァージャよ、時にこの大地は水で満たされる。その大水の上で風が吹き、かき混ぜられ、凝縮して精となり、集まり合わさる。それはちょうど、熟した酪をかき混ぜ、乳を攪拌して精を作り、集まり合わさるようなものだ。 そのように、バーラドヴァージャよ、時にこの大地は水で満たされる。その大水の上で風が吹き、かき混ぜられ、凝縮して精となり、集まり合わさり、そこから地味が生じる。それには色と香りと味がある。 その色はどのようなものか。生酥や熟酥の色のようである。その味はどのようなものか。蜜の丸のような味である。」

「婆私吒！有時此世還復成時，若有眾生生晃昱天，壽盡、業盡、福盡命終，生此為人，生此間已，妙色意生，一切支節諸根具足，以喜為食，自身光明，昇於虛空，淨色久住。婆私吒！爾時，世中無有日月，亦無星宿，無有晝夜，無月、半月，無時無歲。婆私吒！當爾之時，無父無母，無男無女，又無大家，復無奴婢，唯等眾生。於是，有一眾生貪餮不廉，便作是念：『云何地味？我寧可以指抄此地味嘗。』彼時，眾生便以指抄此地味嘗。如是，眾生既知地味，復欲得食。彼時，眾生復作是念：『何故以指食此地味，用自疲勞？我今寧可以手撮此地味食之。』彼時，眾生便以手撮此地味食。於彼眾生中復有眾生，見彼眾生各以手撮此地味食，便作是念：『此實為善，此實為快，我等寧可亦以手撮此地味食。』時，彼眾生即以手撮此地味食。若彼眾生以手撮此地味食已，如是如是，身生轉厚、轉重、轉堅，若彼本時有清淨色，於是便滅，自然生闇。婆私吒！世間之法，自然有是，若生闇者，必生日月，生日月已，便生星宿，生星宿已，便成晝夜，成晝夜已，便有月、半月，有時、有歲。彼食地味，住世久遠。

> 「ヴァーセッタよ。やがてこの世界が再び成立する時、ある衆生が光音天（こうおんてん）という天界に生まれます。寿命が尽き、善行の果報が尽き、福徳が尽きて命終すると、ここ人間に生まれます。この世に生まれた彼らは、見事な姿をしており、意念のままに存在し、あらゆる器官が完全に備わっています。喜びを食物とし、自ら光を放ち、虚空に昇り、清らかな姿で長く留まります。 ヴァーセッタよ。その時、世の中には月も日もなく、星宿もなく、昼も夜もなく、月や半月もなく、時も年もありませんでした。 ヴァーセッタよ。その当時には、父も母もなく、男も女もなく、また主人もなく、奴婢もありませんでした。ただ平等な衆生だけがいたのです。 そこで、一人の衆生が貪り深く節度がなく、こう考えました。『この大地の味とは何だろうか。私は指でこの大地の味をすくって味わってみよう。』そして、その衆生は指で大地の味をすくって味わいました。すると、その衆生は大地の味を知り、さらに食べたいと思うようになりました。 そこで、その衆生は再びこう考えました。『なぜ指で大地の味を食べて、自分を疲れさせようか。今こそ手でこの大地の味を握って食べよう。』そして、その衆生は手で大地の味を握って食べました。 その衆生の中にまた別の衆生がいて、彼らがそれぞれ手で大地の味を握って食べるのを見て、こう考えました。『これは実に良い、これは実に素晴らしい。私たちも手でこの大地の味を握って食べよう。』すると、その衆生も手で大地の味を握って食べました。 彼らが手で大地の味を握って食べると、そのようにして身体は次第に厚く、重く、固くなっていきました。かつて彼らが持っていた清らかな色は、そこで消え去り、自然に暗闇が生じました。 ヴァーセッタよ。世の法則として、自然にこのようなことがあります。暗闇が生じれば、必ず月と日が生まれます。月と日が生まれると、星宿が生まれます。星宿が生まれると、昼と夜が成立します。昼と夜が成立すると、月や半月があり、時や年があるようになります。彼らは大地の味を食べて、長い間この世に住み続けました。」

「婆私吒！若有眾生食地味多者，便生惡色，食地味少者，便有妙色，從是知色有勝有如，因色勝如故，眾生眾生共相輕慢言：『我色勝，汝色不如。』因色勝如而生輕慢及惡法故，地味便滅。地味滅已，彼眾生等便共聚集，極悲啼泣而作是語：『奈何地味？奈何地味？』猶如今人含消美物，不說本字，雖受持而不知義，此說觀義亦復如是。婆私吒！地味滅後，彼眾生生地肥，有色香味。云何為色？猶如生酥及熟酥色。云何為味？如蜜丸味。彼食此地肥，住世久遠。

> 「婆私吒よ。地の味を多く食べる者は、醜い容色になり、地の味を少なく食べる者は、美しい容色になりました。こうして容色に優劣が生じ、その優劣によって、互いに軽蔑し合い『私の容色は勝っている、あなたの容色は劣っている』と言うようになりました。このように容色の優劣から軽蔑や不善の心が生じたので、地の味は消え去りました。地の味が消えると、かの人々は集まって、ひどく嘆き悲しみ『ああ、地の味よ。ああ、地の味よ』と言いました。それはまるで、現代の人が美味しいものを口に含みながら、もとの言葉を知らず、ただ受け入れているだけでその意味を理解しないのと同じです。この譬えもまた、同じように解釈すべきものです。婆私吒よ。地の味が消えた後、人々の間に地の脂（じのあぶら）が生まれました。それには色と香りと味がありました。その色はどのようなものか。生酥（なまのバター）や熟酥（調理したバター）のような色でした。その味はどのようなものか。蜜のような甘い味でした。彼らはこの地の脂を食べて、長い間生き続けました。」

「婆私吒！若有眾生食地肥多者，便生惡色，食地肥少者，便有妙色，從是知色有勝有如，因色勝如故，眾生眾生共相輕慢言：『我色勝，汝色不如。』因色勝如而生輕慢及惡法故，地肥便滅。地肥滅已，彼眾生等便共聚集，極悲啼泣而作是語：『奈何地肥？奈何地肥？』猶如今人為他所嘖，不說本字，雖受持而不知義，此說觀義亦復如是。婆私吒！地肥滅後，彼眾生生婆羅，有色香味。云何為色？猶加曇華色。云何為味？如淖蜜丸味。彼食此婆羅，住世久遠。

> 婆悉咤（バシッタ）よ。地の肥えたるものを多く食べた衆生は、醜い姿となり、少なく食べた衆生は、美しい姿となった。ここから、姿に優劣があることが知られた。姿の優劣によって、衆生たちは互いに軽んじ、蔑み合い、「我が姿は勝れている。汝の姿は勝れていない」と言った。姿の優劣によって軽蔑や悪しき行いが生じたので、地の肥えは消え去った。地の肥えが消えると、彼らの衆生は集まり、激しく嘆き悲しみ、「ああ、地の肥えよ。ああ、地の肥えよ」と言った。これは、今の人々が他人に叱られて、本来の言葉を言わず、受け入れていながらその意味を知らないのと同じである。この説が示す意味もまた、同じである。婆悉咤よ。地の肥えが消えた後、彼らの衆生は婆羅（バラ）というものを生じた。これには色と香りと味があった。その色とは何か？それは加曇華（カドンゲ：アーコーカの花）のような色である。その味とは何か？それは蜜の固まりのような味である。彼らはこの婆羅を食べ、長くこの世に住んだ。

「婆私吒！若有眾生食婆羅多者，便生惡色，食婆羅少者，便有妙色，從是知色有勝有如，因色勝如故，眾生眾生共相輕慢言：『我色勝，汝色不如。』因色勝如而生輕慢及惡法故，婆羅便滅。婆羅滅已，彼眾生等便共聚集，極悲啼泣而作是語：『奈何婆羅？奈何婆羅？』猶如今人苦法所觸，不說本字，雖受持而不知義，此說觀義亦復如是。

> 婆私吒よ、ある衆生が婆羅多（バラモン）を多く受ければ容色が悪くなり、少なく受ければ妙なる容色を得る。こうして、その姿に優劣があることから、「私の色は勝れ、あなたの色は勝れていない」と互いに軽蔑し合うようになる。このように姿の優劣によって軽蔑や悪い行いが生じたので、婆羅は消え去った。婆羅が消え去ると、その衆生たちは集まって、ひどく泣き悲しみ、「ああ、婆羅よ！ああ、婆羅よ！」と言った。これは、今の人々が苦しいことに触れた時に、本来の言葉が分からず、それを唱えても意味を知らないのと同じである。ここで説く「観察する意味」もまた、このようなものである。

「婆私吒！婆羅滅後，彼眾生生自然粳米，白淨無皮，亦無有󰉕󱡐，長四寸，朝刈暮生，暮刈朝生，熟有鹽味，無有生氣。眾生食此自然粳米，如彼眾生食此自然粳米已，彼眾生等便生若干形，或有眾生而生男形，或有眾生而生女形。若彼眾生生男女形者，彼相見已，便作是語：『惡眾生生，惡眾生生。』

> 「婆私吒よ。梵天が滅び去った後、その人々には自然の粳米が生じました。白く清らかで皮がなく、またぬかや殻もなく、長さは四寸ありました。朝に刈っても夕方には生え、夕方に刈っても朝には生えるほどでした。炊けば塩味がして、腐ることもありませんでした。人々がこの自然の粳米を食べるようになると、やがて彼らには様々な姿が現れ始めました。ある者は男の姿を持ち、ある者は女の姿を持つようになりました。こうして男女の形が生まれると、彼らは互いに見合って、こう言いました。『なんと悪しき者が生まれた、なんと悪しき者が生まれたものだ』と。」

「婆私吒！惡眾生生者，謂說婦人也。若彼眾生生於男形及女形者，彼眾生等則更相伺，更相伺已，眼更相視，更相視已，則更相染，更相染已，便有煩熱，有煩熱已，便相愛著，相愛著已，便行於欲。若見行欲時，便以木石，或以杖塊而打擲之，便作是語：『咄！弊惡眾生作非法事。』云何眾生共作是耶？猶如今人迎新婦時，則以襆華散，或以華鬘垂，作如是言：『新婦安隱，新婦安隱。』本所可憎，今所可愛。婆私吒！若有眾生惡不淨法，憎惡羞恥，懷慚愧者，彼便離眾一日、二日，至六、七日，半月、一月，乃至一歲。婆私吒！若有眾生欲得行此不淨行者，彼便作家而作是說：『此中作惡，此中作惡。』婆私吒！是謂初因初緣世中起家法，舊第一智，如法、非不如法，如法人尊。

> 「婆私吒よ、『悪しき衆生』とは、女のことを言うのです。もし衆生が男の形や女の形に生まれると、彼らは互いに見合い、見合った結果、目で互いに見つめ合い、見つめ合った結果、互いに心が染まり、心が染まると、熱情が生じ、熱情が生じると、互いに執着し合い、執着し合った結果、欲望を遂げるようになります。欲望を遂げる様子を見ると、木や石、あるいは棒や土くれで打ち叩き、こう言います。『おい、この悪しき衆生よ、不法なことをするとは』と。どうして衆生が互いにこのようなことをするのでしょう。ちょうど今の人々が新しい嫁を迎える時、布の花を撒いたり、花の鬘を垂らしたりして、『新しい嫁よ、安らかに、新しい嫁よ、安らかに』と言うようなものです。本来は憎むべきものが、今は愛されるものとなっているのです。婆私吒よ、もし衆生の中に、不浄な法を悪み、嫌悪し恥じ、慚愧の心を持つ者がいれば、その者は一日、二日、あるいは六日、七日、半月、一月、さらには一年にわたって、人々から離れます。婆私吒よ、もし衆生の中に、この不浄な行いをしようと欲する者がいれば、その者は家を作り、こう言います。『ここで悪を行う、ここで悪を行う』と。婆私吒よ、これが世の中に家の制度が生まれた最初の因、最初の縁であり、古くからの第一の智慧であり、法に適い、法に適わないことなく、法に従う人々が尊ばれる所以なのです。」

「於中有一事懶惰眾生，便作是念：『我今何為日日常取自然粳米，我寧可并取一日食直耶？』彼便并取一日食米。於是，有一眾生語彼眾生曰：『眾生！汝來共行取米耶？』彼則答曰：『我已并取，汝自取去。』彼眾生聞已，便作是念：『此實為善，此實為快，我亦寧可并取明日所食米耶？』彼便并取明日米來。復有一眾生語彼眾生曰：『眾生！汝來共行取米耶？』彼則答曰：『我已并取明日米來，汝自取去。』彼眾生聞已，便作是念：『此實為善，此實為快，我今寧可并取七日食米來耶？』時，彼眾生即便并取七日米來。如彼眾生自然粳米極取積聚，彼宿粳米便生皮󰉕，刈至七日亦生皮󰉕，隨所刈處，即不復生。

> その中で、ある怠け者の衆生がこう考えました。「なぜ私は毎日毎日、自然に実る米を取りに行かねばならないのだろう。いっそ一度に一日分の米を取ってしまおう。」そして彼は一日分の米を一度に取りました。 すると、別の衆生がその彼に言いました。「友よ、一緒に米を取りに行こうではないか。」すると彼は答えました。「もう私は取り終えた。君は自分で行きなさい。」 それを聞いたその衆生はこう考えました。「これは実に良い、実に素晴らしい。私も明日食べる分の米を一度に取ってしまおう。」そして彼は明日の分の米を一度に取ってきました。 さらに別の衆生がその彼に言いました。「友よ、一緒に米を取りに行こうではないか。」すると彼は答えました。「もう私は明日の分の米を取ってきた。君は自分で行きなさい。」 それを聞いたその衆生はこう考えました。「これは実に良い、実に素晴らしい。私も七日分の米を一度に取ってしまおう。」そして彼は七日分の米を一度に取りました。 このように、衆生たちが自然に実る米をどんどん取りためるようになると、以前は自然に生えていた米に皮が生えるようになり、七日で刈り取るようになってもなお皮が生え、刈り取ったところには、もう米が生えなくなってしまいました。

「於是，彼眾生便共聚集，極悲啼泣，作如是語：『我等生惡不善之法，謂我曹等儲畜宿米。所以者何？我等本有妙色意生，一切支節諸根具足，以喜為食，自身光明，昇於虛空，淨色久住，我等生地味，有色香味。云何為色？猶如生酥及熟酥色。云何為味？如蜜丸味。我等食地味，住世久遠。我等若食地味多者，便生惡色，食地味少者，彼有妙色，從是知色有勝有如，因色勝如故，我等各各共相輕慢言：「我色勝，汝色不如。」因色勝如而生輕慢及惡法故，地味便滅，地味滅後，我等生地肥，有色香味。云何為色？猶如生酥及熟酥色。云何為味？如蜜丸味。我等食地肥，住世久遠。我等若食地肥多者，便生惡色，食地肥少者，便有妙色，從是知色有勝有如，因色勝如故，我等各各共相輕慢言：「我色勝，汝色不如。」因色勝如而生輕慢及惡法故，地肥便滅。地肥滅後，我等生婆羅，有色香味。云何為色？猶加曇華色。云何為味？如淖蜜丸味。我等食婆羅，住世久遠。我等若食婆羅多者，便生惡色，食婆羅少者，便有妙色，從是知色有勝有如，因色勝如故，我等各各共相輕慢言：「我色勝，汝色不如。」因色勝如而生輕慢及惡法故，婆羅便滅。婆羅滅後，我等生自然粳米，白淨無皮，亦無有󰉕󱡐，長四寸，朝刈暮生，暮刈朝生，熟有鹽味，無有生氣，我等食彼自然粳米，如我等自然粳米，極取積聚，彼宿粳米便生皮󰉕，刈至七日，亦生皮󰉕，隨所刈處，即不復生，我等寧可造作田種，立標牓耶？』

> そこで、その衆生たちは集まって、ひどく悲しみ嘆き、こう言いました。「私たちは悪く不善な法を生じてしまった。つまり、私たちは古い米を蓄えたのである。なぜかというと、私たちは元々素晴らしい色と意によって生まれ、すべての肢体や器官を完全に備え、喜びを食べ物とし、自身が光を放って虚空に昇り、清らかな色が長く保たれていた。そして、私たちは大地の味を生じ、それは色と香りと味を備えていた。その色とはどのようなものか。生酥や熟酥のような色である。その味とはどのようなものか。蜜の丸のような味である。私たちはその大地の味を食べて、長い間この世に住んでいた。ところが、大地の味を多く食べた者は悪い色を生じ、少なく食べた者は優れた色を持つようになった。それによって色に優劣があることが分かり、その優劣の違いから、私たちは互いに軽んじ侮って『私の色は勝っている。あなたの色は及ばない』と言った。この色の優劣によって軽んじ侮るという悪い法が生じたため、大地の味は消え去った。大地の味が消えた後、私たちは大地の肥えたものを生じ、それは色と香りと味を備えていた。その色とはどのようなものか。生酥や熟酥のような色である。その味とはどのようなものか。蜜の丸のような味である。私たちはその大地の肥えたものを食べて、長い間この世に住んでいた。ところが、それを多く食べた者は悪い色を生じ、少なく食べた者は優れた色を持つようになった。それによって色に優劣があることが分かり、その優劣の違いから、私たちは互いに軽んじ侮って『私の色は勝っている。あなたの色は及ばない』と言った。この色の優劣によって軽んじ侮るという悪い法が生じたため、大地の肥えたものは消え去った。大地の肥えたものが消えた後、私たちは婆羅（ある草本）を生じ、それは色と香りと味を備えていた。その色とはどのようなものか。曇華（うのはな）のようである。その味とはどのようなものか。生の蜜の丸のような味である。私たちはその婆羅を食べて、長い間この世に住んでいた。ところが、それを多く食べた者は悪い色を生じ、少なく食べた者は優れた色を持つようになった。それによって色に優劣があることが分かり、その優劣の違いから、私たちは互いに軽んじ侮って『私の色は勝っている。あなたの色は及ばない』と言った。この色の優劣によって軽んじ侮るという悪い法が生じたため、婆羅は消え去った。婆羅が消えた後、私たちは自然の粳米（うるちまい）を生じた。それは白く清らかで皮がなく、もみ殻もなく、長さは四寸、朝に刈れば夕方に生え、夕方に刈れば朝に生えた。熟すと塩味があり、生の気はなかった。私たちはその自然の粳米を食べた。そして、私たちはこの自然の粳米をたくさん取り集めて蓄えた。すると、その古い粳米には皮ともみ殻が生じ、刈り取って七日もすると、また皮ともみ殻が生じた。刈り取ったところは、二度と生えなくなった。それならば、私たちは田んぼを作って種をまき、標識を立てることにしようか」

「於是，眾生等造作田種，竪立標牓。於中有一眾生自有稻穀，而入他田竊取他稻，其主見已，便作是語：『咄！咄！弊惡眾生，云何作是？汝自有稻，而入他田竊取他稻。汝今可去，後莫復作。』然彼眾生復至再三竊取他稻，其主亦至再三見已，便以拳扠牽詣眾所，語彼眾曰：『此一眾生自有稻穀，而入我田竊取我稻。』然彼一眾生亦語眾曰：『此一眾生以拳扠我牽來詣眾。』

> そこで、人々は田畑を作り、目印を立てました。そんな中、ある人が自分の稲を持ちながら、他人の田んぼに入り、その稲を盗み取りました。それを見た持ち主がこう言いました。「おお、おお、なんと悪い人だ。どうしてそんなことをするのか。お前には自分の稲があるのに、他人の田んぼに入り、その稲を盗むとは。今すぐ立ち去れ。二度と繰り返してはならない。」 しかし、その人は再び、三度までも他人の稲を盗みました。持ち主も何度もそれを見て、ついに拳で打ち据え、その人を人の集まる場所へ連れて行き、皆に言いました。「この人は自分の稲があるのに、私の田んぼに入り、私の稲を盗みました。」そして、その盗んだ人も皆に言いました。「この人が私を拳で打ち、ここへ連れてきたのです。」

「於是，彼諸眾生共聚集會，極悲啼泣而作是語：『我等生惡不善之法，謂守田也。所以者何？因守田故，便共諍訟，有失有盡，有相道說，有拳相扠。我等寧可於其眾中舉一端正形色，極妙最第一者，立為田主，若可訶者，當令彼訶，若可擯者，當令彼擯，若我曹等所得稻穀，當以如法輸送與彼。』於是，彼眾生中，若有端正形色，極妙最第一者，眾便共舉，立為田主，若可訶者，彼便訶嘖，若可擯者，彼便擯棄，若有稻者，便以如法輸送與彼是田主。是田主謂之剎利也，令如法樂眾生，守護行戒是王，是王謂之王也。婆私吒！是謂初因初緣世中剎利種，舊第一智，如法、非不如法，如法人尊。

> そこで、人々は集まって、大いに嘆き悲しみながら言いました。「私たちは不善の法を生じさせてしまった。それは田んぼを守ることだ。なぜなら、田んぼを守ったことで争いが起こり、損害が生じ、非難し合い、殴り合いにまで発展したからだ。そこで私たちは、集まった者の中から、姿かたちが最も美しくすぐれた一人を選び、田主に立てよう。叱るべき者があれば彼に叱らせ、追放すべき者があれば彼に追放させよう。そして私たちが得た稲穀は、法に従って彼に納めよう。」 こうして、人々は姿かたちが最も美しくすぐれた者を選び、田主に立てました。叱るべき者があれば彼は叱り、追放すべき者があれば彼は追い払い、稲を得た者は法に従って彼に納めました。これが田主というものです。この田主こそが「刹利」（武士・王族）と呼ばれるのです。彼は法に従って人々を楽しませ、戒めを守って統治する王です。この王こそが「王」と呼ばれるのです。 婆私吒よ、これが世の中における刹利の種族の最初の因縁であり、古来の第一の智慧であり、法に適い、法に背かず、法を尊ぶ人々の始まりなのです。

「於是，彼異眾生以守為病，以守為癰，以守為箭刺，便棄捨守，依於無事，作草葉屋而學禪也。彼從無事，朝朝平旦入村邑王城而行乞食，彼多眾生見便施與，恭敬尊重，而作是語：『此異眾生以守為病，以守為癰，以守為箭刺，便棄捨守，依於無事，作草葉屋而學禪也。此諸尊捨害、惡不善法是梵志，是梵志謂之梵志也。』

> そこで、ある修行者は、「執着は病だ、執着は腫れ物だ、執着は矢傷だ」と考え、執着を捨て、何もしないことに頼り、草や葉で小屋を作って瞑想に励みました。彼は毎朝早く、村や町へ托鉢に出かけました。多くの人々は彼を見ると布施し、敬い、尊重して、こう言いました。「この修行者は、『執着は病だ、執着は腫れ物だ、執着は矢傷だ』と見て、執着を捨て、何もしないことに頼り、草や葉の小屋で瞑想している。この尊い方は、害を与えることや不善な行いを捨てた梵志（バラモン）だ。これこそが真の梵志と呼ばれる者だ。」と。

「彼眾生學禪不得禪，學苦行不得苦行，學遠離不得遠離，學一心不得一心，學精進不得精進，便捨無事，還村邑王城，作四柱屋，造立經書。彼多眾生見如是已，便不復施與、恭敬、尊重，而作是語：『此異眾生本以守為病，以守為癰，以守為箭刺，便棄捨守，依於無事，作草葉屋，而學於禪不能得禪，學苦行不得苦行，學遠離不得遠離，學一心不得一心，學精進不得精進，便捨無事，還村邑王城，作四柱屋，造立經書。此諸尊等更學博聞，不復學禪是博聞，是博聞謂之博聞。』婆私吒！是謂初因初緣世中有梵志種，舊第一智，如法、非不如法，如法人尊。

> かの修行者たちは、禅定を学んでも禅定を得られず、苦行を学んでも苦行を得られず、遠離を学んでも遠離を得られず、一心を学んでも一心を得られず、精進を学んでも精進を得られなかった。そこで彼らは無事の修行を捨て、村や都城に戻り、四本柱の家を建て、経典を編纂した。 多くの人々はこれを見て、もはや彼らに布施もせず、敬いも尊重もしなくなった。そしてこう言った。「これらの異なる修行者たちは、もともと修行を病とし、できものとし、矢の棘としていたのに、修行を捨てて無事に依り、草と葉の小屋を作って禅定を学んだが、禅定を得られず、苦行を学んでも苦行を得られず、遠離を学んでも遠離を得られず、一心を学んでも一心を得られず、精進を学んでも精進を得られなかった。そこで無事の修行を捨て、村や都城に戻り、四本柱の家を建て、経典を編纂した。これらの尊い方々はさらに博学を学び、もはや禅定を学ばなくなった。これこそが博学であり、博学とはこういうものだと言われている。」 婆私吒よ、これが世の中にバラモンという種族が生まれた最初の因緣であり、最初の智慧に基づく正しい方法であり、正しからざるものではなく、正しい方法に従う人々が尊敬される所以である。

「於是，彼異眾生各各詣諸方而作田業，是各各諸方而作田業，是各各諸方而作田業，謂之鞞舍。婆私吒！是謂初因初緣世中有鞞舍種，舊第一智，如法、非不如法，如法人尊。

> そこで、それぞれの衆生が方々に赴き、田畑を耕して生業を営みました。このように、それぞれが方々で田畑を耕し生業を営むことから、それを「ヴェッサ」（農民・商人の種族）と呼びます。ヴァーセッタよ、これが世の中にヴェッサという種族が生まれた最初の原因・最初の縁であり、古くからの第一の智慧であり、理法にかなったものであり、理法にかなわないものではありません。理法を尊ぶ人々によって確立されたものです。

「婆私吒，世中起此三種姓已，便知有第四沙門種也。云何世中有此三種姓已，便知有第四沙門種耶？於剎利族族姓之子，能自訶嘖惡不善法，自厭憎惡惡不善法，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道，而作是念：『我當作沙門，行於梵行。』便作沙門行於梵行。如是，梵志種族、鞞舍種族族姓之子，亦自訶嘖惡不善法，自厭憎惡惡不善法，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道，亦作是念：『我當作沙門，行於梵行。』便作沙門行於梵行。婆私吒！如是世中起此三種姓已，便知有第四沙門種也。

> 「バーセータよ、世の中にこれらの三つの種姓（階級）が生まれた後、人は第四の沙門（修行者）の種姓があることを知るのです。では、どのようにして世の中にこれらの三つの種姓が生まれた後に、第四の沙門の種姓があると知るのでしょうか。 クシャトリヤ（王族）の家系に生まれた子は、自ら悪い行いや善くない法を責め嫌い、それを厭い憎みます。そして髪や髭を剃り、袈裟衣をまとい、深い信仰心を持って家を捨て、家なき者となって道を学び、こう思います。『私は沙門となり、清らかな行い（梵行）を実践しよう』と。そして実際に沙門となり、清らかな行いを行います。 同じように、バラモン（司祭）の種族やヴァイシャ（平民）の種族の家系に生まれた子も、自ら悪い行いや善くない法を責め嫌い、それを厭い憎みます。そして髪や髭を剃り、袈裟衣をまとい、深い信仰心を持って家を捨て、家なき者となって道を学び、同じように思います。『私は沙門となり、清らかな行いを実践しよう』と。そして実際に沙門となり、清らかな行いを行います。 バーセータよ、このようにして世の中にこれらの三つの種姓が生まれた後、人は第四の沙門の種姓があることを知るのです。」

「婆私吒！我今廣說此三種姓。云何廣有此三種耶？剎利種族族姓之子，身行不善法，口、意行不善法，彼身壞命終，一向受苦。如是，梵志種族、鞞舍種族族姓之子，身行不善法，口、意行不善法，彼身壞命終，一向受苦。婆私吒！剎利種族族姓之子，身行善法，口、意行善法，彼身壞命終，一向受樂。如是，梵志種族、鞞舍種族族姓之子，身行善法，口、意行善法，彼身壞命終，一向受樂。婆私吒！剎利種族族姓之子，身行二行及與護行，口、意行二行及與護行，彼身壞命終，受於苦樂。如是，梵志種族、鞞舍種族族姓之子，身行二行及與護行，口、意行二行及與護行，彼身壞命終，受於苦樂。

> 「ヴァセッタよ、私は今、この三つの種姓（カースト）について詳しく説こう。どのようにしてこれら三つがあるのか？クシャトリヤの家系に生まれた者が、身体で不善を行い、言葉と心でも不善を行うなら、その者は命終わって後、一方的に苦を受ける。同様に、バラモンの家系、あるいはヴァイシャの家系に生まれた者でも、身体で不善を行い、言葉と心でも不善を行うなら、その者は命終わって後、一方的に苦を受ける。ヴァセッタよ、クシャトリヤの家系に生まれた者が、身体で善を行い、言葉と心でも善を行うなら、その者は命終わって後、一方的に楽を受ける。同様に、バラモンの家系、あるいはヴァイシャの家系に生まれた者でも、身体で善を行い、言葉と心でも善を行うなら、その者は命終わって後、一方的に楽を受ける。ヴァセッタよ、クシャトリヤの家系に生まれた者が、身体では善悪の両方の行いと、それを慎む行いを行い、言葉と心でも同様に善悪の両方の行いと慎む行いを行うなら、その者は命終わって後、苦楽を受ける。同様に、バラモンの家系、あるいはヴァイシャの家系に生まれた者でも、身体、言葉、心で善悪両方の行いとそれを慎む行いを行うなら、その者は命終わって後、苦楽を受ける。」

「婆私吒！剎利種族族姓之子，修七覺法，善思善觀，彼如是知、如是見，欲漏心解脫，有漏、無明漏心解脫，解脫已，便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。如是，梵志種族、鞞舍種族族姓之子，修七覺法，善思善觀，彼如是知、如是見，欲漏心解脫，有漏、無明漏心解脫，解脫已，便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。婆私吒！如是此三種廣分別也。梵天帝主說此偈曰：

> 婆私吒よ。クシャトリヤの家系に生まれた人でも、七つの覚りのための法を修め、よく考え、よく観察すれば、そのように知り、そのように見て、欲望の煩悩から心が解脱し、存在の煩悩、無明の煩悩から心が解脱します。解脱したならば、解脱したと知り、「生は尽きた。清らかな修行は完成した。なすべきことはなし遂げた。もはや再び迷いの世界に生まれることはない」と、あるがままに知ります。同様に、バラモンの家系、ヴァイシャの家系に生まれた人でも、七つの覚りのための法を修め、よく考え、よく観察すれば、そのように知り、そのように見て、欲望の煩悩から心が解脱し、存在の煩悩、無明の煩悩から心が解脱します。解脱したならば、解脱したと知り、「生は尽きた。清らかな修行は完成した。なすべきことはなし遂げた。もはや再び迷いの世界に生まれることはない」と、あるがままに知ります。 婆私吒よ。このように、これら三つの種類について広く説明されました。梵天の主は、この偈を説きました。

「『剎利二足尊， 謂有種族姓，求學明及行， 彼為天人稱。』

> 「王族こそ人々の中で最上であるが、 種族や家柄のみが尊いのではない。 学問と修行に励む者こそ、 天と人の称賛を受けるのである。」

「婆私吒！梵天帝主善說此偈，非不善也。善歌諷誦，非不善也。善詠語言，非不善也。謂如是說：

> 「ヴァーセッタよ、梵天帝主がこの偈をよく説いたのは、善くないことではない。よく歌い諷誦したのも、善くないことではない。よく言葉を詠み上げたのも、善くないことではない。すなわち、次のように説いている——」

「『剎利二足尊， 謂有種族姓，求學明及行， 彼為天人稱。』

> 「刹利（王族）は二足（人間）の尊とされる。それは種族や姓を持つからである。しかし、学問と実践（修行）に励む者は、天や人から称賛される。」

「所以者何？我亦如是說：

> なぜでしょうか？私も同じように説いています。

「『剎利二足尊， 謂有種族姓，求學明及行， 彼為天人稱。』」

> 「クシャトリア（王族）は二足の生き物のうちで最も尊いと言われる。 それは生まれや家系による。 しかし、学問と実践を兼ね備えた者こそ、 神々と人々から称賛されるのである。」

佛說如是。尊者婆私吒、婆羅婆等，及諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。婆羅婆堂經第三竟五千六十八字

> 仏様はこのようにお説きになりました。尊者婆私吒、婆羅婆たち、そして多くの比丘たちは、仏様のお説きを聞いて、喜び、それに従って修行しました。以上で婆羅婆堂経第三が終わります。