---
title: "中阿含經 · 160 阿蘭那經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma7j46zw04qvjl0aqs57u57q"
---

### （一六〇）中阿含梵志品阿蘭那經第九第四分別誦

> 中阿含 梵志品 阿蘭那経 第九<note>第四分別誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，諸比丘於中食後集坐講堂，論如是事：「諸賢！甚奇！甚奇！人命極少，要至後世，應作善事，應行梵行，生無不死。然今世人於法行、於義行、於善行、於妙行，無為無求。」

> その時、比丘たちは昼食の後に講堂に集まって、こう語り合っていた。「友よ、まことに不思議だ。まことに不思議だ。人の命は極めて短く、やがて来世へと向かうのだから、善い行いをし、清らかな行いを実践すべきだ。生ある者に死なない者はいない。しかし今の人々は、教えに従った行いも、義にかなった行いも、善い行いも、素晴らしい行いも、行わず求めもしない。」

彼時，世尊在晝行處，以淨天耳出過於人，聞諸比丘於中食後集坐講堂，論如是事：「諸賢！甚奇！甚奇！人命極少，要至後世，應作善事，應行梵行，生無不死。然今世人於法行、於義行、於善行、於妙行，無為無求。」

> その時、世尊は昼間の修行の場において、人間を超えた清らかな天耳で、比丘たちが昼食後に講堂に集まり、次のように論じているのをお聞きになりました。 「皆さん、なんと不思議なことでしょう。人の命は非常に短く、必ず来世があるのですから、善い行いをし、清らかな行いを修めるべきです。生まれたものに死なないものはありません。それなのに、今の人々は正しい教えや道理に従った行い、善行、素晴らしい行いを、せず、求めようともしません。」

世尊聞已，則於晡時從燕坐起，往詣講堂，在比丘眾前敷座而坐，問諸比丘：「汝論何事？以何等故集坐講堂？」

> 世尊はそれを聞かれると、夕方の休息から立ち上がり、講堂へ向かわれました。そして比丘たちの前に座を敷いてお座りになり、こう尋ねられました。「あなたたちは何について語り合っていたのか。どんな理由で講堂に集まっていたのだ。」

時，諸比丘白曰：「世尊！我等眾比丘於中食後集坐講堂，論如是事。『諸賢！甚奇！甚奇！人命極少，要至後世，應作善事，應行梵行，生無不死。然今世人於法行、於義行、於善行、於妙行，無為無求。』世尊！我等共論此事，以此事故集坐講堂。」

> その時、比丘たちがこう申し上げました。「世尊よ。私たち僧団の者たちは、昼食後の時間に講堂に集まって、このようなことを話し合っておりました。『皆さん、実に不思議なことです。実に不思議なことです。人の命は極めて短く、必ず来世があるのですから、善い行いをし、清らかな修行をすべきです。生まれた者で死なない者はありません。それなのに、今の人々は、真理にかなった行いにも、義にかなった行いにも、善い行いにも、素晴らしい行いにも、何も努めようとせず、求めようともしません。』世尊よ。私たちはこのことを共に話し合っておりました。そのために講堂に集まって座っていたのです。」

世尊歎曰：「善哉！善哉！比丘！謂汝作是說：『諸賢！甚奇！甚奇！人命極少，要至後世，應作善事，應行梵行，生無不死。然今世人於法行、於義行、於善行、於妙行，無為無求。』所以者何？我亦如是說：『甚奇！甚奇！人命極少，要至後世，應作善事，應行梵行，生無不死。然今世人於法行、於義行、於善行、於妙行，無為無求。』所以者何？乃過去世時，有眾生壽八萬歲，比丘！人壽八萬歲時，此閻浮洲極大豐樂，饒財珍寶，村邑相近，如鷄一飛。比丘！人壽八萬歲時，女年五百乃當出嫁。比丘！人壽八萬歲時，唯有如是病，謂寒、熱、大小便、欲、不食、老，更無餘患。

> 世尊は称賛しておっしゃった。「素晴らしい、素晴らしい。比丘よ、あなたはこう言ったのだね。『皆さん、実に不思議なことです。実に不思議なことです。人の命は非常に短く、やがて来世へと向かいます。ゆえに善い行いをし、清らかな修行をすべきです。生まれた者で死なない者はありません。それなのに、今の人々は教えに従った行い、正しい道理にかなった行い、善い行い、素晴らしい行いをしようとせず、努めようともしません。』と。なぜそう言うのか。私もまた、同じように説いているからです。『実に不思議なことです。実に不思議なことです。人の命は非常に短く、やがて来世へと向かいます。ゆえに善い行いをし、清らかな修行をすべきです。生まれた者で死なない者はありません。それなのに、今の人々は教えに従った行い、正しい道理にかなった行い、善い行い、素晴らしい行いをしようとせず、努めようともしません。』と。なぜそう言うのか。それは、過去の時代に、人々の寿命が八万年であった時があったからです。比丘よ、人の寿命が八万年であった時、この閻浮洲（人間界）は非常に豊かで楽しく、財宝も豊かで、村々は鶏がひと飛びするほど近くにありました。比丘よ、人の寿命が八万年であった時、女性は五百歳になってようやく嫁ぎました。比丘よ、人の寿命が八万年であった時、病気といえば、寒さ、暑さ、大小便、欲、食欲不振、老化だけで、他の悩みはありませんでした。」

「比丘！人壽八萬歲時，有王名拘牢婆，為轉輪王，聰明智慧，有四種軍，整御天下，由己自在，如法法王成就七寶。彼七寶者，輪寶、象寶、馬寶、珠寶、女寶、居士寶、主兵臣寶，是謂為七。千子具足，顏貌端正，勇猛無畏，能伏他眾，必當統領此一切地，乃至大海，不以刀杖，以法教令，令得安隱。

> 比丘たちよ、人の寿命が八万歳の時、拘牢婆（クラウバ）という名の王がいました。彼は転輪聖王であり、すぐれた智慧を持ち、四種の軍勢を備え、天下を自在に統治し、正法に従う法王として七宝を成就していました。その七宝とは、輪宝、象宝、馬宝、宝玉、女宝、居士宝、そして主兵臣宝です。また、千人の王子たちがいました。皆、顔かたちが整い、勇猛で恐れるところがなく、他の者たちを従わせ、この地のすべてを支配し、大海に至るまで、刀や杖を用いることなく、法によって教え示し、人々を安らかに導きました。

「比丘！拘牢婆王有梵志，名阿蘭那大長者，為父母所舉，受生清淨，乃至七世父母不絕種族，生生無惡博聞總持，誦過四典經，深達因、緣、正、文、戲五句說。比丘！梵志阿蘭那有無量百千摩納磨，梵志阿蘭那為無量百千摩納磨住一無事處，教學經書。

> 「比丘よ、拘牢婆王のもとにアーラナという名の大長者のバラモンがいました。彼は父母に育てられ、生まれながらにして清らかであり、七代にわたる父母の家系が絶えることなく、生まれつき悪がなく、広く学問を修め、四つの経典を暗誦し、因・縁・正・文・戯の五つの句の説法について深く悟っていました。比丘よ、そのバラモン・アーラナには数え切れないほどの弟子（若きバラモンたち）がいました。アーラナは彼らのために、静かな場所に住み、経典を教え学ばせました。」

「爾時，梵志阿蘭那獨住靜處，燕坐思惟，心作是念：『甚奇！甚奇！人命極少，要至後世，應作善事，應行梵行，生無不死。然今世人於法行、於義行、於善行、於妙行，無為無求。我寧可剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。』於是，梵志阿蘭那往至若干國眾多摩納磨所，而語彼曰：『諸摩納磨！我獨住靜處，燕坐思惟，心作是念：「甚奇！甚奇！人命極少，要至後世，應作善事，應行梵行，生無不死；然今世人於法行、於義行、於善行、於妙行，無為無求。我今寧可剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。諸摩納磨！我今欲剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。」汝等當作何等？』

> ある時、修行者アラナは一人で静かな場所に留まり、坐禅を組んで考えました。その心にこう思い浮かびました。「なんと不思議なことか、なんと不思議なことか。人の命は極めて短い。必ず来世があるのだから、善い行いをし、清らかな修行をすべきだ。生まれた者は誰も死を免れない。それなのに、今の人々は真理の道、意義ある行い、善い行い、素晴らしい行いに対して、何もしようとせず、求めようともしない。私はむしろ、髪やひげを剃り、袈裟をまとい、深い信頼をもって家を捨て、家庭のない修行者として学びの道に入ろう」。 そこで、修行者アラナは多くの国々にいる多数の若者たちのところへ行き、彼らにこう語りかけました。「諸君、私は一人で静かな場所に留まり、坐禅を組んで考えました。心にこう思い浮かんだのです。『なんと不思議なことか、なんと不思議なことか。人の命は極めて短い。必ず来世があるのだから、善い行いをし、清らかな修行をすべきだ。生まれた者は誰も死を免れない。それなのに、今の人々は真理の道、意義ある行い、善い行い、素晴らしい行いに対して、何もしようとせず、求めようともしない。私は今、髪やひげを剃り、袈裟をまとい、深い信頼をもって家を捨て、家庭のない修行者として学びの道に入ろう』。諸君は、どのようになさいますか？」

「彼若干國眾多摩納磨白曰：『尊師！我等所知，皆蒙師恩。若尊師剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道者，我等亦當剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家，從彼尊師出家學道。』於是，梵志阿蘭那則於後時剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道；彼若干國眾多摩納磨亦剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家，從彼尊師梵志阿蘭那出家學道。是為尊師阿蘭那，是為尊師阿蘭那弟子名號生也。

> そこで、その多くの国のバラモンの青年たちは言いました。 「尊師よ。私たちが知っていることはすべて、尊師の教えによるものです。 もし尊師が、髪やひげを剃り、袈裟を着て、信仰に生き、家を捨てて、家なき者として道を学ばれるなら、 私たちもまた、髪やひげを剃り、袈裟を着て、信仰に生き、家を捨て、家なき者となり、尊師のもとで出家して道を学びましょう。」 そこで、バラモンのアランナは、その後、髪やひげを剃り、袈裟を着て、信仰に生き、家を捨て、家なき者として道を学びました。 そして、その多くの国のバラモンの青年たちもまた、髪やひげを剃り、袈裟を着て、信仰に生き、家を捨て、家なき者となり、その尊師バラモンのアランナのもとで出家し、道を学びました。 このようにして、「尊師アランナ」「尊師アランナの弟子たち」という名が生まれたのです。

「爾時，尊師阿蘭那為弟子說法：『諸摩納磨！甚奇！甚奇！人命極少，要至後世，應作善事，應行梵行，生無不死。然今世人於法行、於義行、於善行、於妙行，無為無求。』爾時，尊師阿蘭那為弟子說法：『諸摩納磨！甚奇！甚奇！人命極少，要至後世，應作善事，應行梵行，生無不死。然今世人於法行、於義行、於善行、於妙行，無為無求。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。

> そのとき、尊師アランナは弟子たちにこう説きました。 「諸君よ、実に驚くべきことだ。人の命は極めて短い。来世に向けて、善い行いをし、清らかな修行をせねばならない。生まれたものは皆、必ず死ぬのだ。それなのに、今の人々は、真理に従った行いや、意義ある行い、善い行い、素晴らしい行いを、行わず、求めようともしない。」 尊師アランナはこのように弟子たちに説法されたのである。

「復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！猶如朝露渧在草上，日出則消，暫有不久。如是，摩納磨！人命如朝露，甚為難得，至少少味，大苦災患，災患甚多。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！猶大雨時，渧水成泡，或生或滅。如是，摩納磨！人命如泡，甚為難得，至少少味，大苦災患，災患甚多。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！猶如以杖投著水中，還出至速。如是，摩納磨！人命如杖，投水出速，甚為難得，至少少味，大苦災患，災患甚多。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。

> さらに、師であるアラナは弟子たちにこう説きました。「若者よ。ちょうど朝露が草の上に置かれ、太陽が昇れば消え去り、ほんの一時しかないように、人の命もまた、はかなく貴重であり、味わう楽しみは少なく、苦しみや災いが非常に多いのだ。」と。師アラナはこのように弟子たちに説きました。 さらに、師であるアラナは弟子たちにこう説きました。「若者よ。ちょうど大雨のときに水に浮かぶ泡が、生まれては消えていくように、人の命もまた、泡のように移ろいやすく、貴重であり、味わう楽しみは少なく、苦しみや災いが非常に多いのだ。」と。師アラナはこのように弟子たちに説きました。 さらに、師であるアラナは弟子たちにこう説きました。「若者よ。ちょうど棒を水の中に投げ込むと、すぐに浮かび上がってくるように、人の命もまた、棒のように短く、すぐに過ぎ去り、貴重であり、味わう楽しみは少なく、苦しみや災いが非常に多いのだ。」と。師アラナはこのように弟子たちに説きました。

「復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！猶新瓦杅，投水即出，著風熱中，乾燥至速。如是，摩納磨！人命如新瓦杅，水漬速燥，甚為難得，至少少味，大苦災患，災患甚多。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！猶如小段肉著大釜水中，下熾然火，速得消盡。如是，摩納磨！人命如肉消，甚為難得，至少少味，大苦災患，災患甚多。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！猶縛賊送至標下殺，隨其舉足，步步趣死，步步趣命盡。如是，摩納磨！人命如賊，縛送標下殺，甚為難得，至少少味，大苦災患，災患甚多。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。

> 師匠アーラーナは、弟子たちにこう説かれました。 「若者たちよ。例えば、新しい土の器を水に浸してすぐに取り出し、風と暑さにさらすと、とても速く乾く。それと同じように、人の命は新しい土の器のように、水に濡れてはすぐに乾いてしまう。得難く、ほんのわずかな味わいしかなく、大きな苦しみと多くの災いに満ちているのだ。」 このように師匠アーラーナは説かれました。 また、師匠アーラーナはこうも説かれました。 「若者たちよ。例えば、小さな肉片を大きな釜の水の中に入れ、下から強い火で炊くと、すぐに溶けてなくなる。それと同じように、人の命はその肉が溶け消えるようにはかない。得難く、ほんのわずかな味わいしかなく、大きな苦しみと多くの災いに満ちているのだ。」 このように師匠アーラーナは説かれました。 さらに、師匠アーラーナはこう説かれました。 「若者たちよ。例えば、縛られた罪人が刑場の杭のもとに連れて行かれ、一歩一歩進むごとに、確実に死に近づき、命の終わりへと向かう。それと同じように、人の命はその罪人のようにはかない。得難く、ほんのわずかな味わいしかなく、大きな苦しみと多くの災いに満ちているのだ。」 このように師匠アーラーナは説かれました。

「復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！猶如屠兒牽牛殺之，隨其舉足，步步趣死，步步趣命盡。如是，摩納磨！人命如牽牛殺，甚為難得，至少少味，大苦災患，災患甚多。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納摩！猶如機織，隨其行緯，近成近訖。如是，摩納磨！人命如機織訖，甚為難得，至少少味，大苦災患，災患甚多。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！猶如山水，瀑涱流疾，多有所漂，水流速駃，無須臾停。如是，摩納磨！人壽行速，去無一時住。如是，摩納磨！人命如駃水流，甚為難得，至少少味，大苦災患，災患甚多。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。

> また、尊師アランナは弟子たちにこう説かれました。 「若者たちよ。ちょうど屠り人が牛を引いて殺すとき、その一歩ごとに死に近づき、命が尽きていくように、人の命もまた、屠られる牛のごとく、得難く、ほんのわずかな味わい、大きな苦しみと災い、数々の災いに満ちているのだ。」 このように尊師アランナは弟子たちに説かれました。 さらに、尊師アランナは弟子たちにこう説かれました。 「若者たちよ。ちょうど機織りが、横糸を進めるごとに、仕上がりに近づき、ついには終わるように、人の命もまた、織り終わる布のごとく、得難く、ほんのわずかな味わい、大きな苦しみと災い、数々の災いに満ちているのだ。」 このように尊師アランナは弟子たちに説かれました。 さらに、尊師アランナは弟子たちにこう説かれました。 「若者たちよ。ちょうど山からの大水が、激しく流れ、多くのものを押し流し、一刻の滞りもなく速やかに進むように、人の寿命もまた速やかに過ぎ去り、とどまることは一瞬もない。このように、人の命は激しい水流のごとく、得難く、ほんのわずかな味わい、大きな苦しみと災い、数々の災いに満ちているのだ。」 このように尊師アランナは弟子たちに説かれました。

「復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！猶如夜闇以杖投地，或下頭墮地，或上頭墮地，或復臥墮，或墮淨處，或墮不淨處。如是，摩納磨！眾生為無明所覆，為愛所繫，或生泥犁，或生畜生，或生餓鬼，或生天上，或生人間。如是，摩納磨！人命如闇杖投地，甚為難得，至少少味，大苦災患，災患甚多。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。

> また、尊師アーラナは弟子たちにこう説かれました。 「若者よ。暗闇の中で杖を地面に投げると、その先が下を向いて落ちることもあれば、上を向いて落ちることもある。また、横倒しに落ちることもあり、清らかな場所に落ちることも、汚れた場所に落ちることもある。まさにそのように、若者よ。人々は無明に覆われ、愛執に縛られて、地獄に生まれることもあり、畜生に生まれることもあり、餓鬼に生まれることもあり、天に生まれることもあり、あるいは人間に生まれることもある。それゆえ、若者よ。人の命は、暗闇に投げられた杖のようなものであり、得難く、わずかな味わいしかなく、大きな苦しみと災いに満ちている。災いが実に多いのである。」 このように尊師アーラナは弟子たちに法を説かれた。

「復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！我於世斷除貪伺，心無有諍，見他財物諸生活具，不起貪伺，欲令我得，我於貪伺淨除其心。如是瞋恚、睡眠、調悔，我於世斷疑度惑。於諸善法無有猶豫，我於疑惑淨除其心。摩納磨！汝等於世亦當斷除貪伺，心無有諍，見他財物諸生活具，不起貪伺，欲令我得，汝於貪伺淨除其心。如是瞋恚、睡眠、調悔，汝於世斷疑度惑，於諸善法無有猶豫。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。

> 「また、尊師アーラーナは弟子たちにこう説かれました。『若者たちよ、私は世の中において貪りの心を断ち、争いのない心を持ちました。他人の财物や生活の道具を見ても、「それを我が物にしたい」という貪りの心を起こさず、貪りの心を清らかにしました。また、怒り、眠気、軽蔑や後悔についても同様です。私は世の中において疑いを断ち、迷いを超えました。あらゆる善いことに対して迷うことなく、疑惑の心を清らかにしました。若者たちよ、あなたがたも世の中で貪りの心を断ち、争いのない心を持ちなさい。他人の财物や生活の道具を見ても、「それを我が物にしたい」という貪りの心を起こさず、貪りの心を清らかにしなさい。また、怒り、眠気、軽蔑や後悔についても同様です。あなたがたも世の中で疑いを断ち、迷いを超え、あらゆる善いことに対して迷いのない心を持ちなさい。』このように尊師アーラーナは弟子たちに説法されました。」

「復次，尊師阿蘭那為弟子說法：『摩納磨！我心與慈俱，遍滿一方成就遊。如是二三四方、四維上下，普周一切，心與慈俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。如是悲、喜心與捨俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。摩納磨！汝等亦當心與慈俱，遍滿一方成就遊。如是二三四方、四維上下，普周一切，心與慈俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。如是悲、喜心與捨俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。』如是尊師阿蘭那為弟子說法。

> さらに、尊師アーラーナは弟子たちにこう説かれました。 「善良な若者たちよ。私の心は慈しみの想いと共にあり、第一の方向、第二、第三、第四の方向、そして上下、全方位にわたって、すべてを満たしてとどまります。その慈しみの心は、わだかまりもなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、限りなく広く大きく、無量の善き心を修め、一切の世間を満たしてとどまります。同様に、悲しみの心、喜びの心、そして捨て置く心もまた、わだかまりもなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、限りなく広く大きく、無量の善き心を修め、一切の世間を満たしてとどまります。 善良な若者たちよ。あなたがたもまた、慈しみの想いを心に抱き、第一の方向、第二、第三、第四の方向、そして上下、全方位にわたって、すべてを満たしてとどまりなさい。その慈しみの心は、わだかまりもなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、限りなく広く大きく、無量の善き心を修め、一切の世間を満たしてとどまりなさい。同様に、悲しみの心、喜びの心、そして捨て置く心もまた、わだかまりもなく、恨みもなく、怒りもなく、争いもなく、限りなく広く大きく、無量の善き心を修め、一切の世間を満たしてとどまりなさい。」 このように尊師アーラーナは弟子たちに説法されたのです。

「復次，尊師阿蘭那為弟子說梵世法：『若尊師阿蘭那為說梵世法時，諸弟子等有不具足奉行法者，彼命終已，或生四王天，或生三十三天，或生㷿摩天，或生兜瑟哆天，或生化樂天，或生他化樂天。若尊師阿蘭那為說梵世法時，諸弟子等設有具足奉行法者，修四梵室，捨離於欲，彼命終已，得生梵天。』爾時，尊師阿蘭那而作是念：『我不應與弟子等同，俱至後世共生一處，我今寧可更修增上慈，修增上慈已，命終得生晃昱天中。』尊師阿蘭那則於後時更修增上慈，修增上慈已，命終得生晃昱天中。尊師阿蘭那及諸弟子學道不虛，得大果報。

> また、尊師アラナは弟子たちに梵世の法を説かれました。「尊師アラナが梵世の法を説かれた時、弟子たちの中でその教えを完全に実践しなかった者は、命を終えた後、四王天、三十三天、焔摩天、兜率天、化楽天、他化自在天のいずれかに生まれ変わります。一方、尊師アラナが梵世の法を説かれた時、弟子たちの中でその教えを完全に実践し、四つの梵住を修め、欲望を捨てた者は、命を終えた後、梵天に生まれ変わります。」その時、尊師アラナはこう考えました。「私は弟子たちと同じ境遇で、後世に共に同じ場所に生まれるべきではない。今こそ、さらに増上慈を修めよう。増上慈を修め終えたなら、命を終えた後、晃昱天に生まれ変わろう。」尊師アラナはその後、増上慈をさらに修め、それを完成させた後、命を終えて晃昱天に生まれ変わりました。尊師アラナとその弟子たちは、修行を無駄にすることなく、大きな果報を得たのです。

「比丘！於意云何？昔時尊師阿蘭那者謂異人耶？莫作斯念。所以者何？比丘，當知即是我也。我於爾時名尊師阿蘭那，我於爾時有無量百千弟子，我於爾時為諸弟子說梵世法。

> 「比丘たちよ、どう思うか。かつての師匠アランナは、他人だったのだろうか。そう考えてはならない。なぜなら、比丘たちよ、知っておくがよい。彼こそが、わたしなのである。その時、わたしは師匠アランナと呼ばれ、無数の弟子たちを抱えていた。そして、その弟子たちに梵天界に至る教えを説いていたのである。」

「我說梵世法時，諸弟子等有不具足奉行法者，彼命終已，或生四王天，或生三十三天，或生㷿摩天，或生兜瑟哆天，或生化樂天，或生他化樂天。我說梵世法時，諸弟子等設有具足奉行法者，修四梵室，捨離於欲，彼命終已，得生梵天。我於爾時而作是念：『我不應與弟子等同，俱至後世共生一處，我今寧可更修增上慈。』修增上慈已，命終得生晃昱天中。我於後時更修增上慈，修增上慈已，命終得生晃昱天中，我於爾時及諸弟子學道不虛，得大果報。

> 私が梵世の法を説いた時、弟子たちの中には、その教えを完全に修行しなかった者もいました。そうした者は、命終わった後に、四王天、三十三天、㷿摩天、兜瑟哆天、化楽天、他化楽天に生まれることもありました。 また、私が梵世の法を説いた時、弟子たちの中には、教えを完全に修行し、四梵室を修めて欲望を捨て去った者たちもいました。そうした者は、命終わった後に梵天に生まれました。 その時、私はこう考えました。 「私は弟子たちと同等であってはならない。共に後の世で同じところに生まれるのを避け、さらに増上の慈しみを修行しよう。」 こうして増上の慈しみを修行した後、命終わって晃昱天に生まれました。 私はその後さらに増上の慈しみを修行し、晃昱天に生まれました。 その時、私も弟子たちも、道の学びは虚しくなく、大きな果報を得たのです。

「我於爾時自饒益，亦饒益他，饒益多人，愍傷世間，為天為人求義及饒益，求安隱快樂。我於爾時說法不至究竟，不究竟白淨、不究竟梵行、不究竟梵行訖。我於爾時不離生老病死、啼哭憂慼，亦未能得脫一切苦。比丘！我今出世，如來、無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、眾祐。我今自饒益，亦饒益他，饒益多人，愍傷世間，為天為人求義及饒益，求安隱快樂。我今說法得至究竟，究竟白淨、究竟梵行、究竟梵行訖。我今已離生老病死、啼哭憂慼，我今已得脫一切苦。

> その当時、私は自分自身の利益となり、また他者の利益となり、多くの人々の利益となった。世の中を哀れみ、天と人のために真実の意義と利益をもとめ、安らぎと幸福をもとめた。しかし、その当時に私が説いた教えは、まだ完全なものではなかった。完全な清らかさ、完全な清らかな行い、完全な清らかな行いの完成には至っていなかった。そのため、私はまだ生・老・病・死、嘆き悲しみ、そして憂い苦しみから離れておらず、すべての苦しみを脱することもできなかったのだ。 比丘たちよ、しかし今、私はこの世に現れた。如来であり、執着せず、正しく目覚め、明らかな智慧と行いをそなえ、善く逝き、世間を理解し、最上の調御者であり、天と人の師であり、仏陀、世の尊と称される者である。 今、私は自らの利益となり、また他者の利益となり、多くの人々の利益となっている。世の中を哀れみ、天と人のために真実の意義と利益をもとめ、安らぎと幸福をもとめている。そして今、私が説く教えは完全なものとなった。完全な清らかさ、完全な清らかな行い、完全な清らかな行いの完成に至っている。今、私はすでに生・老・病・死、嘆き悲しみ、憂い苦しみから離れ、すべての苦しみを脱することができたのである。

「比丘！若有正說者：『人命極少，要至後世，應行善事，應行梵行，生無不死。』比丘，今是正說。所以者何？今若有長壽，遠至百歲，或復小過者。若有長壽者，命存三百時，春時百、夏時百、冬時百，是命存千二百月，春四百、夏四百、冬四百，命存千二百月者，命存二千四百半月，春八百、夏八百、冬八百，命存二千四百半月者，三萬六千晝夜，春萬二千、夏萬二千、冬萬二千，命存三萬六千晝夜者，七萬二千食，及障礙及母乳。於有障礙，苦不食，瞋不食，病不食，有事不食，行來不食，至王間不食，齋日不食，不得者不食，是謂比丘一百歲命存百歲數、時數、歲時數、月數、半月數、月半月數、晝數、夜數、晝夜數、食數、障礙數、食障礙數。

> 「比丘たちよ、もし誰かが『人間の命は実に短い。来世のために善い行いをし、清らかな修行をすべきである。生まれた者は皆、死を免れない』と正しく説くならば、それが正しい言葉である。なぜなら、仮に長寿の者がいて、百歳まで生きるか、あるいはそれを少し超えたとしてもだ。 その長寿の者の命が三百の季節（時）にわたるとしよう。春に百、夏に百、冬に百、これで千二百の月となる。春四百、夏四百、冬四百、これが千二百月である。さらに千二百月の命は二千四百の半月となる。春八百、夏八百、冬八百、これが二千四百半月である。さらに二千四百半月の命は三万六千の昼夜となる。春一万二千、夏一万二千、冬一万二千、これが三万六千昼夜である。さらに三万六千昼夜の命は七万二千の食事の機会となる。ただし、そこには妨害や母乳による食事も含まれる。 妨害には、苦しんで食べられない時、怒って食べられない時、病気で食べられない時、用事があって食べられない時、旅先で食べられない時、王の元に召されて食べられない時、斎日で食べられない時、食べ物が得られず食べられない時がある。これが、比丘たちよ、百歳の命を持つ者が生きる百という年数の数、季節の数、年月の数、月の数、半月の数、昼夜の数、食事の機会の数、妨害の数、そして食事と妨害の数である。」

「比丘！若有尊師所為弟子起大慈哀，憐念愍傷，求義及饒益，求安隱快樂者，我今已作。汝亦當復作，至無事處、山林樹下、空安靜處，燕坐思惟，勿得放逸，懃加精進，莫令後悔。此是我之教勅，是我訓誨。」

> 比丘たちよ、もしも師が弟子に対して大きな慈しみと哀れみの心を起こし、その義と利益を求め、安らぎと幸せを願うならば、私はすでにその務めを果たしました。あなた方もまた、同じように努めなさい。何事もない場所、山や林の中、静かな空き地で、静かに座って心を整え、怠ることなく、熱心に精進しなさい。後悔することがないように。これが私の教えであり、私の訓戒である。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

阿蘭那經第九竟三千二百九十一字

> アーラニヤ経 第九 終わり<note>三千二百九十一字</note>

## 中阿含經卷第四十七千三百七十三字第四分別誦

> 中阿含経 第四十巻<note>七千三百七十三字</note><note>第四分別誦</note>