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title: "中阿含經 · 164 分別觀法經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一六四）中阿含根本分別品分別觀法經第三第四分別誦

> （一六四）中阿含根本分別品分別観法経第三<note>第四分別誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「我當為汝說法，初妙、中妙、竟亦妙，有義有文，具足清淨，顯現梵行，謂分別觀法經。諦聽，諦聽，善思念之。」

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。「あなた方に教えを説きましょう。その教えは、初めも素晴らしく、中も素晴らしく、終わりもまた素晴らしいものです。意味も言葉も整い、清らかであり、完全な修行の道（梵行）を明らかに示すものです。これを『分別観法経』といいます。しっかりと聞き、よく心に留めて、深く考えなさい。」

時，諸比丘白曰：「世尊！唯當受教。」

> そのとき、僧侶たちは申し上げました。「尊き方よ、どうか私たちにお教えくださいませ。」

佛言：「比丘！如是如是觀，如汝觀已，比丘！心出外灑散，心不住內，不受而恐怖。比丘！如是如是觀，如汝觀已，比丘！心不出外不灑散，心住內，不受不恐怖，如是不復生、老、病、死，是說苦邊。」佛說如是已即從坐起，入室燕坐。

> 釈迦は言われた。「比丘よ、そのように見なさい。あなたが見た通りに、比丘よ、心が外に逃れ散り、内に留まらず、執着せずして恐怖するのです。比丘よ、そのように見なさい。あなたが見た通りに、比丘よ、心が外に逃れ散らず、内に留まり、執着せず、恐怖しなければ、こうして再び生まれ変わることなく、老い、病、死を超え、これが苦しみの終わりと説かれます。」 釈迦はこのように説き終えて、すぐに座から立ち上がり、静かに室内へ入られた。

於是，諸比丘便作是念：「諸賢！當知世尊略說此義，不廣分別，即從坐起，入室燕坐：『比丘！如是如是觀，如汝觀已，比丘！心出外灑散，心不住內，不受而恐怖。比丘！如是如是觀，如汝觀已，比丘！心不出外不灑散，心住內，不受不恐怖，如是不復生、老、病、死，是說苦邊。』」彼復作是念：「諸賢！誰能廣分別世尊向所略說義？」彼復作是念：「尊者大迦旃延常為世尊之所稱譽，及諸智梵行人，尊者大迦旃延能廣分別世尊向所略說義。諸賢！共往詣尊者大迦旃延所，請說此義，若尊者大迦旃延為分別者，我等當善受持。」

> そこで、比丘たちはこう考えた。「皆さま、知っておいていただきたい。世尊はこの教えを簡単に示され、詳しく説明されることなく、座を立ち、静かに瞑想に入られた。『比丘よ、このように観察しなさい。そのように観察すると、比丘よ、心は外に向かって散乱し、心は内にとどまらず、執着しなくても恐れを生じる。比丘よ、このように観察しなさい。そのように観察すると、比丘よ、心は外に向かって散乱せず、心は内にとどまり、執着せず恐れもない。こうして、老い、病、死が再び生じることなく、苦しみの終わりに至る』と。」 彼らはさらに考えた。「皆さま、だれが世尊が簡潔に示されたこの教えを広く詳しく説明できるだろうか。」そして、さらにこう考えた。「尊者マハーカッチャーナは、世尊から常に称賛され、智慧ある修行者たちからも認められている。尊者マハーカッチャーナならば、世尊が簡潔に示されたこの教えを広く詳しく説明できるだろう。皆さま、共に尊者マハーカッチャーナのもとへ行き、この教えについて質問しよう。尊者マハーカッチャーナが説明してくださったなら、私たちはそれをよく受けて実践しよう。」

於是，諸比丘往詣尊者大迦旃延所，共相問訊，却坐一面，白曰：「尊者大迦旃延！當知世尊略說此義，不廣分別，即從坐起，入室燕坐：『比丘！如是如是觀，如汝觀已，比丘！心出外灑散，心不住內，不受而恐怖。比丘！如是如是觀，如汝觀已，比丘！心不出外不灑散，心住內，不受不恐怖，如是不復生、老、病、死，是說苦邊。』我等便作是念：『諸賢！誰能廣分別世尊向所略說義？』我等復作是念：『尊者大迦旃延常為世尊之所稱譽，及諸智梵行人，尊者大迦旃延能廣分別世尊向所略說義。』唯願尊者大迦旃延為慈愍故而廣說之。」

> そこで、比丘たちは尊者大迦旃延のもとを訪れ、互いに挨拶を交わしてから、一方に坐って言いました。「尊者大迦旃延よ、世尊はこの意味を簡潔に説かれ、詳しくは説明されず、そのまま座を立ち、部屋に入って静かに坐しておられます。『比丘よ、このように観察しなさい。あなたがそのように観察するとき、心が外に散り乱れ、内にとどまらず、執着せずして恐怖する。比丘よ、このように観察しなさい。あなたがそのように観察するとき、心が外に出て散乱せず、内にとどまり、執着せずして恐怖しない。このようにして、再び生・老・病・死がなくなり、これが苦の終わりである』と。そこで私たちは考えました。『どなたか、世尊が簡潔に説かれたこの意味を詳しく説明できる方はいないだろうか』と。そしてまた考えました。『尊者大迦旃延は常に世尊から称賛され、また智慧ある修行者たちからも尊敬されている。尊者大迦旃延ならば、世尊が簡潔に説かれたこの意味を詳しく説明できるだろう』と。どうか尊者大迦旃延よ、慈しみの心から、その意味を詳しくお説きください。」

爾時，尊者大迦旃延告曰：「諸賢！聽我說喻，慧者聞喻則解其義。諸賢！猶如有人欲得求實，為求實故，持斧入林，彼見大樹成根、莖、節、枝、葉、花、實，彼人不觸根、莖、節、實，但觸枝葉。諸賢所說亦復如是，世尊現在，捨來就我而問此義。所以者何？諸賢！當知世尊是眼、是智、是義、是法、法主、法將，說真諦義，現一切義，由彼世尊。諸賢！應往詣世尊所而問此義：『世尊！此云何？此何義？』如世尊說者，諸賢等當善受持。」

> さて、尊者大迦旃延が告げました。「皆さん、たとえ話をしましょう。賢明な人はたとえ話を聞けばその意味を理解します。 皆さん、例えば、ある人が果実を欲しいと思い、それを求めて斧を持って森に入ったとします。彼は大きな木を見つけ、根、幹、節、枝、葉、花、実が備わっているのを見ます。しかし、彼は根や幹、節、実には触れず、ただ枝や葉だけに触れました。皆さんが話されていることも、まさにこれと同じです。世尊が今ここにおられるのに、私のところに来てこの意味を尋ねられるのです。 なぜそう言うのか？ 皆さん、よく知ってください。世尊こそが、眼であり、智慧であり、真理であり、教えであり、教えの主であり、教えの将なのです。世尊は真実の意味を説き、あらゆる意味を明らかにされます。それゆえ、皆さんは世尊のもとへ行き、このように尋ねるべきです。『世尊よ、これはどういうことですか？ これはどのような意味ですか？』そして、世尊がお説きになったことを、皆さんはよく受け止め、実践しなさい。」

時，諸比丘白曰：「唯然。尊者大迦旃延！世尊是眼、是智、是義、是法、法主、法將，說真諦義，現一切義，由彼世尊，我等應往詣世尊所而問此義：『世尊！此云何？此何義？』如世尊說者，我等當善受持。然尊者大迦旃延常為世尊之所稱譽，及諸智梵行人，尊者大迦旃延能廣分別世尊向所略說義。唯願尊者大迦旃延為慈愍故而廣說之。」

> 時に、比丘たちは申し上げた。「その通りです。尊き大迦旃延よ。世尊は眼であり、智慧であり、真理であり、法であり、法の主、法の将として、真実の義を示し、あらゆる義を明らかにされます。それゆえ、私たちは世尊のもとへ参って、この義について『世尊よ、これはどのような意味でしょうか』と尋ねるべきです。そして世尊がお説きになるままに、私たちはよく受持いたします。しかし、尊き大迦旃延は常に世尊から称賛され、また智慧ある修行者たちからも敬われておられます。尊き大迦旃延は、世尊が先に簡潔にお説きになった義を、広く詳細に解説することがおできになります。どうか尊き大迦旃延よ、慈しみの心から、その義を詳しくお説きください。」

尊者大迦旃延告諸比丘：「諸賢等！共聽我所說。諸賢！云何比丘心出外灑散？諸賢！比丘眼見色，識食色相，識著色樂相，識縛色樂相，彼色相味結縛心出外灑散；如是耳、鼻、舌、身，意知法，識食法相，識著法樂相，識縛法樂相，彼法相味結縛心出外灑散。諸賢！如是比丘心出外灑散。諸賢！云何比丘心不出外灑散？諸賢！比丘眼見色，識不食色相，識不著色樂相，識不縛色樂相，彼色相味不結縛心，不出外灑散；如是耳、鼻、舌、身，意知法，識不食法相，識不著法樂相，識不縛法樂相，彼法相味不結縛心，不出外灑散。諸賢！如是比丘心不出外灑散。

> 尊者マハーカーティヤーヤナ（大迦旃延）は比丘たちに告げました。 「皆さん、私の話をよく聞いてください。 皆さん、どのような比丘の心が外に逸れ、散らばってしまうのでしょうか。 皆さん、比丘が目で色を見るとき、心（識）がその色の形（相）をとらえ、その色の快楽の形に執着し、その色の快楽の形に縛られます。その色の形の味わいと執着によって心は外に逸れ、散らばってしまいます。 耳、鼻、舌、身も同様です。また、意（心）が法（心の対象）を認識するとき、心がその法の形をとらえ、その法の快楽の形に執着し、その法の快楽の形に縛られます。その法の形の味わいと執着によって心は外に逸れ、散らばってしまいます。 皆さん、これが心が外に逸れ、散らばってしまう比丘のあり方です。 では皆さん、どのような比丘の心が外に逸れず、散らばらないのでしょうか。 皆さん、比丘が目で色を見るとき、心がその色の形をとらえず、その色の快楽の形に執着せず、その色の快楽の形に縛られません。その色の形の味わいと執着によって心が縛られることなく、外に逸れたり散らばったりしません。 耳、鼻、舌、身も同様です。また、意が法を認識するとき、心がその法の形をとらえず、その法の快楽の形に執着せず、その法の快楽の形に縛られません。その法の形の味わいと執着によって心が縛られることなく、外に逸れたり散らばったりしません。 皆さん、これが心が外に逸れず、散らばらない比丘のあり方です。」

「諸賢！云何比丘心不住內？諸賢！比丘離欲，離惡不善之法，有覺、有觀，離生喜、樂，得初禪成就遊。彼識著離味，依彼住彼，緣彼縛彼，識不住內。復次，諸賢！比丘覺、觀已息，內靜、一心，無覺、無觀，定生喜、樂，得第二禪成就遊。彼識著定味，依彼住彼，緣彼縛彼，識不住內。復次，諸賢！比丘離於喜欲，捨無求遊，正念正智而身覺樂，謂聖所說聖所捨、念、樂住室，得第三禪成就遊。彼識著無喜味，依彼住彼，緣彼縛彼，識不住內。復次，諸賢！比丘樂滅、苦滅，喜、憂本已滅，不苦不樂、捨、念、清淨，得第四禪成就遊。彼識著捨及念清淨味，依彼住彼，緣彼縛彼，識不住內。

> 皆様、どのように比丘が心を内に住まわせないのかを申しましょう。比丘は欲を離れ、悪しき不善の法を離れ、尋（思考）と伺（観察）を伴い、離欲から生じる喜びと楽を受けて、初禅を成就して安住します。その識（認識）は離欲の味わいに執着し、それに依って留まり、それに縁って縛られ、識は内に住まいません。 さらに、皆様、比丘は尋と伺が静まり、内に静まり心が一つになり、尋も伺もなく、定から生じる喜びと楽を受けて、第二禅を成就して安住します。その識は定の味わいに執着し、それに依って留まり、それに縁って縛られ、識は内に住まいません。 さらに、皆様、比丘は喜びへの欲を離れ、捨の心で求めずに安住し、正念・正智をもって身に楽を感じます。聖者が説き、聖者が捨て、念と楽に安住する境地、すなわち第三禅を成就して安住します。その識は無喜の味わいに執着し、それに依って留まり、それに縁って縛られ、識は内に住まいません。 さらに、皆様、比丘は楽が滅し、苦が滅し、喜びと憂いがすでに滅し、苦でも楽でもない、捨・念・清浄の第四禅を成就して安住します。その識は捨および念・清浄の味わいに執着し、それに依って留まり、それに縁って縛られ、識は内に住まいません。

「復次，諸賢！比丘度一切色想，滅有對想，不念若干想，無量空，是無量空處成就遊，彼識著空智味，依彼住彼，緣彼縛彼，識不住內。復次，諸賢！比丘度一切無量空處，無量識，是無量識處成就遊，彼識著識智味，依彼住彼，緣彼縛彼，識不住內。復次，諸賢！比丘度一切無量識處，無所有，是無所有處成就遊，彼識著無所有智味，依彼住彼，緣彼縛彼，識不住內。復次，諸賢！比丘度一切無所有處，非有想非無想，是非有想非無想處成就遊，彼識著無想智味，依彼住彼，緣彼縛彼，識不住內。諸賢！如是比丘心不住內。

> 「さらに、皆さん。比丘は、あらゆる形の想いを超越し、対立する想いを滅ぼし、様々な想いを心に浮かべることなく、「無限の空間」と観じて、無量空処を成就して安住します。しかし、その識（心）は、空という智慧の味わいに執着し、それに依り、それに留まり、それに縛られ、内に安住しません。 次に、皆さん。比丘は、あらゆる無量空処を超越し、「無限の識」と観じて、無量識処を成就して安住します。しかし、その識は、識という智慧の味わいに執着し、それに依り、それに留まり、それに縛られ、内に安住しません。 次に、皆さん。比丘は、あらゆる無量識処を超越し、「何もない」と観じて、無所有処を成就して安住します。しかし、その識は、無所有という智慧の味わいに執着し、それに依り、それに留まり、それに縛られ、内に安住しません。 次に、皆さん。比丘は、あらゆる無所有処を超越し、「想いがあるのでもなく、想いがないのでもない」と観じて、非有想非無想処を成就して安住します。しかし、その識は、無想という智慧の味わいに執着し、それに依り、それに留まり、それに縛られ、内に安住しません。 皆さん、このように、比丘の心は内に安住しないのです。」

「諸賢！云何比丘心住內？諸賢！比丘離欲，離惡不善之法，有覺有觀，離生喜樂，得初禪成就遊。彼識不著離味，不依彼不住彼，不緣彼不縛彼，識住內也。復次，諸賢！比丘覺、觀已息，內靜、一心，無覺、無觀，定生喜、樂，得第二禪成就遊。彼識不著定味，不依彼不住彼，不緣彼不縛彼，識住內也。復次，諸賢！比丘離於喜欲，捨無求遊，正念正智而身覺樂，謂聖所說聖所捨、念、樂住室，得第三禪成就遊。彼識不著無喜味，不依彼不住彼，不緣彼不縛彼，識住內也。復次，諸賢！比丘樂滅、苦滅，喜、憂本已滅，不苦不樂、捨、念、清淨，得第四禪成就遊。識不著捨及念、清淨味，不依彼不住彼，不緣彼不縛彼，識住內也。

> 「皆さん、どのように比丘は心を内に留めるのでしょうか。皆さん、比丘は欲望を離れ、悪しき不善の法を離れ、尋と伺を伴い、離欲から生じる喜びと楽を味わい、初禅を成就して過ごします。その識は離欲の味に執着せず、それに依らず、それに留まらず、それに縁せず、それに縛られません。識は内に留まります。 また、皆さん、比丘は尋と伺が静まり、内に静けさがあり、心が一つとなり、尋も伺もなく、禅定から生じる喜びと楽を味わい、第二禅を成就して過ごします。その識は禅定の味に執着せず、それに依らず、それに留まらず、それに縁せず、それに縛られません。識は内に留まります。 また、皆さん、比丘は喜びへの欲求を離れ、捨に安住し、求めることなく過ごし、正念と正知をもって身体に楽を感じます。これは聖者が説くところの、聖者が捨て、念と楽に安住する境地であり、第三禅を成就して過ごします。その識は喜びのない味に執着せず、それに依らず、それに留まらず、それに縁せず、それに縛られません。識は内に留まります。 また、皆さん、比丘は楽が滅し、苦が滅し、喜びと憂いがすでに滅し、苦でもなく楽でもなく、捨と念と清らかさを具え、第四禅を成就して過ごします。識は捨や念、清らかさの味に執着せず、それに依らず、それに留まらず、それに縁せず、それに縛られません。識は内に留まります。」

「復次，諸賢！比丘度一切色想，滅有對想，不念若干想，無量空，是無量空處成就遊。彼識不著空智味，不依彼不住彼，不緣彼不縛彼，識住內也。復次，諸賢！比丘度一切無量空處，無量識，是無量識處成就遊，彼識不著識智味，不依彼不住彼，不緣彼不縛彼，識住內也。復次，諸賢！比丘度一切無量識處，無所有，是無所有處成就遊。彼識不著無所有智味，不依彼不住彼，不緣彼不縛彼，識住內也。復次，諸賢！比丘度一切無所有處，非有想非無想，是非有想非無想處成就遊，彼識不著無想智味，不依彼不住彼，不緣彼不縛彼，識住內也。諸賢！如是比丘心住內也。

> 「さらに、皆さん。比丘はあらゆる物質的な想いを超越し、対立する想いを滅ぼし、様々な想いに心を留めず、無限の虚空に心を向けて、「無量空処」を成就して安住します。その識は、空の智慧の味わいに執着せず、それに依らず、留まらず、縁せず、縛られません。識は内に安住します。 次に、皆さん。比丘はあらゆる「無量空処」を超越し、無限の識に心を向けて、「無量識処」を成就して安住します。その識は、識の智慧の味わいに執着せず、それに依らず、留まらず、縁せず、縛られません。識は内に安住します。 さらに、皆さん。比丘はあらゆる「無量識処」を超越し、「何もない」という境地に心を向けて、「無所有処」を成就して安住します。その識は、無所有の智慧の味わいに執着せず、それに依らず、留まらず、縁せず、縛られません。識は内に安住します。 さらに、皆さん。比丘はあらゆる「無所有処」を超越し、「想いがあるのでもなく、想いがないのでもない」境地に心を向けて、「非有想非無想処」を成就して安住します。その識は、無想の智慧の味わいに執着せず、それに依らず、留まらず、縁せず、縛られません。識は内に安住します。 皆さん、このように比丘の心は内に安住するのです。」

「諸賢！云何比丘不受而恐怖？諸賢！比丘不離色染，不離色欲，不離色愛，不離色渴。諸賢！若有比丘不離色染，不離色欲，不離色愛，不離色渴者，彼欲得色、求色、著色、住色，色即是我，色是我有，彼欲得色、著色、住色，色即是我，色是我有已，識捫摸色，識捫摸色已，變易彼色時，識轉於色，識轉於色已，彼生恐怖法，心住於中，因心不知故，便怖懼煩勞，不受而恐怖；如是覺、想、行。比丘不離識染，不離識欲，不離識愛，不離識渴。諸賢！若有比丘不離識染，不離識欲，不離識愛，不離識渴者，彼欲得識、求識、著識、住識，識即是我，識是我有，彼欲得識、求識、著識、住識，識即是我，識是我有已，識捫摸識，識捫摸識已，變易彼識時，識轉於識，識轉於識已，彼生恐怖法，心住於中，因心不知故，便怖懼煩勞，不受而恐怖。諸賢！如是比丘不受恐怖。

> 「皆さん、どのようにして比丘は執着せずに恐怖するのでしょうか？皆さん、比丘が色（物質的なもの）への染まりを離れず、色への欲を離れず、色への愛着を離れず、色への渇望を離れないからです。皆さん、もし比丘が色への染まりを離れず、色への欲を離れず、色への愛着を離れず、色への渇望を離れないなら、その者は色を得ようとし、色を求め、色に執着し、色に留まります。『色が私であり、色が私のものだ』と。そうして色を得、執着し、留まり、『色が私であり、色が私のものだ』と思い込んだ後、識（認識）が色に触れます。識が色に触れた後、その色が変化する時、識は色に転じます。識が色に転じた後、その者には恐怖が生じ、心はそれに留まります。心が理解しないからこそ、恐れおののき、煩わしく疲れ、執着せずに恐怖するのです。同様に、感受・想念・形成作用についても同様です。比丘は識への染まりを離れず、識への欲を離れず、識への愛着を離れず、識への渇望を離れません。皆さん、もし比丘が識への染まりを離れず、識への欲を離れず、識への愛着を離れず、識への渇望を離れないなら、その者は識を得ようとし、識を求め、識に執着し、識に留まります。『識が私であり、識が私のものだ』と。そうして識を得、求め、執着し、留まり、『識が私であり、識が私のものだ』と思い込んだ後、識が識に触れます。識が識に触れた後、その識が変化する時、識は識に転じます。識が識に転じた後、その者には恐怖が生じ、心はそれに留まります。心が理解しないからこそ、恐れおののき、煩わしく疲れ、執着せずに恐怖するのです。皆さん、このように比丘は執着せずに恐怖するのです。」

「諸賢！云何比丘不受不恐怖。諸賢！比丘離色染，離色欲，離色愛，離色渴。諸賢！若有比丘離色染、離色欲、離色愛、離色渴者，彼不欲得色，不求色、不著色、不住色，色非是我，色非我有。彼不欲得色，不求色，不著色，不住色，色非是我，色非我有已，識不捫摸色，識不捫摸色已，變易彼色時，識不轉於色，識不轉於色已。彼不生恐怖法，心不住中，因心知故，便不怖懼，不煩勞，不受，不恐怖；如是覺、想、行。比丘離識染，離識欲，離識愛，離識渴。諸賢！若有比丘離識染，離識欲，離識愛，離識渴者，彼不欲得識，不求識，不著識，不住識，識非是我，識非我有，彼不欲得識，不求識，不著識，不住識，識非是我，識非我有已，識不捫摸識，識不捫摸識已，變易彼識時，識不轉於識，識不轉於識已，彼不生恐怖法，心不住中，因心知故，便不怖懼，不煩勞，不受，不恐怖。諸賢！如是比丘不受不恐怖。

> 「皆さん、どのように比丘は執着せず、恐れないのでしょうか。 皆さん、比丘は物質的なもの（色）への染まりを離れ、物質への欲を離れ、物質への愛着を離れ、物質への渇きを離れます。 皆さん、もし比丘が物質への染まり、欲、愛着、渇きを離れたなら、その人は物質を得ようと欲せず、物質を求めず、物質に執着せず、物質に留まりません。物質は私ではなく、私のものではありません。そのようにして、物質を得ようと欲せず、求めず、執着せず、留まらず、物質は私ではなく私のものではないと知れば、認識（識）は物質に触れず、認識が物質に触れなければ、その物質が変化しても、認識は物質に移りません。認識が物質に移らなければ、その人に恐れの法は生じず、心はその中に留まりません。心が知っているからこそ、恐れず、煩わされず、執着せず、恐れないのです。同様に、感受（受）、表象（想）、心の働き（行）についても同じです。 比丘は認識（識）への染まりを離れ、認識への欲を離れ、認識への愛着を離れ、認識への渇きを離れます。 皆さん、もし比丘が認識への染まり、欲、愛着、渇きを離れたなら、その人は認識を得ようと欲せず、認識を求めず、認識に執着せず、認識に留まりません。認識は私ではなく、私のものではありません。そのようにして、認識を得ようと欲せず、求めず、執着せず、留まらず、認識は私ではなく私のものではないと知れば、認識は認識に触れず、認識が認識に触れなければ、その認識が変化しても、認識は認識に移りません。認識が認識に移らなければ、その人に恐れの法は生じず、心はその中に留まりません。心が知っているからこそ、恐れず、煩わされず、執着せず、恐れないのです。 皆さん、このように比丘は執着せず、恐れないのです。」

「諸賢！謂世尊略說此義，不廣分別，即從坐起，入室燕坐。比丘！如是如是觀，如汝觀已，比丘！心出外灑散，心不住內，不受而恐怖。比丘！如是如是觀，如汝觀已，比丘！心不出外不灑散，心住內，不受不恐怖，如是不復生、老、病、死，是說苦邊。此世尊略說，不廣分別義，我以此句、以此文廣說如是。諸賢！可往向佛具陳，若如世尊所說義者，諸賢等便可受持。」

> 「皆さま、世尊はこの教えを簡潔にお示しになり、詳しく説かれませんでした。そのまま坐から立ち上がり、静かな部屋へお入りになりました。比丘たちよ、このように、あるがままに観察しなさい。あなたがたが観察したように、比丘よ、心が外へと散り乱れ、内に留まらず、執着せずして恐怖するのです。比丘たちよ、このように、あるがままに観察しなさい。あなたがたが観察したように、比丘よ、心は外へ出ず散り乱れず、内に留まり、執着せずして恐怖しません。こうして、生・老・病・死は再び起こらず、これを苦の終わりと説きます。これを世尊は簡潔に説き、詳しく解説されなかった意味を、私はこの言葉とこの文をもって詳しく説きました。皆さま、ぜひ仏のもとへ行き、詳しくお伝えください。もし世尊のお説きになった意味の通りであれば、皆さまはそれを受持しなさい。」

於是，諸比丘聞尊者大迦旃延所說，善受持誦，即從坐起，繞尊者大迦旃延三匝而去，往詣佛所，稽首作禮，却坐一面，白曰：「世尊！向世尊略說此義，不廣分別，即從坐起，入室燕坐。尊者大迦旃延以此句、以此文而廣說之。」

> そこで、比丘たちは尊者マハーカッチャーヤナの説法を聞き、よく理解して心に留め、席を立って尊者マハーカッチャーヤナの周りを三度巡礼してから、仏のもとへ向かいました。そして、仏に頭を地につけて礼拝し、一方に座って次のように申し上げました。「世尊よ、先ほど世尊はこの意味を簡潔に説かれ、詳しくは説明されずに席を立ち、静かな部屋へ入られました。尊者マハーカッチャーヤナが、この言葉とこの文章をもって詳しく説いてくださいました。」

世尊聞已，嘆曰：「善哉！善哉！我弟子中有眼、有智、有法、有義。所以者何？謂師為弟子略說此義，不廣分別，彼弟子以此句、以此文而廣說之，如迦旃延比丘所說，汝等應當如是受持。所以者何？以說觀義應如是也。」

> 世尊はそれを聞いて、嘆じて言われた。「善いかな、善いかな。我が弟子の中には、眼あり、知恵あり、法あり、義あり。それはなぜか。師が弟子のためにこの義を略説して、詳しく分別せずとも、その弟子がこの句、この文をもって広く説き明かすことがある。かの迦旃延比丘が説いたように、あなたがたもまた、そのように受持すべきである。なぜなら、観の義を説くとは、まさにこのようにあるべきだからである。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

分別觀法經第三竟二千七百五十一字

> 第三の「分別観法経」終わり<note>二千七百五十一字</note>

## 中阿含經卷第四十二八千三百九十四字

> 中阿含経 第四十二巻