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title: "中阿含經 · 165 溫泉林天經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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## 中阿含經卷第四十三

> 中阿含経 第四十三巻

東晉罽賓三藏瞿曇僧伽提婆譯

> 東晋・罽賓三蔵・瞿曇僧伽提婆 訳

### （一六五）根本分別品溫泉林天經第四第四分別誦

> （一六五）根本分別品 温泉林天経 第四<note>第四分別誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊王舍城，在竹林迦蘭哆園。

> ある時、仏陀は王舎城の竹林精舎におられた。

爾時，尊者三彌提亦遊王舍城，住溫泉林。於是，尊者三彌提夜將向旦，從房而出，往詣溫泉，脫衣岸上，入溫泉浴，浴已還出，拭體著衣。

> その頃、尊師サミッティもまた、王舎城に滞在し、温泉林に住んでいた。ある夜明け近く、尊師サミッティは部屋から出て、温泉へ向かった。岸に衣を脱ぎ、温泉で沐浴し、浴び終えてから上がり、体を拭いて衣を着た。

爾時，有一天形體極妙，色像巍巍，夜將向旦，往詣尊者三彌提所，稽首作禮，却住一面。彼天色像威神極妙，光明普照於溫泉岸，彼天却住於一面已，白尊者三彌提曰：「比丘！受持跋地羅帝偈耶？」

> その時、天人の一人がいました。その姿は極めて美しく、輝きに満ちていました。夜明け近く、尊者サンミッティのもとを訪れ、敬意を表して礼をし、静かに傍らに立ちました。その天人の姿と威光は素晴らしく、光は温泉のほとりを照らし出していました。彼は傍らに立つと、尊者サンミッティにこう尋ねました：「比丘よ、あなたは跋地羅帝（バドラパーダ）の偈を奉持していますか？」

尊者三彌提答彼天曰：「我不受持跋地羅帝偈也。」尋問彼天：「汝受持跋地羅帝偈耶？」

> 三彌提尊者（尊称）がその天に答えました。「私は跋地羅帝の偈を保ち受けてはいません。」そしてその天に尋ねました。「あなたは、跋地羅帝の偈をおさめていますか。」

彼天答曰：「我亦不受持跋地羅帝偈也。」

> その天が答えました。「私もまた、跋地羅帝の偈を受持してはいません。」

尊者三彌提復問彼天：「誰受持跋地羅帝偈耶？」

> 尊者三彌提がその天に尋ねました。「では、いったい誰が跋地羅帝の偈を保ち守っているのですか？」

彼天答曰：「世尊遊此王舍城，在竹林迦蘭哆園，彼受持跋地羅帝偈也。比丘！可往面從世尊，善受持誦跋地羅帝偈。所以者何？跋地羅帝偈者，有法有義，為梵行本，趣智、趣覺、趣於涅槃，族姓者至信、捨家、無家、學道，當以跋地羅帝偈善受持誦。」彼天說如是，稽首尊者三彌提足，繞三匝已，即彼處沒。

> 彼は答えました。「世尊は、この王舎城の竹林精舎におられます。そのお方は『跋地羅帝の偈』をお受けになり、おさめられているのです。比丘よ、ぜひ世尊のもとへ行き、『跋地羅帝の偈』をしっかりと受け取り、よく暗誦なさい。なぜなら、この『跋地羅帝の偈』には教えとその意味が備わっており、清らかな修行の基となり、智慧へ、目覚めへ、涅槃へと導くものだからです。信心あって家を捨て、出家し、修行の道に入る方は、この『跋地羅帝の偈』をよく受持し、暗誦すべきです。」 天はこう語り終えると、尊者サンミッティの足に礼拝し、三度右回りに巡ってから、その場で姿を消しました。

於是，尊者三彌提，天沒不久往詣佛所，稽首作禮，却坐一面，白曰：「世尊！我於今日夜將向旦出房往詣彼溫泉所，脫衣岸上，入溫泉浴，浴已便出，住岸拭身。爾時，有一天形體極妙，色像巍巍，夜將向旦，來詣我所，稽首作禮，却住一面。彼天色像威神極妙，光明普照於溫泉岸。彼天却住於一面已，而白我曰：『比丘！受持跋地羅帝偈耶？』我答彼天：『不受持跋地羅帝偈也。』我問彼天：『汝受持跋地羅帝偈耶？』彼天答曰：『我亦不受持跋地羅帝偈也。』我復問：『誰受持跋地羅帝偈耶？』彼天答曰：『世尊遊此王舍城，住竹林迦蘭哆園，彼受持跋地羅帝偈也。比丘！可往面從世尊善受持誦跋地羅帝偈。所以者何？跋地羅帝偈者，有義有法，為梵行本，趣智、趣覺、趣於涅槃，族姓者至信、捨家、無家、學道，當以跋地羅帝偈善受持誦。』彼天說如是，稽首我足，繞三匝已，即彼處沒。」

> さて、尊者である三彌提は、天が去って間もなく、世尊のもとへ赴きました。頭を地につけて礼拝し、一方に座ってこう申し上げました。「世尊よ、私は今朝、夜が明けようとする頃、部屋を出てあの温泉へ向かいました。衣を岸に脱ぎ、温泉に浸かり、浴み終わって岸に上がり、身を拭いていました。その時、一人の天人が現れました。その姿は極めて美しく、威光はひときわ輝いていました。夜明け前のことでしたが、私のもとへ来て、頭を下げて礼をし、一方に立っておりました。その天人の姿と威光は極めて素晴らしく、その光は温泉の岸一帯を明るく照らしました。その天人は一方に立ったまま、私にこう言いました。『比丘よ、あなたは跋地羅帝の偈（げ）を受持していますか？』私はその天人に答えました。『私は跋地羅帝の偈を受持していません。』そして私は天人に尋ねました。『あなたは跋地羅帝の偈を受持していますか？』天人は答えました。『私も跋地羅帝の偈を受持してはいません。』私はさらに尋ねました。『では、誰が跋地羅帝の偈を受持しているのですか？』天人は答えました。『世尊がこの王舎城を遊行され、竹林の迦蘭哆園（からんたおん）に滞在されています。その世尊が跋地羅帝の偈を受持しておられます。比丘よ、どうか世尊のもとへ行き、跋地羅帝の偈をよく受持し、誦（とな）えるようにしてください。なぜなら、跋地羅帝の偈には意味があり、理法があり、清らかな行いの基となり、智慧へ導き、覚りへ導き、涅槃へ導くものだからです。良き家に生まれ、信仰心厚く、家を捨てて家なき道を学ぶ者は、この跋地羅帝の偈をよく受持し、誦えるべきなのです。』天人はこのように説き終えると、私の足に礼をし、三度右に回ってから、その場で消え去りました。」

世尊問曰：「三彌提！汝知彼天從何處來？彼天名何耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「サミッティよ、あなたはあの天がどこから来たのか知っているか？また、その天の名は何というのか？」

尊者三彌提答曰：「世尊！我不知彼天從何所來，亦不知名也。」

> 尊者である三彌提が答えて申し上げました。「世尊よ、私はその天がどこから来たのかも知らず、その名も存じ上げません。」

世尊告曰：「三彌提！彼天子名正殿，為三十三天軍將。」

> 世尊がおっしゃいました。「サミッディよ、その天人は、正殿と名づけられ、三十三天の軍の将である。」

於是，尊者三彌提白曰：「世尊！今正是時。善逝！今正是時。若世尊為諸比丘說跋地羅帝偈者，諸比丘從世尊聞已，當善受持。」

> そこで、尊者サミッティが申し上げた。「世尊よ、今こそその時です。善逝よ、今こそその時です。もし世尊が比丘たちに『跋地羅帝』の偈をお説きになれば、比丘たちは世尊からお聞きした後、よく受け止め、心に留めるでありましょう。」

世尊告曰：「三彌提！諦聽，諦聽，善思念之，我當為汝說。」

> 世尊はおっしゃいました。「サミッティよ、よく聞きなさい。しっかりと心に留め、よく考えなさい。あなたのために説き明かしましょう。」

尊者三彌提白曰：「唯然。」時，諸比丘受教而聽。

> 尊者三彌提がおっしゃいました。「はい、承知しました。」そのとき、比丘たちは教えを受け、静かに聞き入りました。

佛言：

> お釈迦さまはおっしゃいました：

「慎莫念過去， 亦勿願未來，過去事已滅， 未來復未至。現在所有法， 彼亦當為思，念無有堅強， 慧者覺如是。若作聖人行， 孰知愁於死，我要不會彼， 大苦災患終。如是行精勤， 晝夜無懈怠，是故常當說， 跋地羅帝偈。」

> 過去にこだわるな、 未来を願うな。 過去のことはすでに消え去り、 未来はまだ来ていない。 現在のすべてのものごとを、 よくよく観察せよ。 それらは確固たるものではなく、 賢者はこのことを知る。 聖なる道を歩む者は、 どうして死を悲しもうか。 私は苦しみや災いの終わりを、 自らのうちに迎えよう。 このように精進し、昼も夜も怠ることなく、 ゆえに常に説くべきである—— 「バッダラーヴァッダ（吉祥なる夜のたとえ）」の偈を。

佛說如是，即從座起，入室宴坐。於是，諸比丘便作是念：「諸賢！當知世尊略說此教，不廣分別，即從座起，入室宴坐。

> 仏はこのように説き、その場を立ち上がり、部屋に入って静かに坐禅に入られた。そこで、比丘たちはこう考えた。「尊い方々よ、知っておいてほしい。世尊はこの教えを簡潔に説かれ、詳しくは説明されなかった。そして、その場を立ち上がり、部屋に入って静かに坐禅に入られたのだ。」

「『慎莫念過去， 亦勿願未來，過去事已滅， 未來復未至。現在所有法， 彼亦當為思，念無有堅強， 慧者覺如是。若作聖人行， 孰知愁於死，我要不會彼， 大苦災患終。如是行精勤， 晝夜無懈怠，是故常當說， 跋地羅帝偈。』」

> ＜行＞「過去を思い煩うな、未来を願い求めるな。 過去のことはすでに消え去り、未来はまだ訪れていない。 今まさにあるもの、それをこそよく観察せよ。 移り変わり、確かなものなど何もないと、賢者はこうして目覚める。 もし聖者の道を歩むなら、いったい誰が死を悲しむだろうか。 私はそのような大きな苦しみと災いの終わりに遭遇することはない。 こうして怠らず昼夜精進するなら、 ゆえに常にこの「バドラ・バーラ経（跋地羅帝偈）」を説くのである。」」

彼復作是念：「諸賢！誰能廣分別世尊向所略說義？」彼復作是念：「尊者大迦旃延常為世尊之所稱譽，及諸智梵行人，尊者大迦旃延能廣分別世尊向所略說義，諸賢共往詣尊者大迦旃延所，請說此義。若尊者大迦旃延為分別者，我等當善受持。」

> また、彼はこう思いました。「諸賢よ、いったい誰が、世尊が先に簡略に説かれた意味を、広く詳しく解説できるだろうか？」そして、さらにこう思いました。「尊者マハーカッチャーヤナ（大迦旃延）は、常に世尊から称賛され、また智慧ある修行者たちからも尊敬されている。尊者マハーカッチャーヤナこそ、世尊が簡略に説かれた意味を広く詳しく解説できるだろう。では、諸賢よ、共に尊者マハーカッチャーヤナのもとへ赴き、この意味について解説を請おう。もし尊者マハーカッチャーヤナが解説して下されば、私たちはそれをよく理解し、大切に受け持とう。」

於是，諸比丘往詣尊者大迦旃延所，共相問訊，却坐一面，白曰：「尊者大迦旃延！當知世尊略說此教，不廣分別，即從座起，入室宴坐。

> そこで、比丘たちは尊者マハーカッチャーヤナのもとへ向かい、互いに挨拶を交わしてから、一方に座ってこう言いました。「尊者マハーカッチャーヤナよ、世尊はこの教えを簡潔に説かれ、詳しくは説明されず、そのまま坐を立って室内に入り、静かに坐禅されました。」

「『慎莫念過去， 亦勿願未來，過去事已滅， 未來復未至。現在所有法， 彼亦當為思，念無有堅強， 慧者覺如是。若學聖人行， 孰知愁於死，我要不會彼， 大苦災患終。如是行精勤， 晝夜無懈怠，是故常當說， 跋地羅帝偈。』

> 「『過去にこだわるな。 未来を願うな。 過ぎ去ったことはすでに消え、 未来はまだ来ていない。 今、ここにあるものごとを、 よくよく観察せよ。 移り変わってとどまらないと知り、 賢者はそのように悟る。 聖者の道を学ぶ者なら、 だれが死を悲しむだろうか。 私は苦しみの終わりという 大いなる災いには遭わない。 このように昼夜を問わず、 怠りなく励みなさい。 それゆえに常に説くのだ、 跋地羅帝の偈を。』」 （注：この偈は「最上の夜」という意味を持つ「跋地羅帝（バッデーカラッタ）」の教えです。過去や未来に心を奪われず、今この瞬間を大切に生きることの大切さを説いています。）

「我等便作是念：『諸賢！誰能廣分別世尊向所略說義？』我等復作是念：『尊者大迦旃延常為世尊之所稱譽，及諸智梵行人，尊者大迦旃延能廣分別世尊向所略說義。』唯願尊者大迦旃延為慈愍故而廣說之。」

> そこで私たちはこう考えました。「賢者たちよ、誰が世尊が先に簡潔に説かれた意味を、広く詳しく解説できるだろうか？」と。 そしてまた、こうも思いました。「尊者マハーカッチャーヤナ（大迦旃延）は、常に世尊から称賛され、また智慧ある修行者たちからも認められている。尊者マハーカッチャーヤナこそが、世尊が先に簡潔に説かれた意味を、広く詳しく解説できるだろう。」と。 どうか、尊者マハーカッチャーヤナ様、慈しみをもって、その意味を広くお説きくださいますようお願い申し上げます。

尊者大迦旃延告曰：「諸賢！聽我說喻，慧者聞喻則解其義。諸賢！猶如有人欲得求實，為求實故，持斧入林，彼見大樹成根、莖、節、枝、葉、華、實，彼人不觸根、莖、節、實，但觸枝、葉。諸賢所說亦復如是，世尊現在，捨來就我而問此義。所以者何？諸賢！當知世尊是眼、是智、是義、是法，法主、法將，說真諦義，現一切義由彼世尊，諸賢應往詣世尊所而問此義：『世尊！此云何？此何義？』如世尊說者，諸賢等當善受持。」

> 尊者の大迦旃延が告げた。「皆さま、私がたとえ話を申し上げますので、賢明な方はそのたとえを聞いてその意味を理解してください。皆さま、例えば、ある人が貴重な材木を求めたいと思い、そのために斧を持って森に入ったとします。彼は大きな木が根、茎、節、枝、葉、花、実を持っているのを見ましたが、彼は根、茎、節、実には触れず、ただ枝と葉だけに触れました。皆さまのおっしゃることもこれと同じで、世尊（釈尊）が現在おられるのに、私のもとに来てこの意味を尋ねられるのです。なぜかと言えば、皆さま、よく知っておくべきです。世尊こそが眼であり、智慧であり、真理であり、教えであり、教えの主、教えの指導者であられ、真実の教えを説き、あらゆる意味を示されます。それらのすべては世尊によってもたらされるものです。ですから皆さまは、世尊のもとに行ってこの意味を尋ねるべきです。『世尊よ、これはどのようなことですか。どのような意味がありますか』と。世尊がお説きになられた通りに、皆さまはしっかりと受け止め、よく守り行うべきなのです。」

時，諸比丘白曰：「唯然。尊者大迦旃延！世尊是眼、是智、是義、是法，法主、法將，說真諦義，現一切義由彼世尊，我等往詣世尊所而問此義：『世尊！此云何？此何義？』如世尊說者，我等當善受持。然尊者大迦旃延常為世尊之所稱譽，及諸智梵行人，尊者大迦旃延能廣分別世尊向所略說義。唯願尊者大迦旃延為慈愍故而廣說之。」

> その時、修行者たちは言いました。「その通りです。尊者マハーカッチャーヤナよ。世尊は私たちの目であり、智慧であり、真理であり、教えそのものです。法の主であり、法の導き手であり、真実の意味を説き、すべての意義を示される方です。ですから私たちは世尊のもとへ行き、『世尊よ、これはどういうことですか。どのような意味ですか』と尋ね、世尊がお説きになるままに、よく受け持つつもりです。しかし、尊者マハーカッチャーヤナは常に世尊から称賛され、また智慧ある修行者たちからも尊敬されています。尊者は、世尊が簡潔にお説きになった意味を、広く詳しく解説してくださることができます。どうか尊者マハーカッチャーヤナ、私たちへの慈しみの心から、その意味を詳しくお説きください。」

尊者大迦旃延告諸比丘：「諸賢等共聽我所說。諸賢！云何比丘念過去耶？諸賢！比丘實有眼知色可喜、意所念，愛色，欲相應，心樂，捫摸本，本即過去也。彼為過去識欲染著，因識欲染著已，則便樂彼，因樂彼已，便念過去。如是耳、鼻、舌、身，實有意知法可喜、意所念，愛法，欲相應，心樂，捫摸本，本即過去也。彼為過去識欲染著，因識欲染著已，則便樂彼，因樂彼已，便念過去。諸賢！如是比丘念過去也。

> 尊き大迦旃延が比丘たちに告げられた。「諸君、共に私の説くところを聞いてください。 諸君、どのように比丘が過去を思い起こすのでしょうか。 諸君、比丘が実際に、目で認識する色（形）で、喜ばしく、心に留まり、愛しく、欲望に相応し、心を楽しませ、触れていたものを、その元となるものが過去にあるとします。その者は、その過去に対して識（認識）の欲望に染まり執着します。識の欲望に染まり執着したがゆえに、それを楽しみます。それを楽しんだがゆえに、過去を思い起こします。 同様に、耳、鼻、舌、身においても、また実際に、意（心）で認識する法（対象）で、喜ばしく、心に留まり、愛しく、欲望に相応し、心を楽しませ、触れていたものを、その元となるものが過去にあるとします。その者は、その過去に対して識の欲望に染まり執着します。識の欲望に染まり執着したがゆえに、それを楽しみます。それを楽しんだがゆえに、過去を思い起こします。 諸君、このように比丘は過去を思い起こすのです。」

「諸賢！云何比丘不念過去？諸賢！比丘實有眼知色可喜、意所念，愛色，欲相應，心樂，捫摸本，本即過去也。彼為過去識不欲染著，因識不欲染著已，則便不樂彼，因不樂彼已，便不念過去。如是耳、鼻、舌、身，實有意知法可喜、意所念，愛法，欲相應，心樂，捫摸本，本即過去也。彼為過去識不欲染著，因識不欲染著已，則便不樂彼，因不樂彼已，便不念過去。諸賢！如是比丘不念過去也。

> 「皆さん、どのように修行者は過去を思い煩わないのでしょうか。修行者は、目で捉える色（形）に、好ましく、心に留まり、愛しく、欲望に結びつき、心を楽しませ、触れて確かめたくなるようなものがあっても、それがまさに過去のものであると見極めます。その過去に対して、心が染まりたいとは思わず、染まらないので、それに喜びを感じません。喜びを感じなければ、過去を思い煩うことはないのです。耳、鼻、舌、身も同様です。心で捉える法（現象）に、好ましく、心に留まり、愛しく、欲望に結びつき、心を楽しませ、触れて確かめたくなるようなものがあっても、それがまさに過去のものであると見極めます。その過去に対して、心が染まりたいとは思わず、染まらないので、それに喜びを感じません。喜びを感じなければ、過去を思い煩うことはないのです。皆さん、このように修行者は過去を思い煩わないのです。」

「諸賢！云何比丘願未來耶？諸賢！比丘若有眼、色、眼識未來者，彼未得欲得，已得心願，因心願已，則便樂彼，因樂彼已，便願未來；如是耳、鼻、舌、身。若有意、法、意識未來者，未得欲得，已得心願，因心願已，則便樂彼，因樂彼已，便願未來。諸賢！如是比丘願未來也。

> 皆さま、比丘が未来を願うとは、どういうことでしょうか。 皆さま、比丘が、もし未来における眼、色、眼識があるならば、それらを得ていないときには「得たい」と望み、すでに得ているときには心に執着します。心に執着するがゆえに、それを楽み、その楽みから未来を願うのです。 耳、鼻、舌、身についても同様です。 また、もし未来における意、法、意識があるならば、それらを得ていないときには「得たい」と望み、すでに得ているときには心に執着します。心に執着するがゆえに、それを楽み、その楽みから未来を願うのです。 皆さま、このようにして比丘は未来を願うのです。

「諸賢！云何比丘不願未來？諸賢！比丘若有眼、色、眼識未來者，未得不欲得，已得心不願，因心不願已，則便不樂彼，因不樂彼已，便不願未來；如是耳、鼻、舌、身。若有意、法、意識未來者，未得不欲得，已得心不願，因心不願已，則便不樂彼，因不樂彼已，便不願未來。諸賢！如是比丘不願未來也。

> 「皆さん、どのように修行者が未来を願わないのでしょうか。 皆さん、修行者が未来の眼、色、眼識に対して、まだ得ていないものを得ようと欲せず、すでに得たものに心を執着しません。心が執着しないから、それに喜びを感じず、喜びを感じないから、未来を願わないのです。 耳、鼻、舌、身についても同様です。 未来の意、法、意識に対して、まだ得ていないものを得ようと欲せず、すでに得たものに心を執着しません。心が執着しないから、それに喜びを感じず、喜びを感じないから、未来を願わないのです。 皆さん、このように修行者は未来を願わないのです。」

「諸賢！云何比丘受現在法？諸賢！比丘若有眼、色、眼識現在者，彼於現在識欲染著，因識欲染著已，則便樂彼，因樂彼已，便受現在法；如是耳、鼻、舌、身。若有意、法、意識現在者，彼於現在識欲染著，因識欲染著已，則便樂彼，因樂彼已，便受現在法。諸賢！如是比丘受現在法也。

> 「皆さん、どのように比丘が現在の法を受けるのでしょうか？皆さん、比丘に眼、色、眼識が現在にあるならば、その人は現在の識に欲望や執着を起こします。欲望や執着を起こしたがゆえに、それを楽しみます。それを楽しんだがゆえに、現在の法を受けます。耳、鼻、舌、身についても同様です。もし意、法、意識が現在にあるならば、その人は現在の識に欲望や執着を起こします。欲望や執着を起こしたがゆえに、それを楽しみます。それを楽しんだがゆえに、現在の法を受けます。皆さん、これが比丘が現在の法を受けるということです。」

「諸賢！云何比丘不受現在法。諸賢！比丘若有眼、色、眼識現在者，彼於現在識不欲染著，因識不欲染著已，則便不樂彼，因不樂彼已，便不受現在法；如是耳、鼻、舌、身。若有意、法、意識現在者，彼於現在識不欲染著，因識不欲染著已，則便不樂彼，因不樂彼已，便不受現在法。諸賢！如是比丘不受現在法。

> 「皆さん、どのような修行者が現在の出来事に執着しないのでしょうか。皆さん、修行者は、目と色と眼識が現在にあっても、その現在の識に欲を起こして染まることがありません。識に染まらないからこそ、それを楽しまないのです。楽しまないからこそ、現在の法を受け入れないのです。耳、鼻、舌、身についても同様です。また、意と法と意識が現在にあっても、その現在の識に欲を起こして染まることがありません。識に染まらないからこそ、それを楽しまないのです。楽しまないからこそ、現在の法を受け入れないのです。皆さん、このように修行者は現在の法を受け入れないのです。」

「諸賢！謂世尊略說此教，不廣分別，即從座起，入室宴坐。

> 皆さま、世尊はこの教えを簡潔にお示しになり、詳しく解説されることなく、そのまま座を立って室内へ入り、静かに坐禅に入られました。

「『慎莫念過去， 亦勿願未來，過去事已滅， 未來復未至。現在所有法， 彼亦當為思，念無有堅強， 慧者覺如是。若學聖人行， 孰知愁於死，我要不會彼， 大苦災患終。如是行精勤， 晝夜無懈怠，是故常當說， 跋地羅帝偈。』

> 「『過去にこだわるな。 未来を願うな。 過ぎ去ったことはすでに消え、 未来はまだ来ていない。 今、ここにあるものごとを、 よくよく観察せよ。 移り変わってとどまらないと知り、 賢者はそのように悟る。 聖者の道を学ぶ者なら、 だれが死を悲しむだろうか。 私は苦しみの終わりという 大いなる災いには遭わない。 このように昼夜を問わず、 怠りなく励みなさい。 それゆえに常に説くのだ、 跋地羅帝の偈を。』」 （注：この偈は「最上の夜」という意味を持つ「跋地羅帝（バッデーカラッタ）」の教えです。過去や未来に心を奪われず、今この瞬間を大切に生きることの大切さを説いています。）

「此世尊略說，不廣分別，我以此句、以此文廣說如是。諸賢！可往向佛具陳，若如世尊所說義者，諸賢等便可共受持。」

> 「世尊はこれを簡潔にお説きになり、詳しくは説明されませんでした。私はこの言葉、この文をもって、こうして詳しく説き明かしました。皆さま、どうか世尊のもとへ参られて、このことを詳しくお伝えください。もし世尊のお説きになった意味のとおりであれば、皆さま共にこれを深く受け止め、保ち行ってください。」

於是，諸比丘聞尊者大迦旃延所說，善受持誦，即從座起，繞尊者大迦旃延三匝而去，往詣佛所，稽首作禮，却坐一面，白曰：「世尊！向世尊略說此教，不廣分別，即從座起，入室燕坐。尊者大迦旃延以此句、以此文而廣說之。」

> そこで、比丘たちは尊者マハーカッチャーナの説法を聞き、よく理解して心に留めました。彼らは座を立ち、尊者マハーカッチャーナの周りを三度巡ってから、仏のもとへと向かいました。仏に頭を地につけて礼拝し、一方に座ってこう申し上げました。「世尊よ、先ほど世尊はこの教えを簡潔にお示しになり、詳しく説かれずに座を立って静かな部屋に入られました。尊者マハーカッチャーナが、その文章と意味に基づいて詳しく解説してくださいました。」

世尊聞已，嘆曰：「善哉！善哉！我弟子中有眼、有智、有法、有義。所以者何？謂師為弟子略說此教，不廣分別，彼弟子以此句、以此文而廣說之，如大迦旃延比丘所說，汝等應當如是受持。所以者何？以說觀義應如是也。」

> 世尊（仏陀）はこれを聞いて、感嘆しておっしゃいました。「素晴らしい、本当に素晴らしい。私の弟子たちの中には、正しい眼識（智慧の目）を持ち、智慧を備え、教えに通じ、その真義を理解している者がいる。それはなぜかと言えば、師である私が弟子に対してこの教えを簡潔に説き、詳細に解説しなかったとしても、その弟子がこの言葉やこの文章をもとにして、如来迦旃延（マハーカーティヤーヤナ）比丘が説いたように広く教えを説き明かすことができるからである。あなたがたもまた、このように教えを受け止め、実践しなさい。なぜなら、教えの真義を観察して説くとは、このようにするべきものだからである。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

溫泉林天經第四竟二千五百八十字

> 温泉林の天の経、第四　ここに終わる<note>二千五百八十字</note>