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title: "中阿含經 · 168 意行經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一六八）中阿含根本分別品意行經第七第四分別誦

> 意行経

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

爾時，世尊告諸比丘：「我今為汝說法，初妙、中妙、竟亦妙，有義有文，具足清淨，顯現梵行，謂分別意行經，如意行生。諦聽，諦聽，善思念之。」時，諸比丘受教而聽。

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。「今、あなたたちに法を説こう。初めも善く、中も善く、終わりも善く、意味もあり、言葉も整い、完全に清らかで、清らかな生き方を明らかに示すもの——それを『心の働きを分別する経』、『心のままに生じる行為』という。よく聞き、よく聴き、心して考えなさい。」そこで比丘たちは教えを受けて耳を傾けた。

佛言：「云何意行生？若有比丘離欲，離惡不善之法，有覺、有觀，離生喜、樂，得初禪成就遊。彼此定樂欲住，彼此定樂欲住已，必有是處，住彼樂彼，命終生梵身天中。諸梵身天者，生彼住彼，受離生喜、樂，及比丘住此，入初禪，受離生喜、樂，此二離生喜、樂無有差別，二俱等等。所以者何？先此行定，然後生彼，彼此定如是修、如是習、如是廣布，生梵身天中，如是意行生。

> 仏陀が言われた。「では、意識の働き（意行）がどのように生じるのかを説こう。比丘が欲望を離れ、悪しき不善の法を離れ、覚（対象を捉える心の働き）と観（対象を詳しく観察する心の働き）を伴い、離欲によって生じる喜びと楽を受ける初禅を成就して安住する。その比丘がこの禅定の楽に止まり、さらにそれを望むならば、必ずその場所に至る。その楽に住み、その楽を享受し、命終の後に梵身天に生まれる。梵身天に生まれた者たちは、その境地に住み、離欲によって生じる喜びと楽を受ける。また、比丘がこの世にありながら初禅に入り、離欲によって生じる喜びと楽を受ける、この二つの離欲による喜びと楽には、何の違いもなく、全く等しい。なぜなら、まずこの禅定を修めてから、後にその天界に生まれるからである。この禅定をこのように修め、このように習い、このように広く行じることによって、梵身天に生まれる。これが意識の働き（意行）の生じ方である。」

「復次，比丘覺、觀已息，內靖、一心，無覺、無觀，定生喜、樂，得第二禪成就遊。彼此定樂欲住，彼此定樂欲住已，必有是處，住彼樂彼，命終生晃昱天中。諸晃昱天者，生彼住彼，受定生喜、樂，及比丘住此，入第二禪，受定生喜、樂，此二定生喜、樂無有差別，二俱等等。所以者何？先此行定，然後生彼，彼此定如是修、如是習、如是廣布，生晃昱天中，如是意行生。

> さらに、比丘たちよ、分別が静まり、心が内に鎮まり一境となり、分別がなくなり、静寂から生じる喜びと楽を受けて、第二禅を成就して安住する。その人はこの禅定の楽に留まろうと欲し、その禅定の楽に留まろうと欲したならば、必ずその境地に至り、その楽に住み、命終わった後に晃昱天に生まれる。晃昱天に生まれた者たちは、そこに生まれ住み、静寂から生じる喜びと楽を受ける。そして比丘がここに住んで第二禅に入り、静寂から生じる喜びと楽を受けること、この二つの静寂から生じる喜びと楽には違いがなく、両者は全く等しい。なぜなら？ まずこの禅定を修め、その後そこに生まれるからである。この禅定をこのように修め、このように習い、このように広く行われたならば、晃昱天に生まれ、このような心の働きが生まれるのである。

「復次，比丘離於喜欲，捨無求遊，正念正智而身覺樂，謂聖所說聖所捨、念、樂住室，得第三禪成就遊。彼此定樂欲住，彼此定樂欲住已，必有是處，住彼樂彼，命終生遍淨天中。諸遍淨天者，生彼住彼，受無喜樂，及比丘住此，入第三禪，受無喜樂，此二無喜樂無有差別，二俱等等。所以者何？先此行定，然後生彼，彼此定如是修、如是習、如是廣布，生遍淨天中，如是意行生。

> さらに、比丘たちよ、喜悦への欲求を離れ、執着なく求めず、正しい気づきと正しい智慧をもって身体に安楽を感じる。これは聖者が説き、聖者が捨て、気づきをもって安楽に住む境地とされ、第三禅の成就を得る。この者は、その禅定の安楽に住したいと望み、その安楽に住むことを欲するならば、必ずそうなる。その安楽に住み、その境地に安らぎ、命終の後には遍浄天に生まれる。遍浄天に生まれた者たちは、そこに生まれ住み、喜びのない安楽を受ける。そして比丘がここに留まり、第三禅に入り、喜びのない安楽を受ける。この二つの喜びのない安楽には、いかなる違いもなく、両者は全く等しい。なぜなら、まずこの禅定の修行をして、その後でかの天に生まれるからである。この禅定が、このように修められ、このように習われ、このように広められれば、遍浄天に生まれ、このような意の行が生じるのである。

「復次，比丘樂滅、苦滅，喜、憂本已滅，不苦不樂、捨、念、清淨，得第四禪成就遊。彼此定樂欲住，彼此定樂欲住已，必有是處，住彼樂彼，命終生果實天中。諸果實天者，生彼住彼，受捨、念、清淨樂，及比丘住此，入第四禪，受捨、念、清淨樂，此二捨、念、清淨樂無有差別，二俱等等。所以者何？先此行定，然後生彼，彼此定如是修、如是習、如是廣布，生果實天中，如是意行生。

> さらに、比丘たちよ、楽を滅し、苦を滅し、もはや喜びと憂いが滅したならば、苦でもなく楽でもない、捨・念・清浄の境地である第四禅定を成就して安住します。この比丘がその定に安住することを欲し、その定に安住することを欲して住むならば、必ずその境地があり、そこに住み、それを楽しみ、命を終えた後に果実天に生まれます。果実天に生まれた者は、そこに生まれ、そこに住み、捨・念・清浄の楽を受けます。また、この比丘がここに住み、第四禅定に入り、捨・念・清浄の楽を受けることも、この二つの捨・念・清浄の楽に違いはなく、両者は全く等しいのです。なぜなら？ まずこの定を修行し、その後そこに生まれるからです。この定をこのように修め、このように習い、このように広く行じ、果実天に生まれるのです。このように意の行いが生じるのです。

「復次，比丘度一切色想，滅有對想，不念若干想，無量空，是無量空處成就遊。彼此定樂欲住，彼此定樂欲住已，必有是處，住彼樂彼，命終生無量空處天中、諸無量空處天者，生彼住彼，受無量空處想，及比丘住此，受無量空處想，此二無量空處想無有差別，二俱等等。所以者何？先此行定，然後生彼，彼此定如是修、如是習、如是廣布，生無量空處天中，如是意行生。

> 「さらに、比丘たちよ、あらゆる色の想いを超越し、対立する想いを滅し、様々な想いに心を奪われず、無限の空を観じる。これが『無量空処』の境地であり、そこに安住して修行する。この境地に安住したいと望み、それを楽しむならば、必ずその境地に至ることができる。その境地に安住し、それを楽しんだ者は、命終の後、無量空処の天に生まれる。無量空処の天に生まれた者たちは、そこに在りて無限の空の想いを受ける。また、この世でこの境地に安住する比丘も、同じく無限の空の想いを受ける。この二つの無限の空の想いに、何の違いもなく、まったく等しい。なぜなら、先にこの禅定を修行し、その後、そこに生まれるからである。この禅定をこのように修め、このように習い、このように広く行じれば、無量空処の天に生まれ、このような意の行いが生じるからである。」

「復次，比丘度無量空處，無量識，是無量識處成就遊。彼此定樂欲住，彼此定樂欲住已，必有是處，住彼樂彼，命終生無量識處天中。諸無量識處天者，生彼住彼，受無量識處想，及比丘住此，受無量識處想，此二無量識處想無有差別，二俱等等。所以者何？先此行定，然後生彼，彼此定如是修、如是習、如是廣布，生無量識處天中，如是意行生。

> 「さらに、比丘よ、無量空処を超え、無量の識を観じて、無量識処を成就して安住する。そして、この禅定に安住し、楽しみ、とどまりたいと願う。そのように願って、そこに安住し、それを楽しみ、命終の後、無量識処の天に生まれる。無量識処の天に生まれた者たちは、そこに生まれ、そこに住み、無量識処の想いを受ける。また、比丘がこの世にありながら、無量識処の想いを受ける。この二つの無量識処の想いに、なんらの違いもなく、まったく等しい。なぜなら、まずこの禅定を修め、その後、そこに生まれるからである。この禅定をこのように修め、このように慣れ親しみ、このように広く行じれば、無量識処の天に生まれ、そのような意志の働きが生じるのである。」

「復次，比丘度無量識處，無所有，是無所有處成就遊。彼此定樂欲住，彼此定樂欲住已，必有是處，住彼樂彼，命終生無所有處天中。諸無所有處天者，生彼住彼，受無所有處想，及比丘住此，受無所有處想，此二無所有處想無有差別，二俱等等。所以者何？先此行定，然後生彼，彼此定如是修、如是習、如是廣布，生無所有處天中，如是意行生。

> さらに、比丘は無量識処を超え、何もないという無所有処を成就して安住します。この定を楽しみ、とどまりたいと願い、その定を楽しみとどまったならば、必ずその境遇があります。それに安住しそれを楽しみ、命終わった後、無所有処天に生まれます。無所有処天の者たちは、そこに生まれとどまり、無所有処の想いを受けます。また比丘がここにとどまり無所有処の想いを受けること、この二つの無所有処の想いに違いはなく、両者は全く等しいのです。なぜなら、まずこの行定があって、その後そこに生まれるからです。この定をこのように修め、このように慣れ親しみ、このように広く行うことによって、無所有処天に生まれ、このような意の行いが生じるのです。

「復次，比丘度一切無所有處想，非有想非無想，是非有想非無想處成就遊。彼此定樂欲住，彼此定樂欲住已，必有是處，住彼樂彼，命終生非有想非無想處天中。諸非有想非無想處天者，生彼住彼，受非有想非無想處想，及比丘住此，受非有想非無想處想，此二想無有差別，二俱等等。所以者何？先此行定，然後生彼，彼此定如是修、如是習、如是廣布，生非有想非無想處天中，如是意行生。

> さらに、比丘たちよ、一切の「無所有処」の想いを超え、「非有想非無想」の境地に達し、その「非有想非無想処」において成就し、とどまる。その者は、この禅定を楽しみ、そこに安住したいと望む。そうして楽しみ、安住すると、必ずやその身が終わった後、「非有想非無想処」の天界に生まれる。そこに生まれた天の者たちも、その境地に住み、「非有想非無想」の想いを受ける。そして、比丘がここで受ける「非有想非無想」の想いも、天の者たちのそれも、この二つの想いに何ら違いはなく、まったく等しい。なぜなら、まずこの禅定を修め、その後にそこに生まれるからである。この禅定を、このように修め、このように習い、このように広く行じれば、「非有想非無想処」の天界に生まれる。これが、心の行いによる生まれである。

「復次，比丘度一切非有想非無想處，想知滅身觸成就遊。慧見諸漏盡斷智，彼諸定中，此定說最第一、最大、最上、最勝、最妙。猶如因牛有乳，因乳有酪，因酪有生酥，因生酥有熟酥，因熟酥有酥精，酥精者說最第一、最大、最上最勝、最妙。如是彼諸定中，此定說最第一、最大、最上、最勝、最妙，得此定、依此定、住此定已，不復受生老病死苦，是說苦邊。」

> また、比丘たちよ、\[修行者は\]一切の非有想非無想処を超え、想と知を滅して身体によって触れる境地（想受滅定）に至り、安住して修行します。智慧によって諸々の煩悩の滅尽と断尽を見極めます。それらの様々な禅定の中で、この禅定こそが最も第一であり、最も大きく、最も優れ、最も勝れ、最も妙であると説かれます。例えば、牛から乳があり、乳から酪があり、酪から生酥があり、生酥から熟酥があり、熟酥から醍醐があり、醍醐こそが最も第一であり、最も大きく、最も優れ、最も勝れ、最も妙であると説かれるのと同じです。このように、それらの様々な禅定の中で、この禅定こそが最も第一であり、最も大きく、最も優れ、最も勝れ、最も妙であると説かれます。この禅定を得て、この禅定に依って、この禅定に住したならば、もはや生・老・病・死の苦を受けることはありません。これが苦の終わりであると説かれます。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

意行經第七竟千三百十九字

> 意行経 第七 終わり<note>千三百十九字</note>