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title: "中阿含經 · 171 分別大業經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一七一）中阿含根本分別品分別大業經第十第四分別誦

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊王舍城，在竹林迦蘭哆園。

> ある時、仏陀は王舎城の竹林精舎におられた。

爾時，尊者三彌提亦遊王舍城，住無事禪屋中。

> その時、尊者サミッティもまた、ラージャガハ（王舎城）に滞在し、静かな禅堂で修行していました。

於是，異學哺羅陀子中後彷徉，往詣尊者三彌提所，共相問訊，却坐一面。「賢三彌提！我欲有所問，聽我問耶？」

> さて、異学バーラドヴァージャの子は、午後遅くに散歩しながら、尊者サミッティのもとへ赴いた。互いに挨拶を交わし、一方に座った。「賢者サミッティよ、私は質問したいことがある。質問してもよいか？」

尊者三彌提答曰：「賢哺羅陀子！欲問便問，我聞已當思。」

> 「瞑羅陀子（ベーラティプッタ）どの、お尋ねになりたいことがあれば、遠慮なくお尋ねください。私は伺った上で、しっかりと考えます。」

異學哺羅陀子便問曰：「賢三彌提！我面從沙門瞿曇聞，面從沙門瞿曇受，身、口業虛妄，唯意業真諦，或有定，比丘入彼定無所覺。」

> 異学の哺羅陀子が尋ねました。「賢者サミッディよ。私は沙門ゴータマから直接このように聞き、直接このように教えを受けました。身体とことばの行為は虚偽であるが、ただ心の行為のみが真実であると。あるいは、比丘がそのような定に入れば、何も感じることはないのでしょうか。」

尊者三彌提告曰：「賢哺羅陀子！汝莫作是說，莫誣謗世尊，誣謗世尊者為不善也。世尊不如是說。賢哺羅陀子！世尊無量方便說，若故作業，作已成者，我說無不受報，或現世受，或後世受。若不故作業，作已成者，我不說必受報也。」

> 尊者サミティが言いました。「尊きバーラダーヴァの子よ、そのように語ってはなりません。世尊を誹謗してはなりません。世尊を誹謗することは善くありません。世尊はそのようにおっしゃってはいません。尊きバーラダーヴァの子よ、世尊は無量の方便をもってお説きになりました。『もし意図的に行為をなし、それが完成したならば、その報いは必ず受けるものである。ある者は現世で受け、ある者は後世で受ける。しかし、もし意図せずに行為をなし、それが完成したとしても、その報いを必ず受けるとは説かない』と。」

異學哺羅陀子至再三語尊者三彌提曰：「賢三彌提！我面從沙門瞿曇聞，面從沙門瞿曇受，身、口業虛妄，唯意業真諦，或有定，比丘入彼定無所覺。」

> 異学の哺羅陀子が三度まで尊者三彌提に語った。「賢き三彌提よ、私は沙門瞿曇から直接聞きました。沙門瞿曇から直接教わりました。身と口の行為は虚妄であり、ただ意の行為だけが真実であると。あるいは定められた境地があり、比丘がその定に入れば何も感じることはないと。」

尊者三彌提亦再三告曰：「賢哺羅陀子！汝莫作是說，莫誣謗世尊，誣謗世尊者為不善也。世尊不如是說。賢哺羅陀子！世尊無量方便說，若故作業，作已成者，我說無不受報，或現世受，或後世受。若不故作業，作已成者，我不說必受報也。」

> 尊者サンミティ（三彌提）は三度繰り返して言いました。「賢明なるプッパラーダ（哺羅陀子）よ、そのようなことを言ってはならない。世尊（仏陀）を誤って誹謗してはならない。世尊を誤って誹謗することは善くない。世尊はそのようなことはおっしゃらなかった。賢明なるプッパラーダよ、世尊は無数の方法で説かれている。もし意図的に行為を行い、それを行い終えたなら、私は『その報いを受けない者がいない』と説く。その報いは現世で受けることもあれば、後世で受けることもある。しかし意図せずに行った行為について、それを既に行ったとしても、私は『必ず報いを受ける』とは説かない。」

異學哺羅陀子問尊者三彌提：「若故作業，作已成者，當受何報？」

> 異学のブローハドラーダが尊者サミッディに問うた。「もし故意に業を作し、それが既に成ったならば、どのような報いを受けるのでしょうか。」

尊者三彌提答曰：「賢哺羅陀子！若故作業，作已成者，必受苦也。」

> 三弥提尊者は答えた。「賢者パンブカの子よ、かつて行った行いが、既に成し遂げられたならば、必ず苦しみを受けることになります。」

異學哺羅陀子復問尊者三彌提曰：「賢三彌提！汝於此法、律學道幾時？」

> 異学のプララーダ子が尊者サミッディに尋ねました。 「サミッディよ、あなたはこの教えと戒律のもとで、どれほど修行しましたか？」

尊者三彌提答曰：「賢哺羅陀子！我於此法、律學道未久，始三年耳。」於是，異學哺羅陀子便作是念：「年少比丘尚能護師，況復舊學上尊上尊人耶？」於是，異學哺羅陀子聞尊者三彌提所說，不是不非，即從座起，奮頭而去。

> 尊敬すべきサン・ミティ尊者は答えました。「ラーダの子よ。私はこの法と律において、学びの道に就いてまだ日が浅く、わずか三年です」 そこで、ラーダの子（異学の者）はこう思いました。「若い比丘でさえ師を守ることができる。ましてや、古くから学び、高きに上り、尊い方々はなおさらであろう」 すると、ラーダの子はサン・ミティ尊者の言葉を聞き、是とも非とも言わずに、座を立って、頭を振りながら去って行きました。

彼時，尊者大周那去尊者三彌提晝行坐處不遠。於是，尊者大周那謂尊者三彌提與異學哺羅陀子所共論者，彼盡誦習，善受持已，即從座起，往詣尊者阿難所，共相問訊，却坐一面。謂尊者三彌提與異學哺羅陀子所共論者，盡向尊者阿難說之。

> その時、尊者のマハー・チュンダは、尊者サミッディが昼間の休息中に座っている場所から遠くないところにいました。そこで、尊者マハー・チュンダは、尊者サミッディが異学のパラーダヴィヤの子と交わした議論の内容をすべて暗記し、よく理解した上で、座を立ち、尊者アーナンダのところへ向かいました。互いに挨拶を交わした後、一隅に座りました。そして、尊者サミッディが異学のパラーダヴィヤの子と交わした議論のすべてを、尊者アーナンダに詳しく語りました。

尊者阿難聞已，語曰：「賢者周那！得因此論，可往見佛，奉獻世尊。賢者周那！今共詣佛，具向世尊而說此義，或能因是得從世尊聞異法也。」

> 尊者のアーナンダはこれを聞いて言った。「賢者チュンダよ、この論議によって、仏のもとへ参り、世尊に奉ることができます。賢者チュンダよ、さあ共に仏のもとへ行き、この義を世尊に詳しく申し上げましょう。あるいは、これによって世尊から別の法を聞くことができるかもしれません。」

於是，尊者阿難、尊者大周那共往詣佛。尊者大周那稽首佛足，却坐一面，尊者阿難稽首佛足，却住一面。

> そこで、尊者アーナンダ（阿難）と尊者のマハー・チュンダ（大周那）は、共に仏のもとへ向かいました。尊者マハー・チュンダは仏の足に額をつけて敬礼し、退いて一方に座りました。尊者アーナンダも仏の足に額をつけて敬礼し、退いて一方に立ちました。

彼時，尊者阿難語曰：「賢者大周那！可說，可說。」

> そのとき、尊者アーナンダが言いました。「尊きマハー・チュンダよ、どうかお話しください。どうかお話しください。」

於是，世尊問曰：「阿難！周那比丘欲說何事？」

> そこで、世尊がお尋ねになりました。「アーナンダよ、ジュンナ比丘は何を語ろうとしていたのか？」

尊者阿難白曰：「世尊！今自當聞。」於是，尊者大周那謂尊者三彌提與異學哺羅陀子所共論者盡向佛說。

> 尊者アーナンダが申し上げました。「世尊よ、どうかこのままお聞きください。」そこで、尊者マハーチュンダは、尊者サミッティと異学のブラーダユの子とが交わした論議のすべてを、如来に向かって詳細に語った。

世尊聞已，告曰：「阿難！看三彌提比丘癡人無道。所以者何？異學哺羅陀子問事不定，而三彌提比丘癡人一向答也。」

> 世尊はこれを聞いて、おっしゃいました。「阿難よ、見なさい。あのサミッティ比丘（修行者）は愚かで道理をわきまえていない。なぜかというと、他宗のプラローダの子が（立場を）定めずに質問したのに、愚かなサミッティ比丘は一方的に答えてしまったからだ。」

尊者阿難白曰：「世尊！若三彌提比丘因此事說，所有覺者是苦，當何咎耶？」

> 尊者アーナンダがお尋ねした。「世尊よ。もしサミッティ比丘が『すべての感覚は苦である』と述べたならば、それはいったい何が誤りなのでしょうか？」

世尊呵尊者阿難曰：「看！阿難比丘亦復無道。阿難！此三彌提癡人，彼異學哺羅陀子盡問三覺，樂覺、苦覺、不苦不樂覺。阿難！若三彌提癡人為異學哺羅陀子所問，如是答者：『賢哺羅陀子！若故作樂業，作已成者，當受樂報；若故作苦業，作已成者，當受苦報；若故作不苦不樂業，作已成者，當受不苦不樂報。』阿難！若三彌提癡人為異學哺羅陀子所問，如是答者，異學哺羅陀子眼尚不敢視三彌提癡人，況復能問如是事耶？阿難！若汝從世尊問分別大業經者，於如來倍復增上心靖得喜。」

> 世尊は尊者アーナンダを叱られて言われた。「見よ、アーナンダ比丘もまた道を外れている。アーナンダよ、この愚かなサミッティは、あの異学（他宗の修行者）プラローダの子から、三つの感覚──楽受、苦受、不苦不楽受──についてすべて問われたのだ。アーナンダよ、もし愚かなサミッティが異学プラローダの子の問いに対して、こう答えたならば──『賢者プラローダの子よ、もし人が意図的に楽の業を作り、それが完成したならば、楽の報いを受けるであろう。もし意図的に苦の業を作り、それが完成したならば、苦の報いを受けるであろう。もし意図的に不苦不楽の業を作り、それが完成したならば、不苦不楽の報いを受けるであろう』と──アーナンダよ、もし愚かなサミッティが異学プラローダの子の問いにこう答えていたならば、異学プラローダの子は愚かなサミッティを一目見ようともしなかったであろう。ましてや、そのようなことを問い直すなどありえないのだ。アーナンダよ、もしあなたが世尊から『大業分別経』について問うならば、如来に対してさらに一層、心が清らかになり喜びを得るであろう。」

於是，尊者阿難叉手向佛白曰：「世尊！今正是時。善逝！今正是時。若世尊為諸比丘說分別大業經者，諸比丘聞已，當善受持。」

> そこで、尊者アーナンダは合掌して仏に向かい、こう申し上げました。「世尊よ、今こそその時です。善逝よ、今こそその時です。もし世尊が比丘たちのために『分別大業経』をお説きになれば、比丘たちはそれを聞いて、よく受け止め、保ち行うでありましょう。」

世尊告曰：「阿難！諦聽，善思念之，我當為汝具分別說。」

> 世尊がおっしゃいました。「阿難よ、よく聞きなさい。しっかりと心に留めて考えなさい。私があなたに詳しく説き明かしましょう。」

尊者阿難白曰：「唯然。」時，諸比丘受教而聽。

> 尊者アーナンダが申し上げました。「かしこまりました。」その時、比丘たちは教えを受け、耳を傾けました。

佛言：「阿難！或有一不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護已，身壞命終，生善處天中。阿難！或有一離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護已，身壞命終，生惡處地獄中。阿難！或有一不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護已，身壞命終，生惡處地獄中。阿難！或有一離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護已，身壞命終，生善處天中。

> 仏は言われた。「阿難よ、ある者は殺生、偸盗、邪淫、妄語、さらには邪見を離れず、それを守らずにいる。そうして身が壊れ命が終わるとき、善い場所、天の世界に生まれることがある。 また、阿難よ、ある者は殺生、偸盗、邪淫、妄語、さらには邪見を離れ、それを守っている。そうして身が壊れ命が終わるとき、悪い場所、地獄に生まれることがある。 また、阿難よ、ある者は殺生、偸盗、邪淫、妄語、さらには邪見を離れず、それを守らずにいる。そうして身が壊れ命が終わるとき、悪い場所、地獄に生まれる。 また、阿難よ、ある者は殺生、偸盗、邪淫、妄語、さらには邪見を離れ、それを守っている。そうして身が壊れ命が終わるとき、善い場所、天の世界に生まれる。」

「阿難！若有一不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護已，身壞命終，生善處天中者。若有沙門、梵志得天眼，成就天眼而見彼，見已，作是念：『無身惡行，亦無身惡行報，無口、意惡行，亦無口、意惡行報。所以者何？我見彼不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護已，身壞命終，生善處天中。若更有如是比不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護者，彼一切身壞命終，亦生善處天中。』如是見者，則為正見，異是見者，則彼智趣耶？若所見所知極力捫摸，一向著說，此是真諦，餘皆虛妄。

> 「阿難よ、もしも人が殺生を離れず、盗みを離れず、邪な性的行為を離れず、嘘を離れず、さらに邪な見解を離れず、これらの悪を離れず守らないまま、身体が壊れ命が終わった後に、良い場所、天界に生まれるとしたら。もしも修行者やバラモンで天眼を得て、その天眼を成就してそのような人を見ることがあるならば、その者は見てこう思うだろう。『身体による悪い行為はなく、その報いもなく、言葉や心による悪い行為もなく、その報いもない。なぜなら、私はあの人が殺生などを離れず守らないまま、死後に天界に生まれたのを見たからだ。同じように、殺生などを離れず守らない者がいれば、彼らもみな死後には天界に生まれるのだ。』このように見ることは正しい見解であり、これと異なる見解は、その人の知恵に基づくものにすぎないのだろうか。あるいは、自分の見聞きした知識を無理にこじつけて、これこそが真理であり、他はすべて虚妄であると固執して語るのだろうか。」

「阿難！若有一離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護已，身壞命終，生惡處地獄中者。若有沙門、梵志得天眼，成就天眼而見彼，見已，作是念：『無身妙行，亦無身妙行報，無口、意妙行，亦無口、意妙行報。所以者何？我見彼離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護已，身壞命終，生惡處地獄中。若更有如是比離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護者，彼一切身壞命終，亦生惡處地獄中。』如是見者，則為正見，異是見者，則彼智趣耶？若所見所知極力捫摸，一向著說，此是真諦，餘皆虛妄。

> 「阿難よ。もし、ある人が殺生、盗み、邪淫、妄語、あるいは邪見（まちがった見解）から離れ、それを守っていたとしても、その人が死んで後、地獄のような悪い場所に生まれるとしたら。もし修行者やバラモンで、天眼（天の目）をそなえ、それをもってその人を見た者がいるとしよう。その者がそれを見て、こう思うだろう。『良い行い（身・口・意の善行）など実在せず、その報いもない。なぜなら、私は殺生、盗み、邪淫、妄語、邪見から離れ、それを守っていた人が、死んで後、地獄に生まれるのを見たからだ。もし他にも同じように、これらの悪から離れて守る人がいれば、その人々も皆、死んで後、地獄に生まれるだろう。』このように見ることが正しい見解であり、これと異なる見解は誤った知恵によるものだ。もし自分の見たこと知ったことを無理に押し通し、これだけが真理で他はすべて虚偽だと固執するならば、それは正しい在り方ではない。

「阿難！若有一不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護已，身壞命終，生惡處地獄中者。若有沙門、梵志得天眼，成就天眼而見彼，見已，作是念：『有身惡行，亦有身惡行報，有口、意惡行，亦有口、意惡行報。所以者何？我見彼不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護已，身壞命終，生惡處地獄中。若更有如是比不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護者，彼一切身壞命終，亦生惡處地獄中。』如是見者，則為正見，異是見者，則彼智趣耶？若所見所知極力捫摸，一向著說，此是真諦，餘皆虛妄。

> 「阿難よ、もし人が殺生をやめず、盗みをやめず、邪淫をやめず、嘘をつくことをやめず、さらには邪見を離れず、これらを守らずにいたならば、その人は命終わった後、悪い場所、地獄に生まれます。 そこで、ある修行者や婆羅門が天眼を得ていて、その天眼を使ってその人を見ると、次のように考えます。『身体による悪い行いがあり、その報いもある。言葉や心による悪い行いもあり、その報いもある。なぜなら、私はあの人が殺生、盗み、邪淫、嘘、そして邪見を離れず、それらを守らずに命終わり、地獄に生まれるのを見たからだ。そして、同じように殺生や悪行を離れず、守らない人々は、皆、命終わった後に地獄に生まれるのだ』と。 このような見解を持つことは正しい見解ですが、これとは異なる見解を持つことは、その人の智慧が誤った方向に向かっているということでしょうか？実際には、ある人が見たり知ったりしたことを、必死にこねくり回して、一方的に『これこそが真実であり、他はすべて虚偽である』と主張することは、正しいとは言えません。」

「阿難！若有一離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護已，身壞命終，生善處天中者。若有沙門、梵志得天眼，成就天眼而見彼，見已，作是念：『有身妙行，亦有身妙行報，有口、意妙行，亦有口、意妙行報。所以者何？我見彼離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護已，身壞命終，生善處天中。若更有如是比離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護者，彼一切身壞命終，亦生善處天中。』如是見者，則為正見，異是見者，則彼智趣耶？若所見所知極力捫摸，一向著說，此是真諦，餘皆虛妄。

> 「阿難よ、もし人が殺生を離れ、盗みを離れ、邪淫を離れ、虚言を離れ、さらには邪見を離れて、これらの行為を慎み守ったなら、命終わった後に善き場所、天界に生まれる。また、修行者やバラモンの中に天眼を得て、その者を見ることができる者がいる。彼はそれを見て、こう考える——『身の善い行いがあり、その報いもある。口と意の善い行いがあり、その報いもある。なぜなら、私はあの者が殺生、盗み、邪淫、虚言、さらには邪見を離れ、それを慎み守ったのを見て、その者が命終わった後に善き場所、天界に生まれるのを見たからだ。もし他にも同じように殺生、盗み、邪淫、虚言、さらには邪見を離れ、それを慎み守る者がいれば、その者たちも皆、命終わった後に善き場所、天界に生まれるだろう。』このように見ることが正しい見解であり、それと異なる見解は誤った知恵によるものだろうか？このように見て知り、力強く確かめ、それに固執して『これこそが真実であり、他はすべて虚偽である』と主張すること。』

「阿難！於中若有一沙門、梵志得天眼，成就天眼，作如是說：『無身惡行，亦無身惡行報，無口、意惡行，亦無口、意惡行報。』者，我不聽彼。若作是說：『我見彼不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護已，身壞命終，生善處天中。』我聽彼也。若作是說：『若更有如是比不離殺、不與取、邪婬、妄言，乃至邪見，此不離、不護者，彼一切身壞命終，亦生善處天中。』者，我不聽彼。若作是說：『如是見者，則為正見，異是見者，則彼智趣邪。』者，我不聽彼。若所見所知極力捫摸，一向著說，此是真諦，餘皆虛妄者，我不聽彼。所以者何？阿難！如來知彼人異。

> 「アーナンダ、たとえある沙門や梵志が天眼を得て、天眼を成就していて、こう言ったとしても——『身体による悪行はなく、身体による悪行の報いもない。言葉と心による悪行もなく、その報いもない』と——私はそれを認めない。 もしこう言うならば——『私は、彼が殺生・不与取・邪淫・虚偽の言葉、さらには邪見を離れず、それらを守らずにいるのを見る。しかし、そのような状態でありながら、身体が壊れ命が終わった後、善い場所、天界に生まれるのを見る』と——私はそれを認める。 もしこう言うならば——『他にも、これと同じように殺生・不与取・邪淫・虚偽の言葉、さらには邪見を離れず、それらを守らない者たちは、すべて身体が壊れ命が終わった後、善い場所、天界に生まれる』と——私はそれを認めない。 もしこう言うならば——『このような見解こそが正見であり、これと異なる見解は、その智慧が邪な方向に向かっている』と——私はそれを認めない。 もし、見聞きしたことや知ったことを力強く押し固め、それだけに執着して『これこそが真理であり、他はすべて虚偽である』と言うならば、私はそれを認めない。 なぜか。アーナンダよ、如来はその人のありようを別に知っているからである。」

「阿難！於中若有一沙門、梵志得天眼，成就天眼，作如是說：『無身妙行，亦無身妙行報，無口、意妙行，亦無口、意妙行報。』我不聽彼。若作是說：『我見彼離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護已，身壞命終，生惡處地獄中。』我聽彼也。若作是說：『若更有如是比離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護者，彼一切身壞命終，亦生惡處地獄中。』者，我不聽彼。若作是說：『如是見者，則為正見，異是見者，則彼智趣邪。』者，我不聽彼。若所見所知極力捫摸，一向著說，此是真諦，餘皆虛妄者，我不聽彼。所以者何？阿難！如來知彼人異。

> 「アーナンダよ。仮に誰か修行者やバラモンがいて、天眼を得て、天眼を成就し、次のように言う者がいたとしよう。『身体による善い行いもなければ、その報いもない。言葉や心による善い行いも、その報いもない。』と。私はその言葉を認めない。 また、こう言う者がいたとしよう。『私は、あの殺生・盗み・邪淫・虚偽の言葉、さらには邪見などから離れ、これを守り終えた者を見た。その者は、身体が壊れ命が終わった後、悪い場所である地獄に生まれるのを。』と。これは私は認める。 また、こう言う者がいたとしよう。『これと同じように、殺生・盗み・邪淫・虚偽の言葉、さらには邪見から離れ、これを守る者たちは、その全てが身体が壊れ命が終わった後、悪い場所である地獄に生まれるのだ。』と。これは私は認めない。 また、こう言う者がいたとしよう。『このように見ることが正しい見方であり、これと異なる見方は、その人の智慧が邪な方向へ向かうものである。』と。これも私は認めない。 また、自分が見たり知ったりしたことを無理やりこじつけ、一方的にこれこそが真実であり、他はすべて虚偽であると執着して言う者についても、私はそれを認めない。 なぜか。アーナンダよ。如来はその人が異なることを知っているからである。」

「阿難！於中若有一沙門、梵志得天眼，成就天眼，作如是說：『有身惡行，亦有身惡行報，有口、意惡行，亦有口、意惡行報。』我聽彼也。若作是說：『我見彼不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護已，身壞命終，生惡處地獄中。』者，我聽彼也。若作是說：『若更有如是比不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護者，彼一切身壞命終，亦生惡處地獄中。』者，我不聽彼。若作是說：『如是見者，則為正見，異是見者，則彼智趣邪。』者，我不聽彼。若所見所知極力捫摸，一向著說，此是真諦，餘皆虛妄者，我不聽彼。所以者何？阿難！如來知彼人異。

> 「アーナンダ、もしある修行者やバラモンが天眼を得て、天眼を成就し、次のように説くならば──『身体による悪行があり、その報いもある。言葉による悪行、心による悪行もあり、その報いもある』──私はそれを認めよう。また、次のように説くならば──『私は、彼が殺生、盗み、邪淫、虚偽の言葉、さらには邪見を離れず、守らずにいるのを見る。その者は身体が壊れ命を終えた後、悪い場所、地獄に生まれる』──これも私は認めよう。しかし、次のように説くならば──『もし他にも、これと同じように殺生、盗み、邪淫、虚偽の言葉、さらには邪見を離れず、守らない者がいるなら、その者たちは皆、身体が壊れ命を終えた後、悪い場所、地獄に生まれる』──これを私は認めない。また、次のように説くならば──『このように見ることが正しい見解であり、これと異なる見解は、その者の知恵が邪な方向へ向かっている』──これも私は認めない。さらに、自分の見聞きしたことを無理に押し付け、頑なに執着して『これこそが真実であり、他はすべて虚偽である』と説くならば──これも私は認めない。なぜか？ アーナンダよ、如来はその人のことを別様に知っているからである。」

「阿難！於中若有一沙門、梵志得天眼，成就天眼，作如是說：『有身妙行，亦有身妙行報，有口、意妙行，亦有口、意妙行報。』者，我聽彼也。若作是說：『我見彼離殺、不與取、邪婬、妄言，乃至邪見，此離、護已，身壞命終，生善處天中。』者，我聽彼也。若作是說：『若更有如是比離殺、不與取、邪婬、妄言，乃至邪見，彼一切身壞命終，亦生善處天中。』者，我不聽彼。若作是說：『如是見者，則為正見，異是見者，則彼智趣邪。』者，我不聽彼。若所見所知極力捫摸，一向著說，此是真諦，餘皆虛妄者，我不聽彼。所以者何？阿難！如來知彼人異。

> 「阿難よ。もしも一人の修行者やバラモンがいて、天眼を得て、それを成就し、こう言うとする――『身体による善い行いがあり、その報いもある。言葉と心による善い行いがあり、その報いもある』と。私はそれを認める。 もしも彼がこう言うなら――『私は、あの人が殺生、盗み、邪淫、嘘、さらには誤った見解を離れ、それを守ったのを見た。その人は身体が壊れ、命が終わった後、善い場所、天界に生まれた』と。私はそれを認める。 しかし、もしも彼がこう言うなら――『同じように殺生、盗み、邪淫、嘘、さらには誤った見解を離れた人々は、皆、身体が壊れ、命が終わった後、善い場所、天界に生まれるのだ』と。私はそれを認めない。 また、もしも彼がこう言うなら――『このように見ることが正しい見解であり、これと異なる見解は、すべて誤った知恵の方向へ向かう』と。私はそれを認めない。 さらに、もしも見たり知ったりしたことに固執し、それを力強く確かめたと思い込み、それだけに執着して『これこそが真実であり、他はすべて虚妄である』と主張するならば、私はそれを認めない。 なぜか。阿難よ。如来は、その人のことを異なって知っているからである。」

「阿難！若有一不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護已，身壞命終，生善處天中者，彼若本作不善業，作已成者，因不離、不護故，彼於現法中受報訖而生於彼，或復因後報故，彼不以此因、不以此緣，身壞命終，生善處天中。或復本作善業，作已成者，因離、護故，未盡應受善處報，彼因此緣此故，身壞命終，生善處天中。或復死時生善心，心所有法正見相應，彼因此緣此，身壞命終，生善處天中。阿難！如來知彼人為如是也。

> 「阿難、もしも人が殺生、盗み、邪悪な行い、嘘、さらには邪見から離れず、それらを守らないなら、その人は身が壊れ命が終わった後、善い場所（天）に生まれることがある。その場合、もしもその人が以前に行った悪業が、すでに行われ完成していたとしても、それらから離れず守らなかったために、現世でその報いを受け終えてからそこに生まれるか、または後の報いによっても、その因や縁によって身が壊れ命が終わった後に善い場所に生まれるわけではない。あるいは、以前に行った善業がすでに行われ完成していた場合、それらから離れ守ったために、受けるべき善い場所での報いが尽きず、その因と縁によって、身が壊れ命が終わった後に善い場所に生まれる。あるいは、死ぬ時に善い心を起こし、心とその心に伴う法が正しい見解と相応するなら、その因と縁によって、身が壊れ命が終わった後に善い場所に生まれる。阿難、如来はそのような人をこのように知っているのである。」

「阿難！若有一離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護已，身壞命終，生惡處地獄中者，彼若本作善業，作已成者，因離、護故，彼於現法中受報訖而生於彼。或復因後報故，彼不以此因、不以此緣，身壞命終，生惡處地獄中。或復本作不善業，作已成者，因不離、不護故，未盡應受地獄報，彼因此緣此，身壞命終，生惡處地獄中。或復死時生不善心，心所有法邪見相應，彼因此緣此，身壞命終，生惡處地獄中。阿難！如來知彼人為如是也。

> 阿難よ。もしある人が殺生、盗み、邪な性行為、虚偽の言葉、さらには誤った見解を離れ、これらの行為を慎んで守ったとしても、その人が、身体が壊れて命が終わった後に、悪い場所、すなわち地獄に生まれることがあるならば、それは以下の理由による。 その人が過去に善い行いをし、それがすでに成就している場合、その善行の結果として、この現世で報いを受け終えた後に、地獄に生まれることもある。あるいは、未来に受けるべき報いの結果として、その禁戒を守ったこと自体が直接の原因や縁となって地獄に生まれるわけではない。 また、その人が過去に不善な行いをし、それがすでに成就している場合、禁戒を離れ、守らなかったことによって、まだ受けるべき地獄の報いが尽きていないために、その因と縁によって、身体が壊れて命が終わった後に、悪い場所、地獄に生まれるのである。 あるいは、その人が死ぬときに不善な心を起こし、その心に伴う諸々の法が誤った見解と相応するために、その因と縁によって、身体が壊れて命が終わった後に、悪い場所、地獄に生まれるのである。 阿難よ。如来は、その人の状態をこのように知っているのである。

「阿難！若有一不離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此不離、不護已，身壞命終，生惡處地獄中者，彼即因此緣此，身壞命終，生惡處地獄中。或復本作不善業，作已成者，因不離、不護故，未盡應受地獄報，彼因此緣此，身壞命終，生惡處地獄中。或復死時生不善心，心所有法邪見相應，彼因此緣此，身壞命終，生惡處地獄中。阿難！如來知彼人為如是也。

> 「阿難よ、もしある人が殺生、盗み、邪淫、虚偽の言葉、さらには邪見から離れず、それらを守らずにいるならば、その人は身が壊れ命が終わった後、悪い場所、地獄に生まれます。それは、まさにその原因と縁によって、身が壊れ命が終わった後、悪い場所、地獄に生まれるのです。あるいは、過去に作り、すでに成した不善の業が、離れず守らないという原因によって、まだ尽きていない地獄の報いを受けるべきであり、その人はその原因と縁によって、身が壊れ命が終わった後、悪い場所、地獄に生まれます。あるいは、死ぬ時に不善の心を生じ、心に属する法が邪見と相応するならば、その人はその原因と縁によって、身が壊れ命が終わった後、悪い場所、地獄に生まれます。阿難よ、如来はその人をそのように知っているのです。」

「阿難！若有一離殺、不與取、邪婬、妄言乃至邪見，此離、護已，身壞命終，生善處天中者，彼即因此緣此，身壞命終，生善處天中。或復本作善業，作已成者，因離、護故，未盡應受報，彼因此緣此，身壞命終，生善處天中。或復死時生善心，心所有法正見相應，彼因此緣此，身壞命終，生善處天中。阿難！如來知彼人為如是也。

> 阿難よ。もし人が殺生を離れ、与えられないものを取らず、邪な淫行をせず、嘘をつかず、さらには邪な見解を持たないように、これらの行いを離れて守るならば、その人は命を終えて身が壊れた後、善い場所である天界に生まれ変わります。そうなるのは、この離れ守ったことが原因であり、依りどころとなるのです。 あるいは、過去に善い行いを積み、それをすでに成し遂げていたとしても、離れて守ったことが原因で、その果報がまだ尽きずに残っている場合があります。その人は、この離れ守ったことを因とし、縁として、命を終えた後に善い天界に生まれます。 また、あるいは臨終の際に善い心を起こし、心と心に伴うすべての働きが正しい見解と調和するならば、その人はこの善い心を因とし、縁として、命を終えた後に善い天界に生まれます。 阿難よ。如來はその人のようになることを、このように知っているのです。

「復次，有四種人，或有人無有似有，或有似無有，或無有似無有，或有似有。阿難！猶如四種㮈，或㮈不熟似熟，或熟似不熟，或不熟似不熟，或熟似熟。如是，阿難！四種㮈喻人，或有人無有似有，或有似無有，或無有似無有，或有似有。」

> 「また、阿難よ、四種類の人がいる。ある者は何もないのに何かあるように見え、ある者は何かあるのに何もないように見え、ある者は何もないのがそのまま何もないように見え、ある者は何かあるのがそのまま何かあるように見える。阿難よ、それはちょうど四種類の果物のようなものだ。ある果物は熟していないのに熟しているように見え、ある果物は熟しているのに熟していないように見え、ある果物は熟していないのがそのまま熟していないように見え、ある果物は熟しているのがそのまま熟しているように見える。このように、阿難よ、四種類の果物のたとえのように、人にも四種類いる。すなわち、何もないのに何かあるように見える人、何かあるのに何もないように見える人、何もないのがそのまま何もないように見える人、何かある

佛說如是。尊者阿難及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。尊者アーナンダと諸々の比丘たちは、仏の説かれたことを聞き、歓喜してこれを行いました。

分別大業經第十竟三千五百七字

> 分別大業経 第十 終わり<note>三千五百七字</note>

## 中阿含經卷第四十四六千九百七十二字中阿含根本分別品第二竟二萬四千五百八十九字第四分別誦

> 中阿含経 第四十四巻<note>六千九百七十二字</note>