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title: "中阿含經 · 173 浮彌經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一七三）中阿含心品浮彌經第二第四分別誦

> （一七三）中阿含心品浮弥経第二<note>第四分別誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊王舍城，在竹林迦蘭哆園。

> ある時、仏陀は王舎城の竹林精舎におられた。

爾時，尊者浮彌，亦在王舍城無事禪室中。於是，尊者浮彌過夜平旦，著衣持鉢，欲入王舍城而行乞食，尊者浮彌復作是念：「且置入王舍城乞食，我寧可往至王子耆婆先那童子家。」於是，尊者浮彌便往至王子耆婆先那童子家。

> その頃、尊者フミ（浮彌）もまた、王舎城の静かな瞑想の部屋にいた。朝になり、尊者フミは衣を整え、鉢を持って、王舎城に入り托鉢に出かけようとした。その時、尊者フミはこう考えた。「王舎城での托鉢はやめて、王子ジーバ・クシャナ（耆婆先那）童子の家に行こう。」そうして、尊者フミは王子ジーバ・クシャナ童子の家へと向かった。

王子耆婆先那童子遙見尊者浮彌來，即從座起，偏袒著衣，叉手向尊者浮彌，作如是說：「善來，尊者浮彌！尊者浮彌久不來此，可坐此床。」尊者浮彌即便就坐。

> 王子ジーバ仙人の弟子である少年は、尊者ブーミを遠くから見かけると、すぐに座を立ち、衣を片方の肩にかけ、合掌して尊者ブーミに向かってこう言いました。「ようこそおいでくださいました、尊者ブーミ。尊者ブーミがこちらにいらっしゃるのは久しぶりですね。どうぞこちらにお掛けください。」尊者ブーミはそのまま座につきました。

王子耆婆先那童子稽首尊者浮彌足，却坐一面，白曰：「尊者浮彌！我欲有所問，聽我問耶？」

> 王子にして医者のジーヴァカ・クマーラ童子は、尊者のブミに頭を下げてお辞儀をすると、一歩さがって座り、こう申し上げました。「尊者ブミよ、私はお尋ねしたいことがございます。お聞きいただいてよろしいでしょうか。」

尊者浮彌答曰：「王童子！欲問便問，我聞已當思。」

> 尊者 浮彌がお答えになりました。「王子よ、お聞きになりたいことがあれば、どうぞお尋ねください。私が伺った上で、よく考えてお答えいたしましょう。」

王童子便問尊者浮彌：「或有沙門梵志來詣我所，而語我曰：『王童子！有人作願行正梵行，彼必得果，或無願，或願無願，或非有願非無願行正梵行，彼必得果。』尊者浮彌！尊師何意、云何說？」

> 王童子は尊者浮彌に尋ねました。「ある修行者やバラモンが私のところに来て、こう言うのです。『王童子よ、願望を持って正しい梵行を実践する者は、必ずその結果を得る。願望がなくても、願望と無願望の両方でも、願望も無願望でもない場合でも、正しい梵行を実践する者は、必ずその結果を得る。』と。尊者浮彌よ、あなたの師匠はどのようなお考えで、どのように説かれるのですか。」

尊者浮彌告曰：「王童子！我不面從世尊聞，亦不從諸梵行聞。王童子！世尊或如是說：『或有人作願行正梵行，彼必得果，或無願，或願無願，或非有願非無願行正梵行，彼必得果。』」

> 尊者フミは言った。「王童子よ、私は世尊から直接聞いたのではなく、また修行者たちから聞いたのでもない。王童子よ、世尊はこのようにお説きになったことがあるかもしれない。『ある人は願いを持って正しい梵行を実践すれば、必ず結果を得る。あるいは願いを持たずに、あるいは願いと願いなきの両方で、あるいは願いがあるのでもなく願いがないのでもなく正しい梵行を実践すれば、必ず結果を得る。』」

王童子白曰：「若尊者浮彌尊師如是意、如是說者，此於世間，天及魔、梵、沙門、梵志，從人至天，最在其上。尊者浮彌！可在此食。」尊者浮彌默然而受。王童子知尊者浮彌默然受已，即從坐起，自行澡水，以極美淨妙種種豐饒食噉含消，自手酙酌，令得飽滿，食訖收器，行澡水已，取一小床別坐聽法。尊者浮彌為彼說法，勸發渴仰，成就歡喜，無量方便為彼說法，勸發渴仰。成就歡喜已，從坐起去，往詣佛所，稽首佛足，却坐一面，與王童子所共論者盡向佛說。

> 王の子は言った。「もし尊師の浮彌（ふみ）尊者がそのようにお考えになり、そのようにおっしゃるのであれば、それはこの世において、天や魔や梵天、沙門や梵志（修行者）たち、人から天に至るまで、最も優れたお方でいらっしゃいます。尊師・浮彌よ、どうぞここでお食事をお召し上がりください。」 尊者・浮彌は黙ってそれを受け入れられた。王の子は、尊師が黙って承知されたのを知ると、席を立ち、自ら手を清める水を用意し、極めて美しく清らかで様々な豊かな食べ物や飲み物を自らの手で酌み注いで、満ち足りるまで供した。食事が終わり食器を片付け、手を清める水を差し出した後、小さな椅子を取って別座に座り、法をお聞きした。 尊者・浮彌は彼のために法を説き、敬い慕う心を呼び起こし、喜びを成就させ、無数の方便を用いて法を説き、敬い慕う心を呼び起こし、喜びを成就させられた。その後、席を立ち、仏のもとへ向かい、仏の足に頭を触れて礼拝し、一方に退いて座り、王の子と共に論じたことをすべて仏に申し上げた。

世尊聞已，告曰：「浮彌！何意不為王童子說四喻耶？」

> 世尊はお聞きになって、おっしゃいました。「浮彌よ、なぜあなたは王の童子に四つの比喻を説かなかったのですか。」

尊者浮彌問曰：「世尊！何謂四喻？」

> 尊者浮彌が尋ねました。「尊き方よ、四つの譬えとは何でしょうか？」

世尊答曰：「浮彌！若有沙門、梵志，邪見、邪見定，彼作願行行邪梵行，必不得果，無願、願無願、非有願非無願行邪梵行，必不得果。所以者何？以邪求果，謂無道也。浮彌！猶如有人欲得乳者而𤛓牛角，必不得乳，無願、願無願、非有願非無願人欲得乳而𤛓牛角，必不得乳。所以者何？以邪求乳，謂𤛓牛角也。如是，浮彌！若有沙門、梵志，邪見、邪見定，彼作願行行邪梵行，必不得果，無願、願無願、非有願非無願行邪梵行，必不得果。所以者何？以邪求果，謂無道也。

> 世尊は答えて言われた。「浮彌よ、もし修行者やバラモンが、誤った見解を持ち、誤った見解に固執するならば、彼らが願いを立てて行う誤った清らかな行いによって、必ずや結果を得ることはない。また、願いを立てず、願いと無願の両方でもなく、願いがあるのでもなく無いのでもないという行いによっても、必ずや結果を得ることはない。なぜなら、誤った方法で結果を求めているからであり、それは道が無いからである。浮彌よ、ちょうど牛の乳を得ようとして牛の角を搾る人がいるならば、必ず乳を得ることはない。また、願いを立てず、願いと無願の両方でもなく、願いがあるのでもなく無いのでもない人が乳を得ようとして牛の角を搾っても、必ず乳を得ることはない。なぜなら、誤った方法で乳を求めているからであり、それは牛の角を搾っているからである。まさにそのように、浮彌よ、修行者やバラモンが、誤った見解を持ち、誤った見解に固執するならば、彼らが願いを立てて行う誤った清らかな行いによって、必ずや結果を得ることはない。また、願いを立てず、願いと無願の両方でもなく、願いがあるのでもなく無いのでもないという行いによっても、必ずや結果を得ることはない。なぜなら、誤った方法で結果を求めているからであり、それは道が無いからである。」

「浮彌！若有沙門、梵志，正見、正見定，彼作願行行正梵行，彼必得果，無願、願無願、非有願非無願行正梵行，彼必得果。所以者何？以正求果，謂有道也。浮彌！猶如有人欲得乳者，飽飲飼牛而𤛓牛乳，彼必得乳，無願、願無願、非有願非無願人欲得乳，飽飲飼牛而𤛓牛乳，彼必得乳。所以者何？以正求乳，謂𤛓牛乳也。如是，浮彌！若有沙門、梵志，正見、正見定，彼作願行行正梵行，彼必得果，無願、願無願、非有願非無願行正梵行，彼必得果。所以者何？以正求果，謂有道也。

> 「浮弥よ。もしも修行者や聖者たちが、正しい見解と正しい見解に基づく心の統一を持ち、願いを立てて正しい修行に励むならば、必ずその成果を得る。また、願いを立てずに、あるいは願いを立てることも立てないこともなく、正しい修行に励むならば、それも必ず成果を得る。なぜなら、正しく成果を求める道があるからである。 浮弥よ、たとえば、乳を得ようとする人がいるならば、牛を十分に養い、よく搾って乳を得る。その人は必ず乳を得る。願いを立てずに、あるいは願いを立てることも立てないこともなく、乳を得ようとする人が、牛を十分に養い、よく搾って乳を得るならば、その人も必ず乳を得る。なぜなら、正しく乳を求める方法、すなわち搾るという方法があるからである。 同じように、浮弥よ。もしも修行者や聖者たちが、正しい見解と正しい見解に基づく心の統一を持ち、願いを立てて正しい修行に励むならば、必ずその成果を得る。また、願いを立てずに、あるいは願いを立てることも立てないこともなく、正しい修行に励むならば、それも必ず成果を得る。なぜなら、正しく成果を求める道があるからである。」

「浮彌！若有沙門、梵志，邪見、邪見定，彼作願行行邪梵行，必不得果，無願、願無願、非有願非無願行邪梵行，必不得果。所以者何？以邪求果，謂無道也。浮彌！猶如有人欲得酥者，以器盛水，以抨抨之，必不得酥，無願、願無願、非有願非無願人欲得酥，以器盛水，以抨抨之，必不得酥。所以者何？以邪求酥，謂抨水也。如是，浮彌！若有沙門、梵志，邪見、邪見定，彼作願行行邪梵行，必不得果，無願、願無願、非有願非無願行邪梵行，必不得果。所以者何？以邪求果，謂無道也。

「浮彌！若有沙門、梵志，正見、正見定，彼作願行行正梵行，彼必得果，無願、願無願、非有願非無願行正梵行，彼必得果。所以者何？以正求果，謂有道也。浮彌！猶如有人欲得酥者，以器盛酪，以抨抨之，彼必得酥，無願、願無願、非有願非無願人欲得酥，以器盛酪，以抨抨之，彼必得酥。所以者何？以正求酥，謂抨酪也。如是，浮彌！若有沙門、梵志，正見、正見定，彼作願行行正梵行，彼必得果，無願、願無願、非有願非無願行正梵行，彼必得果。所以者何？以正求果，謂有道也。

> 「浮弥よ。もしも修行者や聖者が、正しい見解と正しい見解に基づく集中を持ち、願いを立てて正しい修行を行うならば、必ずその結果を得るであろう。また、願いを立てず、あるいは願いと無願との間で、あるいは願いありとも無しとも言えない立場で正しい修行を行っても、必ずその結果を得るであろう。なぜか。正しい方法で結果を求めるからである。すなわち、道があるからである。 浮弥よ。例えば、人がバターを得たいと思って、器にヨーグルトを入れ、かき混ぜ棒でかき混ぜれば、必ずバターを得る。願いを立てず、あるいは願いと無願との間で、あるいは願いありとも無しとも言えない立場でバターを得ようとして、器にヨーグルトを入れ、かき混ぜ棒でかき混ぜても、必ずバターを得るであろう。なぜか。正しい方法でバターを求めるからである。すなわち、ヨーグルトをかき混ぜるからである。 同じように、浮弥よ。もしも修行者や聖者が、正しい見解と正しい見解に基づく集中を持ち、願いを立てて正しい修行を行うならば、必ずその結果を得るであろう。また、願いを立てず、あるいは願いと無願との間で、あるいは願いありとも無しとも言えない立場で正しい修行を行っても、必ずその結果を得るであろう。なぜか。正しい方法で結果を求めるからである。すなわち、道があるからである。」

「浮彌！若有沙門、梵志，邪見、邪見定，彼作願行行邪梵行，必不得果，無願、願無願、非有願非無願行邪梵行，必不得果。所以者何？以邪求果，謂無道也。浮彌！猶如有人欲得油者，以笮具盛沙，以冷水漬而取壓之，必不得油，無願、願無願、非有願非無願人欲得油，以笮具盛沙，以冷水漬而取壓之，必不得油。所以者何？以邪求油，謂壓沙也。如是，浮彌！若有沙門、梵志，邪見、邪見定，彼作願行行邪梵行，必不得果，無願、願無願、非有願非無願行邪梵行，必不得果。所以者何？以邪求果，謂無道也。

> 「フミよ。もしも修行者やバラモンの中で、誤った見解を持ち、誤った見解に固執する者がいるなら、その者が何か願いを立てて誤った修行を行っても、必ず成果は得られません。願いを立てず、願いを立てたり立てなかったり、願いがあるのでもなくないのでもないという態度で誤った修行を行っても、やはり成果は得られません。なぜなら、誤った方法で成果を求めているからであり、それは道が無いのと同じだからです。 フミよ。例えば、油を得ようとして、砂を搾り器に入れ、冷水で浸してから押し搾っても、決して油は得られません。願いを立てず、願いを立てたり立てなかったり、願いがあるのでもなくないのでもない態度で油を得ようとしても、砂を搾り器に入れ、冷水で浸して押し搾っても、決して油は得られません。なぜなら、誤った方法で油を求めているからであり、それは砂を搾っているのと同じだからです。 そのように、フミよ。もしも修行者やバラモンの中で、誤った見解を持ち、誤った見解に固執する者がいるなら、その者が何か願いを立てて誤った修行を行っても、必ず成果は得られません。願いを立てず、願いを立てたり立てなかったり、願いがあるのでもなくないのでもない態度で誤った修行を行っても、やはり成果は得られません。なぜなら、誤った方法で成果を求めているからであり、それは道が無いのと同じだからです。」

「浮彌！若有沙門、梵志，正見、正見定，彼作願行行正梵行，彼必得果，無願、願無願、非有願非無願行正梵行，彼必得果。所以者何？以正求果，謂有道也。猶如有人欲得油者，以笮具盛麻子，以煖湯漬而取壓之，彼必得油，無願、願無願、非有願非無願人欲得油，以笮具盛麻子，以煖湯漬而取壓之，彼必得油。所以者何？以正求油，謂壓麻子也。如是，浮彌！若有沙門、梵志正見、正見定，彼作願行行正梵行，彼必得果，無願、願無願、非有願非無願行正梵行，彼必得果。所以者何？以正求果，謂有道也。

> 浮弥よ。もしも修行者や僧侶で、正しい見解と正しい見解に基づく心の統一（定）をそなえている者がいるなら、その者は「願望を持って正しい清らかな行い（梵行）を実践する」と、必ず悟りの果報（果）を得る。また、「願望なく」「願望と無願望の両方を超えて」「願望があるのでもなく、願望がないのでもない」行いで正しい清らかな行いを実践しても、必ず悟りの果報を得る。なぜなら、果報を正しく求める道があるからである。 それはあたかも、油を得ようとする人が、搾り道具に胡麻の実を入れ、ぬるま湯に浸して絞れば、必ず油を得るようなものだ。たとえその人が「願望なく」「願望があり無願望の両方を超えて」「願望があるのでもなく、願望がないのでもない」と思っていても、搾り道具に胡麻の実を入れ、ぬるま湯に浸して絞れば、必ず油を得る。なぜなら、油を正しく求める方法、すなわち胡麻の実を搾るという道があるからである。 全く同様に、浮弥よ。もし修行者や僧侶で、正しい見解と正しい見解に基づく心の統一をそなえている者がいるなら、その者は「願望を持って正しい清らかな行いを実践する」と、必ず悟りの果報を得る。また、「願望なく」「願望と無願望の両方を超えて」「願望があるのでもなく、願望がないのでもない」行いで正しい清らかな行いを実践しても、必ず悟りの果報を得る。なぜなら、果報を正しく求める道があるからである。

「浮彌！若有沙門、梵志，邪見、邪見定，彼作願行行邪梵行，必不得果，無願、願無願、非有願非無願行邪梵行，必不得果。所以者何？以邪求果，謂無道也。浮彌！猶如有人欲得火者，以濕木作火母，以濕鑽鑽，必不得火，無願、願無願、非有願非無願人欲得火，以濕木作火母，以濕鑽鑽，必不得火。所以者何？以邪求火，謂鑽濕木也。如是，浮彌！若有沙門、梵志，邪見、邪見定，彼作願行行邪梵行，必不得果，無願、願無願、非有願非無願行邪梵行，必不得果。所以者何？以邪求果，謂無道也。

> 「浮彌よ、もしも修行者や婆羅門（バラモン）が、誤った見解や誤った見解に基づく確固たる思い込みを持ち、願望を抱いて誤った修行を実践しても、決して成果を得ることはできません。また、願望を持たず、願望と無願望の両方を超え、願望があるのでもなく無いのでもないとしながら誤った修行を実践しても、やはり成果を得ることはできません。それはなぜか？誤った方法で成果を求めているからであり、そこに正しい道はないからです。 浮彌よ、ちょうど火を得ようとして、湿った木材を火種にし、湿った火鑽（ひきり）でこすっても、決して火を得ることはできないのと同じです。願望を持たず、あるいはいずれの立場も超えた人が火を得ようとして、湿った木材と湿った火鑽を用いても、やはり火は得られません。それはなぜか？湿った木材をこするという、誤った方法で火を求めているからです。 同じように、浮彌よ、修行者や婆羅門が誤った見解や誤った確信に基づき、願望をもって誤った修行をしても成果は得られず、また願望も無願望も超えた立場で誤った行いをしても成果は得られません。それは、正しい道ではなく誤った方法で成果を求めているからです。」

「浮彌！若有沙門、梵志，正見、正見定，彼作願行行正梵行，彼必得果，無願、願無願、非有願非無願行正梵行，彼必得果。所以者何？以正求果，謂有道也。浮彌！猶如有人欲得火者，以燥木作火母，以燥鑽鑽，彼必得火，無願、願無願、非有願非無願人欲得火，以燥木作火母，以燥鑽鑽，彼必得火。所以者何？以正求火，謂鑽燥木也。如是，浮彌！若有沙門、梵志正見、正見定，彼作願行行正梵行，彼必得果，無願、願無願、非有願非無願行正梵行，彼必得果。所以者何？以正求果，謂有道也。

「浮彌！若汝為王童子說此四喻者，王童子聞已必大歡喜，供養於汝，盡其形壽，謂衣被、飲食、臥具、湯藥及餘種種諸生活具。」

> 「フミよ、もしあなたがこの4つのたとえ話を王子様に話したならば、王子様はそれを聞いてきっと大いに喜び、あなたのことを生涯にわたって敬い支えることでしょう。つまり、衣服、食べ物、寝具、薬、その他さまざまな生活に必要な品々を差し出すのです。」

尊者浮彌白曰：「世尊！我本未曾聞此四喻，何由得說？唯今始從世尊聞之。」

> 尊者ブーミが申し上げました。「世尊よ、私はかつてこの四つのたとえを聞いたことがありません。どうしてそれを説くことができましょうか。ただ今、初めて世尊からお聞きした次第です。」

佛說如是。尊者浮彌及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

浮彌經第二竟二千八十三字

> 浮弥経 第二 終わり<note>二千八十三字</note>