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title: "中阿含經 · 174 受法經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一七四）中阿含心品受法經第三第四分別誦

> 中阿含心品・受法経　第三

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「世間真實有四種受法。云何為四？或有受法現樂、當來受苦報，或有受法現苦、當來受樂報，或有受法現苦、當來亦受苦報，或有受法現樂、當來亦受樂報。

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。 「世の中には、実際に四種類の受け止め方（感受の方法）があります。どのような四つかというと、 ・ある受け止め方は、今は楽であるが、未来には苦しみの報いを受けるもの ・ある受け止め方は、今は苦しいが、未来には楽しい報いを受けるもの ・ある受け止め方は、今も苦しく、未来にも苦しみの報いを受けるもの ・ある受け止め方は、今も楽しく、未来にも楽しい報いを受けるもの の四つです。」

「云何受法現樂、當來受苦報？或有沙門、梵志，快莊嚴女共相娛樂，作如是說：『此沙門、梵志於欲見當來有何恐怖，有何災患，而斷於欲，施設斷欲？此快莊嚴於女身體樂更樂觸。』彼與此女共相娛樂，於中遊戲，彼受此法，成具足已，身壞命終，趣至惡處，生地獄中，方作是念：『彼沙門、梵志於欲見此當來恐怖，見此災患故，斷於欲，施設斷欲。我等因欲、諍欲、緣欲故，受如是極苦、甚重苦也。』

> \### 現在は楽でも、未来に苦しみの報いをもたらす法とは？ ある修行者やバラモンが、美しい女性と共に楽しみ、次のように言うことがあります。 「この修行者たちは、欲望に関して将来どのような恐れや災いがあるというのか。欲望を断ち、断つことを説くのか。この美しい女性の身体との触れ合いこそが楽しいのだ。」 彼らはその女性と共に楽しみ、遊び戯れます。このような行いを完全に行い、成就させた後、命終えて悪い場所、地獄に生まれます。そこで初めて次のように思うのです。 「あの修行者たちは、欲望に将来このような恐れ、このような災いがあると見たからこそ、欲望を断ち、断つことを説いたのだ。私たちは欲望のゆえに、欲望に争い、欲望に縁って、このような極めて苦しく、甚だ重い苦しみを受けるのだ。」

「猶春後月，日中極熱，有葛藤子，日炙圮迸，墮一娑羅樹下。彼時，娑羅樹神因此故而生恐怖，於是，彼樹神若邊傍種子村神、村百穀藥木有親親朋友樹神，於種子見當來有恐怖、有災患故，便往至彼樹神所，而慰勞曰：『樹神勿怖！樹神勿怖！今此種子或為鹿食，或孔雀食，或風吹去，或村火燒，或野火燒，或敗壞不成種子。如是，樹神！汝得安隱。若此種子非為鹿食，非孔雀食，非風吹去，非村火燒，非野火燒，亦非敗壞不成種子，此種子不缺不穿，亦不剖坼，不為風、雨、日所中傷，得大雨漬，便速生也。』

> 春の終わりの月、日中はとても暑く、葛藤の種が日のひかりで焼けてはじけ、一本の沙羅双樹の下に落ちました。 その時、沙羅双樹の樹神はこれを畏れおののきました。 すると、その樹神の近くにいる種々の草木や穀物の神々や、親しい友の樹神たちが、その種に未来の恐れや災いがあるのを見て、その樹神のもとに来て、なぐさめて言いました。 「樹神よ、恐れるな。樹神よ、恐れるな。 今この種は、鹿に食べられるか、孔雀に食べられるか、風に飛ばされるか、村の火に焼かれるか、野の火に焼かれるか、あるいは傷んで芽を出せなくなるだろう。 そうすれば、樹神よ、あなたは安心してよい。 しかし、もしこの種が鹿に食べられず、孔雀に食べられず、風に飛ばされず、村の火にも野の火にも焼かれず、傷んで芽を出せなくなることもなく、欠けることも、穴が開くことも、割れることもなく、風や雨や日に傷つけられず、大雨に浸されて、すぐに芽吹くならば、その時こそ恐れねばならない。」

「彼樹神而作是念：『以何等故？彼邊傍種子村神、村百穀藥木親親朋友樹神，於種子見當來有何恐怖？有何災患？而來慰勞我言：「樹神勿怖！樹神勿怖！樹神！此種子或為鹿食，或孔雀食，或風吹去，或村火燒，或野火燒，或敗壞不成種子。如是，樹神！汝得安隱。若此種子非為鹿食，非孔雀食，非風吹去，非村火燒，非野火燒，亦非敗壞不成種子，此種子不缺不穿，亦不剖坼，不為風、雨、日所中傷，得大雨漬，便速生也。」』成莖枝葉柔軟成節，觸體喜悅，此莖枝葉柔軟成節，觸體喜悅，樂更樂觸。此緣樹成大枝節葉，纏裹彼樹，覆蓋在上。覆蓋在上已，彼樹神方作是念：『彼邊傍種子村神、村百穀藥木親親朋友樹神，於種子見此當來恐怖，見此災患故，而來慰勞我言：「樹神勿怖！樹神勿怖！此種子或為鹿食，或孔雀食，或風吹去，或村火燒，或野火燒，或敗壞不成種子。如是，樹神！汝得安隱。若此種子非為鹿食，非孔雀食，非風吹去，非村火燒，非野火燒，亦非敗壞不成種子，此種子不缺不穿，亦不剖坼，不為風、雨、日所中傷，得大雨漬，便速生也。」我因種子、緣種子故，受此極苦甚重苦也。』

> その木の神はこう思いました。 「どういうわけで、あの辺りの種の村の神々、村の穀物や薬草の木々の親しい友人である木の神々は、私を気遣って『木の神よ、恐れるな！木の神よ、恐れるな！この種は鹿に食べられるか、孔雀に食べられるか、風に飛ばされるか、村の火事で焼かれるか、野火で焼かれるか、あるいは腐って芽を出さないかもしれない。そうであれば、木の神よ、あなたは安心だ。もしこの種が鹿に食べられず、孔雀に食べられず、風に飛ばされず、村の火事で焼かれず、野火で焼かれず、腐って芽を出さず、欠けも穴もなく、割れも裂けもなく、風や雨や日光で傷つけられることもなく、大雨に浸されて、すぐに芽生えるならば、』と言って励ましてくれたのだろうか？この種には、将来どんな恐れがあるというのか？どんな災いがあるというのか？」 こうして、茎や枝や葉が柔らかく節を作り、触れると心地よくなりました。この茎や枝や葉は柔らかく節を作り、触れると心地よく、触られる楽しさをさらに楽しみました。これにより、その木は大きな枝や節や葉を生やし、あの木に絡みつき、覆いかぶさりました。覆いかぶさった後、その木の神はこう思いました。 「あの辺りの種の村の神々、村の穀物や薬草の木々の親しい友人である木の神々は、この種に将来の恐れがあるのを見、この災いがあるのを見て、私を気遣って『木の神よ、恐れるな！木の神よ、恐れるな！この種は鹿に食べられるか、孔雀に食べられるか、風に飛ばされるか、村の火事で焼かれるか、野火で焼かれるか、あるいは腐って芽を出さないかもしれない。そうであれば、木の神よ、あなたは安心だ。もしこの種が鹿に食べられず、孔雀に食べられず、風に飛ばされず、村の火事で焼かれず、野火で焼かれず、腐って芽を出さず、欠けも穴もなく、割れも裂けもなく、風や雨や日光で傷つけられることもなく、大雨に浸されて、すぐに芽生えるならば、』と言って励ましてくれたのだ。しかし、私はこの種のゆえに、この種のおかげで、この非常な苦しみ、甚だしい苦しみを受けることになったのだ。」

「如是，或有沙門、梵志，快莊嚴女共相娛樂，作如是說：『此沙門、梵志於欲見當來有何恐怖，有何災患，而斷於欲，施設斷欲？此快莊嚴於女身體樂更樂觸。』彼與此女共相娛樂，於中遊戲，彼受此法，成具足已，身壞命終，趣至惡處，生地獄中，方作是念：『彼沙門、梵志於欲見此當來恐怖，見此災患故，斷於欲，施設斷欲。我等因欲、諍欲、緣欲故，受如是極苦甚重苦也。』是謂受法現樂、當來受苦報。

> さて、中には修行者やバラモンの中に、美しい女と共に楽しみ戯れて、次のように言う者たちがいます。「この修行者やバラモンたちは、欲望に対して将来どんな恐れがあり、どんな災いがあるというのか。それなのに欲望を断ち、断つべきだと説くのか。この美しい女の身体には、快い触れ合いの楽しさがあるではないか。」彼らはこの女と共に楽しみ、その中で遊び戯れます。彼らはこのような生き方を受け入れ、それを十分に実践した後、身体が壊れ命が終わると、悪い場所へと向かい、地獄に生まれます。そこで初めてこう思うのです。「あの修行者やバラモンたちは、欲望に対して将来の恐怖や災いを見ていたからこそ、欲望を断ち、断つべきだと説いたのだ。私たちは欲望のゆえに、欲望を求め争い、欲望に執着したために、このような極めて苦しい重い苦しみを受けることになったのだ。」このように、現世では楽しいが、未来に苦しい報いを受ける生き方があるのです。

「云何受法現苦、當來受樂報？或有一自然重濁欲、重濁恚、重濁癡，彼數隨欲心，受苦憂慼，數隨恚心、癡心，受苦憂慼。彼以苦以憂，盡其形壽，修行梵行，乃至啼泣墮淚，彼受此法，成具足已，身壞命終，必昇善處，生於天中，是謂受法現苦、當來受樂報。

> 「どのような修行法が、今は苦しくとも、未来に楽しい報いをもたらすのか。ある人は、生まれつき欲望が非常に強く、怒りが非常に強く、無知が非常に強い。そのため、欲望の心に頻繁に従い、苦しみや憂いを味わい、怒りの心や無知の心に頻繁に従い、苦しみや憂いを味わう。その人は苦しみや憂いをもって、一生をかけて清らかな修行を行い、涙を流して泣き叫ぶことさえある。そのようにしてこの修行法を完全に実践し終えた後、体が壊れ命が終わるとき、必ず良い場所に生まれ変わり、天の世界に生まれる。これが『今は苦しいが、未来に楽しい報いを受ける修行法』である。」

「云何受法現苦、當來亦受苦報？或有沙門、梵志裸形無衣，或以手為衣，或以葉為衣，或以珠為衣，或不以瓶取水，或不以櫆取水，不食刀杖劫抄之食，不食欺妄食，不自往，不遣信，不來尊，不善尊、不住尊。若有二人食，不在中食，不懷妊家食，不畜狗家食，家有糞蠅飛來而不食，不噉魚，不食肉，不飲酒，不飲惡水，或都不飲，學無飲行。或噉一口，以一口為足，或二、三、四，乃至七口，以七口為足。或食一得，以一得為足，或二、三、四，乃至七得，以七得為足。或日一食，以一食為足，或二、三、四、五、六、七日、半月、一月一食，以一食為足。或食菜茹，或食稗子，或食󰩳米，或食雜󰉕，或食頭頭邏食，或食麁食。或至無事處，依於無事，或食根，或食果，或食自落果。或持連合衣，或持毛衣，或持頭舍衣，或持毛頭舍衣，或持全皮，或持穿皮，或持全穿皮。或持散髮，或持編髮，或持散編髮，或有剃髮，或有剃鬚，或剃鬚髮，或有拔髮，或有拔鬚，或拔鬚髮。或住立斷坐，或修蹲行，或有臥刺，以刺為床，或有臥草，以草為床。或有事水，晝夜手抒。或有事火，竟昔燃之。或事日、月、尊祐大德，叉手向彼。如此之比，受無量苦，學煩熱行，彼受此法，成具足已，身壞命終，必至惡處，生地獄中，是謂受法現苦、當來亦受苦報。

> 「どのような教えが、現世で苦しみをもたらし、未来にも苦しみの報いをもたらすのか。 ある修行者や婆羅門（バラモン）は、裸形で衣をまとわず、手を衣としたり、葉を衣としたり、数珠を衣としたりする。水瓶を使わずに水を汲み、ひしゃくを使わずに水を汲む。刀や杖で略奪した食や、だまし取った食を食べない。自ら行かず、使いを送らない。来ることを尊ばず、善いことを尊ばず、留まることを尊ばない。もし二人で食事をしているところには入らず、妊婦の家では食べず、犬を飼っている家では食べず、家に蝿がたかっているところでは食べない。魚を食べず、肉を食べず、酒を飲まず、悪い水を飲まず、全く飲まずに、飲まない修行を行う。 あるいは、一口だけ食べ、一口で足りるとする。あるいは二口、三口、四口、七口までを限界とし、七口で足りるとする。あるいは一掴みだけ食べ、一掴みで足りるとする。あるいは二、三、四、七掴みまでを限界とし、七掴みで足りるとする。あるいは一日一食とし、一食で足りるとする。あるいは二日、三日、四日、五日、六日、七日、半月、一ヶ月に一度だけ食べ、一食で足りるとする。 あるいは野菜を食べ、雑穀を食べ、精米しない米を食べ、様々な雑穀を混ぜたものを食べ、頭頭邏（トウトウラ）という食べ物を食べ、粗末な食べ物を食べる。あるいは人里離れた場所に住み、根を食べ、果物を食べ、自然に落ちた果実を食べる。 あるいは連なった衣を着たり、毛衣を着たり、頭舍衣（トウシャイ）と呼ばれる衣を着たり、毛頭舍衣（モウトウシャイ）と呼ばれる衣を着たり、革をそのまま着たり、穴を開けた革を着たり、穴の開いた革と開いていない革を組み合わせて着たりする。 あるいは髪をほどいたままにしたり、髪を編んだり、ほどいたり編んだりする。あるいは髪を剃ったり、髭を剃ったり、髪と髭の両方を剃ったり、髪を抜いたり、髭を抜いたり、髪と髭の両方を抜いたりする。 あるいは立ったまま座ることを止め、しゃがんだまま歩く修行をし、とげの上に寝てとげを寝床とし、草の上に寝て草を寝床とする。あるいは水を祀り、昼夜にわたって手で水をかき混ぜる。あるいは火を祀り、一晩中燃やし続ける。あるいは太陽や月、尊い神々や徳ある者たちを祀り、合掌してそれらに向かう。 このような種類の、無数の苦しみを受け、苦行と煩わしい熱を学ぶ人々がいる。彼らはこのような教えを受け入れ、それを完全に成就した後、肉体が壊れ命が終われば、必ず悪い場所、地獄に生まれる。これが、現世で苦しみをもたらし、未来にも苦しみの報いをもたらす教えである。」

「云何受法現樂、當來亦受樂報？或有一自然不重濁欲、不重濁恚、不重濁癡，彼不數隨欲心，受苦憂慼，不數隨恚心、癡心，受苦憂慼，彼以樂以喜，盡其形壽，修行梵行，乃至歡悅心。彼受此法，成具足已，五下分結盡，化生於彼而般涅槃，得不退法，不還此世。是謂受法現樂、當來亦受樂報。世間真實有是四種受法者，因此故說。」

> 「どのような教えが、現在における楽しみをもたらし、未来においても楽しみという報いをもたらすのでしょうか。 ある人は、生まれつき欲がそれほど強くなく、怒りもそれほど強くなく、無知もそれほど強くありません。彼は欲望の心にたびたび従って苦しみや憂いを受けることがなく、怒りの心や無知の心にたびたび従って苦しみや憂いを受けることもありません。彼は楽しみと喜びをもって、その生涯を清らかな行い（梵行）を修行し、心は歓喜に満ちています。 彼はこの教えを受けて、それを完全に具現した後、五つの下位の束縛（五下分結）を無くし、化生としてあの世に生まれ、そこで涅槃に入り、退転しない法を得て、この世に還って来ることはありません。 これが『現在における楽しみをもたらし、未来においても楽しみという報いをもたらす教え』と言われます。 世の中には実際にこの四つの教えがあるのです。故にこのように説かれました。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

受法經第三竟一千五百八十三字

> 受法経第三終わり<note>千五百八十三字</note>