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title: "中阿含經 · 180 瞿曇彌經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一八〇）中阿含心品瞿曇彌經第九第四分別誦

> （一八〇）中阿含心品瞿曇彌經第九<note>第四分別誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊釋羇瘦，在加鞞羅衛尼拘類樹園。

> ある時、ブッダは釈迦族の地を訪れ、カピラヴァストゥのニグローダ樹林に滞在しておられました。

爾時，摩訶簸邏闍鉢提瞿曇彌持新金縷黃色衣往詣佛所，稽首佛足，却住一面，白曰：「世尊！此新金縷黃色衣我自為世尊作，慈愍我故，願垂納受。」

> その時、マハー・プラジャーパティー・ゴータミーは新しい金色の糸で織られた黄色い衣を持って、釈尊のおられる場所へと向かいました。そして、釈尊の足に頭を付けて礼拝し、一方に立ってからこう申し上げました。「世尊よ、この新しい金色の糸で織られた黄色い衣は、私が世尊のために作りました。どうか私を哀れみ、お受け取りください。」

世尊告曰：「瞿曇彌！持此衣施比丘眾，施比丘眾已，便供養我，亦供養眾。」

> 世尊はこうおっしゃいました。「ゴータミーよ、その衣を比丘たちの僧団に施しなさい。僧団に施したならば、それによって私を供養したことになり、同時に僧団も供養したことになるのです。」

大生主瞿曇彌至再三白曰：「世尊！此新金縷黃色衣我自為世尊作，慈愍我故，願垂納受。」

> 大生主（マハーパジャーパティー）・ゴータミーが三度にわたってこう申し上げました。「世尊よ、この新しく金糸を織り込んだ黄色い衣を、私は世尊のために自ら作りました。どうか私への慈しみをもって、お受け取りくださいませ。」

世尊亦至再三告曰：「瞿曇彌！持此衣施比丘眾，施比丘眾已，便供養我，亦供養眾。」

> 世尊もまた、三度にわたってお告げになりました。「ゴータミーよ、この衣を比丘たちに施しなさい。比丘たちに施したならば、それによって私を供養し、また僧伽を供養することになるのです。」

爾時，尊者阿難立世尊後執拂侍佛。於是，尊者阿難白曰：「世尊！此大生主瞿曇彌於世尊多所饒益，世尊母命終後乳養世尊。」

> その時、尊者アーナンダは世尊の後ろに立って、払子を手に世尊に侍っていました。そこで、尊者アーナンダは世尊に申し上げました。「世尊よ、このマハー・プラジャーパティー・ゴータミーは世尊に多大な恩恵をもたらしました。世尊の母が他界された後、世尊を乳で育てられたのです。」

世尊告曰：「如是，阿難！如是，阿難！大生主瞿曇彌實於我多所饒益，我母命終後乳養於我。阿難！我亦於大生主瞿曇彌多所饒益。所以者何？大生主瞿曇彌因我故，得自歸於佛、法及比丘眾，不疑三尊、苦習滅道，成就信、戒、多聞、施、慧，離殺斷殺、不與取、邪婬、妄言、離酒斷酒。阿難！若有人因人故，得自歸於佛、法及比丘眾，不疑三尊、苦習滅道，成就信、戒、多聞、施、慧，離殺斷殺、不與取、邪婬、妄言、離酒斷酒者，此人供養於彼人至盡形壽，以飲食、衣被、床榻、湯藥及若干種諸生活具，不得報恩。

> 世尊は仰せられた。「その通りである、阿難よ。その通りである、阿難よ。大生主・瞿曇彌（ゴータミー）は、実に私にとって多くの利益をもたらしてくれた。私の母が亡くなった後、私を乳で育ててくれたのだ。阿難よ、私もまた大生主・瞿曇彌にとって多くの利益をもたらした。なぜか？大生主・瞿曇彌は私のおかげで、自ら仏（仏陀）と法（教え）と比丘（僧団）に帰依し、三つの尊いもの（三宝）と苦しみ・苦しみの原因・苦しみの消滅・その道（四諦）について疑いを持たず、信仰、戒律、多くの学び、施し、智慧（五根・五力）を成就し、殺生を断ち、不與取（与えられていないものを取ること）を遠ざけ、邪淫をやめ、虚偽の言葉を離れ、酒を遠ざけて断ったのだ。阿難よ、もしある人が他人のおかげで、自ら仏・法・比丘に帰依し、三宝や四諦を疑わず、信仰、戒律、多くの学び、施し、智慧を成就し、殺生・不與取・邪淫・虚言を断ち、酒を遠ざけたならば、その人は、その恩人に対して、生涯にわたって、食べ物や衣服、寝具、薬、そして様々な生活用品を供養しても、その恩に報いることはできないのである。」

「復次，阿難！有七施眾，有十四私施，得大福，得大果，得大功德，得大廣報。阿難！云何七施眾，得大福，得大果，得大功德，得大廣報？信族姓男、族姓女，佛在世時，佛為首，施佛及比丘眾，是謂第一施眾，得大福，得大果，得大功德，得大廣報。信族姓男、族姓女，世尊般涅槃後不久施二部眾，施比丘眾、施比丘尼眾，入比丘僧園而白眾曰：『眾中爾所比丘來，布施彼也。』入比丘尼僧房而白眾曰：『眾中爾所比丘尼來，布施彼也。』是謂第五施眾，得大福，得大果，得大功德，得大廣報。

> さらに、阿難よ、七つの大衆への布施と十四の個人的な布施がある。これらは大きな福徳、大きな果報、大きな功徳、広大な報いをもたらす。 阿難よ、どのような七つの大衆への布施が、大きな福徳、大きな果報、大きな功徳、広大な報いをもたらすのか。 信心深い良家の男子や女子が、仏在世のときに、仏をはじめとして、仏と比丘僧伽に布施をする。これが第一の大衆への布施であり、大きな福徳、大きな果報、大きな功徳、広大な報いをもたらす。 信心深い良家の男子や女子が、世尊が般涅槃した後、まもなく二つの部衆、すなわち比丘僧伽と比丘尼僧伽に布施をする。比丘の僧園に入って「大衆の中で、これだけの比丘が来られたので、彼らに布施をしましょう」と告げ、比丘尼の僧房に入って「大衆の中で、これだけの比丘尼が来られたので、彼らに布施をしましょう」と告げる。これが第五の大衆への布施であり、大きな福徳、大きな果報、大きな功徳、広大な報いをもたらす。

「阿難！當來時有比丘，名姓種，不精進，著袈裟衣，彼不精進，不精進故施，依眾故，緣眾故，上眾故，因眾故，我說爾時施主得無量不可數不可計福，得善得樂，況復今比丘成就行事，成就除事，成就行事除事，成就質直，成就柔軟，成就質直柔軟，成就忍，成就樂，成就忍樂，成就相應，成就經紀，成就相應經紀，成就威儀，成就行來遊，成就威儀行來遊，成就信，成就戒，成就多聞，成就施，成就慧，成就信、戒、多聞、施、慧耶？是謂第七施眾，得大福，得大果，得大功德，得大廣報。是謂有七施眾，得大福，得大果，得大功德，得大廣報。

> 「阿難よ、未来の世に、ある比丘がいるであろう。名があり、姓があり、怠け心を持ちながらも袈裟を身にまとう。その比丘は精進せず、精進しないがゆえに布施を受ける。大衆に従い、大衆に頼り、大衆を重んじ、大衆ゆえに生きる。そのような時に布施を施す施主は、量り知れず、数えきれず、計ることのできないほどの福徳を得る。善を得、楽を得るのである。ましてや、今まさに行を成就し、除を成就し、行と除を成就し、質直を成就し、柔軟を成就し、質直と柔軟を成就し、忍びを成就し、楽を成就し、忍びの楽を成就し、相応を成就し、経紀を成就し、相応と経紀を成就し、威儀を成就し、行い遊ぶことを成就し、威儀と行い遊ぶことを成就し、信を成就し、戒を成就し、多聞を成就し、施しを成就し、慧を成就し、信・戒・多聞・施・慧を成就する比丘においては、なおさらではないか。これが第七の施しの対象であり、大きな福を得、大きな果報を得、大きな功徳を得、大きな広い報いを得るものである。これら七つの施しの対象は、大きな福を得、大きな果報を得、大きな功徳を得、大きな広い報いを得るものである。」

「阿難！云何有十四私施，得大福，得大果，得大功德，得大廣報？有信族姓男、族姓女布施如來，施緣一覺，施阿羅訶，施向阿羅訶，施阿那含，施向阿那含，施斯陀含，施向斯陀含，施須陀洹，施向須陀洹，施離欲外仙人，施精進人，施不精進人，布施畜生。阿難！布施畜生得福百倍，施不精進人得福千倍，施精進人得福百千倍，施離欲外仙人得福億百千倍，施向須陀洹無量，得須陀洹無量，向斯陀含無量，得斯陀含無量，向阿那含無量，得阿那含無量，向阿羅訶無量，得阿羅訶無量，緣一覺無量，況復如來、無所著、等正覺耶？此十四私施得大福，得大果，得大功德，得大廣報。

> 「阿難よ、十四の私的な布施があり、それらは大きな福徳、大きな果報、大きな功徳、大きな広大な報いをもたらすと知りなさい。信心ある家の男子や女子が如来に布施すること、縁覚に布施すること、阿羅漢に布施すること、阿羅漢に向かう者に布施すること、阿那含に布施すること、阿那含に向かう者に布施すること、斯陀含に布施すること、斯陀含に向かう者に布施すること、須陀洹に布施すること、須陀洹に向かう者に布施すること、欲望を離れた仙人に布施すること、努力する人に布施すること、努力しない人に布施すること、そして動物に布施することです。阿難よ、動物に布施すると百倍の福徳を得ます。努力しない人に布施すると千倍の福徳を得ます。努力する人に布施すると百千倍の福徳を得ます。欲望を離れた仙人に布施すると億百千倍の福徳を得ます。須陀洹に向かう者に布施すると無量の福徳を得、須陀洹に布施しても無量です。斯陀含に向かう者、斯陀含、阿那含に向かう者、阿那含、阿羅漢に向かう者、阿羅漢、縁覚に布施することもすべて無量です。ましてや、如来、阿羅漢、正等覚者に布施する福徳は、どれほど大きいことでしょうか。この十四の私的な布施は、大きな福徳、大きな果報、大きな功徳、大きな広大な報いをもたらすのです。」

「復次，阿難！有四種布施，三淨施。云何為四？或有布施，因施主淨，非受者；或有布施，因受者淨，非施主；或有布施，非因施主淨，亦非受者；或有布施，因施主淨，受者亦然。阿難！云何布施因施主淨，非受者耶？施主精進行妙法，見來見果，如是見、如是說，有施有施果；受者不精進，行惡法，不見來不見果，如是見、如是說，無施無施果。是謂布施因施主淨，非受者也。

> 「また、阿難よ、四つの布施があり、その中に三つの清らかな布施がある。四つとは何か。ある布施は、施す者が清らかで、受ける者が清らかでないものがある。ある布施は、受ける者が清らかで、施す者が清らかでないものがある。ある布施は、施す者も清らかでなく、受ける者も清らかでないものがある。ある布施は、施す者が清らかで、受ける者も清らかであるものがある。 阿難よ、どのような布施が、施す者が清らかで、受ける者が清らかでないのか。施す者は、戒律を守り精進して優れた教えを実践し、因果の道理を正しく見て、『施しには果報がある』と説く。しかし受ける者は、精進せず悪い行いをし、因果の道理を正しく見ず、『施しにも果報もない』と説く。これが、施す者が清らかで、受ける者が清らかでない布施である。」

「阿難！云何布施因受者淨，非施主耶？施主不精進，行惡法，不見來不見果，如是見、如是說，無施無施果；受者精進行妙法，見來見果，如是見、如是說，有施有施果。是謂布施因受者淨，非施主也。阿難！云何布施非因施主淨，亦非受者耶？施主不精進，行惡法，不見來不見果，如是見、如是說，無施無施果；受者亦不精進，行惡法，不見來不見果，如是見、如是說，無施無施果。是謂布施非因施主淨，亦非受者。阿難！云何布施因施主淨，受者亦然耶？施主精進行妙法，見來見果，如是見、如是說，有施有施果；受者亦精進行妙法，見來見果，如是見、如是說，有施有施果。是謂布施因施主淨，受者亦然。」於是，世尊說此頌曰：

> 「阿難よ。どのような布施が、受ける者によって清らかとなり、施す主によって清らかとならないのか。施す主が努力せず、悪い行いをし、来世や果報を見ることがなく、そのように見て、そのように説き、『布施も布施の果報もない』と見なす。一方、受ける者が努力し、優れた行いを実践し、来世や果報を見ることができ、そのように見て、そのように説き、『布施も布施の果報もある』と見なす。これを、布施が受ける者によって清らかとなり、施す主によって清らかとならないという。 阿難よ。どのような布施が、施す主によっても清らかとならず、受ける者によっても清らかとならないのか。施す主が努力せず、悪い行いをし、来世や果報を見ることがなく、そのように見て、そのように説き、『布施も布施の果報もない』と見なす。受ける者もまた努力せず、悪い行いをし、来世や果報を見ることがなく、そのように見て、そのように説き、『布施も布施の果報もない』と見なす。これを、布施が施す主によっても清らかとならず、受ける者によっても清らかとならないという。 阿難よ。どのような布施が、施す主によって清らかとなり、受ける者もまた同様に清らかとなるのか。施す主が努力し、優れた行いを実践し、来世や果報を見ることができ、そのように見て、そのように説き、『布施も布施の果報もある』と見なす。受ける者もまた努力し、優れた行いを実践し、来世や果報を見ることができ、そのように見て、そのように説き、『布施も布施の果報もある』と見なす。これを、布施が施す主によって清らかとなり、受ける者もまた同様に清らかとなるという。」 そこで、世尊はこの偈を説かれた。

「精進施不精進， 如法得歡喜心，信有業及果報， 此施因施主淨。不精進施精進， 不如法非喜心，不信業及果報， 此施因受者淨。懈怠施不精進， 不如法非喜心，不信業及果報， 如是施無廣報。精進施於精進， 如法得歡喜心，信有業及果報， 如是施有廣報。奴婢及貧窮， 自分施歡喜，信業信果報， 此施善人稱。正護善身口， 舒手以法乞，離欲施離欲， 是財施第一。」

> 精進している人に不精進のまま施すのは、 法に従わず、喜びの心もない。 業とその報いを信じずに行う施しは、 施し手が清らかでないために、受け手によって清められる。 不精進の人に精進して施しても、 法に従わず、喜びの心もなければ、 業とその報いを信じなければ、 この施しは、受け手の清らかさによってのみ清まる。 怠け心で精進せずに施し、 法に従わず、喜びの心もなく、 業とその報いを信じなければ、 そのような施しには大きな報いはない。 精進している人に精進して施し、 法に従い、喜びの心をもって、 業とその報いを信じて施せば、 この施しには大きな報いがある。 召使いや貧しい人でも、 自分の分を喜んで施し、 業とその報いを信じるならば、 この施しを善き人は称える。 身と口をよく守り、 手を差しのべて法に従い求め、 欲を離れた者に欲を離れて施す―― これこそが財施の第一である。

佛說如是。尊者阿難及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。尊者アーナンダと諸々の比丘たちは、仏の説かれたことを聞き、歓喜してこれを行いました。

瞿曇彌經第九竟千五百二十字

> 瞿曇彌経 第九 終わり<note>千五百二十字</note>