---
title: "中阿含經 · 181 多界經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma7j484m059zjl0apcto1t3w"
---

### （一八一）中阿含心品多界經第十第四分別誦

> （一八一）中阿含心品多界経第十<note>第四分別誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，尊者阿難獨安靖處宴坐思惟，心作是念：「諸有恐怖，彼一切從愚癡生，不從智慧。諸有遭事、災患、憂慼，彼一切從愚癡生，不從智慧。」於是，尊者阿難則於晡時，從宴坐起，往詣佛所，稽首佛足，却住一面，白曰：「世尊！我今獨安靖處宴坐思惟，心作是念：『諸有恐怖，彼一切從愚癡生，不從智慧。諸有遭事、災患、憂慼，彼一切從愚癡生，不從智慧。』」

> ある時、尊者アーナンダは静かな場所で一人坐禅を組み、心の中でこう考えた。「あらゆる恐怖は、すべて無知から生じ、智慧からは生じない。あらゆる出来事、災難、憂い悲しみも、すべて無知から生じ、智慧からは生じない。」そこで、尊者アーナンダは夕方になり坐禅から起き上がると、仏のもとへ訪れ、仏の足に頭を触れて礼拝し、片側に立ってこう申し上げた。「世尊よ、私は今、静かな場所で一人坐禅を組み、心の中でこう考えました。『あらゆる恐怖は、すべて無知から生じ、智慧からは生じない。あらゆる出来事、災難、憂い悲しみも、すべて無知から生じ、智慧からは生じない。』と。」

世尊告曰：「如是。阿難！如是。阿難！諸有恐怖，彼一切從愚癡生，不從智慧。諸有遭事、災患、憂慼，彼一切從愚癡生，不從智慧。阿難！猶如從葦𧂐草𧂐生火，燒樓閣堂屋。阿難！如是諸有恐怖，從愚癡生，不從智慧。諸有遭事、災患、憂慼，彼一切從愚癡生，不從智慧。阿難！昔過去時若有恐怖，彼一切亦從愚癡生，不從智慧。諸有遭事、災患、憂慼，彼一切從愚癡生，不從智慧。阿難！當來時諸有恐怖，彼一切從愚癡生，不從智慧。諸有遭事、災患、憂慼，彼一切從愚癡生，不從智慧。阿難！今現在諸有恐怖，從愚癡生，不從智慧。諸有遭事、災患、憂慼，彼一切從愚癡生，不從智慧。阿難！是為愚癡有恐怖，智慧無恐怖。愚癡有遭事、災患、憂慼，智慧無遭事、災患、憂慼。阿難！諸有恐怖、遭事、災患、憂慼，彼一切從愚癡可得，不從智慧。」

> 世尊はこう告げられた。「その通りだ、阿難よ。その通りだ、阿難よ。あらゆる恐怖は、すべて無知から生じ、智慧からは生じない。あらゆる出来事や災難、憂いや苦しみも、すべて無知から生じ、智慧からは生じない。阿難よ、例えば、葦や草の積み重ねから火が起こり、楼閣や家屋を焼き尽くすようなものだ。阿難よ、このように、あらゆる恐怖は無知から生じ、智慧からは生じない。あらゆる出来事や災難、憂いや苦しみも、すべて無知から生じ、智慧からは生じない。阿難よ、過去においてあった恐怖も、すべて無知から生じ、智慧からは生じなかった。あらゆる出来事や災難、憂いや苦しみも、すべて無知から生じ、智慧からは生じなかった。阿難よ、未来において起きる恐怖も、すべて無知から生じ、智慧からは生じない。あらゆる出来事や災難、憂いや苦しみも、すべて無知から生じ、智慧からは生じない。阿難よ、現在におけるあらゆる恐怖も、無知から生じ、智慧からは生じない。あらゆる出来事や災難、憂いや苦しみも、すべて無知から生じ、智慧からは生じない。阿難よ、このように、無知には恐怖があり、智慧には恐怖がない。無知には出来事や災難、憂いや苦しみがあり、智慧には出来事や災難、憂いや苦しみがない。阿難よ、あらゆる恐怖や出来事、災難、憂いや苦しみは、すべて無知によって生じるものであり、智慧によって生じるものではない。」

於是，尊者阿難悲泣淚出，叉手向佛，白曰：「世尊！云何比丘愚癡非智慧？」

> そこで、尊者アーナンダは涙を流して悲しみ、合掌して仏に向かい、こう申し上げた。「世尊よ。どのような比丘が愚かであり、智慧が無いのでしょうか？」

世尊答曰：「阿難！若有比丘不知界，不知處，不知因緣，不知是處、非處者，阿難！如是比丘愚癡非智慧。」

> 世尊がお答えになりました。「阿難よ、もし比丘が界（領域）を知らず、処（場所）を知らず、因縁を知らず、是処・非処（道理にかなうこと・かなわないこと）を知らないならば、阿難よ、そのような比丘は愚かであり、智慧（プラジュニャー）はないのである。」

尊者阿難白曰：「世尊！如是比丘愚癡非智慧。世尊！云何比丘智慧非愚癡？」

> 尊者アーナンダが申し上げた。「世尊よ、そのような比丘は愚かであり、智慧がありません。世尊よ、どのような比丘が智慧があり、愚かではないのでしょうか？」

世尊答曰：「阿難！若有比丘知界、知處、知因緣，知是處、非處者。阿難！如是比丘智慧非愚癡。」

> 世尊は答えられた。「阿難よ、もし比丘が界（かい）を了解し、処（しょ）を了解し、因縁（いんねん）を了解し、これが道理にかなうこと（是処）であり、道理にかなわないこと（非処）であると了解するならば、阿難よ、そのような比丘は智慧（ちえ）ある者であり、愚か者ではないのだ。」

尊者阿難白曰：「世尊！如是比丘智慧非愚癡。世尊！云何比丘知界？」

> 尊者アーナンダはお尋ねしました。「世尊（お釈迦様）、そのような比丘は智慧があり、愚かではありません。では世尊、どのような比丘が『界（世界の構成要素）』を正しく知っているのでしょうか。」

世尊答曰：「阿難！若有比丘見十八界知如真，眼界、色界、眼識界，耳界、聲界、耳識界、鼻界、香界、鼻識界，舌界、味界、舌識界，身界、觸界、身識界，意界、法界、意識界。阿難！見此十八界知如真。復次，阿難！見六界知如真，地界、水界、火界、風界、空界、識界。阿難！見此六界知如真。復次，阿難！見六界知如真，欲界、恚界、害界，無欲界、無恚界、無害界。阿難！見此六界知如真。復次，阿難！見六界知如真，樂界、苦界、喜界、憂界、捨界、無明界。阿難！見此六界知如真。復次，阿難！見四界知如真，覺界、想界、行界、識界。阿難！見此四界知如真。復次，阿難！見三界知如真，欲界、色界、無色界。阿難！見此三界知如真。復次，阿難！見三界知如真，色界、無色界、滅界。阿難！見此三界知如真。

> 世尊はお答えになりました。「アーナンダよ。もし比丘が十八界をあるがままに知り見るならば、すなわち、眼の領域、色の領域、眼識の領域、耳の領域、声の領域、耳識の領域、鼻の領域、香りの領域、鼻識の領域、舌の領域、味の領域、舌識の領域、身の領域、触の領域、身識の領域、意の領域、法の領域、意識の領域である。アーナンダよ、この十八界をあるがままに知り見るのである。さらにアーナンダよ、六界をあるがままに知り見るならば、すなわち、地の領域、水の領域、火の領域、風の領域、虚空の領域、識の領域である。アーナンダよ、この六界をあるがままに知り見るのである。さらにアーナンダよ、六界をあるがままに知り見るならば、すなわち、欲望の領域、怒りの領域、害意の領域、欲望のない領域、怒りのない領域、害意のない領域である。アーナンダよ、この六界をあるがままに知り見るのである。さらにアーナンダよ、六界をあるがままに知り見るならば、すなわち、楽の領域、苦の領域、喜びの領域、憂いの領域、捨てる領域、無明の領域である。アーナンダよ、この六界をあるがままに知り見るのである。さらにアーナンダよ、四界をあるがままに知り見るならば、すなわち、感受の領域、表象の領域、行の領域、識の領域である。アーナンダよ、この四界をあるがままに知り見るのである。さらにアーナンダよ、三界をあるがままに知り見るならば、すなわち、欲望の世界、形ある世界、形なき世界である。アーナンダよ、この三界をあるがままに知り見るのである。さらにアーナンダよ、三界をあるがままに知り見るならば、すなわち、色の世界、無色の世界、滅の世界である。アーナンダよ、この三界をあるがままに知り見るのである。」

「復次，阿難！見三界知如真，過去界、未來界、現在界。阿難！見此三界知如真。復次，阿難！見三界知如真，妙界、不妙界、中界。阿難！見此三界知如真。復次，阿難！見三界知如真，善界、不善界、無記界。阿難！見此三界知如真。復次，阿難！見三界知如真，學界、無學界、非學非無學界。阿難！見此三界知如真。復次，阿難！見二界知如真，有漏界、無漏界。阿難！見此二界知如真。復次，阿難！見二界知如真，有為界、無為界、阿難！見此二界知如真。阿難！見此六十二界知如真。阿難！如是比丘知界。」

> また、阿難よ。この三つの世界をあるがままに観る。過去の世界、未来の世界、現在の世界を。阿難よ、この三つの世界をあるがままに観るのである。 また、阿難よ。この三つの世界をあるがままに観る。すぐれた世界、すぐれない世界、その中間の世界を。阿難よ、この三つの世界をあるがままに観るのである。 また、阿難よ。この三つの世界をあるがままに観る。善い世界、善くない世界、どちらでもない世界を。阿難よ、この三つの世界をあるがままに観るのである。 また、阿難よ。この三つの世界をあるがままに観る。修行中の者の世界、修行を終えた者の世界、修行中でも終えた者でもない者の世界を。阿難よ、この三つの世界をあるがままに観るのである。 また、阿難よ。この二つの世界をあるがままに観る。煩わしさのある世界、煩わしさのない世界を。阿難よ、この二つの世界をあるがままに観るのである。 また、阿難よ。この二つの世界をあるがままに観る。つくられた世界、つくられない世界を。阿難よ、この二つの世界をあるがままに観るのである。 阿難よ、この六十二の世界をあるがままに観る。阿難よ、このように比丘は世界を知るのである。

尊者阿難白曰：「世尊！如是比丘知界。世尊！云何比丘知處？」

> 尊者アーナンダが申し上げました。「世尊よ、これが比丘が『界（かい）』を悟るということですね。では世尊よ、比丘はどのように『処（しょ）』を悟るのでしょうか。」

世尊答曰：「阿難！若有比丘見十二處知如真，眼處、色處，耳處、聲處，鼻處、香處，舌處、味處，身處、觸處，意處、法處。阿難！見此十二處知如真。阿難！如是比丘知處。」

> 世尊がお答えになりました。「阿難よ、もし比丘が十二処をあるがままに知り見るならば、すなわち眼処・色処、耳処・声処、鼻処・香処、舌処・味処、身処・触処、意処・法処である。阿難よ、この十二処をあるがままに知り見るのである。阿難よ、このように比丘は処を知るのである。」

尊者阿難白曰：「世尊！如是比丘知處。云何比丘知因緣？」

> 尊者アーナンダがお尋ねしました。「世尊よ、これが比丘が『境界』を知ることと理解しました。では、比丘はどのようにして『因縁』を知るのでしょうか？」

世尊答曰：「阿難！若有比丘見因緣及從因緣起知如真，因此有彼，無此無彼，此生彼生，此滅彼滅，謂緣無明有行乃至緣生有老死；若無明滅則行滅，乃至生滅則老死滅。阿難！如是比丘知因緣。」

> 世尊がお答えになりました。「アーナンダよ、もし比丘が因縁と、因縁から生じる道理をあるがままに知り、『これがあるからあれがある。これがないからあれもない。これが生じるからあれが生じる。これが滅するからあれが滅する』と観察するならば、それはすなわち、無明を縁として行があり、さらに生を縁として老死があること、また無明が滅すれば行も滅し、生が滅すれば老死も滅することを意味する。アーナンダよ、このように比丘は因縁を了知するのである。」

尊者阿難白曰：「世尊！如是比丘知因緣。云何比丘知是處、非處？」

> 阿難尊者がお尋ねしました。「世尊、そのように比丘は因縁を理解しております。では、どのように比丘は道理にかなったことと道理にかなわないことを知るのでしょうか。」

世尊答曰：「阿難！若有比丘見處是處知如真，見非處是非處知如真。阿難！若世中有二轉輪王並治者，終無是處，若世中有一轉輪王治者，必有是處。阿難！若世中有二如來者，終無是處，若世中有一如來者，必有是處。阿難！若見諦人故害父母，殺阿羅訶，破壞聖眾，惡心向佛，出如來血者，終無是處。若凡夫人故害父母，殺阿羅訶，破壞聖眾，惡心向佛，出如來血者，必有是處。阿難！若見諦人故犯戒，捨戒罷道者，終無是處。若凡夫人故犯戒，捨戒罷道者，必有是處。若見諦人捨離此內，從外求尊、求福田者，終無是處。若凡夫人捨離此內，從外求尊、求福田者，必有是處。

> 世尊はお答えになりました。「阿難よ、もし比丘が、道理にかなうことを道理にかなうと如実に知り、道理にかなわないことを道理にかなわないと如実に知るならば、その通りである。 阿難よ、世の中に二人の転輪王が同時に君臨することは、決してありえない。世の中に一人の転輪王が治めることこそ、必ずあるべきことである。 阿難よ、世の中に二人の如来が同時に現れることは、決してありえない。世の中に一人の如来が現れることこそ、必ずあるべきことである。 阿難よ、真理を見た者が、故意に父母を害したり、阿羅漢を殺したり、僧団を分裂させたり、悪意を抱いて如来に血を流させたりすることは、決してありえない。しかし、凡夫がこれらの行為を行うことはあり得ることである。 阿難よ、真理を見た者が、故意に戒を破り、戒を捨てて出家をやめることは、決してありえない。しかし、凡夫がそうすることはあり得ることである。 阿難よ、真理を見た者が、この教えを離れて、外に尊ぶべき師や功徳の田を求めることは、決してありえない。しかし、凡夫がそうすることはあり得ることである。」

「阿難！若見諦人從餘沙門、梵志作是說：『諸尊！可見則見，可知則知。』者，終無是處。若凡夫人從餘沙門、梵志作是說：『諸尊！可見則見，可知則知。』者，必有是處。阿難！若見諦人信卜問吉凶者，終無是處。若凡夫人信卜問吉凶者，必有是處。阿難！若見諦人從餘沙門、梵志卜問吉凶相應，見有苦有煩，見是真者，終無是處。若凡夫人從餘沙門、梵志卜問吉凶相應，見有苦有煩，見是真者，必有是處。

> 「阿難よ、真理を見た人が、他の修行者やバラモンに向かって『尊い方々、見えるものは見え、知れるものは知れます』と言うことは、決してありえない。 しかし、凡夫が他の修行者やバラモンに向かって『尊い方々、見えるものは見え、知れるものは知れます』と言うことは、必ずあり得る。 阿難よ、真理を見た人が、占いや吉凶を問うことを信じることは、決してありえない。 しかし、凡夫が占いや吉凶を問うことを信じることは、必ずあり得る。 阿難よ、真理を見た人が、他の修行者やバラモンから占ってもらい、その結果が当たり、「苦しみがあり、悩みがあり、それが真実だ」と見ることは、決してありえない。 しかし、凡夫が他の修行者やバラモンから占ってもらい、その結果が当たり、「苦しみがあり、悩みがあり、それが真実だ」と見ることは、必ずあり得る。」

「阿難！若見諦人生極苦甚重苦，不可愛、不可樂、不可思、不可念乃至斷命，捨離此內，更從外求。或有沙門、梵志，或持一句呪，二句、三句、四句、多句、百千句呪，令脫我苦，是求苦、習苦、趣苦、苦盡者，終無是處。若凡夫人捨離此內，更從外求，或有沙門、梵志持一句呪，二句、三句、四句、多句、百千句呪，令脫我苦，是求苦、習苦、趣苦、苦盡者，必有是處。阿難！若見諦人受八有者，終無是處，若凡夫人受八有者，必有是處。

> 「阿難よ、真理を見た人が、極めて苦しく、耐え難い苦しみ、愛しくなく、楽しくなく、思うに値せず、念じるにも値せず、生死をかけたほどの苦しみに遭ったとしても、そのような内なる拠り所を捨てて、外に別のものを求めることはない。あるいは、修行者やバラモンが、一句の呪文、二句、三句、四句、多くの句、百千の句の呪文を唱えて、『私の苦しみを取り除け』と求めることがあっても、それが苦しみを求め、苦しみを積み、苦しみへと向かい、苦しみを尽くすことになることは、決してない。 しかし、凡夫の人は、その内なる拠り所を捨てて、外に別のものを求める。あるいは、修行者やバラモンが、一句の呪文、二句、三句、四句、多くの句、百千の句の呪文を唱えて、『私の苦しみを取り除け』と求めるならば、それが苦しみを求め、苦しみを積み、苦しみへと向かい、苦しみを尽くすことになることは、必ずある。 阿難よ、真理を見た人が八つの生存状態を受け入れることは、決してない。しかし、凡夫の人が八つの生存状態を受け入れることは、必ずある。」

「阿難！若身惡行，口、意惡行，因此緣此，身壞命終，趣至善處，生於天中者，終無是處。若身惡行，口、意惡行，因此緣此，身壞命終，趣至惡處，生地獄中者，必有是處。阿難！若身妙行，口、意妙行，因此緣此，身壞命終，趣至惡處，生地獄中者，終無是處。若身妙行，口、意妙行，因此緣此，身壞命終，趣至善處，生天中者，必有是處。阿難！若身惡行，口、意惡行，受樂報者，終無是處。阿難！若身惡行，口、意惡行，受苦報者，必有是處。阿難！若身妙行，口、意妙行，受苦報者，終無是處。若身妙行，口、意妙行，受樂報者，必有是處。

> 阿難よ、もし人が身体で悪い行いをし、言葉と心でも悪い行いをしたなら、その報いとして、命終わって後で良い所に生まれ変わって天界に行くなどということは決してありえない。しかし、身体で悪い行いをし、言葉と心でも悪い行いをしたなら、その報いとして、命終わって後で悪い所、すなわち地獄に生まれることは必ずある。 阿難よ、もし人が身体で良い行いをし、言葉と心でも良い行いをしたなら、その報いとして、命終わって後で悪い所、地獄に生まれることは決してありえない。しかし、身体で良い行いをし、言葉と心でも良い行いをしたなら、その報いとして、命終わって後で良い所、天界に生まれることは必ずある。 阿難よ、もし人が身体で悪い行いをし、言葉と心でも悪い行いをしたなら、その報いとして楽しい結果を受けることは決してない。しかし、身体で悪い行いをし、言葉と心でも悪い行いをしたなら、その報いとして苦しい結果を受けることは必ずある。 阿難よ、もし人が身体で良い行いをし、言葉と心でも良い行いをしたなら、その報いとして苦しい結果を受けることは決してない。しかし、身体で良い行いをし、言葉と心でも良い行いをしたなら、その報いとして楽しい結果を受けることは必ずある。

「阿難！若不斷五蓋——心穢、慧羸，心正立四念處者，終無是處。若斷五蓋——心穢、慧羸，心正立四念處者，必有是處。阿難！若不斷五蓋——心穢、慧羸，心不正立四念處，欲修七覺意者，終無是處。若斷五蓋——心穢、慧羸，心正立四念處，修七覺意者，必有是處。阿難！若不斷五蓋——心穢、慧羸，心不正立四念處，不修七覺意，欲得無上正盡覺者，終無是處。若斷五蓋——心穢、慧羸，心正立四念處，修七覺意，得無上正盡覺者，必有是處。阿難！若不斷五蓋——心穢、慧羸，心不正立四念處，不修七覺意，不得無上正盡覺，盡苦邊者，終無是處。若斷五蓋——心穢、慧羸，心正立四念處，修七覺意，得無上正盡覺，盡苦邊者，必有是處。阿難！如是比丘知是處、非處。」

> 「アーナンダよ。もし人が五つの蓋（心の汚れ、智慧の弱さ）を取り除かずに、心を四念処に正しく立てるなら、それはありえない。しかし、五つの蓋（心の汚れ、智慧の弱さ）を取り除き、心を四念処に正しく立てるなら、それは必ずあり得るのだ。 アーナンダよ。もし人が五つの蓋を取り除かず、心を四念処に正しく立てずに、七つの覚りの要素を修めようとしても、それはありえない。しかし、五つの蓋を取り除き、心を四念処に正しく立てて、七つの覚りの要素を修めるなら、それは必ずあり得る。 アーナンダよ。もし人が五つの蓋を取り除かず、心を四念処に正しく立てず、七つの覚りの要素を修めずに、無上の正しい覚り（正尽覚）を得ようとしても、それはありえない。しかし、五つの蓋を取り除き、心を四念処に正しく立て、七つの覚りの要素を修めて、無上の正しい覚りを得るなら、それは必ずあり得る。 アーナンダよ。もし人が五つの蓋を取り除かず、心を四念処に正しく立てず、七つの覚りの要素を修めず、無上の正しい覚りを得ず、苦しみの終わりに達しようとしても、それはありえない。しかし、五つの蓋を取り除き、心を四念処に正しく立て、七つの覚りの要素を修め、無上の正しい覚りを得て、苦しみの終わりに達するなら、それは必ずあり得る。 アーナンダよ。このように比丘は、何が道理にかなっているか、何が道理にかなわないかを知るのである。」

尊者阿難白曰：「世尊！如是比丘知是處、非處。」

> 尊者の阿難が申し上げました。「世尊よ、そのように比丘は、道理にかなうことと道理にかなわないことを知っております。」

於是，尊者阿難叉手向佛，白曰：「世尊！此經名何？云何奉持？」

> そこで、尊者アーナンダは合掌して仏に向かい、申し上げた。「世尊よ、この経の名前は何と申しますか。どのようにして受持すればよろしいでしょうか。」

世尊告曰：「阿難！當受持此多界、法界、甘露界、多鼓、法鼓、甘露鼓、法鏡、四品。是故稱此經名曰多界。」

> 世尊が告げられました。「阿難よ、この多くの領域（多界）、真理の領域（法界）、甘露の領域（甘露界）、多くの鼓（多鼓）、真理の鼓（法鼓）、甘露の鼓（甘露鼓）、真理の鏡（法鏡）、四つの品（四品）を、しっかりと受け止め、持ち続けなさい。ゆえに、この経を『多界』と名付けるのだ。」

佛說如是。尊者阿難及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。尊者アーナンダと諸々の比丘たちは、仏の説かれたことを聞き、歓喜してこれを行いました。

多界經第十竟二千二百三十六字

> 多界経 第十 おわり<note>二千二百三十六字</note>

## 中阿含經卷第四十七八千三百三十字中阿含心品第三竟二萬一千二十二字第四分別說

> 中阿含經 第四十七巻