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title: "中阿含經 · 182 馬邑經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一八二）中阿含雙品馬邑經第一

> （一八二）中阿含双品马邑経 第一

我聞如是：

一時，佛遊鴦騎國，與大比丘眾俱，往至馬邑，住馬林寺，及比丘眾。

> ある時、ブッダは鴦騎国（アンギ国）を訪れ、大勢の修行者たちとともに馬邑に到着し、馬林寺という林の中で修行者たちと共に過ごされました。

爾時，世尊告諸比丘：「人見汝等沙門，是沙門，人問汝等沙門，汝自稱沙門耶？」

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。「人々があなたたちを見て『沙門だ』と思い、あなたたちに『あなたは沙門ですか？』と尋ねたとき、あなたたちは自ら『私は沙門です』と名乗るのですか？」

諸比丘白曰：「爾也。世尊！」

佛復告曰：「是以汝等以此，要以此沙門，當學如沙門法及如梵志法，學如沙門法及如梵志法已，要是真諦沙門、不虛沙門。若受衣被、飲食、床榻、湯藥及若干種諸生活具者，彼所供給，得大福，得大果，得大功德，得大廣報，汝等當學如是。

> そこで仏は再び告げられました。「だからこそ、あなたがたはこの教えを大切にし、この修行（沙門）の道に従い、沙門の法と梵志の法を学びなさい。沙門の法と梵志の法を学んだならば、真実の沙門となり、虚ろではない沙門となるでしょう。もし衣・食べ物・寝具・薬、そしてさまざまな生活に必要なものを受けるならば、それらを施す人々は大きな福徳を得、大きな果報を得、大きな功徳を得、大きく広い報いを受けるのです。あなたがたはこのように学びなさい」と。

「云何如沙門法及如梵志法？身行清淨，仰向發露，善護無缺，因此清淨，不自舉，不下他，無穢無濁，為諸智梵行者所共稱譽。若汝作是念：『我身行清淨，我所作已辦，不復更學，已成德義，無復上作。』比丘！我為汝說，莫令求沙門義失沙門義。若欲求上學者，比丘若身清淨，當復作何等？當學口行清淨，仰向發露，善護無缺。因此口行清淨，不自舉，不下他，無穢無濁，為諸智梵行者所共稱譽。

> 「では、沙門（修行者）の道とは何か、また梵志（清らかな修行者）の道とは何か。身体の行いを清らかにし、心からそれを告白し、よく守って欠けるところがなく、その清らかさによって、自分を誇らず、他人を見下さず、汚れや濁りがないこと。それが、賢明な清らかな修行者たちからともに称賛されるのだ。 もしあなたが『私は身体の行いが清らかだ。私はなすべきことを成し遂げ、もはや学ぶ必要はない。すでに徳の義を成就し、さらに上に為すことはない』と考えるなら、比丘（修行者）よ、あなたに言おう。沙門の意義を求めながら、その意義を失ってはならない。もしさらに上の学びを求めるなら、比丘よ、身体が清らかになった後、次に何を為すべきか。それは、言葉の行いを清らかにし、心からそれを告白し、よく守って欠けるところのないことを学ぶことだ。その言葉の行いの清らかさによって、自分を誇らず、他人を見下さず、汚れや濁りがないこと。それが、賢明な清らかな修行者たちからともに称賛されるのだ。

「若汝等作是念：『我身、口行清淨，我所作已辦，不復更學，已成德義，無復上作。』比丘！我為汝說，莫令求沙門義失沙門義。若欲求上學者，比丘若身、口清淨，當復作何等？當學意行清淨，仰向發露，善護無缺。因此意行清淨，不自舉，不下他，無穢無濁，為諸智梵行者所共稱譽。若汝等作是念：『我身、口、意行清淨，我所作已辦，不復更學，已成德義，無復上作。』比丘！我為汝說，莫令求沙門義失沙門義。若欲求上學者，比丘若身、口、意行清淨，當復作何等？當學命行清淨，仰向發露，善護無缺。因此命行清淨，不自舉，不下他，無穢無濁，為諸智梵行者所共稱譽。

> 「もしもあなた方が、『私の身体とことばの行いは清らかだ。もうやるべきことは成し遂げ、さらに学ぶ必要はない。すでに徳のある境地に達し、それ以上に向上すべきことはない』と考えるならば――修行者たちよ、あなた方に伝えます。僧侶としての真の意味を求めながら、その本質を見失ってはなりません。もしさらに上の学びを求めるなら、身体とことばが清らかになった後、次に何をすべきでしょうか？心の行いを清らかにし、率直に告白して過ちを明かし、よく守って欠けることのないように努めるべきです。その心の清らかさによって、自分を誇らず、他者を卑しめず、汚れや濁りのない状態となり、智慧ある清らかな修行者たちから称賛されるのです。」 「もしもあなた方が、『私の身体、ことば、心の行いは清らかだ。もうやるべきことは成し遂げ、さらに学ぶ必要はない。すでに徳のある境地に達し、それ以上に向上すべきことはない』と考えるならば――修行者たちよ、あなた方に伝えます。僧侶としての真の意味を求めながら、その本質を見失ってはなりません。もしさらに上の学びを求めるなら、身体、ことば、心の行いが清らかになった後、次に何をすべきでしょうか？生活のあり方を清らかにし、率直に告白して過ちを明かし、よく守って欠けることのないように努めるべきです。その生活の清らかさによって、自分を誇らず、他者を卑しめず、汚れや濁りのない状態となり、智慧ある清らかな修行者たちから称賛されるのです。」

「若汝等作是念：『我身、口、意、命行清淨，我所作已辦，不復更學，已成德義，無復上作。』比丘！我為汝說，莫令求沙門義失沙門義。若欲求上學者，比丘身、口、意命行清淨，當復作何等？比丘當學守護諸根，常念閉塞，念欲明達，守護念心而得成就，恒欲起意，若眼見色，然不受相，亦不味色，謂忿諍故，守護眼根。心中不生貪伺、憂慼、惡不善法，趣向彼故，守護眼根。如是耳、鼻、舌、身，若意知法，然不受相，亦不味法，謂忿諍故，守護意根。心中不生貪伺、憂慼、惡不善法，趣向彼故，守護意根。若汝等作是念：『我身、口、意、命行清淨，守護諸根，我所作已辦，不復更學，已成德義，無復上作。』比丘！我為汝說，莫令求沙門義失沙門義。若欲求上學者，比丘身、口、意、命行清淨，守護諸根，當復作何等？比丘當學正知出入，善觀分別，屈伸低仰，儀容庠序，善著僧伽梨及諸衣鉢，行住坐臥、眠寤語默，皆正知之。

> 「あなた方がこう考えてはならない——『私は身・口・意・命の行いが清らかであり、なすべきことは既に成し遂げ、もはや学ぶべきものはなく、徳も義も完成し、これ以上為すべきものはない』と。比丘たちよ、私はあなた方に説く。修行者の本義を求めながら、その本義を失うことのないようにせよ。もしさらに上の学びを求めるならば、比丘として身・口・意・命の行いが清らかであっても、さらに何を為すべきか。比丘は、諸々の感官を守り、常に心を閉ざし保ち、明らかな智慧によって理解しようと念じ、心を守って成就を得ることを学ぶべし。常に意を起こして、例えば眼が色を見る時、その相に捉われず、また色に味わいを求めてはならない。争いを避けるがゆえに、眼根を守るのである。心の中に貪りや憂い、不善の法が生じないよう、それに向かって眼根を守るのである。同様に、耳・鼻・舌・身——また意が法を知る時も、その相に捉われず、法に味わいを求めてはならない。争いを避けるがゆえに、意根を守るのである。心の中に貪りや憂い、不善の法が生じないよう、それに向かって意根を守るのである。もしあなた方がこう考えてはならない——『私は身・口・意・命の行いが清らかであり、諸々の感官を守っている。なすべきことは既に成し遂げ、もはや学ぶべきものはなく、徳も義も完成し、これ以上為すべきものはない』と。比丘たちよ、私はあなた方に説く。修行者の本義を求めながら、その本義を失うことのないようにせよ。もしさらに上の学びを求めるならば、比丘として身・口・意・命の行いが清らかであり、諸々の感官を守っていても、さらに何を為すべきか。比丘は、出入りを正しく知り、曲げ伸ばし・低くしたり高くしたりする動作や、服装の整え方、僧伽梨や衣鉢を正しく扱い、行・住・坐・臥、眠り・覚醒、言葉・沈黙のすべてを、正しく知ることを学ぶべし。」

「若汝等作是念：『我身、口、意、命行清淨，守護諸根，正知出入，我所作已辦，不復更學，已成德義，無復上作。』比丘！我為汝說，莫令求沙門義失沙門義。若欲求上學者，比丘身、口、意、命行清淨，守護諸根，正知出入，當復作何等？比丘當學獨住遠離，在無事處，或至樹下空安靖處、山巖石室、露地穰𧂐，或至林中，或在塚間。彼已在無事處，或至樹下空安靖處，敷尼師壇，結跏趺坐，正身正願，反念不向，斷除貪伺，心無有諍，見他財物、諸生活具，不起貪伺，欲令我得，彼於貪伺淨除其心。如是瞋恚、睡眠、掉悔，斷疑度惑，於諸善法無有猶豫，彼於疑惑淨除其心。彼斷此五蓋——心穢、慧羸，離欲，離惡不善之法，至得第四禪成就遊。彼已得如是定心清淨，無穢無煩，柔軟善住，得不動心，趣向漏盡智通作證。彼便知此苦如真，知此苦習、知此苦滅、知此苦滅道如真。亦知此漏如真，知此漏習、知此漏滅、知此漏滅道如真。彼如是知、如是見已，則欲漏心解脫，有漏、無明漏心解脫。解脫已，便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。是說沙門，說梵志，說聖，說淨浴。

「云何沙門？謂息止諸惡不善之法、諸漏穢污，為當來有本，煩熱苦報，生、老、病、死因，是謂沙門。云何梵志？謂遠離諸惡不善之法，諸漏穢污，為當來有本，煩熱苦報，生、老、病、死因，是謂梵志。云何為聖？謂遠離諸惡不善之法、諸漏穢污，為當來有本，煩熱苦報，生、老、病、死因，是謂為聖。云何淨浴？謂淨浴諸惡不善之法、諸漏穢污，為當來有本，煩熱苦報，生、老、病、死因，是謂淨浴。是謂沙門，是謂梵志，是謂為聖，是謂淨浴。」

> 「では、沙門とは何でしょうか。それは、あらゆる悪しき善からぬ法、煩悩という汚れ、未来の存在の根となるもの、苦しみの報いをもたらす熱悩、そして生・老・病・死の原因となるものを、静め、止めることです。これを沙門といいます。 では、梵志とは何でしょうか。それは、悪しき善からぬ法や煩悩の汚れ、未来の存在の根となり、苦しみの報いをもたらす熱悩、生・老・病・死の原因となるものから、遠く離れることです。これを梵志といいます。 では、聖者とは何でしょうか。それは、悪しき善からぬ法や煩悩の汚れ、未来の存在の根となり、苦しみの報いをもたらす熱悩、生・老・病・死の原因となるものから、遠く離れることです。これを聖者といいます。 では、浄浴とは何でしょうか。それは、悪しき善からぬ法や煩悩の汚れ、未来の存在の根となり、苦しみの報いをもたらす熱悩、生・老・病・死の原因となるものを、清め洗い流すことです。これを浄浴といいます。 これらこそが沙門であり、梵志であり、聖者であり、浄浴なのです。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

馬邑經第一竟千三百四十七字

> 馬邑経　第一　終わり<note>千三百四十七字</note>