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title: "中阿含經 · 186 求解經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一八六）中阿含雙品求解經第五第四分別誦

> （一八六）中阿含双品求解経第五<note>第四分別誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊拘樓瘦劒摩瑟曇拘樓都邑。

> ある時、佛陀は拘楼瘦（コーラヴィヤ）という国にある、剣摩瑟曇（ケーマセータン）という町におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「緣於彼意，不知他心如真者，彼世尊正盡覺不可知，云何求解於如來乎？」

> その時、世尊は比丘たちに告げられました。 「他人の心をあるがままに知ることができない場合、その世尊が完全に悟りを開かれたことを知ることはできません。 では、どのようにして如来について理解を求めるべきなのでしょうか？」

時，諸比丘白世尊曰：「世尊為法本，世尊為法主，法由世尊，唯願說之，我等聞已，得廣知義。」

> その時、諸比丘は世尊に申し上げました。「世尊よ、あなたは法の根本であり、法の主であります。法は世尊より出でます。どうかお説きください。私たちはそれを聞いて、広くその意味を知ることができますように。」

佛便告曰：「比丘！諦聽，善思念之，我當為汝具分別說。」時，諸比丘受教而聽。

> そこで仏はお告げになりました。「比丘たちよ、よく聞き、よく心にとめなさい。わたしがあなた方のために詳しく説き明かしましょう。」そのとき、比丘たちは教えを受け、耳を傾けました。

世尊告曰：「緣於彼意，不知他心如真者，當以二事求解如來，一者眼知色，二者耳聞聲。若有穢污眼、耳知法，是彼尊者為有、為無耶？若求時，則知所有穢污眼、耳知法，彼尊者無。若無此者，當復更求，若有雜眼、耳知法，是彼尊者為有、為無耶？若求時，則知所有雜眼、耳知法，彼尊者無。若無此者，當復更求，若有白淨眼、耳知法，是彼尊者為有、為無耶？若求時，則知所有白淨眼、耳知法，彼尊者有。若有此者，當復更求，彼尊者為長夜行此法、為暫行耶？若求時，則知彼尊者長夜行此法，不暫行也。若常行者，當復更求，彼尊者為為名譽，為為利義入此禪耶？不為名譽，不為利義入此禪耶？若求時，則知彼尊者非為災患故入此禪也。

> 世尊がおっしゃいました。「人の心の真実を知るためには、次の二つのことによって如来を探求すべきである。第一に眼で色を見ること、第二に耳で音を聞くことである。 もし、眼や耳に汚れた法（対象）があるならば、その尊者（修行者）には汚れた法があるのか、ないのか。探し求めるならば、その尊者には汚れた眼や耳の法がないと知れる。 もしこれがなければ、さらに次のように探求せよ。眼や耳に雑染（まじりけ）のある法があるならば、その尊者には雑染の法があるのか、ないのか。探し求めるならば、その尊者には雑染の眼や耳の法がないと知れる。 もしこれがなければ、さらに次のように探求せよ。眼や耳に清らかな法があるならば、その尊者には清らかな法があるのか、ないのか。探し求めるならば、その尊者には清らかな眼や耳の法があると知れる。 もしこれがあれば、さらに次のように探求せよ。その尊者は長い間この清らかな法を実践してきたのか、それとも一時的に行っているのか。探し求めるならば、その尊者は長い間この法を実践しており、一時的なものではないと知れる。 もし常に行っているならば、さらに次のように探求せよ。その尊者は名声や利益のためにこの禅定に入ったのか、それとも名声や利益のためではなく入ったのか。探し求めるならば、その尊者は災いや悩みを避けるためにこの禅定に入ったのではないと知れる。」

「若有作是說：『彼尊者樂行非恐怖，離欲不行欲，欲已盡也。』便應問彼：『賢者！有何行、有何力、有何智，令賢者自正觀如是說，彼尊者樂行非恐怖，離欲不行欲，欲已盡耶？』彼若作是答：『賢者！我不知彼心，亦非餘事知，然彼尊者或獨住，或在眾，或在集會。若有善逝，若為善逝所化為宗主，因食可見彼賢者，我不自知，我從彼尊者聞，面前諮受，我樂行非恐怖，離欲不行欲，欲已盡也。賢者！我有是行、有是力、有是智，令我自正觀如是說，彼尊者樂行不恐怖，離欲不行欲，欲已盡也。』

> 「『あの尊者は楽しみをもって行じ、恐れることなく、欲を離れ、欲を行ぜず、欲はすでに尽きたのだ』と、もし人がこのように言うならば、その人にこう問うべきです。『賢者よ、あなたにはどのような行いがあり、どのような力があり、どのような智慧があるので、あなたが自ら正しく観察して、そのように言うのですか。すなわち、あの尊者は楽しみをもって行じ、恐れることなく、欲を離れ、欲を行ぜず、欲はすでに尽きた、と。』」 もしその人がこう答えたならば——「賢者よ、私は彼の心を知りません。また、他の事柄によって知るわけでもありません。ただ、あの尊者は、ある時は独りで住み、ある時は大勢の中に、ある時は集会の中にいました。もし善逝（目覚めた方）がおられ、あるいは善逝によって教化された指導者がおられるならば、托鉢の際にその賢者を見ることができるでしょう。私は自ら知っているのではなく、あの尊者から聞き、直接に教えを受けました。『私は楽しみをもって行じ、恐れることなく、欲を離れ、欲を行ぜず、欲はすでに尽きたのだ』と。賢者よ、私にはこのような行い、このような力、このような智慧があります。それによって私は自ら正しく観察し、そのように言うのです。すなわち、あの尊者は楽しみをもって行じ、恐れることなく、欲を離れ、欲を行ぜず、欲はすでに尽きた、と。」——

「於中當復問彼如來法。若有穢污眼、耳知法，有彼處此法滅盡無餘。若有雜眼、耳知法，有彼處此法滅盡無餘。若有白淨法，有彼處此法滅盡無餘，如來為彼答。若有穢污眼、耳知法，有彼處此法滅盡無餘。若有雜眼、耳知法，有彼處此法滅盡無餘。若有穢污眼、耳知法，如來滅斷拔絕根本，終不復生。若有雜眼、耳知法，如來滅斷拔絕根本，終不復生。若有白淨法，如是我白淨，如是境界，如是沙門，我如是成就此正法、律。有信弟子往見如來，奉侍如來，從如來聞法，如來為說法，上復上，妙復妙，善除黑白。如來為說法，上復上，妙復妙，善除黑白者，如是如是聞已，知斷一法，於諸法得究竟，靖信世尊，彼世尊正盡覺也。

> そこで、<note>如来</note>にその法について尋ねるべきだ。 もし汚れた眼や耳で認識する法があれば、その場所ではこの法は余すことなく滅び尽くす。 もし混ざった眼や耳で認識する法があれば、その場所ではこの法は余すことなく滅び尽くす。 もし清らかな法があれば、その場所ではこの法は余すことなく滅び尽くす、と如来は答える。 もし汚れた眼や耳で認識する法があれば、その場所ではこの法は余すことなく滅び尽くす。 もし混ざった眼や耳で認識する法があれば、その場所ではこの法は余すことなく滅び尽くす。 もし汚れた眼や耳で認識する法があれば、如来はそれを滅ぼし断ち、根本から抜き去り、再び生じることは決してない。 もし混ざった眼や耳で認識する法があれば、如来はそれを滅ぼし断ち、根本から抜き去り、再び生じることは決してない。 もし清らかな法があれば、このように私は清らかであり、このような境地であり、このような修行者であり、私はこのようにしてこの正しい教えと戒律を成就する。 信仰ある弟子は如来のもとを訪れ、如来に仕え、如来から法を聞く。 如来は法を説く。より高く、より高く、より素晴らしく、より素晴らしく、善と悪をよく除く。 如来は法を説く。より高く、より高く、より素晴らしく、より素晴らしく、善と悪をよく除く。 このように聞いて、一つの法を断つことを知り、あらゆる法において究極に達し、世尊を静かに信じる。 その世尊は、正しく完全に目覚めた方である。

「復應問彼：『賢者！有何行、有何力、有何智，令賢者知斷一法，於諸法得究竟？靖信世尊，彼世尊正盡覺耶？』彼如是答：『賢者！我不知世尊心，亦非餘事知，我因世尊有如是靖信，世尊為我說法，上復上，妙復妙，善除黑白。賢者！如如世尊為我說法者，如是如是我聞，如來為我說法，上復上，妙復妙，善除黑白。如是如是我聞已，知斷一法，於諸法得究竟，靖信世尊，彼世尊正盡覺也。賢者！我有是行、有是力、有是智，令我知斷一法，於諸法得究竟，靖信世尊，彼世尊正盡覺也。若有此行、有此力，深著如來信根已立者，是謂信見本不壞智相應，沙門、梵志、天及魔、梵及餘世間無有能奪，如是求解如來，如是正知如來。』」

> 「また、その者にこう尋ねるべきです。『賢者よ、どのような実践、どのような力、どのような智慧によって、あなたは一つの法を断ち切り、すべての法について究極に達し、世尊を清らかに信じ、その世尊が正しく完全に覚られた方であると知るのですか？』 すると、その者はこう答えます。『賢者よ、私は世尊の心を知っているわけでもなく、他の何かによって知っているわけでもありません。私は世尊によってこのような清らかな信を得ました。世尊は私に法を説かれました。それは、さらに上のものへ、さらに素晴らしいものへと導き、善悪の分別を巧みに取り除くものでした。賢者よ、世尊が私に説かれた法を、そのまま私は聞き、そのまま如来が私に説かれた法を、さらに上のものへ、さらに素晴らしいものへと導き、善悪の分別を巧みに取り除くものとして受け取りました。このように聞いてから、一つの法を断ち切り、すべての法について究極に達し、世尊を清らかに信じ、その世尊が正しく完全に覚られた方であると知ったのです。賢者よ、私はこのような実践、このような力、このような智慧によって、一つの法を断ち切り、すべての法について究極に達し、世尊を清らかに信じ、その世尊が正しく完全に覚られた方であると知るのです。このような実践、このような力を持ち、如来への信根が深く確立されたならば、それを“信と見に基づき、壊れることのない智慧と相応したもの”と呼びます。それは、修行者、バラモン、天、悪魔、梵天、その他の世間のいかなる者にも打ち破られることはありません。このようにして如来を理解し、このようにして如来を正しく知るのです。』」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

求解經第五竟千一十八字

> 解経第五が終わりました<note>千一十八字</note>

## 中阿含經卷第四十八九千九百一十九字中阿含雙品第四竟九千九百一十九字第四分別誦竟

> 中阿含経 巻第四十八<note>九千九百一十九字</note>