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title: "中阿含經 · 187 說智經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一八七）中阿含雙品說智經第一

> （一八七）中阿含双品 説智経 第一

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「若有比丘來向汝說已所得智，我生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真者，汝等聞之，當善然可，歡喜奉行。善然可彼，歡喜奉行已，當復如是問彼比丘：『賢者！世尊說五盛陰，色盛陰，覺、想、行、識盛陰。賢者！云何知、云何見此五盛陰，得知無所受，漏盡心解脫耶？』

> ある時、世尊は比丘たちに告げられた。 「もし比丘があなた方のもとに来て、『すでに悟りを得た。生は尽き、清らかな行いは完成し、なすべきことは成し遂げ、再び迷いの世界に生まれることはない』と、そのままの真実を語ったならば、あなた方はそれを聴いて、よく認め、喜んで受け入れなさい。 そうして認め、喜んで受け入れた後には、その比丘にこう尋ねるのです。 『尊者よ、世尊は五つの執着の塊（五取蘊）について説かれました。すなわち、色の塊、受・想・行・識の塊です。 尊者よ、この五つの執着の塊をどのように知り、どのように見れば、何ものにも執着せず、煩悩が尽きて心の解放を得られるのでしょうか』と。」

「漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答：『諸賢！色盛陰非果、空虛、不可欲、不恒有、不可倚、變易法，我知如是。若於色盛陰有欲、有染、有著、有縛、縛著使者，彼盡、無欲、滅、息、止，得知無所受，漏盡心解脫；如是覺、想、行、識盛陰，非果、空虛、不可欲、不恒有、不可倚、變易法，我知如是。若於識盛陰有欲、有染、有著、有縛、縛著使者，彼盡、無欲、滅、息、止，得知無所受，漏盡心解脫。諸賢！我如是知、如是見此五盛陰，得知無所受，漏盡心解脫。』漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答。

> 煩悩を滅尽した比丘は、「清らかな修行は完成した」と知り、その教えに従って次のように答えるべきです。 「尊い方々よ。物質的な感受（色蘊）は、確かな実体ではなく、虚ろであり、執着すべきものではなく、永続せず、頼るべきものではなく、常に変化するものです。私はこのように知っています。もし物質的な感受（色蘊）に対して、欲や執着、こだわり、束縛、そして束縛をもたらすものがあれば、それらが尽き、欲がなくなり、消滅し、静まり、止み、執着のない状態に至り、煩悩が尽きて心が解脱したと知ります。同様に、感受（受蘊）、概念（想蘊）、形成作用（行蘊）、識別作用（識蘊）もまた、確かな実体ではなく、虚ろであり、執着すべきものではなく、永続せず、頼るべきものではなく、常に変化するものです。私はこのように知っています。もしこれらの五つの感受のまとまり（五蘊）に対して、欲や執着、こだわり、束縛、そして束縛をもたらすものがあれば、それらが尽き、欲がなくなり、消滅し、静まり、止み、執着のない状態に至り、煩悩が尽きて心が解脱したと知ります。尊い方々よ。私はこのように知り、このように見て、この五つの感受のまとまり（五蘊）に対して執着のない状態に至り、煩悩が尽きて心が解脱しました。」 煩悩を滅尽した比丘は、「清らかな修行は完成した」と知り、教えに従ってこのように答えるべきです。

「汝等聞之，當善然可，歡喜奉行。善然可彼，歡喜奉行已，當復如是問彼比丘：『賢者！世尊說四食，眾生以此得存長養。云何為四？一曰摶食麤細，二曰更樂，三曰意念，四曰識也。賢者！云何知、云何見此四食，得知無所受，漏盡心解脫耶？』

> あなたがたはこれを聞いたなら、よく理解して受け入れ、喜んで実践しなさい。それを理解し受け入れ、喜んで実践したなら、その比丘に次のように尋ねなさい。 「尊い方よ、世尊は四つの食物（四食）について説かれました。生きとし生けるものはこれによって生き長らえ、成長します。その四つとは何か。第一に、固形の食物（粗いものと細かいもの）、第二に、感覚（接触）、第三に、意志（意思）、第四に、識別作用（識）です。 尊い方よ、どのように知り、どのように見れば、この四つの食物について、何にも執着せず、煩悩が尽きて心が完全に解放されると知ることができるのでしょうか。」

「漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答：『諸賢！我於摶食，意不高不下，不倚不縛，不染不著，得解得脫，盡得解脫，心離顛倒，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。如是更樂、意念、識食，不高不下，不倚不縛，不染不著，得解得脫，盡得解脫，心離顛倒，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。諸賢！我如是知，如是見此四食，得知無所受，漏盡心解脫。』漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答。

> 煩惱を滅し尽くした比丘が「清らかな修行は完成した」と知るならば、その教えに従う者は次のように答えるべきです。 「尊い方々よ、私は固形の食物（団食）に対して、心を高くもしなければ低くもせず、寄りかからず、縛られず、染まらず、執着しません。それを理解し、解き放たれ、完全に解脱し、心が倒錯した見解から離れています。生は尽き、清らかな修行は完成し、なすべきことは成し遂げられ、再び迷いの生存を受けることはないと、あるがままに知っています。 同様に、触（接触）、意（意志）、識（意識）という四つの食についても、心を高くも低くもせず、寄りかからず、縛られず、染まらず、執着しません。それを理解し、解き放たれ、完全に解脱し、心が倒錯した見解から離れています。生は尽き、清らかな修行は完成し、なすべきことは成し遂げられ、再び迷いの生存を受けることはないと、あるがままに知っています。 尊い方々よ、私はこのように知り、このように見て、この四つの食について、もはや執着するものは何もないと知り、煩悩の滅尽による心の解脱を得ました。」 煩悩を滅し尽くした比丘が「清らかな修行は完成した」と知るならば、教えに従う者はこのように答えるべきです。

「汝等聞之，當善然可，歡喜奉行。善然可彼，歡喜奉行已，當復如是問彼比丘：『賢者！世尊說四說。云何為四？一曰見見說，二曰聞聞說，三曰識識說，四曰知知說。賢者！云何知、云何見此四說，得知無所受，漏盡心解脫耶？』

> 「あなたがたはこれを聞いたなら、しっかりと受け入れ、喜んで実践しなさい。その上で、その修行僧にこう尋ねるのです。『尊者よ、世尊は四つの説き方を説かれました。その四つとは何か。第一に見たことを見たままに説くこと、第二に聞いたことを聞いたままに説くこと、第三に識ったことを識ったままに説くこと、第四に知ったことを知ったままに説くことです。尊者よ、どのように知り、どのように見れば、この四つの説き方について、何も執着することがなくなり、煩悩が尽きて心が解脱することを理解できるのでしょうか。』」

「漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答：『諸賢！我於見見說，不高不下，不倚不縛，不染不著，得解得脫，盡得解脫，心離顛倒，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。如是聞聞、識識、知知說，不高不下，不倚不縛，不染不著，得解得脫，盡得解脫，心離顛倒，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。諸賢！我如是知、如是見此四說，得知無所受，漏盡心解脫。』漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答。

> 煩悩を滅尽した比丘は、「清らかな修行は既に成し遂げられた」と知るべきです。 その教えに従うならば、次のように答えるべきです。 「皆さま、私は『見る』ということについて、見たままを説き、 それを高くもせず、低くもせず、執着せず、縛られもせず、 染まらず、捉われもせず、 理解し、解き放たれ、完全に解脱しました。 心は誤った見解から離れ、 生は尽き、清らかな修行は成し遂げられ、 なすべきことは全てなされ、 再び迷いの生存を受けることはありません。 これをありのままに知っています。 また同様に、聞くことについて、聞いたままを説き、 識別することについて、識別したままを説き、 知ることについて、知ったままを説きます。 高くもせず、低くもせず、執着せず、縛られもせず、 染まらず、捉われもせず、 理解し、解き放たれ、完全に解脱しました。 心は誤った見解から離れ、 生は尽き、清らかな修行は成し遂げられ、 なすべきことは全てなされ、 再び迷いの生存を受けることはありません。 これをありのままに知っています。 皆さま、私はこのように知り、このように見て、 これら四つの説き方（見・聞・識・知）を明らかにし、 もはや執着するものは何もないと知り、 煩悩を尽くして心は解脱したのです。」 煩悩を滅尽した比丘は、「清ら

「汝等聞之，當善然可，歡喜奉行。善然可彼，歡喜奉行已，當復如是問彼比丘：『賢者！世尊說內六處，眼處，耳、鼻、舌、身、意處。賢者！云何知、云何見此內六處，得知無所受，漏盡心解脫耶？』

> あなたたちはこの教えを聞いたならば、それを善く受け入れ、喜んで実践しなさい。それを受け入れ、喜んで実践したならば、その修行者に次のように問いなさい。「尊者よ、世尊は内なる六つの処について説かれました。すなわち、眼の処、耳の処、鼻の処、舌の処、身の処、意の処です。尊者よ、どのように知り、どのように見れば、この内なる六つの処について、何ものにも執着することなく、煩悩の汚れが尽きて心が解脱することを、知ることができるのでしょうか？」

「漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答：『諸賢！我於眼及眼識，眼識知法俱知，二法知已。諸賢！若眼及眼識，眼識知法，樂已盡，彼盡、無欲、滅、息、止，得知無所受，漏盡心解脫，如是耳、鼻、舌、身、意及意識，意識知法俱知，二法知已。諸賢！若意及意識，意識知法，樂已盡，彼盡、無欲、滅、息、止，得知無所受，漏盡心解脫。諸賢！我如是知、如是見此內六處，得知無所受，漏盡心解脫。』漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答。

> 煩悩を滅した比丘は、「清らかな修行は完成した」と知り、教えに従って次のように答えるべきです。 「皆さん、私は眼と眼識、そして眼識によって知られる法を共に知っています。この二つの法を知り尽くしました。皆さん、もし眼と眼識、眼識によって知られる法において、楽がすでに尽き、その尽き、欲なきこと、消滅、静寂、止息があり、何も受けるところがないと知り、煩悩を滅した心の解脱を得ました。同様に、耳、鼻、舌、身、意と意識、意識によって知られる法を共に知っています。この二つの法を知り尽くしました。皆さん、もし意と意識、意識によって知られる法において、楽がすでに尽き、その尽き、欲なきこと、消滅、静寂、止息があり、何も受けるところがないと知り、煩悩を滅した心の解脱を得ました。皆さん、私はこのように知り、このように見て、この内なる六つの入処において、何も受けるところがないと知り、煩悩を滅した心の解脱を得ました。」 煩悩を滅した比丘は、このように「清らかな修行は完成した」と知り、教えに従って答えるべきです。

「汝等聞之，當善然可，歡喜奉行。善然可彼，歡喜奉行已，當復如是問彼比丘：『賢者！世尊說六界，地界、水界、火界、風界、空界、識界。賢者！云何知、云何見此六界，得知無所受，漏盡心解脫耶？』

> 「あなたがたはこれを聞いたなら、よく納得し、喜んで実践しなさい。よく納得し、喜んで実践したならば、その修行僧にこう尋ねなさい。『尊き方よ、世尊は六つの領域をお説きになりました。地の領域、水の領域、火の領域、風の領域、空の領域、識別の領域です。尊き方よ、この六つの領域をどのように知り、どのように見れば、執着することなく、煩悩が尽きて心の解脱を得られるのでしょうか。』」

「漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答：『諸賢！我不見地界是我所，我非地界所，地界非是神，然謂三受依地界住，識使所著，彼盡、無欲、滅、息、止，得知無所受，漏盡心解脫。如是水、火、風、空、識界，非是我所，我非識界所，識界非是神，然謂三受依識界住，識使所著，彼盡、無欲、滅、息、止，得知無所受，漏盡心解脫。諸賢！我如是知、如是見此六界，得知無所受，漏盡心解脫。』漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答。

> 「煩悩を滅し尽くした比丘が、『清らかな修行は既に完成した』と知ったなら、その教えに従う者はこう答えるべきです。『皆さん、私は地の元素を“我がもの”とは見ません。私は地の元素に属するのでもなく、地の元素は永遠の霊魂などではありません。しかし、三つの感受（苦・楽・不苦不楽）は地の元素に依って生じ、そこに心の執着（識）が結びついています。その執着が尽き、欲望がなくなり、滅し、静まり、止まったなら、何も執着しないという境地に達し、煩悩を滅し尽くした心の解脱を得るのです。同じように、水・火・風・空・識の元素も、私のものではなく、私はそれらに属するのでもなく、それらは永遠の霊魂ではありません。三つの感受は識の元素に依って生じ、そこに心の執着が結びついています。その執着が尽き、欲望がなくなり、滅し、静まり、止まったなら、何も執着しないという境地に達し、煩悩を滅し尽くした心の解脱を得るのです。皆さん、私はこのように六つの元素を理解し、このように見て、何も執着しない境地に達し、煩悩を滅し尽くした心の解脱を得ました。』と。煩悩を滅し尽くした比丘が、清らかな修行は既に完成したと知ったなら、教えに従う者はこのように答えるべきです。」

「汝等聞之，當善然可，歡喜奉行。善然可彼，歡喜奉行已，當復如是問彼比丘：『賢者！云何知、云何見，此內身共有識及外諸相，一切我、我作及慢使斷知，拔絕根本，終不復生？』

> 皆さん、これを聞いたなら、しっかりと理解し、納得し、喜んで実践してください。そのように理解し、納得し、喜んで実践したなら、さらにその修行者にこう問いかけてください。 「賢者よ、どのように知り、どのように見ることで、この内なる身と識（意識）を共に持ち、そして外なる諸々の現象についても、すべての『私』や『私のもの』という考え、そして慢心（思い上がり）を断ち切り、根底から完全に抜き去り、二度と再び生じないようにすることができるのでしょうか？」

「漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答：『諸賢！我本未出家學道時，厭生老病死、啼泣困苦、愁慼憂悲，欲斷此大苦陰。諸賢！我厭患已而作是觀，在家至狹，塵勞之處，出家學道，發露曠大。我今在家，為鎖所鎖，不得盡形壽淨修梵行，我寧可捨少財物及多財物，捨少親族及多親族，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。諸賢！我於後時捨少財物及多財物，捨少親族及多親族，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。諸賢！我出家學道，捨族相已，受比丘要，修習禁戒，守護從解脫，又復善攝威儀禮節，見纖介罪，常懷畏怖，受持學要。

> 「煩悩を滅尽した比丘は、『清らかな修行は既に成就した』と知るべきです。そのように問われたなら、正しく答えるべきです。 『諸賢よ、私はかつて出家して修行する前、生・老・病・死に悩み、泣き悲しみ、苦しみ憂えることから逃れたいと願い、この大きな苦しみの塊を断ち切ろうと欲しました。 諸賢よ、私はこの苦しみに厭い離れる思いを抱き、こう観じました。「在家の生活は狭苦しく、煩わしさに満ちている。出家して修行すれば、広く開放された道が開ける。今、私は在家にあって多くの束縛に絡め取られ、生涯をかけて清らかな修行を完全に行うことはできない。ならば、わずかな財産も多くの財産も、わずかな親族も多くの親族も捨て、髪や髭を剃り、袈裟をまとい、確かな信をもって家を捨て、家なき者として修行の道に入ろう」と。 諸賢よ、私はその後、わずかな財産も多くの財産も、わずかな親族も多くの親族も捨て、髪や髭を剃り、袈裟をまとい、確かな信をもって家を捨て、家なき者として修行の道に入りました。 諸賢よ、私は出家して修行し、氏族の因縁を捨てて比丘の戒を受け、禁戒を修習し、解脱に至る教えを守りました。また、威儀や礼節をよく整え、わずかな過ちをも恐れ慎み、学ぶべき要諦を受け持って修行しました。』」

「『諸賢！我離殺，斷殺，棄捨刀杖，有慚有愧，有慈悲心，饒益一切乃至蜫蟲，我於殺生淨除其心。我離不與取，斷不與取，與而後取，樂於與取，常好布施，歡喜無恡，不望其報，我於不與取淨除其心。諸賢！我離非梵行，斷非梵行，勤修梵行，精勤妙行，清淨無穢，離欲斷婬，我於非梵行淨除其心。諸賢！我離妄言，斷於妄言，真諦言，樂真諦，住真諦，不移動，一切可信，不欺世間，我於妄言淨除其心。諸賢！我離兩舌，斷於兩舌，行不兩舌，不破壞他，不此聞語彼，欲破壞此，不彼聞語此，欲破壞彼，離者欲合，合者歡喜，不作群黨，不樂群黨，不稱群黨，我於兩舌淨除其心。

> 「皆さん、私は殺生を離れ、殺生を断ち、刀や杖を捨てました。恥じる心と思いやりの心を持ち、あらゆる生きとし生けるもの、虫の類に至るまで慈しみ、殺生から心を清めています。 皆さん、私は盗みを離れ、盗みを断ち、与えられてから受け取り、与えることを喜び、常に施しを好み、惜しみなく与え、見返りを求めず、盗みから心を清めています。 皆さん、私は不浄行を離れ、不浄行を断ち、努めて清らかな行いを修め、精進して素晴らしい行いをし、清净で汚れがなく、欲望を離れ、婬欲を断ち、不浄行から心を清めています。 皆さん、私は嘘をつくことを離れ、嘘をつくことを断ち、真実の言葉を語り、真実を喜び、真実に住み、動揺せず、すべての人に信頼され、世間を欺かず、嘘から心を清めています。 皆さん、私は二枚舌を離れ、二枚舌を断ち、二枚舌を使わず、他者を仲違いさせず、こちらで聞いたことをあちらに語ってこれを破壊しようとせず、あちらで聞いたことをこちらに語って彼を破壊しようとせず、離れた者を結びつけ、結ばれた者を喜ばせ、徒党を組まず、徒党を好まず、徒党を称賛せず、二枚舌から心を清めています。

「『諸賢！我離麤言，斷於麤言。若有所言，辭氣麤獷，惡聲逆耳，眾所不喜，眾所不愛，使他苦惱，令不得定，斷如是言。若有所說，清和柔潤，順耳入心，可喜可愛，使他安樂，言聲具了，不使人畏，令他得定，說如是言，我於麤言淨除其心。諸賢！我離綺語，斷綺語，時說、真說、法說、義說、止息說，樂止息諍事，順時得宜，善教善呵，我於綺語淨除其心。諸賢！我離治生，斷於治生，棄捨稱量及斗斛，亦不受貨，不縛束人，不望折斗量，不以小利侵欺於人，我於治生淨除其心。

> 「皆さん、私は粗い言葉を離れ、粗い言葉を断ちました。話す時には、言葉が荒々しく、耳障りで、人が好まず、嫌われ、他人を苦しめ、心の安定を妨げるようなことはしません。そのような言葉は断ちました。話すことがあるならば、穏やかで柔らかく、耳に心地よく、心に響き、喜ばれ、愛され、他人を安らかにし、言葉は明瞭で、人を恐れさせず、心の安定をもたらすように話します。私は粗い言葉に対して心を清めました。 皆さん、私は無駄話を離れ、無駄話を断ちました。時にかなった話、真実の話、真理の話、意味のある話、静まるように促す話をし、争い事が静まるのを喜び、時に適い、よく教え、よく戒めます。私は無駄話に対して心を清めました。 皆さん、私は商売を離れ、商売を断ちました。はかりや枡を使うことを捨て、また商品を扱わず、人を縛らず、枡目を不当に減らして計ろうとせず、小さな利益で人を欺きません。私は商売に対して心を清めました。」

「『諸賢！我離受寡婦、童女，斷受寡婦、童女，我於受寡婦、童女淨除其心。諸賢！我離受奴婢，斷受奴婢，我於受奴婢淨除其心。諸賢！我離受象、馬、牛、羊，斷受象、馬、牛、羊，我於受象、馬、牛、羊淨除其心。諸賢！我離受雞、猪，斷受雞、猪，我於受雞、猪淨除其心。諸賢！我離受田業、店肆，斷受田業、店肆，我於受田業、店肆淨除其心。諸賢！我離受生稻、麥、豆，斷受生稻、麥、豆，我於受生稻、麥、豆淨除其心。諸賢！我離酒，斷酒，我於飲酒淨除其心。諸賢！我離高廣大床，斷高廣大床，我於高廣大床淨除其心。諸賢！我離華鬘、瓔珞、塗香、脂粉，斷華鬘、瓔珞、塗香、脂粉，我於花鬘、瓔珞、塗香、脂粉淨除其心。諸賢！我離歌舞倡伎及往觀聽，斷歌舞倡伎及往觀聽，我於歌舞倡伎及往觀聽淨除其心。諸賢！我離受生色像寶，斷受生色像寶，我於受生色像寶淨除其心。諸賢！我離過中食，斷過中食，一食、不夜食、學時食，我於過中食淨除其心。

> 「皆さん、私は未亡人や娘たちを受け取ることを離れ、断ち、心を清らかにしています。皆さん、私は奴婢を受け取ることを離れ、断ち、心を清らかにしています。皆さん、私は象、馬、牛、羊を受け取ることを離れ、断ち、心を清らかにしています。皆さん、私は鶏や豚を受け取ることを離れ、断ち、心を清らかにしています。皆さん、私は田畑や店舗を受け取ることを離れ、断ち、心を清らかにしています。皆さん、私は生の稲、麦、豆を受け取ることを離れ、断ち、心を清らかにしています。皆さん、私は酒を離れ、断ち、酒を飲む心を清らかにしています。皆さん、私は高く広い寝台を離れ、断ち、高く広い寝台を使う心を清らかにしています。皆さん、私は花飾り、首飾り、塗り香、おしろいを離れ、断ち、それらを用いる心を清らかにしています。皆さん、私は歌や舞い、音楽や演芸を見に行くことを離れ、断ち、それらを見聞きする心を清らかにしています。皆さん、私は生の色や形を持つ宝を受け取ることを離れ、断ち、それらを受け取る心を清らかにしています。皆さん、私は午後を過ぎてから食べることを離れ、断ち、一日一食とし、夜には食べず、正しい時に食べることを学び、過ぎた時間に食べる心を清らかにしています。」

「『諸賢！我已成就此聖戒身，復行知足，衣取覆形，食取充軀，我所往處，衣鉢自隨，無有顧戀。猶如鴈鳥與兩翅俱飛翔空中，我亦如是。諸賢！我已成就此聖戒身及極知足，復守諸根，常念閉塞，念欲明達，守護念心，而得成就，恒欲起意。若眼見色，然不受相，亦不味色，謂忿諍故，守護眼根。心中不生貪伺、憂慼、惡不善法，趣向彼故，守護眼根。如是耳、鼻、舌、身，若意知法，然不受相，亦不味法，謂忿諍故，守護意根。心中不生貪伺、憂慼、惡不善法，趣向彼故，守護意根。諸賢！我已成就此聖戒身及極知足，聖護諸根，正知出入，善觀分別，屈伸低仰，儀容庠序，善著僧伽梨及諸衣鉢，行住坐臥、眠寤語默，皆正知之。

> 「皆様、私はすでにこの聖なる戒の身を完成し、さらに知足の行を実践しています。衣服は体を覆うために取り、食物は体を支えるために取ります。私の赴くところ、衣と鉢は常に身に帯び、何の執着もありません。ちょうど雁が両翼と共に空を飛ぶように、私もまた同じです。皆様、私はすでにこの聖なる戒の身と徹底した知足を完成し、さらに諸々の感覚器官を守り、常に念を閉ざし、念を明達させようと志し、心を守る念を保ち、それを成就し、常に意を起こそうと努めています。 もし眼で形を見ても、その相に執着せず、その色に味わいを求めません。なぜなら争いを防ぐためであり、眼根を守るからです。心の中に貪り、憂い、悪しき不善の法を生じさせず、それらを避けるために眼根を守ります。耳、鼻、舌、身も同様です。もし意で法を知っても、その相に執着せず、その法に味わいを求めません。なぜなら争いを防ぐためであり、意根を守るからです。心の中に貪り、憂い、悪しき不善の法を生じさせず、それらを避けるために意根を守ります。 皆様、私はすでにこの聖なる戒の身と徹底した知足、聖なる諸根の保護を完成しました。さらに出入りを正しく知り、善く観察し分別し、屈伸や上げ下げ、立ち居振る舞いを優雅にし、僧伽梨やその他の衣鉢を善く身に着け、行住坐臥、眠りと覚醒、そして語りと沈黙のすべてにおいて、正しくそれらを知っています。」

「『諸賢！我已成就此聖戒身及極知足，亦成就聖護諸根，得正知出入，獨住遠離在無事處，或至樹下空安靖處，山巖石室、露地穰𧂐，或至林中，或在塜間。諸賢！我已在無事處，或至樹下空安靖處，敷尼師檀，結跏趺坐，正身正願，及念不向，斷除貪伺，心無有諍。見他財物、諸生活具，不起貪伺，欲令我得，我於貪伺淨除其心。如是瞋恚、睡眠、調悔，斷疑度惑，於諸善法無有猶豫，我於疑惑淨除其心。諸賢！我已斷此五蓋——心穢、慧羸，離欲，離惡不善之法，至得第四禪成就遊。諸賢！我已得如是定心清淨，無穢無煩，柔軟善住，得不動心，趣向漏盡通智作證。

「『諸賢！我知此苦如真，知此苦習、知此苦滅、知此苦滅道如真，知此漏、知此漏習、知此漏滅、知此漏滅道如真。彼如是知、如是見，欲漏心解脫，有漏、無明漏心解脫，解脫已便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。諸賢！我如是知、如是見，內身有識及外諸相，一切我、我行及慢使斷知，拔絕根本，終不復生。』漏盡比丘得知梵行已立，法者應如是答。

「汝等聞之，當善然可，歡喜奉行。善然可彼，歡喜奉行已，當復如是語彼比丘：『賢者！初說我等已可意歡喜，然我等欲從賢者上復上，求智慧應答辯才，以是故我等從賢者問復問耳。』」

> あなたたちはこれを聞いたならば、しっかりと納得し、喜んで実践しなさい。しっかりと納得し、喜んで実践したならば、その修行僧にこう言いなさい。「尊き方よ、最初の説法は私たちにとってすでに心に適い、喜ばしいものでした。しかし私たちは、尊き方からさらに一歩進んで、智慧による応答や説法の力を求めたいのです。そのために、私たちは尊き方に繰り返し質問するのです。」と。

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

說智經第一竟二千八百四十六字