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title: "中阿含經 · 188 阿夷那經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一八八）中阿含雙品阿夷那經第二第五後誦

> （一八八）中阿含 双品 阿夷那経 第二<note>第五後誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在於東園鹿子母堂。

> ある時、仏様はシャーラヴァスティー（舎衛国）に滞在され、東の園にある「鹿子母堂」におられました。

爾時，世尊則於晡時，從燕坐起，堂上來下，在堂影中露地經行，為諸比丘廣說甚深微妙之法。彼時，異學阿夷那，沙門蠻頭弟子，遙見世尊從燕坐起，堂上來下，在堂影中露地經行，為諸比丘廣說甚深微妙之法。異學阿夷那，沙門蠻頭弟子，往詣佛所，共相問訊，隨佛經行。世尊迴顧問曰：「阿夷那！沙門蠻頭實思五百思。若有異沙門、梵志一切知、一切見者，自稱我有無餘、知無餘，見彼有過、自稱有過。」

> その頃、世尊は午後の休息から立ち上がり、講堂から下りて、講堂の影で露地を経行されながら、比丘たちに深遠で微細な教えを広く説いておられた。そこへ、異学の阿夷那、沙門蛮頭の弟子が、はるかに世尊が午後の休息から立ち上がり、講堂から下りて、講堂の影で露地を経行されながら、比丘たちに深遠で微細な教えを広く説いておられるのを見た。異学の阿夷那、沙門蛮頭の弟子は、仏のもとへ赴き、互いにあいさつを交わし、仏に従って経行した。世尊は振り返って尋ねられた。「阿夷那よ。沙門蛮頭は実際に五百の思いを考察するのか。もし他の沙門や梵志で、一切を知り、一切を見る者があれば、『私は無余の智慧を持ち、無余の智慧を知り、それを見る』と自称するが、その者には過ちがあり、過ちを自称するのだ。」

異學阿夷那，沙門蠻頭弟子，答曰：「瞿曇！沙門蠻頭實思五百思。若有異沙門、梵志一切知、一切見者，自稱我有無餘、知無餘，見彼有過、自稱有過。」

> 異学のアシナ、沙門マンタの弟子が答えた： 「ゴータマよ、沙門マンタは確かに五百の思いを考えます。もし他の沙門や梵志で、一切を知り一切を見る者たちが、『私は余すところなく知り、余すところなく見る』と自称しながらも、その者たちには過ちがあり、自ら過ちがあると認めるのです。」

世尊復問曰：「阿夷那！云何沙門蠻頭思五百思？若有異沙門、梵志一切知、一切見者，自稱我有無餘、知無餘，見彼有過、自稱有過耶？」

> 尊師が再び尋ねられた。「アジナよ。修行者でありながら、どうして五百もの思考に思い悩むのか。もし他の修行者や梵志（修行者）で、全てを知り全てを見る者があるなら、『私は余すところなく知り、余すところなく見る』と自称し、その者に過ちがあれば、自ら過ちがあると言うのだろうか。」

異學阿夷那，沙門蠻頭弟子，答曰：「瞿曇！沙門蠻頭作如是說：『若行、若住、若坐、若臥、若眠、若寤，或晝、或夜，常無礙知見。或時逢𩣺象、逸馬、𩣺車、叛兵、走男、走女，或行如是道，逢惡象、惡馬、惡牛、惡狗，或值蛇聚，或得塊擲，或得杖打，或墮溝瀆，或墮廁中，或乘臥牛，或墮深坑，或入刺中，或見村邑，問名問道，見男見女，問姓問名，或觀空舍，或如是入族。彼既入已，而問我曰：「尊從何行？」我答彼曰：「諸賢！我趣惡道也。」』瞿曇！沙門蠻頭如是比思五百思。若有異沙門、梵志一切知、一切見者，自稱我有無餘、知無餘，見彼有過也。」

> 他宗の阿夷那、沙門マン頭の弟子が答えた。「ゴータマよ。沙門マン頭はこう説いています。『歩いていようと、立っていようと、座っていようと、横たわっていようと、眠っていようと、覚醒していようと、昼であろうと夜であろうと、常に障りのない知と見がある。ある時は暴走する象、奔る馬、暴走する車、逃亡する兵士、走る男、走る女に出会う。あるいは、そのような道を歩けば、凶暴な象、凶暴な馬、凶暴な牛、凶暴な犬に出会い、あるいは蛇の集まりに直面し、あるいは石を投げられ、あるいは棒で打たれ、あるいは溝や水路に落ち、あるいは便所に落ち、あるいは横たわる牛に乗り、あるいは深い穴に落ち、あるいは棘の中に入る。あるいは村邑を見れば、道を尋ね、道の名を問い、男や女を見れば、姓を尋ね、名を問い、あるいは空の家を見たり、あるいはそのように一族の中に入る。彼がすでに入った後に、私に尋ねて言う。「尊者はどこからおいでですか？」と。私は彼に答えて言う。「諸賢よ、私は悪道に行くのです」と。』 ゴータマよ。沙門マン頭はこのように五百の想念を思案する。もし他の沙門やバラモンで一切を知り、一切を見る者がいるなら、自ら『余すところなく知り、余すところなく見る』と称しても、彼には過ちがあるのです。」

於是，世尊離於經行，至經行頭敷尼師檀，結跏趺坐，問諸比丘：「我所說智慧事，汝等受持耶？」彼諸比丘默然不答。

> そこで、世尊は経行をやめ、経行の場の端に座布団を敷き、結跏趺坐を組んで、比丘たちに問われました。「私が説いた智慧についての教えを、あなたがたはよく受け止めているか？」すると、比丘たちは黙って答えなかった。

世尊復至再三問曰：「諸比丘！我所說智慧事，汝等受持耶？」諸比丘亦至再三默然不答。

> 世尊はさらに三度問いかけました。「比丘たちよ、私が説いた智慧（プラジュニャー）の教えを、あなた方はしっかりと受け止めていますか？」しかし、比丘たちは三度にわたっても黙ったままで、何も答えませんでした。

彼時，有一比丘即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「世尊！今正是時。善逝！今正是時。若世尊為諸比丘說智慧事，諸比丘從世尊聞，當善受持。」

> その時、一人の修行僧が立ち上がり、衣を片方の肩にかけ、合掌して仏に向かい、こう申し上げました。「おお、世尊よ、まさに今がその時です。善逝よ、まさに今がその時です。どうか世尊が修行僧たちに智慧についてお説きくだされば、修行僧たちは世尊の教えを聞き、よく理解して身につけることができるでしょう。」

世尊告曰：「比丘！諦聽，善思念之，我當為汝具分別說。」

> 世尊はおっしゃいました。「比丘たちよ、よく聞き、よく心に留めなさい。私はあなたがたに詳しく説き明かしましょう。」

時，諸比丘白曰：「唯然。當受教聽。」

> その時、比丘たちはお答えしました。「はい、謹んでお教えを承ります。」

佛復告曰：「凡有二眾，一曰法眾，二曰非法眾。何者非法眾？或有一行非法說非法，彼眾亦行非法說非法，彼非法人住非法眾前，自已所知，而虛妄言，不是真實，顯示分別，施設其行，流布次第說法，欲斷他意弊惡，難詰不可說也。於正法、律中，不可稱立自已所知，彼非法人住非法眾前，自稱我有智慧普知，於中若有如是說智慧事者，是謂非法眾。何者法眾？或有一行法說法，彼眾亦行法說法，彼法人住法眾前，自已所知，不虛妄言，是真是實，顯示分別，施設其行，流布次第說，欲斷他意弊惡，難詰則可說也。於正法中而可稱立自已所知，彼法人住法眾前，自稱我有智慧普知，於中若有如是說智慧事者，是謂法眾。是故汝等當知法、非法，義與非義，知法、非法，義、非義已，汝等當學如法如義。」

> さらに仏はお告げになった。「世には二つの集いがある。一つは正しい教えの集い（法衆）、もう一つは間違った教えの集い（非法衆）である。では、間違った教えの集いとは何か。ある人が間違った行いを語り、その集いもまた間違った行いを語る。その間違った人は、間違った集いの前で、自らの知っていることを虚偽に語り、真実ではない。それを示し、区別し、自らの行いを定め、順を追って教えを広め、他者の心を打ち砕こうとし、悪しき思いを抱き、問い詰められても語ることができない。正しい教えや戒律の中では、自らの知っていることを称え立てることはできない。その間違った人が間違った集いの前で、『私は智慧があり、すべてを知っている』と自称する。こうして智慧について語ることがあるならば、これを間違った教えの集いという。 では、正しい教えの集いとは何か。ある人が正しい行いを語り、その集いもまた正しい行いを語る。その正しい人は、正しい集いの前で、自らの知っていることを虚偽なく語り、それは真実であり、それを示し、区別し、自らの行いを定め、順を追って教えを説き、他者の心を打ち砕こうとせず、問い詰められれば語ることができる。正しい教えの中では、自らの知っていることを称え立てることができる。その正しい人が正しい集いの前で、『私は智慧があり、すべてを知っている』と自称する。こうして智慧について語ることがあるならば、これを正しい教えの集いという。 ゆえに、あなたがたは正しい教えと間違った教え、意義あることと無意義なことを知りなさい。正しい教えと間違った教え、意義あることと無意義なことを知ったならば、あなたがたは正しい教えと意義に従って学ぶべきである。」

佛說如是，即從座起，入室燕坐。於是諸比丘便作是念：「諸賢！當知世尊略說此義，不廣分別，即從坐起，入室燕坐。『是故，汝等當知法、非法，義與非義，知法、非法，義、非義已，汝等當學如法如義。』」彼復作是念：「諸賢！誰能廣分別世尊向所略說義？」彼復作是念：「尊者阿難是佛侍者而知佛意，常為世尊之所稱譽，及諸智梵行人。尊者阿難能廣分別世尊向所略說義。諸賢！共往詣尊者阿難所，請說此義。若尊者阿難為分別者，我等當善受持。」

> 仏がこのように説き終えると、ただちに座を立ち、部屋に入って静かに坐禅された。 そこで比丘たちはこう考えた。「尊い方々よ、知っておいてください。世尊はこの意味を簡略に説かれ、詳細には説明なさらず、ただちに座を立ち、部屋に入って静かに坐禅されました。『それゆえ、あなた方は法と非法、義と非義を知り、法と非法、義と非義を理解したならば、法のままに、義のままに学ぶべきである』と。ところで、だれかが世尊が今簡略に説かれた意味を詳しく解説できるだろうか？」 彼らはさらに考えた。「尊者アーナンダこそ、仏の侍者として仏の意図をよく知り、常に世尊からも、また智慧ある修行者たちからも称賛されている。尊者アーナンダなら、世尊が簡略に説かれた意味を詳しく解説できるだろう。尊い方々よ、共に尊者アーナンダのもとへ行き、この意味を説明していただこう。もし尊者アーナンダが解説してくださるなら、私たちはそれをよく受け持とう。」

於是，諸比丘往詣尊者阿難所，共相問訊，却坐一面，白曰：「尊者阿難！當知世尊略說此義，不廣分別，即從坐起，入室燕坐。『汝等當知法、非法，義與非義，知法、非法，義、非義已，汝等當學如法如義。』我等便作是念：『諸賢！誰能廣分別世尊向所略說義！』我等復作是念：『尊者阿難是佛侍者而知佛意，常為世尊之所稱譽，及諸智梵行人。尊者阿難能廣分別世尊向所略說義。』唯願尊者阿難為慈愍故而廣說之。」

> そこで、比丘たちは尊者阿難のもとを訪れ、互いに挨拶を交わしてから、一方に座り、こう述べました。「尊者阿難よ、あなたはご存じの通り、世尊はこの教えを簡潔に説いただけで、詳しく説明せず、その場から立ち上がって静かに房にお入りになりました。『あなたたちは、法と非法、義と非義を知るべきである。法と非法、義と非義を知ったならば、あなたたちは法のままに、義のままに学びなさい。』と。そこで私たちは考えました。『諸賢よ、誰が世尊が簡潔に説かれたこの教えを詳しく説明できるであろうか。』と。また私たちは考えました。『尊者阿難は世尊の侍者であり、世尊のお考えをよく知っておられ、常に世尊や智慧ある清らかな修行者たちから称賛されている。尊者阿難であれば、世尊が簡潔に説かれたこの教えを詳しく説明できるであろう。』と。どうか尊者阿難が、私たちへの慈しみの心から、詳しくお説きください。」

尊者阿難告曰：「諸賢！聽我說喻，慧者聞喻則解其義。諸賢！猶如有人欲得求實，為求實故，持斧入林，彼見大樹成根、莖、節、枝、葉、華、實，彼人不觸根、莖、節、實，但觸枝、葉。諸賢所說亦復如是。世尊現在，捨來就我而問此義。所以者何？諸賢！當知世尊是眼、是智、是義、是法、法主、法將，說真諦義，現一切義由彼世尊，諸賢應往詣世尊所而問此義：『世尊！此云何？此何義？』如世尊說者，諸賢等當善受持。」

> 尊者也阿難がおっしゃった。「皆さん、たとえ話を聞いてください。賢い人はたとえ話を聞けば、その意味を理解します。例えば、ある人が果実を手に入れたいと思い、斧を持って林に入ったとしましょう。彼は根、茎、節、枝、葉、花、実を備えた大木を見つけました。ところが、彼は根、茎、節、実には触れず、ただ枝や葉に触れただけでした。皆さんが述べられたことも、まったく同じです。世尊（仏陀）が今おられるのに、そのもとを離れて私のもとに来て、この意味を尋ねられるのです。なぜかと言えば、皆さん、知っておくべきです。世尊は智慧の目であり、真理そのものであり、教えの主であり、教えの導き手です。真実の意味を説き、すべての意味を明らかにされます。それゆえ、皆さんは世尊のもとへ行き、この意味を尋ねるべきです。『世尊よ、これは何でしょうか？その意味は何でしょうか？』と。世尊がお説きになられた通りに、皆さんはよく受け止め、保持しなさい。」

時，諸比丘白曰：「唯然。尊者阿難！世尊是眼、是智、是義、是法、法主、法將，說真諦義，現一切義由彼世尊。然尊者阿難是佛侍者而知佛意，常為世尊之所稱譽，及諸智梵行人。尊者阿難能廣分別世尊向所略說義。唯願尊者阿難為慈愍故而廣說之。」

> その時、比丘たちが申し上げた。「その通りです、尊者アーナンダよ。世尊は眼であり、智慧であり、真理であり、教えであり、教えの主、教えの導き手であり、真実の意味を説き、あらゆる意味を示される方です。それらはすべて世尊によるものです。そして、尊者アーナンダは世尊の侍者として仏の御心を知り、常に世尊から称賛され、また多くの智慧ある清らかな修行者たちからも称賛されています。尊者アーナンダは、世尊が簡潔にお説きになった意味を広く詳しく解説することができます。どうか尊者アーナンダは、私たちへの慈しみのゆえに、その意味を詳しくお説きください。」

尊者阿難告諸比丘：「諸賢等！共聽我所說。諸賢！邪見非法，正見是法。若有因邪見生無量惡不善法者，是謂非義；若因正見生無量善法者，是謂是義。諸賢！乃至邪智非法，正智是法，若因邪智生無量惡不善法者，是謂非義；若因正智生無量善法者，是謂是義。諸賢！謂世尊略說此義，不廣分別，即從坐起，入室燕坐。『是故汝等當知法、非法，義與非義，知法、非法，義、非義已，汝等當學如法如義。』此世尊略說，不廣分別義，我以此句、以此文廣說如是，諸賢可往向佛具陳，若如世尊所說義者，諸賢等便可受持。」

> 尊者アーナンダが比丘たちに告げました。「皆さん、よく聞いてください。 皆さん、間違った見解は善からぬもの、正しい見解こそが善きものです。もし間違った見解によって無数の悪しき不善の法が生まれるなら、それは無意味です。しかし、正しい見解によって無数の善き法が生まれるなら、それが意味あるものです。 皆さん、さらに言えば、間違った智慧は善からぬもの、正しい智慧こそが善きものです。もし間違った智慧によって無数の悪しき不善の法が生まれるなら、それは無意味です。しかし、正しい智慧によって無数の善き法が生まれるなら、それが意味あるものです。 皆さん、世尊はこの意味を簡潔にお示しになり、詳しくは説かれず、そのまま座を立ち、部屋に入って静かに坐られました。『それゆえ、あなたがたは法と非法、意味と無意味とをよく知りなさい。法と非法、意味と無意味とを知ったなら、あなたがたは法にかない、意味にかなう生き方を学びなさい』と。これが世尊が簡潔に説かれ、詳しく説明されなかった意味です。私はこの言葉とこの文章をもって、このように詳しく説きました。皆さん、どうか仏のもとへ行って、このことを詳しく申し上げてください。もし世尊のおっしゃる意味にかなっているなら、皆さんはそのまま受け持ちなさい。」

於是，諸比丘聞尊者阿難所說，善受持誦，即從坐起，繞尊者阿難三匝而去，往詣佛所，稽首作禮，却坐一面，白曰：「世尊！向世尊略說此義，不廣分別，即從坐起，入室燕坐。尊者阿難以此句、以此文而廣說之。」

> そこで、比丘たちは尊き阿難の説法を聞き、よく理解して心に刻み、席を立ち、阿難尊者を三度巡りつつ仏のもとへ向かった。仏に跪き、礼拝してから一方に座り、こう申し上げた。「世尊よ、先ほど世尊はこの教えを簡略にお示しになり、詳しく説明なさいませんでした。そして席を立ち、部屋に入って静かに坐禅されました。尊者阿難が、この句、この文を用いて詳しく説いてくださいました。」

世尊聞已，歎曰：「善哉！善哉！我弟子中有眼、有智、有法、有義。所以者何？謂師為弟子略說此義，不廣分別，彼弟子以此句、以此文而廣說之。如阿難所說，汝等應當如是受持。所以者何？以說觀義應如是也。」

> 世尊はこれを聞いて、お褒めになりました。「よい、よい。私の弟子には、確かな見識があり、智慧があり、教えの正しい理解があり、その意味をわきまえている。なぜならば、師が弟子にこの意味を簡潔に説き、細かくは説明しなかったとしても、その弟子がこの言葉と文章をもとにして、広く詳しく説き明かすことができるからである。アーナンダが説いたように、あなたがたもそのようにして受け止め、実践しなさい。なぜならば、観察すべき意味を正しく説いているからである。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

阿夷那經第二竟千八百二十八字

> 第二「アシナ経」ここに終わる<note>千八百二十八字</note>