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title: "中阿含經 · 192 加樓烏陀夷經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一九二）中阿含大品加樓烏陀夷經第一

> （192）中阿含経 大品 カローダーイン経 第一

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊鴦伽國中，與大比丘眾俱，往至阿惒那住揵若精舍。

> ある時、仏さまはアンガの国を旅されていました。大勢の修行者たちと共に、アヘーラにあるカランダカ精舎にお着きになりました。

爾時，世尊過夜平旦，著衣持鉢，入阿惒那而行乞食，食訖中後，收舉衣鉢，澡洗手足，以尼師檀著於肩上，往至一林，欲晝經行。尊者烏陀夷亦過夜平旦，著衣持鉢，入阿惒那而行乞食，食訖中後，收舉衣鉢，澡洗手足，以尼師檀著於肩上，隨侍佛後，而作是念：「若世尊今晝行者，我亦至彼晝行。」

> ある時、世尊は夜が明けると衣を着け、鉢を持ってアヘナー（阿惒那）の村に托鉢に行きました。食事を終えた後、衣と鉢を片付け、手足を洗い、坐具（尼師檀）を肩にかけて、昼の経行（歩く瞑想）のために林へ向かいました。 尊者ウダーインもまた夜が明けると衣を着け、鉢を持ってアヘナーの村に托鉢に行きました。食事を終えた後、衣と鉢を片付け、手足を洗い、坐具を肩にかけ、世尊の後ろについて、「もし世尊が今日、昼間に経行なさるなら、私もそこへ行って経行しよう」と考えました。

於是，世尊入於林中，至一樹下，敷尼師檀，結跏趺坐。尊者烏陀夷亦入彼林，去佛不遠，至一樹下，敷尼師檀，結跏趺坐。爾時，尊者烏陀夷獨在靖處燕坐思惟，心作是念：「世尊為我等多所饒益，善逝為我等多所安隱。世尊於我除眾苦法，增益樂法。世尊於我除無量惡不善之法，增益無量諸善妙法。」

> そこで、世尊は林の中に入り、一本の木の下に至り、敷物を敷いて、結跏趺坐（足を組んで座る姿勢）をされた。尊者ウダーイもまたその林に入り、仏から遠くない場所で、一本の木の下に敷物を敷き、結跏趺坐をした。その時、尊者ウダーイは独り静かな場所に坐り、瞑想にふけり、心にこう思った。「世尊は私たちに多くの利益をもたらしてくださる。善逝（よく逝かれた方）は私たちに多くの安らぎを与えてくださる。世尊は私たちにとって、苦しみをもたらす法を取り除き、喜びをもたらす法を増やしてくださる。世尊は私たちにとって、無量の悪しき不善の法を取り除き、無量の善き素晴らしい法を増やしてくださる。」

尊者烏陀夷則於晡時從燕坐起，往詣佛所，稽首佛足，却坐一面，世尊告曰：「烏陀夷！無有所乏，安隱快樂，氣力如常耶？」

> ウダーイ尊者は、夕方の瞑想から立ち上がり、仏さまの元へと向かいました。足に礼拝を捧げ、片側に座りました。そこで世尊は告げられました。 「ウダーイよ、何も欠けるところはなく、穏やかで幸せに過ごしているか。体調も普段通りかね？」

尊者烏陀夷白曰：「唯然。世尊！我無所乏，安隱快樂，氣力如常。」

> 尊者ウダーイーが申し上げました。「はい、世尊よ。私は何も不足しておらず、穏やかで安らかに楽しく過ごしており、元気も普段通りでございます。」

世尊復問曰：「烏陀夷！云何汝無所乏，安隱快樂，氣力如常耶？」

> 世尊がさらに尋ねられました。「ウダーイよ、あなたは何も欠けることなく、穏やかで幸せに過ごし、元気も普段通りですか？」

尊者烏陀夷答曰：「世尊！我獨在靖處燕坐思惟，心作是念：『世尊為我等多所饒益，善逝為我等多所安隱。世尊於我除眾苦法，增益樂法。世尊於我除無量惡不善之法，增益無量諸善妙法。』世尊昔時告諸比丘：『汝等斷過中食。』世尊！我等聞已，不堪不忍，不欲不樂。若有信梵志、居士往至眾園，廣施作福，我等自手受食，而世尊今教我斷是，善逝教我絕是。復作是說：『此大沙門不能消食。』然我等於世尊威神妙德敬重不堪，是故我等斷中後食。

> 尊者ウダーイがお答えしました。「世尊よ、私は静かな場所で一人坐って瞑想し、心にこう思いました。『世尊は私たちに多くの利益をもたらし、善逝は私たちに多くの安らぎを与えてくださる。世尊は私たちから苦しみの原因となる法を取り除き、喜びの法を増やしてくださる。世尊は私たちから無数の悪しき法を取り除き、無数の善い法を増やしてくださる。』世尊はかつて比丘たちに告げられました。『あなたがたは過度な食事を断ちなさい。』世尊、私たちはこれを聞いて、耐えがたく、受け入れがたく、望まず、喜ばない思いでした。もし信心深いバラモンや在家の方が精舎に来て広く布施をし、功徳を積むなら、私たちは自らの手で食物を受け取るものです。ところが世尊は今、私たちにこれを断つように命じられ、善逝はこれを絶つよう教えられます。そしてまたこう言われました。『この大沙門は食物を消化できない。』しかし私たちは世尊の威神力とすぐれた徳を敬い重んじ、耐え忍びましたがゆえに、私たちは午後の食事を断つことにしたのです。」

「復次，昔時世尊告諸比丘：『汝等斷夜食。』世尊！我等聞已，不堪不忍，不欲不樂，於二食中最上、最妙、最勝、最美者，而世尊今教我斷是，善逝教我絕是，復作是說：『此大沙門不能消食。』世尊！昔時有一居士，多持種種淨妙食飲，還歸其家，勅內人曰：『汝等受此舉著一處，我當盡共集會夜食，不為朝中。』世尊！若於諸家施設極妙最上食者，唯有夜食，我為朝中，而世尊今教我斷是，善逝教我絕是，復作是說：『此大沙門不能消食。』然我等於世尊威神妙德敬重不堪，是故我等斷於夜食。

> 「また、かつて世尊が比丘たちに『あなたたちは夜の食事を断ちなさい』とおっしゃいました。尊師よ、私たちはこれを聞いて、耐えられず、受け入れがたく、喜ばず、二つの食事のうちで最も優れ、最も素晴らしく、最も勝れ、最も美味しいものを、今や世尊が私に断つよう教え、善逝が絶つよう教え、さらに『この大沙門は食べ物を消化できない』と言われました。尊師よ、昔、ある在家の方が、さまざまな清らかで素晴らしい飲み物や食べ物をたくさん持って家に帰り、家族に『あなたたちはこれを受け取り、一箇所に置いておきなさい。私は皆で集まって夜に食事をし、朝の食事はしないつもりだ』と命じました。尊師よ、もし諸々の家で最も素晴らしい食事を施すなら、夜の食事しかありません。私は朝の食事をしているのに、今や世尊が私にそれを断つよう教え、善逝が絶つよう教え、さらに『この大沙門は食べ物を消化できない』と言われました。しかし、私たちは世尊の威神と妙徳を深く敬い、耐え忍ぶことができました。それゆえ、私たちは夜の食事を断ったのです。」

「世尊！我復作是念：『若有比丘非時入村而行乞食，或能逢賊，作業不作業，或逢虎逢鹿，或逢虎鹿，或逢豹逢羆，或逢豹羆，或往如是處，或逢惡象、惡馬、惡牛、惡狗，或值蛇聚，或得塊擲，或得杖打，或墮溝瀆，或墮廁中，或乘臥牛，或墮深坑，或入刺中，觀見空家，入如是家，若彼入已，女人見之，或呼共行惡不淨行。』

> 「世尊よ、私はまたこう思いました。『もし比丘が、不適切な時刻に村に入って托鉢をすれば、あるいは盗賊に出会うかもしれない。また、何か悪事を働く者にも出会うかもしれないし、何もしない者にも出会うかもしれない。あるいは虎や鹿に出会うかもしれない。または、虎や鹿にも、豹や羆（くま）にも出会うかもしれない。また、そのような場所に行けば、恐ろしい象、馬、牛、犬に出会うかもしれない。あるいは蛇の群れに遭遇し、石を投げつけられたり、棒で打たれたりするかもしれない。溝や堀に落ちたり、便所に落ちたり、牛の背に乗って倒れたり、深い穴に落ちたり、棘の中に入ったりするかもしれない。また、誰もいない家を見つけ、そのような家に入れば、もしそこに女がいて、その比丘を見ると、一緒に悪い不浄の行いをしようと誘うかもしれない。』

「世尊！昔一比丘夜闇微雨，睒睒掣電，而非時行入他家乞食。彼家婦人爾時出外洗蕩食器，彼時婦人於電光中遙見比丘，謂為是鬼，見已驚怖，身毛皆竪，失聲大呼，即便墮娠，而作是語：『尊是鬼！尊是鬼！』時，彼比丘語婦人曰：『妹！我非鬼，我是沙門，今來乞食。』爾時，婦人恚罵比丘至苦至惡，而作是語：『令此沙門命根早斷，令此沙門父母早死，令此沙門種族絕滅，令此沙門腹裂破壞，禿頭沙門以黑自纏，無子斷種，汝寧可持利刀自破其腹，不應非時夜行乞食，坐此沙門而墮我娠。』世尊！我憶彼已，便生歡悅。世尊！我因此歡悅遍充滿體，正念正智，生喜、止、樂、定。世尊！我因此定遍充滿體，正念正智。如是，世尊！我無所乏，安隱快樂，氣力如常。」

> 「世尊。かつて一人の比丘が、夜の闇の中で小雨がパラつき、稲妻がピカッと光る中、時ならぬ時間に托鉢のため家々を訪れました。すると、ある家の女性がちょうど外で食べ物の器を洗っていました。その女性は稲妻の光で遠くに比丘の姿を見て、幽霊だと思ったのです。見るなり驚き怖がり、全身の毛が逆立ち、大声で叫び声を上げてしまい、その拍子に流産してしまいました。そして、『あなたは幽霊だ！あなたは幽霊だ！』と叫びました。 その時、比丘は女性に言いました。『妹よ、私は幽霊ではありません。私は修行僧で、今、食べ物を乞いに来たのです。』すると女性は、比丘に対して激しく悪態をつき、こう罵りました。『この修行僧よ、どうか命がすぐに絶えよ。どうかこの修行僧の父母が早く死にますように。どうかこの修行僧の一族が絶えますように。どうかこの修行僧の腹が張り裂けますように。禿頭の修行僧め、黒い衣をまとい、子もなく家系を断つとは。お前は、刃物で自分の腹を切り裂くほうがまだましだ。時ならぬ夜に托鉢に来るなど、お前のせいで私は子を落とすことになったのだから。』 世尊。私はそのことを思い出すたび、心から喜びが湧き上がります。世尊。その喜びにより、全身が満たされ、正しい心と正しい智慧が保たれ、嬉しさ、心の静まり、楽、そして深い集中が生まれます。世尊。この集中によって私は身体が満たされ、正しい心と正しい智慧を保つことができます。 こうして、世尊。私は何一つ欠けることなく、穏やかで幸せに過ごし、元気は普段と変わりません。」

世尊歎曰：「善哉！善哉！烏陀夷！汝今不爾如彼癡人。彼愚癡人，我為其說：『汝等斷此。』彼作是說：『此是小事，何足斷之？而世尊今教我斷此，善逝令我絕此。』亦如是說：『此大沙門不能消食，彼不斷此，彼但於我生不可、不忍，及餘比丘善護持戒者，亦復為彼生不可、不忍。』烏陀夷！彼癡人所縛極堅極牢，轉增轉急，不可斷絕，不得解脫。烏陀夷！猶如有蠅，為涕唾所縛，彼在其中或苦或死。烏陀夷！若人作是說彼蠅所縛，不堅不牢，不轉增急而可斷絕，則得解脫者，為正說耶？」

> 世尊は称賛して言われた。「善きかな、善きかな、ウダーイよ。汝は今、あのような愚か者のようではない。あの愚か者たちに、私は説いた。『あなたがたはこれを断ち切れ』と。すると彼らは言った。『これは些細なことであり、どうして断ち切る必要がありましょうか。世尊が今、私にこれを断ち切れと教え、善逝が私にこれを絶てと命じられたのです。』また、こうも言った。『この大沙門は食事を消化できない。彼はこれを断ち切らず、ただ私に対して不満と不快を抱き、他のよく戒律を守る比丘たちも、彼に対して不満と不快を抱くのだ。』 ウダーイよ、あの愚か者は非常に堅く、非常に強く結びつけられ、さらに固く、さらにきつくなり、断ち切ることもできず、解脱することもできない。ウダーイよ、ちょうど蝿が、鼻水や唾に絡め取られ、その中で苦しみ、あるいは死ぬようなものである。ウダーイよ、もし人が『あの蝿が絡め取られているのは、堅くも強くもなく、増して固くもきつくもならず、断ち切ることができ、解脱できるのだ』と言うならば、それは正しいと言えるだろうか。」

尊者烏陀夷白曰：「不也。世尊！所以者何？蠅為涕唾所縛，彼於其中或苦或死。是故，世尊！彼蠅所縛，極堅極牢，轉增轉急，不可斷絕，不得解脫。」

> 尊者ウダーイが申し上げました。「いいえ、世尊。なぜなら、蠅が鼻水や唾に絡め取られると、その中で苦しんだり死んだりするからです。ですから、世尊、蠅が絡め取られる網は、極めて堅く、極めて強固で、ますます増し、ますます緊まり、断ち切ることも、解き放つこともできません。」

「烏陀夷！彼愚癡人，我為其說：『汝等斷此。』彼作是說：『此是小事，何足斷之？而世尊今教我斷此，善逝令我絕此。』亦如是說：『此大沙門不能消食，彼不斷此，彼但於我生不可、不忍，及餘比丘善護持戒者，亦復為彼生不可、不忍。』烏陀夷！彼癡人所縛極堅極牢，轉增轉急，不可斷絕，不得解脫。烏陀夷！若族姓子我為其說：『汝等斷此。』彼不作是說：『此是小事，何足斷之？而世尊今教我斷此，善逝令我絕此。』亦不如是說：『此大沙門不能消食，彼便斷此，彼不於我生不可、不忍，及餘比丘善護奉戒者，亦不為彼生不可、不忍。』烏陀夷！彼族姓子所縛不堅不牢，不轉增急，而可斷絕，則得解脫。烏陀夷！猶如象王，年至六十，而以憍慠摩訶能伽，牙足體具，筋力熾盛，彼所堅縛，若怒力轉身，彼堅縛者，則便斷絕，還歸本所。烏陀夷！若人作是說彼大象王年至六十，而以憍慠摩訶能伽，牙足體具，筋力熾盛，彼縛極堅極牢，轉增轉急，不可斷絕，不得解脫者，為正說耶？」

> 「ウダーイよ、あの愚かな人々に、私はこう言った。『あなたたちはこれを断ち切りなさい。』すると彼らはこう言う。『これは小さなことだ。どうして断ち切る必要があるのか？ところが世尊は今、私にこれを断てと教え、善逝は私にこれを絶てと命じられる。』また、こうも言う。『この大沙門（偉大な修行者）は食べ物を消化できないのだ。あの方はこれを断たない。ただ私に対して不快感や不満を抱き、また他のよく戒律を守る比丘たちも、その人のせいで不快感や不満を抱くのだ。』 ウダーイよ、あの愚かな人が縛られているのは、非常に堅く、非常に強く、ますます強くなり、ますますきつくなり、断ち切ることもできず、解脱することもできない。 ウダーイよ、もし良家の子息に、私がこう言ったとする。『あなたたちはこれを断ち切りなさい。』すると彼はこうは言わない。『これは小さなことだ。どうして断ち切る必要があるのか？ところが世尊は今、私にこれを断てと教え、善逝は私にこれを絶てと命じられる。』また、こうも言わない。『この大沙門は食べ物を消化できないのだ。あの方はこれを断たない。ただ私に対して不快感や不満を抱き、また他のよく戒律を守る比丘たちも、その人のせいで不快感や不満を抱くのだ。』 ウダーイよ、その良家の子息が縛られているのは、堅くも強くもなく、ますますきつくなることもなく、断ち切ることができ、解脱を得ることができる。 ウダーイよ、ちょうど六十歳になった象の王、驕り高ぶる摩訶能伽（大いなる巨象）で、牙や足や体が備わり、筋力が盛んなものがいる。その象がしっかりと縛られていたとしても、もし力強く体を回転させれば、その堅い縛りはたちまち断ち切れて、元の場所に帰ることができる。 ウダーイよ、もし誰かがこう言ったとする。『あの六十歳になった象の王、驕り高ぶる摩訶能伽で、牙や足や体が備わり、筋力が盛んなものは、その縛りが非常に堅く、非常に強く、ますます強くなり、ますますきつくなり、断ち切ることもできず、解脱することもできない。』これは正しい言葉だと言えるだろうか？」

尊者烏陀夷白曰：「不也。世尊！所以者何？彼大象王年至六十，而以憍慠摩訶能伽，牙足體具，筋力熾盛。彼所堅縛，若怒力轉身，彼堅縛者，則便斷絕，還歸本所。世尊！是故彼大象王年至六十，而以憍慠摩訶能伽，牙足體具，筋力熾盛。彼縛不堅不牢，不轉增急，而可斷絕，則得解脫。」

> 尊者ウトダヤが申し上げました。「いいえ、世尊よ。なぜなら、あの象の王は六十歳になりながら、驕り高ぶった大いなる力を持つ摩訶能伽であり、牙も足も体も備わり、筋力が盛んであったからです。その杭にしっかりと縛られても、もし怒りの力で体をひねれば、その堅い縛りもたちまち切れて、元の場所に帰ってしまいます。世尊よ、それゆえ、あの象の王は六十歳になりながら、驕り高ぶった大いなる力を持つ摩訶能伽であり、牙も足も体も備わり、筋力が盛んであったのです。その縛りは堅くなく、しっかりしておらず、次第にきつくなることもなく、切れてしまい、解脱を得るのです。」

「如是，烏陀夷！彼族姓子我為其說：『汝等斷此。』彼不作是說：『此是小事，何足斷之？而世尊今教我斷此，善逝令我絕此。』亦不如是說：『此大沙門不能消食，彼便斷此，彼不於我生不可、不忍，及餘比丘善護持戒者，亦不為彼生不可、不忍。』烏陀夷！彼族姓子所縛不堅不牢，不轉增急，而可斷絕，則得解脫。烏陀夷！若有癡人，我為其說：『汝等斷此。』彼作是說：『此是小事，何足斷之？而世尊今教我斷此，善逝令我絕此。』亦如是說：『此大沙門不能消食，彼不斷此，彼但於我生不可、不忍，及餘比丘善護持戒者，亦復為彼生不可、忍。』烏陀夷！彼癡人所縛極堅極牢，轉增轉急，不可斷絕，不得解脫。

> 「そうです、ウダーイン。私はその良家の子息に『あなたはこれを断ち切りなさい』と言います。彼は『これは小さなことで、わざわざ断つほどのことなのか。世尊は今、私にこれを断てとお教えになる。善逝は私にこれを絶てとお命じになる』とは言いません。また、『この大沙門は食べ物を消化できないから、これを断たせるのだ』とも言いません。彼は私に対して不快感や不満を抱かず、他の戒律をよく守る比丘たちに対しても不快感や不満を抱きません。ウダーイン！その良家の子息が縛られているものは、堅くもなく強くもなく、さらにきつくなることもなく、断ち切ることができ、解脱を得ます。 ウダーイン！もし愚かな人がいるなら、私は彼に『あなたはこれを断ち切りなさい』と言います。彼は『これは小さなことで、わざわざ断つほどのことなのか。世尊は今、私にこれを断てとお教えになる。善逝は私にこれを絶てとお命じになる』と言います。また、『この大沙門は食べ物を消化できないから、これを断たせようとしている。彼はこれを断たない』と言い、彼は私に対して不快感や不満を抱き、他の戒律をよく守る比丘たちに対しても不快感や不満を抱きます。ウダーイン！その愚かな人が縛られているものは、非常に堅く、非常に強く、さらにきつくなり、断ち切ることができず、解脱を得られません。」

「烏陀夷！猶貧窮人無有錢財，亦無勢力。彼有一婦，其眼復瞎，醜不可愛，唯有一屋，崩壞穿漏，烏鳥所栖，弊不可居。而有一床，復破折壞，弊不可臥，正有一瓶，缺不可用。彼見比丘食訖中後，淨洗手足，敷尼師檀，坐一樹下，清涼和調，修增上心。彼見已，而作是念：『沙門為快樂，沙門如涅槃，我惡無德。所以者何？我有一婦，其眼復瞎，醜不可愛，不能捨離。唯有一屋，崩壞穿漏，烏鳥所栖，弊不可居，不能捨離。而有一床，復破折壞，弊不可臥，不能捨離。正有一瓶，缺不可用，不能捨離。愛樂比丘剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。』烏陀夷！若人作是說：『彼貧窮人無有錢財，亦無勢力，所縛不堅不牢，不轉增急，而可斷絕，則得解脫。』者，為正說耶？」

> 「ウトーイヤよ。例えば、貧しくて財産もなく、力もない人がいたとしよう。その人には妻がいたが、その妻は目が見えず、醜くて愛することもできなかった。家はただ一つあるだけだったが、それは崩れ落ち、穴が開き、カラスが巣を作るような、住むにも耐えない粗末なものだった。また寝台が一つあったが、それも壊れて折れており、眠るにも耐えなかった。瓶も一つだけあったが、欠けていて使えなかった。 その人が、ある比丘が食事を終え、手と足を清め、坐具を敷いて、一本の木の下で清涼で落ち着いた心で、より高い心を修めているのを見た。それを見て、彼はこう思った。『沙門（修行者）はなんと幸せなのだろう。沙門はまるで涅槃のようだ。私は悪くて徳がない。なぜなら、私には妻がいるが、目が見えず、醜くて愛せないのに、それを手放せない。一つの家はあるが、崩れ落ち、穴が開き、カラスが巣を作るような、住むにも耐えないものなのに、それを手放せない。一つの寝台はあるが、壊れて折れており、眠るにも耐えないのに、それを手放せない。一つの瓶はあるが、欠けていて使えないのに、それを手放せない。その上、比丘たちのように髪や髭を剃り、袈裟を着て、信仰に基づき家を捨て、家のない修行の道に入ることを愛するからだ。』 ウトーイヤよ。もし人がこう言うなら、『あの貧しく財産もなく力もない人が縛られているものは、堅くもなく、確かでもなく、徐々に強まることもなく、断ち切って解脱を得ることができる』というのは、正しい言葉だろうか？」

尊者烏陀夷白曰：「不也。世尊！所以者何？彼貧窮人無有錢財，亦無勢力，有一瞎婦，醜不可愛，不能捨離。唯有一屋，崩壞穿漏，烏鳥所栖，弊不可居，不能捨離。而有一床，復破折壞，弊不可臥，不能捨離。正有一瓶，缺不可用，不能捨離。愛樂比丘剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。世尊！是故彼貧窮人無有錢財，亦無勢力，所縛極堅極牢，轉增轉急，不可斷絕，不得解脫。」

> 尊者也、烏陀夷が申し上げました。「いいえ、世尊よ。なぜかと申しますと、あの貧しい人には金銭もなく、力もありません。しかし、一人の目の見えない粗末な妻がおり、醜くて愛せないけれども、手放すことができません。ただ一つの家があり、それは壊れ、穴が開き、烏が巣を作り、住むに堪えないほど粗末ですが、離れることができません。また一つの寝台があり、それも壊れて折れ、横たわるに堪えないほど粗末ですが、手放すことができません。さらに一つのかめがあり、欠けて使えませんが、離れることができません。比丘は髪やひげを剃り、袈裟をまとい、深い信仰のもと家を捨て、家なき者として道を学びます。世尊よ、ですから、あの貧しい人には金銭もなく、力もありません。しかし、その束縛は極めて堅く、極めて強く、ますます強まり、ますます緊まり、断ち切ることができず、解き放たれることもないのです。」

「如是，烏陀夷！若有癡人，我為其說：『汝等斷此。』彼作是說：『此是小事，何足斷之？而世尊今教我斷此，善逝令我絕此。』亦如是說：『此大沙門不能消食，彼不斷此，彼但於我生不可、不忍，及餘比丘善護持戒者，亦復為彼生不可、不忍。』烏陀夷！是故彼癡人所縛極堅極牢，轉增轉急，不可斷絕，不得解脫。烏陀夷！若族姓子我為其說：『汝等斷此。』彼不作是說：『此是小事，何足斷之？而世尊今教我斷此，善逝令我絕此。』亦不如是說：『此大沙門不能消食，彼便斷此，彼不於我生不可、不忍，及餘比丘善護持戒者，亦不為彼生不可、不忍。』烏陀夷！是故彼族姓子所縛不堅不牢，不轉增急，而可斷絕，則得解脫。

> 「そうだ、ウダーインよ。愚かな者に対して、私が『これを断ちなさい』と説くと、その者はこう言うのだ。『これは些細なことだ。断つほどのことか？ ところが世尊は私にこれを断てとおっしゃる。善逝は私にこれを絶てと命じられる。』さらに、『この大沙門は食べ物をうまく消化できないらしい。彼はこれを断たない。ただ私に対して不満と不快を抱き、戒律をよく守る他の比丘たちにも不満と不快を抱かせるのだ』とも言う。ウダーインよ。それゆえ、その愚かな者は極めて堅く、極めて強く縛られ、さらに強く、さらに緊く縛られ、断ち切ることもできず、解脱することもない。 ウダーインよ。しかし良家の子息に対して、私が『これを断ちなさい』と説くと、その者は『これは些細なことだ。断つほどのことか？ ところが世尊は私にこれを断てとおっしゃる。善逝は私にこれを絶てと命じられる』とは言わない。また『この大沙門は食べ物をうまく消化できないらしい。だから彼はこれを断つ。彼は私に対して不満も不快も抱かず、戒律をよく守る他の比丘たちにも不満も不快も抱かせない』とも言う。ウダーインよ。それゆえ、その良家の子息が縛られることはなく、堅くも強くもなく、さらに強く緊くなることもない。それは断ち切ることができ、解脱を得るのである。」

「烏陀夷！猶如居士、居士子，極大富樂，多有錢財，畜牧產業不可稱計，封戶、食邑、米穀豐饒，及若干種諸生活具、奴婢、象馬，其數無量。彼見比丘食訖中後，淨洗手足，敷尼師檀，坐一樹下，清涼和調，修增上心。彼見已，而作是念：『沙門為快樂，沙門如涅槃，我寧可捨極大富樂金寶、財穀、象馬，奴婢，愛樂比丘剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。』烏陀夷！若人作是說：『彼居士、居士子所縛極堅極牢，轉增轉急，不可斷絕，不得解脫。』者，為正說耶？」

> 「ウダーイよ、例えば、在家の者やその子が、非常に裕福で多くの財産を持ち、家畜や事業も計り知れず、封戸や領地、米穀も豊かに備え、多くの使用人や象、馬を数限りなく所有しているとする。その者が、比丘が食事を終えた後、手と足を清め、坐具を敷いて、一本の木の下に座り、涼やかで心が調えられ、より高い心を修めているのを見たとする。それを見て、こう思う——『沙門（修行者）はなんと幸いなことか。沙門は涅槃のようだ。私はこの非常に大きな富や金銀、財穀、象馬、奴婢を手放し、比丘のように髪やひげを剃り、袈裟をまとい、清らかな信仰をもって家を捨て、家なき者として学道したいものだ』と。 ウダーイよ、もし人がこう言うなら——『その在家の者やその子を縛るものは、非常に堅く、非常に強固で、ますます強く、ますます緊く、断ち切ることもできず、解き放つこともできない』——これは正しい言葉と言えるだろうか？」

尊者烏陀夷白曰：「不也。世尊！所以者何？彼居士、居士子，彼能捨離極大富樂金寶、財穀、象馬，奴婢，愛樂比丘剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。世尊！是故彼居士、居士子所縛不堅不牢，不轉增急，而可斷絕，則得解脫。」

> 尊者ウダーイが答えました。「いいえ、世尊よ。なぜならば、あの在家の男女たちは、非常な富や金銀財宝、穀物、象や馬、奴婢などの大きな快楽を捨て去ることができるのですから。比丘たちは、髪や髭を剃り落とし、袈裟をまとい、深い信仰をもって家を捨て、家庭のない修行者の道に入ることを心から愛好しています。世尊よ、それゆえに、あの在家の人々を縛るものは堅固でも強固でもなく、さらに緊迫することもなく、断ち切ることができ、それによって解脱を得るのです。」

「如是，烏陀夷！若族姓子我為其說：『汝等斷此。』彼不作是說：『此是小事，何足斷之？而世尊今教我斷此，善逝令我絕此。』亦不如是說：『此大沙門不能消食，彼便斷此，彼不於我生不可、不忍，及餘比丘善護持戒者，亦不為彼生不可、不忍。』烏陀夷！是故彼族姓子所縛不堅不牢，不轉增急，而可斷絕，則得解脫。烏陀夷！比丘行捨，彼行捨已，生欲相應念，愛樂結縛，彼樂是，不斷、不住、不吐。烏陀夷！我說是縛，不說解脫。所以者何？諸結不善。烏陀夷！結不善故，我說是縛，不說解脫。烏陀夷！比丘行捨，彼行捨已，生欲相應念，愛樂結縛，彼不樂是，斷、住、吐。烏陀夷！我說亦是縛，不說解脫。所以者何？諸結不善。烏陀夷！結不善故，我說是縛，不說解脫。烏陀夷！比丘行捨，彼行捨已，或時意忘俱有欲相應念，愛樂結縛，遲觀速滅。烏陀夷！猶如鐵丸、鐵犁，竟日火燒，或有人著二三渧水，渧遲不續，水便速盡。烏陀夷！如是比丘行捨，彼行捨已，或時意忘，俱有欲相應念，愛樂結縛，遲觀速滅。烏陀夷！我說亦是縛，不說解脫。所以者何？諸結不善。烏陀夷！結不善故，我說是縛，不說解脫。

> 「ウダーイよ、このように、ある良家の子息がいて、私が彼に『あなたたちはこれを断ち切りなさい』と説いたとします。その時、彼は『これは些細なことで、どうして断つ必要があるのか。ところが世尊は今、私にこれを断てとおっしゃり、善逝は私にこれを絶てと命じられる』とは言いません。また、『この大沙門（偉大な修行者）は食事を消化できないので、私にこれを断つよう命じるのだ』などと言って、私に対して不快感や不満を抱くこともありません。そして、他の戒律をよく守る比丘たちに対しても、不快感や不満を抱くことはありません。 ウダーイよ、それゆえ、その良家の子息を縛っているものは堅固でも強固でもなく、ますます強く締まることもなく、断ち切ることができ、解脱を得られるのです。 ウダーイよ、比丘が捨（平等心）を実践します。彼が捨を実践した後、欲望に結びついた想念が生じ、愛執という結びつきを喜び楽しむことがあります。彼がそれを楽しみ、断ち切らず、とどめず、吐き出さないならば、ウダーイよ、私はそれを束縛と呼び、解脱とは言いません。なぜなら、諸々の結びつきは善くないからです。ウダーイよ、結びつきが善くないゆえに、私はそれを束縛と呼び、解脱とは言わないのです。 ウダーイよ、また、比丘が捨を実践します。彼が捨を実践した後、欲望に結びついた想念が生じ、愛執という結びつきを喜び楽しむことがあります。しかし、彼がそれを楽しまず、断ち切り、とどめ、吐き出すならば、ウダーイよ、私が言うには、それもまた束縛であり、解脱とは言いません。なぜなら、諸々の結びつきは善くないからです。ウダーイよ、結びつきが善くないゆえに、私はそれを束縛と呼び、解脱とは言わないのです。 ウダーイよ、さらに、比丘が捨を実践します。彼が捨を実践した後、時に心が忘れられ、欲望に結びついた想念が共に生じ、愛執という結びつきを喜び楽しむことがあっても、それを観察するのが遅く、すぐに消滅させます。ウダーイよ、それはちょうど、一日中火で焼かれた鉄の丸や鉄の鋤に、誰かが二、三滴の水を垂らし、その滴が遅く続かないと、水がすぐに蒸発してしまうようなものです。ウダーイよ、このように比丘が捨を実践し、時に心が忘れられ、欲望に結びついた想念が共に生じ、愛執という結びつきを喜び楽しんでも、観察するのが遅く、すぐに消滅させる。ウダーイよ、私が言うには、これもまた束縛であり、解脱とは言いません。なぜなら、諸々の結びつきは善くないからです。ウダーイよ、結びつきが善くないゆえに、私はそれを束縛と呼び、解脱とは言わないのです。」

「烏陀夷！俱在苦根，遊行無生死，於無上愛盡，善心解脫。烏陀夷！我說解脫，不說是縛。所以者何？諸結已盡。烏陀夷！諸結盡故，我說解脫，不說是縛。烏陀夷！有樂，非聖樂，是凡夫樂，病本、癰本、箭刺之本，有食、有生死，不可修、不可習、不可廣布，我說於彼則不可修。烏陀夷！有樂，是聖樂、無欲樂、離樂、息樂、正覺之樂，無食、無生死，可修、可習、可廣布，我說於彼則可修也。烏陀夷！云何有樂，非聖樂，是凡夫樂，病本、癰本、箭刺之本，有食、有生死，不可修、不可習、不可廣布，我說於彼不可修耶？若因五欲生樂生善者，是樂非聖樂，是凡夫樂，病本、癰本、箭刺之本，有食、有生死，不可修、不可習、不可廣布，我說於彼則不可修。

> ウダーイよ、苦しみの根を伴いながらも生死を超えて遊行し、無上の愛欲の尽きたところにおいて、善く心が解脱している。ウダーイよ、私はそれを「解脱」と言い、「束縛」とは言わない。なぜならば、すべての束縛が尽きたからである。ウダーイよ、束縛が尽きたゆえに、私はそれを「解脱」と言い、「束縛」とは言わないのだ。 ウダーイよ、ある種の楽（楽しみ）がある。それは聖者の楽ではなく、凡夫の楽である。病の根源、できものの根源、矢の刺さる根源であり、食（依存）があり、生死がある。修めるべきではなく、習うべきではなく、広く説くべきではない。私はそれを修めるべきでないと説く。 ウダーイよ、またある種の楽がある。それは聖者の楽であり、欲望なき楽、離れる楽、静まる楽、正覚の楽である。食がなく、生死がなく、修めるべく、習うべく、広く説くべきものである。私はそれを修めるべきであると説く。 ウダーイよ、では、どのような楽が、聖者の楽ではなく、凡夫の楽であり、病の根源、できものの根源、矢の刺さる根源であり、食があり、生死があり、修めるべきではなく、習うべきではなく、広く説くべきではなく、私がそれを修めるべきでないと説くものなのか。それは、五つの欲望の対象から生じる楽、生じる善である。この楽は聖者の楽ではなく、凡夫の楽であり、病の根源、できものの根源、矢の刺さる根源であり、食があり、生死があり、修めるべきではなく、習うべきではなく、広く説くべきではなく、私がそれを修めるべきでないと説くものである。

「烏陀夷！云何有樂，是聖樂、無欲樂、離樂、息樂、正覺之樂，無食、無生死，可修、可習、可廣布，我說於彼則可修耶？烏陀夷！若比丘離欲、離惡不善之法，至得第四禪成就遊者，是樂是聖樂、無欲樂、離樂、息樂、正覺之樂，無食、無生死，可修、可習、可廣布，我說於彼則可修也。烏陀夷！比丘離欲、離惡不善之法，有覺、有觀，離生喜、樂，得初禪成就遊，聖說是移動。此中何等聖說移動？此中有覺、有觀，是聖說移動。此中何等聖說移動？烏陀夷！比丘覺、觀已息，內靖、一心，無覺、無觀，定生喜、樂，得第二禪成就遊，是聖說移動。此中何等聖說移動？若此得喜，是聖說移動。此中何等聖說移動？烏陀夷！比丘離於喜欲，捨無求遊，正念正智而身覺樂，謂聖所說聖所捨、念、樂住室，得第三禪成就遊，是聖說移動。此中何等聖說移動？若此說移動心樂，是聖說移動。此中何等聖說不移動？烏陀夷！比丘樂滅、苦滅，喜、憂本已滅，不苦不樂、捨念、清淨，得第四禪成就遊，是聖說不移動。

> ウダーインよ、「楽」とは何か。それは聖者の楽、欲なき楽、離欲の楽、寂静の楽、正覚の楽であり、執着なく、生死を超え、修習し、慣れ親しみ、広めるべきものである。私はそれを修習すべきだと説く。 ウダーインよ、比丘が欲を離れ、悪しき不善の法を離れ、第四禅に至り、成就して安住するならば、それが楽であり、聖者の楽、欲なき楽、離欲の楽、寂静の楽、正覚の楽であり、執着なく、生死を超え、修習し、慣れ親しみ、広めるべきものである。私はそれを修習すべきだと説く。 ウダーインよ、比丘が欲を離れ、悪しき不善の法を離れ、尋と伺を伴い、離欲から生じる喜びと楽を得て、初禅に成就して安住する。聖者はこれを「動きのある状態」と説く。ここで何が動きのある状態かというと、この中に尋と伺があること、それが聖者の説く動きである。 ウダーインよ、比丘が尋と伺が静まり、内に静まり、心が一つになり、尋なく伺なく、定から生じる喜びと楽を得て、第二禅に成就して安住する。これも聖者の説く動きである。ここで何が動きかというと、この中で得られる喜び、それが聖者の説く動きである。 ウダーインよ、比丘が喜びへの欲を離れ、捨によって無求のまま安住し、正念・正知をもって身体で楽を感じる。聖者が「聖なる捨・念・楽の住処」と説く第三禅に成就して安住する。これも聖者の説く動きである。ここで何が動きかというと、この中で心の楽が動くこと、それが聖者の説く動きである。 では、何が聖者の説く「動きのない状態」か。ウダーインよ、比丘が楽が滅し、苦が滅し、喜びと憂いがすでに滅し、苦でもなく楽でもなく、捨と念の清らかさにより、第四禅に成就して安住する。これが聖者の説く動きのない状態である。

「烏陀夷！比丘離欲、離惡不善之法，有覺、有觀，離生喜、樂，得初禪成就遊。烏陀夷！我說此不得無、不得斷、不得過度。此中何等過度？烏陀夷！比丘覺、觀已息，內靖、一心，無覺、無觀，定生喜、樂，得第二禪成就遊，是謂此中過度。烏陀夷！我說此亦不得無、不得斷、不得過度。此中何等過度？烏陀夷！比丘離於喜欲，捨無求遊，正念正智而身覺樂，謂聖所說聖所捨、念、樂住室，得第三禪成就遊，是謂此中過度。烏陀夷！我說此亦不得無、不得斷、不得過度。此中何等過度？烏陀夷！比丘樂滅、苦滅，喜、憂本已滅，不苦不樂、捨、念、清淨，得第四禪成就遊，是謂此中過度。烏陀夷！我說此亦不得無、不得斷、不得過度。

> ウダーインよ、比丘は欲望を離れ、不善な法を離れ、尋（思考）と伺（観察）を伴い、離欲から生じる喜びと楽を体得して、初禅を成就して安住する。ウダーインよ、私はこれを「無い」とも「断たれた」とも「超越した」とも言わない。では、ここで何を超えるのか。ウダーインよ、比丘は尋と伺が静まり、内心が清らかで心が一つになり、尋も伺もなく、禅定から生じる喜びと楽を体得して、第二禅を成就して安住する。これをここでの超越と説く。ウダーインよ、私はこの第二禅もまた「無い」とも「断たれた」とも「超越した」とは言わない。では、ここで何を超えるのか。ウダーインよ、比丘は喜びへの執着を離れ、捨の心で執着なく安住し、正念・正知を保ちつつ、身体で楽を感じる。聖者が説き、聖者が捨て、念と楽に安住する境地、すなわち第三禅を成就して安住する。これをここでの超越と説く。ウダーインよ、私はこの第三禅もまた「無い」とも「断たれた」とも「超越した」とは言わない。では、ここで何を超えるのか。ウダーインよ、比丘は楽が滅し、苦が滅し、先に喜びと憂いが滅したので、苦でも楽でもなく、捨・念・清浄の第四禅を成就して安住する。これをここでの超越と説く。ウダーインよ、私はこの第四禅もまた「無い」とも「断たれた」とも「超越した」とは言わない。

「此中何等過度？烏陀夷！比丘度一切色想，滅有對想，不念若干想，無量空，是無量空處成就遊，是謂此中過度。烏陀夷！我說此亦不得無、不得斷、不得過度。此中何等過度？烏陀夷！比丘度一切無量空處，無量識，是無量識處成就遊，是謂此中過度。烏陀夷！我說此亦不得無，不得斷，不得過度。此中何等過度？烏陀夷！比丘度一切無量識處，無所有，是無所有處成就遊，是謂此中過度。烏陀夷！我說此亦不得無，不得斷，不得過度，此中何等過度。烏陀夷！比丘度一切無所有處，非有想非無想，是非有想非無想處成就遊，是謂此中過度。烏陀夷！我說至非有想非無想處亦不得無，不得斷，不得過度。烏陀夷！頗有一結，或多或少久住者，我說不得無，不得斷，不得過度，謂我說不斷耶？」

> 「では、ここで言う“超える”とは何を指すのか？ ウダーインよ。比丘が、あらゆる物質的な表象（色想）を完全に超え、対となる表象（有対想）を滅ぼし、様々な表象（若干想）に心を向けることなく、限りない虚空を観じる。この“無量空処”を成就して安住すること、これをここでは“超える”と言うのだ。 ウダーインよ。しかし、私が説くところによれば、この境地さえも“無い”と断定することはできず、“断ち切る”こともできず、“超える”こともできない。では、ここで言う“超える”とは何か？ ウダーインよ。比丘が、あらゆる“無量空処”を超え、限りない識（認識作用）そのものを観じる。この“無量識処”を成就して安住すること、これをここでは“超える”と言うのだ。 ウダーインよ。しかし、私が説くところによれば、この境地さえも“無い”と断定することはできず、“断ち切る”こともできず、“超える”こともできない。では、ここで言う“超える”とは何か？ ウダーインよ。比丘が、あらゆる“無量識処”を超え、“何ものも存在しない”という状態（無所有）を観じる。この“無所有処”を成就して安住すること、これをここでは“超える”と言うのだ。 ウダーインよ。しかし、私が説くところによれば、この境地さえも“無い”と断定することはできず、“断ち切る”こともできず、“超える”こともできない。では、ここで言う“超える”とは何か？ ウダーインよ。比丘が、あらゆる“無所有処”を超え、“表象があるともなく、ないとも言えない”状態（非有想非無想）を観じる。この“非有想非無想処”を成就して安住すること、これをここでは“超える”と言うのだ。 ウダーインよ。私が説くところによれば、この“非有想非無想処”に至っても、なお“無い”と断定することはできず、“断ち切る”こともできず、“超える”こともできない。ウダーインよ。あなたは、結び目（煩悩）であって、それが例えわずかであれ、あるいは多くあれ、長く留まるものであれ、私が“無い”と断定できず、“断ち切る”こともできず、“超える”こともできないと言

尊者烏陀夷白曰：「不也。世尊！」

> 尊者ウトーヤが申し上げた。「いいえ、世尊よ。」

世尊歎曰：「善哉！善哉！烏陀夷！汝不爾如彼癡人，彼愚癡人，我為其說：『汝等斷此。』彼作是說：『此是小事，何足斷之？而世尊今教我斷此，善逝令我絕此。』亦如是說：『此大沙門不能消食，彼不斷此，彼但於我生不可、不忍，及餘比丘善護持戒者，亦復為彼生不可、不忍。』烏陀夷！是故彼癡人所縛極堅極牢，轉增轉急，不可斷絕，不得解脫。烏陀夷！若有族姓子我為其說：『汝等斷此。』彼不作是說：『此是小事，何足斷之？而今世尊教我斷此，善逝令我絕此。』亦不如是說：『此大沙門不能消食，彼便斷此，彼不於我生不可、不忍，及餘比丘善護持戒者，亦不為彼生不可、不忍。』烏陀夷！是故彼族姓子所縛不堅不牢，不轉增急，而可斷絕，則得解脫。」

> 世尊は称賛して言われました。「善いかな、善いかな、ウダーイよ。あなたは、あの愚かな人のようではない。あの愚かな人に対して、私はこう説いた。『あなたたちは、これを断ち切りなさい。』すると彼はこう言った。『これは小さなことだ。どうして断ち切る必要があろうか。ところが世尊は今、私にこれを断てと教え、善逝は私にこれを絶てと言われる。』また、こうも言った。『この大沙門は食べ物を消化できない。彼はこれを断たない。ただ私に対して、不可・不忍の思いを抱き、他の戒をよく守る比丘たちに対しても、同じく不可・不忍の思いを起こさせる。』ウダーイよ、それゆえにあの愚かな人が縛られているものは、極めて堅く、極めて固く、ますます締まり、ますます強くなり、断ち切ることもできず、解脱も得られない。 ウダーイよ、もし良家の子息がいて、私が彼に『あなたたちは、これを断ち切りなさい』と説いたなら、彼は『これは小さなことだ。どうして断ち切る必要があろうか。ところが世尊は今、私にこれを断てと教え、善逝は私にこれを絶てと言われる』とは言わない。また『この大沙門は食べ物を消化できない。彼はこれを断った。彼は私に対して不可・不忍の思いを起こさず、他の戒をよく守る比丘たちに対しても、同じく不可・不忍の思いを起こさせない』と言う。ウダーイよ、それゆえにその良家の子息が縛られているものは、堅くもなく固くもなく、ますます締まることも強くなることもなく、断ち切ることができ、解脱を得られるのである。」

佛說如是。尊者烏陀夷聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏陀はこのようにお説きになりました。尊者ウダーイは仏陀の教えを聞いて、喜び、その教えの通りに実践しました。

加樓烏陀夷經第一竟四千四百六十七字

> 迦留陀夷経 第一 了<note>四千四百六十七字</note>