---
title: "中阿含經 · 193 牟犁破群那經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma7j48wz05j8jl0a7g8jq1jf"
---

### （一九三）中阿含大品牟犁破群那經第二第五後誦

> （一九三）中阿含経 大品 牟犁破羣那経 第二<note>第五後誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，牟犁破群那與比丘尼數共集會。若有人向牟犁破群那比丘道說比丘尼者，彼聞已，便瞋恚憎嫉，乃至鬪諍。若有人向諸比丘尼道說牟犁破群那比丘者，諸比丘尼聞已，便瞋恚憎嫉，乃至鬪諍。

> その頃、牟犁破群那という僧は、何人かの尼僧たちと頻繁に集まっていた。もし誰かが牟犁破群那に対して、尼僧たちの噂話をすると、それを聞いた彼は腹を立て、憎み妬み、ついには喧嘩にまで発展させた。また、もし誰かが尼僧たちに対して、牟犁破群那という僧の噂話をすると、尼僧たちはそれを聞いて、腹を立て、憎み妬み、ついには喧嘩にまで発展させた。

眾多比丘聞已，便往詣佛，稽首佛足，却坐一面，白曰：「世尊！牟犁破群那比丘與比丘尼數共集會。若有人向牟犁破群那比丘道說比丘尼者，彼聞已，便瞋恚憎嫉，乃至鬪諍。若有人向諸比丘尼道說牟犁破群那比丘者，諸比丘尼聞已，便瞋恚憎嫉，乃至鬪諍。」

> 多くの比丘たちはこれを聞いて、仏のもとへ向かい、仏の足に頭を付けて礼拝し、一方に座ってから申し上げた。「世尊よ、牟犁破群那（ムリハグンナ）比丘は比丘尼たちと頻繁に集まっています。もし誰かが牟犁破群那比丘に対して比丘尼たちのことを話すと、それを聞いた彼は怒りと憎しみを抱き、争いを起こします。また、もし誰かが比丘尼たちに対して牟犁破群那比丘のことを話すと、それを聞いた比丘尼たちも怒りと憎しみを抱き、争いを起こします。」

世尊聞已，告一比丘：「汝往牟犁破群那比丘所，而語之曰：『世尊呼汝。』」

> 世尊はそれを聞いて、一人の比丘に告げられた。「汝、牟犁破群那比丘のところへ行き、こう伝えよ。『世尊が汝を呼んでおられる』と。」

一比丘聞已：「唯然世尊！」即從坐起，稽首佛足，繞三匝而去。至牟犁破群那比丘所，而語之曰：「世尊呼汝！」牟犁破群那聞已，來詣佛所，為佛作禮，却坐一面。

> ある比丘がそれを聞いて、「かしこまりました、世尊さま」と答え、席から立ち上がり、仏の足にひれ伏して礼をし、三度右に回ってから去った。そして、牟犁破群那比丘のところへ行き、「世尊があなたをお呼びです」と告げた。牟犁破群那はそれを聞いて、仏のいらっしゃる場所にやって来て、仏に礼拝し、片隅に座った。

世尊告曰：「破群那！汝實與比丘尼數共集會。若有人向汝道說比丘尼者，汝聞已，便嗔恚憎嫉，乃至鬪諍。若有人向諸比丘尼道說汝者，諸比丘尼聞已，便嗔恚憎嫉，乃至鬪諍。破群那！汝實如是耶？」

> 世尊がおっしゃいました。「ポックナよ、あなたは本当に比丘尼と度々会合していたのか。もし誰かがあなたに向かって比丘尼のことを話したなら、あなたはそれを聞いてすぐに怒り憎み、さらに争いにまで至ったという。また、誰かが比丘尼たちに向かってあなたのことを話したなら、比丘尼たちはそれを聞いてすぐに怒り憎み、さらに争いにまで至ったという。ポックナよ、あなたは本当にそうだったのか。」

破群那答曰：「實爾。世尊！」

> パクナは答えました。「その通りです、世尊（仏さま）。」

世尊復問曰：「破群那！汝非至信、捨家、無家、學道耶？」

> 世尊はまたお尋ねになりました。「破群那よ、あなたは確かな信仰を持ち、家を捨てて無一物の修行の道に入ったのではありませんか。」

破群那答曰：「唯然。世尊！」

> パグナ（破群那）は答えました。「はい、世尊（世尊）よ。」

世尊告曰：「破群那！是以汝至信、捨家、無家、學道者，應當學。若有欲有念依家，斷是。若有欲有念依於無欲，是習是修，是廣布也。破群那！汝當如是學。」

> 世尊がおっしゃいました。「パグナよ。だからこそ、あなたは深い信仰を持って家を捨て、家なき者として道を学ぶのだから、次のように学ぶべきである。もし家に執着する欲望や思いがあれば、それを断ち切れ。もし欲望のないことに基づく欲望や思いがあれば、それを繰り返し実践し、よく身につけ、広めていきなさい。パグナよ、あなたはこのように学びなさい。」

爾時，世尊問諸比丘曰：「汝等非至信、捨家、無家、學道耶？」

> その時、世尊は比丘たちに尋ねられました。「あなたたちは、確かな信仰を持って、家を捨て、家族のない修行者の道を歩んでいるのではないか？」

諸比丘答曰：「唯然。世尊！」

> 比丘たちは答えた。「はい、世尊よ。」

世尊復告諸比丘曰：「是以汝等至信、捨家、無家、學道者，應當學。若有欲有念依家，斷是。若有欲有念依於無欲，是習是修，是廣布也，汝等當如是學。昔時我曾告諸比丘：『汝等！若有比丘多所知識，若有比丘少所知識，彼一切盡學一坐食，學一坐食已，無為無求，無有病痛，身體輕便，氣力康強，安隱快樂。』彼諸比丘多所知識及少知識，盡學一坐食，學一坐食已，無為無求，無有病痛，身體輕便，氣力康強，安隱快樂。彼諸比丘可於我心，我亦不多教訶。諸比丘因此生念向法次法，猶如馬車，御者乘之，左手執轡，右手執策，隨八道行，在意所至。如是諸比丘可於我心，我亦不多教訶。諸比丘因此生念向法次法，猶如良地有娑羅樹林，彼治林者，聰明𭶑慧而不懈怠，彼隨時治娑羅樹根，數數鋤糞，以水溉灌，高者掘下，下者填滿。若邊生惡草，薅除棄之，若並生曲戾惡不直者，拔根著外，若枝生橫曲，則落治之，若近邊新生調直好者，便隨時治，數數鋤糞，以水溉灌，如是彼良地娑羅樹林轉轉茂盛。如是諸比丘可於我心，我亦不多教訶。彼我不說彼善語恭順，謂因衣鉢、飲食、床榻、湯藥、諸生活具故。所以者何？彼比丘若不得是還不善語恭順，成就不善語恭順法。

> 世尊は再び比丘たちに告げられた。「それゆえ、深い信をもって家を捨て、家なき者として道を学ぶ皆さんは、次のように学ぶべきです。 もし家庭生活に基づく欲望や想いがあるなら、それを断ち切りなさい。 もし無欲に基づく欲望や想いがあるなら、それを修め、育て、広めなさい。 皆さんはこのように学ぶべきです。 かつて私は比丘たちにこう告げました。 『比丘たちよ。知識の多い比丘も、知識の少ない比丘も、皆、一坐食（一度の食事だけをとる修行）を学びなさい。 一坐食を学べば、無為であり、求めるところなく、病苦もなく、身体は軽やかで、気力は健やかになり、安らかで穏やかな楽を得るでしょう。』 その知識の多い比丘も少ない比丘も、皆、一坐食を学び、その結果、無為であり、求めるところなく、病苦もなく、身体は軽やかで、気力は健やかになり、安らかで穏やかな楽を得ました。 彼らは私の心にかなう者となり、私も多くを教え戒めることはありませんでした。 比丘たちはこのことから、法に従い法へ向かう心を育てました。まるで御者が馬車に乗り、左手で手綱を握り、右手で鞭を持って、八つの道に沿って思いのままに進むかのようでした。 このように彼らは私の心にかなう者となり、私も多くを教え戒めることはありませんでした。 比丘たちはこのことから、法に従い法へ向かう心を育てました。まるで良地にある娑羅樹林のように。その林を管理する者は賢明で怠ることがなく、常に娑羅樹の根を整え、何度も耕し、肥料を施し、水を注ぎます。高いところは掘り下げ、低いところは埋めます。もし端に悪草が生えれば抜き捨て、曲がって不正になるものは根から引き抜き、枝が横に曲がれば切り落とします。辺りに新しく真っ直ぐに育った良いものがあれば、それを丁寧に育て、何度も耕し、肥料を施し、水を注ぎます。こうして良地の娑羅樹林はますます繁茂するのです。 このように比丘たちは私の心にかなう者となり、私も多くを教え戒めることはありませんでした。 私は彼らについて、衣鉢や飲食、寝具、薬などの生活の道具を得たからといって、よく語りよく従うとは言いません。 なぜなら、もしそれらの物を得られなければ、よく語りよく従わず、そうした態度を身につけてしまうからです。」

「若有比丘為遠離、依遠離、住遠離，善語恭順，成就善語恭順法者，我說彼善語恭順。所以者何？或有一善護善逝行者，謂因他無惡語言也。若他不惡語言者，便不瞋恚，亦不憎嫉，不憂纏住，不憎嗔恚，不發露惡。彼諸比丘見已，便作是念：『此賢者忍辱溫和堪耐，善制善定善息。』若他惡語言者，便嗔恚憎嫉，而憂纏住憎恚發惡。彼諸比丘見已，便作是念：『此賢者惡性急弊麤獷，不定不制不息。』所以者何？

> ある比丘が、遠離（遠く離れること）を求め、遠離に依り、遠離に安住し、善い言葉を語り、柔和で恭順であり、善い言葉と恭順の法を成就しているなら、私はその比丘を「善語恭順の人」と呼ぶ。 なぜなら、ある者は、他者からの悪い言葉がなければ、善く己を守り、善く行動するからである。もし他者が悪い言葉を発しなければ、その人は怒らず、憎まず、憂いに縛られず、恨みを抱かず、悪を表に出さない。それを見た他の比丘たちは、こう思うだろう——「この尊者は忍辱があり、温和で、堪え忍び、善く制し、善く定まり、善く息っている」と。 しかし、もし他者が悪い言葉を発すれば、その人は怒り、憎み、憂いに縛られ、恨みを抱き、悪を露わにする。それを見た他の比丘たちは、こう思うだろう——「この尊者は性質が悪く、急で、粗雑で、定まらず、制せられず、息っていない」と。 それはなぜか。

「比丘！昔時有居士婦，名鞞陀提，極大富樂，多有錢財，畜牧產業不可稱計，封戶、食邑、米穀豐饒，及若干種諸生活具。爾時，居士婦鞞陀提如是大有名稱，流布諸方，居士婦鞞陀提忍辱堪耐溫和，善制善定善息。爾時，居士婦鞞陀提有婢名黑，本侍者，有妙善言，少多行善。彼黑婢作是念：『我大家居士婦鞞陀提如是有大名稱，流布諸方，居士婦鞞陀提忍辱堪耐溫和，善制善定善息，我今寧可試大家居士婦鞞陀提，為實嗔、為實不嗔耶？』

> 比丘たちよ、昔々、ある在家の女性がいた。その名を鞞陀提といい、大変裕福で多くの財産を持ち、家畜や財産は数えきれず、領地や封戸、穀物も豊かで、様々な生活の道具も十分に備えていた。 その頃、鞞陀提というこの在家の女性は、このように大きな名声を得て、その名は諸方に広まっていた。彼女は『忍辱（にんにく）に耐え、温和で、よく自制し、よく安定し、よく休息している』と評判であった。 さて、その鞞陀提には黒という名の召使がいた。もともと側近で、言葉は優しく、善良な行いを少しは積んでいた。 その黒い召使はこう考えた。 『私の主人である鞞陀提という在家の女性は、このように大きな名声を得て、諸方に名が広まり、忍辱に耐え、温和で、よく自制し、よく安定し、よく休息していると言われている。今こそ、私はこの主人の鞞陀提を試してみよう。彼女が本当に怒らないのか、それとも実は怒るのかを確かめてみよう。』

「於是，黑婢臥不早起。夫人呼曰：『黑婢！何不早起耶？』黑婢聞已，便作是念：『我大家居士婦鞞陀提實瞋，非不瞋也。但因我善能料理家業、善經營、善持故，令我大家居士婦鞞陀提如是有極大名稱，流布諸方，居士婦鞞陀提忍辱堪耐溫和，善制善定善息。我今寧可復更大試大家居士婦鞞陀提，為實嗔、為實不嗔耶？』

> そこで、黒い婢女は朝早く起きなくなった。夫人が呼びかけて言った。「黒婢よ、どうして朝早く起きないのか。」黒い婢女はこれを聞いて、こう考えた。「我が主人である毘提陀婦人は、実は怒っているのであって、怒っていないわけではない。しかし私がよく家事を取り仕切り、よく切り盛りし、よく統率するがゆえに、我が主人である毘提陀婦人はこのように大いなる名声を得て、諸方に広く知られ、毘提陀婦人は忍辱に耐え、温和であり、よく調御し、よく定まり、よく息らっているのだ。私は今こそ、改めて我が主人である毘提陀婦人を試してみよう。本当に怒っているのか、本当に怒っていないのか。」

「於是，黑婢臥極晚不起。夫人呼曰：『黑婢！何以極晚不起耶？』黑婢聞已，作是念：『我大家居士婦鞞陀提實瞋，非不瞋也。但因我善能料理家業、善經營、善持故，令我大家居士婦鞞陀提如是有極大名稱，流布諸方，居士婦鞞陀提忍辱堪耐溫和，善制善定善息耳。我今寧可復更極大試大家居士婦鞞陀提，為實瞋、為實不瞋耶？』

> そこで、召使いの女は、明け方になってもなかなか起きようとしなかった。夫人が呼びかけて言った。「お前、なぜこんなに遅くまで起きないのか。」召使いの女はこれを聞いて、こう思った。「私の主人である毘提陀夫人は、実は怒っているのであって、怒っていないわけではない。しかし、私が家事をうまく取り仕切り、上手に切り盛りし、うまく維持しているからこそ、私の主人である毘提陀夫人はこのように非常に高い名声を得て、方々に広まっているのである。毘提陀夫人は忍耐強く、穏やかで、よく自制し、よく落ち着いていると言われているのだ。今、私はもう一度、大いに私の主人である毘提陀夫人を試してみよう。本当に怒っているのか、それとも本当に怒っていないのか。」

「於是，黑婢臥至晡時乃起。夫人呼曰：『黑婢！何以乃至晡時起，既不自作，亦不教作，此黑婢不隨我教，此黑婢輕慢於我。』便大瞋恚而生憎嫉，額三脉起，皺面自往，閉戶下關，手執大杖以打其頭，頭破血流。於是，黑婢頭破血流，便出語比隣，訟聲紛紜，多所道說：『尊等！見是忍辱行人堪耐溫和，善制善定善息行耶？罵我曰：「黑婢！何以乃至晡時起，既不自作，亦不教作，此黑婢不隨我教，此黑婢輕慢於我。」便大瞋恚而生憎嫉，額三脉起，皺面自來，閉戶下關，手執大杖以打我頭，頭破血流。』爾時，居士婦鞞陀提如是便有極大惡名，流布諸方，居士婦鞞陀提惡性急弊麤獷，不定不制不息。

> そこで、黒い下女は昼下がりまで眠りこけ、ようやく起きました。夫人が呼びかけました。「黒い下女よ！なぜ昼下がりまで起きてこないのか。自分で働きもせず、他人に働かせもしない。この下女は私の教えに従わず、私を軽んじている。」そう言って大いに怒り、憎しみの心を起こし、額に三本の血管を浮き立たせ、顔をしかめて自ら出向き、戸を閉めて鍵をかけ、大きな杖を手に取り、その頭を打ちました。頭は割れて血が流れました。 そこで、黒い下女は頭を割られ血を流しながら、近所の人々のところに出て行き、騒々しく言い争い、あれこれと言いふらしました。「皆様！これがあの忍辱の修行者で、耐え忍び温和で、よく制御し、よく定め、よく息を整えていると言われる方ですか？私に『黒い下女よ！なぜ昼下がりまで起きてこないのか。自分で働きもせず、他人に働かせもしない。この下女は私の教えに従わず、私を軽んじている。』と罵り、大いに怒り憎しみの心を起こし、額に三本の血管を浮き立たせ、顔をしかめて自らやって来て、戸を閉めて鍵をかけ、大きな杖を手に取り、私の頭を打ち、頭は割れて血が流れました。」 この時、居士の妻ヴェーデーティカはこのようにして非常に大きな悪い評判が四方に流れることとなりました。居士の妻ヴェーデーティカは、性質が悪く、性急で、粗暴で、騒々しく、落ち着きがなく、自制がなく、静けさもなかったのです。

「如是。或有一善護善逝行者，謂因他無惡語言也。若他不惡語言者，便不瞋恚，亦不憎嫉，不憂纏住，不增瞋恚，不發露惡。彼諸比丘見已，便作是念：『此賢者忍辱溫和堪耐，善制善定善息。』若他惡語言者，便瞋恚憎嫉而憂纏住，憎恚發惡。彼諸比丘見已，便作是念：『此賢者惡性急弊麤獷，不定不制不息。』

> このように、ある人はよく善を守り、よく善逝（善き行い）を行う者があります。それは、他者から悪い言葉をかけられないからです。もし他者から悪い言葉をかけられなければ、怒りもなく、憎しみや嫉みもなく、憂いに縛られることもなく、怒りを増すこともなく、悪意を表に出すこともありません。その修行僧たちはこれを見て、こう思うのです。『この尊い方は、忍び、穏やかで、耐え忍び、よく調御され、よく定まり、よく静まっている』と。 もし、他者から悪い言葉をかけられたなら、怒り、憎しみ、嫉み、憂いに縛られ、憎悪や悪意を現します。その修行僧たちはこれを見て、こう思うのです。『この尊い方は、性質が悪く、性急で、粗野で、荒々しく、定まらず、調御されず、静まっていない』と。

「復次，有五言道，若他說者，或時或非時，或真或非真，或軟或堅，或慈或恚，或有義或無義。汝等！此五言道，若他說時，或心變易者，或口惡言者，我說汝等因此必衰。汝等當學此五言道，若他說時，心不變易，口無惡言，向怨家人緣彼起慈愍心，心與慈俱，遍滿一方成就遊。如是二三四方、四維上下，普周一切，心與慈俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。如是悲、喜心與捨俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊，汝等當學如是。猶如有人持大鏵鍬來，而作是語：『我能令此大地，使作非地。』彼便處處掘復掘，唾溺污之，說惡語言，作如是說：『令大地非地。』於意云何？彼人以此方便，能令此大地作非地耶？」

> さらに、五つの言葉の道がある。もし他人がそれを語る時、時宜にかなっていることもあれば、時宜にかなっていないこともある。真実であることもあれば、真実でないこともある。柔和であることもあれば、荒々しいこともある。慈しみから出ることもあれば、怒りから出ることもある。意味のあることもあれば、意味のないこともある。 あなたたちは、この五つの言葉の道について、もし他人がそれを語る時に、心が動揺したり、悪い言葉を発したりするなら、私はあなたたちがそのために必ず衰退すると言う。あなたたちは、この五つの言葉の道を学ぶべきである。すなわち、もし他人がそれを語る時にも、心が動揺せず、悪い言葉を発さず、むしろその敵対する人に対して慈しみの心を起こし、慈しみの心と共に、一面に満ち渡らせて、安住し実践するのだ。 このように、東・西・南・北の四方、四隅、上下、あらゆる場所に、慈しみの心が偏在するようにする。そこには、わだかまりがなく、怨みがなく、怒りがなく、争いがない。非常に広大で、計り知れず、よく修められ、あらゆる世の中に満ち渡って、安住し実践するのだ。同様に、悲しみの心、喜びの心、そして捨てる心についても、同じように実践する。あなたたちは、このように学ぶべきである。 例えば、ある人が大きな鋤や鍬を持って来て、こう言うようなものだ。「私はこの大地を、大地でなくしてやることができる。」そして、彼はあちこちを掘り返し、唾や小便で汚し、悪口を言いながら、「この大地を大地でなくせ。」と言う。あなたたちはどう思うか。その人は、このような方法で、この大地を本当に大地でなくすることができるだろうか。

諸比丘答曰：「不也。世尊！所以者何？此大地甚深極廣而不可量，是故彼人以此方便，不能令此大地使作非地。世尊！但使彼人唐自疲勞也。」

> 比丘たちは答えた。「いいえ、世尊（せそん）。なぜならば、この大地は非常に深く、極めて広く、はかり知ることができません。ですから、そのような方法では、大地を非大地にすることはできません。世尊、その人はただ無駄に疲れるだけでしょう。」

「如是，此五言道，若他說者，或時或非時，或真或不真，或軟或堅，或慈或恚，或有義或無義。汝等！此五言道，若他說時，或心變易者，或口惡言者，我說汝等因此必衰，汝等當學此五言道。若他說時，心不變易，口無惡言，向言說者，緣彼起慈愍心，心行如地，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊，汝等當學如是。猶如有人持大草炬，作如是語：『我以此草炬，用熱恒伽水，令作沸湯。』於意云何？彼人以此方便，能令恒伽水熱作沸湯耶？」

> 「このように、五つの言葉の道があります。もし他の人が話すとき、時に適していることもあれば、時に適していないこともあり、真実のこともあれば、真実でないこともあり、柔らかいこともあれば、堅いこともあり、慈しみ深いこともあれば、怒りに満ちていることもあり、意味のあることもあれば、意味のないこともあります。あなたたちは、この五つの言葉の道を、他の人が話すときに、心が動揺したり、口から悪い言葉を発したりするならば、それによって必ず衰えが生じると私は説きます。あなたたちはこの五つの言葉の道を学ぶべきです。もし他の人が話すときに、心が動揺せず、口から悪い言葉を発さず、語りかける者に対して慈しみの心を起こし、地のように広く、執着も恨みもなく、怒りも争いもなく、極めて広大で、無量に善く修められ、すべての世に満ち渡って成就して遊ぶならば、あなたたちはこのように学ぶべきです。」 「例えば、誰かが大きな草のたいまつを持って、こう言うとしましょう。『私はこの草のたいまつでガンジス川を熱し、沸騰した湯にしてみせる』と。あなたたちはどう思いますか？その人はこの方法で、ガンジス川を熱して沸騰した湯にすることができるでしょうか？」

諸比丘答曰：「不也。世尊！所以者何？世尊！彼恒伽水甚深極廣，不可度量。是故彼人以此方便，不能令恒伽水熱使作沸湯。世尊！但使彼人唐自疲勞也。」

> 比丘たちが答えました。「いいえ、世尊。なぜなら、あのガンジス川の水はとても深く広く、測ることができません。ですから、その人がどんな方法を使っても、ガンジス川の水を熱して沸騰させることはできません。ただむだに疲れるだけです。」

「如是。此五言道，若他說者——或時或非時、或真或不真、或軟或堅、或慈或恚、或有義或無義。汝等！此五言道，若他說時，或心變易者，或口惡言者，我說汝等因此必衰。汝等當學此五言道，若他說時，心不變易，口無惡言，向言說者，緣彼起慈愍心，心行如恒伽水，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊，汝等當學如是。猶如畫師、畫師弟子，持種種彩來，彼作是說：『我於此虛空畫作形像，以彩莊染。』於意云何？彼畫師、畫師弟子以此方便，寧能於虛空畫作形像，以彩莊染耶？」

> 「そうです。この五つの言葉の道——もし誰かに語られたならば、時に適していることもあれば、適していないこともある。真実であることもあれば、真実でないこともある。優しいこともあれば、荒々しいこともある。慈しみのあることもあれば、怒りを含むこともある。意味のあることもあれば、意味のないこともある。 あなたたちは、この五つの言葉の道を、もし誰かに語られた時、心が動揺したり、口から悪い言葉を発したりするならば、そのために必ず衰退すると私は説く。 あなたたちは、この五つの言葉の道を学ぶべきである。もし誰かに語られた時、心が動揺せず、口から悪い言葉を発さず、語りかけてきた人に対して、慈しみの心を起こしなさい。その心をガンジス川の水のように、とらわれることなく、恨みなく、怒りなく、争いなく、極めて広く大きく、無量に善く修められ、一切の世界に遍く満ち足りて成就し、安住するように——あなたたちはこのように学ぶべきである。 ちょうど絵師や絵師の弟子が、様々な絵の具を持って来て、こう言うようなものだ——『私はこの虚空に形を描き、絵の具で飾り彩ろう』と。あなたたちはどう思うか。その絵師や絵師の弟子は、その方法で虚空に形を描き、絵の具で飾り彩ることができるだろうか。」

諸比丘答曰：「不也。世尊！所以者何？世尊！此虛空非色，不可見無對。是故彼畫師、畫師弟子以此方便，不能於虛空畫作形像，以彩莊染。世尊！但使彼畫師、畫師弟子唐自疲勞也。」

> 比丘たちは答えた。「いいえ、世尊。どうしてでしょうか。世尊、この虚空は形あるものではなく、目に見えず、対するものもありません。ですから、あの絵師や絵師の弟子たちは、どのような方法を用いても虚空の上に形を描き、色彩を施すことはできません。世尊、ただあの絵師や絵師の弟子たちが無駄に疲れるだけなのです。」

「如是，此五言道，若他說者，或時或非時，或真或不真，或軟或堅，或慈或恚，或有義或無義。汝等！此五言道，若他說時，或心變易者，或口惡言者，我說汝等因此必衰。汝等當學此五言道，若他說時，心不變易，口無惡言，向言說者，緣彼起慈愍心，心行如虛空，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊，汝等當學如是。猶如猫皮囊柔治極軟，除𨋐𨋐聲，無𨋐𨋐聲。彼或有人以手拳扠，石擲杖打，或以刀斫，或撲著地，於意云何？彼猫皮囊柔治極軟，除𨋐𨋐聲，無𨋐𨋐聲，彼寧復有𨋐𨋐聲耶？」

> 「このように、この五つの言葉の道がある。もし他人が語るとき、時機にかなっていることもあれば、そうでないこともある。真実であることもあれば、真実でないこともある。柔和であることもあれば、厳しいこともある。慈しみ深いこともあれば、怒りを含むこともある。意味のあることもあれば、意味のないこともある。あなたがたよ、この五つの言葉の道を、もし他人が語るとき、心が動揺したり、悪い言葉を口にしたりするならば、あなたがたはそれによって衰退すると、私は説く。 あなたがたは、この五つの言葉の道を学ぶべきである。もし他人が語るとき、心が動揺せず、悪い言葉を口にせず、語りかける者に対しては、それによって慈しみの心を起こしなさい。心を虚空のように、こだわりなく、恨みなく、怒りなく、争いなく、極めて広大で、限りなく善く修められたものとし、全ての世の中に遍く満ちて、成就して遊ぶのである。あなたがたは、このように学ぶべきである。 例えば、猫の皮の袋を何度も柔らかく調え、極めて柔らかくし、パチパチという音を除き、パチパチという音がなくなったとする。そこに誰かが手で拳で打ち、石を投げ、棒で打ち、あるいは刀で切り、あるいは地面に打ちつけても、どう思うか。その猫の皮の袋は、柔らかく調えられ、極めて柔らかく、パチパチという音は除かれ、パチパチという音はない。はたして、それに再びパチパチという音が生じることがあるだろうか。」

諸比丘答曰：「不也。世尊！所以者何？世尊！彼猫皮囊柔治極軟，除𨋐𨋐聲，無𨋐𨋐聲。是故無復有𨋐𨋐聲。」

> 比丘たちは答えた。「いいえ、世尊よ。なぜかといいますと、その猫の皮の袋は、なめされて非常に柔らかくなっており、カサカサという音は取り除かれ、もはやそのような音はありません。ですから、カサカサという音はもうないのです。」

「如是。諸比丘！若有他人拳扠石擲，杖打刀斫，汝等若為他人拳扠石擲，杖打刀斫時，或心變易者，或口惡言者，我說汝等因此必衰。汝等當學，若為他人拳扠石擲，杖打刀斫時，心不變易，口不惡言，向捶打人緣彼起慈愍心，心行如猫皮囊，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊，汝等當學如是。若有賊來，以利鋸刀節節解截，汝等若有賊來，以利鋸刀節節解截時，或心變易者，或口惡言者，我說汝等因此必衰。汝等當學，若有賊來，以利鋸刀，節節解截，心不變易，口無惡言向割截人，緣彼起慈愍心，心與慈俱，遍滿一方成就遊。如是二三四方、四維上下，普周一切，心與慈俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊。如是悲、喜心與捨俱，無結無怨，無恚無諍，極廣甚大，無量善修，遍滿一切世間成就遊，汝等當學如是。」

> 「その通りです。比丘たちよ、もし他人があなたたちを拳や石で打ち、棒で打ち、刀で傷つけることがあったとしても、その時に心が動揺したり、悪口を言ったりするならば、私はこう言います――あなたたちはそれによって必ず衰えていくことになる、と。だからあなたたちは、こう学ぶべきです。『たとえ他人が拳や石で打ち、棒で打ち、刀で傷つけることがあっても、心は動揺せず、悪口も言わず、その打つ者に対して慈しみの心を起こそう。心は猫の皮袋のように柔らかく、こだわりも怒りもなく、恨みも争いもなく、非常に広く大きく、限りなくよく修められ、一切の世の中に満ち渡って安住する。』このように学びなさい。 また、もし盗賊が来て、鋸であなたたちの手足を一つ一つ切り裂くことがあったとしても、その時に心が動揺したり、悪口を言ったりするならば、私はこう言います――あなたたちはそれによって必ず衰えていくことになる、と。だからあなたたちは、こう学ぶべきです。『たとえ盗賊が来て、鋸で手足を一つ一つ切り裂くことがあっても、心は動揺せず、悪口も言わず、その切り裂く者に対して慈しみの心を起こそう。慈しみの心と共に、一つの方向に満ち渡って安住する。』このように東西南北、四隅上下、あらゆる方向に、心は慈しみと共にあり、こだわりも怒りもなく、恨みも争いもなく、非常に広く大きく、限りなくよく修められ、一切の世の中に満ち渡って安住するのです。 同じように、悲しみの心、喜びの心、そして捨てる心においても、こだわりも怒りもなく、恨みも争いもなく、非常に広く大きく、限りなくよく修められ、一切の世の中に満ち渡って安住するのです。あなたたちはこのように学ぶべきです。」

於是，世尊歎諸比丘曰：「善哉！善哉！汝等當數數念利鋸刀喻沙門教，汝等數數念利鋸刀喻沙門教已，汝等頗見他不愛惡語言向我，我聞已，不堪耐耶？」

> そこで、世尊は比丘たちに告げて言われた。「立派だ、立派だ。あなたたちは繰り返し、のこぎりのたとえによる修行者の教えを心に留めなさい。その教えを繰り返し心に留めたならば、他人から好ましくない憎しみの言葉を向けられ、それを聞いても、耐えられないと思うことがあるだろうか。」

諸比丘答曰：「不也。世尊！」

> 比丘たちは答えた。「いいえ、世尊（お釈迦さま）」。

世尊復歎諸比丘曰：「善哉！善哉！汝等當數數念利鋸刀喻沙門教，汝等數數念利鋸刀喻沙門教已，若汝遊東方，必得安樂，無眾苦患；若遊南方、西方、北方者，必得安樂，無眾苦患。善哉！善哉！汝等當數數念利鋸刀喻沙門教，汝等數數念利鋸刀喻沙門教已，我尚不說汝諸善法住，況說衰退？但當晝夜增長善法而不衰退。善哉！善哉！汝等當數數念利鋸刀喻沙門教，汝等數數念利鋸刀喻沙門教已，於二果中必得其一，或於現世得究竟智，或復有餘得阿那含。」

> 世尊は再び比丘たちを称えて言われた。「善きかな、善きかな。あなたがたは、繰り返し『のこぎりの刃のたとえ』の修行者の教えを心に留めなさい。この教えを繰り返し心に留めれば、東へ行こうとも、必ず安楽を得て苦しみの悩みはありません。南、西、北へ行こうとも、必ず安楽を得て苦しみの悩みはありません。善きかな、善きかな。あなたがたは繰り返しこの教えを心に留めなさい。そうすれば、あなたがたの善い法がとどまるとさえ私は言わず、ましてや衰退することなど言いません。ただ、昼夜に善い法を増し続け、衰退することはないでしょう。善きかな、善きかな。あなたがたが繰り返しこの教えを心に留めれば、必ず二つの果報のうちの一つを得るでしょう。すなわち、この現世において究極の智慧を得るか、あるいは残りの者として不還果（アナガーミン）を得るでしょう。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

牟犁破群那經第二竟三千三百五十八字

> 『牟犁破群那経』第二 終わり<note>三千三百五十八字</note>

## 中阿含經卷第五十七千八百二十五字

> 中阿含経 第五十巻<note>七千八百二十五字</note>