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title: "中阿含經 · 194 跋陀和利經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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## 中阿含經卷第五十一

> 中阿含経 第五十一巻

東晉罽賓三藏瞿曇僧伽提婆譯

> 東晋・罽賓三蔵・瞿曇僧伽提婆 訳

### （一九四）大品跋陀和利經第三第五後誦

> （一九四）大品跋陀和利經 第三

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園，與大比丘眾俱而受夏坐。

> ある時、ブッダは舎衛国に滞在していました。勝林給孤独園と呼ばれる場所で、たくさんの修行者たちと共に雨期の修行（夏安居）を行っていました。

爾時，世尊告諸比丘：「我一坐食，一坐食已，無為無求，無有病痛，身體輕便，氣力康強，安隱快樂。汝等亦當學一坐食，一坐食已，無為無求，無有病痛，身體輕便，氣力康強，安隱快樂。」

> その時、世尊は比丘たちにこう告げられました。 「私は一坐食（一つの座で食事を済ませること）を実践しています。一坐食を行うと、無為無求（余計なことをせず、求めることがない）となり、病の痛みもなく、身体は軽やかで、気力は充実し、健やかで安らかな喜びに満たされます。あなたたちもまた、一坐食を学びなさい。一坐食を行えば、無為無求となり、病の痛みもなく、身体は軽やかで、気力は充実し、健やかで安らかな喜びに満たされるでしょう。」

爾時，尊者跋陀和利亦在眾中。於是，尊者跋陀和利即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「世尊！我不堪任於一坐食。所以者何？若我一坐食者，同不了事，懊惱心悔。世尊！是故我不堪任一坐食也。」

> その時、尊い跋陀和利（バッダーリ）もまた会衆の中にいた。そこで、尊い跋陀和利は即座に座を立ち、衣を偏衽に掛け、合掌して仏に向かい、申し上げた。「世尊よ、私は一坐食（一日一食）に堪えることができません。なぜなら、もし私が一坐食をしたならば、事をうまく処理できず、心に懊悩し悔いることになるからです。世尊よ、ですから私は一坐食に堪えることはできません。」

世尊告曰：「跋陀和利！若我受請，汝亦隨我，聽汝請食，持去一坐食。跋陀和利！若如是者，快得生活。」

> 世尊はおっしゃった。「跋陀和利よ、もし私が招きを受けたなら、あなたも私に従いなさい。あなたのも布施の食事を受け、一つの席での食事を持ち帰ることを許そう。跋陀和利よ、もしこのようにするならば、あなたは安らかに暮らすことができるだろう。」

尊者跋陀和利又復白曰：「世尊！如是，我亦不堪於一坐食。所以者何？若我一坐食者，同不了事，懊惱心悔。世尊！是故我不堪任一坐食也。」

> 尊者バッダリが再び仰せには、「世尊（せそん）、その通りでございます。私も一坐食（いちざじき）には耐えられません。なぜなら、もし一坐食を行うと、事がうまく運ばず、心が後悔し悩むことになるからです。世尊、ですから私は一坐食を務めることはできません。」

世尊復至再三告諸比丘：「我一坐食，一坐食已，無為無求，無有病痛，身體輕便，氣力康強，安隱快樂。汝等亦當學一坐食，一坐食已，無為無求，無有病痛，身體輕便，氣力康強，安隱快樂。」

> 世尊はさらに何度も繰り返し、比丘たちに告げられました。 「私は一日に一度だけ食事をとります。一度だけ食事をとったならば、何もせず、何も求めず、病の痛みもなく、身体は軽やかで、気力は健やかであり、安らかで幸せです。あなたがたもまた、一日に一度だけ食事をとることを学びなさい。一度だけ食事をとったならば、何もせず、何も求めず、病の痛みもなく、身体は軽やかで、気力は健やかであり、安らかで幸せでいられるでしょう。」

尊者跋陀和利亦至再三從坐而起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「世尊！我不堪任於一坐食。所以者何？若我一坐食者，同不了事，懊惱心悔。世尊！是故我不堪任一坐食也。」

> 尊者バッドラリもまた三度にわたり、座を立って、衣を整え、合掌して仏に向かい申し上げた。「世尊よ。私は一食の行に耐えられません。なぜなら、私が一食を行うと、事を十分に理解できず、心に後悔と悩みが生じるからです。世尊よ。ゆえに私は一食の行に耐えられないのです。」

世尊復至再三告曰：「跋陀和利！若我受請，汝亦隨我，聽汝請食，持去一坐食。跋陀和利！若如是者，快得生活。」

> 世尊はさらに何度も繰り返しておっしゃいました。「跋陀和利よ。もし私が招きを受け入れるなら、あなたも私に従いなさい。あなたは施しの食事を受け取り、一度の座食のためにそれを持ち帰ることを許します。跋陀和利よ、このようにすれば、安楽に生活することができるでしょう。」

尊者跋陀和利復至再三白曰：「世尊！如是我亦不堪於一坐食。所以者何？若我一坐食者，同不了事，懊惱心悔。世尊！是故我不堪任一坐食也。」

> 尊者バッダリはさらに二度、三度と重ねて申し上げた。「世尊よ、そのように私も一坐食に耐えることはできません。なぜならば、もし私が一坐食を行えば、やはり事を悟ることができず、心に後悔と苦しみが生じるからです。世尊よ、ですから私は一坐食に堪えることができないのです。」

爾時，世尊為比丘眾施設一坐食戒，諸比丘眾皆奉學戒及世尊境界諸微妙法，唯尊者跋陀和利說不堪任，從坐起去。所以者何？不學具戒及世尊境界諸微妙法故。於是，尊者跋陀和利遂藏一夏，不見世尊。所以者何？以不學具戒及世尊境界諸微妙法故。

> ある時、世尊は比丘たちに「一度の食事で足りる」という戒めを定められました。比丘たちは皆、この戒めを守り、世尊の教えの素晴らしい法を学び実践しました。ところが、尊者バッダーリだけは「それに耐えられない」と言って、席を立って去ってしまいました。なぜなら、彼は戒めを完全に守り、世尊の教えの素晴らしい法を学び実践していなかったからです。その後、尊者バッダーリは結局、夏の間中、姿を隠して世尊にお会いしようとしませんでした。なぜなら、戒めを完全に守り、世尊の教えの素晴らしい法を学び実践していなかったからです。

時，諸比丘為佛作衣，世尊於舍衛國受夏坐訖，過三月已，補治衣竟，攝衣持鉢，當遊人間。尊者跋陀和利聞諸比丘為佛作衣，世尊於舍衛國受夏坐訖，過三月已，補治衣竟，攝衣持鉢，當遊人間。尊者跋陀和利聞已，往詣諸比丘所，諸比丘遙見尊者跋陀和利來，便作是語：「賢者跋陀和利！汝當知此為佛作衣，世尊於舍衛國受夏坐訖，過三月已，補治衣竟，攝衣持鉢，當遊人間。跋陀和利，汝當彼處善自守護，莫令後時致多煩勞。」

> 時に、比丘たちは仏のために衣を縫っていた。世尊はサーヴァッティーで雨期の修行を終えられ、三ヶ月が過ぎ、衣の修繕も終えられ、衣を整え鉢を持って、人里へと旅立とうとしておられた。 尊者バッダリは、比丘たちが仏のために衣を縫っていること、世尊がサーヴァッティーで雨期の修行を終えられ、三ヶ月が過ぎ、衣の修繕も終えられ、衣を整え鉢を持って、人里へと旅立とうとしておられることを聞いた。 尊者バッダリはこれを聞いて、比丘たちのところへ行った。比丘たちは遠くから尊者バッダリが来るのを見て、こう言った。「賢者バッダリよ、あなたは知っておくべきです。仏のために衣を縫っており、世尊はサーヴァッティーで雨期の修行を終えられ、三ヶ月が過ぎ、衣の修繕も終えられ、衣を整え鉢を持って、人里へと旅立とうとしておられます。バッダリよ、あなたはその場所でよく自らを守りなさい。後になって多くの煩労を招くことのないように。」

尊者跋陀和利聞此語已，即詣佛所，稽首佛足，白曰：「世尊！我實有過，我實有過，如愚如癡，如不了，如不善。所以者何？世尊為比丘眾施設一坐食戒，諸比丘眾皆奉學戒及世尊境界諸微妙法，唯我說不堪任，從坐起去。所以者何？以不學具戒及世尊境界諸微妙法故。」

> 尊者バドゥハリはこの言葉を聞いて、すぐに仏のもとへ赴き、仏の足に額を接してから申し上げました。「世尊よ、私は確かに過ちがありました。愚かで、理解が足りず、善くない行いをしました。なぜかと言いますと、世尊が比丘たちのために『一坐食の戒』を定められた時、多くの比丘たちは皆、戒律を守り、世尊の教えという素晴らしい法を実践しておりました。しかし、私だけは『それに耐えられない』と言って、席を立って去ってしまいました。それは、戒律を十分に身につけず、世尊の教えという素晴らしい法を学ばなかったからでございます。」

世尊告曰：「跋陀和利！汝於爾時不知眾多比丘、比丘尼於舍衛國而受夏坐，彼知我、見我，有比丘名跋陀和利，世尊弟子，不學具戒及世尊境界諸微妙法。跋陀和利！汝於爾時不知如此耶？跋陀和利！汝於爾時不知眾多優婆塞、優婆夷居舍衛國，彼知我、見我，有比丘名跋陀和利，世尊弟子，不學具戒及世尊境界諸微妙法。跋陀和利！汝於爾時不知如此耶？跋陀和利！汝於爾時不知眾多異學沙門、梵志於舍衛國而受夏坐，彼知我、見我，有比丘名跋陀和利，沙門瞿曇弟子，名德，不學具戒及世尊境界諸微妙法。跋陀和利！汝於爾時不知如此耶？跋陀和利！若有比丘俱解脫者，我語彼曰：『汝來入泥。』跋陀和利！於意云何？我教彼比丘，彼比丘寧當可住而移避耶？」

> 世尊はおっしゃいました。「跋陀和利よ、その時、あなたは知らなかったのですか。多くの比丘や比丘尼が舎衛国で夏の安居（雨期の修行）をしていました。彼らは私を知り、私を見ていました。そこに、世尊の弟子でありながら、完全な戒律や世尊の境地にある微細な教えを学んでいない、跋陀和利という名の比丘がいることを。跋陀和利よ、その時、あなたはこれを知らなかったのですか。 跋陀和利よ、その時、あなたは知らなかったのですか。多くの優婆塞（在家の男性信者）や優婆夷（在家の女性信者）が舎衛国に住んでいました。彼らは私を知り、私を見ていました。そこに、世尊の弟子でありながら、完全な戒律や世尊の境地にある微細な教えを学んでいない、跋陀和利という名の比丘がいることを。跋陀和利よ、その時、あなたはこれを知らなかったのですか。 跋陀和利よ、その時、あなたは知らなかったのですか。多くの異なる学問を持つ沙門（修行者）や梵志（バラモン）が舎衛国で夏の安居をしていました。彼らは私を知り、私を見ていました。そこに、沙門瞿曇（ゴータマ）の弟子で、名高い跋陀和利という比丘でありながら、完全な戒律や世尊の境地にある微細な教えを学んでいない者がいることを。跋陀和利よ、その時、あなたはこれを知らなかったのですか。 跋陀和利よ、もしも俱解脱（心と智慧の両方が解脱した）の比丘がいたなら、私は彼に言うでしょう。『さあ、泥（修行の道）に入りなさい。』跋陀和利よ、どう思いますか。私がその比丘に教えを説いた時、その比丘は立ち止まり、避けて逃げることができるでしょうか。」

尊者跋陀和利答曰：「不也。」

> 尊者バドダリは答えた。「いいえ、そうではありません。」

世尊告曰：「跋陀和利！若有比丘，設非俱解脫有慧解脫，設非慧解脫有身證者，設非身證有見到者，設非見到有信解脫，設非信解脫有法行者，設非法行有信行者，我語彼曰：『汝來入泥。』跋陀和利！於意云何？我教彼比丘，彼比丘寧當可住而移避耶？」

> 世尊がおっしゃいました。「跋陀和利よ、もし比丘がいて、俱解脱でなければ慧解脱があり、慧解脱でなければ身證があり、身證でなければ見到があり、見到でなければ信解脱があり、信解脱でなければ法行があり、法行でなければ信行がある場合、私はその者に言う。『さあ、泥の中に入りなさい。』と。跋陀和利よ、あなたはどう思うか。私がその比丘を教えたとき、その比丘は、とどまって避けることができるだろうか。」

尊者跋陀和利答曰：「不也。」

> 尊者バドダリは答えた。「いいえ、そうではありません。」

世尊告曰：「跋陀和利！於意云何？汝於爾時得信行、法行、信解脫、見到、身證、慧解脫、俱解脫耶？」

> 世尊がおっしゃいました。「跋陀和利よ、あなたはどう思うか。その時、あなたは信を行じる者、法を行じる者、信によって解脱した者、見に至った者、身によって証した者、智慧によって解脱した者、あるいはその両方によって解脱した者であったか。」

尊者跋陀和利答曰：「不也。」

> 尊者バドダリは答えた。「いいえ、そうではありません。」

世尊告曰：「跋陀和利！汝於爾時非如空屋耶？」

> 世尊はおっしゃいました。「跋陀和利よ、そのときあなたは、まさに空の家のような状態ではなかったのか？」

於是，尊者跋陀和利為世尊面呵責已，內懷憂慼，低頭默然，失辯無言，如有所伺。

> そこで、尊師バッダリは、世尊から直接お叱りを受け、心に憂いと悲しみを抱き、うつむいて黙り込み、言葉を失い、何かを待つかのような様子でおられた。

於是，世尊面呵責尊者跋陀和利已，復欲令歡喜，而告之曰：「跋陀和利！汝當爾時，於我無信法靖，無愛法靖，無靖法靖。所以者何？我為比丘眾施設一坐食戒，諸比丘眾皆奉學戒及世尊境界諸微妙法，唯汝說不堪任，從坐起去。所以者何？以不學具戒及世尊境界諸微妙法故。」

> そこで、世尊は尊者バッダリを直接叱責された後、再び彼を喜ばせようとして、こう告げられました。「バッダリよ、その時、あなたは私に対して、清らかな教えへの信がなく、清らかな教えへの愛着もなく、清らかな教えへの清らかさもなかったのです。なぜなら、私は比丘たちのために一食戒を定めましたが、比丘たちは皆、戒律を学び、世尊の境地である諸々の微妙な法を奉じていました。ただあなただけが『堪えられない』と言って、座を立ち去ったのです。なぜでしょうか？それは、完全な戒律と世尊の境地である諸々の微妙な法を学ばなかったからです。」

尊者跋陀和利白曰：「實爾。所以者何？世尊為比丘眾施設一坐食戒，諸比丘眾皆奉學戒及世尊境界諸微妙法，唯我說不堪任，從坐起去。所以者何？以不學具戒及世尊境界諸微妙法故。唯願世尊受我過失，我見過已，當自悔過，從今護之，不復更作。」

> バッダリ（跋陀和利）という長老が師に申し上げました。「まさにおっしゃる通りです。なぜなら、師が比丘たちに一食（一回の食事のみを摂る戒律）を定められたとき、皆はその戒律を守り、師の教えられた深遠な法を学びました。ただ私だけが修行に耐えられず、集いから離れてしまいました。それは、戒律を完全に守り、師の教えられた法を十分に学べなかったからです。何卒、師よ、私の過ちをお許しください。過ちを認めましたから、今後は心から改め、再び犯さないようにいたします。」

世尊告曰：「跋陀和利！如是，汝實如愚如癡，如不了、如不善。所以者何？我為比丘眾施設一坐食戒，諸比丘眾皆奉學戒及世尊境界諸微妙法，唯汝說不堪任，從坐起去。所以者何？以汝不學具戒及世尊境界諸微妙法故。跋陀和利！若汝有過，見已自悔，從今護之，不更作者。跋陀和利！如是則於聖法、律中益而不損。若汝有過，見已自悔，從今護之，不更作者，跋陀和利！於意云何？若有比丘不學具戒者，彼住無事處山林樹下，或居高巖寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順燕坐，彼住遠離處，修行精勤，得增上心，現法樂居，彼住遠離處，修行精勤，安隱快樂，以誣謗世尊戒，及誣謗天諸智梵行者，亦誣謗自戒。彼誣謗世尊戒，及誣謗天諸智梵行者，亦誣謗自戒已，便不生歡悅，不生歡悅已，便不生喜，不生喜已，便不止身，不止身已，便不覺樂，不覺樂已，便心不定。跋陀和利！賢聖弟子心不定已，便不見如實、知如真。

> 世尊は仰せられた。「跋陀和利よ、まことにあなたは愚かであり、無知であり、理解がなく、善くない者である。なぜなら、私は比丘たちのために一座食の戒を設けたが、比丘たちは皆、この戒を学び、世尊の境地である諸々の微妙な法を奉じている。しかしあなただけは『堪えられない』と言って、座から立ち去ったからである。なぜか。あなたが具足の戒と世尊の境地である諸々の微妙な法を学ばなかったからである。跋陀和利よ、もしあなたに過ちがあり、それを見て自ら懺悔し、今後はそれを守り、再び犯さないならば、跋陀和利よ、これにより聖なる法と律において益を得て、損を被ることはない。もしあなたに過ちがあり、それを見て自ら懺悔し、今後はそれを守り再び犯さないならば、跋陀和利よ、あなたの考えはどうか。もし比丘が具足の戒を学ばないならば、その者は閑寂な場所、山林の樹下、あるいは高い岩の上で、静かで音もなく、遠く離れ、悪もなく、人もいない所に住み、静かに坐する。彼は遠離の所に住み、精進を修行し、増上心を得て、現法に楽に住する。彼は遠離の所に住み、精進を修行し、安穏で楽しく過ごすが、世尊の戒を誹謗し、また天や智慧ある梵行者を誹謗し、さらに自らの戒も誹謗する。世尊の戒を誹謗し、また天や智慧ある梵行者を誹謗し、自らの戒をも誹謗したならば、彼は喜びを生じず、喜びを生じなければ喜楽も生じず、喜楽を生じなければ身体は静まらず、身体が静まらなければ楽を覚えず、楽を覚えなければ心は定まらない。跋陀和利よ、賢聖の弟子が心定まらなければ、如実に見ることができず、如真に知ることもできない。」

「跋陀和利！於意云何？若有比丘學具戒者，彼住無事處山林樹下，或居高巖寂無音聲，遠離，無惡，無有人民，隨順燕坐。彼住遠離處，修行精勤，得增上心，現法樂居。彼住遠離處，修行精勤，安隱快樂已，不誣謗世尊戒，不誣謗天、諸智梵行者，亦不誣謗自戒。彼不誣謗世尊戒，不誣謗天、諸智梵行者，亦不誣謗自戒已，便生歡悅，生歡悅已，便生喜，生喜已，便止身，止身已，便覺樂，覺樂已，便心定。

> 跋陀和利よ、あなたはどう思うか。もし比丘が戒を完全に具えているならば、その者は人里離れた場所、山林の木陰、あるいは高い岩場で、静けさに包まれ、俗世の音もなく、遠く離れ、悪もなく、人のいないところに住み、静かに坐禅をする。その遠離の場所に住み、修行に精進し、増上の心を得て、現世の安楽に住む。その遠離の場所に住み、修行に精進し、安穏で楽しい境地に至ったならば、世尊の戒を謗らず、天や智慧ある梵行者の戒も謗らず、自らの戒も謗らない。世尊の戒を謗らず、天や智慧ある梵行者の戒も謗らず、自らの戒も謗らなければ、そこに歓喜が生じ、歓喜が生じれば喜悦が生じ、喜悦が生じれば身体が静まり、身体が静まれば安楽を覚え、安楽を覚えれば心が定まる。

「跋陀和利！賢聖弟子心定已，便見如實、知如真，見如實、知如真已，便離欲、離惡不善之法，有覺、有觀，離生喜、樂，得初禪成就遊。跋陀和利！是謂彼於爾時得第一增上心，即於現法得安樂居，易不難得，樂住無怖，安隱快樂，令昇涅槃。彼覺、觀已息，內靖、一心，無覺、無觀，定生喜、樂，得第二禪成就遊。跋陀和利！是謂彼於爾時得第二增上心，即於現法得安樂居，易不難得，樂住無怖，安隱快樂，令昇涅槃。彼離於喜欲，捨無求遊，正念正智而身覺樂，謂聖所說聖所捨、念、樂住室，得第三禪成就遊。跋陀和利！是謂彼於爾時得第三增上心，即於現法得安樂居，易不難得，樂住無怖，安隱快樂，令昇涅槃。彼樂滅、苦滅，喜、憂本已滅，不苦不樂、捨、念、清淨，得第四禪成就遊。跋陀和利！是謂彼於爾時得第四增上心，即於現法得安樂居，易不難得，樂住無怖，安隱快樂，令昇涅槃。

> バッダーリよ、聖なる弟子は心が落ち着くと、物事をあるがままに見て、あるがままに知る。すると欲を離れ、悪しき不善の法を離れる。そして、気づきと観察を伴い、離欲から生じる喜びと安らぎを得て、初禅を成就して安住する。バッダーリよ、これをその時、第一の向上した心を得たといい、現世において安楽に住み、容易で難しくなく、楽しんで住み、恐れなく、安らかで幸せであり、涅槃へと導くのである。 彼は気づきと観察が静まり、内に静まり、心が一つになり、気づきも観察もなく、禅定から生じる喜びと安らぎを得て、第二禅を成就して安住する。バッダーリよ、これをその時、第二の向上した心を得たといい、現世において安楽に住み、容易で難しくなく、楽しんで住み、恐れなく、安らかで幸せであり、涅槃へと導くのである。 彼は喜びへの欲を離れ、捨てて求めずに安住し、正しい気づきと正しい智慧を持ち、身体に安らぎを感じる。これを聖者が説く「聖者の捨て、気づき、安楽の住まい」という第三禅を成就して安住する。バッダーリよ、これをその時、第三の向上した心を得たといい、現世において安楽に住み、容易で難しくなく、楽しんで住み、恐れなく、安らかで幸せであり、涅槃へと導くのである。 彼は楽が滅し、苦が滅し、喜びと憂いがすでに滅し、苦でも楽でもなく、捨て、気づき、清らかさの第四禅を成就して安住する。バッダーリよ、これをその時、第四の向上した心を得たといい、現世において安楽に住み、容易で難しくなく、楽しんで住み、恐れなく、安らかで幸せであり、涅槃へと導くのである。

「彼如是得定心清淨，無穢無煩，柔軟善住，得不動心，覺憶宿命智通作證，彼有行有相貌，憶本無量昔所經歷，謂一生、二生、百生、千生，成劫、敗劫、無量成敗劫。彼眾生名某，彼昔更歷，我曾生彼，如是姓、如是字、如是生、如是飲食、如是受苦樂、如是長壽、如是久住、如是壽訖，此死生彼，彼死生此，我生在此，如是姓、如是字、如是生、如是飲食、如是受苦樂、如是長壽、如是久住、如是壽訖。跋陀和利！是謂彼於爾時得此第一明達，以本無放逸，樂住遠離，修行精勤，謂無智滅而智生，闇壞而明成，無明滅而明生，謂憶宿命智作證明達。

> 彼はこのように心が定まり、清らかで、汚れもなく悩みもなく、柔らかく安らかに留まり、動かない心を得て、過去世の記憶の智慧による悟りを現します。彼にはその行いと様相があり、無数の過去の経験を思い起こします。すなわち、一生、二生、百生、千生、世界の形成される時代、崩壊する時代、無数の形成と崩壊の時代です。 「かの衆生は、名は某、かつて私はそこに生まれた。そのような姓、そのような名、そのような生まれ、そのような飲食、そのような苦楽を受け、そのような長寿、そのような久しく住み、そのような寿命の終わりがあった。ここで死して彼処に生まれ、彼処で死して此処に生まれた。私は今ここに生まれ、そのような姓、そのような名、そのような生まれ、そのような飲食、そのような苦楽を受け、そのような長寿、そのような久しく住み、そのような寿命の終わりがある。」 跋陀和利よ、これが彼がその時に得た第一の明達である。もともと放逸ではなく、遠離に安住することを楽しみ、修行に精励したことによる。すなわち、無知が滅して智慧が生じ、闇が破られて明が成り、無明が滅して明が生じる。これを過去世の記憶の智慧による悟りの明達という。

「彼如是得定心清淨，無穢無煩，柔軟善住，得不動心，學於生死智通作證。彼以清淨天眼出過於人，見此眾生死時生時，好色惡色，妙與不妙，往來善處及不善處，隨此眾生之所作業，見其如真。若此眾生成就身惡行，口、意惡行，誹謗聖人，邪見成就邪見業，彼因緣此，身壞命終，必至惡處，生地獄中。若此眾生成就身妙行，口、意妙行，不誹謗聖人，正見成就正見業，彼因緣此，身壞命終，必昇善處，上生天中。跋陀和利！是謂彼於爾時得第二明達，以本無放逸，樂住遠離，修行精勤，無智滅而智生，闇壞而明成，無明滅而明生，謂生死智作證明達。

> 彼はこのようにして心を安定させ、清らかにし、汚れや煩悩がなく、柔軟でよく安住し、動かない心を得て、生死の智慧による完全な理解を実現するための修行をします。彼は清らかな天眼によって人間を超えた見方を得て、これらの衆生が死ぬ時や生まれる時、美しい姿や醜い姿、良い状態と悪い状態、善い境遇や不善な境遇に往き来する様子を、その衆生が行った行いに従って、ありのままに見ます。もしこの衆生が身体による悪行、言葉による悪行、心による悪行を成し遂げ、聖人を誹謗し、邪見を成就して邪見の業を持つならば、その因縁によって、身体が壊れ命が終わるとき、必ず悪い境遇に至り、地獄に生まれます。もしこの衆生が身体による善行、言葉による善行、心による善行を成し遂げ、聖人を誹謗せず、正見を成就して正見の業を持つならば、その因縁によって、身体が壊れ命が終わるとき、必ず善い境遇に昇り、天界に生まれます。跋陀和利よ、これが彼がその時に得た第二の明らかな智慧です。もともと放逸することなく、遠離に楽住し、修行に励み勤めることによって、無知が滅び智慧が生まれ、闇が破れ明かりが成就し、無明が滅び明かりが生まれました。これを生死の智慧が完全な理解を証明する明らかな智慧といいます。

「彼如是得定心清淨，無穢無煩，柔軟善住，得不動心，學漏盡智通作證。彼知此苦如真，知此苦習、知此苦滅、知此苦滅道如真，知此漏如真，知此漏習、知此漏滅、知此漏滅道如真。彼如是知、如是見，欲漏心解脫，有漏、無明漏心解脫，解脫已便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。跋陀和利！是謂彼於爾時得第三明達，以本無放逸，樂住遠離，修行精勤，無智滅而智生，暗壞而明成，無明滅而明生，謂漏盡智作證明達。」

> 彼のようにして心が定まり、清らかで穢れがなく、煩わしさもなく、柔らかく善く安住し、動かない心を得て、煩悩の尽きる智慧による神通を学び、その証を得る。彼はこの苦しみをあるがままに知り、この苦しみの原因をあるがままに知り、この苦しみの滅尽をあるがままに知り、この苦しみの滅尽に至る道をあるがままに知る。また、この煩悩をあるがままに知り、この煩悩の原因をあるがままに知り、この煩悩の滅尽をあるがままに知り、この煩悩の滅尽に至る道をあるがままに知る。彼はこのように知り、このように見て、欲望の煩悩から心が解脱し、存在の煩悩や無明の煩悩から心が解脱する。解脱したならば、「解脱した」と知る。すなわち、「生は尽きた。清らかな行いは完成された。なすべきことはなされた。もはや再び迷いの生存を受けることはない」と、あるがままに知るのである。 跋陀和利よ、これがその時において彼が得た第三の明達である。もともと放逸ではなく、遠離に安住することを喜び、修行に精進し、無知が滅びて智慧が生じ、闇が壊れて明るさが成就し、無明が滅びて明らかな智慧が生じる。すなわち、煩悩の尽きる智慧による明達の証を得たのである。

於是，尊者跋陀和利即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「世尊！何因何緣，諸比丘等同犯於戒，或有苦治，或不苦治。」

> そこで、尊者の跋陀和利（バッダーリ）は席を立ち、衣を整えて合掌し、仏に向かって申し上げました。 「世尊よ、どのような理由・因縁によって、比丘たちが同じように戒を犯しても、厳しく対処される場合と、そうでない場合があるのでしょうか。」

世尊答曰：「跋陀和利！或有比丘數數犯戒，因數數犯戒故，為諸梵行訶，所見聞從他疑者，彼為諸梵行訶，所見聞從他疑已，便說異異論外餘事，瞋恚憎嫉，發怒廣惡，觸嬈於眾，輕慢於眾，作如是說：『我今當作令眾歡喜而可意，作如是意。』跋陀和利！諸比丘便作是念：『然此賢者數數犯戒，因數數犯戒故，為諸梵行訶，所見聞從他疑者，彼為諸梵行訶，所見聞從他疑已，便說異異論外餘事，瞋恚憎嫉，發怒廣惡，觸嬈於眾，輕慢於眾，作如是說：「我今當作令眾歡喜而可意。」見已作是語：「諸尊！當觀令久住。」』跋陀和利！諸比丘如是觀令久住。

> 世尊がお答えになりました。「跋陀和利よ、ある比丘が何度も戒を破ることがある。何度も戒を破るゆえに、他の修行者たちから叱責され、見聞きしたことや他から疑問に思われたこともある。その者が他の修行者たちから叱責され、見聞きしたことや他から疑問に思われた後に、あれこれと関係のない話をし、怒りや憎しみ、恨みを抱き、ひどく怒り、大いに悪意を示し、僧団を乱し、僧団を軽んじて、『私は今、僧団を喜ばせ、満足させることをしよう』という心を持つ。跋陀和利よ、そこで他の比丘たちはこう思う。『確かにこの尊者は何度も戒を破り、何度も戒を破るゆえに、他の修行者たちから叱責され、見聞きしたことや他から疑問に思われたこともある。その者が他の修行者たちから叱責され、見聞きしたことや他から疑問に思われた後に、あれこれと関係のない話をし、怒りや憎しみ、恨みを抱き、ひどく怒り、大いに悪意を示し、僧団を乱し、僧団を軽んじて、「私は今、僧団を喜ばせ、満足させることをしよう」と言うのを見て、このように語る。「尊い方々よ、よくよく見守って、長く留まらせないようにしましょう。」』跋陀和利よ、比丘たちはこのように見守って、長く留まらせないようにするのです。」

「或有比丘數數犯戒，因數數犯戒故，為諸梵行訶，所見聞從他疑者，彼為諸梵行訶，所見聞從他疑已，不說異異論外餘事，不瞋恚憎嫉，發怒廣惡，不觸嬈眾，不輕慢眾，不如是說：『我今當作令眾歡喜而可意，不作如是意。』跋陀和利！諸比丘便作是念：『然此賢者數數犯戒，因數數犯戒故，為諸梵行訶，所見聞從他疑者，彼為諸梵行訶，所見聞從他疑已，不說異異論外餘事，不瞋恚憎嫉，發怒廣惡，不觸嬈眾，不輕慢眾，不如是說：「我今當作令眾歡喜而可意。」見已而作是語：「諸尊！當觀令早滅。」』跋陀和利！諸比丘如是觀令早滅；輕犯禁戒亦復如是。

> ある修行者が度々戒を破り、その度に仲間の修行者たちから非難を受け、見聞きしたことで疑惑を持たれることがある。その時、彼は仲間の非難や疑惑に対して、話題をそらすような余計な話をせず、怒りや憎しみ、嫉妬も見せず、激しい言葉も使わない。また、仲間を困らせたり軽んじたりせず、「これから皆を喜ばせ、満足させるようなことをしよう」などとは言わない。 このような修行者を見て、他の修行者たちはこう思う。「この方は確かに度々戒を破り、そのために仲間から非難され、様々な疑惑を持たれている。しかし彼は、非難や疑惑に対して話をそらさず、怒りや憎しみも見せず、他人を困らせたり軽んじたりしない。『皆を喜ばせよう』などとも言わない。それを見て、私たちは『早く問題を収めよう』と言うべきだ」と。 バッダリよ、修行者たちはこのように早く問題を収めるべきである。軽微な戒律を犯す場合も、まったく同じように扱うべきなのである。

「跋陀和利！或有比丘有信、有愛、有靖，今此比丘有信、有愛、有靖。『若我等苦治於此賢者，今此賢者有信、有愛、有靖，因此必斷，我等寧可善共將護於此賢者。』諸比丘便善共將護。跋陀和利！譬若如人唯有一眼，彼諸親屬為憐念愍傷，求利及饒益，求安隱快樂，善共將護，莫令此人寒熱、飢渴、有病、有憂有病憂，莫塵、莫烟、莫塵烟。所以者何？復恐此人失去一眼，是故親屬善將護之。跋陀和利！如是比丘少信、少愛、少有靖，諸比丘等便作是念：『今此比丘少信、少愛、少有靖，若我等苦治於此賢者，今此賢者少信、少愛、少有靖，因此必斷，我等寧可善共將護於此賢者。』是故諸比丘善共將護，猶如親屬護一眼人。」

> 「バッダーリよ。ある比丘がいて、信心があり、愛情があり、清らかさがあるとしよう。今、この比丘には信心があり、愛情があり、清らかさがある。『もし我々がこの尊い方を厳しく指導すれば、今この尊い方には信心、愛情、清らかさがあるため、それによって必ず断ち切られてしまうだろう。それならば、我々はこの尊い方をよく大切に守る方がよい』と。比丘たちはそのようにして彼をよく大切に守る。 バッダーリよ。例えば、片目しかない人がいるとしよう。その人の親族たちは、憐れみ、慈しみ、利益と安らぎを求め、彼が寒さや暑さ、飢えや渇き、病気や憂い、苦しみに遭わないように、また塵や煙にも遭わないようにと、よく大切に守る。なぜなら、この人がもう一方の目までも失うことを恐れるからだ。そのため、親族たちは彼をよく守るのだ。 バッダーリよ。同様に、信心が少なく、愛情が少なく、清らかさが少ない比丘がいるならば、比丘たちはこう考える。『今、この比丘は信心が少なく、愛情が少なく、清らかさが少ない。もし我々がこの尊い方を厳しく指導すれば、今この尊い方には信心、愛情、清らかさが少ないため、それによって必ず断ち切られてしまうだろう。それならば、我々はこの尊い方をよく大切に守る方がよい』と。そのため、比丘たちは彼をよく大切に守る。それは、あたかも親族が片目だけの人のように守るのと同じである。」

於是，尊者跋陀和利即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「世尊！何因何緣，昔日少施設戒，多有比丘遵奉持者？何因何緣，世尊今日多施設戒，少有比丘遵奉持者？」

> そこで、尊師バッダリは席を立ち、衣を肩にかけ、合掌して仏に向かい、こう申し上げた。「世尊よ。どのような因縁で、昔は戒律が少なく定められていたにもかかわらず、多くの比丘がそれを守り遵奉したのでしょうか？ また、どのような因縁で、世尊が今日多くの戒律を定められたのに、それを守り遵奉する比丘が少ないのでしょうか？」

世尊答曰：「跋陀和利！若比丘眾不得利者，眾便無憙好法，若眾得利者，眾便生憙好法。生喜好法已，世尊欲斷此憙好法故，便為弟子施設於戒。如是稱譽廣大，上尊王所識知，大有福、多學問。跋陀和利！若眾不多聞者，眾便不生憙好法，若眾多聞者，眾便生憙好法。眾生憙好法已，世尊欲斷此憙好法故，便為弟子施設戒。跋陀和利！不以斷現世漏故，為弟子施設戒，我以斷後世漏故，為弟子施設戒。跋陀和利！是故我為弟子斷漏故施設戒，至受我教。跋陀和利！我於昔時為諸比丘說清淨馬喻法，此中何所因，汝憶不耶？」

> 世尊が答えられた。「跋陀和利よ。比丘たちの僧伽に利得がなければ、僧伽には喜びや善い法は生じない。しかし、僧伽に利得があれば、僧伽には喜びや善い法が生じる。その喜びや善い法が生じたならば、世尊はその喜びや善い法を断つために、弟子たちのために戒を定めるのである。このように戒は称賛され、広く知られ、尊い王にも認められ、大きな福徳をもたらし、多くの学問を伴うものである。 跋陀和利よ。もし僧伽に多聞の者がいなければ、僧伽には喜びや善い法は生じない。しかし、僧伽に多聞の者がいれば、僧伽には喜びや善い法が生じる。その喜びや善い法が生じたならば、世尊はその喜びや善い法を断つために、弟子たちのために戒を定めるのである。 跋陀和利よ。世尊は現世の煩悩を断つためだけに、弟子たちのために戒を定めるのではない。私は未来世の煩悩を断つために、弟子たちのために戒を定めるのである。 跋陀和利よ。それゆえ私は、弟子たちが煩悩を断つために戒を定め、私の教えを受け入れるように導くのである。跋陀和利よ。私はかつて比丘たちに『清浄な馬のたとえ』を説いたことがある。その中で、どのような教えがあったか、あなたは覚えているだろうか？」

尊者跋陀和利白曰：「世尊！此中有所因。所以者何？世尊為諸比丘施設一坐食戒，諸比丘眾皆奉學戒及世尊境界諸微妙法，唯我說不堪任，從坐起去，以不學具戒及世尊境界諸微妙法故。世尊！是謂此中有所因。」

> 尊者パッドバリがお告げしました。「世尊よ、これには理由がございます。なぜなら、世尊が比丘たちに『一度の食事の戒め』を定められたところ、多くの比丘たちは皆、その戒めを守り、世尊の領域にある妙法を学びました。しかし、私だけは『堪えられない』と言い、座を立って去ってしまいました。戒めを完全に守らず、世尊の領域にある妙法を学ばなかったからです。世尊よ、これがその理由でございます。」

世尊復告曰：「跋陀和利！此中不但因是，跋陀和利！若我為諸比丘當說清淨馬喻法者，汝必不一心，不善恭敬，不思念聽。跋陀和利！是謂此中更有因也。」

> 世尊はさらにこう語られた。「跋陀和利よ、これだけが理由ではないのだ。跋陀和利よ、もし私が修行者たちに『清らかな馬のたとえ』の教えを説いたなら、あなたはきっと心を一つにせず、よく敬いの心を持たず、聴こうと思い巡らさないだろう。跋陀和利よ、これこそが、ここにさらに別の理由があるということなのだ。」

於是，尊者跋陀和利即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「世尊！今正是時。善逝！今正是時。若世尊為諸比丘說清淨馬喻法者，諸比丘從世尊聞已，當善受持。」

> そこで、尊師バッダーリは席を立ち、衣を片方の肩にかけて合掌し、仏に向かって申し上げた。「世尊よ、今こそその時です。善逝よ、今こそその時です。もし世尊が僧侶たちに清らかな馬のたとえの教えをお説きになれば、僧侶たちは世尊から聞いて、よく理解し、心に留めるでしょう。」

世尊告曰：「跋陀和利！猶如知御馬者得清淨良馬，彼知御者先治其口，治其口已，則有不樂於動轉，或欲或不欲。所以者何？以未曾治故。跋陀和利！若清淨良馬從御者治，第一治得成就，彼御馬者，然復更治勒口絆脚、絆脚勒口而令驅行，用令上閾，堪任王乘無上行，無上息治諸支節，悉御令成，則有不樂於動轉，或欲或不欲。所以者何？以數數治故。跋陀和利！若清淨良馬，彼御馬者數數治時得成就者，彼於爾時調、善調，得無上調、得第一無上調，無上行、得第一行，便中王乘，食於王粟，稱說王馬。

「跋陀和利！如是。若時賢良智人成就十無學法，無學正見，乃至無學正智者，彼於爾時調、善調，得無上調、得第一無上調，無上止、得第一止，除一切曲，除一切穢，除一切怖，除一切癡，除一切諂，止一切塵，淨一切垢而無所著，可敬可重，可奉可祠，一切天人良福田也。」

> 「バッダーリよ、その通りです。 もし時に、優れた賢人が、十の無学の法——無学の正見から無学の正智に至るまで——を成就したならば、その人はその時、調えられ、よく調えられ、最上の調えを得、第一の最上の調えを得ます。また、最上の止まりを得、第一の止まりを得ます。さらに、すべての曲がりを除き、すべての汚れを除き、すべての恐れを除き、すべての愚かさを除き、すべてのお世辞を除き、すべての塵を止め、すべての穢れを清めて、何ものにも執着しません。 そのような人は、敬うに値し、重んじるに値し、捧げるに値し、供養するに値し、天と人の最高の福田となるのです。」

佛說如是。尊者跋陀和利及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏はこのようにお説きになりました。尊者バッダーリと比丘たちは、仏の教えを聞いて、歓喜し、その教えのままに実践しました。

跋陀和利經第三竟四千三百七字

> 跋陀和利経　第三　おわり<note>四千三百七字</note>