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title: "中阿含經 · 198 調御地經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （一九八）中阿含大品調御地經第七第五後誦

> 中阿含経 大品 調御地経 第7（第五後誦）

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊王舍城，在竹林迦蘭陀園。

爾時，沙彌阿夷那和提亦遊王舍城，在無事處，住禪屋中。彼時王童子耆婆先那中後仿佯，至沙彌阿夷那和提所，共相問訊，却坐一面，語曰：「賢者阿奇舍那！欲有所問，聽我問耶？」

> その時、沙弥のアイナハティもまた王舎城に滞在していました。彼は人里離れた場所にある瞑想用の小屋で過ごしていました。ある日の午後、ジーヴァカ王子が散歩の途中で沙弥アイナハティのもとを訪れ、互いに挨拶を交わした後、片隅に腰を下ろして言いました。「友よ、アキシェーナよ。お尋ねしたいことがあります。質問してもよろしいでしょうか？」

沙彌阿夷那和提告曰：「賢王童子！欲問便問，我聞當思。」

王童子問曰：「阿奇舍那！實比丘此法、律中不放逸，行精勤，得一心耶？」

> アキシンナ王が尋ねた。「王童子が申しました。『アキシェンナよ、実にこの法（教え）と律において、比丘が怠ることなく、熱心に修行すれば、心の統一を得ることができるのでしょうか？』」

沙彌答曰：「賢王童子！實比丘此法、律中不放逸，行精勤，得一心。」

> 沙弥が答えました。「賢明なる王様、実際に比丘は、この教えと戒律の中で、怠ることなく、精進に励み、心を一つに得るのです。」

王童子復問曰：「賢者阿奇舍那！汝當隨所聞，汝隨所誦習者，盡向我說，如比丘此法、律中不放逸，行精勤，得一心。」

> 王童子が再び尋ねた。「賢者アーギッサナよ。あなたが聞いたまま、学び暗誦したままを、私にすべて話してください。比丘がこの法と律において、放逸（油断）せず、勤勉に行じ、心を一つにするにはどうすればよいのか。」

沙彌答曰：「賢王童子！我不堪任隨所聞法，隨所誦習，廣向汝說，如比丘此法、律中不放逸，行精勤，得一心也。賢王童子！若我隨所聞法，隨所誦習，向賢王童子說，如比丘此法、律中不放逸，行精勤，得一心者，或賢王童子不知也，如是我唐煩勞。」

> 沙弥が答えて言いました。「賢明なる王子よ、私は聞いた通りの法、学んだ通りの教えを、あなたに広く説くことはできません。それは、比丘がこの法と律において放逸ならず、精進に励み、心を一つに得るようなものだからです。賢明なる王子よ、もし私が聞いた通りの法、学んだ通りの教えをあなたに説いたとしても、あなたはそれを理解できないかもしれません。そうなれば、私は無駄に疲れ果てるだけでしょう。」

王童子語沙彌曰：「賢者阿奇舍那！汝未為他所伏，以何意故而自退耶？賢者阿奇舍那！如隨所聞法，隨所誦習，可向我說，如比丘此法、律中不放逸，行精勤，得一心。若我知者為善，若我不知者，我便不復更問諸法。」

> 王童子が沙彌に言いました。「賢者アキッサナよ、あなたはまだ他人に打ち負かされたわけではないのに、どうして自ら退こうとするのですか。賢者アキッサナよ、あなたが聞いたまま、学んだままの法を、私に説いてください。例えば、比丘がこの法と律の中で、怠ることなく、熱心に修行し、心を一つにするように。もし私が理解できれば幸いですし、もし理解できなくても、これ以上、諸法について質問することはやめましょう。」

於是，沙彌阿夷那和提隨所聞法，隨所誦習，向王童子耆婆先那說，如比丘此法、律中不放逸，行精勤，得一心。

> そこで、沙弥アジナワディは、聞いた法と学んだ教えに従って、王の子であるジーヴァカセーナに次のように語った。「比丘たちが、この法と律の中で、怠ることなく、勤め励み、心を一つにするならば」と。

於是，王童子耆婆先那語曰：「賢者阿奇舍那！若比丘此法、律中不放逸，行精勤，得一心者，終無是處。」說無是處已，即從坐起，不辭而去。

> そこで、王子のジーヴァカは言った。「尊きアキンチャナよ、もし修行者がこの法と戒律において careful（不放逸）に励み、精進して心をひとつにすることができるなら、それは絶対に不可能だ。」そう言い終えると、彼は立ち上がり、挨拶もせずに去って行った。

王童子耆婆先那去後不久。於是，沙彌阿夷那和提往詣佛所，稽首作禮，却坐一面，與王童子耆婆先那所共論者，盡向佛說。

世尊聞已，告沙彌曰：「阿奇舍那！止！王童子耆婆先那云何得？行欲著欲，為欲愛所食，為欲所燒。若地斷欲、斷欲愛、斷欲燒熱，無欲知、無欲見、無欲覺，此地王童子知者、見者，終無是處。所以者何？阿奇舍那！王童子耆婆先那常行欲也。

> 世尊はこれを聞いて沙弥に告げた。 「アキシェナよ、やめなさい。王の子ジーヴァカ・セーナがどのようにして知り得るというのか？彼は欲に従い、欲に執着し、欲の愛に食われ、欲に焼かれている。もしも地において欲を断ち、欲の愛を断ち、欲の燃える熱さを断ち、欲なく知り、欲なく見、欲なく覚えるならば、その地を王の子が知り、見ることがあるということは、決してありえない。なぜか？アキシェナよ、王の子ジーヴァカ・セーナは常に欲の中を歩んでいるからである。」

「阿奇舍那！猶四調御，象調御、馬調御、牛調御、人調御，於中二調御不可調御，二調御可調御。阿奇舍那！於意云何？若此二調御不可調御，此未調、未調地、未調御受御事者，終無是處。若此二調御可調御，善調御，此調、未調地，御受御事者，必有是處。如是，此阿奇舍那！止！王童子耆婆先那云何得？行欲著欲，為欲愛所食，為欲所燒，若地斷欲、斷欲愛、斷欲煩熱，無欲知、無欲見、無欲覺，此地王童子知者、見者，終無是處。所以者何？阿奇舍那！王童子耆婆先那常行欲也。

> 「アキシェーナよ、例えるなら四つの調御（調教）――象調御、馬調御、牛調御、人調御――がある。そのうち二つは調御することができず、二つは調御することができる。アキシェーナよ、どう思うか。もしこの二つの調御できないものが、調御されず、調御されていない状態のままで、調御されるべき務めを果たすことができるとしたら、そのようなことは決してありえない。もしこの二つの調御できるものが、よく調御されたなら、調御されていない状態から調御されるべき務めを果たすことができる、これは必ずありえることだ。 同じように、アキシェーナよ、やめなさい。童子（王子）ジーヴァカセーナがどうして（それを）知り得ようか？彼は欲望にふけり、欲望に執着し、欲望の愛に食われ、欲望に焼かれている。もし欲望を断ち、欲望の愛を断ち、欲望の熱悩を断ち、欲望のない知、欲望のない見、欲望のない覚りを得る境地があるなら、その境地を王の童子が知り、見ることができるということは、決してありえない。なぜなら、アキシェーナよ、王の童子ジーヴァカセーナは常に欲望を行じているからである。」

「阿奇舍那！猶去村不遠，有大石山，無缺無穿，實而不虛，堅固不動，都合為一。或有二人正欲見者，彼中一人速疾上山，第二人者依住山下。石山上人見石山邊有好平地、園觀、林木、清泉、華池、長流、河水，山上人見已，語山下人：『汝見山邊有好平地、園觀、林木、清泉、華池、長流、河水耶？』山下人答曰：『若我見山，彼邊有好平地、園觀、林木、清泉、華池、長流、河水者，終無是處。』於是，石山上人疾疾來下，捉山下人速疾將上，於石山上，到已問曰：『汝見山邊有好平地、園觀、林木、清泉、華池、長流、河水耶？』彼人答曰：『今始見也。』復問彼人曰：『汝本言見者，終無是處。今復言見，為何謂耶？』彼人答曰：『我本為山之所障礙，故不見耳。』如是，阿奇舍那！止！王童子耆婆先那云何得？行欲著欲，為欲愛所食，為欲所燒，若地斷欲、斷欲愛、斷欲煩熱，無欲知、無欲見、無欲覺，此地王童子知者、見者，終無是處。

> 阿奇舍那よ。村から遠くないところに、大きな岩山がある。そこには欠けも穴もなく、実質が詰まっていて虚ろではなく、堅固で動かず、まったく一つにまとまっている。そこに二人の人がいて、ちょうど山を見ようとしている。一人は素早く山の上に登り、もう一人は山の下に立ったままである。山の上の人は、山のふもとに素晴らしい平地、庭園、林、清らかな泉、花の池、長く流れる川があるのを見る。それを見て、山の下の人に言う。「あなたは、山のふもとに素晴らしい平地、庭園、林、清らかな泉、花の池、長く流れる川があるのを見ますか？」山の下の人は答える。「もし私が山を見て、その向こうに素晴らしい平地、庭園、林、清らかな泉、花の池、長く流れる川があるなどということは、決してありえません。」そこで、山の上の人は急いで山を下り、山の下の人を捕まえて素早く山の上に連れて行く。山の上に着いてから尋ねる。「あなたは、山のふもとに素晴らしい平地、庭園、林、清らかな泉、花の池、長く流れる川があるのを見ますか？」その人は答える「今、初めて見ました。」さらにその人に尋ねる。「あなたは先に『見ることは決してない』と言った。今は『見た』と言う。それはどういうことか？」その人は答える。「私は以前は山に遮られていたので、見えなかったのです。」このように、阿奇舍那よ。やめなさい。王の子である耆婆先那が、どのようにして理解できるだろうか？彼は欲を追い求め、欲に執着し、欲の愛に食べ尽くされ、欲に焼かれている。もし地において欲を断ち、欲の愛を断ち、欲の熱苦を断ち、欲を知らず、欲を見ず、欲を感じないならば、その地を王の子が知り、見ることなど、決してありえないのだ。

「阿奇舍那！昔者剎利頂生王有捕象師，王告之曰：『汝捕象師，為我捕取野象將來，得已白我。』時，捕象師受王教已，即乘王象往野林中。彼捕象師在野林中見大野象，見已捉繫，著王象項。彼時王象將野象出在於露地，彼捕象師還詣剎利頂生王所，白曰：『天王！已得野象，繫在露地，隨天王意。』剎利頂生王聞已告曰：『善調象師！汝今可速調此野象，伏令善調象，善調已，還來白我。』於是善調象師受王教已，持極大杖，著右肩上，往野象所，以杖著地，繫野象項，制樂野意，除野欲念，止野疲勞，令樂村邑，習愛人間，善調象師先與飲食。

> 阿奇舍那よ。かつて刹利頂生王という王がいて、捕象師を召し抱えていた。王はその捕象師に告げた。「お前は捕象師よ。私のために野生の象を捕まえて連れて来い。捕まえたなら、私に知らせよ。」そこで捕象師は王の命令を受け、王の象に乗って野林へ向かった。その捕象師は野林の中で大きな野生の象を見つけ、見つけると捕まえて、王の象の首に綱でつないだ。すると王の象はその野生の象を引き連れて、露地へと連れ出した。捕象師は刹利頂生王のもとへ戻り、申し上げた。「大王よ。野生の象を捕まえ、露地につないでおります。どうか大王のお心のままに。」刹利頂生王はそれを聞き、告げた。「善調象師よ。今すぐこの野生の象を調教し、よく訓練された象となしなさい。調教が終わったら、戻って私に知らせよ。」そこで善調象師は王の命令を受け、大きな杖を右肩に担いで野生の象のもとへ行き、杖を地面に据えて野生の象の首をつないだ。そして野に遊ぶ楽しみを制し、野にいる望みを除き、野での疲れをとどめ、村や里を楽しませ、人間界に親しむことを教えた。善調象師はまず、その象に飲食を与えた。

「阿奇舍那！若彼野象從調象師初受飲食，善調象師便作是念：『今此野象必得生活。所以者何？此野大象初受飲食。』若彼野象從調象師初受飲食者，善調象師則以柔軟可愛言向，臥起、去來、取捨、屈申。若彼野象從調象師，則以柔軟可愛言向，臥起、去來、取捨、屈申者，如是野象隨調象師教。阿奇舍那！若彼野象從調象師隨受教者，善調象師則縛前兩脚、後脚、兩䏶、兩脇、尾脊、頭額、耳、牙，及縛其鼻，使人捉鉤，騎其頭上，令眾多人持刀、楯、矟、鉾、戟、斧、鉞而在前立，善調象師手執鋒鉾，在野象前而作是語：『我今治汝，令不移動，治汝勿動搖。』若彼野象從調象師治不移動時，不舉前脚，亦不動後脚，兩䏶、兩脇、尾脊、頭額、耳、牙及鼻皆不動搖，如是野象隨調象師住不移動。

> 「阿奇舎那よ。もしその野生の象が調象師から初めて食べ物を受け取るならば、優れた調象師はこう考える。『今、この野生の象はきっと生きていける。なぜなら、この野生の象が初めて食べ物を受け取ったからだ。』もしその野生の象が調象師から初めて食べ物を受け取るならば、優れた調象師は柔らかくて愛らしい言葉で語りかけ、寝起き・行き来・取捨・屈伸の際にもそうする。もしその野生の象が調象師から柔らかく愛らしい言葉で語りかけられ、寝起き・行き来・取捨・屈伸するならば、そのように野生の象は調象師の教えに従う。 阿奇舎那よ。もしその野生の象が調象師の教えに従い従順になったならば、優れた調象師は前脚・後脚・両もも・両わき腹・尾・背骨・頭・額・耳・牙、そして鼻までも縛り、人に鉤を持たせてその頭の上に乗らせ、多くの人々に刀・盾・やり・ほこ・斧・まさかりを持たせて前に立たせ、優れた調象師は自ら鋭いほこを手に取り、野生の象の前でこう言う。『私は今、お前を調教して動かせなくする。動かぬように調教する。』もしその野生の象が調象師の調教によって動かなくなった時、前脚を上げず、後脚も動かさず、両もも・両わき腹・尾・背骨・頭・額・耳・牙・鼻もすべて動かさない。そのように野生の象は調象師のもとに留まり、動かなくなる。」

「阿奇舍那！若彼野象隨調象師不移動者，彼於爾時忍刀、楯、矟、鉾、戟、斧、鉞、喚呼高聲，若嘯吹螺、擊鼓、椎鐘，皆能堪忍。若彼野象能堪忍者，彼於爾時調御、善調御，得上調御、得最上調御，上速疾、無上速疾，可中王乘，受食王廩，稱說王象。

> 阿奇舎那よ。もしも野生の象が調象師の指示に従って動かなくなったなら、その時その象は刀、盾、槍、鉾、戟、斧、まさかり、叫び声や大声、笛の音、法螺貝、太鼓の音、鐘の音に耐えられるようになる。もしその野生の象がそれらに耐えられるなら、その時その象はよく調御され、善く調御され、優れた調御を得て、最も優れた調御を得て、最高の速さ、無比の速さを備え、王の乗物として用いるにふさわしく、王の食料を受け、王の象と呼ばれるようになる。

「如是。阿奇舍那！若時如來出世，無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、眾祐。彼於此世，天及魔、梵、沙門、梵志，從人至天，自知自覺，自作證成就遊。彼說法初妙、中妙、竟亦妙，有義有文，具足清淨，顯現梵行。彼所說法，居士子聞，居士子聞已，得信如來所說法。彼得信已，剃除鬚髮，著袈裟衣，至信、捨家、無家、學道。阿奇舍那！爾時聖弟子出在露地，猶王野象，如是野象貪欲樂著者，謂在林中。阿奇舍那！如是天及人貪欲樂著，謂在五欲，色、聲、香、味、觸。如來初始御彼比丘：『汝當護身及命清淨，當護口、意及命清淨。』

> 「その通り、アキシェンナよ。如来が世に現れる時、彼は阿羅漢、正等覚者、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と称される。彼はこの世において、天、魔、梵天、沙門、バラモン、そして人々から天に至るまで、自ら知り、自ら悟り、自ら証を得て、その境地に遊ぶ。彼の説く教えは、初めも素晴らしく、中も素晴らしく、終わりも素晴らしく、意味があり、言葉は整い、完全に清らかで、梵行を明らかに示す。 その教えを在家の者が聞き、聞いた後、如来の説法に対する信を得る。その信を得たならば、髪とひげを剃り、袈裟を着け、信仰によって家を出で、家なき者の修行生活に入る。 アキシェンナよ、その時、聖なる弟子は露の下に出る。ちょうど林の中にいる野生の象が、欲望に執着し喜びにふけるように。アキシェンナよ、天や人もまた、五つの欲望――色、声、香、味、触――に執着し喜びにふける。 如来は最初にその比丘をこう教え導く。『あなたは身体を護り、命を清らかに保ちなさい。また、口と意と命を清らかに守りなさい。』」

「若聖弟子護身及命清淨，護口、意及命清淨者，如來復調御比丘：『汝當觀內身如身，乃至觀覺、心、法如法。』若聖弟子觀內身如身，乃至觀覺、心、法如法者，此四念處，謂在賢聖弟子心中，繫縛其心，制樂家意，除家欲念，止家疲勞，令樂正法，修習聖戒。阿奇舍那！猶調象師受剎利頂生王教已，持極大杖，著右肩上，往野象所，以杖著地，繫野象頸，制樂野意，除野欲念，止野疲勞，令樂村邑，習愛人間。如是，阿奇舍那！此四念處，謂在賢聖弟子心中，繫縛其心，制樂家意，除家欲念，止家疲勞，令樂正法，修習聖戒。

> もし聖なる弟子が、身体を守り、命を清らかに保ち、口と心と命を清らかに保つならば、如来はさらに比丘を調御してこう言う。「汝は内なる身体を身体として観じ、さらには感受、心、法を法として観じなさい」と。聖なる弟子が内なる身体を身体として観じ、さらには感受、心、法を法として観じるとき、この四念処は聖なる弟子の心の中で、その心を縛り、在家の楽しみへの想いを制し、在家の欲望の念を取り除き、在家による疲労を止め、正しい法を楽しませ、聖なる戒を修習させるのです。 アキシェンナよ、あたかも象使いが、クシャトリアの頂生王の命令を受け、大きな棒を右肩に担いで野象のところへ行き、棒を地面に置いて野象の首を縛り、野原での楽しみへの想いを制し、野原での欲望の念を取り除き、野原による疲労を止め、村や里を楽しませ、人間の世界に慣れさせるのと同じです。そのように、アキシェンナよ、この四念処は、聖なる弟子の心の中で、その心を縛り、在家の楽しみへの想いを制し、在家の欲望の念を取り除き、在家による疲労を止め、正しい法を楽しませ、聖なる戒を修習させるのです。

「若聖弟子觀內身如身，乃至觀覺、心、法如法。彼如來復更調御比丘：『汝當觀內身如身，莫念欲相應念，乃至觀覺、心、法如法，莫念非法相應念。』若聖弟子觀內身如身，不念欲相應念，乃至觀覺、心、法如法，不念非法相應念者，如是聖弟子隨如來教。阿奇舍那！猶如野象從調象師，則以柔軟可愛言向，臥起、去來、取捨、屈伸者，如是野象隨調象師教。如是，阿奇舍那！若聖弟子觀內身如身，不念欲相應念，乃至觀覺、心、法如法，不念非法相應念，如是聖弟子隨如來教。

> 修行者が自分の身体をあるがままに観察し、さらに感覚・心・現象をあるがままに観察する。すると如来はさらに比丘に教え導く、「あなたは自分の身体をあるがままに観察し、欲望に結びつく思いを起こしてはならない。さらに感覚・心・現象をあるがままに観察し、正しくない思いを起こしてはならない」と。もし修行者が自分の身体をあるがままに観察し、欲望に結びつく思いを起こさず、さらに感覚・心・現象をあるがままに観察し、正しくない思いを起こさないなら、その修行者は如来の教えに従っていることになる。 アキッシェーナよ、ちょうど野生の象が調象師のもとで、優しく親しみのある言葉をかけられ、寝起きや行き来、取捨や屈伸をすれば、その野生の象は調象師の教えに従う。そのように、アキッシェーナよ、もし修行者が自分の身体をあるがままに観察し、欲望に結びつく思いを起こさず、さらに感覚・心・現象をあるがままに観察し、正しくない思いを起こさないなら、その修行者は如来の教えに従っているのである。

「若聖弟子隨如來教者，如來復更調御比丘：『汝當離欲、離惡不善之法，至得第四禪成就遊。』若聖弟子離欲、離惡不善之法，至得第四禪成就遊者，如是聖弟子則隨如來住不移動。阿奇舍那！猶如野象從調象師治不移動時，不舉前脚，亦不動後脚，兩䏶、兩脇、尾脊、頭額、耳、牙及鼻皆不動搖，如是野象隨調象師住不移動。如是，阿奇舍那！若聖弟子離欲、離惡不善之法，至得第四禪成就遊者，如是聖弟子則隨如來住不移動。

> もし如来の教えに従う聖なる弟子がいるなら、如来はさらに比丘を調御してこう言う。「あなたは欲を離れ、悪しき不善の法を離れ、第四禅に至って成就して遊ぶべきである」と。もし聖なる弟子が欲を離れ、悪しき不善の法を離れ、第四禅に至って成就して遊ぶなら、その聖なる弟子は如来に従って動かない境地に安住する。 アキシェーナよ。ちょうど野生の象が調象師に調御されて動かなくなった時、前足を上げず、後ろ足も動かさず、両もも、両わき、尾、背中、頭、額、耳、牙、鼻のすべてが動かないように、その野生の象は調象師に従って動かずに安住する。同様に、アキシェーナよ。もし聖なる弟子が欲を離れ、悪しき不善の法を離れ、第四禅に至って成就して遊ぶなら、その聖なる弟子は如来に従って動かない境地に安住するのである。

「若聖弟子隨如來住不移動者，彼於爾時則能堪忍飢渴、寒熱、蚊虻、蠅蚤、風日所逼，惡聲、捶杖亦能忍之，身遇諸疾極為苦痛，至命欲絕，諸不可樂皆能堪耐。阿奇舍那！猶如野象隨調象師住不移動，彼於爾時忍刀、楯、矟、鉾、戟、斧、鉞、喚呼高聲，若嘯吹螺、擊鼓、椎鐘，皆能堪忍。如是，阿奇舍那！若聖弟子隨如來住不移動者，彼於爾時則能堪忍飢渴、寒熱、蚊虻、蠅蚤、風日所逼，惡聲、捶杖亦能忍之，身遇諸疾極為苦痛，至命欲絕，諸不可樂皆能堪耐。

> もし聖なる弟子が如来に従って動じない境地に安住しているならば、その時は飢えや渇き、寒さや暑さ、蚊やあぶ、はえやのみ、風や日光にさらされることにも耐えられます。また、悪口や暴力にも耐え、体に様々な病気が起こって非常に苦しく、命が絶えようとする時でさえも、すべての不快なことに耐え忍ぶことができるのです。 アキシェーナよ、ちょうど野生の象が調象師に従って動じないように調教されているならば、その時は刀や盾、やり、矛、斧、まさかり、さらには大声の叫び声や口笛、法螺貝、太鼓、鐘の音にも耐えられるのと同じです。 このように、アキシェーナよ、もし聖なる弟子が如来に従って動じない境地に安住しているならば、その時は飢えや渇き、寒さや暑さ、蚊やあぶ、はえやのみ、風や日光にさらされることにも耐えられます。また、悪口や暴力にも耐え、体に様々な病気が起こって非常に苦しく、命が絶えようとする時でさえも、すべての不快なことに耐え忍ぶことができるのです。

「阿奇舍那！若聖弟子隨如來能堪忍者，彼於爾時調御、善調御，得上調御、最上調御，得上息、最上息，除諸曲惡、恐怖、愚癡及諛諂，清淨止塵，無垢無穢，可呼可請，可敬可重，實可供養，為一切天人良福田也。阿奇舍那！猶如野象能堪忍者，彼於爾時調御、善調御，得上調御、得最上調御，上速疾、無上速疾，可中王乘，受食王廩，稱說王象。如是，阿奇舍那！若聖弟子隨如來能堪忍者，彼於爾時調御、善調御，得上調御、最上調御，得上息，最上息，除諸曲惡、恐怖、愚癡及諛諂，清淨止塵，無垢無穢，可呼可請，可敬可重，實可供養，為一切天人良福田也。

> アッキシェーナよ！もし聖なる弟子が如來に従って忍ぶことができるなら、その時、彼は調御され、善く調御され、最上の調御を得、最上の安らぎを得る。全ての曲がりや悪、恐怖、愚かさ、へつらいを取り除き、清らかになり塵を止め、汚れも濁りもなくなり、呼ぶにふさわしく、請うにふさわしく、敬うにふさわしく、重んじるにふさわしく、まことに供養すべき者となり、全ての天人の良き福田となる。 アッキシェーナよ！例えば、野生の象が忍ぶことができるなら、その時、それ（象）は調御され、善く調御され、最上の調御を得、最上の速さを得る。王の乗り物にふさわしく、王の食べ物を受け、王の象と称えられる。それと同じように、アッキシェーナよ！もし聖なる弟子が如來に従って忍ぶことができるなら、その時、彼は調御され、善く調御され、最上の調御を得、最上の安らぎを得る。全ての曲がりや悪、恐怖、愚かさ、へつらいを取り除き、清らかになり塵を止め、汚れも濁りもなくなり、呼ぶにふさわしく、請うにふさわしく、敬うにふさわしく、重んじるにふさわしく、まことに供養すべき者となり、全ての天人の良き福田となるのである。

「阿奇舍那！少野象不調御死者，說不調御死，中、老野象不調御死者，說不調御死。阿奇舍那！少聖弟子不調御命終者，說不調御命終，中、老聖弟子不調御命終者，說不調御命終。阿奇舍那！少野象善調御死者，說善調御死，中、老野象善調死者，說善調御死。阿奇舍那！少聖弟子善調御命終者，說善調御命終，中、老聖弟子善調御命終者，說善調御命終。」

> 阿奇舎那よ。若い野生の象が調御されずに死んだ場合は、「調御されずに死んだ」と言われる。中年の野生の象が調御されずに死んだ場合も、「調御されずに死んだ」と言われる。年老いた野生の象が調御されずに死んだ場合も、「調御されずに死んだ」と言われる。 阿奇舎那よ。若い聖なる弟子が調御されずに命を終えた場合は、「調御されずに命を終えた」と言われる。中年の聖なる弟子が調御されずに命を終えた場合も、「調御されずに命を終えた」と言われる。年老いた聖なる弟子が調御されずに命を終えた場合も、「調御されずに命を終えた」と言われる。 阿奇舎那よ。若い野生の象が良く調御されて死んだ場合は、「良く調御されて死んだ」と言われる。中年の野生の象が良く調御されて死んだ場合も、「良く調御されて死んだ」と言われる。年老いた野生の象が良く調御されて死んだ場合も、「良く調御されて死んだ」と言われる。 阿奇舎那よ。若い聖なる弟子が良く調御されて命を終えた場合は、「良く調御されて命を終えた」と言われる。中年の聖なる弟子が良く調御されて命

佛說如是。沙彌阿夷那和提及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏様はこのようにお説きになりました。沙弥の阿夷那と、その場にいた比丘たちは、仏様の教えを聞いて、喜び、その教えの通りに実践しました。

調御地經第七竟二千八百九十一字

> 調御地経 第七 終わり<note>二千八百九十一字</note>

## 中阿含經卷第五十二八千六百八十二字第五後誦

> 中阿含経 巻第五十二