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title: "中阿含經 · 199 癡慧地經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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## 中阿含經卷第五十三

> 中阿含経 第五十三巻

東晉罽賓三藏瞿曇僧伽提婆譯

> 東晋・罽賓三蔵・瞿曇僧伽提婆 訳

### （一九九）大品癡慧地經第八第五後誦

> （一九九）大品・愚かさと智慧の境地の経　第八<note>第五後誦</note>

我聞如是：

一時，佛遊舍衛國，在勝林給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国に滞在され、勝林給孤独園におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「我今為汝說愚癡法、智慧法，諦聽，諦聽，善思念之。」時，諸比丘受教而聽。

> その時、世尊は比丘たちにおっしゃいました。「これから、あなた方に愚かさの道と智慧（プラジュニャー）の道について説きましょう。よく聞いて、よく心に留め、深く考えてください。」すると、比丘たちはその教えを受け入れ、聞こうとしました。

佛言：「云何愚癡法？愚癡人有三相愚癡標、愚癡像，謂成就愚癡人說愚癡也。云何為三？愚癡人思惡思、說惡說、作惡作，是以愚癡人說愚癡也。若愚癡人不思惡思，不說惡說，不作惡作者，不應愚癡人說愚癡也。以愚癡人思惡思、說惡說、作惡作故，是以愚癡人說愚癡也。彼愚癡人於現法中，身心則受三種憂苦。云何愚癡人身心則受三種憂苦耶？愚癡人者，或有所行，或聚會坐，或在道巷，或在市中，或四衢頭，說愚癡人相應事也。愚癡人者，殺生、不與取、行邪婬、妄言，乃至邪見，及成就餘無量惡不善之法。若成就無量惡不善法者，他人見已，便說其惡。彼愚癡人聞已，便作是念：『若成就無量惡不善之法，他人見已，說其惡者，我亦有是無量惡不善之法，若他知者，亦當說我惡。』是謂愚癡人於現法中，身心則受第一憂苦。

> 仏陀が言われた。「では、愚かな人とはどのような人か。愚かな人には三つの特徴、三つの目印、三つのしるしがある。それらを備えた人を、愚かな人と呼ぶのである。その三つとは何か。愚かな人は、悪いことを思い、悪いことを語り、悪いことを行う。だからこそ、愚かな人と言われるのである。もし愚かな人が、悪いことを思わず、悪いことを語らず、悪いことを行わないならば、その人は愚かとは呼ばれないだろう。しかし、愚かな人は悪いことを思い、悪いことを語り、悪いことを行うからこそ、愚かと呼ばれるのである。 その愚かな人は、現世において、心身に三つの苦しみを受ける。では、その三つの苦しみとは何か。愚かな人は、歩いている時も、集まりに座っている時も、道端でも、市場でも、四つ辻でも、愚かな人に関することについて話をする。愚かな人は、生き物を殺し、与えられていないものを取り、邪な性行為をし、偽りの言葉を語り、さらには誤った見解を持ち、その他数え切れないほど多くの悪しき行いを積む。もしこのような数え切れない悪行を積んでいる人がいれば、他人が見て、その悪を指摘する。愚かな人はそれを聞いて、こう思う。『もしこのように数え切れない悪行を積んでいる人が、他人から悪を指摘されるならば、私もまた同じように数え切れない悪行を積んでいる。もし誰かに知られたら、きっと私のことも悪く言うだろう。』これが、愚かな人が現世において、心身に受ける第一の苦しみである。

「復次，彼愚癡人又見王人收捉罪人，種種苦治，謂截手、截足，并截手足，截耳、截鼻，并截耳鼻，或臠臠割，拔鬚、拔髮，或拔鬚髮，或著檻中衣裹火燒，或以沙壅草纏火𤋲，或內鐵驢腹中，或著鐵猪口中，或置鐵虎口中燒，或安銅釜中，或著鐵釜中煑，或段段截，或利叉刺，或以鈎鈎，或臥鐵床以沸油澆，或坐鐵臼以鐵杵擣，或毒龍蜇，或以鞭鞭，或以杖撾，或以棒打，或活貫標頭，或梟其首。彼愚癡人見已，便作是念：『若成就無量惡不善法者，王知捉已，如是考治，我亦有是無量惡不善之法，若王知者，亦當苦治考我。』如是，是謂愚癡人於現法中，身心則受第二憂苦。

> 次に、その愚かな人は、さらにまた王の従者たちが罪人を捕らえ、様々な酷い刑罰を加えるのを目にします。すなわち、手を切る、足を切る、手足を切る、耳を切る、鼻を切る、耳鼻を切る、肉を切り裂く、髭を抜く、髪を抜く、髭や髪を抜く、檻に入れて衣に包み火で焼く、砂をかぶせ草で巻いて火で焼く、鉄のロバの腹の中に入れる、鉄の豚の口の中に入れる、鉄の虎の口の中に入れて焼く、銅の釜の中に入れる、鉄の釜の中に入れて煮る、体を寸断する、鋭い槍で刺す、鉤で引っかける、鉄の床に寝かせて熱した油をかける、鉄の臼に座らせて鉄の杵で搗く、毒の龍に噛ませる、鞭で打つ、杖で叩く、棒で殴る、生きたまま串刺しにする、首をはねる。その愚かな人はこれを見て、こう思います。「もし数えきれないほどの悪い行いを積んだ者がいれば、王の役人に捕らえられて、このように拷問されるのだ。私にもまた、同じように数えきれないほどの悪い行いがある。もし王に知られれば、同じように酷い拷問を受けるだろう。」 このように、愚かな人は現世において、心と体の両方で二番目の憂いと苦しみを受けるのです。

「復次，彼愚癡人行身惡行，行口、意惡行，彼若時疾病受苦，或坐臥床，或坐臥榻，或坐臥地，身生極苦甚苦，乃至命欲斷。彼所有身惡行，口、意惡行，彼於爾時懸向在上，猶如晡時，日下高山，影懸向在地，如是彼所有身惡行，口、意惡行，彼於爾時懸向在上。彼作是念：『此是我身惡行，口、意惡行，懸向在上。我於本時不作福、多作惡，若有處作惡者，凶暴作無理事，不作福、不作善、不作恐怖，所歸命、所依怙，我至彼惡處。』從是生悔，生悔已，不賢死，不善命終。是謂愚癡人於現法中，身心則受第三憂苦。

> 「また、愚かな者は、身体で悪い行いをし、言葉と心でも悪い行いをする。ある時、その者が病気で苦しみ、床に横たわり、または寝台に横たわり、または地面に横たわって、身体に極めて激しい苦痛を感じ、まさに命が絶えようとするときがある。その時に、その者の身体と言葉と心で行った悪い行いは、あたかも午後の太陽が高い山の陰に落ちて、影が地面に映るように、その者の上に覆いかぶさる。彼はこう思う。『これは私の身体と言葉と心による悪い行いであり、それが今、私に覆いかぶさっている。私はかつて善い行いをせず、多くの悪い行いをした。悪い行いをし、乱暴で道理に反する行いをし、善い行いをせず、善を積まず、恐れることもなく、帰依するものや頼るものもなかった。私は今、その悪い場所に行くのだ。』こうして後悔が生じ、後悔したまま、正しくない死に方をし、悪く命を終える。これが、愚かな者が現世において、心身に受ける三番目の憂いと苦しみである。」

「復次，彼愚癡人行身惡行，行口、意惡行，彼行身惡行，行口、意惡行已，因此緣此，身壞命終，必至惡處，生地獄中。既生彼已，受於苦報，一向不可愛、不可樂、意不可念，若作是說：『一向不可愛、不可樂、意不可念者，是說地獄。所以者何？彼地獄者，一向不可愛、不可樂、意不可念。』」

> 「また、愚かな人は、からだで悪い行いをし、言葉と思いでも悪い行いをします。そのようにからだ、言葉、思いで悪い行いをした結果、その因縁によって、命が終わり身体が壊れると、必ず悪い場所、地獄に生まれます。地獄に生まれた後は、苦しい報いを受け、まったく愛されず、楽しまず、心に留めたくないものばかりです。もし『まったく愛されず、楽しまず、心に留めたくない』と言うなら、それは地獄のことを指しています。なぜなら、その地獄は、まったく愛されず、楽しまず、心に留めたくない場所だからです。」

爾時，有一比丘即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「世尊！地獄苦云何？」

> その時、一人の比丘が立ち上がり、衣（ころも）を片方の肩にかけ、合掌して仏に向かい、こう申し上げました。「世尊よ、地獄の苦しみとは、どのようなものでしょうか？」

世尊答曰：「比丘！地獄不可盡說，所謂地獄苦。比丘！但地獄苦唯有苦。」

> 世尊が答えました。「比丘よ、地獄のすべてを語り尽くすことはできない。いわゆる地獄の苦しみとは、まさに苦しみそのものなのだ。比丘よ、地獄の苦しみは、ただ苦しみがあるのみである。」

比丘復問曰：「世尊！可得以喻現其義也。」

> 尊者がさらに尋ねました。「世尊よ。たとえを用いて、その意味を示していただけないでしょうか。」

世尊答曰：「亦可以喻現其義也。比丘！猶如王人收賊，送詣剎利頂生王所，白曰：『天王！此賊人有罪，願天王治。』剎利頂生王告曰：『汝等將去治此人罪，朝以百矛刺。』王人受教，便將去治，朝以百矛刺，彼人故活。剎利頂生王問曰：『彼人云何？』王人答曰：『天王！彼人故活。』剎利頂生王復告曰：『汝等去！日中復以百矛刺。』王人受教，日中復以百矛刺，彼人故活。剎利頂生王復問曰：『彼人云何？』王人答曰：『天王！彼人故活。』剎利頂生王復告曰：『汝等去！日西復以百矛刺。』王人受教，日西復以百矛刺，彼人故活，然彼人身一切穿決破碎壞盡，無一處完，至如錢孔。剎利頂生王復問曰：『彼人云何？』王人答曰：『天王！彼人故活，然彼身一切穿決破碎壞盡，無一處完，至如錢孔。』比丘！於意云何？若彼人一日被三百矛刺，彼人因是身心受惱極憂苦耶？」

> 世尊がお答えになりました。「たとえをもってその意味を示すこともできます。比丘たちよ、例えば、王の役人が盗人を捕まえて、クシャトリアの頂生王のもとへ連れて行き、こう申し上げたとします。『大王よ、この者には罪があります。どうか大王が処罰をお決めください。』すると、頂生王が命じました。『その者を連れて行き、罪を処せ。朝に百本の槍で刺せ。』役人は命に従い、その者を連れて行き、朝に百本の槍で刺しましたが、その者はまだ生きていました。頂生王が尋ねました。『あの者はどうしたか？』役人は答えました。『大王よ、あの者はまだ生きております。』頂生王はさらに命じました。『行け。今度は昼に百本の槍で刺せ。』役人は命に従い、昼に百本の槍で刺しましたが、その者はまだ生きていました。頂生王が再び尋ねました。『あの者はどうしたか？』役人は答えました。『大王よ、あの者はまだ生きております。』頂生王はさらに命じました。『行け。夕方にも百本の槍で刺せ。』役人は命に従い、夕方に百本の槍で刺しましたが、その者はまだ生きていました。しかし、その者の身体は穴だらけで破れ砕け、一銭の穴ほどの大きささえも無傷の部分は残っていませんでした。頂生王が尋ねました。『あの者はどうしたか？』役人は答えました。『大王よ、あの者はまだ生きております。しかしその身体は穴だらけで破れ砕け、一銭の穴ほどの大きささえも無傷の部分はありません。』比丘たちよ、どう思うか。もしその者が一日に三百本の槍で刺されたなら、その者はそのために身心に激しい苦痛と憂いを受けるのではないか？」

比丘答曰：「世尊！被一矛刺，尚受極苦，況復一日受三百矛刺，彼人身心豈不受惱極憂苦也？」

> 比丘が答えました。「世尊（お釈迦さま）、一本の槍で刺されるだけでも、この上ない苦しみを受けます。ましてや一日に三百本もの槍で刺されるならば、その人の心身は、大変な苦しみと悩みと憂いを受けるに違いありません。」

於是，世尊手取石子，猶如小豆，告曰：「比丘！汝見我手取此石子，如小豆耶？」

> そこで、世尊は手で小豆ほどの小石を取り、こうおっしゃいました。「比丘よ、私が手に取ったこの小豆ほどの小石が見えるか？」

比丘答曰：「見也。世尊！」

> 比丘が答えました。「はい、見ました、世尊よ。」

世尊復問曰：「比丘！於意云何？我取石子，猶如小豆，比雪山王，何者為大？」

> 世尊は再び問いかけました。「比丘よ、あなたはどう思うか。私が小豆ほどの大きさの石を取るとして、それを雪山王と比べたなら、どちらが大きいだろうか。」

比丘答曰：「世尊手取石子，猶如小豆，比雪山王，百倍、千倍、百千萬倍，終不相及，不可數、不可算，不可譬喻、不可比方，但雪山王極大甚大。」

> 比丘が答えた。「世尊が手に取った石ころは、小豆のようなものです。雪山王と比べれば、百倍、千倍、百千万倍、到底及びもつかず、数えきれず、計算できず、たとえようもなく、比べようもありません。ただ雪山王は極めて大きく、非常に大きいのです。」

世尊告曰：「比丘！若我取石子，猶如小豆，比雪山王，百倍、千倍、百千萬倍，終不相及，不可數、不可算，不可譬喻、不可比方，但雪山王極大甚大。如是，比丘！若此人一日被三百矛刺，彼因緣此，身心受惱極重憂苦，比地獄苦，百倍、千倍、百千萬倍，終不相及，不可數、不可算，不可譬喻、不可比方，但地獄中極苦甚苦。

> 世尊はおっしゃいました。「比丘よ、もし私が小豆ほどの石を取って、それを雪山王（ヒマラヤ山）と比べるならば、百倍、千倍、百千万倍もの差があり、全く及ばず、数えきれず、計り知れず、たとえようもなく、比べることもできない。ただ雪山王だけが極めて大きく、非常に大きいのだ。 同じように、比丘よ、もしこの人が一日に三百本の槍で刺されたとしても、そのために心身に受ける苦しみや悩みは、地獄の苦しみに比べれば、百倍、千倍、百千万倍もの差があり、全く及ばず、数えきれず、計り知れず、たとえようもなく、比べることもできない。ただ地獄の中だけが極めて苦しく、非常に苦しいのである。」

「比丘！云何地獄苦？眾生生地獄中，既生彼已，獄卒手捉，則以鐵斧洞然俱熾，斫治其身，或作八楞，或為六楞，或為四方，或令團圓，或高或下，或好或惡。彼如是考治苦痛逼迫，歲數甚多，乃至百千，受無量苦，極重甚苦，終不得死，要當至惡不善業盡，是謂地獄苦。

> 「比丘よ、地獄の苦しみとは何か。生きとし生けるものが地獄に生まれると、そこに生まれた途端、地獄の鬼に捕らえられる。鬼は真っ赤に燃え盛る鉄の斧で、その身体を切り刻む。八つの角を作り、あるいは六つ、あるいは四つに削り、丸くしたり、高くしたり低くしたり、あるいは美しく、あるいは醜く形作る。このようにして拷問され苦しめられ、長い年月の間、数百、数千もの年数にわたって計り知れない苦しみを受け、非常に重く激しい苦しみを味わう。しかし決して死ぬことはできず、その悪しき行いの報いが尽きるまで耐え続けなければならない。これが地獄の苦しみである。」

「比丘！云何地獄苦？眾生生地獄中，既生彼已，獄卒手捉，則以鐵釿洞然俱熾，斫治其身，或作八楞，或為六楞，或為四方，或令團圓，或高或下，或好或惡。彼如是考治苦痛逼迫，歲數甚多，乃至百千，受無量苦，極重甚苦，終不得死，要當至惡不善業盡，是謂地獄苦。

> 「比丘よ、地獄の苦しみとは何か。それは、衆生が地獄に生まれ落ちた後、獄卒に捕らえられ、焼けて真っ赤に熱せられた鉄の斧で体を切り刻まれることである。その斧は八角形や六角形、四角形に作られ、あるいは丸く、高く、低く、美しく、醜く様々に変わる。彼らはこのようにして責め苛まれ、苦痛に押し潰される。その歳月は非常に長く、何百年、何千年にも及び、無量の苦しみ、極めて重い苦しみを受ける。しかし決して死ぬことはなく、悪しき行いの報いが尽きるまでそこに留まり続ける。これが地獄の苦しみである。」

「比丘！云何地獄苦？眾生生地獄中，既生彼已，獄卒手捉，則以鐵槍洞然俱熾，強令坐上，便以鐵鉗鉗開其口，則以鐵丸洞然俱熾，著其口中，燒脣燒舌，燒齗燒咽，燒心燒胃，從身下出。彼如是考治苦痛逼迫，歲數甚多，乃至百千，受無量苦，極重甚苦，終不得死，要當至惡不善業盡，是謂地獄苦。

> 「比丘よ、地獄の苦しみとは何か。生き物が地獄に生まれると、そこに生まれた後、地獄の番人が手で捕まえ、真っ赤に燃えた鉄の槍に無理やり座らせる。そして鉄の鋏で口を開けさせ、灼熱の鉄の玉をその口の中に入れる。それは唇を焼き、舌を焼き、歯茎を焼き、喉を焼き、心臓や胃を焼き、最後には体の下から抜け出ていく。このようにして拷問され、苦しみに苛まれ、その年月は非常に長く、何百年、何千年にも及ぶ。計り知れない苦しみを受け、極めて重い苦しみを味わうが、決して死ぬことはない。悪しき行いの報いが尽きるまで、この苦しみは続く。これが地獄の苦しみである。」

「比丘！云何地獄苦？眾生生地獄中，既生彼已，獄卒手捉，則以鐵鏘洞然俱熾，令強坐上，便以鐵鉗鉗開其口，則以融銅灌其口中，燒脣燒舌，燒齗燒咽，燒心燒胃，從身下出。彼如是考治苦痛逼迫，歲數甚多，乃至百千，受無量苦，極重甚苦，終不得死，要當至惡不善業盡，是謂地獄苦。

> 比丘たちよ、地獄の苦しみとはどのようなものか。衆生が地獄に生まれ落ちると、そこにいる獄卒たちがその者を捕まえ、燃え盛る真っ赤に焼けた鉄の杭の上に無理やり座らせる。そして鉄の鉗で口をこじ開け、溶かした銅をその口に流し込む。その銅は唇を焼き、舌を焼き、歯茎を焼き、喉を焼き、心臓や胃を焼き、ついには体の下から抜け出ていく。このようにして、彼は激しい苦痛に責め苛まれ、長い年月、何百年、何千年にもわたって計り知れない苦しみを受け続ける。その苦しみは極めて重く、死ぬことも許されず、自らが行った悪しき行いの報いが尽きるまで続くのである。これが地獄の苦しみである。

「比丘！云何地獄苦？眾生生地獄中，既生彼已，獄卒手捉，則以鐵地洞然俱熾，令仰向臥，挓五縛治，兩手兩足以鐵釘釘，以一鐵釘別釘其腹。彼如是考治苦痛逼迫，歲數甚多，乃至百千，受無量苦，極重甚苦，終不得死，要當至惡不善業盡，是謂地獄苦。

> 「比丘よ、地獄の苦しみとは何か。衆生が地獄に生まれると、そこに生まれた後、獄卒が手で捕まえる。そして、真っ赤に燃える鉄の地面に仰向けに寝かせ、五ヶ所を縛って拷問する。両手と両足を鉄の釘で打ち付け、もう一本の鉄の釘を腹に打ち込む。このようにして拷問され、苦しみに苛まれながら、長い年月、何百年、何千年もの間、計り知れない苦しみ、極めて重い苦しみを受ける。決して死ぬことはなく、悪しき不善の業が尽きるまで続く。これが地獄の苦しみである。」

「比丘！云何地獄苦？眾生生地獄中，既生彼已，獄卒手捉，則以鐵地洞然俱熾，令其伏地，從口出舌，以百釘張無皺無縮，猶如牛皮以百釘張無皺無縮。如是眾生生地獄中，既生彼已，獄卒手捉，則以鐵地洞然俱熾，令其伏地，從口出舌，以百釘張無皺無縮。彼如是考治者苦痛逼迫，歲數甚多，乃至百千，受無量苦，極重甚苦，終不得死，要當至惡不善業盡，是謂地獄苦。

> 比丘たちよ、地獄の苦しみとは何か。生き物が地獄に生まれると、そこに生まれた後、地獄の獄卒がその者を捕まえる。そして、真っ赤に燃え盛る鉄の地面にうつ伏せにさせる。その者の口から舌を引き出し、百本の釘でそれを引き伸ばす。しわも縮みもなく、ちょうど牛の皮を百本の釘で張り伸ばすように、しわも縮みもない。このように、地獄に生まれた生き物は、獄卒に捕まえられ、真っ赤に燃える鉄の地面にうつ伏せにされ、口から舌を出され、百本の釘で張り伸ばされる。しわも縮みもない。このように責め苦を受ける者は、苦痛に苛まれ、その歳月は非常に長く、何百年、何千年にも及ぶ。計り知れないほどの苦しみ、極めて重い苦しみを受けながらも、ついに死ぬことはできない。かつて行った悪しき不善の業が尽きるまでは。これが地獄の苦しみと呼ばれるものである。

「比丘！云何地獄苦？眾生生地獄中，既生彼已，獄卒以手捉其頭皮剝下至足，從足剝皮上至其頭，則以鐵車洞然俱熾，以縛著車，便於鐵地洞然俱熾，牽挽往來。彼如是考治苦痛逼迫，歲數甚多，乃至百千，受無量苦，極重甚苦，終不得死，要當至惡不善業盡，是謂地獄苦。

> 「比丘よ、地獄の苦しみとは何か。生き物が地獄に生まれると、そこに生まれた後、獄卒がその者の頭の皮をつかんで足の方まで剥ぎ、さらに足から頭の上まで皮を剥ぐ。そして、真っ赤に焼けた鉄の車にその者を縛りつけ、同じく焼けただれた鉄の地上を引き回す。このような責め苦によって激しい痛みに苛まれ、長い年月、何百年何千年と計り知れない苦しみを受け、極めて厳しい苦しみを味わう。しかし決して死ぬことはなく、その悪しき行いの報いが尽きるまで続く。これを地獄の苦しみという。」

「比丘！云何地獄苦？眾生生地獄中，既生彼已，獄卒以火洞然俱熾，使揚撲地，復使手取，自灌其身。彼如是考治苦痛逼迫，歲數甚多，乃至百千，受無量苦，極重甚苦，終不得死，要當至惡不善業盡，是謂地獄苦。

> 「比丘たちよ、では地獄の苦しみとは何であろうか。ある者が地獄に生まれ落ちると、地獄の番人が真っ赤に燃え盛る炎で、その者を地面に叩きつけては、自らの手で炎を掴み取らせて、その身に注がせるのである。このようにして、その者は長い歳月、何百年、何千年もの間、耐え難い苦痛で体を苛まれ、計り知れない苦しみ、この上なく厳しい苦しみを味わう。しかし、死ぬことも許されず、自分の行った悪しき行いの報いが尽きるその時まで、苦しまねばならない。これが、地獄の苦しみなのである。」

「比丘！云何地獄苦？眾生生地獄中，既生彼已，獄卒以火山洞然俱熾，令其上下，彼若下足，其皮肉血即便燒盡，若舉足時，其皮肉血還生如故。彼如是考治苦痛逼迫，歲數甚多，乃至百千，受無量苦，極重甚苦，終不得死，要當至惡不善業盡，是謂地獄苦。

> 「比丘よ、地獄の苦しみとは何か。衆生が地獄に生まれると、そこに生まれた後、獄卒が山のように燃え盛る熱い火で、その者を上下に動かす。足を下ろせば、皮や肉、血は一瞬で焼き尽くされる。足を上げれば、再び皮や肉、血が元のように生え変わる。このようにして苦しめられ、痛みに苛まれながら、長い年月、何百年、何千年もの間、計り知れない苦しみを受け続ける。極めて重く激しい苦しみであるが、決して死ぬことはなく、必ず悪い行いの報いが尽きるまで続く。これが地獄の苦しみである。」

「比丘！云何地獄苦？眾生生地獄中，既生彼已，獄卒手捉，以大鐵釜洞然俱熾，倒舉其身，足上頭下，以著釜中，彼於其中，或上或下，或至方維，自體沫出，還煑其身，猶如大豆、小豆、蘊豆、苦豆、芥子著多水釜中，下極然火，彼豆於中，或上或下，或至方維，自沫纏煮。如是眾生生地獄中，既生彼已，獄卒手捉，以大鐵釜洞然俱熾，倒舉其身，足上頭下，以著釜中，彼於其中，或上或下，或至方維，自體沫出，還煮其身。彼如是考治苦痛逼迫，歲數甚多，乃至百千，受無量苦，極重甚苦，終不得死，要當至惡不善業盡，是謂地獄苦。

> 比丘よ、地獄の苦しみとはどのようなものか。衆生が地獄に生まれると、すぐに獄卒が彼らを捕まえ、大きな鉄の釜を真っ赤に燃やし、逆さまに体を持ち上げて足を上に頭を下にして釜の中に入れる。すると彼らは釜の中で上下したり、あちこち動き回ったりし、自分の体から泡が出てきて再び自分を煮る。それはちょうど、豆類（大豆、小豆、エンドウ豆、苦い豆、芥子）をたくさんの水を入れた釜に入れ、下で激しく火を焚いたとき、それらの豆が釜の中で上下したり、あちこち動いたりし、自分の泡で絡み合いながら煮られるのと同じである。このように、地獄に生まれた衆生は、獄卒に捕らえられ、真っ赤に燃える大きな鉄の釜に逆さまに body を入れられ、釜の中で上下左右に動き、自分の体から出た泡で再び煮られる。このように苦しめられ、苦痛に圧迫され、年月は非常に長く、何百、何千もの歳月にわたり、無量の苦しみ、極めて重く激しい苦しみを受けながらも、決して死ぬことはなく、悪しき不善の業が尽きるまで続く。これが地獄の苦しみである。

「比丘！云何地獄苦？彼地獄中有獄，名六更樂，若眾生生彼中，既生彼已，若眼見色，不憙不可，非是憙可，意不潤愛，非是潤愛，意不善樂，非是善樂，耳所聞聲、鼻所齅香、舌所嘗味、身所覺觸、意所知法，不憙不可，非是喜可，意不潤愛，非是潤愛，意不善樂，非是善樂，是謂地獄苦。

> 「比丘よ、地獄の苦しみとは何か？そこには『六更楽』という地獄があり、そこに生まれた者は、目で見る色も、喜ばしくなく、好ましくない。心は潤い愛おしむことなく、喜び楽しむこともない。耳で聞く声、鼻で嗅ぐ香り、舌で味わう味、身で感じる触れ合い、心で知る法もすべて、喜ばしくなく、好ましくない。心は潤い愛おしむことなく、喜び楽しむこともない。これが地獄の苦しみである。」

「比丘！我為汝等無量方便說彼地獄，說地獄事，然此地獄苦不可具說，但地獄唯有苦。比丘！若愚癡人或時從地獄出，生畜生者，畜生亦甚苦。」

> 「比丘たちよ、私は様々な方法を使って、あなたがたに地獄のことを説き、地獄のありさまを詳しく伝えてきた。しかし、この地獄の苦しみは、言葉で完全に伝え尽くせるものではない。ただ、地獄には苦しみしかないということだけは確かだ。比丘たちよ、もし愚かな人が、ある時に地獄から出て畜生に生まれ変わることがあったとしても、畜生の世界もまた、大変な苦しみに満ちているのである。」

「比丘！云何畜生苦？若眾生生畜生中，謂彼闇冥中生，闇冥中長，闇冥中死，彼為云何？謂地生蟲。愚癡人者，以本時貪著食味，行身惡行，行口、意惡行，彼行身惡行，行口、意惡行已，因此緣此，身壞命終，生畜生中，謂闇冥中生，闇冥中長，闇冥中死，是謂畜生苦。

> 比丘たちよ、畜生の苦しみとは何か。生き物が畜生として生まれるとは、暗がりの中で生まれ、暗がりの中で育ち、暗がりの中で死ぬことである。それはどのようなものか。例えば、土の中の虫のようなものである。愚かな者たちは、かつて味への執着に貪り、身体で悪い行いをし、言葉と心で悪い行いをした。そのように、身体で悪い行い、言葉と心で悪い行いをした結果、その因縁によって、命が終わり身体が壊れると、畜生の世界に生まれる。すなわち、暗がりの中で生まれ、暗がりの中で育ち、暗がりの中で死ぬのである。これが畜生の苦しみである。

「比丘！云何畜生苦？若眾生生畜生中，謂身中生，身中長，身中死。彼為云何？謂名瘡蟲。愚癡人者，以本時貪著食味，行身惡行，行口、意惡行，彼行身惡行，行口、意惡行已，因此緣此，身壞命終，生畜生中，謂身中生，身中長，身中死，是謂畜生苦。

> 比丘よ、畜生の苦しみとは何か？ ある衆生が畜生に生まれる場合、身体の中で生まれ、身体の中で育ち、身体の中で死ぬことがある。 それはどのようなものか？例えば、できものにわく虫のようなものである。 愚かな人は、以前の時に食べ物の味に執着し、身体で悪行を行い、口と心で悪行を行った。その人は身体で悪行を行い、口と心で悪行を行ったので、その因縁によって、命終わって身体が壊れると、畜生に生まれ、身体の中で生まれ、身体の中で育ち、身体の中で死ぬ。これを畜生の苦しみという。

「比丘！云何畜生苦？若眾生生畜生中，謂水中生，水中長，水中死。彼為云何？謂魚、摩竭魚、龜、鼉、婆留尼、提鼻、提鼻伽羅、提提鼻伽羅。愚癡人者，以本時貪著食味，行身惡行，行口、意惡行。彼行身惡行，行口、意惡行已，因此緣此，身壞命終，生畜生中，謂水中生，水中長，水中死，是謂畜生苦。

> 比丘たちよ、獣道（畜生道）の苦しみとは何か。生き物が獣道に生まれ、水中で生まれ、水中で育ち、水中で死ぬことである。そのような生き物とは何か。魚、大きな魚、亀、鰐（わに）、婆留尼（はるに）、提鼻（だいび）、提鼻伽羅（だいびから）、提提鼻伽羅（だいだいびから）などのことである。 愚かな者は、かつて食欲に執着し、身・口・意で悪行をなした。その身・口・意の悪行により、この因縁によって、死後、獣道に生まれ、水中で生まれ、水中で育ち、水中で死ぬのである。これが獣道の苦しみである。

「比丘！云何畜生苦？若眾生生畜生中，謂齒齧者生草樹木食。彼為云何？謂象、馬、駱駝、牛、驢、鹿、水牛及猪。愚癡人者，以本時貪著食味，行身惡行，行口、意惡行，彼行身惡行，行口、意惡行已，因此緣此，身壞命終，生畜生中，謂齒齧生草樹木食，是謂畜生苦。

> 「比丘たちよ、では、畜生の苦しみとは何か。衆生が畜生の世界に生まれる中で、生えた草や木々の葉をかじって食べるものたちがいる。それは何かというと、象、馬、らくだ、牛、ろば、鹿、水牛、豚などである。 愚かな者たちは、かつて食べ物の味に執着し、身体で悪い行いをし、言葉と心でも悪い行いをした。その結果、身体、言葉、心における悪行を積み重ねた後、その報いによって命終わると、畜生の世界に生まれ、生えた草や木の葉をかじって食べることになる。これを畜生の苦しみというのである。」

「比丘！云何畜生苦？若眾生生畜生中，謂彼聞人大小便氣，即走往趣彼，食彼食，猶如男女聞飲食香，即便往趣彼，如是說彼食彼食。如是，比丘！若眾生生畜生中，謂彼聞人大小便氣，即走往趣彼，食彼食。彼為云何？謂雞、猪、狗、犲、烏、拘樓羅、拘稜迦。愚癡人者，以本時貪著食味，行身惡行，行口、意惡行。彼行身惡行，行口、意惡行已，因此緣此，身壞命終，生畜生中，謂食屎不淨，是謂畜生苦。

> 「比丘よ、畜生の苦しみとは何か。衆生が畜生として生まれると、人間の大小便の臭いを嗅ぎつけて、そこに駆け寄り、それを食べる。あたかも男女が食べ物の香りを聞いてそこに赴くのと同じように、そうしてそれを食べるのである。比丘よ、このように衆生が畜生として生まれると、人間の大小便の臭いを嗅ぎつけて、そこに駆け寄り、それを食べる。それはどのようなものか。鶏、豚、犬、山犬、烏、鳶（とんび）、カラス科の鳥である。愚かな者は、もともと食べ物の味に執着し、身体で悪い行いをし、言葉と心で悪い行いをする。そうして身・口・意の悪行を行った後、その因縁によって、命を終え身体が壊れると、畜生の中に生まれ、不浄な糞を食べることになる。これを畜生の苦しみというのである。」

「比丘！我為汝等無量方便說彼畜生，說畜生事，然此畜生苦不可具說，但畜生唯有苦。

> 比丘たちよ、わたしはあなたがたのために、さまざまな方法を使って畜生（動物の世界）について説き、そのありさまを説明してきた。しかし、この畜生の苦しみは、言葉で尽くすことはできない。まさに畜生には苦しみしかないのだ。

「比丘！若愚癡人從畜生出，還生為人，極大甚難。所以者何？彼畜生中不行仁義，不行禮法，不行妙善，彼畜生者更相食噉，強者食弱，大者食小。比丘！猶如此地，滿其中水，有一瞎龜，壽命無量百千之歲，彼水上有小輕木板，唯有一孔，為風所吹。比丘！於意云何？彼瞎龜頭寧得入此小輕木板一孔中耶？」

> 「比丘たちよ、もし愚かな者が畜生道から抜け出して、再び人間に生まれることは、極めて難しい。なぜなら、畜生の世界では仁義を行わず、礼法も守らず、善行も積まないからだ。畜生たちは互いに食い合い、強い者が弱い者を食べ、大きい者が小さい者を食べる。比丘たちよ、譬えば、この大地が水で満たされているとする。そこに一匹の目が見えない亀がいて、その寿命は限りなく長い。水面には小さな軽い板が浮かんでおり、それにはただ一つ穴が開いている。それが風に吹かれている。比丘たちよ、どう思うか。その盲目の亀の頭が、この小さな軽い板のたった一つの穴に入ることはあるだろうか？」

比丘答曰：「世尊！或可得入，但久久甚難。」

> 比丘が答えました。「世尊よ、あるいは入ることができるかもしれませんが、それは非常に長い時間がかかり、とても難しいことです。」

世尊告曰：「比丘！或時瞎龜過百年已，從東方來而一舉頭，彼小木板唯有一孔，為東風吹移至南方。或時瞎龜過百年已，從南方來而一舉頭，彼一孔板為南風吹移至西方。或時瞎龜過百年已，從西方來而一舉頭，彼一孔板為西風吹移至北方。或時瞎龜從北方來而一舉頭，彼一孔板為北風吹隨至諸方。比丘！於意云何？彼瞎龜頭寧得入此一孔板耶？」

> 世尊がおっしゃいました。「比丘たちよ、例えば、目の見えない亀が百年に一度、東の海から頭を出そうと水面に浮かび上がるとしましょう。その時、たった一つの穴のある木の板が、東風によって南の方へと流されていきます。また百年後、その亀が南から頭を出そうとすると、その一枚の穴の空いた板は南風に流されて西へと移っています。さらに百年後、亀が西から頭を出そうとすると、その一枚板は西風に流されて北へと移っています。さらに百年後、亀が北から頭を出そうとすると、その一枚板は北風に流されてあらゆる方向へと運ばれていきます。比丘たちよ、どう思うか。その目の見えない亀の頭が、この一つの穴の空いた板に、うまく入ることはあるだろうか？」

比丘答曰：「世尊！或可得入，但久久甚難。」

> 比丘が答えて申し上げました。「世尊よ、あるいは入ることはできるかもしれません。しかし、それは極めて長い時間がかかり、とても難しいことでございます。」

「比丘！如是彼愚癡人從畜生出，還生為人，亦復甚難。所以者何？彼畜生中不行仁義，不行禮法，不行妙善，彼畜生者更相食噉，強者食弱，大者食小。比丘！若愚癡人或時從畜生出，還生為人，彼若有家，小姓下賤，弊惡貧窮，少有飲食，謂得食甚難。彼為云何？謂獄卒家、工師家、巧手家、陶師家，如是比餘下賤家，弊惡貧窮，少有飲食，謂得食甚難。生如是家，既生彼已，或瞎或跛，或臂肘短，或身傴曲，或用左手，惡色羊面，醜陋短壽，為他所使，彼行身惡行，行口、意惡行。彼行身惡行，行口、意惡行已，因此緣此，身壞命終，還至惡處，生地獄中。

> 比丘よ、このように愚かな者が畜生の世界から抜け出し、再び人間として生まれることは、実に難しいことです。なぜなら、畜生の世界には、仁義も礼法も善い行いも存在しないからです。畜生たちは互いに食い合い、強い者が弱い者を、大きい者が小さい者を食べてしまうのです。 比丘よ、もし愚かな者が畜生の世界から出て、再び人間として生まれることがあったとしても、その者は、取るに足らない低い家柄で、貧しく粗末で、食べ物も乏しく、ようやく食事にありつけるような家に生まれます。具体的には、獄卒の家、職人の家、手工芸者の家、陶芸者の家、その他これに類する賤しい家々です。そこでは貧しく粗末で、食べ物も乏しく、食べることさえ難しいのです。 そのような家に生まれたなら、その者は目が見えなかったり、足が不自由だったり、腕が短かったり、背中が曲がっていたり、左手を使ったり、色が悪かったり、羊のような顔をしていたり、醜く短命で、他人にこき使われます。そして、その者は身体で悪行をなし、言葉と心で悪行をなします。そのように身体、言葉、心で悪行をなした結果、その縁によって、死後に身体が壊れ命が終わると、再び悪い場所、地獄に生まれ落ちるのです。

「猶如二人而共博戲，彼有一人始取如是行，便失奴婢及失妻子，復取己身倒懸烟屋中，彼作是念：『我不食不飲，然我始取如是行。』便失奴婢及失妻子，復取己身倒懸烟屋中。比丘！此行甚少，失奴婢、失妻子，復取己身倒懸烟屋中。比丘！謂此行所可行，行身惡行，行口、意惡行。彼行身惡行，行口、意惡行已，因此緣此，身壞命終，還至惡處，生地獄中。比丘！此諸行最不可愛，實不可樂，非意所念。比丘！非為具足說愚癡法耶？」

> 「まるで二人が博打をしているようなものです。そのうちの一人が、初めにある行動をとったことにより、召使いや妻や子供を失い、さらに自分自身も煙の立ちこめる家に逆さ吊りにされてしまいます。彼はこう思います。『私は食べも飲みもしないのに、初めにある行動をとったことで、召使いや妻や子供を失い、さらに自分自身も煙の立ちこめる家に逆さ吊りにされてしまった。』 比丘（修行者）よ、この行動は取るに足らないものであり、召使いや妻や子供を失い、自分自身も煙の家に逆さ吊りにされるのです。 比丘よ、あなたがたが行う行動とは、すなわち、身体で悪い行いをし、言葉で悪い行いをし、心で悪い行いをすることです。身体・言葉・心で悪い行いをした結果、その原因と条件によって、身体が壊れ命が終わるとき、悪い場所に還り、地獄に生まれ変わります。 比丘よ、これらの行いは最も愛すべきものではなく、本当に楽しめるものではなく、心が望むものではありません。比丘よ、これこそが愚かさの教えを十分に説いたものではないでしょうか？」

比丘答曰：「唯然。世尊！為具足說愚癡法也。」

> 比丘が答えた。「はい、世尊。愚かさの法について十分にお説きください。」

世尊告曰：「云何智慧法？彼智慧人有三相智慧標智慧像，謂成就智慧人說智慧也。云何為三？智慧人者，思善思、說善說、作善作，是以智慧人說智慧也。若智慧人不思善思，不說善說，不作善作者，不應智慧人說智慧也。以智慧人思善思、說善說、作善作故，是智慧人說智慧也。智慧人者，於現法中，身心則受三種喜樂。云何智慧人於現法中身心則受三種喜樂也？智慧人者，或有所行，或聚會坐，或在道巷，或在市中，或四衢頭，說智慧人相應事也。智慧人者，斷殺、離殺、不與取、邪婬、妄言，乃至斷邪見得正見，及成就餘無量善法。若成就無量善法者，他人見已，便稱譽之。彼智慧人聞已，便作是念：『若成就無量善法，他人見已稱譽者，我亦有是無量善法，若他知者，亦當稱譽我。』是謂智慧人於現法中，身心則受第一喜樂。

> 世尊はお告げになりました。「では、智慧（プラジュニャー）とは何か。智慧ある人には三つの特徴、智慧のしるし、智慧の形がある。すなわち、智慧を成就した人は、智慧について語ることができるのである。その三つとは何か。智慧ある人とは、善いことを思い、善いことを語り、善いことを行う。ゆえに智慧ある人は智慧について語ることができるのである。もし智慧ある人が、善いことを思わず、善いことを語らず、善いことを行わないならば、智慧ある人が智慧について語るとは言えない。智慧ある人が善いことを思い、善いことを語り、善いことを行うからこそ、智慧ある人は智慧について語るのである。 智慧ある人は、現世において、身と心の三つの喜びを受ける。では、智慧ある人は現世において、どのようにして身と心に三つの喜びを受けるのか。智慧ある人は、行動する時も、集まりに座る時も、道端や市場や交差点にいる時も、智慧ある人にふさわしい事柄について語るのである。 智慧ある人は、殺生を断ち、殺生から離れる。また、与えられていないものを取ること、邪な淫らな行い、偽りの言葉を断つ。さらには誤った見解を断って正しい見解を得る。そしてその他にも無量の善い行いを成就する。もし無量の善い行いを成就する人がいれば、他の人々はそれを見て、その人を称賛する。その智慧ある人はそれを聞いて、こう思う。『もし無量の善い行いを成就し、他の人々が見て称賛する者がいるならば、私にもこの無量の善い行いがある。他の人がそれを知れば、きっと私のことも称賛してくれるだろう』と。これが智慧ある人が現世において、身と心に受ける第一の喜びである。」

「復次，彼智慧人又見王人種種治賊，謂截手、截足，并截手足，截耳、截鼻，并截耳鼻，或臠臠割，拔鬚、拔髮，或拔鬚髮，或著檻中衣裹火燒，或以沙壅草纏火𤋲，或內鐵驢腹中，或著鐵猪口中，或置鐵虎口中燒，或安銅釜中，或著鐵釜中煑，或段段截，或利叉刺，或以鉤鉤，或臥鐵床以沸油澆，或坐鐵臼以鐵杵擣，或毒龍蜇，或以鞭鞭，或以杖撾，或以棒打，或活貫摽頭，或梟其首。彼智慧人見已，便作是念：『若成就無量惡不善法者，王知捉已，如是考治。我無是無量惡不善之法，若王知者，終不如是苦治於我。』是謂智慧人於現法中，身心則受第二喜樂。

> また、その智慧ある人は、王が様々な方法で賊を裁く様子を見る。すなわち、手を切り落とし、足を切り落とし、手足を共に切り落とし、耳を切り、鼻を切り、耳鼻を共に切り、少しずつ切り刻み、髭や髪を抜き、髭髪を共に抜き、檻の中に入れて衣をかぶせて火で焼き、砂をかぶせ草に巻いて火で焼き、鉄のロバの腹の中に入れ、鉄の豚の口の中に入れ、鉄の虎の口の中に入れて焼き、銅の釜の中に入れ、鉄の釜の中に入れて煮る。また、細かく切り分け、鋭い叉で刺し、鉤で引っかけ、鉄の床に寝かせて熱い油をかけ、鉄の臼に座らせて鉄の杵で搗き、毒蛇に噛ませ、鞭で打ち、杖で打ち、棒で打ち、生きたまま杭の先に刺し、首をはねる。 その智慧ある人はこれを見て、こう思う。 「もし無数の悪しき善ならざる法を成就しているならば、王は捕らえてこのように責め苦を加える。私にはそのような無数の悪しき善ならざる法はない。もし王が知ったとしても、決して私をこのような苦しめ方はしないだろう。」 これが智慧ある人が現世において、身心に受ける第二の喜びと楽しみである。

「復次，彼智慧人行身妙行，行口、意妙行，彼若時疾病，或坐臥床，或坐臥榻，或坐臥地，或身生極苦甚重苦，乃至命欲斷。彼所有身妙行，口、意妙行，彼於爾時懸向在上，猶如晡時，日下高山，影懸向在地，如是彼所有身妙行，口、意妙行，彼於爾時懸向在上。彼作是念：『此是我身妙行，口、意妙行，懸向在上，我於本時不作惡、多作福。若有處不作惡者，不凶暴，不作無理事，作福、作善、作恐怖，所歸命、所依怙，我至彼善處。而不生悔，不生悔已，賢死善命終。』是謂智慧人於現法中，身心則受第三憙樂。

> さらに、その智慧ある人は、身・口・意において善い行いを実践します。もし彼が病に伏し、床や榻（しじ）に横たわり、あるいは地面に横たわり、身体に極度の苦痛が生じ、命が絶えようとする時があっても、彼が行ってきた身・口・意の善行は、あたかも夕方に山の陰が大地に差し込むように、その時に彼の上に覆いかぶさります。彼はこう思います。「これこそが私の身・口・意の善行であり、私の上に差し掛かっている。私はかつて悪を行わず、多くの福を積んできた。悪を為さず、凶暴にならず、不合理なことをせず、福を積み、善を行い、敬虔な心を持ち、よりどころと頼りとする場所に至ったのだ。悔いることはない」と。悔いることなく、賢明に死を迎え、善き終わりを遂げます。これが智慧ある人が現世において、身心に第三の喜びと安らぎを受ける姿です。

「復次，彼智慧人行身妙行，行口、意妙行，彼行身妙行，行口、意妙行已，因此緣此，身壞命終，必昇善處，上生天中。既生彼已，受於樂報，一向可愛、一向可樂而意可念，若作是念：『一向可愛、一向可樂而意可念者，是說善處。所以者何？彼善處者，一向可愛，一向可樂而意可念。』」

> さらに、智慧ある人は身・口・意において、善い行いを行います。身・口・意の善い行いを行ったならば、その行いによって、命終えて身体が壊れるとき、必ず善い所（善趣）に昇り、天上に生まれます。そこに生まれたならば、楽しい報いを受けます。それはまったく愛しく、まったく楽しく、心に念じられるものです。もしこう考えます。「まったく愛しく、まったく楽しく、心に念じられるもの、これを善い所（善処）という。なぜなら、その善い所は、まったく愛しく、まったく楽しく、心に念じられるものだからである」と。

爾時，有一比丘即從坐起，偏袒著衣，叉手向佛，白曰：「世尊！善處樂云何？」

> その時、一人の比丘が立ち上がり、衣を片方の肩にかけ、合掌して仏に向かい、こう申し上げました。 「世尊よ、善き境地（善処楽）とは、どのようなものなのでしょうか？」

世尊答曰：「比丘！善處不可盡說，所謂善處樂，但善處唯有樂。」

> 世尊がお答えになりました。「比丘よ、善い境地の素晴らしさは言葉で尽くせるものではありません。しかし、善い境地にはただ安らぎがあるのみです。」

比丘復問曰：「世尊！可得以喻現其義耶？」

> 比丘がさらに問うた：「世尊よ、たとえを使ってその意味をお示しいただけますでしょうか？」

世尊答曰：「亦可以喻現其義也。猶如轉輪王成就七寶、四種人如意足。比丘！於意云何？彼轉輪王成就七寶、四種人如意足，彼因是身心受極喜樂耶？」

> 世尊がお答えになりました。「たとえを用いて、その意味を明らかにすることもできよう。例えば、転輪聖王が七宝と四種の人の如意足を成就するとしよう。比丘よ、どう思うか。その転輪聖王が七宝と四種の人の如意足を成就したなら、そのことによって身心に極めて大きな喜びと楽しみを受けるであろうか。」

比丘答曰：「世尊！成就一寶、一人如意足，尚受極喜樂，況復轉輪王成就七寶、四種人如意足，非為受極喜樂耶？」

> 比丘が申し上げました。「世尊よ、一つの宝と一人の如意足を成就しただけでも、この上ない喜びと楽しみを受けるのです。ましてや、転輪王が七つの宝と四種の人の如意足を成就したならば、この上ない喜びと楽しみを受けないことがありましょうか？」

於是，世尊手取石子，猶如小豆，告曰：「比丘！汝見我手取此石子如小豆耶？」

> そこで、世尊は小豆ほどの小さな石を手に取り、お告げになりました。「比丘よ、私がこの小豆ほどの石を手に取っているのを見るか。」

比丘答曰：「見也。世尊！」

> 比丘が答えました。「はい、見ました、世尊よ。」

世尊復問曰：「比丘！於意云何？我取石子，猶如小豆，比雪山王，何者為大？」

> 世尊は再び問いかけました。「比丘よ、あなたはどう思うか。私が小豆ほどの大きさの石を取るとして、それを雪山王と比べたなら、どちらが大きいだろうか。」

比丘答曰：「世尊手取石子，猶如小豆，比雪山王，百倍、千倍、百千萬倍，終不相及，不可數、不可算，不可譬喻、不可比方，但雪山王極大甚大。」

> 比丘が答えた。「世尊が手に取った石ころは、小豆のようなものです。雪山王と比べれば、百倍、千倍、百千万倍、到底及びもつかず、数えきれず、計算できず、たとえようもなく、比べようもありません。ただ雪山王は極めて大きく、非常に大きいのです。」

世尊告曰：「比丘！若我取石子，猶如小豆，比雪山王，百倍、千倍、百千萬倍，終不相及，不可數、不可算，不可譬喻、不可比方，但雪山王極大甚大。如是，比丘！若轉輪王成就七寶、四種人如意足，彼人身心受極喜樂，比諸天樂，百倍、千倍、百千萬倍，終不相及，不可數、不可算，不可譬喻、不可比方，所謂善處樂但善處唯有樂。

> 世尊はおっしゃいました。「比丘よ、もし私が雪山王（大きな山）に比べて、小豆ほどの大きさの石を取ったとしても、その石は雪山王の百倍、千倍、百千万倍には全く及ばず、数えることも、計算することも、たとえることも、比較することもできません。ただ雪山王は極めて大きく、非常に大きいのです。 そのように、比丘よ、もし転輪王が七つの宝と四つの人々の如意足を成就したとしても、その人の身心が受ける極めて大きな喜びは、天人の楽しみに比べれば、百倍、千倍、百千万倍にも全く及ばず、数えることも、計算することも、たとえることも、比較することもできません。いわゆる善処の楽ですが、善処にはただ楽しみがあるのみです。」

「比丘！云何善處樂？彼有善處，名六更樂。若眾生生彼中，既生彼已，若眼見色，意所喜可，彼是喜可，意所潤愛，彼是潤愛，意所善樂，彼是善樂。耳所聞聲、鼻所嗅香、舌所嘗味、身所覺觸、意所知法，意所喜可，彼是喜可，意所潤愛，彼是潤愛，意所善樂，彼是善樂，是謂善處樂。比丘！我為汝等無量方便，說彼善處說善處事，然此善處樂不可具說，但善處唯有樂。

> 比丘たちよ、善き境地の楽（楽しみ）とは何か。そこには「六更楽」と呼ばれる善き境地がある。生き物がその境地に生まれると、眼で色を見て、心に喜ばしく感じられるものがあれば、それが喜ばしく、心に潤い愛されるものがあれば、それが潤い愛され、心に善く楽しいものがあれば、それが善く楽しい。耳で聞く音、鼻でかぐ香り、舌で味わう味、身で感じる触れ合い、意で知る法（事柄）についても同様で、心に喜ばしく感じられるものがあれば、それが喜ばしく、心に潤い愛されるものがあれば、それが潤い愛され、心に善く楽しいものがあれば、それが善く楽しい。これを善き境地の楽という。比丘たちよ、私はあなたたちのために無数の方法をもって、その善き境地と善き境地の事柄を説いてきた。しかし、この善き境地の楽は完全に語り尽くせるものではなく、ただ善き境地には楽があるのみである。

「比丘！若智慧人或時從善處來，下生人間。若有家者，極大富樂，錢財無量，多諸畜牧，封戶、食邑、米穀豐溢，及若干種諸生活具，彼為云何？謂剎利大長者家、梵志大長者家、居士大長者家，及餘極大富樂，錢財無量，多諸畜牧，封戶、食邑、米穀豐溢，及若干種諸生活具。生如是家，端正可愛，眾人敬順，極有名譽，有大威德，多人所愛，多人所念，彼行身妙行，行口、意妙行。彼行身妙行，行口、意妙行已，因此緣此，身壞命終，還至善處，生於天中。

> 「比丘たちよ。智慧ある人が、時として善い状態からこの人間界に生まれ落ちることがあります。もし家に生まれるならば、それは極めて裕福で楽しみに満ち、財産は計り知れず、多くの家畜を持ち、領地や封土、穀物があり余るほどあり、様々な生活に必要なものも豊かに備わっています。その家とはどのようなものでしょうか。それは、高貴な生まれの大長者の家、修行者階級の大長者の家、平民の大長者の家、その他にも極めて裕福で楽しみ、財産は計り知れず、多くの家畜、領地、封土、穀物があり余り、様々な生活に必要なものが備わっている家のことです。 そのような家に生まれた者は、顔立ちが整って愛らしく、人々から敬われ従われ、非常に名声が高く、大きな威徳を備えています。多くの人に愛され、多くの人に何かと気にかけてもらえます。その者は、身体で素晴らしい行いを実践し、言葉と心でも素晴らしい行いを実践します。そのように身体・言葉・心で素晴らしい行いを実践した結果として、その縁によって、身体が壊れ命が終わるとき、再び善い場所に還り、天界に生まれるのです。」

「猶如二人而共博戲，彼有一人始求取如是行，多得錢財，彼作是念：『我不田作，然我始取如是行，多得錢財。』比丘！此行甚少，謂多得錢財。比丘！謂此所行，行身妙行，行口、意妙行。彼行身妙行，行口、意妙行已，因此緣此，身壞命終，還至善處，生於天中。比丘！此諸行，是行最可愛、最可樂、最可意所念。比丘！非為具足說智慧人法耶？」

> まるで二人が賭け事をするようなものです。一方が最初にこういう方法で臨み、多くの金を得ました。そこで彼はこう思いました。「私は耕さなかったのに、こうして多くの金を得た。」と。比丘よ、このような行いは小さなものです。多くの金を得るということは。比丘よ、しかし本当に大切な行いとは、身体で良い行いをし、言葉、心で良い行いをするということです。彼が身体で良い行いをし、言葉、心で良い行いをすると、その行いによって、この身が壊れ命が終わった後、良い場所に生まれ変わり、天に生まれます。比丘よ、これらの行いこそが、最も愛され、最も楽しまれ、最も心にかなう行いなのです。比丘よ、これが智慧ある人の在り方を完全に説いたものではないでしょうか。

比丘白曰：「唯然。世尊！為具足說智慧人法。」

> 比丘が申し上げました。「はい、世尊（せそん）様。智慧ある人の在り方について、詳しくお教えください。」

世尊告曰：「是謂愚癡人法、智慧人法，汝等應當知愚癡人法、智慧人法，知愚癡人法、智慧人法已，捨愚癡人法，取智慧人法，當如是學。」

> 世尊がおっしゃいました。「これが愚かな人の生き方であり、智慧ある人の生き方です。あなたたちは、愚かな人の生き方と智慧ある人の生き方を知るべきです。それを知ったならば、愚かな人の生き方を捨てて、智慧ある人の生き方を選び取りなさい。そのように学びなさい。」

佛說如是。彼諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏は説かれました。比丘たちは仏の説かれたことを聞き、喜んでお受け取りになりました。

癡慧地經第八竟五千六百三十八字

> 愚かさと智慧の地の経、第八節終わり<note>五千六百三十八字</note>

## 中阿含經卷第五十三五千六百三十八字第五後誦

> 中阿含経 巻第五十三