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title: "中阿含經 · 202 持齋經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （二〇二）中阿含晡利多品持齋經第一

> （二〇二）中阿含晡利多品 持齋經 第一

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛遊舍衛國，在於東園鹿子母堂。

> ある時、仏様はシャーラヴァスティー（舎衛国）に滞在され、東の園にある「鹿子母堂」におられました。

爾時，鹿子母毘舍佉平旦沐浴，著白淨衣，將子婦等眷屬圍繞，往詣佛所，稽首作禮，却住一面。世尊問曰：「居士婦！今沐浴耶？」

> ある時、鹿子母の毘舎佉（ヴィサーカー）は、早朝に沐浴を済ませ、清らかな白い衣をまとい、嫁や親族たちに囲まれて、仏のもとへ参りました。丁寧に頭を下げて礼をし、そのまま片側に立っていました。すると世尊がお尋ねになりました。「婦人よ、今沐浴をされたのかね。」

答曰：「世尊！我今持齋。善逝！我今持齋。」

> 答えました。「世尊よ、私は今、斎（斎戒）を守っています。善逝よ、私は今、斎を守っています。」

世尊問曰：「居士婦！今持何等齋耶？齋有三種。云何為三？一者放牛兒齋，二者尼揵齋，三者聖八支齋。居士婦！云何名為放牛兒齋？若放牛兒朝放澤中，晡收還村，彼還村時，作如是念：『我今日在此處放牛，明日當在彼處放牛。我今日在此處飲牛，明日當在彼處飲牛。我牛今在此處宿止，明日當在彼處宿止。』居士婦！如是有人若持齋時，作是思惟：『我今日食如此之食，明日當食如彼食也。我今日飲如此之飲，明日當飲如彼飲也。我今含消如此含消，明日含消如彼含消。』其人於此晝夜樂著欲過，是謂名曰放牛兒齋。若如是持齋放牛兒齋者，不獲大利，不得大果，無大功德，不得廣布。

> 世尊がお尋ねになりました。「居士の妻よ、今、あなたはどのような斎（斎戒）を行っているのですか？斎には三種類あります。その三つとは何か？第一に放牛児斎、第二に尼犍斎、第三に聖八支斎です。 居士の妻よ、では放牛児斎とは何でしょうか？もし牛飼いが朝に牛を野原に放ち、夕方に村へ連れ戻すとします。彼が村へ戻る時に、こう考えます。『私は今日、ここで牛を放った。明日はあそこに放そう。今日はここで牛に水を飲ませた。明日はあそこの水場で飲ませよう。私の牛は今夜ここで休んだ。明日はあそこに休ませよう。』 居士の妻よ、これと同じように、ある人が斎を行う時に、こう思うのです。『私は今日、このような食べ物を食べた。明日はあのような食べ物を食べよう。今日はこのような飲み物を飲んだ。明日はあのような飲み物を飲もう。今日はこのようなものを味わった。明日はあのようなものを味わおう。』 その人は昼夜を通じて欲望に執着し、それに耽ってしまいます。これを放牛児斎といいます。このような放牛児斎のやり方で斎を守っても、大きな利益を得られず、大きな結果も得られず、大きな功徳もなく、広く広まることもありません。」

「居士婦！云何名為尼揵齋耶？若有出家學尼揵者，彼勸人曰：『汝於東方過百由延外有眾生者，擁護彼故，棄捨刀杖，如是南方、西方、北方過百由延外有眾生者，擁護彼故，棄捨刀杖，是為彼勸進人。或有想護眾生，或無想不護眾生，汝當十五日說從解脫時，脫衣裸形，東向住立，作如是說：「我無父母，非父母有，我無妻子，非妻子有，我無奴婢，非奴婢生。」』居士婦！彼欲勸進於真諦語，而反勸進虛妄之言，彼人日日見其父母，便作此念：『是我父母。』父母日日見其兒子，亦作此念：『是我兒子。』彼見妻子，而作此念：『是我妻子。』妻子見彼，亦作此念：『是我尊長。』彼見奴婢，復作此念：『是我奴婢。』奴婢見彼，亦作此念：『是我大家。』彼用此欲，不與而用，非是與用，是謂名曰尼揵齋也。若如是持尼揵齋者，不獲大利，不得大果，無大功德，不得廣布。

> 「居士よ。尼乾の斎とは何か。もし出家して尼乾の教えを学ぶ者があれば、その人は人々にこう勧める。『東方の百由旬の彼方にいる生きとし生けるものを守るために、刀や杖を捨てなさい。同じように南方、西方、北方の百由旬の彼方にいる生きとし生けるものを守るために、刀や杖を捨てなさい。これが彼が人々に勧めることである。ある者は生きとし生けるものを守ろうと思い、またある者は守ろうと思わない。あなたは十五日目に解脱を説く際、衣を脱いで裸となり、東に向かって立ち、こう唱えなさい。「私には父母はいない。父母は私のものではない。私には妻子はいない。妻子は私のものではない。私には奴婢はいない。奴婢は私のものではない。」』と。 居士よ。彼らは真実の言葉を勧めようとして、かえって虚偽の言葉を勧めているのだ。その人は日々自分の父母を見れば「これは私の父母だ」と思い、父母も日々自分の子を見れば「これは私の子だ」と思う。妻や子を見れば「これは私の妻子だ」と思い、妻子も彼を見て「これは私の尊長だ」と思う。奴婢を見れば「これは私の奴婢だ」と思い、奴婢も彼を見て「これは私の主人だ」と思う。それなのに彼らは欲望のままに、与えられていないものを用い、正当に与えられたものではない。これを尼乾の斎という。 もしこのように尼乾の斎を行うならば、大きな利益を得ず、大きな果報を得ず、大きな功徳もなく、広く行き渡ることもない。」

「居士婦！云何名為聖八支齋？多聞聖弟子若持齋時，作是思惟：『阿羅訶真人盡形壽離殺、斷殺，棄捨刀杖，有慙有愧，有慈悲心，饒益一切，乃至蜫蟲，彼於殺生淨除其心，我亦盡形壽離殺、斷殺，棄捨刀杖，有慙有愧，有慈悲心，饒益一切，乃至蜫蟲。我今於殺生淨除其心，我以此支於阿羅訶等同無異。』是故說齋。

> 「在家の皆さん、では聖なる八支の斎戒とは何でしょうか。多聞の聖なる弟子が斎戒を受ける時、こう考えます。『阿羅漢の方々は生涯にわたって殺生を離れ、断ち、刀や杖を捨て、恥じる心と慎む心を持ち、慈悲の心で一切の生きとし生けるものを利益し、小さな虫に至るまで、殺生から心を清めている。私もまた生涯にわたって殺生を離れ、断ち、刀や杖を捨て、恥じる心と慎む心を持ち、慈悲の心で一切の生きとし生けるものを利益し、小さな虫に至るまで、殺生から心を清めよう。今、私は殺生から心を清め、この点において阿羅漢の方々とまったく同じである。』これが斎戒と言われる所以です。」

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，作是思惟：『阿羅訶真人盡形壽離不與取、斷不與取，與而後取，樂於與取，常好布施，心樂放捨，歡喜無恡，不望其報，不以盜覆心，能自制己。彼於不與取淨除其心，我亦盡形壽離不與取、斷不與取，與而後取，樂於與取，常好布施，心樂放捨，歡喜無恡，不望其報，不以盜覆心，能自制己。我於不與取淨除其心，我以此支於阿羅訶等同無異。』是故說齋。

> また、在家の女性たちよ。真理をよく聴き学ぶ聖なる弟子が斎日（お斎の日）を守るとき、このように考えます。 「阿羅漢（完全に悟りをひらいた聖者）は、生涯にわたって、与えられていないものを取ることを離れ、それを断ち切っている。与えられてから受け取り、与えることを喜び、常に施しを好み、心から惜しみなく与えることを楽しみ、見返りを求めず、盗みの心に覆われず、よく自分を制している。彼らは与えられていないものを取らないことによって、心を清らかにしている。 私もまた、生涯にわたって、与えられていないものを取ることを離れ、それを断ち切ろう。与えられてから受け取り、与えることを喜び、常に施しを好み、心から惜しみなく与えることを楽しみ、見返りを求めず、盗みの心に覆われず、よく自分を制しよう。私は与えられていないものを取らないことによって、心を清らかにしよう。この戒めによって、私は阿羅漢の方々と全く同じである。」 このように説かれるから、これを斎というのです。

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，作是思惟：『阿羅訶真人盡形壽離非梵行、斷非梵行，修行梵行，至誠心淨，行無臭穢，離欲斷婬。彼於非梵行淨除其心，我於此日此夜離非梵行、斷非梵行，修行梵行，至誠心淨，行無臭穢，離欲斷婬。我於非梵行淨除其心，我以此支於阿羅訶等同無異。』是故說齋。

> また、在家の婦人よ。よく学んだ聖なる弟子が斎日を守る時、このように思惟するのです。 「阿羅漢（あらかん）たる聖者は、生涯にわたって非梵行（ひぼんぎょう）を離れ、非梵行を断ち、清らかな行いを修め、誠実な心で清らかに、汚れのない行いをし、欲望を離れ、婬（いん）を断っている。彼らは非梵行から心を清めている。私もこの日、この夜、非梵行を離れ、非梵行を断ち、清らかな行いを修め、誠実な心で清らかに、汚れのない行いをし、欲望を離れ、婬を断とう。私は非梵行から心を清め、この戒めにおいて阿羅漢と等しく、異なるところがない。」 このようにして斎（いつき）を保つと説かれています。

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，作是思惟：『阿羅訶真人盡形壽離妄言、斷妄言，真諦言，樂真諦，住真諦，為人所信，不欺世間。彼於妄言淨除其心，我亦盡形壽離妄言、斷妄言，真諦言，樂真諦，住真諦，為人所信，不欺世間。我於妄言淨除其心，我以此支於阿羅訶等同無異。』是故說齋。

> さらに、在家の女性よ。多くの教えを聞いた聖なる弟子は、斎戒を行うときに、このように考えます。 「阿羅漢（あらかん）は、生涯にわたって虚偽の言葉を離れ、虚偽の言葉を断ち切る。真実の言葉を語り、真実を喜び、真実に安住し、人々から信頼され、世間を欺かない。その方は、虚偽の言葉に対して心を清めている。 私もまた、生涯にわたって虚偽の言葉を離れ、虚偽の言葉を断ち切ろう。真実の言葉を語り、真実を喜び、真実に安住し、人々から信頼され、世間を欺かないようにしよう。私は虚偽の言葉に対して心を清め、この行いによって阿羅漢と等しく、異なるところがないようにする。」 このゆえに、これを斎戒というのです。

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，作是思惟：『阿羅訶真人盡形壽離酒放逸、斷酒放逸。彼於酒放逸淨除其心，我亦盡形壽離酒放逸、斷酒放逸。我於酒放逸淨除其心，我以此支於阿羅訶等同無異。』是故說齋。

> さらに、在家の皆さんよ。よく教えを聞いた聖なる弟子は、斎（さい）を守る時に、このように思惟します。 『阿羅漢（あらかん）の聖者は、生涯にわたり酒から離れ、酒による放逸（ほういつ）を断ち切っている。彼らは酒による放逸から心を清めている。私もまた、生涯にわたり酒から離れ、酒による放逸を断ち切ろう。私は酒による放逸から心を清め、この一つの実践において、阿羅漢と全く同じである。』 このゆえに、これを斎と言うのです。

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，作是思惟：『阿羅訶真人盡形壽離高廣大床、斷高廣大床，樂下坐臥，或床或敷草。彼於高廣大床淨除其心，我於此日此夜離高廣大床、斷高廣大床，樂下坐臥，或床或敷草。我於高廣大床淨除其心，我以此支於阿羅訶等同無異。』是故說齋。

> さらに、在家の女性よ。よく学んだ聖なる弟子が斎戒を行う時、このように思惟する。「阿羅漢（聖者）は生涯、高く広い立派な寝台を離れ、それを断ち、低い場所での休息を楽しむ。それは簡素な寝台や草の上に敷いたものかもしれない。彼らは高く広い寝台に対して心を清める。私もこの日、この夜、高く広い立派な寝台を離れ、それを断ち、低い場所での休息を楽しもう。それは簡素な寝台や草の上に敷いたものかもしれない。私は高く広い寝台に対して心を清め、この行いによって阿羅漢たちと等しく、異なるところがない」と。ゆえにこれを斎戒という。

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，作是思惟：『阿羅訶真人盡形壽離華鬘、瓔珞、塗香、脂粉、歌舞、倡伎及往觀聽，斷華鬘、瓔珞、塗香、脂粉、歌舞、倡伎及往觀聽。彼於華鬘、瓔珞、塗香、脂粉、歌舞、倡伎及往觀聽淨除其心。我於此日此夜離華鬘、瓔珞、塗香、脂粉、歌舞、倡伎及往觀聽，斷華鬘、瓔珞、塗香、脂粉、歌舞、倡伎及往觀聽。我於華鬘、瓔珞、塗香、脂粉、歌舞、倡伎及往觀聽淨除其心，我以此支於阿羅訶等同無異。』是故說齋。

> また、在家の皆さんよ。聡明な聖なる弟子が斎戒を行う時、このように考えます。『阿羅漢の聖者は、生涯にわたり、花飾りや宝石の首飾り、塗り香、おしろい、歌舞音曲や見物を避け、これらを断ち切っている。彼らはそうしたものから心を清めている。私もこの一日一夜、花飾りや宝石の首飾り、塗り香、おしろい、歌舞音曲や見物を避け、これらを断ち切ろう。そうして、私はそれらから心を清め、この点において阿羅漢と等しく異なるところがないようにしよう。』と。それゆえに、これを斎戒と言うのです。

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，作是思惟：『阿羅訶真人盡形壽離非時食、斷非時食、一食，不夜食、樂於時食。彼於非時食淨除其心，我於此日此夜離非時食、斷非時食、一食，不夜食、樂於時食。我於非時食淨除其心，我以此支於阿羅訶等同無異。』是故說齋。

> 「また、在家の淑女よ。よく学んだ聖なる弟子は、斎戒を行う時、このように考えます。『阿羅漢（あらかん）の聖者は、生涯を通じて、不時に食べることを離れ、不時に食べることを断ち、一日一食とし、夜には食べず、時に応じて食べることを喜ばれる。かの聖者は、不時に食べることから心を清める。私はこの日、この夜、不時に食べることを離れ、不時に食べることを断ち、一日一食とし、夜には食べず、時に応じて食べることを喜ぶ。私は不時に食べることから心を清める。私はこの戒めによって、阿羅漢の聖者と等しく、異なるところがない。』このようにして、斎戒（さいかい）は説かれるのです。」

「彼住此聖八支齋已，於上當復修習五法。云何為五？居士婦！多聞聖弟子若持齋時，憶念如來：『彼世尊、如來、無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、眾祐。』彼作如是憶念如來已，若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。居士婦！多聞聖弟子緣如來故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。

> 〈尊者よ、この聖なる八斎戒を受けた後、さらに五つの修行法を修めるべきです。その五つとは何か。居士の婦人よ、聡明な聖なる弟子は、斎日を守る時に、如来を念じます。『かの世尊、如来、応供、正等覚者、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏陀、世尊。』と。このように如来を念じると、もし悪い考えが生じても、それは消え去ります。また、すべての汚れた不善の法も消え去ります。居士の婦人よ、聡明な聖なる弟子は、如来を縁として心が静まり、喜びを得ます。もし悪い考えが生じても、それは消え去り、すべての汚れた不善の法も消え去ります。

「譬若如人，頭有垢膩，因膏澤、暖湯、人力、洗沐故，彼便得淨。如是多聞聖弟子若持齋時，憶念如來：『彼世尊、如來、無所著、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師，號佛、眾祐。』彼作如是憶念如來已，若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。居士婦！多聞聖弟子緣如來故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅，是謂多聞聖弟子持梵齋，梵共會，因梵故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。

> 例えば、人の頭に脂や汚れがついていたとします。そこで、香油や温かい湯、人の力、洗って清めることによって、その人は清らかになります。このように、よく学ぶ聖なる弟子が斎（とき）を守る時、如来を念じます。「かの世尊、如来、無著、等正覚、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊」と。このように如来を念じれば、もし悪い考えが生じても、それは消え去ります。また、汚れや悪しき不善の法も消え去ります。 在家の女性よ！よく学ぶ聖なる弟子は、如来を縁として心が静まり、喜びを得ます。もし悪い考えが生じても、それは消え去り、汚れや悪しき不善の法も消え去ります。これを、よく学ぶ聖なる弟子が清らかな斎を守り、清らかな者と共に集い、清らかなものを縁として心が静まり喜びを得るといいます。もし悪い考えが生じても、それは消え去り、汚れや悪しき不善の法も消え去るのです。

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，憶念於法：『此法世尊善說，究竟，恒不變易，正智所知，正智所見，正智所覺。』彼作如是憶念法已，若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。居士婦！多聞聖弟子緣於法故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。

> また、在家の女性たちよ。よく学んだ聖なる弟子が斎戒の時、法を心に念じるのです。 「この法は、世尊がよく説かれ、究極的で、永遠に変わることがなく、正しい智慧によって知られ、正しい智慧によって見られ、正しい智慧によって覚られるものである。」 このように法を心に念じると、もし悪い思いが起きても、それは消え去ります。また、心を汚すような不善の法も消え去るのです。 在家の女性たちよ。よく学んだ聖なる弟子は、法によって心が澄み、喜びを得ます。もし悪い思いが起きても、それは消え去り、心を汚す不善の法も消え去るのです。

「猶人身有垢膩不淨，因麩、澡豆、暖湯、人力，極洗浴故，身便得淨。如是多聞聖弟子若持齋時，憶念於法：『此法世尊善說，究竟，恒不變易，正智所知，正智所見，正智所覺。』彼作如是憶念法已，若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。居士婦！多聞聖弟子緣於法故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅，居士婦！是謂多聞聖弟子持法齋，法共會，因法故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。

> ちょうど人の体に垢や汚れがついていても、ふすまや洗い粉、温かい湯、人の力で念入りに洗えば、体が清らかになるように、これと同じく、多くの教えを聞いた聖なる弟子が斎（とき）を守る時に、法（教え）を心に思い浮かべるのです。 「この法は、世尊がよく説かれ、究極であり、常に変わることがなく、正しい智慧によって知られ、正しい智慧によって見られ、正しい智慧によって覚られるものである。」 彼がこのように法を思い浮かべると、もしも悪い思いが起こっても、それは消え去ります。また、あらゆる汚れや穢れ、悪しき善からぬ法も消え去るのです。 在俗の信者の女性よ、多くの教えを聞いた聖なる弟子は、法によって心が静まり、喜びを得ます。もし悪い思いがあれば、それは消え去り、あらゆる汚れや穢れ、悪しき善からぬ法も消え去るのです。 在俗の信者の女性よ、これこそが、多くの教えを聞いた聖なる弟子が法の斎を守り、法と共にあり、法によって心が静まり、喜びを得るということです。もし悪い思いがあれば、それは消え去り、あらゆる汚れや穢れ、悪しき善からぬ法も消え去るのです。

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，憶念於眾：『世尊弟子眾善趣向質直，行要行趣，如來眾中實有阿羅訶真人趣、阿羅訶果證、阿那含趣、阿那含果證、斯陀含趣、斯陀含果證、須陀洹趣、須陀洹果證，是為四雙人八輩聖士。是謂世尊弟子眾，成就戒、定、慧、解脫、解脫見智，可呼、可請、可供養、可奉事、可敬重，則為天人良福之田。』彼作如是憶念眾已，若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。居士婦！多聞聖弟子緣於眾故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。

> さらに、居士の妻よ。多く聞いた聖なる弟子が斎日を守るとき、僧伽を思い起こすのです。 『世尊の弟子の僧伽は、善き方向へと向かい、真直ぐであり、正しい行いを実践し、真実の道を歩む。如来の僧伽の中には、実際に阿羅漢へと向かう者、阿羅漢の果を証する者、阿那含へと向かう者、阿那含の果を証する者、斯陀含へと向かう者、斯陀含の果を証する者、須陀洹へと向かう者、須陀洹の果を証する者がいる。これが四双の八輩の聖者である。これが世尊の弟子の僧伽であり、戒、定、慧、解脱、解脱知見を成就し、呼ぶべきであり、招くべきであり、供養すべきであり、仕えるべきであり、敬うべきである。まさに天人の良き福田である。』 そのように僧伽を念じたならば、もし悪い考えがあれば、それは消え去ります。あらゆる汚れや不善の法もまた消え去ります。 居士の妻よ。多く聞いた聖なる弟子は、僧伽を縁として心が静まり、喜びを得ます。もし悪い考えがあれば、それも消え去り、あらゆる汚れや不善の法もまた消え去ります。

「猶如人衣有垢膩不淨，因灰、皂莢、澡豆、湯水、人力浣故，彼便得淨。如是多聞聖弟子若持齋時，憶念於眾：『世尊弟子眾善趣向質直，行要行趣，如來眾中實有阿羅訶真人趣、阿羅訶果證、阿那含趣、阿那含果證、斯陀含趣、斯陀含果證、須陀洹趣、須陀洹果證，是為四雙人八輩聖士。是謂世尊弟子眾，成就戒、定、慧、解脫、解脫見智，可呼、可請、可供養、可奉事、可敬重，則為天人良福之田。』彼作如是憶念眾已，若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。居士婦！多聞聖弟子緣於眾故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅，是謂多聞聖弟子持眾齋，眾共會，因眾故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。

> 例えて言うなら、衣服に油や垢の汚れがついていても、灰や石鹸の実、洗粉、湯、人の力で洗えば、きれいになるようなものです。 それと同じように、多くの教えを聞いた聖なる弟子が斎日（お斎の日）に、僧伽（サンガ）を心に念じるのです。 「世尊の弟子たちの集いは、善き方向に向かい、直心であり、戒めに従い、悟りをめざして進む方々である。 如来の教えの集いには、本当に阿羅漢（あらかん）の境地に向かう者、阿羅漢の果を証する者、阿那含（あなごん）の境地に向かう者、阿那含の果を証する者、斯陀含（しだごん）の境地に向かう者、斯陀含の果を証する者、須陀洹（しゅだおん）の境地に向かう者、須陀洹果を証する者がいる。 これが四双（しそう）八輩（はちはい）の聖なる方々である。 これこそが世尊の弟子たちの集いであり、戒、定、慧、解脱、解脱見智（げだつけんち）を成就し、呼ぶにふさわしく、招くにふさわしく、供養するにふさわしく、仕えるにふさわしく、敬うにふさわしい。まさに天と人にとっての良き福田（ふくでん）である。」 このように僧伽を心に念じると、もし汚れた思いが生じても、それは消え去ります。また、すべての汚れた不善の法も消え去るのです。 居士の妻よ。多くの教えを聞いた聖なる弟子は、僧伽をよりどころとして、心が静まり、喜びを得ます。 もし汚れた思いが生じても、それは消え去り、すべての汚れた不善の法も消え去ります。 これが、多くの教えを聞いた聖なる弟子が、僧伽を斎（とき）とし、僧伽と共に会い、僧伽によって心が静まり、喜びを得るということです。 もし汚れた思いが生じても、それは消え去り、すべての汚れた不善の法も消え去るのです。

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，憶念自戒：『不缺不穿，無穢無污，極廣極大，不望其報，智者稱譽，善具善趣，善受善持。』彼作如是憶念自戒已，若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。居士婦！多聞聖弟子緣於戒故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。

> さらに、在家の皆さんよ。よく学んだ聖なる弟子が斎日を守る時、自らの戒めを心に思い起こします。『この戒めは欠けることなく、破られることなく、汚れず、濁らず、極めて広く、極めて大きく、見返りを望まず、賢者たちから称賛され、善く完成され、善く向かうところへ至り、善く受け入れられ、善く保たれている』と。このように自らの戒めを心に思い起こせば、もし悪い考えが生じても、それは消え去ります。また、あらゆる汚れや濁り、不善の法も消え去ります。在家の皆さんよ。よく学んだ聖なる弟子は、戒めをよりどころとするゆえに、心が静まり、喜びが生じます。もし悪い考えが生じても、それは消え去ります。あらゆる汚れや濁り、不善の法もまた消え去るのです。

「猶若如鏡，生垢不明，因石磨鋥瑩，由人力治，便得明淨。如是多聞聖弟子若持齋時，憶念自戒：『不缺不穿，無穢無污，極廣極大，不望其報，智者稱譽，善具善趣，善受善持。』彼作如是憶念自戒已，若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。居士婦！多聞聖弟子緣於戒故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅，是謂多聞聖弟子持戒齋，戒共會，因戒故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。

> 鏡が汚れて曇ると、石で磨き、人の手をかけることではじめて、明るく清らかになるように、教えをよく聴いた聖なる弟子が斎（とき）を守るとき、自らの戒めを心に思い起こす。 「この戒めは欠けず、破れず、汚れず、濁らず、極めて広く大きく、見返りを望まず、賢者に称えられ、善く具わり、善き境地に向かい、善く受け、善く保たれている。」 このように自らの戒めを心に思い起こせば、もしも悪い思いが生じても、それは消え去る。あらゆる汚れや濁り、悪しき善ならざる法もまた消え去る。 在家の婦人よ。教えをよく聴いた聖なる弟子は、戒めによって心が静まり、喜びを得る。もしも悪い思いが生じても、それは消え去る。あらゆる汚れや濁り、悪しき善ならざる法もまた消え去る。このことを、教えをよく聴いた聖なる弟子が戒めを保ち、斎を共にし、戒めによって心が静まり、喜びを得るという。もしも悪い思いが生じても、それは消え去る。あらゆる汚れや濁り、悪しき善ならざる法もまた消え去る。

「復次，居士婦！多聞聖弟子若持齋時，憶念諸天：『實有四王天，彼天若成就信，於此命終，得生彼間，我亦有彼信。彼天若成就戒、聞、施、慧，於此命終，得生彼間，我亦有彼慧。實有三十三天、焰摩天、兜率哆天、化樂天、他化樂天，彼天若成就信，於此命終，得生彼間，我亦有彼信。彼天若成就戒、聞、施、慧，於此命終，得生彼間，我亦有彼慧。』彼作如是憶念已，及諸天信、戒、聞、施、慧。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅，居士婦，多聞聖弟子緣諸天故，心靖得喜。若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。

> さらに、在家の女性たちよ。よく学んだ聖なる弟子が斎日を守るとき、次のように天の神々を思い起こします。 「確かに四天王天は存在する。彼らは信を成就し、この世で命終えた後、あの天界に生まれた。私にも同じ信がある。彼らが戒、聞、施、慧を成就し、この世で命終えた後、あの天界に生まれたように、私にも同じ慧がある。確かに三十三天、焔摩天、兜率天、化楽天、他化自在天も存在する。彼らは信を成就し、この世で命終えた後、あの天界に生まれた。私にも同じ信がある。彼らが戒、聞、施、慧を成就し、この世で命終えた後、あの天界に生まれたように、私にも同じ慧がある。」 このように思い起こした後、彼は天の神々の信、戒、聞、施、慧を念じます。もし悪い考えが生じようとしても、それは消え去ります。また、あらゆる汚れた不善の法も消え去ります。在家の女性たちよ。よく学んだ聖なる弟子は、天の神々を縁として心が静まり、喜びを得ます。もし悪い考えが生じようとしても、それは消え去ります。あらゆる汚れた不善の法もまた消え去るのです。

「猶如上色金，生垢不淨，因火排鉆椎赤土、人力，磨拭瑩治，便得明淨。如是多聞聖弟子若持齋時，憶念諸天：『實有四王天，彼天若成就信，於此命終，得生彼間，我亦有彼信。彼天若成就戒、聞、施、慧，於此命終，得生彼間，我亦有彼慧。實有三十三天、焰摩天、兜率多天、化樂天、他化樂天，彼天若成就信，於此命終，得生彼間，我亦有彼信。彼天若成就戒、聞、施、慧，於此命終，得生彼間，我亦有彼慧。』彼作如是憶念已，及諸天信、戒、聞、施、慧，若有惡伺，彼便得滅，所有穢污惡不善法，彼亦得滅。

> ちょうど、上質な黄金が、汚れや不浄を帯びていても、火や槌（つち）、金床（かなとこ）、赤土（あかつち）、人の手間をかけて磨き、研ぎ澄ますことによって、再び清らかで明るくなるように──全く同じように、多くの教えを聞いた聖なる弟子は、斎戒（さいかい）の時に、天の神々（てんのしんじゃ）たちを心に思い浮かべるのです。「実に、四大王天（しだいおうてん）の天の神々がいる。彼らの天は、もしも確かな信心を成就しているならば、ここでの命を終えた後、そこに生まれる。私にも、その信心がある。彼らの天が、戒（かい）・聞（もん）・施（せ）・慧（え）を成就しているならば、ここでの命を終えた後、そこに生まれる。私にも、その慧がある。実に、三十三天（さんじゅうさんてん）・焔摩天（えんまてん）・兜率天（とそつてん）・化楽天（けらくてん）・他化自在天（たけじざいてん）の天の神々がいる。彼らの天が、もしも確かな信心を成就しているならば、ここでの命を終えた後、そこに生まれる。私にも、その信心がある。彼らの天が、戒・聞・施・慧を成就しているならば、ここでの命を終えた後、そこに生まれる。私にも、その慧がある。」──こうして、彼はその思いを巡らせます。その時、天の神々の信心・戒・聞・施・慧を思い浮かべることで、もしも悪しき心の働きがあれば、それは消え去ります。また、あらゆる汚れた悪しき善からざる法も、その時、消え去るのです。

「居士婦！若行如是聖八支齋，若有十六大國，謂一者鴦迦，二者摩竭陀，三者迦尸，四者拘薩羅，五者拘樓，六者般闍羅，七者阿攝貝，八者阿和檀提，九者枝提，十者跋耆，十一者跋蹉，十二跋羅，十三蘇摩，十四蘇羅吒，十五喻尼，十六劍浮。此諸國中所有錢寶、金、銀、摩尼、真珠、琉璃、壞伽、碧玉、珊瑚、留邵、鞞留、鞞勒、馬瑙、蝳蝐、赤石、旋珠，設使有人於中作王，隨用自在者，彼一切比丘持聖八支齋，不直十六分。

> 在家の皆さんよ。このように聖なる八斎戒を行うならば、十六の大きな国々——すなわち、アンガ、マガダ、カーシ、コーサラ、クル、パンチャーラ、アッサカ、アヴァンティ、チェーディ、ヴァッジ、マッラ、ヴァッサ、スーラ、ソーヴィーラ、カンボージャ、ガンダーラ——これらの国々にある全ての財宝、金、銀、宝珠、真珠、水晶、瑪瑙、碧玉、珊瑚、瑠璃、貝あられ、瑪瑙、すずかけの実、赤石、回旋する宝珠があるとしましょう。たとえそこで人が王となり、思いのままにそれらを使うことができたとしても、その価値は、聖なる八斎戒を守る比丘（修行者）の功徳の十六分の一にも及びません。

「居士婦！我因此故說，人王者不如天樂。若人五十歲是四王天一晝一夜，如是三十晝夜為一月，十二月為一歲，如此五百歲是四王天壽。居士婦！必有是處，若族姓男、族姓女持聖八支齋，身壞命終，生四天王中。居士婦！我因此故說，人王者不如天樂。若人百歲是三十三天一晝一夜，如是三十晝夜為一月，十二月為一歲，如此千歲是三十三天壽。居士婦！必有是處，若族姓男、族姓女持聖八支齋，身壞命終，生三十三天中。

> 「在家の方々よ、このことから私は説きます。人の王様であっても天の楽しみには及ばないと。人の五十年が四天王の一日一夜であり、そのようにして三十日を一ヶ月、十二月を一年とし、その五百年が四天王の寿命です。在家の方々よ、必ずそうしたことがあります。もし良家の男子や良家の女子が聖なる八斎戒を保ち、命終わった後に四天王の世界に生まれるならば。在家の方々よ、このことから私は説きます。人の王様であっても天の楽しみには及ばないと。人の百年が三十三天の一日一夜であり、そのようにして三十日を一ヶ月、十二月を一年とし、その千年が三十三天の寿命です。在家の方々よ、必ずそうしたことがあります。もし良家の男子や良家の女子が聖なる八斎戒を保ち、命終わった後に三十三天の世界に生まれるならば。」

「居士婦！我因此故說，人王者不如天樂。若人二百歲是焰摩天一晝一夜，如是三十晝夜為一月，十二月為一歲，如此二千歲是焰摩天壽。居士婦！必有是處，若族姓男、族姓女持聖八支齋，身壞命終，生焰摩天中。居士婦！我因此故說，人王者不如天樂。若人四百歲是兜率陀天一晝一夜，如是三十晝夜為一月，十二月為一歲，如此四千歲是兜率陀天壽。居士婦！必有是處，若族姓男、族姓女持聖八支齋，身壞命終，生兜率哆天中。

> 「在家の皆さま、ですから私はこう申します。人間の王者といえども、天の楽しみには及びません。人間の二百年が、焔摩天の一日一夜であり、そのように三十昼夜で一月、十二月で一年、そうして二千年が焔摩天の寿命となります。在家の皆さま、必ずこうなる場合があります。もし良家の男子や良家の女子が尊い八つの戒めを守り、身体が壊れて命が終われば、焔摩天に生まれ変わります。在家の皆さま、ですから私はこう申します。人間の王者といえども、天の楽しみには及びません。人間の四百年が、兜率陀天の一日一夜であり、そのように三十昼夜で一月、十二月で一年、そうして四千年が兜率陀天の寿命となります。在家の皆さま、必ずこうなる場合があります。もし良家の男子や良家の女子が尊い八つの戒めを守り、身体が壊れて命が終われば、兜率陀天に生まれ変わります。」

「居士婦！我因此故說，人王者不如天樂。若人八百歲是化樂天一晝一夜，如是三十晝夜為一月，十二月為一歲，如此八千歲是化樂天壽。居士婦！必有是處，若族姓男、族姓女持聖八支齋，身壞命終，生化樂天中。居士婦！我因此故說，人王者不如天樂。若人千六百歲是他化樂天一晝一夜，如是三十晝夜為一月，十二月為一歲，如此萬六千歲是他化樂天壽。居士婦！必有是處，若族姓男、族姓女持聖八支齋，身壞命終，生他化樂天中。」

> 「在家の皆様よ、私はこの理由から、人間の王者といえども天の楽しみには及ばないと説きます。人間の八百年が、化楽天における一昼夜です。そのように三十昼夜で一月、十二ヶ月で一年とし、その八千年が化楽天の寿命です。在家の皆様よ、確かにこのようなことがあります。良家の男子や良家の女子が、聖なる八支の斎戒を守り、命終えた後、化楽天に生まれることがあるのです。在家の皆様よ、私はこの理由から、人間の王者といえども天の楽しみには及ばないと説きます。人間の千六百年が、他化楽天における一昼夜です。そのように三十昼夜で一月、十二ヶ月で一年とし、その一万六千年が他化楽天の寿命です。在家の皆様よ、確かにこのようなことがあります。良家の男子や良家の女子が、聖なる八支の斎戒を守り、命終えた後、他化楽天に生まれることがあるのです。」

於是，鹿子母毘舍佉叉手向佛，白曰：「世尊！聖八支齋甚奇！甚特！大利大果，有大功德，有大廣布。世尊！我從今始，自盡形壽持聖八支齋，隨其事力，布施修福。」

> そこで鹿子母ピサーカーは合掌して仏に向かい、申し上げました。「世尊よ、聖なる八斎戒は何と素晴らしく、何と特別なことでしょう。大きな利益、大きな果報があり、大きな功徳があり、大きく広まるものです。世尊よ、私は今日から、生涯にわたって聖なる八斎戒を受持ち、その力に応じて布施を行い福徳を積みます。」

於是，鹿子母聞佛所說，善持，稽首稽首佛足，繞三匝而去。

> そこで、鹿子母は仏の説法を聞き終え、それをよく理解して受け止めた。深く頭を下げて仏の足に礼拝し、三度右に回ってから立ち去った。

佛說如是。鹿子母毘舍佉及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> 仏がこのようにお説きになった。ルコツの母、ビサーカーや比丘たちは、仏の説法を聞いて、喜び、その教えの通りに実践した。

持齋經第一竟四千四十九字

> 「斎を保つ経」第一章 終わり<note>四千四十九字</note>