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title: "中阿含經 · 203 晡利多經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （二〇三）中阿含晡利多品晡利多經第二第五後誦

> （二〇三）中阿含経 晡利多品 晡利多経第二<note>第五後誦</note>

我聞如是。

> このように私は聞きました。

一時，佛遊那難大，在波和利㮈園之中。

> ある時、釈尊は那難の国にある波和利㮈園（パーヴァリーカ・マンゴー園）におられた。

爾時，晡利多居士著白淨衣，白巾裹頭，拄杖執蓋，著世俗屣，從園至園，從觀至觀，從林至林，遍遊從行彷徉。若見諸沙門、梵志者，便作是說：「諸賢！當知我離俗斷俗，捨諸俗事。」

> その時、居士ブーリダは清らかな白い衣をまとい、白い布を頭に巻き、杖をつき、傘をさし、世間の履物を履いて、園から園へ、観賞所から観賞所へ、林から林へと歩き回り、あちこちを逍遥していた。そして、修行者や行者たちに出会うたびに、こう言った。 「皆さま、お聞きください。私は俗世を離れ、俗世を断ち切り、すべての俗世の務めを捨てました。」

彼諸沙門、梵志以濡軟柔和語曰：「唯然。賢晡利多離俗斷俗，捨諸俗事。」

> その修行僧やバラモンたちは、穏やかで柔和な言葉でこう言った。 「その通りです。尊きプリンダは世俗を離れ、世俗を断ち切り、あらゆる俗世の行いを捨て去られました。」

於是，晡利多居士遍遊行彷徉，往詣佛所，共相問訊，當在佛前，拄杖而立，世尊告曰：「居士！有座，欲坐便坐。」

> そこで、プーリカ居士はあちこちを歩き回りながら、仏のもとへと向かい、互いに挨拶を交わした後、仏の前に杖をついて立った。すると、世尊がおっしゃった。「居士よ、席がある。座りたければ、そのまま座るがよい。」

晡利多居士白曰：「瞿曇！此事不然，此事不可。所以者何？我離俗斷俗，捨諸俗事，而沙門瞿曇喚我為居士耶？」

> 毘利多居士が申し上げました。「ゴータマよ、その呼び方には及びません。どうしてかと申しますと、私は俗世を離れ、俗世の務めを断ち、世俗の出来事をすべて捨てました。それなのに、沙門ゴータマが私を『居士』とお呼びになるのはどういうわけでしょうか？」

世尊答曰：「汝有相幖幟如居士，是故我喚汝：『居士！有座，欲坐便坐。』」

> 世尊が答えられました。「あなたには在家の信者であることを示す相（特徴）があります。ですから私はあなたに向かって『在家の信者よ、席があります。座りたければ、お掛けなさい』と呼びかけたのです。」

世尊如是復至再三告曰：「居士！有座，欲坐便坐。」

> 世尊は、さらに三度くり返しておっしゃいました。「在家の方よ、席がありますので、お座りになりたいなら、どうぞおかけください。」

晡利多居士亦至再三白曰：「瞿曇！此事不然，此事不可。我離俗斷俗，捨諸俗事，而沙門瞿曇喚我為居士耶？」

> プリド居士がまたもや重ねて申し上げた。「ゴータマよ、それは違います。それはなりません。私は俗世を離れ、俗事を断ち、あらゆる俗事を捨てているのに、沙門ゴータマは私を『居士』と呼ぶのですか？」

世尊答曰：「汝有相幖幟如居士，是故我喚汝：『居士！有座，欲坐便坐。』」

> 世尊が答えられました。「あなたには在家の信者であることを示す相（特徴）があります。ですから私はあなたに向かって『在家の信者よ、席があります。座りたければ、お掛けなさい』と呼びかけたのです。」

世尊問曰：「汝云何離俗斷俗，捨諸俗事耶？」

> 世尊がお尋ねになりました。「あなたは俗世を離れ、俗世を断ち切り、すべての俗世の出来事を捨てたのですか？」

晡利多居士答曰：「瞿曇！我家一切所有財物盡持施兒，我無為無求遊，唯往取食，存命而已，如是我離俗斷俗，捨諸俗事。」

> 答えて言わく、「ゴータマよ、我が家にある一切の財物はことごとく子に施し与えました。私は何もせず、求めることもなく、ただ食べ物を受け取りに行き、命をつないでいるだけです。このようにして、私は俗世を離れ、俗世を断ち、あらゆる俗世の営みを捨て去ったのです。」

世尊告曰：「居士！聖法、律中不如是斷絕俗事。居士！聖法、律中有八支斷俗事也。」

> 世尊はおっしゃいました。「在家の方よ、聖なる教えと戒律の中では、在家の務めを断ち切ることはありません。聖なる教えと戒律には、在家の務めを支える八つの方法があるのです。」

於是，晡利多居士捨杖却蓋，及脫俗屣，叉手向佛，白曰：「瞿曇！聖法、律中云何八支斷俗事耶？」

> そこで、プリンダド在家者は杖を置き、傘をたたみ、さらに世俗の履き物を脱ぎ、両手を合わせて仏に向かい、こう言った。 「ゴータマよ、聖なる法と律の中で、どのように八つの支分によって世俗の事柄が断たれるのですか？」

世尊答曰：「居士！多聞聖弟子依離殺、斷殺，依離不與取、斷不與取，依離邪婬、斷邪婬，依離妄言，斷妄言，依無貪著、斷貪著，依無害恚、斷害恚，依無憎嫉惱、斷憎嫉惱，依無增上慢、斷增上慢。居士！多聞聖弟子云何依離殺、斷殺耶？多聞聖弟子作是思惟：『殺者必受惡報，現世及後世，若我殺者，便當自害，亦誣謗他，天及諸智梵行者道說我戒，諸方悉當聞我惡名，身壞命終，必至惡處，生地獄中。如是殺者受此惡報，現世及後世，我今寧可依離殺、斷殺耶？』便依離殺、斷殺。如是多聞聖弟子依離殺、斷殺也。

> 世尊はお答えになりました。「在家の皆さんよ。よく学んだ聖なる弟子は、殺生を離れることにより、殺生を断ちます。また、与えられてないものを取ることを離れることにより、それを断ちます。邪な行いを離れることにより、それを断ちます。偽りの言葉を離れることにより、それを断ちます。貪り執着のないことにより、それを断ちます。害心のないことにより、それを断ちます。憎しみや嫉妬や悩みのないことにより、それを断ちます。増上慢（おごり）のないことにより、それを断ちます。在家の皆さんよ。では、よく学んだ聖なる弟子は、どのように殺生を離れ、それを断つのでしょうか。よく学んだ聖なる弟子は、次のように考えます。『殺生をする者は、必ず悪い報いを受ける。それは現世においても、また後世においてもである。もし私が殺生をするならば、自分自身を傷つけることになり、また他人を誹謗することになる。天や智慧ある修行者たちは、私の戒め（道徳）について語り、あらゆる方面が私の悪い名声を聞くことになるであろう。そして、この身体が壊れ命が終われば、必ず悪い処（地獄）に生まれ変わることになる。このように、殺生をする者は、現世と後世においてこのような悪い報いを受けるのだ。それならば、私はむしろ殺生を離れ、それを断つべきではないだろうか』と。こうして、殺生を離れ、それを断つのです。このように、よく学んだ聖なる弟子は、殺生を離れ、それを断つのです。」

「居士！多聞聖弟子云何依離不與取、斷不與取耶？多聞聖弟子作是思惟：『不與取者必受惡報，現世及後世，若我不與取者，便當自害，亦誣謗他，天及諸智梵行者道說我戒，諸方悉當聞我惡名，身壞命終，必至惡處，生地獄中。如是不與取者受此惡報，現世及後世，我今寧可依離不與取、斷不與取耶？』便依離不與取、斷不與取。如是多聞聖弟子依離不與取、斷不與取也。

> 「在家の方々よ。よく学んだ聖なる弟子は、どのようにして盗みを離れ、盗みを断つことに依拠するのでしょうか。よく学んだ聖なる弟子はこう考えます。『盗みを行う者は、必ず悪い報いを受ける。現在の世にも、未来の世にも。もし私が盗みを行えば、自分自身を傷つけ、他人にも疑いをかけ、天や賢明な修行者たちは私の戒めの欠如を語り、四方から私の悪い評判が聞こえてくるだろう。そして、この身が壊れ、命が終わるとき、必ず悪い場所、すなわち地獄に生まれることになる。このように、盗みを行う者は現在の世にも未来の世にも悪い報いを受けるのだ。それならば、私は今こそ盗みを離れ、盗みを断つことに依拠すべきではないだろうか。』こうして、盗みを離れ、盗みを断つことに依拠するのです。このように、よく学んだ聖なる弟子は盗みを離れ、盗みを断つことに依拠するのです。」

「居士！多聞聖弟子云何依離邪婬、斷邪婬？多聞聖弟子作是思惟：『邪婬者必受惡報，現世及後世，若我邪婬者，便當自害，亦誣謗他，天及諸智梵行者道說我戒，諸方悉當聞我惡名，身壞命終，必至惡處，生地獄中。如是邪婬者受此惡報，現世及後世，我今寧可依離邪婬、斷邪婬耶？』便依離邪婬、斷邪婬。如是多聞聖弟子依離邪婬、斷邪婬也。

> 在家の皆さんよ。では、教えをよく聞く聖なる弟子は、どのようにして邪な性行為から離れ、それを断つのでしょうか。 教えをよく聞く聖なる弟子は、こう考えます。「邪な性行為を行う者は、必ず悪い報いを受ける。それは現世においても、来世においてもである。もし私が邪な性行為を行えば、自分自身を傷つけることになり、また他人からも非難されるだろう。天の神々や、智慧ある清らかな修行者たちも、私の戒めの破れを語り、あらゆる方向に私の悪い評判が広がるだろう。そして、この身体が壊れて命が終われば、必ず悪い場所、地獄に生まれ落ちるだろう。このように、邪な性行為を行う者は、現世と来世の両方でこのような悪い報いを受けるのだ。それならば、私はむしろ、邪な性行為から離れ、それを断とう」と。 このように考えて、邪な性行為から離れ、それを断つのです。これが、教えをよく聞く聖なる弟子が、邪な性行為から離れ、それを断つ方法なのです。

「居士！多聞聖弟子云何依離妄言、斷妄言耶？多聞聖弟子作是思惟：『妄言者必受惡報，現世及後世，若我妄言者，便當自害，亦誣謗他，天及諸智梵行者道說我戒，諸方悉當聞我惡名，身壞命終，必至惡處，生地獄中。如是妄言者受此惡報，現世及後世，我今寧可依離妄言、斷妄言耶？』便依離妄言、斷妄言。如是多聞聖弟子依離妄言、斷妄言也。

> 「在家の皆さまよ、よく学んだ聖なる弟子は、どのように虚偽の言葉から離れ、それを断つのでしょうか。よく学んだ聖なる弟子はこう考えます。『虚偽の言葉を語る者は、現世でも来世でも必ず悪い報いを受ける。もし私が虚偽の言葉を語れば、自らを害し、他人を陥れることになる。天の人々や智慧ある修行者たちは私の戒めを非難し、四方に私の悪い噂が広まる。そして、この身が滅び命が終われば、必ず悪い場所、地獄に生まれることになる。このように虚偽の言葉を語る者は、現世でも来世でもこのような悪い報いを受けるのだ。だから私は、虚偽の言葉から離れ、それを断とう』と。こうして彼は虚偽の言葉から離れ、それを断つのです。このように、よく学んだ聖なる弟子は虚偽の言葉から離れ、それを断つのです。」

「居士！多聞聖弟子云何依無貪著、斷貪著耶？多聞聖弟子作是思惟：『貪著者必受惡報，現世及後世，若我貪著者，便當自害，亦誣謗他，天及諸智梵行者道說我戒，諸方悉當聞我惡名，身壞命終，必至惡處，生地獄中。如是貪著者受此惡報，現世及後世，我今寧可依無貪著、斷貪著耶？』便依無貪著、斷貪著。如是多聞聖弟子依無貪著、斷貪著也。

> 「では、在家の修行者の皆さん。真理をよく聞いた聖なる弟子は、どのように執着しないことによって、執着を断ち切るのでしょうか。真理をよく聞いた聖なる弟子は、こう考えます。『執着する者は、必ず悪い報いを受ける。それは現世においても、来世においてもである。もし私が執着するならば、自分自身を傷つけ、また他人を中傷し、天や諸々の賢明な修行者たちは私の戒律を非難し、四方から私の悪い評判が聞かれ、この身が壊れ命が終われば、必ず悪いところ、地獄に生まれるであろう。このように執着する者は、現世と来世においてこのような悪い報いを受ける。それならば、私はむしろ、執着しないことによって、執着を断ち切るべきではないだろうか』と。このようにして、彼は執着しないことによって、執着を断ち切るのです。このように、真理をよく聞いた聖なる弟子は、執着しないことによって、執着を断ち切るのです。」

「居士！多聞聖弟子云何依無害恚斷害恚耶？多聞聖弟子作是思惟：『害恚者必受惡報，現世及後世，若我害恚者，便當自害，亦誣謗他，天及諸智梵行者道說我戒，諸方悉當聞我惡名，身壞命終，必至惡處，生地獄中。如是害恚者受此惡報，現世及後世，我今寧可依無害恚、斷害恚耶？』便依無害恚、斷害恚。如是多聞聖弟子依無害恚、斷害恚也。

> では、在家の皆さん。聡明な聖なる弟子は、どのようにして「害する心をなくす」という方法で、害する心を断つのでしょうか。 聡明な聖なる弟子は、このように考えます。 「害する心を持つ者は、必ずや悪い報いを受ける。現世においても、来世においても。もし私が害する心を持てば、自分自身を傷つけることになり、また他人を誹謗中傷することにもなる。天の人々や、智慧ある修行者たちは、私の戒めを非難するだろう。世間のあらゆる方面に、私の悪い評判が広がるだろう。そして、この身体が壊れ命が終わるとき、必ず悪い場所、地獄に生まれることになる。 このように、害する心を持つ者は、現世においても来世においても、このような悪い報いを受けるのだ。 それならば、私は今こそ、『害する心をなくす』という方法によって、害する心を断とう。」 このように考えて、彼は「害する心をなくす」という方法によって、害する心を断つのです。 これが、聡明な聖なる弟子が、「害する心をなくす」という方法によって、害する心を断つということです。

「居士！多聞聖弟子云何依無憎嫉惱、斷憎嫉惱耶？多聞聖弟子作是思惟：『憎嫉惱者必受惡報，現世及後世，若我憎嫉惱者，便當自害，亦誣謗他，天及諸智梵行者道說我戒，諸方悉當聞我惡名，身壞命終，必至惡處，生地獄中。如是憎嫉惱者受此惡報，現世及後世，我今寧可依無憎嫉惱、斷憎嫉惱耶？』便依無憎嫉惱、斷憎嫉惱。如是多聞聖弟子依無憎嫉惱、斷憎嫉惱也。

> 「在家の方々よ。よく学んだ聖なる弟子は、どのようにして憎しみや嫉妬・悩みから離れ、それを断ち切るのでしょうか。 よく学んだ聖なる弟子は、次のように考えます。 『憎しみや嫉妬・悩みを持つ者は、必ず悪い報いを受ける。今の世も後の世も、もし私が憎しみや嫉妬・悩みを持つならば、自分自身を傷つけ、他人を誹謗し、天や智慧ある修行者たちは私の戒めを非難し、四方から私の悪い評判が聞こえ、身体が壊れ命が終われば、必ず悪い場所、地獄に生まれるであろう。このように、憎しみや嫉妬・悩みを持つ者は、今の世も後の世もこのような悪い報いを受けるのだ。それならば、私はむしろ憎しみや嫉妬・悩みから離れ、それを断ち切るべきではないか』 こうして、憎しみや嫉妬・悩みから離れ、それを断ち切るのです。 このように、よく学んだ聖なる弟子は、憎しみや嫉妬・悩みから離れ、それを断ち切るのです。」

「居士！多聞聖弟子云何依無增上慢、斷增上慢耶？多聞聖弟子作是思惟：『增上慢者必受惡報，現世及後世，若我增上慢者，便當自害，亦誣謗他，天及諸智梵行者道說我戒，諸方悉當聞我惡名，身壞命終，必至惡處，生地獄中。如是增上慢者受此惡報，現世及後世，我今寧可依無增上慢、斷增上慢耶？』便依無增上慢、斷增上慢。如是多聞聖弟子依無增上慢、斷增上慢也。是謂聖法、律中有八支斷絕俗事。」

> 「では、在家の皆さん。よく学んだ聖なる弟子は、どのようにして高慢に頼ることなく、高慢を断ち切るのでしょうか。よく学んだ聖なる弟子は、こう考えます。『高慢な者は必ず悪い報いを受ける。現世でも来世でも。もし私が高慢であれば、自らを傷つけ、他人を誹謗し、天や賢明な修行者たちは私の戒めを非難し、辺り一面に私の悪名が広まり、命終われば必ず悪い場所、地獄に生まれ落ちるだろう。このように高慢な者は、現世でも来世でも悪い報いを受ける。それならば、私はむしろ高慢に頼らず、高慢を断ち切るべきではないか』と。そして、高慢に頼ることなく、高慢を断ち切るのです。このように、よく学んだ聖なる弟子は、高慢に頼ることなく、高慢を断ち切ります。これが聖なる法と律における、世俗の事柄を断つ八つの支分である、と説かれています。」

居士問曰：「瞿曇！聖法、律中但是斷俗事，復更有耶？」

> 居士が尋ねました。「ゴータマよ、聖なる法と律の中では、ただ世俗の事を断つだけなのでしょうか？ それとも他にもあるのですか？」

世尊答曰：「聖法、律中不但有是斷絕俗事，更有八支斷絕俗事得作證也。」

> 世尊がお答えになりました。「聖なる法と律の中には、世俗のことを断ち切るこの方法だけがあるのではありません。さらに八つの支分（八正道）によって世俗のことを断ち切り、それを自ら体得することができるのです。」

晡利多居士聞已，便脫白巾，叉手向佛，白曰：「瞿曇！聖法、律中云何更有八支斷絕俗事得作證耶？」

> プーリタ居士はその言葉を聞くと、白い頭巾を脱ぎ、手を合わせて仏に向かい、こう尋ねました。「ゴータマよ、あなたの聖なる教えと戒律において、俗世の事を断ち切る八つの支分によって、どのようにして悟りを証するのでしょうか。」

世尊答曰：「居士！猶如有狗，飢餓羸乏，至屠牛處，彼屠牛師、屠牛弟子淨摘除肉，擲骨與狗。狗得骨已，處處咬嚙，破脣缺齒，或傷咽喉，然狗不得以此除飢。居士！多聞聖弟子亦復作是思惟：『欲如骨鏁。世尊說欲如骨鏁，樂少苦多，多有災患，當遠離之。』若有此捨離欲、離惡不善之法，謂此一切世間飲食永盡無餘，當修習彼。居士！猶去村不遠，有小肉臠，墮在露地，或烏或鵄，持彼肉去，餘烏鵄鳥競而逐之。於居士意云何？若此烏鵄不速捨此小肉臠者，致餘烏鵄競而逐耶？」

> 世尊はお答えになりました。「居士よ、例えば飢えてやせ細った犬が、屠殺場に行くとします。そこでは屠殺師やその弟子たちが、きれいに肉を取り除いた骨を犬に投げ与えます。犬はその骨を得て、あちこち噛み砕き、唇を傷つけ、歯を欠き、あるいは喉を傷つけます。しかし、犬はその骨によって飢えを満たすことはできません。居士よ、よく学んだ聖なる弟子たちもまた、こう考えます。『欲望は骨の塊のようなものだ。世尊は欲望を骨の塊のようなものと言われる。楽しみは少なく苦しみは多く、多くの災いがある。これから遠ざかるべきである』と。もしこの欲望を捨て、悪しき不善の法を離れることがあるならば、これを『あらゆる世間の飲食を完全に尽くして余すところなく捨てる』と呼びます。それを修習すべきです。居士よ、村から遠くないところに、小さな肉片が露地に落ちているとします。すると、カラスやトビがその肉片をくわえて飛び去ります。他のカラスやトビたちが競ってそれを追いかけます。あなたの考えはどうですか。もしこのカラスやトビがすぐにその小さな肉片を放さなければ、他のカラスやトビたちが競って追いかけることになるでしょうか。」

居士答曰：「唯然。瞿曇！」

> 居士が答えた。「その通りです、ゴータマよ。」

「於居士意云何？若此烏鵄能速捨此小肉臠者，餘烏鵄鳥當復競逐耶？」

> 「居士よ、どう思うか？もしこの烏が素早くこの小さな肉片を手放したなら、他の烏たちがなおも競い合って追いかけるだろうか？」

居士答曰：「不也。瞿曇！」

> 居士が答えた。「いいえ、ゴータマよ。」

「居士！多聞聖弟子亦復作是思惟：『欲如肉臠。世尊說欲如肉臠，樂少苦多，多有災患，當遠離之。』若有此捨離欲、離惡不善之法，謂此一切世間飲食永盡無餘，當修習彼。居士！猶如有人，手把火炬、向風而行。於居士意云何，若使此人不速捨者，必燒其手、餘支體耶？」

> 「在家の方よ。よく学んだ聖なる弟子は、こう考えます。『欲望は生肉の塊のようなものだ。世尊は欲望を生肉の塊にたとえられ、楽しみは少なく苦しみは多く、多くの災いがあるので、遠ざけるべきだと説かれた。』もしこの欲望を捨て、悪く善ならざる法を離れるなら、それはこの世のあらゆる飲食を完全に断ち尽くすことであり、それを修習すべきなのです。在家の方よ。例えば、ある人がたいまつを手に持って風に向かって歩くとしましょう。あなたはどう思いますか。もしこの人がすぐにそれを捨てなければ、必ずその手や他の体の部分を焼いてしまうでしょう？」

居士答曰：「唯然。瞿曇！」

> 居士が答えた。「その通りです、ゴータマよ。」

「於居士意云何？若使此人速捨炬者，當燒其手、餘支體耶？」

> 「在家の皆さん、どう思いますか。もしこの人がすぐに松明を捨てれば、手や他の体の部分を焼くことがあるでしょうか。」

居士答曰：「不也。瞿曇！」

> 居士が答えた。「いいえ、ゴータマよ。」

「居士！多聞聖弟子亦復作是思惟：『欲如火炬。世尊說欲如火炬，樂少苦多，多有災患，當遠離之。』若有此捨離欲、離惡不善之法，謂此一切世間飲食永盡無餘，當修習彼。居士！猶去村不遠，有大火坑，滿其中火，而無烟㷿。若有人來，不愚不癡，亦不顛倒，自住本心，自由自在，用樂不用苦，甚憎惡苦，用活不用死，甚憎惡死。於居士意云何？此人寧當入火坑耶？」

> 「居士。よく聞く聖なる弟子は、このように考えます。『欲望は火の燃え盛るたいまつのようなものである。世尊は、欲望はたいまつのようなもので、楽しみは少なく苦しみは多く、様々な災いがあるので、遠く離れるべきであると説かれた。』もし、この欲望を捨て、悪しき不善の法を離れることがあるならば、これを世の中の一切の飲食が尽き果て、残りなくなることと見なして、それを修習すべきです。居士よ。ちょうど村から遠くない所に、大きな火の穴があり、その穴は火で満ちているが、煙も炎もないとしましょう。そこに、愚かでもなく、愚鈍でもなく、心も乱れていない人がやって来ました。その人は自分の本来の心に基づき、自由自在で、苦しみよりも楽しみを求め、苦しみを非常に嫌い、死よりも生きることを望み、死を非常に嫌っています。居士よ、あなたはどう思いますか。この人は、その火の穴に飛び込むでしょうか？」

居士答曰：「不也。瞿曇！所以者何？彼見火坑，便作是思惟：『若墮火坑，必死無疑，設不死者，定受極苦。』彼見火坑，便思遠離，願求捨離。」

> 居士が答えた。「いいえ、ゴータマさま。なぜなら、その人は火の穴を見て、こう考えます──『もし火の穴に落ちれば、必ず死ぬに決まっている。たとえ死ななくても、必ずこの上ない苦しみを受けるだろう』と。その人は火の穴を見て、遠く離れようと思い、そこから逃れたいと願うのです。」

「居士！多聞聖弟子亦復作是思惟：『欲如火坑。世尊說欲如火坑，樂少苦多，多有災患，當遠離之。』若有此捨離欲、離惡不善之法，謂此一切世間飲食永盡無餘，當修習彼。居士！猶去村不遠，有大毒蛇，至惡苦毒，黑色可畏。若有人來，不愚不癡，亦不顛倒，自住本心，自由自在，用樂不用苦，甚憎惡苦，用活不用死，甚憎惡死。於居士意云何？此人寧當以手授與及餘支體，作如是說：『蜇我蜇我耶？』」

> 「在家の皆さま、よく学んだ聖なる弟子は、こう考えます。『欲望は火の穴のようなものだ。世尊は欲望を火の穴にたとえられ、楽しみは少なく苦しみは多く、多くの災いがあるので、遠ざけるべきだと教えられた。』このように、欲望や悪しき不善の法を捨て去ること、すなわち、この世のあらゆる飲食への執着を完全に尽くし、残りなく断つこと——これをこそ修習すべきなのです。在家の皆さま、村から遠くない場所に、大きな毒蛇がいます。極めて悪質な毒を持ち、黒く、恐ろしい姿をしています。もし、ある人がやって来たとします。その人は愚かでなく、また気が狂ってもおらず、自分の心をしっかりと保ち、自由で、楽しみを好み苦しみを嫌い、生きることを願い死を恐れています。さて、皆さまはどう思いますか？この人は、自らの手や体の一部を差し出して、『私を噛め、私を噛め』と言うでしょうか？」

居士答曰：「不也。瞿曇！所以者何？彼見毒蛇，便作是思惟：『若我以手及餘支體使蛇蜇者，必死無疑，設不死者，定受極苦。』彼見毒蛇，便思遠離，願求捨離。」

> 居士が答えた。「いいえ、ゴータマ様。どうしてかと申しますと、その人は毒蛇を見て、こう考えます。『もし私が手や体の他の部分を蛇に噛ませたら、必ず死ぬことは間違いない。たとえ死ななくても、耐え難い苦しみを受けることになるだろう。』その人は毒蛇を見ると、すぐに遠く離れようと考え、そこから逃れたいと願うのです。」

「居士！多聞聖弟子亦復作是思惟：『欲如毒蛇。世尊說欲如毒蛇，樂少苦多，多有災患，當遠離之。』若有此捨離欲、離惡不善之法，謂此一切世間飲食永盡無餘，當修習彼。居士！猶如有人，夢得具足五欲自娛，彼若悟已，都不見一。居士！多聞聖弟子亦復作是思惟：『欲如夢也。世尊說欲如夢也。樂少苦多，多有災患，當遠離之。』若有此捨離欲、離惡不善之法，謂此一切世間飲食永盡無餘，當修習彼。

> 在家の皆さんよ。よく学ぶ聖なる弟子は、次のように考えます。 「欲望は毒蛇のようなものだ。世尊は欲望を毒蛇にたとえ、楽しみは少なく苦しみは多く、数多くの災いをもたらすものだから、遠く離れるべきだと説かれた。もし、この欲望を捨て、悪く不善な法から離れるならば、世の中の一切の飲食への執着が永遠に尽きて余すところがなくなる。そのような状態を修習すべきである。」 在家の皆さんよ。たとえば、ある人が夢の中で十分に五つの欲望を楽しんだとしても、目覚めた時には、そのどれ一つとして目の前に存在しないのと同じです。 在家の皆さんよ。よく学ぶ聖なる弟子は、次のように考えます。 「欲望は夢のようなものだ。世尊は欲望を夢にたとえ、楽しみは少なく苦しみは多く、数多くの災いをもたらすものだから、遠く離れるべきだと説かれた。もし、この欲望を捨て、悪く不善な法から離れるならば、世の中の一切の飲食への執着が永遠に尽きて余すところがなくなる。そのような状態を修習すべきである。」

「居士！猶如有人假借樂具，或宮殿樓閣，或園觀浴池，或象馬車乘，或繒綿被，或指環、臂釧，或香瓔珞頸鉗，或金寶華鬘，或名衣上服，多人見已，而共歎曰：『如是為善，如是為快。若有財物，應作如是極自娛樂。』其物主者，隨所欲奪，或教人奪，即便自奪，或教人奪，多人見已，而共說曰：『彼假借者，實為欺誑，非是假借。』所以者何？其物主者，隨所欲奪，或教人奪，即便自奪，或教人奪。居士！多聞聖弟子亦復作是思惟：『欲如假借，世尊說欲如假借，樂少苦多，多有災患，當遠離之。』若有此捨離欲、離惡不善之法，謂此一切世間飲食永盡無餘，當修習彼。

> 「居士（こじ）よ、たとえばある人が遊び道具を借りたとしよう。宮殿や楼閣、庭園や池、象や馬や車、絹や綿の衣、指輪や腕輪、香りの瓔珞（ようらく）や首飾り、金や宝石の華鬘（けまん）、高価な衣服などだ。それを見た多くの人々が口々に『これは素晴らしい。なんと楽しいことか。もし財産があるなら、こうして思い切り楽しむべきだ』と褒め称える。ところが、その持ち主が来て、自分の好きなままにそれらを取り戻したり、あるいは人に命じて取り戻させたりする。それを見た人々は『借りていた者は確かにごまかしていたのだ。本当に借りていたのではない』と言う。なぜなら、持ち主は自分の好きなままに取り戻すことができるからだ。居士よ、よく聞く聖なる弟子は、このように考えます。『欲望は借り物のようなものだ。世尊は「欲望は借り物のようで、楽しみは少なく苦しみは多く、様々な災いをもたらすものである。それから遠ざかるべきだ」と説かれた。』もしこの欲望を捨て、悪しき善からざる法を離れるならば、これをこそ世の衣食の一切を尽くして余すことなく捨て去るものとして、修習すべきなのです。」

「居士！猶去村不遠，有大果樹，此樹常多有好美果。若有人來，飢餓羸乏，欲得食果，彼作是念：『此樹常多有好美果，我飢羸乏，欲得食果，然此樹下無自落果可得飽食及持歸去，我能緣樹，我今寧可上此樹耶？』念已便上。復有一人來，飢餓羸乏，欲得食果，持極利斧，彼作是念：『此樹常多有好美果，然此樹下無自落果可得飽食及持歸去，我不能緣樹，我今寧可斫倒此樹耶？』即便斫倒。於居士意云何？若樹上人不速來下者，樹倒地時，必折其臂、餘支體耶？」

> 「居士よ、村から遠くないところに大きな果樹があり、その木にはいつも美味しい果実がたくさん実っていました。そこに一人の人がやって来ました。飢えと疲れでやせ衰え、果実を食べたいと思っていました。彼はこう考えました。『この木にはいつも美味しい果実がたくさんある。私は飢えでやせ衰え、果実を食べたい。しかし、この木の下には自然に落ちている果実がなく、満足するまで食べたり、持ち帰ったりすることはできない。だが、私はこの木に登ることができる。今、この木に登ってみようか？』そう考えて、彼は木に登りました。さらに別の人がやって来ました。同じく飢えと疲れでやせ衰え、果実を食べたいと思っていました。彼は非常に鋭い斧を持っていました。彼はこう考えました。『この木にはいつも美味しい果実がたくさんある。しかし、この木の下には自然に落ちている果実がなく、満足するまで食べたり、持ち帰ったりすることはできない。私は木に登ることができない。今、この木を切り倒してみようか？』そうして、彼は木を切り倒しました。居士よ、どう思いますか？もし木の上の人が急いで降りて来なければ、木が倒れる時、その人の腕や他の手足が折れてしまうのではないですか？」

居士答曰：「唯然。瞿曇！」

> 居士が答えた。「その通りです、ゴータマよ。」

「於居士意云何？若樹上人速來下者，樹倒地時，寧折其臂、餘支體耶？」

> 「居士、どう思われるか？もし木の上の人が素早く下りれば、木が倒れる時に、その腕や他の体の部分を折るであろうか。」

居士答曰：「不也。瞿曇！」

> 居士が答えた。「いいえ、ゴータマよ。」

「居士！多聞聖弟子亦復作是思惟，欲如樹果，世尊說欲如樹果，樂少苦多，多有災患，當遠離之。若有此捨離欲、離惡不善之法，謂此一切世間飲食永盡無餘，當修習彼，是謂聖法、律中更有此八支斷絕俗事而得作證。

> 「在家の方々よ。よく聞いて学んだ聖なる弟子は、次のように考えます。欲望は果樹のようなものであると、世尊はおっしゃいました。その果実は楽しみは少なく、苦しみは多く、災いをもたらすものであるため、遠く離れるべきです。もし欲望を捨て、悪しき不善の法から離れるならば、それはこの世のあらゆる飲食の執着が完全に尽き、残りがない状態を意味します。そのような状態を修習すべきです。これこそが聖なる法と律において、俗世の事柄を断ち切り、修行を成就させる八つの支分があるということなのです。」

「居士！彼有覺、有觀息，內靖、一心，無覺、無觀，定生喜、樂，得第二禪成就遊。彼已離喜欲，捨無求遊，正念正智而身覺樂，謂聖所說聖所捨、念、樂住室，得第三禪成就遊。彼樂滅、苦滅，喜、憂本已滅，不苦不樂、捨、念、清淨，得第四禪成就遊。彼已如是定心清淨，無穢無煩，柔軟善住，得不動心，修學漏盡智通作證。彼知此苦如真，知此苦習、知此苦滅、知此苦滅道如真。知此漏如真，知此漏習、知此漏滅、知此漏滅道如真。彼如是知、如是見，欲漏心解脫，有漏、無明漏心解脫，解脫已便知解脫，生已盡，梵行已立，所作已辦，不更受有，知如真。」

> 「居士、彼は、思考と考えを巡らすことが静まり、内面が静かになり、心が一つに統一されて、思考も考えもなく、瞑想から生まれる喜びと安らぎを得て、第二禅を成就した境地で過ごします。 さらに彼は喜びへの執着から離れ、無欲のまま過ごし、正しい心構えと正しい智慧をもって、身に安らぎを感じます。これは聖者が説くところの、執着を捨て、心を保ち、安らぎに住む境地であり、第三禅を成就して過ごします。 さらに彼は、安らぎも苦しみも消え去り、喜びも憂いもすでに滅び、苦しくもなく楽しくもない、心の平等、気づき、清らかさの境地、第四禅を成就して過ごします。 彼はこのように心が定まり清らかになり、汚れも悩みもなく、柔らかくよく整い、動かない心を得て、煩悩の消滅を知る智慧の実践を修め、その証を得ます。 彼はこの苦しみをあるがままに知り、この苦しみの原因をあるがままに知り、この苦しみの消滅をあるがままに知り、この苦しみの消滅に至る道をあるがままに知ります。 また彼は、これらの煩悩をあるがままに知り、煩悩の原因をあるがままに知り、煩悩の消滅をあるがままに知り、煩悩の消滅に至る道をあるがままに知ります。 彼はこのように知り、このように見ることで、欲望の煩悩から心が解放され、存在の煩悩、無明の煩悩から心が解放されます。解脱したならば、『解脱した』と知り、『生は尽きた。清らかな修行は成就した。なすべきことはなされた。もはや迷いの生存を受けることはない』とあるがままに知ります。」

說此法時，晡利多居士遠塵離垢，諸法法眼生。於是，晡利多居士見法得法，覺白淨法，斷疑度惑，更無餘尊，不復由他，無有猶豫，已住果證，於世尊法得無所畏，稽首佛足，白曰：「世尊！我今自歸於佛、法及比丘眾，唯願世尊受我為優婆塞，從今日始，終身自歸，乃至命盡。世尊！我本著白淨衣，白巾裹頭，拄杖執蓋，及著俗屣，從園至園，從觀至觀，從林至林，遍遊行彷徉，若見諸沙門、梵志者，便作是語：『諸賢！我離俗、斷俗，捨諸俗事。』彼諸沙門、梵志濡軟柔和，語我言：『唯然。賢晡利多離俗、斷俗，捨諸俗事。』世尊！我於爾時，彼實無智安著智處，實無智祠，又無智食，實無智，奉事如智慧人。世尊！我從今日，諸比丘眾及世尊弟子，此實有智，安著智慧處，實有智祠，又有智食，實有智，奉事智慧人也。世尊！我今再自歸佛、法及比丘眾，唯願世尊受我為優婆塞，從今日始，終身自歸，乃至命盡。世尊！我本所信敬重外道沙門、梵志者，從今日斷。世尊！我從今三自歸佛、法及比丘眾，唯願世尊受我為優婆塞，從今日始，終身自歸，乃至命盡。」

> この法が説かれた時、プリンダ居士は塵や汚れから遠く離れ、諸法に対する法の眼が生じました。 そこでプリンダ居士は、法を見、法を得、清らかな白い法を覚り、疑いを断ち、迷いを超え、もはや他の尊きものを求めず、他に依ることなく、猶豫することなく、すでに果の證に安住し、世尊の教えにおいて無畏を得て、仏の足に頭を礼して申し上げました。 「世尊よ、私は今、仏、法、そして比丘の僧伽に帰依いたします。どうか世尊よ、私を優婆塞（在家信者）としてお受け入れください。今日より始めて、命の終わるまで終身帰依いたします。 世尊よ、私は以前、白い清らかな衣をまとい、白い布で頭を包み、杖をつき、傘をさし、俗の履き物を履いて、園から園へ、観から観へ、林から林へと遍く遊行し、彷徨っておりました。そして、沙門や梵志たちを見かけると、こう言ったものです。『諸賢よ、私は俗を離れ、俗を断ち、すべての俗事を捨てたのです。』すると、その沙門や梵志たちは柔らかく柔和な言葉で私にこう言いました。『その通りです。賢きプリンダよ、あなたは俗を離れ、俗を断ち、すべての俗事を捨てたのです。』 世尊よ、その時の私は、実は智慧もなく、智慧のないものを智慧ある場所に置き、智慧のない祭祀を行い、智慧のない施食をなし、智慧のないまま、智慧ある人のように奉仕していたのです。 世尊よ、私は今日より、比丘の僧伽および世尊の弟子たちこそ、実に智慧があり、智慧の場所に安住し、実に智慧ある祭祀を行い、また智慧ある施食をなし、実に智慧をもって、智慧ある方に奉仕するのだと知りました。 世尊よ、私は今、再び仏、法、そして比丘の僧伽に帰依いたします。どうか世尊よ、私を優婆塞としてお受け入れください。今日より始めて、命の終わるまで終身帰依いたします。 世尊よ、私が以前に信じ敬い重んじていた外道の沙門や梵志たちは、今日より断ち切ります。 世尊よ、私は今より三たび、仏、法、そして比丘の僧伽に帰依いたします。どうか世尊よ、私を優婆塞としてお受け入れください。今日より始めて、命の終わるまで終身帰依いたします。」

佛說如是。晡利多居士及諸比丘，聞佛所說，歡喜奉行。

> このように仏はお説きになった。 プリタという在家の信者と僧侶たちは、仏の説法を聞いて、喜び、心から実践に励んだのである。

晡利多經第二竟三千六百四十二字

> プリヤ経（第二）終了

## 中阿含經卷第五十五七千六百九十一字第五後誦

> 中阿含経 第五十五巻<note>七千六百九十一字</note><note>第五後誦</note>