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title: "中阿含經 · 220 見經"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### （二二〇）中阿含例品見經第九第五後誦

> （二二〇）中阿含例品見経第九<note>第五後誦</note>

我聞如是：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛般涅槃後不久，尊者阿難遊王舍城，在竹林迦蘭哆園。

> あるとき、仏陀が完全に涅槃に入られた後まもなく、尊い阿難尊者は王舎城にあって、竹林の迦蘭陀園におられた。

於是，有一異學梵志，是尊者阿難未出家時友，中後彷徉，往詣尊者阿難所，共相問訊，却坐一面，語尊者阿難：「欲有所問，聽我問耶？」

> さて、ある異教の修行僧がいた。彼は尊者の阿難がまだ出家する前からの友人であった。午後、彼はぶらぶらと歩き、尊者阿難のもとを訪れた。互いに挨拶を交わした後、一方に座って尊者阿難に言った。「お尋ねしたいことがあります。お聞きしてもよろしいでしょうか？」

尊者阿難答曰：「梵志！欲問便問，我聞已當思。」

> 尊者アーナンダがお答えになりました。「バラモンよ、お聞きになりたいことがあれば、どうぞお尋ねください。私はそれを聞いて、よく考えましょう。」

異學梵志即便問曰：「所謂此見捨置除却，不盡通說，謂世有常，世無有常，世有底，世無底，命即是身，為命異身異，如來終，如來不終，如來終不終，如來亦非終亦非不終耶？沙門瞿曇知此諸見如應知耶？」

> 異学のバラモンが尋ねた。「あなたがおっしゃる、これらの見解を捨て去り、除外し、完全に説き明かさないというのは、すなわち——世は常住である、世は無常である、世には際限がある、世には際限がない、命と身体は同じである、命と身体は異なる、如来は死後も存在する、如来は死後存在しない、如来は死後存在しもしなければ存在しないのでもない——これらの見解について、沙門ゴータマは、それらをあるがままに知っているのでしょうか？」

尊者阿難答曰：「梵志！所謂此見，世尊、如來、無所著、正盡覺捨置除却，不盡通說，謂世有常，世無有常，世有底，世無底，命即是身，為命異身異，如來終，如來不終，如來終不終，如來亦非終亦非不終耶？世尊、如來、無所著、正盡覺知此諸見如應也。」

> 尊きアーナンダは答えた。「バラモンよ、これらの見解について、世尊であり、如来であり、阿羅漢であり、正等覚者である方は、それらを捨て置き、除き去り、完全に説き明かすことはなさらない。すなわち、世界は常住である、世界は常住ではない、世界には限りがある、世界には限りがない、命と身体は同じである、命と身体は別である、如来は死後に存在する、如来は死後に存在しない、如来は死後に存在しもしないし存在しないのでもない、というような見解についてである。世尊であり、如来であり、阿羅漢であり、正等覚者である方は、これらの見解をあるがままに知り尽くしておられるのです。」

異學梵志又復問曰：「所謂此見，沙門瞿曇捨置除却，不盡通說，謂世有常，世無有常，世有底，世無底，命即是身，為命異身異，如來終，如來不終，如來終不終，如來亦非終亦非不終耶？沙門瞿曇云何知此諸見如應耶？」

> 外道の修行者がまた尋ねた。「その見解についてですが、沙門ゴータマは捨て置き、取り除き、詳しく説こうとはなさいません。すなわち、世界は永遠である、世界は永遠ではない、世界には果てがある、世界には果てがない、命は身体そのものである、命と身体は異なる、如来は死後に存在する、如来は死後に存在しない、如来は死後に存在しもしないし存在しないのでもない、といった見解です。沙門ゴータマは、これらの見解をどのようにして正しく知っておられるのですか。」

尊者阿難答曰：「梵志！所謂此見，世尊、如來、無所著、正盡覺捨置除却，不盡通說，謂世有常，世無有常，世有底，世無底，命即是身，為命異身異，如來終，如來不終，如來終不終，如來亦非終亦非不終耶？異學梵志如是具、如是受、如是趣、如是生、如是至後世，所謂此是世尊、如來、無所著、正盡覺捨置除却，不盡通說，謂世有常，世無有常，世有底，世無底，命即是身，為命異身異，如來終，如來不終，如來終不終，如來亦非終亦非不終耶？如是知此諸見，此諸見應如是知。」

> 尊者阿難が答えて言いました。「バラモンよ、これらの見解について、世尊であり、如来であり、正しく目覚めた方は、それらを置き去りにし、除外し、完全に説き明かすことはなさいませんでした。すなわち、『世は常である。世は常ではない。世には限りがある。世には限りがない。命と身体は同じである。命と身体は別である。如来は死後も存在する。如来は死後存在しない。如来は死後存在すると同時に存在しない。如来は死後存在するのでもなく、存在しないのでもない』と。 異なる学問を修めるバラモンたちは、このように捉え、このように執着し、このように向かい、このように生まれ、このように来世へと至ります。 このように、これらの見解を知るべきであり、これらの見解は、このように知るべきなのです。」

異學梵志白曰：「我今自歸於阿難。」

> 異学の梵志が申し上げました。「私は今、阿難尊者に帰依いたします。」

尊者阿難告曰：「梵志！汝莫自歸於我，如我自歸於佛，汝亦應自歸。」

> 「尊者アーナンダは言いました。 『バラモンよ、どうか私を頼りにしてはいけません。 私がお釈迦さまに帰依しているように、あなたもまたお釈迦さまに帰依しなさい。』」

異學梵志白曰：「阿難！我今自歸於佛、法及比丘眾，唯願世尊受我為優婆塞，從今日始，終身自歸，乃至命盡。」

> ある異学の修行者が言いました。「アーナンダ尊者よ、私は今、仏・法・僧（僧伽）に帰依いたします。どうか世尊が私を在家信者（優婆塞）としてお受け入れくださいますように。今日より生涯、命ある限り、帰依いたします。」

尊者阿難所說如是。彼異學梵志聞尊者阿難所說，歡喜奉行。

> 尊者アーナンダがこのように説いた。すると、あの異学の梵志たちは尊者アーナンダの説法を聞き、喜んで実践した。

見經第九竟六百二十五字

> 経典を見ること、第九章が終わりました。 <note>六百二十五字</note>