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title: "中阿含經 · 後出中阿含經記"
description: "中阿含经是佛教重要经典之一，由东晋时期译经师瞿昙僧伽提婆翻译。该经属于原始佛教阿含部经典，收录于汉传佛教大藏经中，与长阿含经、杂阿含经、增一阿含经并称四阿含。内容主要记载佛陀与弟子们的对话，涵盖佛教基本教义如四谛、八正道、十二因缘等核心思想。经文以中篇形式呈现，结构严谨，是研究早期佛教教理的重要文献。作为原始佛教经典，中阿含经在佛教史上具有重要地位，为后世各宗派共同尊奉，对理解佛陀原始教法具有不可替代的价值。"
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### 後出中阿含經記

> 中阿含経後記

昔釋法師於長安出《中阿含》、《增壹》、《阿毘曇》、《廣說》、《僧伽羅叉》、《阿毘曇心》、《婆須蜜》、《三法度》、《二眾從解脫》、《從解脫緣》，此諸經律，凡百餘万言，並違本失旨，名不當實，依俙屬辭，句味亦差，良由譯人造次未善晉言故使爾耳。會燕秦交戰，關中大亂，於是良匠背世，故以弗獲改正。乃經數年，至關東小清，冀州道人釋法和、罽賓沙門僧伽提和，招集門徒，俱遊洛邑，四、五年中研講遂精，其人漸曉漢語，然後乃知先之失也。於是，和乃追恨先失，即從提和更出《阿毘曇》及廣說也。自是之後，此諸經律漸皆譯正，唯《中阿含》、《僧伽羅叉》、《婆須蜜》、《從解脫緣》未更出耳。

> 昔、法師（釈道安）が長安で『中阿含経』『増一阿含経』『阿毘曇』『広説』『僧伽羅叉』『阿毘曇心』『婆須蜜』『三法度』『二衆従解脱』『従解脱縁』を翻訳しました。これらの経典や律は、合わせて百万余りの言葉から成っていましたが、いずれも本来の意味から外れ、名称と内容が一致せず、表現は曖昧で、句や語の味わいも異なっていました。これはひとえに、翻訳者が拙速で、当時まだ漢語に習熟していなかったからです。 ちょうどその頃、燕と秦が戦争を起こし、関中地方は大いに乱れました。こうして優れた翻訳者たちが世を去ったため、これらの誤りを訂正することができなくなってしまいました。それから数年後、関東の情勢がいくぶん落ち着くと、冀州の僧である釈法和と、罽賓（カシミール）出身の僧伽提和が門弟たちを集め、共に洛陽へと向かいました。その後四、五年にわたって研究と講説を重ねた末に、彼らはついに漢語に精通し、先の翻訳が誤っていたことに気づきました。 そこで法和は過去の誤りを深く悔い、ただちに提和と共に『阿毘曇』と『広説』を新たに翻訳しました。それ以降、これらの経典や律は徐々に正しく翻訳されていきましたが、ただ『中阿含経』『僧伽羅叉』『婆須蜜』『従解脱縁』だけは、まだ翻訳し直されていませんでした。

會僧伽提和進遊京師，應運流化，法施江左。于時晉國大長者，尚書令衛將軍、東亭侯優婆塞王元琳，常護持正法以為己任，即檀越也。為出經故，造立精舍，延請有道釋慧持等義學沙門四十餘人，施諸所安，四事無乏，又豫請經師僧伽羅叉，長供數年，然後乃以晉隆安元年丁酉之歲十一月十日，於揚州丹陽郡建康縣界，在其精舍，更出此《中阿含》，請罽賓沙門僧伽羅叉令誦胡本，請僧伽提和轉胡為晉，豫州沙門道慈筆受，吳國李寶、康化共書，至來二年，戊戌之歲六月二十五日草本始訖。此《中阿含》凡有五誦，都十八品，有二百二十二經，合五十一萬四千八百二十五字，分為六十卷。

> 僧伽提和という師が都に赴き、人々を救う教えを広め、江南の地で法を施しました。当時、晋の国の大長者であり、尚書令衛将軍・東亭侯の地位にあった在家信者の王元琳（王珣）は、常に正しい教えを守り育むことを自らの使命としており、それがこの経典の施主です。彼は経典を翻訳するために精舎を建て、慧持ら四十数名の学識ある僧侶を招き、彼らの必要なものをすべて備え、衣食住や医薬の四つの物資を欠かすことなく供養しました。また、予め経典の師である僧伽羅叉を招き、長年にわたって供養を続けました。その後、晋の隆安元年（丁酉の年）十一月十日に、揚州丹陽郡建康県にあるその精舎にて、この『中阿含経』を新たに翻訳しました。西域の罽賓出身の僧伽羅叉に原典（胡本）を朗読させ、僧伽提和に胡語から晋語（漢語）へと翻訳させ、豫州の沙門・道慈が筆記し、呉国の李宝と康化が書き写しました。そして翌年、隆安二年（戊戌の年）六月二十五日に草稿が完成しました。この『中阿含経』は五つの誦（全体を構成する区分）からなり、全部で十八の品（章）があり、二百二十二の経典（小経）によって構成されています。総計五十一万四千八百二十五字で、六十巻に分けられています。

時，遇國大難，未即正書，乃至五年辛丑之歲，方得正寫，校定流傳。其人傳譯，准之先出，大有不同，於此二百二十二經中，若委靡順從，則懼失聖旨，若從本制，名類多異舊，則逆忤先習，不怗眾情，是以其人不得自專，時有改本，從舊名耳。然五部異同，孰知其正？而道慈愚意怏怏，於違本故諸改名者，皆抄出注下，新舊兩存，別為一卷，與目錄相連，以示於後，將來諸賢令知同異，得更採訪，脫遇高明外國善晉胡方言者，訪其得失，刊之從正。

> 当時、国に大きな災難があり、すぐには正しく書写することができませんでした。しかし、五年目の辛丑の年に至って、ようやく正しく書き写し、校訂して流布することができました。 この経典を翻訳した人は、以前に出された訳と比べて、非常に違いがありました。この二百二十二の経典について、もし通俗に従えば、聖なるお言葉を損なう恐れがあり、もし原本に従えば、名前や分類が旧訳と異なる点が多く、先入観に逆らい、人々の心にかなわないものでした。そのため、この翻訳者は独断で決めることができず、時に改変し、旧来の名前に従わざるを得ませんでした。 しかし、五部の間の異同、いったいどれが正しいのでしょうか？道慈は愚かながら心が晴れず、原本に反して名を改めたものはすべて書き出して注釈を加え、新旧両方を残し、別に一巻として目録と合わせ、後世に示して、将来の賢人たちに異同を知らせ、さらに広く資料を集め、もし幸運にも外国の高い見識を持ち、よくサンスクリット語や中国語、現地語に通じた方に出会ったなら、その得失を尋ね、訂正して正しいものとしたいと考えています。