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title: "撫州曹山本寂禪師語錄 · 註釋洞山五位頌"
description: "抚州曹山本寂禅师语录由玄契编撰，收录于日本佛教典籍中。本寂禅师是唐代著名禅宗高僧，曹洞宗创始人之一，与洞山良价并称曹洞二祖。该语录记载了本寂禅师的禅法思想、公案对话和修行指导，体现了曹洞宗默照禅的特色。作为禅宗重要文献，它不仅是研究曹洞宗思想的核心资料，也是了解唐代禅宗发展的重要依据。本寂禅师强调无心合道、即事而真的修行理念，对后世禅宗影响深远，在日本佛教界尤其受到重视。"
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### 註釋洞山五位頌

> 洞山五位頌の注釈

正中偏暗裏點頭三更初夜月明前黑白未交時辨取　萌芽未生之時　只今是什麼時　此中無日月。不說前後去也莫怪相逢不相識忘却也　就也。又作麼劫中違背來。恁麼則俱拱手去也隱隱猶懷舊日嫌此兩句一意。終不相似又曰。圓也　又今日重什麼　又恁麼則不自欺得。

> 正中偏<note>暗にうなずく</note> 三更、初夜、月明かりの前<note>黒白がまだ分かれていない時に見極める。芽がまだ生えていない時。今、この時は何時なのか。この中には日月がない。前後を語らないのだ</note> 相逢いて相識らずと怪しまず<note>忘れてしまったのだ。それにしても。また、いつの劫から背いてきたのか。そうであるならば、みな手をこまねいて立ち去るのだ</note> 隠隠として旧日の嫌いを猶お懐く<note>この二句は一つの意である。結局は似ていない。また曰く、円なり。また今日何を重んじるのか。またそうであるならば自らを欺かないのだ</note>。

偏中正緣中會也失曉老婆逢古鏡露也　適來又記得。又是什麼模樣　恁麼則別不呈色分明覿面更無真即今會也　只者個便是也　失。又恁麼則未有真時較些子爭奈迷頭還認影不是本來頭。又莫認影即是又終不記得。又恁麼則改不得也。

> 偏中正（<note>縁において会するなり</note>） 暁を失いし老婆、古鏡に逢う（<note>露わなり。先ほど来たって、また記憶せり。これはまた如何なる姿か。かくの如くならば、別に色を呈さず</note>） 分明に覿面して、更に真なし（<note>即今会せり。ただこれのみが、すなわちこれなり。失う。またかくの如くならば、未だ真の時には、少しばかりあり</note>） 争か奈何せん、迷頭、還って影を認むるを（<note>本来の頭に非ず。また影を認むることなかれ、すなわちまた終に記憶せず。またかくの如くならば、改むること能わざるなり</note>）

正中來過也無中有路出塵埃無句中有句　相隨來也。又從來事作麼生。恁麼則不相借也但能不髑當今諱傍這個　早是傍也　自是一般人　恁麼則盡大地無第二人也也勝前朝斷舌才非默　更切於這個又終不切齒　恁麼則叮嚀不得者。

> 真ん中から来る<note>過ぎている</note> 塵の中にいても、道はある<note>言葉のないところに言葉がある。共にやってくる。また、昔からのことはどうなっているのか。そうなら、互いに借りることはない</note> ただ、今の時代に忌み避けられる名を口にせずとも<note>これに寄り添う。すでに寄り添っている。本来は一人の人間だ。そうなら、全大地に第二の人はいない</note> 昔の舌を断つ者よりも勝っている<note>黙っているのではない。これよりさらに深い。しかし、決して歯を食いしばることもない。そうなら、伝えようとしても伝えられないものだ</note>

兼中至有句中來兩刃交鋒不須避主客不相觸　彼彼不傷也。箭箭相抂脈脈不斷　不相敵者又恁麼則却不相管好手猶如火裏蓮壞不得　誰是得便者　弱於阿誰。又恁麼則終不作第二人也宛然自有衝天氣不從人得。又恁麼則不借也　非本有。又恁麼則己亦不存　非己有。

> 兼中に至る<note>句中に来たるあり</note> 両刃の刃交わりて避くべからず<note>主客相触れず　彼彼傷つけず。矢々相重なり脈々として絶えず　敵せざる者は又かくの如くならば却って相管せず</note> 好手は猶お火の中の蓮の如し<note>壊すべからず　誰か便を得る者ぞ　阿誰に弱る。又かくの如くならば終に第二人と作らず</note> 宛然として自ずから衝天の気あり<note>人に従いて得ず。又かくの如くならば借りず　本有に非ず。又かくの如くならば己も亦存せず　己有に非ず</note>

兼中到妙挾不落有無誰敢和不當頭　他是作家　正好商量。喚什麼作商量。道將來云問人人盡欲出時流皆欲出類　有什麼出頭處。又動則死。又恁麼則隨處快活也折合還歸炭裏坐一也。即可知也。將知合作麼生　謾他不得。又恁麼則賴得是某甲　此位中事總就正位為主。若是正位中。兼無言說。亦無對賓底道理。若是對賓。偏位極則處。呼為對賓也。若是兼帶等。總是臨時索喚不同。或時對。或時不對。亦呼為有語中無語。無語中有語。廣如偏正位中所明。更有不入偏正位子語。方難為人。須是明眼底人始得。不受指東劃西。

> 兼中到<note>妙なる挟み</note>は、有無の区別に落ちず、誰が敢えて和することができようか<note>正面から向き合わない。彼は達人である。まさに商量すべきだ。何を商量と呼ぶのか。言ってみよ、と問う</note>。人々は皆、時流を超越しようと願う<note>皆、類を抜き出ようと欲する。いったいどこに抜け出る場所があろうか。また、動けば死ぬ。さらに、そうであれば随所に快活である</note>が、結局は炭の上の座に帰る<note>一つである。すなわち知ることができる。はたしてどうなるかを知るべきである。彼を欺くことはできない。さらに、そうであれば、それが私であることに頼る。この位の中の事は全て正位を主とする。もし正位の中にあれば、言葉による説明もなく、客に対応する道理もない。もし客に対応するならば、偏位の極致のところを、客に対応すると呼ぶ。もし兼帯などであれば、全てその時々の求めに応じて異なり、ある時は対し、ある時は対さない。また、これを有語中無語、無語中有語とも呼ぶ。偏正位の中で明かされたところに広く詳しい。さらに、偏正位に入らない子語があり、それが人を理解させるのを難しくする。明らかな眼を持つ者でなければならない。東西を指し示されることを受けない</note>。