---
title: "五燈會元 · 洪州百丈山懷海禪師"
description: "五燈會元由宋代高僧普濟編撰，成書於南宋淳祐年間，是中國禪宗重要典籍之一。該書彙編了禪宗五家七宗的傳法譜系與公案語錄，包括法眼、雲門、曹洞、臨濟、溈仰五宗祖師的機鋒對話與悟道因緣，系統整理了禪宗從初祖達摩至唐宋時期的發展脈絡。全書共二十卷，以燈燈相傳為喻，展現了禪宗心法傳承的歷史軌跡。作為研究唐宋禪宗思想的核心文獻，五燈會元不僅是佛教史學的重要資料，更是禪門修行者參究心性的權威指南，在中國佛教史上具有不可替代的地位。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xe5fs0jjll404sl9larcz"
---

### 洪州百丈山懷海禪師者

> 洪州百丈山の懐海禅師は

福州長樂人也。姓王氏。丱歲離塵。三學該練。屬大寂闡化江西。乃傾心依附。與西堂智藏．南泉普願同號入室。時三大士為角立焉。師侍馬祖行次。見一羣野鴨飛過。祖曰。是甚麼。師曰。野鴨子。祖曰。甚處去也。師曰。飛過去也。祖遂把師鼻扭。負痛失聲。祖曰。又道飛過去也。師於言下有省。却歸侍者寮。哀哀大哭。同事問曰。汝憶父母邪。師曰。無。曰。被人罵邪。師曰。無。曰。哭作甚麼。師曰。我鼻孔被大師扭得痛不徹。同事曰。有甚因緣不契。師曰。汝問取和尚去。同事問大師曰。海侍者有何因緣不契。在寮中哭。告和尚為某甲說。大師曰。是伊會也。汝自問取他。同事歸寮曰。和尚道汝會也。教我自問汝。師乃呵呵大笑。同事曰。適來哭。如今為甚却笑。師曰。適來哭。如今笑。同事罔然。次日。馬祖陞堂。眾纔集。師出卷却席。祖便下座。師隨至方丈。祖曰。我適來未曾說話。汝為甚便卷却席。師曰。昨日被和尚扭得鼻頭痛。祖曰。汝昨日向甚處留心。師曰。鼻頭今日又不痛也。祖曰。汝深明昨日事。師作禮而退。師再參。侍立次。祖目視繩牀角拂子。師曰。即此用。離此用。祖曰。汝向後開兩片皮。將何為人。師取拂子竪起。祖曰。即此用。離此用。師挂拂子於舊處。祖振威一喝。師直得三日耳聾。自此雷音將震。檀信。請於洪州新吳界。住大雄山以居處。巖巒峻極。故號百丈。既處之。未朞月。參玄之賓。四方󰦶至。溈山黃檗當其首。一日。師謂眾曰。佛法不是小事。老僧昔被馬大師一喝。直得三日耳聾。黃檗聞舉。不覺吐舌。師曰。子已後莫承嗣馬祖去麼。檗曰。不然。今日因和尚舉。得見馬祖大機之用。然且不識馬祖。若嗣馬祖。已後喪我兒孫。師曰。如是。如是。見與師齊。減師半德。見過於師。方堪傳授。子甚有超師之見。檗便禮拜溈山問仰山。百丈再參馬祖因緣。此二尊宿意旨如何。仰云。此是顯大機大用。溈云。馬祖出八十四人。善知識幾人得大機。幾人得大用。仰云。百丈得大機。黃檗得大用。餘者盡是唱導之師。溈云。如是。如是。有僧哭入法堂來。師曰。作麼。曰。父母俱喪。請師選日。師曰。明日來。一時埋却。溈山．五峯．雲巖侍立次。師問溈山。併却咽喉唇吻。作麼生道。山曰。却請和尚道。師曰。不辭向汝道。恐已後喪我兒孫。又問五峯。峯曰。和尚也須併却。師曰。無人處斫額望汝。又問雲巖。巖曰。和尚有也未。師曰。喪我兒孫。師謂眾曰。我要一人。傳語西堂。阿誰去得。五峯曰。某甲去。師曰。汝作麼生傳語。峯曰。待見西堂。即道。師曰。見後道甚麼。峯曰。却來說似和尚。師每上堂。有一老人隨眾聽法。一日眾退。唯老人不去。師問。汝是何人。老人曰。某非人也。於過去迦葉佛時。曾住此山。因學人問。大修行人還落因果也無。某對云。不落因果。遂五百生墮野狐身。今請和尚代一轉語。貴脫野狐身。師曰。汝問。老人曰。大修行人還落因果也無。師曰。不昧因果。老人於言下大悟。作禮曰。某已脫野狐身。住在山後。敢乞依亡僧津送。師令維那白椎告眾。食後送亡僧。大眾聚議。一眾皆安。涅槃堂又無病人。何故如是。食後師領眾至山後巖下。以杖挑出一死野狐。乃依法火塟。師至晚上堂。舉前因緣。黃檗便問。古人錯祇對一轉語。墮五百生野狐身。轉轉不錯。合作箇甚麼。師曰。近前來。向汝道。檗近前。打師一掌。師拍手笑曰。將謂胡鬚赤。更有赤鬚胡溈山舉問仰山。仰曰。黃檗常用此機。溈曰。汝道天生得。從人得。仰曰。亦是稟受師承。亦是自性宗通。溈曰。如是。如是。時溈山在會下作典座。司馬頭陀舉野狐話問典座。作麼生。座撼門扇三下。司馬曰。大麤生。座曰。佛法不是這箇道理。問。如何是奇特事。師曰。獨坐大雄峯。僧禮拜。師便打。上堂。靈光獨耀。迥脫根塵。體露真常。不拘文字。心性無染。本自圓成。但離妄緣。即如如佛。問。如何是佛。師曰。汝是阿誰。曰。某甲。師曰。汝識某甲否。曰。分明箇。師乃舉起拂子曰。汝還見麼。曰。見。師乃不語。普請钁地次。忽有一僧聞鼓鳴。舉起钁頭。大笑便歸。師曰。俊哉。此是觀音入理之門。師歸院。乃喚其僧問。適來見甚麼道理。便恁麼。曰。適來肚饑。聞鼓聲。歸喫飯。師乃笑。問。依經解義。三世佛冤。離經一字。如同魔說時如何。師曰。固守動靜。三世佛冤。此外別求。即同魔說。因僧問西堂。有問有答即且置。無問無答時如何。堂曰。怕爛却那。師聞舉。乃曰。從來疑這箇老兄。曰。請和尚道。師曰。一合相不可得。師謂眾曰。有一人長不喫飯不道饑。有一人終日喫飯不道飽。眾無對。雲巖問。和尚每日區區為阿誰。師曰。有一人要。巖曰。因甚麼不教伊自作。師曰。他無家活。問。如何是大乘頓悟法要。師曰。汝等先歇諸緣。休息萬事。善與不善。世出世間。一切諸法。莫記憶。莫緣念。放捨身心。令其自在。心如木石。無所辨別。心無所行。心地若空。慧日自現。如雲開日出相似。但歇一切攀緣。貪嗔愛取。垢淨情盡。對五欲八風不動。不被見聞覺知所縛。不被諸境所惑。自然具足神通妙用。是解脫人。對一切境。心無靜亂。不攝不散。透過一切聲色。無有滯礙。名為道人。善惡是非俱不運用。亦不愛一法。亦不捨一法。名為大乘人。不被一切善惡．空有．垢淨．有為無為．世出世間．福德智慧之所拘繫。名為佛慧。是非好醜．是理非理。諸知見情盡。不能繫縛。處處自在。名為初發心菩薩。便登佛地。問。對一切境。如何得心如木石去。師曰。一切諸法。本不自言空。不自言色。亦不言是非垢淨。亦無心繫縛人。但人自虗妄計著。作若干種解會。起若干種知見。生若干種愛畏。但了諸法不自生。皆從自己一念。妄想顛倒。取相而有知。心與境本不相到。當處解脫。一一諸法當處寂滅。當處道場。又本有之性不可名目。本來不是凡不是聖。不是垢淨。亦非空有。亦非善惡。與諸染法相應。名人天二乘界。若垢淨心盡。不住繫縛。不住解脫。無一切有為無為縛脫心量處。於生死其心自在。畢竟不與諸妄虗幻．塵勞蘊界．生死諸入和合。逈然無寄。一切不拘。去留無礙。往來生死。如門開相似。夫學道人。若遇種種苦樂。稱意不稱意事。心無退屈。不念名聞利養衣食。不貪功德利益。不為世間諸法之所滯礙。無親無愛。苦樂平懷。麤衣遮寒。糲食活命。兀兀如愚如聾。稍有相應分。若於心中廣學知解。求福求智。皆是生死。於理無益。却被知解境風之所漂溺。還歸生死海裏。佛是無求人。求之即乖。理是無求理。求之即失。若著無求。復同於有求。若著無為。復同於有為。故經云。不取於法。不取非法。不取非非法。又云。如來所得法。此法無實無虗。若能一生心如木石相似。不被陰界五欲八風之所漂溺。即生死因斷。去住自由。不為一切有為因果所縛。不被有漏所拘。他時還以無因縛為因。同事利益。以無著心應一切物。以無礙慧解一切縛。亦云應病與藥。問。如今受戒。身口清淨。已具諸善。得解脫否。師曰。少分解脫。未得心解脫。亦未得一切處解脫。曰。如何是心解脫及一切處解脫。師曰。不求佛法僧。乃至不求福智知解等。垢淨情盡。亦不守此無求為是。亦不住盡處。亦不欣天堂．畏地獄。縛脫無礙。即身心及一切處皆名解脫。汝莫言有少分戒。身口意淨。便以為了。不知河沙戒定慧門．無漏解脫。都未涉一毫在。努力向前。須猛究取。莫待耳聾眼暗。面皺髮白。老苦及身。悲愛纏綿。眼中流淚。心裏慞惶。一無所據。不知去處。到恁麼時節。整理脚手不得也。縱有福智．名聞．利養。都不相救。為心眼未開。唯念諸境。不知返照。復不見佛道。一生所有善惡業緣。悉現於前。或忻或怖。六道五蘊。俱時現前。盡敷嚴好舍宅。舟船車轝。光明顯赫。皆從自心貪愛所現。一切惡境。皆變成殊勝之境。但隨貪愛重處。業識所引。隨著受生。都無自由分。龍畜良賤。亦總未定。問。如何得自由分。師曰。如今得即得。或對五欲八風。情無取舍。慳嫉貪愛。我所情盡。垢淨俱亡。如日月在空。不緣而照。心心如木石。念念如救頭。然亦如香象渡河。截流而過。更無疑滯。此人天堂地獄所不能攝也。夫讀經看教。語言皆須宛轉歸就自己。但是一切言教。祇明如今鑒覺自性。但不被一切有無諸境轉。是汝導師。能照破一切有無諸境。是金剛慧。即有自由獨立分。若不能恁麼會得。縱然誦得十二韋陀典。祇成憎上慢。却是謗佛。不是修行。但離一切聲色。亦不住於離。亦不住於知解。是修行讀經看教。若准世間是好事。若向明理人邊數。此是壅塞人。十地之人脫不去。流入生死河。但是三乘教。皆治貪瞋等病。祇如今念念若有貪瞋等病。先須治之。不用求覔義句知解。知解屬貪。貪變成病。祇如今但離一切有無諸法。亦離於離。透過三句外。自然與佛無差。既自是佛。何慮佛不解語。秖恐不是佛。被有無諸法縛。不得自由。以理未立。先有福智。被福智載去。如賤使貴。不如先立理。後有福智。若要福智。臨時作得。撮土成金。撮金為土。變海水為酥酪。破須彌為微塵。攝四大海水入一毛孔。於一義作無量義。於無量義作一義。伏惟珍重。師有時說法竟。大眾下堂。乃召之。大眾回首。師曰。是甚麼藥山目之為百丈下堂句。師兒時隨母入寺拜佛。指佛像問母。此是何物。母曰。是佛。師曰。形容似人無異。我後亦當作焉。師凡作務執勞。必先於眾。主者不忍。密收作具而請息之。師曰。吾無德。爭合勞於人。既徧求作具不獲。而亦忘飡。故有一日不作。一日不食之語流播寰宇矣。唐元和九年正月十七日歸寂。諡大智禪師。塔曰大寶勝輪。

> 福州長楽の人。姓は王氏。幼くして俗世を離れ、三学を広く学んだ。大寂（馬祖）が江西で教化を広めていると聞き、心から帰依した。西堂智蔵・南泉普願とともに「入室の弟子」と呼ばれ、当時この三人が鼎立していた。 師が馬祖に仕えていたある時、一群の野鴨が飛んでいくのを見た。馬祖が「あれは何だ」と問うと、師は「野鴨です」と答えた。馬祖が「どこへ行った」と問うと、師は「飛んでいきました」と答えた。馬祖は師の鼻をねじった。師は痛さに思わず声をあげた。馬祖は「また『飛んでいった』と言うか」と言った。師はその言葉の下で悟るところがあり、侍者の部屋に戻って、しくしくと泣いた。 同僚が「父母を思い出したのか」と尋ねると、師は「いいえ」と答えた。「誰かに罵られたのか」と問うと、「いいえ」と答えた。「ではなぜ泣くのか」と問うと、師は「私の鼻を大師にねじられて、痛みが取れないのだ」と答えた。同僚が「何か合わない因縁でもあるのか」と尋ねると、師は「和尚に聞いてくれ」と言った。 同僚が大師に「海侍者に何か合わない因縁があるのでしょうか。寮で泣いています。和尚、私に教えてください」と尋ねた。大師は「あいつは悟ったのだ。お前が自分で聞け」と言った。同僚が寮に戻って「和尚がお前は悟ったと言い、私に自分で聞けとおっしゃった」と言うと、師は呵々大笑した。同僚が「さっきは泣いていたのに、今はなぜ笑うのか」と問うと、師は「さっきは泣き、今は笑う」と答えた。同僚はぽかんとした。 翌日、馬祖が法堂に昇ると、大衆が集まったばかりの時、師は前に出て敷物を巻き上げた。馬祖はすぐに座を下りた。師が方丈までついていくと、馬祖は「私はさっきまで話していなかったのに、なぜ敷物を巻き上げたのか」と言った。師は「昨日、和尚に鼻をねじられて痛かったのです」と答えた。馬祖は「昨日、どこに心を留めていたのか」と問うた。師は「鼻は今日はもう痛くありません」と答えた。馬祖は「お前は昨日のことを深く明らかにした」と言った。師は礼をして下がった。 師が再び参じた時、侍立していると、馬祖が縄床の角の拂子に目をやった。師は「即此用、離此用」と言った。馬祖は「お前は今後、二枚の皮を開いて、何をもって人を導くのか」と言った。師は拂子を取って立てた。馬祖は「即此用、離此用」と言った。師は拂子を元の場所に掛けた。馬祖は威を振るって一喝した。師は三日間耳が聞こえなくなった。 これより雷のような教えが響きわたった。信者たちの招きで、洪州新呉の地にある大雄山に住した。岩峰が峻極していたので、百丈と号した。住んでから一月も経たないうちに、玄を参ずる者たちが四方から集まった。潙山霊祐と黄檗希運がその筆頭であった。 ある日、師は大衆に言った。「仏法は小事ではない。老僧は昔、馬大師に一喝されて、三日間耳が聞こえなかった。」黄檗はこれを聞いて、思わず舌を出した。師は「お前は今後、馬祖を継ぐのか」と言った。黄檗は「いいえ。今日和尚が挙げられたことで、馬祖の大機の働きを見ることができました。しかし、まだ馬祖を識りません。もし馬祖を継げば、後々わが子孫を損なうでしょう」と答えた。師は「そのとおり、そのとおり。見識が師と同じなら、師の徳の半分を減ずる。見識が師を超えれば、はじめて伝授に堪える。お前はまことに師を超える見識がある」と言った。黄檗は礼拝した。 ある僧が泣きながら法堂に入ってきた。師が「どうした」と問うと、「父母がともに亡くなりました。師よ、日を選んでください」と答えた。師は「明日来なさい。一緒に埋めてしまう」と言った。 潙山・五峯・雲巖が侍立していた時、師は潙山に問うた。「咽喉と唇を閉じてしまって、どう言うか。」潙山は「むしろ和尚が言ってください」と答えた。師は「お前に言わないわけではないが、後々わが子孫を損なうのが恐ろしい」と言った。また五峯に問うと、五峯は「和尚も閉じなければなりません」と答えた。師は「人のいない所で手をかざして汝を待とう」と言った。また雲巖に問うと、雲巖は「和尚にはあるのか、ないのか」と答えた。師は「わが子孫を損なう」と言った。 師は大衆に言った。「一人が要る。西堂に伝言してくれ。誰か行けるか。」五峯が「私が行きます」と言った。師は「お前はどう伝えるのか」と問うた。五峯は「西堂に会ったら、すぐに言います」と答えた。師は「会った後で何を言うのか」と問うた。五峯は「戻って和尚に申し上げます」と答えた。 師が上堂するたびに、一人の老人が大衆に混じって法を聴いていた。ある日、大衆が退いた後も、その老人だけが去らなかった。師が「お前は何者か」と問うと、老人は言った。「私は人間ではありません。過去の迦葉仏の時、かつてこの山に住んでいました。学人が『大修行人は因果に落ちるのか』と問うたので、私が『因果に落ちない』と答えたところ、五百生の間、野狐の身に堕ちてしまいました。どうか和尚、代わって一言おっしゃってください。野狐の身から脱したいのです。」師は「問うてみよ」と言った。老人が「大修行人は因果に落ちるのか」と問うと、師は「因果に昧からず」と答えた。老人はその言葉の下で大悟し、礼をして言った。「私はすでに野狐の身を脱しました。山の後ろに住んでいます。どうか亡僧の作法で葬ってください。」師は維那に命じて椎を打って大衆に告げ、食後に亡僧を送るとした。大衆は集まって議した。「大衆は皆安泰で、涅槃堂にも病人はいない。なぜこのようなことがあるのか。」食後、師は大衆を率いて山の後ろの岩の下に行き、杖で一匹の死んだ野狐を引き出し、法に従って火葬した。 師は夜になって上堂し、先の因縁を挙げた。黄檗が問うた。「古人は一言の受け答えを誤って、五百生の野狐の身に堕ちました。言葉を重ねて誤らなければ、何になるのでしょう。」師は「近くに来なさい。お前に言おう」と言った。黄檗が近づくと、師を一掌打った。師は手を打って笑いながら言った。「胡鬚赤と言うが、さらに赤鬚胡がいるとは。」 当時、潙山は会下で典座をしていた。司馬頭陀が野狐の話を挙げて典座に問うた。「どうだ。」典座は門扇を三度揺らした。司馬が「なんと粗いことだ」と言うと、典座は「仏法はそんな道理ではない」と言った。 「如何なるが奇特の事ですか」と問うた。師は「独り大雄峯に坐す」と答えた。僧が礼拝すると、師はすぐに打った。 上堂。「霊光独り耀き、根塵を迥脱す。体は真常を露わし、文字に拘らず。心性は汚れなく、本より円成す。ただ妄縁を離れれば、即ち如如の仏なり。」 「如何なるが仏ですか」と問うた。師は「お前は誰か」と問うた。「私です」と答えると、師は「お前はその私を識っているか」と問うた。「はっきりした者です」と答えると、師は拂子を挙げて「お前はこれが見えるか」と言った。「見えます」と答えると、師は黙った。 普請で鍬を入れて地を耕していた時、一人の僧が鼓の音を聞いて、鍬を挙げて大笑いしながら帰っていった。師は「俊哉。これは観音が理に入る門だ」と言った。師は院に戻ると、その僧を呼んで問うた。「さっき何の道理を見て、そのようにしたのか。」僧は「さっき腹が減って、鼓の音を聞いて、飯を食べに帰ったのです」と答えた。師は笑った。 「経に依って義を解すれば三世の仏の冤。経を一字離れれば魔説の如し。どうか」と問うた。師は「固く動静を守れば三世の仏の冤。この外に別に求むれば即ち魔説と同じ」と答えた。 ある僧が西堂に問うた。「問いがあり答えがあるのはしばらく置く。問いもなく答えもない時はどうか。」西堂は「腐ってしまうのが怖いのか」と言った。師はこれを聞いて「いつもこの老兄を疑っていた」と言った。「和尚が言ってください」と言うと、師は「一合相は不可得なり」と答えた。 師は大衆に言った。「一人は長く飯を食べなくても飢えを言わない。一人は終日飯を食べても飽きを言わない。」大衆は答えられなかった。 雲巖が問うた。「和尚は毎日せっせと誰のためにしているのですか。」師は「一人のために必要としている」と答えた。雲巖が「なぜその人に自分でさせないのですか」と問うと、師は「彼には家財がない」と答えた。 「如何なるが大乗頓悟の法要ですか」と問うた。師は言った。「お前たちはまず諸縁を歇め、万事を休息せよ。善と不善、世と出世間、一切の諸法を、記憶するな、縁念するな。身心を放捨して、それを自在にせよ。心は木や石の如く、辨別するところなく、心に行くところなし。心地がもし空ならば、慧日は自ずから現れる。雲が開けて日が出るようなものだ。ただ一切の攀縁を歇め、貪瞋愛取、垢浄の情を尽くせば、五欲八風に対して動かず、見聞覚知に縛られず、諸境に惑わされず、自然に神通妙用を具足する。これが解脱の人だ。一切の境に対して、心に静乱なく、摂もせず散もせず、一切の声色を透過して、滞りなく妨げがない。これを道人と名づける。善悪是非をともに運用せず、一法も愛さず、一法も捨てない。これを大乗人と名づける。一切の善悪・空有・垢浄・有為無為・世出世間・福徳智慧に拘束されない。これを仏慧と名づける。是非好醜・是理非理、諸知見の情を尽くし、縛ることができず、処々に自在なる。これを初発心の菩薩と名づける。すなわち仏地に登る。」 「一切の境に対して、どうすれば心如木石でいられますか」と問うた。師は言った。「一切の諸法は、本から自ら空と言わず、自ら色と言わず、また是非垢浄も言わない。また心をもって人を繫縛するものではない。ただ人自らが虚妄に計著して、いくつもの解会をなし、いくつもの知見を起こし、いくつもの愛畏を生ずるのだ。ただ諸法は自ら生じず、皆自分自身の一念から、妄想顛倒して、相を取ることで知があると了知せよ。心と境は本から相到らず、当処に解脱し、一一の諸法は当処に寂滅し、当処に道場となる。また本有の性は名づけようがない。本来、凡でもなく聖でもなく、垢でも浄でもなく、また空でも有でもなく、また善でも悪でもない。諸の染法と相応するのを人天二乗の界と名づける。もし垢浄の心を尽くせば、繫縛にも住せず、解脱にも住せず、一切の有為無為の縛脱の心量の処もない。生死においてその心は自在であり、ついに諸の妄虚幻・塵労蘊界・生死諸入と和合せず、迥然として寄るところがない。一切に拘らず、去留に妨げがない。生死に往来すること、門が開くようなものだ。学道の人は、もし種々の苦楽、称意不称意の事に遇っても、心に退屈なく、名聞利養衣食を念わず、功徳利益を貪らず、世間の諸法に滞碍されず、親もなく愛もなく、苦楽を平懐し、粗衣で寒さを遮り、糲食で命を活かし、兀兀として愚かで耳が聞こえないようにしていれば、少しは相応する分がある。もし心中で広く知解を学び、福を求め智を求めるならば、皆生死であり、理に益はない。かえって知解の境風に漂溺され、生死の海に帰ってしまう。仏は無求の人なり。求むれば即ち乖く。理は無求の理なり。求むれば即ち失う。もし無求に著すれば、また有求と同じである。もし無為に著すれば、また有為と同じである。ゆえに経に云く、法を取らず、非法を取らず、非非法を取らず、と。また云く、如来の所得の法、この法は実なく虚なし、と。もし一生、心如木石のごとくにして、陰界五欲八風に漂溺されなければ、生死の因は断たれ、去住は自由であり、一切の有為因果に縛られず、有漏に拘られない。他日また無因縛を因として、同じく事を利益し、無著の心をもって一切の物に応じ、無礙の慧をもって一切の縛を解く。また応病与薬とも云う。」 「今、戒を受け、身口清浄で、すでに諸の善を具えている者は、解脱を得られますか」と問うた。師は「少しの解脱は得るが、心解脱はまだ得ていない。また一切処解脱もまだ得ていない」と答えた。「如何なるが心解脱および一切処解脱ですか」と問うた。師は言った。「仏法僧を求めず、乃至福智知解などを求めない。垢浄の情を尽くし、またこの無求を守って是とせず、また尽処にも住せず、また天堂を欣い地獄を畏れない。縛脱に妨げがなければ、すなわち身心および一切処が皆解脱と名づけられる。お前たちは少しの戒があり、身口意が清浄であることをもって、それで終わりと思うな。知らないのか、河沙の戒定慧門・無漏解脱は、まだ一毫も関わっていないのだ。努力して前進し、猛く究め取れ。耳が聞こえなくなり目が暗くなり、顔に皺が寄り髪が白くなり、老苦が身に及び、悲愛が纏綿し、目に涙を流し、心に慞惶として、一に拠るところなく、行き先も知らない。そのような時節に至っては、手足も整えられない。たとえ福智・名聞・利養があっても、皆救うことはできない。心の眼が開かれていないからだ。ただ諸境を念い、返照することを知らず、また仏道を見ない。一生のすべての善悪業縁が悉く前に現れ、あるいは喜びあるいは怖れる。六道五蘊が同時に現前する。すべて立派な舍宅や舟船車轝が光明顕赫として現れるが、皆自分の心の貪愛から現れたものだ。一切の悪境は皆殊勝の境に変わる。ただ貪愛の重い処に随い、業識に引かれて、随って受生し、自由な分はまったくない。龍畜良賤もまた総じて定まらない。」 「どうすれば自由を得られますか」と問うた。師は言った。「今すぐ得れば即ち得る。あるいは五欲八風に対して、情に取舍なく、慳嫉貪愛、我所の情を尽くし、垢浄ともに亡じ、日月が空にある如く、縁らずして照らす。心々に木石の如く、念念に頭を救うが如く、また香象が河を渡り、流れを截って過ぎるが如く、さらに疑滞はない。この人は天堂地獄も摂することができない。経を読み教を見るに、語言は皆婉転して自分自身に帰着させなければならない。ただ一切の言教は、今の鑑覚自性を明らかにするだけだ。ただ一切の有無の諸境に転じられなければ、それがお前の導師だ。よく一切の有無諸境を照破することが金剛慧であり、すなわち自由独立の分がある。もしこのように会得できなければ、たとえ十二韋陀典を誦しても、ただ増上慢となるだけで、かえって仏を謗る。修行ではない。ただ一切の声色を離れ、また離にも住せず、また知解にも住せず、これが修行であり読経看教だ。世間を准ずれば善いことだが、明理の人に対して数えれば、これは人を塞ぐものだ。十地の人も脱けず、生死河に流入する。ただ三乗の教は皆貪瞋等の病を治す。ただ今念念に貪瞋等の病があれば、まずそれを治さねばならない。義句知解を求めるには及ばない。知解は貪に属し、貪は病となる。ただ今一切の有無諸法を離れ、また離をも離れ、三句の外を透過すれば、自然に仏と差はない。既に自ら仏ならば、何を憂いて仏が語を解さないことがあろう。ただ仏でないことを恐れ、有無諸法に縛られ、自由を得られないだけだ。理がまだ立たないうちに、先に福智があれば、福智に載せられて去られる。賤しき者が貴き者を使うようなものだ。先に理を立て、後に福智があるに如かず。もし福智が必要なら、臨時に作れる。土を撮って金とし、金を撮って土とし、海水を変じて酥酪とし、須弥を破って微塵とし、四大海水を摂して一毛孔に入れ、一義に無量義を作り、無量義に一義を作る。伏惟珍重。」 師がある時説法を終え、大衆が下堂しようとした時、彼らを呼んだ。大衆が振り返ると、師は「これが何だ」と言った。 師が幼い時、母に連れられて寺に入り仏を拝んだ。仏像を指して母に「これは何」と問うた。母は「仏だ」と答えた。師は「姿形は人と変わらない。私も後にはきっとなるでしょう」と言った。 師は作務に従事する時は、必ず大衆より先にした。主の者は忍びなく、密かに作具を隠して休むように請うた。師は「私には徳がない。どうして人に労をかけられよう」と言った。作具を遍く求めても得られなかったので、食事も忘れた。それゆえ「一日作さざれば、一日食わず」の言葉が天下に広まった。 唐の元和九年正月十七日に帰寂。諡は大智禅師。塔は大宝勝輪という。