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title: "雜阿含經 · 41"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xhibq0p84l404ufox24k7"
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### （四一）

> （四一）

如是我聞：

> 私はこのように聞きました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> ある時、お釈迦さまは舎衛国の祇園精舎におられました。

爾時，世尊告諸比丘：「有五受陰——色受陰，受、想、行、識受陰。我於此五受陰，五種如實知——色如實知，色集、色味、色患、色離如實知。如是受、想、行、識如實知，識集、識味、識患、識離如實知。

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。「五つの執着しがちな要素がある。色の執着要素、感受の執着要素、表象の執着要素、形成作用の執着要素、識別作用の執着要素である。私はこの五つの執着要素について、五つの側面からありのままに知っている。すなわち、色をありのままに知り、色の生起、色の魅力、色の危険、色からの離脱をありのままに知っている。同様に、感受、表象、形成作用、識別作用をありのままに知り、それらの生起、魅力、危険、離脱をありのままに知っているのである。」

「云何色如實知？諸所有色，一切四大及四大造色，是名色，如是色如實知。云何色集如實知？於色喜愛，是名色集，如是色集如實知。云何色味如實知？謂色因緣生喜樂，是名色味，如是色味如實知。云何色患如實知？若色無常、苦、變易法，是名色患，如是色患如實知。云何色離如實知？若於色調伏欲貪、斷欲貪、越欲貪，是名色離，如是色離如實知。

> 色とは何かをありのままに知るとはどういうことか。すべての物質的なもの、すなわち四大（地・水・火・風）とそれによって構成されるあらゆる形あるもの、これを色と呼ぶ。このように色をありのままに知ることである。 色の生起をありのままに知るとはどういうことか。色に対して愛着を抱くこと、これが色の生起である。このように色の生起をありのままに知ることである。 色の味わいをありのままに知るとはどういうことか。色を原因として喜びや楽しみが生じること、これが色の味わいである。このように色の味わいをありのままに知ることである。 色の危険をありのままに知るとはどういうことか。色が無常であり、苦であり、移り変わるものであること、これが色の危険である。このように色の危険をありのままに知ることである。 色からの離脱をありのままに知るとはどういうことか。色に対する欲望や執着を調え、断ち、超えていくこと、これが色からの離脱である。このように色からの離脱をありのままに知ることである。

「云何受如實知？有六受身——眼觸生受，耳、鼻、舌、身、意觸生受，是名受，如是受如實知。云何受集如實知？觸集是受集，如是受集如實知。云何受味如實知？緣六受生喜樂，是名受味，如是受味如實知。云何受患如實知？若受無常、苦、變易法，是名受患，如是受患如實知。云何受離如實知？於受調伏欲貪、斷欲貪、越欲貪，是名受離，如是受離如實知。

> どのようにして感受をありのままに知るのでしょうか。六つの感受の集まりがあります——眼の接触から生じる感受、耳、鼻、舌、身、意の接触から生じる感受、これらを感受といいます。このように感受をありのままに知るのです。 どのようにして感受の生起をありのままに知るのでしょうか。接触の生起が感受の生起です。このように感受の生起をありのままに知るのです。 どのようにして感受の味わいをありのままに知るのでしょうか。六つの感受によって喜びと楽しみが生じることを、感受の味わいといいます。このように感受の味わいをありのままに知るのです。 どのようにして感受の危険をありのままに知るのでしょうか。感受が無常であり、苦であり、変化するものであるならば、それを感受の危険といいます。このように感受の危険をありのままに知るのです。 どのようにして感受からの離脱をありのままに知るのでしょうか。感受に対して欲や貪りを調伏し、欲や貪りを断ち切り、欲や貪りを超えていくことを、感受からの離脱といいます。このように感受からの離脱をありのままに知るのです。

「云何想如實知？謂六想身。云何為六？謂眼觸生想，耳、鼻、舌、身、意觸生想，是名想，如是想如實知。云何想集如實知？謂觸集是想集，如是想集如實知。云何想味如實知？想因緣生喜樂，是名想味，如是想味如實知。云何想患如實知？謂想無常、苦、變易法，是名想患，如是想患如實知。云何想離如實知？若於想調伏欲貪、斷欲貪、越欲貪，是名想離，如是想離如實知。

> 想をありのままに知るとはどういうことですか。それは六つの想の集まりです。六つとは何ですか。眼の触れによって生じる想、耳、鼻、舌、身、意の触れによって生じる想です。これを想といい、このように想をありのままに知ります。 想の生起をありのままに知るとはどういうことですか。触れの生起が想の生起です。このように想の生起をありのままに知ります。 想の味わいをありのままに知るとはどういうことですか。想が縁となって喜びや楽しみが生じることです。これを想の味わいといい、このように想の味わいをありのままに知ります。 想の危険をありのままに知るとはどういうことですか。想は無常であり、苦であり、変化するものであることです。これを想の危険といい、このように想の危険をありのままに知ります。 想からの離脱をありのままに知るとはどういうことですか。もし想について欲や貪りを調え伏せ、欲や貪りを断ち切り、欲や貪りを超えていくことです。これを想からの離脱といい、このように想からの離脱をありのままに知ります。

「云何行如實知？謂六思身——眼觸生思，耳、鼻、舌、身、意觸生思，是名為行，如是行如實知。云何行集如實知？觸集是行集，如是行集如實知。云何行味如實知？謂行因緣生喜樂，是名行味，如是行味如實知。云何行患如實知？若行無常、苦、變易法，是名行患，如是行患如實知。云何行離如實知？若行調伏欲貪、斷欲貪、越欲貪，是名行離，如是行離如實知。

> 行とは何かをありのままに知るとはどういうことか。それは六つの思う働き――眼の接触から生じる思い、耳、鼻、舌、身、意の接触から生じる思い、これを行と呼ぶ。このように行をありのままに知ることである。 行の生起をありのままに知るとはどういうことか。接触の生起が行の生起である。このように行の生起をありのままに知ることである。 行の味わいをありのままに知るとはどういうことか。行が縁となって喜びや楽しみが生じること、これを行の味わいと呼ぶ。このように行の味わいをありのままに知ることである。 行の危険をありのままに知るとはどういうことか。行が無常であり、苦であり、変わりゆくものであること、これを行の危険と呼ぶ。このように行の危険をありのままに知ることである。 行からの離脱をありのままに知るとはどういうことか。行に対する欲や貪りを調伏し、断ち、超えていくこと、これを行からの離脱と呼ぶ。このように行からの離脱をありのままに知ることである。

「云何識如實知？謂六識身——眼識身，耳、鼻、舌、身、意識身，是名為識身，如是識身如實知。云何識集如實知？謂名色集，是名識集，如是識集如實知。云何識味如實知？識因緣生喜樂，是名識味，如是識味如實知。云何識患如實知？若識無常、苦、變易法，是名識患，如是識患如實知。云何識離如實知？謂於識調伏欲貪、斷欲貪、越欲貪，是名識離，如是識離如實知。

> 識とは何かをありのままに知るとはどういうことか。 六つの識の集まり――眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、これらを識の集まりという。この識の集まりをありのままに知ることである。 識の生じる原因をありのままに知るとはどういうことか。 名と色（心と身体）が集まることが、識の生じる原因である。この識の生じる原因をありのままに知ることである。 識の味わいをありのままに知るとはどういうことか。 識が原因となって喜びや楽しみが生じること、これを識の味わいという。この識の味わいをありのままに知ることである。 識の危険をありのままに知るとはどういうことか。 識が無常であり、苦であり、変わりゆくものであること、これを識の危険という。この識の危険をありのままに知ることである。 識からの離れをありのままに知るとはどういうことか。 識に対する欲や貪りを調え、断ち、超えていくこと、これを識からの離れという。この識からの離れをありのままに知ることである。

「比丘！若沙門、婆羅門於色如是知、如是見；如是知、如是見，離欲向，是名正向。若正向者，我說彼入。受、想、行、識亦復如是。若沙門、婆羅門於色如實知、如實見，於色生厭、離欲，不起諸漏，心得解脫；若心得解脫者，則為純一；純一者，則梵行立；梵行立者，離他自在，是名苦邊。受、想、行、識亦復如是。」

> 比丘よ、もし修行者やバラモンが、物質的なものについてこのように理解し、このように見るならば、そのような理解と見方は、欲望から離れる方向へ向かうものであり、それは正しい方向と言えます。正しい方向へ向かう者を、私は「入る者」と説きます。感覚、認識、心の形成、意識についても同様です。 もし修行者やバラモンが、物質的なものをありのままに理解し、ありのままに見て、物質的なものに嫌悪を感じ、欲望から離れ、もろもろの煩悩が起こらず、心が解き放たれるならば、心が解き放たれた者は、清らかで一つとなります。清らかで一つとなった者は、清らかな行いが確立します。清らかな行いが確立した者は、他に支配されることなく、苦しみの終わりに至ります。感覚、認識、心の形成、意識についても同様です。

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> お釈迦さまがこのお経を説き終えられると、比丘たちはその教えを聞き、喜びをもって実践に努めました。