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title: "雜阿含經 · 43"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
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### （四三）

> （四三）

如是我聞：

> このように私は聞きました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> 一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。

爾時，世尊告諸比丘：「取故生著，不取則不著。諦聽，善思，當為汝說。」

> その時、世尊は比丘たちに告げられた。 「執着するからこそ、私たちはそれに縛られるのです。執着しなければ、縛られることはありません。よく聞き、よく考えなさい。あなたがたに説きましょう。」

比丘白佛：「唯然，受教！」

> 比丘が仏に申し上げました。「かしこまりました。教えを頂きます。」

佛告比丘：「云何取故生著？愚癡無聞凡夫於色見是我、異我、相在，見色是我、我所而取；取已，彼色若變、若異，心亦隨轉；心隨轉已，亦生取著攝受心住；攝受心住故，則生恐怖、障礙、心亂，以取著故。愚癡無聞凡夫於受、想、行、識，見我、異我、相在，見識是我、我所而取；取已，彼識若變、若異，彼心隨轉；心隨轉故，則生取著攝受心住；住已，則生恐怖、障礙、心亂，以取著故，是名取著。

> 仏が比丘たちに告げた。「では、なぜ執着によって苦しみが生じるのか。無知な凡夫は、色（物質的なもの）について『これが我である』『我とは別のものである』『我の中に存在する』などと誤って捉え、色を我や我が所有するものだと見なして執着する。執着した後、その色が変化したり異なったものになると、心もそれに伴って動揺する。心が動揺すると、さらに執着を強め、心をそれに固執させる。心が固執すると、恐怖や障害、心の混乱が生じる。執着するからである。 無知な凡夫は、受（感覚）・想（知覚）・行（意志）・識（認識）についても同様に、『これが我である』『我とは別のものである』『我の中に存在する』などと誤って捉え、識を我や我が所有するものだと見なして執着する。執着した後、その識が変化したり異なったものになると、心もそれに伴って動揺する。心が動揺すると、さらに執着を強め、心をそれに固執させる。心が固執すると、恐怖や障害、心の混乱が生じる。執着するからである。これを『取著（執着による苦しみ）』という。」

「云何名不取不著？多聞聖弟子於色不見我、異我、相在，於色不見我、我所而取；不見我、我所而取色，彼色若變、若異，心不隨轉；心不隨轉故，不生取著攝受心住；不攝受住故，則不生恐怖、障礙、心亂，不取著故。如是受、想、行、識，不見我、異我、相在，不見我、我所而取。彼識若變、若異，心不隨轉；心不隨轉故，不取著攝受心住；不攝受心住故，心不恐怖、障礙、心亂，以不取著故，是名不取著。是名取著、不取著。」

> 「では、『執着しない、とらわれない』とはどういうことか。よく学んだ聖なる弟子は、物質的な形態（色）において、自己を見ず、自己と異なるものを見ず、また自己がその中にあり、あるいはその中に自己があるとも見ない。物質的な形態において、自己や自己の所有物として執着しない。自己や自己の所有物として執着しないから、物質的な形態に変化や異変が起きても、心はそれに引きずられない。心が引きずられないから、執着やとらわれを生じず、心は安らかにとどまる。安らかにとどまるから、恐れや妨げ、心の乱れが生じない。執着しないからである。 同様に、感受作用（受）、想念作用（想）、意志作用（行）、認識作用（識）においても、自己を見ず、自己と異なるものを見ず、また自己がその中にあり、あるいはその中に自己があるとも見ない。自己や自己の所有物として執着しない。それらの作用に変化や異変が起きても、心はそれに引きずられない。心が引きずられないから、執着やとらわれを生じず、心は安らかにとどまる。安らかにとどまるから、心に恐れや妨げ、乱れが生じない。執着しないからである。これを『執着しない、とらわれない』という。 これが『執着するとらわれ』と『執着しないとらわれ』の説明である。」

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> お釈迦さまがこのお経をお説きになると、比丘たちは皆、その教えを聞いて大いに喜び、深く心に刻んで実践しました。