---
title: "雜阿含經 · 45"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xhibq0p88l404t0kbwju7"
---

### （四五）

> （四五）

如是我聞：

> このように私は聞きました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> 一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。

爾時，世尊告諸比丘：「有五受陰。云何為五？色受陰，受、想、行、識受陰。若諸沙門、婆羅門見有我者，一切皆於此五受陰見我。諸沙門、婆羅門見色是我，色異我，我在色，色在我；見受、想、行、識是我，識異我，我在識，識在我。愚癡無聞凡夫以無明故，見色是我、異我、相在，言我真實不捨；以不捨故，諸根增長；諸根長已，增諸觸；六觸入處所觸故，愚癡無聞凡夫起苦樂覺，從觸入處起。何等為六？謂眼觸入處，耳、鼻、舌、身、意觸入處。

> ある時、世尊は比丘たちに告げられた。「五つの執着の対象がある。五つとは何か。それは、色の執着の対象、受・想・行・識の執着の対象である。もし修行者やバラモンが『我』があると見るなら、そのすべてはこれら五つの執着の対象において『我』を見ているのである。修行者やバラモンたちは、色を我と見、色と我は別であると見、我は色の中にあると見、色は我の中にあると見る。受・想・行・識についても、それらを我と見、それらと我は別であると見、我はそれらの中にあると見、それらは我の中にあると見る。 無知で聞いたことのない凡夫は、無明のゆえに、色を我、あるいは我と別、あるいは相互に含み合うものと見て、『我は真実であり捨てるべきでない』と言う。捨てないがゆえに、諸々の感覚器官が成長する。感覚器官が成長すると、諸々の接触が増す。六つの接触の場に触れることによって、無知で聞いたことのない凡夫は、苦楽の感覚を生じさせる。接触の場から生じるのである。六つとは何か。すなわち、眼の接触の場、耳・鼻・舌・身・意の接触の場である。」

「如是，比丘！有意界、法界、無明界，愚癡無聞凡夫無明觸故，起有覺、無覺、有無覺、我勝覺、我等覺、我卑覺、我知我見覺。如是知、如是見覺，皆由六觸入故。多聞聖弟子於此六觸入處，捨離無明而生明，不生有覺、無覺、有無覺、勝覺、等覺、卑覺、我知我見覺。如是知、如是見已，先所起無明觸滅，後明觸覺起。」

> 「このように、比丘たちよ。意界・法界・無明界がある。無知で教えを聞いていない凡夫は、無明の接触によって、「有る」という思い、「無い」という思い、「有るか無いか」という思い、「自分が勝っている」という思い、「自分は等しい」という思い、「自分は劣っている」という思い、「私は知っている、私は見ている」という思いを起こす。このような知り方や見方の思いは、すべて六つの接触の場所に由来する。 多くの教えを聞いた聖なる弟子は、この六つの接触の場所において、無明を離れて明（智慧）を生じる。それによって、「有る」という思い、「無い」という思い、「有るか無いか」という思い、「勝っている」という思い、「等しい」という思い、「劣っている」という思い、「私は知っている、私は見ている」という思いを生じない。このように知り、このように見たならば、先に生じていた無明による接触は消え去り、その後、明による接触の思いが生じるのである。」

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> お釈迦さまがこのお経をお説きになると、比丘たちは皆、その教えを聞いて大いに喜び、深く心に刻んで実践しました。