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title: "雜阿含經 · 46"
description: "雜阿含經是佛教早期經典之一，由劉宋時期譯師求那跋陀羅翻譯為漢文。該經屬於原始佛教阿含部，記錄了佛陀與弟子間的對話，內容涵蓋四聖諦、八正道、緣起法等核心教義，被視為研究原始佛教思想的重要文獻。雜阿含經在佛教經典中地位崇高，與長阿含、中阿含、增一阿含並列為四阿含，是南傳佛教巴利語尼柯耶的對應漢譯版本。該經語言簡練，教義樸實，反映了佛陀時代的修行方法與解脫之道，為後世佛教各派共同尊奉的基礎經典。"
url: "https://rushiwowen.co/ja/r/cma8xhibq0p89l4042itzbkz8"
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### （四六）

> 第46節

如是我聞：

> このように私は聞きました。

一時，佛住舍衛國祇樹給孤獨園。

> 一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。

爾時，世尊告諸比丘：「有五受陰。云何為五？色、受、想、行、識受陰。若沙門、婆羅門以宿命智自識種種宿命，已識、當識、今識，皆於此五受陰已識、當識、今識：『我過去所經如是色、如是受、如是想、如是行、如是識。』若可閡可分，是名色受陰。何所閡？若手、若石、若杖、若刀、若冷、若暖、若渴、若飢、若蚊、虻、諸毒虫、風、雨觸，是名觸閡，是故閡是色受陰。復以此色受陰無常、苦、變易。諸覺相是受受陰，何所覺？覺苦、覺樂、覺不苦不樂，是故名覺相是受受陰。復以此受受陰是無常、苦、變易。諸想是想受陰，何所想？少想、多想、無量想、都無所有作無所有想，是故名想受陰。復以此想受陰是無常、苦、變易法。為作相是行受陰，何所為作？於色為作，於受、想、行、識為作，是故為作相是行受陰。復以此行受陰是無常、苦、變易法。別知相是識受陰，何所識？識色，識聲、香、味、觸、法，是故名識受陰。復以此識受陰是無常、苦、變易法。

> ある時、世尊は修行者たちにこう告げられました。「五つの執着の対象（五取蘊）がある。それらとは何か？それは、色（物質的現象）、受（感覚）、想（知覚）、行（心的形成作用）、識（認識）である。 僧侶や修行者たちが、前世の記憶の智慧によって様々な過去世を自ら知る時、既に知ったもの、これから知るもの、今知るものも、すべてこの五つの執着の対象に基づいて、『私が過去に経験したのは、このような色、このような感覚、このような知覚、このような形成作用、このような認識であった』と知るのである。 さて、妨げられたり、分割されたりするもの、それが色の執着の対象と呼ばれる。何によって妨げられるのか？手、石、棒、刀、冷たさ、暖かさ、渇き、飢え、蚊、あぶ、毒虫、風、雨などの接触によって妨げられる。これを接触による妨げと言い、ゆえに妨げられるものが色の執着の対象である。さらに、この色の執着の対象は、無常であり、苦しみであり、変化するものである。 様々な感覚の性質を持つもの、それが受の執着の対象である。何を感じるのか？苦しみを感じ、喜びを感じ、苦しくも喜びでもないものを感じる。ゆえに感覚の性質を持つものが受の執着の対象である。さらに、この受の執着の対象は、無常であり、苦しみであり、変化するものである。 様々な表象（イメージ）を持つもの、それが想の執着の対象である。何を表象するのか？わずかな表象、多くの表象、無限の表象、何もないという無所有の表象をする。ゆえに表象の性質を持つものが想の執着の対象である。さらに、この想の執着の対象は、無常であり、苦しみであり、変化する性質のものである。 作り出す作用を持つもの、それが行の執着の対象である。何を作り出すのか？色に対して作り出し、受・想・行・識に対して作り出す。ゆえに作り出す作用を持つものが行の執着の対象である。さらに、この行の執着の対象は、無常であり、苦しみであり、変化する性質のものである。 区別して知る性質を持つもの、それが識の執着の対象である。何を識別するのか？色を識別し、音・香り・味・触感・概念を識別する。ゆえに識別の性質を持つものが識の執着の対象である。さらに、この識の執着の対象は、無常であり、苦しみであり、変化する性質のものである。」

「諸比丘！彼多聞聖弟子於此色受陰作如是學：『我今為現在色所食，過去世已曾為彼色所食，如今現在。』復作是念：『我今為現在色所食，我若復樂著未來色者，當復為彼色所食，如今現在。』作如是知已，不顧過去色，不樂著未來色，於現在色生厭、離欲、滅患、向滅。多聞聖弟子於此受、想、行、識受陰學：『我今現在為現在識所食，於過去世已曾為識所食，如今現在。我今已為現在識所食，若復樂著未來識者，亦當復為彼識所食，如今現在。』如是知已，不顧過去識，不樂未來識，於現在識生厭、離欲、滅患、向滅，滅而不增，退而不進，滅而不起，捨而不取。

> 比丘たちよ。あのよく学んだ聖なる弟子は、この色という執着の塊について、次のように学ぶ。「私は今、現在の色に食い尽くされている。過去世においても、すでにその色に食い尽くされてきたのだ、今現在のように。」そしてまた、こう考える。「私は今、現在の色に食い尽くされている。もし私が未来の色にさらに執着し楽しむならば、今現在のように、再びその色に食い尽くされるであろう。」このように理解したならば、過去の色を顧みず、未来の色に執着せず、現在の色に対して厭離し、欲望を離れ、患いを滅し、滅へと向かう。 よく学んだ聖なる弟子は、この受・想・行・識という執着の塊についても学ぶ。「私は今、現在の識に食い尽くされている。過去世においても、すでにその識に食い尽くされてきたのだ、今現在のように。私は今、現在の識に食い尽くされている。もしさらに未来の識に執着し楽しむならば、今現在のように、再びその識に食い尽くされるであろう。」このように知ったならば、過去の識を顧みず、未来の識に執着せず、現在の識に対して厭離し、欲望を離れ、患いを滅し、滅へと向かう。増すことなく減じ、進むことなく退き、起こすことなく滅し、執着せずに手放すのである。

「於何滅而不增？色滅而不增，受、想、行、識滅而不增。於何退而不進？色退而不進，受、想、行、識退而不進。於何滅而不起？色滅而不起，受、想、行、識滅而不起。於何捨而不取？色捨而不取，受、想、行、識捨而不取。

> 何が消え去って、増えることがないのか。 「色（物質的なもの）」が消え去って増えることはなく、「受（感覚）」「想（概念）」「行（意志作用）」「識（認識）」が消え去って増えることはない。 何が退いて、進むことがないのか。 「色」が退いて進むことはなく、「受・想・行・識」が退いて進むことはない。 何が滅びて、再び起きることがないのか。 「色」が滅びて再び起きることはなく、「受・想・行・識」が滅びて再び起きることはない。 何を手放して、執着しないのか。 「色」を手放して執着せず、「受・想・行・識」を手放して執着しない。

「滅而不增，寂滅而住；退而不進，寂退而住；滅而不起，寂滅而住；捨而不取，不生繫著；不繫著已，自覺涅槃：『我生已盡，梵行已立，所作已作，自知不受後有。』」

> 消え去っては増えず、静かに滅してとどまる。退いては進まず、静かに退いてとどまる。滅しては起きず、静かに滅してとどまる。捨てては取らず、執着を生じない。執着しないならば、自ら涅槃を覚る。「我が生は尽き、清らかな行いは既に立ち、為すべきことは為し終えた。もはや再び生を受けることはないと、自ら知る。」と。

佛說此經時，眾多比丘不起諸漏，心得解脫。

> 仏がこの経を説かれたとき、多くの比丘たちは煩悩をおこすことなく、心に解脱を得ました。

佛說此經已，諸比丘聞佛所說，歡喜奉行。

> お釈迦さまがこのお経をお説きになると、比丘たちは皆、その教えを聞いて大いに喜び、深く心に刻んで実践しました。

我、卑下、種子 封滯、五轉、七二繫著及覺 三世陰世食

> 私は卑しく、種は閉じ込められている。 五つの転変、七つ。 二つの執着と覚醒。 三世の陰と世の食。